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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第4章 五反田の蠍
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やっぱり、何かがおかしい。

 商店街からの帰り道。


 都道317号線にて、1丁目ビルに面したサニー通りの交差点に差し掛かった時。不意に、車が止まった。


「涼平。お前、ちょっとここで降りてくれ」


「え、どうして?」


「実は俺さ、今から行くところがあるんだ。お前は先に戻ってろ」


 前波曰く、山崎から別の指示を受けているという。


「……わかったよ」


「菓子は、俺が後からまとめて持って行くからよ。それじゃあな」


 そこから本庄組の事務所までは、数十メートルの距離がある場所だった。炎天下の中を歩くのは億劫だが、用事があるというのであれば致し方ない。おれは素直に助手席のドアを開けると、ゆっくりと進み始めた。


「ふう。暑くなってきたなぁ」


 不意に声が漏れるくらいに、ひどく蒸し暑い空気。暦の上では未だ「初夏」とはいえ、日射病の3文字が脳裏をよぎるほどだった。1秒でも早く事務所に帰って扇風機に当たりたかったので、歩き続ける足は自然と早くなってしまう。


 その過酷な道すがら、頭に浮かんでくる疑問があった。


 動物マスクの男たちによる商店街襲撃は、小國の自作自演――。


 大井町ですれ違った夫婦の会話が、何故か心に残ったのだ。特にこれといった証拠があるわけでもないので、所詮は取るに足らない陰謀論。あの偏屈な天ぷら職人が黒幕だと断言するには、いまいち決定打に欠ける。


(何にせよ、俺1人の力では調べるにも限界があるな……)


 そう自分の中で結論を出した、その直後。俺は妙な連中に出くわした。たしか、事務所ビルの目の前まで来た時だったか。2人の男が、何やら話しながらビルの玄関口から出てくる。


「ふう。これで何とか、まとまりそうですね。地権者との合意も概ね得ているみたいですし。あとは、区長のご承認を待つだけってところですか」


「そうだな。ここまで長い道のりだった……」


 見たところ、2人は上司と部下の関係のようだ。


(組の人間……じゃないよな?)


 両方とも本庄組では見たことの無い顔をしており、他の組織から来たことはすぐに分かった。とはいえ、極道らしい見た目でもない。どこかの会社から遣わされた、カタギのサラリーマンといった風貌だった。


 ちなみにこの日、東京都の気温が摂氏30度を超えていたこともあってか、彼らの着ているワイシャツは半袖。1人は扇子をせわしなくバタバタと動かしながら、もう片方の手で額を拭う。


「それにしても、暑いなあ」


「しょうがないですよ。もう7月なんだから」


「これがあと、2か月近くも続くのか……参ったよ」


 カンカンと照り付ける夏の日差しに文句を言いながら、男たちは去っていった。すれ違う瞬間、彼らのポケットから小さな紙切れのようなものが1枚、ひらりと地面に落ちる。


「おーい! 落ちたぞー!」


 思わず拾い上げて声をかけるも、振り向きはしなかった男たち。おそらくは雑談に夢中で、こちらの声が聞こえなかったのだろう。速さを変えずに、そのまま離れていってしまった。


「ったく……」


 ため息をついた俺は、紙切れに視線を落とす。


【品川区 都市計画課 課長補佐】


 名刺のようだった。その脇には、落とし主のものと思われる氏名も記されている。左側に並んだ「課長補佐」の肩書きから、そこそこ高い地位の人物なのだと察した。


(区役所の人間が、何の用だったんだ……!?)


 区に勤めているということは即ち、地方公務員という事になる。そんな彼らが何故、暴力団である本庄組の事務所を訪れたのか。普通に考えれば、何らかのダーティーな関係があると見るのが自然であろう。


 本庄組は、役所とのパイプを持っている――。


 買い物ついでに得た、思わぬ発見。しかし、この事実を他の情報と照合させて、新しい仮説もしくは結論を導き出せるほどの思考力は、当時の俺には無い。動物マスク集団の黒幕の正体について、自分なりの考えをめぐらせながら、ただ漠然と時間を過ごすだけであった。


 そして、3日後。


 小國が再び、事務所へ駆け込んで来た。服装や時間帯などは、ほとんど前回と変わらない。唯一、違うところを挙げるとするならば、彼がひどく取り乱していたという点だ。


「本庄さん! 大変なことになりました!」


 偶然にも、オフィスのソファに腰かけていた組長は、狼狽えて入ってきた来客の姿を見るなり、静かに着席を促す。背中をガクガクと痙攣させる小國とは対照的に、至って落ち着いた様子だった。


「おお、小國はん。どないしたんですか? そないに慌てて。とりあえず、座ってくださいな。お話、聞かしてもらいますわ」


「助けてください。一昨日から、商店街で……」


「何があったん?」


 震えるような声で、小國は言った。


「最近、商店街の中で変な噂が流れてるんですよ……『連中を裏で操っていたのは、自治会長の小國だ』っていう噂が!」


 曰く、襲撃騒動が一定の収束を見せた頃から、入れ替わるように流れ出した風説であるという。出所は不明だが、以前より小國を快く思っていなかった者たちを中心に拡散。真に受けてしまった者も、決して少なくないようだ。


「私のことを揶揄するビラも、たくさんかれてましてね。自治会員の中にも、その噂を信じる奴が出る始末です。噂によれば、私が自分の意向に従わない店主を追い出すために連中をカネで雇ったと。でも、考えてみてください。私がそんなこと、するわけないじゃないですか! 誰よりも大井の街を愛している、この私が!!」


 目を大きく開き、語気を強めた小國。喋り終えた後で唇をグッと噛みしめ、眉間にしわを寄せる。視線は一点に相手を見つめ、少しも反らす気配が感じられない。


 それらの仕草から伝わってきたのは、彼の必死さ。己にかけられた疑惑を晴らし、潔白である事を伝えようとしているのだろうか。やけに、声量が大きかった。


(もしや、マジでこいつが犯人だったりして……?)


 小國が嘘をついている可能性は、きわめて高いように思えた。実際、彼は襲撃の件を警察に1度も相談していないにも関わらず、俺たちに「被害届を出したが、門前払いされた」と偽りを申したのだ


 その時点で、小國の信用は限りなくゼロに近い。この男が真の黒幕だったとしても、何らおかしくはないだろう。動物マスク集団の来襲時にパチンコ店に入り浸っていた事実も含めて、怪しい点が多すぎる。


(なるほどな。嘘をつくために敢えて、大袈裟なフリを見せてるのか)


 きっと、居並んだ員たちも、俺と同じ感想を抱いていたのだろう。皆、演説じみた釈明を続ける天ぷら職人に、ジッと鋭い視線を送っている。前波に至っては、眉をひそめてあらかさまに刺々しい目を向ける有り様だった。


「……」


 まさに、四面楚歌。オフィスにいる誰もが、小國の主張を「クロ」だと断じて睨みつけている。まるで、俺が小3の頃にシャーペン盗難の犯人として疑われた日のようではないか。


 彼を擁護する者は、もはや誰もいない――。


 ところが、決してそうではなかった。事務所の中でたった1人、小國に対して同情の返事を投げる者がいたのである。


「そうですかぁ……そら、めっちゃ大変な状況でんなぁ。出来るだけ早いうちに手ぇ打って、何とかせなあきまへんな」


 他でもない、本庄だ。意表を突かれたとばかりに困惑する部下たちをよそに、彼は小國を見据えて、淡々と持ちかける。


「考えがあります。どうか、任しといておくんなはれ」


「ほ、ほんとですか!?」


「ええ。今から、わしがこれから示す条件を吞んでくださったら、あんたにかかってる妙な噂は一瞬で吹き飛ぶ。そらもう、百発百中の確実な策ですさかいね……」


「教えてください。どんな策でしょうか?」


 少し間を置いてから、本庄は言った。


「小國はん。わしを自治会に加えてください。そしたら、すべてが上手くいきます。不安や心配のタネなんか、瞬く間に消えるやろうな」


「なっ!? 自治会って、大井町のですか?」


「そうです。言うても、正式な会員じゃなくて大丈夫ですわ。『相談役』または『顧問』っちゅう形で、自治会の意思決定の場に参画できるように計ろうてくれたら、それでええ。わしが他の連中に釘を刺して、あんたに仇なす輩を片っ端から黙らしたる。もちろん、報酬は月に……」


「ちょ、ちょっと待ってください!!」


 慌てて遮った小國は、冷や汗を浮かべながら首を横に振る。


「本庄さん。申し訳ないですが、いくら何でもそれは出来ませんよ! 自治会に……その、ご、極道の人を入れるだなんて!」


「心配せんといてください。噂を揉み消すだけじゃなくて、未加入者との交渉や会費の回収も、組の方できっちり引き受けますさかい。あんたの力になることは、お約束しますわ」


「そういう問題じゃありません! 極道が入る事がダメなんですよ! 」


 本庄の提案に対し、真っ向から拒絶の意思を見せた小國。


 それもそのはず。侠客が地域の顔役的存在だった江戸時代ならともかく、自治会にヤクザが参画するなど、絶対にあってはならない話のはずだ。暴対法が厳しく施かれた平成の世であれば、尚更だろう。難色を示すのも、無理はないなと思った。


「そないにダメでっか?」


「当り前です! そもそも、私は『風評被害を流している奴らをどうにかしてくれ』と、お願いしに来たんです。自治会に極道を加えに来たわけではありません!どうか、もっと真面目に考えてください!」


 すると、それまで傍らで控えていた山崎が沈黙を破る。


「小國さん、その言い方は無いんじゃないですか? あなたの為に、親分はリスクを冒してまで煌王会とナシつけたんですよ。すべては『古き良き商店街を守りたい』という、親分のご厚意で……そのお気持ちに散々甘えておいて、都合が良すぎますよ。あなた。ちょっとくらい、こっちの意見も聞いたらどうです?」


「しかし、それでは……」


「つべこべいわずに受け入れろと言ってるんだ!!」


 室内に響いた、山崎の恫喝。


 普段、彼は滅多に声を荒げない。部下が何か失態をやらかした時も、怒るというよりは懇々と諭すように窘めるくらいなので、感情的になる姿が全く想像できなかった。ゆえに俺は一瞬、たじろいでしまう。


(すげぇ迫力だ……)


 おそらくは組のナンバー2たる若頭として、組長のメンツを守ろうとしたのだろう。もしくは己の親分の頼みをにべもなく一蹴する相手の態度が、彼なりに許せなかったのかもしれない。いずれにしろ、山崎の中には極道としての「矜持」に似た信念が見えたような気がした。


 一方、思いっきり怒鳴られた格好となった小國は、慌てて返事をする。


「す、すみません!」


「なにが『すみません』だよ。さっさと受けろって言ってんだ、この野郎! あんまり舐めてっと、タダじゃおかねぇぞ? 俺たちはその気になりゃあ、いつでもテメェをコンクリート詰めにして、東京湾に沈められるんだからな。魚の餌にしちまうぞ? このクソじじい!」


「……」


「何とか言えやゴラァ!!」


 再び大きな怒声を上げると、山崎は小國に歩み寄って胸倉をグッと掴んだ。


「おい、シカトしてんじゃねぇぞ? いま、この場で殺してやろうか?」


「……」


「どうなんだ!!」


「……」


 視線を泳がせ、黙りこくる小國。何も答えないのは「無視しているから」ではなく完全に「怯えているから」なのだが、そのような事情は山崎にとって、まったく無関係。首元を締め上げる左手に力を込めた若頭は、射抜くような視線を浴びせた。


「ほう……そんなに殺されたいか……だったら、まずは手始めにテメェの顔をグッシャグシャにして、二度と外を歩けなくしてやるよ!!」


 そう言って、山崎は右手で拳をつくって構える。


「死んで詫びても許さねぇぞ! このクソ野郎がぁぁぁ!」


 だが、殴ろうとした瞬間。それを上回る大きな声が、室内に飛んだ。


「やめんかい!!」


 本庄だった。怒りに駆られた若頭を制した彼は、一転して声のボリュームを落とし、静かに言いつけた。


「その辺にしとけ。手、離したれや」


「……失礼いたしました」


 組長の命令を受けた山崎は、サッと手を解く。拘束から逃れた小國は、その場にへなへなと倒れ込んだ。10秒ほど首を絞められていたせいか、ひどく呼吸を乱し、肩で大きく息をしていた。


「はあ……はあ……」


 苦痛と恐怖ですっかり縮こまった彼に、本庄が優しく声をかける。


「小國はん。どうか、許したってください。うちの山崎には、どうも熱くなりやすい部分がありましてなあ。後で、きっちり叱っておきますよ。ね?」


「……」


「あと、さっきの話ですけど。そないに嫌やと仰られるんやったら、わしらはこれ以上、なんも言いまへん。今日のとこは、帰って頂いてけっこうですわ。せやけど、後になって気ぃ変わったら、その時はいつでも来てくださいや。お待ちしてますさかい」


 直後、小國は逃げるように事務所を出て行った。


 彼としては当初、自身にまつわる流言に対処してもらうために足を運んだのだ。それがまさか「組長を自治会に入れる」という前代未聞の提案をされ、暴力込みで脅されるとは、夢にも思っていなかったであろう。


(でも、実際はどうなんだ? あの爺さん、クロなのか……?)


 確かめようにも、これといったすべが無い。俺は「まあ、いいか」と自分を一時的に納得させると、いつも通りの暇な日常へと戻ろうと心にピリオドを打つ。


(あの気持ち悪い連中も、消えたことだし。ひとまず一件落着ってところか)


 ところが、そうはならなかった。

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