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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第4章 五反田の蠍
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糸を引く者

 それから、1週間が過ぎた。


 時が悠々と流れていき、わずか数分さえ60分も経ったように感じてしまう日々。俺の五反田での暮らしは退屈で気怠いままだったが唯一、目に見える形で起こった変化がある。


 例の動物マスクの男たちが、ぱったりと現れなくなったのだ。


 大井町自治会長の小國が本庄へ「商店街店主の総意」として、1千万円を渡した日を境に、事務所に救援要請の電話が入ることは無くなった。勿論、俺たちが半ばルーチンワークと化した出動に駆り出されることも皆無。


 あまりにも唐突な変化を遂げた情勢に、組員たちは戸惑いを隠せない。緊急電話が途絶えて初めての夜、彼らは顔を見合わせて首を傾げていた。


「今日、来なかったなあ。やっぱ、親分の交渉のおかげなのかな?」


「かもな。いやあ、すげぇもんだ。煌王会を相手に渡り合えるなんてよ」


「でも、昨日の今日だぜ? さすがに早すぎじゃねぇか?」


「親分は親分で、独自の交渉ルートをお持ちなのかもな。ほら、あの人は関西のご出身なわけだし。昔の顔なじみが煌王会に居たりして!」


 そのように考察を繰り広げていた2人の組員たちだったが、やがて夜が訪れてビアガーデンへ行く時間になると、スパッと会話を中断して事務所を出て行ってしまった。しかし、俺の疑問は消えない。


 どうして、本庄組長は1日で事態を解決させることができたのか――。


 1千万円を片手に交渉へ挑むにしても、その期間では何も進まないはずだ。手順を考えるならば、関係者への根回しや事前連絡を行った上で、煌王会の本拠地がある名古屋へと赴くのが常道というものだろう。


 にも関わらず、本庄は東京を出た気配が一切無い。それどころか、小國との会談を終えた後も事務所に滞在。金が詰められたジュラルミンケースを囲んで、山崎たちと取るに足らない雑談を繰り広げていた。話題はたしか、ゴルフの話だったか。専門用語を多用しつつ、にんまりと笑う姿が印象的だった。


「いま、軽井沢の相場ってどれくらいやったかいな?」


「どうでしょうねぇ。でも、あそこはオススメできませんよ。バンカーの砂が浅い。おまけに、最近では食堂のカレーが不味くなってますし」


「そらあ残念やわあ。うーん。どっかええとこ、あらへんかなあ」


 煌王会との外交を間近に控えているにしては、会話の内容が気楽すぎる。他にも、組長の口からは「車」だの「紅茶」だの、交渉とは関係が無いワードが次々飛び出す始末。申し訳ないが、ずいぶんと呑気な人だと思ってしまったものだ。


 俺は本庄が交渉へと向かう姿を自分の目で、1度も見ていない。だがそれでも、例の集団による商店街の襲撃は止んでいる。これが歴然たる事実である以上、受け入れるしかない。いかなる手段を用いたのかが気になりつつも、結論が導き出せぬまま時間だけが流れてゆく。


 そんな、ある日の昼下がり。


「おう、涼平。ちょっと良いか?」


 いつものように事務所で雑用仕事をこなしていると、山崎に声をかけられる。彼は「かどたのからあげ」という屋号が大きく記された、紙袋のようなものを両手に下げていた。


「いま、大井に行ってきたんだけどさ。買い忘れちまって。ちょっくら、使いに出てくれねぇか? 頼むわ。俺、いまから少し仕事があってよ」


 面倒臭さから来る苛立ちも沸き起こったが、事務所の中で掃除をしているよりはマシだ。聞けば、前波が所用のついでに車に乗せてくれるという。軽い気分転換のつもりで、承諾の返事を送ってやった。


「ああ。良いよ」


 それから俺は、前波の運電する黒いセダンの助手席へ乗り込む。車では10分少々で済む距離も、歩けば30分以上もかかってしまう。以前、ひと悶着を起こした前波と2人きりの空間にいるのは気まずかったが、徒歩での移動は煩わしいので我慢するしかない。


「……」


 前波がアクセルを踏み、車を発進させてからというもの、俺は窓の外に視線を固定して口をつぐんだ。無駄に口論に発展するのも厭わしいので、とにかく黙っていようと思ったのだ。ところが、この兄貴分気取りのヤクザは会話を振ってくる。


「麻木。本庄組うちには慣れたか?」


「……ああ。慣れたよ」


「何か、困った事とか無いか? あったら、いつでも相談に乗るぞ?」


「別に。ねぇよ。そんなもん」


 瞳を背けたまま、ぶっきらぼうに答えを返し続ける俺。ろくに顔も合わせず、ずっと外を見つめていた。車窓から覗える景色は新緑の色合いを増し、梅雨の終わりと夏の始まりを今にも告げようとしている。


(はあ。外だけ見てりゃ、楽だってのに……)


 こちらの気分にはお構いなしで話しかけてくる前波の鬱陶しさに、俺がいい加減に舌打ちをしようとした、その時。ハンドルを握っていた前波の口から、意外な質問が飛んできた。


「いまの本庄組の組員の数は、何人か。お前、分かる?」


 何故、そのようなことを聞くのだろう。困惑をおぼえながらも、適当に答える。


「30人くらいとか」


 すると、前波は吹き出した。


「違うな。もっと、頭を使って考えてみろよ」


 いきなり質問を投げた挙句に鼻で笑うとは、無礼にも程がある。一瞬、中学時代に名簿番号で生徒を勝手に指名した末に、答えを外せば「そんなことも分からんのか!」とクラス全員の前で嘲笑した数学教師の姿がフラッシュバックし、俺は怒りで燃え上がった。


(この野郎!)


 しかし、正解を当てられぬままでは引き下がれない。馬鹿にされるのは悔しいが、馬鹿にされ続けるのはもっと屈辱的なのだ。俺は憤りを語気に込め、再び回答をぶつける。


「40人!」


「違う」


「じゃあ、50人!」


「残念」


 思いついた数字で手当たり次第に答えを投げつけ、前波に一言で却下される会話の繰り返し。無学かつ思考力の乏しい俺にできる唯一の反撃であったが、やがては「どんどん、離れていってるぞ~!」と、苦笑いでツッコミを浴びせられてしまう。


「もういいよ。答えを教えてやる」


「何人いるんだ?」


 わずかの間に呆れた表情を見せた後、前波は静かに言った。


「……9人だ。親分と若頭を含めてな」


「嘘だろ!?」


 9人――。


 あまりにも、少ないではないか。てっきり、2ケタは在籍しているものだと思っていた。無論、現在の中川会の直参組織の中では最低の数字であるという。


「俺が入った時には30人くらい、居たんだけどな。色々あって、みんな辞めてったよ。直参へ昇格した時に、ガクッと減っちまったのさ」


 己の組が直参にランクアップすることはヤクザとして、この上ない栄誉であるはずだ。自ずと出世の道も開けてくるのだから、誇りに思うのが普通であろう。俺には、信じられない話だった。


「そんな……いったい、何があったっていうんだよ!?」


「バックレた連中は、みんな『親分のやり方についていけなくなった』って言い残してたよ。他にも『本庄利政って存在が怖くなった』とか、『このまま本庄組にいたら、自分が自分じゃなくなってしまう』とか。ま、辞める時の台詞ってのはだいたい、そんなもんだ。全員に共通してるのは、親分への不信と恐怖だわな」


「あの人、そんなにヤバいのか?」


「ヤバいも何も。関西から身ひとつで出てきて、東日本の裏社会をテメェの腕と頭だけでのし上がったんだ。あれくらいの狡猾さが無けりゃ、やっていけないだろうよ。否定はしない」


 シフトレバーをいじった後、前波は続けた。


「新入りの頃に面倒を見てくれた兄貴分も、いまではまっとうにカタギさんだ。だから現状、ヒラの組員の中では俺がいちばん長い。と言っても、まだまだ幹部扱いはしてもらえてねぇけどな。あははっ」


 豪快に笑い飛ばして見せた彼だったが、その目の奥には悔しさが滲んでいる。それは、いつまで経っても幹部になれぬ自分の現状に対してでは決してなく、世話になった先達たちが次々と組を去った過去への、何とも名状しがたい感情のようだった。


(だけど、本庄さんは……)


 俺が見た限り、彼が組織の長として問題のある人物だとは思えない。現状の子分たちからは好かれているようだし、特にわだかまりがある様子は見受けられない。おまけに人当たりも良く、常に周囲に気配りを見せている。


 また、本庄は身分の貴賤に関係なく、他人に何かをしてもらった時には必ず「ありがとう」と礼を述べる男だ。横浜の残虐魔王であれば「やってもらって当然だ」とばかりに、何も言わない。


 無粋な比較である事は百も承知だが、好感が持てるのは前者の方。俺がそれまで目にした「組長」の中では、実父に次いで印象が良い。


(……まだまだ俺の知らない、ヤクザらしい一面があるんだろうな)


 いまいち掴みづらい、本庄利政の真の人物像。もっと考察してみたいところであったが、車が目的地に着いてしまったので、一時的にピリオドを打つことにした。


「それじゃあ、降りるか。ところでお前、カシラからのメモは持ってきたな? 何を買うかが全部、書いてあるはずだが」


「お、おう!」


 前波に促されて、俺はジャージのポケットに放り込んだ紙切れを取り出してみる。出発直前に山崎から受け取ったそれには、彼が買い忘れた品々が事細かく、走り書きの汚い字で記されていた。


【酒饅頭と菊饅頭を6箱ずつ】


【粟餅を12箱】


【大判焼きを12箱】


 どうやら、山崎は和菓子店での用事を済ませぬまま、帰ってきてしまったらしい。行き先は「かむら屋」。大井町商店街の外れにある、老舗の和菓子屋だった。


「よし。なら、さっさと行こう。俺にも、やる事があるんだから」


 事務所に仕事を残してきたという前波は、車を降りた俺を早く歩くよう急かす。言われるがままに足を動かし、商店街の中を進んでいく。途中、目に映り込むのは動物集団の襲撃を受け、ボロボロに壊れてしまった店の姿。


 シャッターが破られた八百屋から、商品の大半を排水溝に流された酒屋まで、被害に遭った店は全体の半数近く。どこも入り口に「臨時店休」や「しばらく休ませていただきます」などと、貼り紙がしてあった。


(ひでぇもんだな……まったく)


 休業を余儀なくされた店の主の心情を慮りながら、俺は前波と共に「かむら屋」での買い物を済ませる。案の定、荷物は多くて1人では持ち切れない。先輩風を吹かす男の手を借りながら、元来た通路を戻った。


 その帰り道。


 前方から歩いてきた熟年夫婦の会話が、すれ違いざまに耳へ入ってくる。何やら、商店街について話しているようだ。


「しっかし、大変だったよなあ。高橋さん」


「ほんとよねぇ」


 少し足を止めて耳を傾けてみると、動物マスク集団の襲撃を受けた精肉店が廃業してしまったとの事だった。彼らによって店の商品の殆どを台無しにされ、莫大な額を損失を被り、商売を続けられなくなったという。


 また、店主の高橋氏には大学1年生の娘がいるようだ。会話の内容から察するに、これから学費をどうしていくか等の見通しが、まるで立っていない状態らしい。


(胸糞悪い話だぜ……)


 俺が思わず顔をしかめていると、更なる会話が飛び込んでくる。


「それでさ、さっき門田かどたさんの店で聞いたんだけど。こないだまで暴れてた、あの気持ち悪い奴ら。実は連中をカネで操って、店を襲うように裏で糸を引いてた黒幕がいるらしいんだ」


「はあ!?」


「驚きだよな。まさか、あいつらにボスがいたなんて。俺、さっき店で聞いて『マジかよーっ!』って思っちゃったよ」


「誰なの? そんな事をしてた人って……」


 かなり得意げに話す夫。それに対して、妻は興味深そうに相槌を打っている。2人のやり取りを聞いている限りでは、巷の噂やゴシップ、都市伝説ないし陰謀論の類を好む夫婦のようだ。


 もしかして、再開発計画を知っているのか――。


 しかし、次の瞬間。俺の耳に飛び込んで来た人物の名前は、まったく予想だにしていない衝撃的なものだった。


「天ぷら屋の小國。あのジジイが真犯人だよ」


「えっ!!」


「門田さんが、1時間くらい前に来た客から聞いたらしいんだ。小國は自治会長やってるだろ? その自治会の中で揉め事があって、自分に盾突く一部の店主たちを商店街から追い出すために、今回の件を仕組んだそうだよ」


「いやいや、有り得ない。いくら小國さんが頑固で偏屈だからって、流石にそれは無いでしょ」


 夫婦の会話をすぐ背後で聞きながら、呆然と言葉が出なくなった俺。口をぽかんと開け、目を丸くして、いま考えても恥ずかしいほどに滑稽な表情をしていたと思う。


「……」


 そんな俺の存在には全く気づかず、男は妻に力説する。


「でもさ、考えてみてよ。連中は狂ったように大暴れしてたのに、小國の店にだけ被害が出てないんだよ? それにあいつ、事件があった時はいつも決まって、商店街にいなかったっていうじゃん。同じ時間帯に『西五反田のパチンコ店で、小國が打ってるのを見た』って客もいるし。そう都合よく、逃げられるものかな?」


「うーん。たしかに。言われてみれば」


「しかも、被害の規模は店によって差があるんだよ。例えば、山内さんの所はシャッターを壊されるだけで済んだのに、菊池さんの酒屋や高橋さんの精肉店は廃業に追い込まれてる。実はこれにも理由があって、菊池さんと高橋さんは自治会の寄合で小國と揉めたらしいんだ。自治会の予算を小國が横領した件について、2人ともけっこう厳しめに問い質してたって話だよ」


 やがて足を止めた俺を置き去るように、夫婦はどこかへ行ってしまった。入ってくる情報の量が多すぎたせいか、しばらくは思考が追い付かず、硬直していたと思う。だが己を呼ぶ声で、ふと我に返る。


「おーい! 麻木ぃ! 何やってんだー?」


 こちらが立ち止まっている間、先へ先へと進んでいた前波が数十メートル先から、俺に早く来るよう檄を飛ばしたのだ。慌てて、彼の元へ駆け寄る。


「どうしたんだ? さっき、ボーッとしてたけど。具合でも悪いのか?」


「いや、別に……」


 わざわざ、前波に伝えても混乱させるだけだろうと思ったので、敢えて何も言わなかった。その後は適当な話題ではぐらかし、買った和菓子を後部座席に積み込み、自らも助手席へと乗り込む。


(商店街の襲撃は、小國が黒幕? ……いや、まさかな)


 事務所へと戻る道中、そんな事ばかりを考えていた。

謎が深まってきましたね……。

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