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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第4章 五反田の蠍
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何かがおかしい。

 1998年6月24日。


 正午を少し過ぎた頃、事務所に小國がやって来た。天ぷら屋の制服を着て、初夏だというのにネクタイも緩めぬ暑苦しい格好。入室するなり、彼は血相を変えて声を上げた。


「すみませんが、本庄さんとお話しできませんか!」


 いきなり何を言うのかと困惑する俺だったが、よく見ると小國の様子は尋常ではない。額には汗が浮かんでおり、顔は真っ青。気温は25度以上もあるのに、両肩をガタガタと震わせ、呼吸はすっかり荒くなっている。


 何があったというのか。山崎が首を傾げつつ、来訪者に尋ねた。


「恐れ入りますが、どういった用件でしょうか? 社長は今、上の階でお電話中です。急ぎのご用であれば、私がお受けいたしますが……」


「あなたでは駄目だ! 本庄さんと直接、話をさせてください!!」


 大きな声で遮られ、不快感を顔に表した山崎。しかし、ここで突っかかるのは得策ではないと判断したのか。一瞬で元の表情に戻ると、少し間を置いてから静かに応じた。


「……わかりました。では、お連れいたしますので少々、お待ちください」


 そう言うと、山崎は足早に部屋を出て行く。残された小國は、まだかまだかと急かすように足を鳴らし始めた。彼が履いてきた下駄と床が、カンカンとぶつかる音が室内に響き渡る。


 俺は他の組員たちと、顔を見合わせた。特に会話を交わしたりはしなかったものの、おそらくは同じことを考えていたと思う。何故、目の前の天ぷら職人は焦っているのか。どこからどう見ても、小國は冷静さを失っていた。


 やがて、数分後。


「いやあ、すんまへん。おそうなりましたなぁ」


 慌ただしくドアが開き、本庄が入ってきた。


「あっ! やっと来た!」


「申し訳あらへん。ちょいと、長電話になってまいまして。小國はん、珍しいですな。あんたの方から、我々の事務所にお越し下さるとは。なんか、あったんですか?」


「大変なことになったんです! 連中、ついに一線を越えてきました!」


「お話、ゆっくりと聞かしてもらいましょか。とりあえず、冷たいお茶でも飲んでくださいな」


 早口で続けざまに言葉を放つ小國を宥めるがごとく、組員が淹れたアイスティーを勧める本庄。一方、組長の後ろをついてきた山崎は、奥の自分の席に無言で腰かけた。


「……」


 そんな中、小國が悲痛な面持ちで話を切り出す。


「今朝、商店街が放火されたんです。幸いにも店の者が気づいて、火は燃え広がる前に消火器で消し止められました。しかし、その後で自治会に妙な電話が入りまして」


「妙な電話?」


「はい。若い男の声で『商店街一帯の土地の権利証を全て、よこせ。さもなくば、脅しだけでは済まなくなる。我々は本気だ』と」


 曰く、恫喝電話の主は今までの破壊行為については「自分たちがやった」と全面的に認めた上で、これ以上の犯行に及ばない代わりに土地権利証の譲渡を要求してきたという。話を聞いた本庄は、合点がいったとばかりに何度も頷いた。


「典型的な地上げ屋の手口やな。店を襲うのにも物だけを壊して、人に危害を一切、加えんかったのも納得ですわ。精神的にジワジワと追いつめて、自分から立ち退くよう仕向けるのが連中の狙いや。警察には相談されたん?」


「そりゃあ、もちろん。何度も掛け合ってますよ。しかし、窓口で軽くあしらわれてばかりで。いちおう、器物損壊で被害届は出したんですが、捜査をしてくれる気配すら感じられない。こちらから事情を聴いて、それで終わりです」


「ほんまでっか? せっしょうな話ですなぁ」


「まったくですよ。実はさっき、ここへ来る前にも大井町署へ寄って来たんです。でも、案の定『単なる火の不始末でしょ』って、笑い飛ばされました。私たち市民が必死で被害を訴えているのに、あの態度はありませんよ。公務を何だと思っているのか!」


 よほど、屈辱的な対応をされたのだろう。語気を強める小國の瞳の奥には、怒りの炎がメラメラと燃えているように見えた。相当、頭に来ているようである。本庄も、小國の主張に同調する。


「たしかにねぇ。普通なら、すぐさま捜査に乗り出さなあかん話やろうに。なんで、警察は動かへんのか。不思議でなりませんわ」


「でしょ?」


「ええ。小國さんの仰る通りですわ。警察は皆、我々の税金でメシを食うてる公僕ですさかいね。そんな体たらくでは、真面目に納税するのがアホらしくなってくる。ただ……」


 含みのある接続詞を付け足した本庄は、少し声の調子を落として言った。


「……こういう時のために、我々のような存在がおるんとちゃいまっか。もう気づいてはる思いますけど、わしらは『ヤ』のつく自由業。つまりは、渡世人です。人の道を少し、外れることになりますが……1つ、有効な手立てがあるんですわ」


 カタギの企業たる「本庄総業」という仮の姿を堂々と脱ぎ捨て、自分たちがヤクザであることを改めて認識させた本庄。心倣しか、口調もどこか刺々しく聞こえた。先ほどまでの飄々とした人当たりの良い雰囲気が一変して、殺気を放つ冷たいオーラを纏い始めている。


 一般的な人間であれば、ここで恐れ慄いて、何も言えなくなってしまうところだろう。しかし、小國は違った。


「何ですか? その手立てというのは!」


 怖がるどころか、ほのかに提示した案に食いついてきたのである。少し意外だったが、彼の立場と心情に想像をめぐらせれば、自ずと理解できた。


(もう、手段を選んではいられないのかもな)


 連日のように続く動物マスク集団の出現で、大井町商店街は存亡の危機に立たされている。客足が激減したのは勿論、商品を台無しにされてしまったことで商売を続けられなくなり、廃業する店が後を絶たない。男たちによって、店内の酒を全て排水溝に流された「菊池酒店」も、そのうちの1つだ。


 にも関わらず、何故か警察は動いてくれない――。


 そのような状況下にあっては、普段は最も忌避すべき存在であるヤクザの力を頼ってしまうのも無理はない。1日でも早く、事態の解決を図る責任が自治会長にはあるのだろう。小國の言動の節々からは、彼の必死さが伝わってくる。


「本庄さん。勿体ぶらないで、教えてくださいよ。『有効な手立て』とは、いったい何なんですか? どうすれば良いんですか? 教えてください!!」


 そんな藁にもすがる思いの天ぷら職人に、本庄は問うた。


「教えたってもええんやけどな。そいつは、劇薬みたいな方法ですさかい。目的を果たすためには、それに見合う代償が必要になってくる。払うだけの覚悟、あんたにはあるんか?」


「……あります」


「どんな代償でも?」


「ええ。私の務めは、大井の町を守る事ですから」


 返答を聞いた本庄は、満足そうに目を細めた。


「ええやろ。ほな、教えて差し上げましょか! いま、あんたらの町で悪さをしとる気味の悪い集団のバックには、煌王会ちゅう関西のデカい組織がおりましてなあ。例のデベロッパーと組んで駅前の再開発計画に食い込もうと、あれこれ企んでるみたいなんですわ」


「こ、煌王会……」


 西日本最大の暴力団というだけあって、小國は即座にピンと来たようだった。しかし、あまりにも大きな名前の登場に、戸惑いを隠しきれていないのも分かる。口をあんぐりと開けて沈黙した彼に、本庄はなおも続ける。


「当然、わしらの親分にあたる中川会が黙ってへんやろうな。このままだと大井町を主戦場に、西と東の全面戦争になるかもわからん。せやけど、個人的に戦争になるのは本意やおまへん。出来ることなら、血ぃ流れへん方法で解決したいと考えてます」


「……ええ、それは私も同意見です。ただでさえ、うちの商店街はお客が減ってるんだ。ヤクザの抗争なんか起こったら、もはや町が終わってしまう」


「そこで、小國はん。あんたのお力を借りたいと考えとるのです。見ての通り、わしは生まれが関西でして。中学を出るまでは地元で過ごしたもんやさかい、それなりにパイプを持っとるんですわ。せやから今回、その人脈をどうにか活かして、向こうの幹部と交渉を行おうかと思うとります。『大井町から、手ぇ引いてや』ってね。けど、それには金がかかりまんねん」


「まさか、それを代わりに払えと?」


 本庄は首を大きく、縦に振った。


「その通り。まあ、向こうが再開発で見込んでる利益に、ちょこっと箔をつけた額やさかい……せいぜい1千万円くらいで、ええんちゃうか」


 1千万円――。


 あまりにも大きな金額だった。無論、小國は驚愕の声を上げる。


「い、1千万ですと!?」


「払われへん額でもないでしょ」


「冗談じゃない! そんな大金、うちにはありませんよ!」


 すると、その瞬間。本庄の顔つきが変わった。


「ほんまでっか?」


 それまで朗らかだった目元が、突如として鋭くなる。


「うちにはない? それ、ほんまに言うてるんですか?」


 淡々とした口調の中に内包された、底知れぬ狂気。場の空気が、一気に変わってゆくのが分かった。特に声を荒げたり、暴力的な威圧に打って出たわけでもないのに、恐怖からくる緊張感で室内が支配されてゆく。


「いや。その……」


 すっかり、たじろいでしまった小國。そんな彼に、本庄はストレートに言葉をぶつける。


「ヤクザを舐めとったらあきまへんで? あんた、わしに嘘ついとるやろ。1千万なんか、あんたら自治会が今までにコソコソ溜め込んだ裏金の総額に比べりゃあ、安いものなんちゃいますん?」


「そ、それは……」


「ぜんぶ調べさせてもらいましたわ。あんたらが、税金を不当に逃れてるっちゅうのは。架空の売り上げを申告したり、やってもいない拡張工事の費用を計上したり、あれこれ数字をいじってんねんなあ? せやさかい、ほんまは警察に行ってへん。浅ましい事に、さっきは『門前払いされた』なんて言うとったけど、あれは全て嘘。そら、そうでしょうなあ。下手に警察と関わったら、脱税について勘づかれるかもわからへん」


 完全に図星を突かれてしまったのか、小國は全身を震わせた。


(うわっ。分かりやすいな……)


 俺は、開いた口が塞がらなかった。初めて会った時から、どうも胡散臭いオッサンだと思ってはいたが、まさかこのような悪事に手を染めていたとは。追い討ちをかけるかのように、本庄が声を上げる。


「山崎! 例の“アレ”を持ってこい!」


「はい。かしこまりました」


 指図を受けた若頭は、己の机の中の引き出しを何やらガサゴソと探し始めた。そして茶色い封筒を1つ取り出すと、本庄が座っている所まで持ってくる。


「こちらです」


「おう。ありがとうな」


 山崎から受け取った封筒から、本庄は中身を豪快に取り出して見せつける。それは、複数枚の写真のようだった。小國の表情が、みるみる青ざめてゆく。


「なっ! これは……」


「あんたの行動記録や。覚えが無いとは言わせまへんで? わしは山崎から話を聞いた時、どうも怪しいと思うてな。ここ1週間、組の人間を使うて見張らしてもろうてましたわ。ほんなら案の定、警察署には1度も行かへんかった。それどころか、商店街が襲われたら自分だけ一目散に逃げ出して、安全な場所に隠れとる。自治会長が、聞いて呆れますわな」


 組員を使い、密かに素行の調査を行っていたという本庄。写真には、小國の外出先での様子が事細かに収められていた。中には、昼間とおぼしき時間帯に飲み屋へ入り浸り、酒を片手にくつろいでいる場面まである。決定的な証拠を突きつけられた彼は、がっくりとうなだれた。


「……」


 被害届を出したという話は真っ赤な嘘で、本当は相談にすら行っていない。おまけに脱税という、警察を頼るに頼れない“事情”まである。どうやって突き止めたのかはさておき、それを知った本庄は相手の弱みを握った格好だ。


 そんな彼は、沈黙する小國に選択を迫る。


「さて。どうしますかね? このまま何ももせず、煌王会による地上げの餌食となって破滅するか? それとも、わしに1千万を渡して全てを解決するか?」


「……」


「今、この場で決めなはれ!」


 返答は、思ったよりも早かった。


「……わかりました。明日の午前中、こちらに現金をお持ちいたします。それで大井町を守って頂けるのでしたら、私としては何も異存はございません」


 渋々、承諾した小國。本庄は穏やかな笑みを浮かべると、嬉しそうに右手を差し出した。


「そうですか! なら、契約成立ですなぁ!」


 翌日。


 約束通り、小國は本庄組の事務所へ重いジュラルミンケースを持参する。中には、1万円札の束が千枚。脱税や補助金の詐取といったダーティーな行為で手にいれた金ゆえに、そもそも銀行には預けられない。それゆえ、小切手の類いは使わず、現金のまま持ってきたらしい。


「……たしかに。1千万あります」


 前波が紙幣計算機マネーカウンターで数え終えると、小國と本庄は再び握手を交わした。


「どうか、これでよろしくお願いいたします。もう、私どもは限界です。早く、街に平和を取り戻してください」


「おおきに。任したってくださいな!」


 小國は支払いを済ませると、逃げるように帰っていった。


 彼から受け取った1千万円を用い、本庄はセイワグループおよび煌王会との交渉に挑むという。これで戦争が回避できるのであれば、実に喜ばしい話である。しかし、俺は些か懐疑的だった。


(本当に、上手くいくのか……!?)


 組長が突きつけた1千万円。それは、煌王会に大井町への侵攻を諦めさせるための金である。曰く、再開発計画を成功させる事で得られる収益を上回る額らしい。


 ところが冷静に考えてみると、安すぎるように思えてしまう。億単位の金が動く再開発という事業においては、1千万円などは所詮「はした金」であろう。その程度でセイワグループが計画を覆し、煌王会が素直に手を引いてくれるとは到底、考えづらい。


(どうやって、交渉するつもりなんだ……?)


 契約の成立を大いに喜び、山崎たちと談笑する本庄。そして彼らの姿を見ながら、モヤモヤとした疑問に首を傾げる俺。


 だが、この時は気づいていなかった。


 小國が支払った大金が、後に町全体の運命を大きく狂わせることに――。

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