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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第4章 五反田の蠍
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いたちごっこ

 五反田の事務所に戻ってみると、本庄が帰ってきていた。


「おう、お疲れさん。どこへ行っとったんや?」


 ちょうど彼は、俺たちの数分前に着いたところだったらしい。昼食を済ませていなかったのか、給湯室で何やら作っていた。そんな組長に山崎は、小國に渡されたチラシを見せながら説明を始める。


「大井町商店街の小國さんから『街で暴れてる連中をどうにかしてくれ』と、連絡を受けたもので。視察も兼ねて、対応に行っておりました」


「で、どうやったん?」


「それなんですが……」


 山崎は本庄に、大井町で遭遇した事実を全て、ありのまま報告した。


 まずは動物のマスクを被った謎の集団がいたこと、次に商店街の自治会長である小國の店へ行ったこと、そして商店街が駅周辺の再開発に絡んだ地上げ攻撃をうけていること――。


 話を全て聞き終えた本庄は、米を研ぐ手をピタリと止めた。


「……なるほどな。やっぱり、あの噂はホンマやったか」


「噂とは?」


「大井の駅ビル建設を進めとんの、実はセイワグループって話や」


「な、なんですと!?」


 セイワグループとは、大阪に本社を置く巨大複合企業である。不動産や都市開発などを中心に数多くの事業を展開しており、1998年6月の時点で従業員数は20万人を突破。無学な俺でも知っているほどの、世界有数のデベロッパーだった。


「セイワなら、やりかねへんやろ。開発に必要な土地を確保するのに、非合法な手段を使うことも。奴らには、デカい後ろ盾がついとるさかいなあ」


「まさか、それって……?」


「ああ。察しの通り、西日本最大の組織。煌王会や」


 本庄によると、セイワグループは煌王会と長年にわたって蜜月関係にあるらしい。同社がバブル期に急速に規模を拡大できたのも、極道たちによる法を外れた支援を受けていたおかげなのだとか。


不動産業者デベロッパーちゅうのは、土地が用意でけへんと仕事にならん」


「ゆえに、地上げを担う煌王会と二人三脚で歩んできたと?」


「そういうことや」


 恐れるあまり、日々の食事の全てを自炊で賄っている彼は、料理の腕前もなかなかのレベルらしい。目の前の食材と、部下からの報告を同時に捌いてゆく様子から察するに、だいぶ手際も良いようだ。


「何にせよ、小國さんは重要な顧客や。用心棒としてうちを頼ってくれてる以上は、相手が誰やろうと立ち向かわなあかん。それが極道としてのスジっちゅうもんや」


「しかし、よろしいのですか? 煌王会と事を構えるというのは……」


「おいおい。今さら、何言うとるねん。涼平を匿っとる時点で、とっくに連中を敵にまわしてるやろ。増えたところで、どうってことはない」


 炊飯器のスイッチを押すと、本庄は続けた。


「大井の件に絡んどるのが、煌王会のどこの組なのかは分からへん。もしかしたら3次やそこらの枝かもしれへんし、金バッジぶら下げた直系かもわからへん。せやけど、わしらかて中川会の直参やで? こうなったらとことん、戦争したるわ! ああ、兵隊の調達については心配するな。わしに任しとけ。考えがあんねん」


「……わかりました。それでは、こちらも準備を進めます」


 給湯室から漏れてきた、組長と若頭の会話。組長の口から名前が出た瞬間、近くにいた組員たちの視線が、一斉にこちらへ刺さった。実際に言葉にはしなかったものの、おそらく彼らは俺のことを「とんだ疫病神だ」とでも、思ったのだろう。


(無理もないか……)


 単純な構成員数だけで比べてみると、この年の時点で煌王会は中川会を上回っているのだ。3次団体の村雨組だけなら未だしも、万単位の兵力を容易に動員できる巨大組織が相手となると、いくら本庄組が中川会の直参だろうと流石に不利。状況を考えると、かなり雲行きが怪しい。


(皆、心配になって当たり前だよな)


 ところが、山崎だけは違った。「戦う」という方針を組長が表明するや否や、それまでの懸念に満ちた態度を瞬く間に撤回し、あっさり承服するどころか「準備を進めます」とまで、言って見せたのである。


 極道社会においては組長の言ったことが絶対とはいえ、この翻意はあまりにも大きい。気になった俺は山崎のマンションに帰った後で、ストレートに疑問をぶつけてみた。


「山崎さん。あんたは、納得してるのかよ」


「何がだ?」


「煌王会とドンパチやるって話にだよ。普通に考えて、数が違いすぎる。まとも戦って、勝てるとは思えねぇ。押し潰されるのが関の山だろ」


 すると、彼はプッと吹き出した。


「あはははっ。お前、そんなこと心配してんのか!」


「おい、真面目に……」


「考えてるよ。ああ見えて親分は、ちゃんとしたプランを持っておられる」


 眉間にしわを寄せた俺を宥めるかのように、山崎は言った。


「何も、本庄組うちだけでやろうってわけじゃない。戦争が始まったら、中川会傘下の全組織が戦列に加わる。本家の命令でな。大井町は現状、極道の手が全く及んでいない空白地帯だ。けど、そこに煌王会が入り込むことは即ち、奴らによる“東京侵攻”を意味するんだよ。それを関東の顔である本家が、指を咥えて見てるわけないだろ」


「じゃあ、中川会と煌王会の戦いになるってことか?」


「その通り。だから、心配しなくて良い。すべて親分に任せておけば、ほとんどのことは上手くいく……俺たちは、ただ言われるがままに行動していれば良いんだ」


 山崎は本庄組長に対して、絶対的な信頼を寄せているようだった。もしくは「盲信している」と書いた方が、適切だろうか。今後についての意見や主張などは自分なりに持っているはずなのだが、それら一切を押し殺し、ただ組長が決めたことを100%「是」とするのが、彼の行動原理であると俺は悟った。


 親分が白と言えば、黒い物でも白くなる――。


 良く言えば「忠誠心が強い」と称賛の対象となるが、悪く言えば単なる「思考停止」に過ぎない。申し訳ないが山崎に対しては、どちらかと言えば後者の印象を抱いてしまった。しかし、ここで指摘するのも無粋だと感じたので、敢えて軽く受け流してやる。


「……そうかよ」


 大井町での事件は予想よりも複雑で、同時に俺の五反田での潜伏生活も長期化の兆しが見えつつあった。だが、愚痴を漏らしたところでどうにもならない。この日もまた、俺は今後の行く末を憂いながら布団に入った。


 翌日。


 チキンライスにフレンチトーストという奇妙な食べ合わせの朝食を腹に詰め込み、山崎と事務所へと向かう。到着後、前波の指示で雑用仕事をこなしていると、午前9時くらいに事務所の電話が鳴る。


「カシラ。大井町に、例の奴らが出たそうです」


「よし! お前ら、行くぞ!」


 電話番から報告を受けるなり、組員たちに号令をかける山崎。


(またかよ)


 舌打ちと一緒にため息をこぼしつつも、俺はバットを受け取って車へと乗り込む。10分ほどで目的地に着くと、そこで暴れていたのはやはり、動物の覆面を被った気色の悪い男たち。


『ウヒャヒャヒャヒャヒャ!』


 相変わらず、集団で奇声を発している。マスクの種類もシマウマ、ゴリラ、キツネ、ゾウ、パンダ。背格好からして、前日と同じ面々のようだ。違う点を上げるとすれば、連中が持っていたのはカラースプレー。


 通りの中央に佇む「喫茶エベレスト」の外壁に、何やら落書きをしているようだった。スプレーから放出される色とりどりの塗料が、煉瓦造りの壁を汚してゆく。


 ――プシュー!


 やがて、壁には不気味な文字が描かれた。


【わ た し は さ か ら い ま し た】


 平仮名で無造作に描かれていたため、何を意味するのかは分からない。だが、目の前の光景が俺の背筋を再び凍らせるのに、大して時間はかからなかった。


(な、何なんだよ……コイツら……)


 すると、キツネの覆面を被った男がこちらに気づいたようで、ビクッと反応し、周りの仲間たちに目線で合図を送ると、何やら耳打ちする。


『!?』


 そして、男達は一気に逃げ出した。


「おい、待ちやがれ!」


せ」


 追いかけようとした前波の肩を山崎がグッと掴み、制止する。


「俺たちの仕事は、あくまで商店街の用心棒。深追いは無用だ」


「けど、ここでっとかねぇと。また明日も、奴らは来ますぜ!」


「気持ちは分かるが、こいつは本家からの言いつけでもあるんだ。『しばらくは追い払うだけに留めて、命令を下すまでは殺すな』。どうか、分かってくれ。な?」


「……わかりました」


 そうは言っていたが、前波は最後まで承服しきれない様子だった。俺自身、連中を捕まえて殺すまでに至らなくても、誰の命令で動いたのかを吐かせるくらいはしても良いだろうと思った。


(でも、中川会の上層部に命令されてるんだとしたら……仕方ないよな)


 モヤモヤとした感情を抱えつつも、どうにか自分を納得させた俺。その後、山崎が小國に事実関係を報告を行い、彼から謝礼を受け取ったのを見届けると、速やかに帰路へとついた。


 次の日。


 夕方頃になって、動物マスクの男たちが出現したという報告が入る。場所は、商店街の入り口付近にある「菊池酒店」。いざ現場に急行してみると、彼らはボトルや瓶に入った液体を何やら、店の前の道路に勢いよくぶちまけているではないか。


(あれ、もしかして!?)


 よく見ると、男たちが手に持っているのは酒。どうやら、すべて「菊池酒店」の商品らしい。蓋を開けて中身を放出したり、瓶ごと地面に叩きつけて壊したりと、奪った酒を次々と駄目にしているようだ。そんな彼らの脇で、店主の老人がうなだれている。


「どうして……どうして、こんな目に……」


 店のドアガラスは粉々に割れ、看板も倒れてしまっている。おそらくは連中に集団で押しかけられ、まともな抵抗もできぬまま滅茶苦茶にされてしまったのだろう。


 悲嘆にくれる店主を取り囲みながら、男たちは雄叫びを上げる。


『ウヒャヒャヒャヒャヒャ!』


 そのうち、ゾウのマスクを被った者が奇怪な声を発した。


『これは、お前たちへの罰だ! ゆっくりと味わえ!』


 ひどく不気味な声である。またもや、背筋に戦慄が走った。


(なっ!? どういうことだ……?)


 しかし、男の言葉の意味を考える間もなく、俺たちの存在は連中に気づかれる。前日同様、キツネの男が皆に退却を促す。


『や、やばい! 逃げろぉーっ!!』


 連中の逃げ足は早く、わずか数秒の間に姿が見えなくなった。追跡しようとした前波も、山崎によって再び制止される。


「カシラ、本当に良いんですか?」


「……俺だって正直な感想を言えば、あの気持ち悪い連中はさっさと殺してやりたいさ。でも、やむを得ん。本家からの命令だからな」


 戦闘衝動をグッとこらえ、渋々引き下がる前波の姿が印象的だった。その後は山崎が小國に報告を行い、用心棒の謝礼金を受け取って帰投する。相手を目の前にしておきながら、戦えないのはもどかしい。同じ喧嘩好きとして、前波の気持ちは痛いほどに分かる。


(ったく……いつまで続くんだか!!)


 ところが、終わりでは無かった。その日を境に、本庄組には大井町商店街からの救援要請がほぼ毎日、飛び込んでくるようになったのである。


 電話で「助けてくれ」と頼まれて駆け付けると、そこにいるのは動物マスクの男たち。ところが彼らは店を壊すだけで、やって来た俺たちとは一切の交戦をすることなく、逃げるように去ってゆく。追跡しようにも、中川会本家からの命令があるために、動けない。


 そんな焦れったいシチュエーションが1日、また1日と繰り返され、気づけば俺が五反田に来てから1週間が流れてしまった。6月も下旬に差し掛かり、カレンダーを見るとため息がこぼれる。


「はあ……」


 歯痒くてもどかしい、いたちごっこの日々の中で頭に浮かぶのは、アメリカにいる絢華の顔。本来であれば現地へ飛び、大掛かりな手術を受ける彼女の手をギュッと握りしめているはずの時期だったのだ。


 致し方ない事情ではあるが、まるで変わらない現状には苛立ちが生まれるし、何よりもそれを変えられない自分自身にも腹が立つ。延々とループする日常を過ごす事が、これほどまでに辛いものだったとは。


「俺、何やってんだろ……」


 退屈さと気怠さが入り混じった時間の中、俺の心は次第に疲弊していった。

ループする日常って案外、

つらいものなんですよね……(;´∀`)

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