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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第4章 五反田の蠍
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敵の正体

 動物マスクの集団が逃げ去って、数分後。


「おお! 来てくださいましたか!」


 1人の男がこちらへ近づいてくる。調理用の白い白衣を纏って、年齢は見たところ50代後半くらい。禿げ上がった頭髪にでっぷりと太ったビール腹、銀縁の大きなメガネが特徴的だった。


「本庄総業の山崎専務ですよね? いやあ、おかげさまで助かりましたよ」


「失礼ですが、あなたは」


「ああ、自己紹介がまだでしたね。私は、こういう者でございます」


 戸惑う山崎にペコペコと頭を下げた後、男はその場にいた全員にチラシのようなものを配り始める。渡された紙に視線を落とすと、そこには大きな海老の絵と共に、行書体で何やら書かれていた。


【天ぷら処 おぐに 店主 小國正雄】


 小國おぐに正雄まさお。それが、突如として現れた肥満オヤジの名前だった。「天ぷら処」という屋号から察するに、大井町で日本料理店を経営しているらしい。山崎も組長経由で、名前自体は知っていたようだ。


「あなたが小國さんでしたか」


「はい。直接、お会いするのは初めてですね。おたくの社長さんとは、いつも親しくさせてもらってます。先日も、うちに差し入れをくださいましたし。感謝してもしきれませんよ」


「いえいえ。こちらこそ、うちの親……いや、弊社の社長がお世話になっております。小國さんのことは、かねてより聞かされておりました」


 そんな小國は山崎以外の面々にも、にこやかに挨拶を送った。


「初めまして。先ほど、あなた方に電話をかけたのは私です。連中を追い払っていただき、誠にありがたく思います。彼らはしつこくてね。あまりにも執拗に続いてて、警察には頼れないものですから。急いで来ていただわけです」


 すると、山崎が首を傾げながら尋ねる。


「あいつら、何なんですか? それに『警察には頼れない』というのは……」


「まあ、ここで立ち話をするのもなんですから、私の店へご案内いたします。助けて頂いた御礼に、天ぷらをご馳走させてください。さあ、こちらへ!」


 一瞬、皆で顔を見合わせたが「ご厚意に甘えようじゃないか」という山崎のひと声で、小國のもてなしを受けることになった。天ぷらは好物ではないが、その日は昼飯を未だ済ませていなかったので、とても腹が減っている。


(たまには天ぷらも、悪くはねぇかな)


 そう思いながら、俺は山崎たちと共に歩き出す。道路を30秒ほど進んで暖簾をくぐると、油の香ばしい匂いがした。ふと先ほど小國が渡してきた紙切れに目をやると、ここは天ぷらの専門店であるという。


「具材は全て、国産です。揚げるのには菜種や大豆、胡麻などを一切用いず、すべて菜種油のみで揚げるのが当店のポリシーでしてね。それでも出来るだけ美味しくご提供できるように、自家製のものを使っております」


「自家製の油? じゃあ、菜種から育てておられると?」


「左様です。鳥取の方に、当店の契約農園がありまして。そこで育てられた菜種を毎年、すべて買い取っているのです。コストはかかりますが、味で妥協をしたくないものですから」


「ほう。それはまた、素晴らしいこだわりですなあ……楽しみだ」


 板前風の従業員の案内で席へ向かう途中、山崎はひどく待ち遠しそうな顔をしていた。その表情はさながら、学校の給食に己の好きな献立が並ぶと分かった際の子供。通された座敷に上がるまでの間、俺は何度も吹き出しそうになってしまった。


 やがて皆が座布団に座ると、小國が注文をいてくる。


「何にいたしましょうか?」


「うーん。悩みますねぇ」


「もし、よろしければ。当店で扱っている食材の中で、他と比べてお値段が張る物を3種ほど選んでお持ちしましょうか? 海の幸と山の幸から、それぞれ3種ずつ」


「あっ。じゃあ、それでお願いします」


 “おしながき”を読む暇も無く、山崎の一存で決まってしまった。


「かしこまりました……おい。クルマとアナゴ、それからハゼをセットで揚げろ。あとは、お前のセンスで見繕って持ってこい!」


 背後にて立ち膝状態で控えていた若い男に、やや大きめの声で命令した小國。言いつけを受けた従業員は、軽く「承知しました」と返事をすると、足早に座敷を出て行った。


(ん? 自分では揚げないのか……?)


 どうやら今回は、小國が調理場に立つわけではないらしい。己を職人と称する彼が、自ら腕を振るった天ぷらを食べてみたい気持ちもあったが、この日ばかりはお預けのようだ。


(ま。いいか。高い食材を使うことには、変わりがないんだし)


 一方、山崎は本題を再び切り出した。


「小國さん。さっきの話の続きを聞かせてください。まず、あの気味の悪い覆面を被った男たち。奴ら、いったい何者なんですか? 八百屋のシャッターを壊して、店主ご夫妻を脅かしているようでしたが……?」


「連中の正体については未だ、はっきりとした事は分かっていません。ですが、私を含めた自治会の人間はおそらく、地上げ屋ではないかと踏んでおります」


「地上げ屋……」


「はい。山崎専務のお耳に入ってるかどうかは分かりませんが、実は駅のすぐ近くに、大型のショッピングモールを作る計画が持ち上がっているんですよ」


 少し語気に力を込めつつ、小國は続ける。


「もともとは、関西系の不動産業者デベロッパーが『駅ビル』の名目で鉄道会社に持ちかけた話なんです。『区の再開発に合わせて、駅ビルを新しくしてはどうか』と。でも、考えてみてください。駅にショッピングモールが併設されたら、よその町から大井を訪れた人は皆、そこで買い物を済ませるようになるはずです」


「……思わなくなるかもしれませんね」


「もしも大井駅にモールが作られたら、我々の商店街は確実に衰退します。長年にわたって地域経済を支えてきた人たちが、困窮することになる。だから私は自治会長として、駅前の再開発計画に反対しているわけです」


「なるほど。ショッピングモールですか……」


 時々、片手で喉元の辺りをさすったりしながらも、山崎は熱心に耳を傾けている。返事の仕方は非常に的確で、相手が話しやすいように隅々まで気を配っている様子が伝わってきた。


「大井駅前に再開発の計画がある事自体、初耳でしたが、たしかに許せない話ですね。もしや、小國さん。例の地上げする集団というのは、その計画に絡んでいるとか……?」


 まさに、聞き上手。俺が蕎麦屋で身の上話を延々と語ったように、山崎には相手を話しやすい気分にさせる技術があるのかもしれない。つい、次から次へと喋ってしまう。それは小國も例外ではなかったようで、やがて彼は苦虫を嚙み潰したような表情で声を強めた。


「そうです! あの集団が現れるようになったのは、ちょうど区議会で承認の議論が始まった頃でした。きっと、放っておけば強く反対運動を展開するであろう私たちを屈服させるために、あいつらは街を襲ってるんですよ」


「……では、連中の背後には業者が付いていると?」


「ええ。そうとしか、思えません。奴らは街にやって来ると、いつも決まって店の備品や商品を滅茶苦茶に壊して立ち去ります。それは恐らく、私たちに営業をできなくさせるためでしょう。そうやって我々を経済的にジワジワと弱らせ、最終的には廃業へと追い込むのがねらいなんでしょう」


「……それが事実だとしたら、ひどい話ですね。やり方が卑劣すぎる」


 思わず、失笑してしまった。前日に俺を拳銃で脅し、組に入るよう恫喝した男の口から、まさか「卑劣」という単語が出てくるとは。そもそもヤクザである山崎が、どの口でそれを言えるというのか。


 心の中で、痛烈なツッコミを浴びせてやったが、面倒な事になるので実際に口には出さなかった。勿論、そんな俺を差し置いて会話は展開されてゆく。


「でも、小國さん。あなた、さっき『警察には頼れない』と仰ってましたよね? それって、どういう意味なのでしょうか?」


「言葉通りの意味です。奴らが初めて来た日、私はすぐさま警察を呼びました。でも、パトカーのサイレンの音を聞くなり、連中は逃げてしまって。駆け付けてきた警官は『犯行の瞬間を見てないから、何もできない』の一点張りで。壊された備品や商品を証拠に、器物損壊の容疑で被害届も出しましたよ。でも、まともに捜査をしてくれないんです」


「えっ!?」


「担当者によると『器物損壊は事件としては微罪だから、大がかりな捜査はできない』らしいのです。馬鹿馬鹿しいにも、程がありますよね。私は『どうすれば捜査して頂けるんですか!』と言いました。そしたら『ケガ人が出たら、それは“傷害事件”になるので捜査が可能ですよ』と」


 小國によると、例の動物マスクの男たちは店を破壊するだけで、人間への直接攻撃は行わないという。内部に侵入したとしても、奇声を上げたり凶器を振りかざして脅かすのみ。


 実際、俺が目の当たりにした「やまうち青果店」への襲撃も、店の夫婦に物理的攻撃が及んだとは考えづらい。店から揚々と出てきた男たちのハンマーに、血らしきものは微塵も付着していなかったのだ。仮に攻撃が及んだのであれば、凶器がべっとりと赤く濡れていて然るべきだろう。


 曰く、これは事件を単なる器物損壊で終わらせるための作戦。もしくは、動物マスクの集団および業者が何らかの形で警察と癒着している可能性があると、小國は指摘した。。


(おいおい……)


 にわかには、信じられない話であった。あの男たちが大井駅前の再開発計画に絡んでいるという仮説が当たっていたとしても、警察と通じているとはどうしても、考えづらかったのである。


(いくら何でも、考えすぎじゃねぇのか?)


 ところが、山崎は違った。


「……なるほど。よく分かりました。1度、事務所の方へ持ち帰りまして親……いや、社長と相談した上で改めてご連絡いたします。どうか、ご安心ください。出来る限り、お力になりますので」


「本当ですか!? ありがとうございます!!」


「いえいえ。これは、社長の意向でもあるんです。社長は『大井の町を守りたい』と常日頃より、申しておりますから。地域を愛し、地域に寄り添い、地域と共に歩むのが、我々『本庄総業』の理念です」


 恭しく語った山崎は小國の手を取り、ガッチリと握手を交わす。


 俺にしてみれば「そこまでする必要は無いのに」としか、思えない光景だった。本庄組にとって、大井町の商店街を助けることに何のメリットがあるというのだろうか。むしろ例の業者と組んで地上げを行った方が、シノギとしては断然、儲かるのではないか。


(もしかすると何か、考えがあるのかもしれねぇなあ……)


 しかし、俺の考察は入ってきた従業員の声によって、中断されてしまった。


「お待たせいたしました。海鮮と山菜の3種セットでございます」


 入ってきた彼は、天ぷらが盛られた膳を俺たちの前に、ゆっくりと並べていく。どれもこんがりと揚がっており、食欲をそそる香りが嗅覚を刺激する。特に車海老は実が大きく、見ているだけで腹が鳴ってしまいそうな仕上がりだった。


「おおっ、これは美味そうだ。では、さっそくいただき……」


「待ってください!」


 山崎に続いて、皆が箸をつけようとした瞬間。小國が勢いよく制止した。


「えっ」


 ぽかんとする一同をよそに、小國は近くにいた従業員に尋ねる。


「おい。これ、ころもは何を使った?」


「棚に置いてあったやつを……」


「どこの産地を使ったかと聞いてるんだ!!」


 何か、気にくわないことでもあったのか。配膳された天ぷらを苦々しく見つめながら、あからさまに舌打ちをした小國。不意に大きな声で詰問された部下は、慌てた様子で答える。


「ええっと。たしか、鹿児島産だったと思います!」


「鹿児島産? それでこんなに、脂っぽくなるのか?」


「いや、もしかしたら北海道産かも……」


 ――パチン!


 従業員の左頬を思いっきり平手打ちした小國は、彼の胸倉を掴んで怒鳴った。


「馬鹿野郎! 揚げる前に、確認しないやつがあるか! 棚に置いてあるからって、そのまま使ってどうするんだよ! 何のために俺が取り寄せてると思ってんだ!!」


「す、すみません……」


「もういい。ここにあるやつは全部、下げろ。これじゃあ、お客様にはお出しできない! すべてにおいて失礼だ!」


 そんな2人の間に、山崎が割って入る。


「まあまあ。そう言わずに。美味しそうな天ぷらじゃないですか」


「いけません。衣はビチャビチャだし、揚がり具合も若干焦げている。今から、私が作り直します。私は職人として、納得のいくものをお出ししたいのです」


「これでも構いませんよ?」


「いいえ。駄目なものは駄目なのです。私にも、矜持がありますから!」


 座敷の畳に額がくっついてしまうほどに、深々と頭を下げた小國。そんな様子に根負けしたのか、山崎は苦笑混じりに言った。


「そうですか。ならば、下げて頂いて結構ですよ」


「ご理解いただき、感謝します」


「ですが、今日の所は帰らせていただきます。いまから揚げ直すにしても、30分はかかってしまうでしょう? 私どもには、次の予定がありますので。また、日を改めてお伺いいたします」


「……分かりました。では、またのお越しをお待ちしております。例の件も、どうぞよろしくお願いいたします」


 よっこらせと立ち上がった山崎は、皆に声をかける。


「おう。帰るぞ」


「え、食べないんですか?」


「残念だけどな。夕方には、社長がお戻りになるんだ。また後日、社長も一緒にゆっくりと来ようじゃないか」


「は、はい……」


 願わくば、一流の職人が揚げたこだわりの天ぷらを食べて帰りたい、と言わんばかりの表情を浮かべていた前波。彼の気持ちも分からなくはないが、客の前で弟子を殴るような店主がいる店に長居はしたくない。口には出さなかったが、きっと山崎は俺と同じことを考えていたはずだ。


「さて、急ごう。親分に報告しなきゃいけない事が、山のようにある」


 早歩きの彼の後に続いて、俺と組員たちは「天ぷら処 おぐに」を出た。エームス坂通りを抜け、都道420号線を駐車場の向かって戻ってゆく。その途中、俺の隣を歩いていた前波が、ボソッと呟く。


「……あの小國とかいうオッサン。くせものだな」


 なかなかに的を得た、見事な人物評だった。

素敵な感想を頂きました。

ありがとうございます(^▽^)/

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