表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第4章 五反田の蠍
50/261

解せぬ報せは夕立の中で

 午後になると、窓の外が騒がしくなってきた。


 降り出した時にはほんの微弱だった雨が次第に勢いを増し、ザーザーと音を立て始めたのである。この現象を気象の専門用語に当てはめるとすれば「スコール」が適切だろうか。外の喧騒に反応するかのように、事務所の中もざわめき立つ。


「おいおい、降ってきちゃったよ~」


「雨は降らねぇ予報じゃなかったのか!?」


「早く、止んでくれねぇかなあ。ビールが不味くなっちゃうよ」


 騒ぎ始めたのは3人の組員たち。どうやらこの日の晩、彼らは仕事終わりに近場のビアガーデンへ行く計画だったようだ。当然、屋外なので雨天の場合は休業。ゆえに予報外れの雨には、焦りと苛立ちを隠せない様子だった。


「ほら、仕事に戻れ! 雨の日でもビールは美味いんだから!」


 連中を窘めたのは、先ほど俺に水を運ばせた前波。


「はいはい」


「分かりましたよ~」


「すみません。ちょっと、天気予報だけ確認させてくださいや」


 テレビの電源を入れた者を除き、残りの2人は素直に机に戻っていった。やはり山崎が教えてくれたように、前波は他の組員を指導、もしくは監督する立場にあるのだと分かる。


 叱り方も実に適切で、声を荒げたり嫌味を言ったりすることはせずに、事実のみをストレートに伝えている。その姿勢はさながら、美味くて行列のできる居酒屋のバイトリーダーを想起させた。


 前波が自称した「兄貴」の肩書きも、伊達ではないらしい。しかし、残念ながら俺にはあまり関係が無かった。ジメジメとした空気の中で、事務所の壁にもたれかかって考えていたのは、とある人物のことについてだけ。


 本庄組長は、どうして“サソリ”と呼ばれているのか――。


 思い返してみれば、彼は独特の雰囲気を纏っている。前日に初めて会った時、俺は心臓をギュッと掴まれたような気分になった。瞳の奥からは、ひどくおぞましい気配を感じたのだ。


 気さくでフレンドリーな人柄の奥に、計り知れない恐ろしさと狂気を隠している。「この男はただ者ではない」と一瞬で悟ることができた。横浜の村雨耀介とは、また違った威圧感。


 畏怖の念とは別に、本庄利政という男への興味は尽きなかった。彼の人物像を理解することは同時に、いまは亡き俺の親父がどのような極道だったのかを知ることにも、自然と繋がってくるはずだ。


(あの男をもっと、知る必要があるな)


 ところが、不意に飛び込んで来たテレビの音で、俺の思考は中断された。


『13日に横浜市内で発生した銃撃事件について、新たな続報です。静岡県警暴力団対策課はきょう、殺人と銃刀法違反などの容疑で暴力団幹部の男を逮捕しました。組織の内紛とみられています』


 原稿を静かに読み上げるアナウンサーの、不気味にも淡白で無機質な声。13日といえば、ちょうど俺が横浜から逃げ出した日。嫌な予感が心を包み込む中、そのニュースは伝えられた。


『殺人と銃刀法違反、傷害の疑いで逮捕されたのは、指定暴力団「煌王会」系組幹部、芹沢暁容疑者、33歳です。警察によりますと芹沢容疑者は13日横浜市内の医療施設で同じく組幹部の男性らとトラブルになり、激昂。拳銃を発砲し1名を射殺、2名に重傷を負わせた疑いが持たれています。調べに対し、芹沢容疑者は黙秘しているということです』


 耳を疑ってしまった。


「おい、嘘だろ!?」


 数秒遅れで出た驚愕の声と共に、思わずテレビの前に駆け寄る。目を大きく見開いてブラウン管を凝視する俺に、画面の向こうのアナウンサーは更なる情報をよこしてきた。


『事件発生後、芹沢容疑者は逃走。そのため、施設職員の通報を受けた警察が逮捕状を取り、指名手配して行方を追っていました。そしてきょう午前、東京都港区内の路上にいるところを巡回中の警察官が発見し、身柄を確保したということです』


 全身から、力という力がサーッと抜けてゆく。


(芹沢のオッサンが……逮捕だと!?)


 信じられなかった。決して信じたくはない、悪夢のような報せだ。ニュースでは「1名を射殺、2名に重傷を負わせた」とあった。おそらく、芹沢は開科研における嘉瀬たちとの乱闘において、相手が持っていた拳銃を何らかの体術によって奪い、逆に撃ったのだろう。


 あの時、俺の耳に飛び込んで来た銃声は芹沢による発砲だった。撃たれたのが嘉瀬なのか、それとも精鋭部隊のうちの誰かなのかは分からない。ただ1つ言えるのは、芹沢が俺を逃がすために同じ組の人間を殺してしまったということ。そして、結果として警察に逮捕されてしまったということだった。


「そ、そんな……」


 もう、芹沢は迎えに来られなくなってしまった。そればかりか、自分のせいで獄に繋がれてしまったのである。鋭い刃のような絶望感に襲われた俺は、その場に崩れるように倒れ込む。


「おっと!」


 ショックのあまり、気絶してしまいそうな感覚だった。だが幸運にも、地面に頭を打たずには済んだ。ギリギリのところで、たまたま近くにいた前波に抱きかかえられたのだ。


「おいおい、大丈夫かよ」


「……」


「体調でも悪いのか?」


「……」


 バランスを崩した俺を支えつつ、戸惑いながらも尋ねてきた前波。だが、俺は答えることができなかった。ただぼんやりと宙に視線を泳がせ、呆然とするのみ。すると、それまで黙っていた山崎が口を開く。


「前波。そういえばお前、昨日は事務所にいなかったよな?」


「ええ。昨日は1日中、地回りに出てました」


「そっか。じゃあ、知らないと思うけど……さっき出てきた芹沢って幹部、実は村雨組の人間なんだよ。麻木が横浜で下手を打った時に唯一、味方になってくれたって話だ」


「え、そうなんですか!?」


 目が点になった前波に、山崎はすべてを説明した。


「……というわけだ。とにかく、察してやれ」


 話を聞いた前波は、何も言わなかった。軽くコクンと頷いた後で俺の肩を穏やかに叩き、静かに自分の席へ戻っていった。居合わせた他の組員たちも、重くなってしまった空気の中で仕事を再開する。


 つい先ほどまで「ビアガーデンに行きたい」と、3人で大はしゃぎしていたのが嘘のように、皆ばつの悪そうな顔をしていた。きっと、彼らなりに俺の心情を汲んで、配慮を施してくれていたのだろう。


(これから……どうすれば良いんだ……)


 未来が見えなくなってしまった。里中襲撃の件において、芹沢は唯一、俺を庇ってくれた。そんな彼が逮捕されたとなっては、もはや村雨組に味方は存在しない。いずれ里中は、村雨組長にすべてを話すだろう。


 麻木涼平は、斯波一家が送り込んだスパイだった――。


 これは里中の被害妄想から来る思い込みで、まったくの出鱈目。しかし、恐ろしいほどに疑り深く、組織内における裏切り者の存在には人一倍敏感な村雨耀介の性格を考えると案外、簡単に信じてしまうかもしれない。


 村雨組に戻れないどころか敵対者の認定を受けてしまえば、絢華の待つアメリカへ行くことは永遠に叶わなくなるだろう。今後のことを考えると、憂いの感情しか湧き起こらない。大事にしてきたものを一瞬で、失ったような心地だった。


(あいつにはもう、会えないのかな……)


 一方、山崎は首を傾げながら独り言を呟く。


「しかし、せないなぁ。横浜で起こった事件なのに、どうして静岡が出てくるんだ? まだ、全国に手配書をまわす段階でもないだろうに……うーん。何か裏があるとしか思えない。じっくり、調べてみる必要がありそうだな」


 そんな時、電話が鳴った。


 ――プルルルル!


 前波が急いで受話器を取る。


「本庄総業です」


 スピーカーフォンに設定されているわけではないので、かけてきた側の声は明瞭には聞き取れない。しかし、何やらガチャガチャと騒ぎ立てている様子は伝わってきた。焦っているというか、慌てている様子である。


「……ええ。少々、お待ちください。専務! お電話です!」


 この事務所内における“専務”とは、若頭の山崎のこと。本庄組は対外的に「本庄総業」という名の一般企業を装っているため、電話対応の際の肩書きはカタギのものを使うらしい。席に戻っていた若頭は再び立ち上がると、受話器を両手で持つ前波の元へ駆け足でやってきた。


「誰からだ?」


「大井の小國おぐにさんという方からです」


「分かった。代わってくれ」


 前波から受話器を受け取った彼は、声のトーンを1つ上げて応じる。


「いま、お電話代わりました。専務取締役の山崎でございます。どういったご用件でしょうか? ……承知いたしました。では、すぐにそちらへ向かいますので、もう少々お待ちいただけますでしょうか? ……はい、それでは」


 山崎は丁寧に電話を切ると、居並ぶ組員たちに大きな声で言った。


「お前たち、道具の準備だ!」


 号令を受けた前波たちは、威勢の良い返事を放つ。


「へい!!」


 オフィスの脇にあったロッカーを開けた彼らは、中に入っていた物を次々と取り出してゆく。金属バット、アイアンクラブ、木刀、鉄パイプ。主に殴り合いの場面で使用する、近接武器の数々だった。


(な、何だ!?)


 組員たちが突如として慌ただしく動き始めたので、思わず唖然としてしまった。口をあんぐりと開けて、ひどくマヌケな表情をしていたと思う。そんな俺に、山崎が問うてくる。


「麻木。お前にも来てもらえると助かるんだが、大丈夫か?」


「えっ」


「たった今、電話があってな。大井町の商店街で、変な奴らが暴れてるらしいんだ。そこの顔役はうちの親分の馴染みで、何かあったら駆け付ける約束になってる。だから、すぐにでも人を送らなきゃいけないんだが……見ての通り、頭数が足りない」


「俺に喧嘩の手伝いをしろと?」


 山崎は頷いた。


「そうだ。お前に誘いをかけたのも、もともとは腕の立つ助っ人を探してたからだ。『今はそんな気分じゃない』って思うかもしれないが、どうかここはひとつ協力してくれると嬉しい」


「……ああ。わかったよ」


「よし、恩に着るぞ。それじゃあ、お前も何か適当に道具を持って、支度をしろ。下に車をまわさせてるところだから、順番に乗り込め!」


 若頭の要請に対して、素直に従ったのには理由がある。それは、ちょうど俺が喧嘩をしたい欲動に駆られていたからだ。もしくは「無性に誰かを殴りたくなっていた」と書いた方が、分かりやすいかもしれない。


 ただ単に、八つ当たりがしたかった。自分のせいで芹沢が逮捕されてしまった悔しさと苛立ちをどこかに、ぶつけてやりたかったのだ。事情はともかく、その機会を山崎が与えてくれるのだから、むしろ運が良かった。


(行った先で待ち構えてるのが誰だろうと、全員まとめてぶっ殺してやる!!)


 燃えるように湧きあがった怒りを滾らせたまま、俺が受け取ったのはバット。個人的に最も親しみのある武器であるがゆえに、それしか目に入らなかった。片方の肩に担ぐや否や、山崎に問う。


「暴れて良いんだな?」


「もちろん。存分に戦ってくれ。さあ、行こう!」


 いまにも爆発しそうな感情を抱え、俺は車に乗り込んでいった。

芹沢の叔父貴、まさかの逮捕!!


横浜の事件なのに、静岡県警……?

この後の展開をお見逃しなく(^▽^)/


読者の皆様の応援に、

いつも励まされております。


あたたかい言葉をいただく事で

良い刺激を貰えて「たしかに!」と思ったり、

励みにもなってます。書き手にとって、

皆様の声を聞けるのは最高の栄誉です。


これからも、「鴉の黙示録」を

よろしくお願いいたします(∩´∀`)∩

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ