気分次第で生きること
俺の新生活が始まった。
本庄組長の計らいで、若頭の山崎宅に同居させてもらう身となったわけだが、序盤から戸惑いの連続である。割り当てられた部屋は実質的な物置きで、9畳ほどのスペースを多数の段ボール箱が占拠している有り様だった。
「布団はクローゼットの中に入ってるから、それを使え。あとは掃除機が廊下にあるから、必要に応じてかけてくれ。この部屋は当分、お前に貸すけど。くれぐれも汚してくれるなよ?」
「今の時点でも十分、汚れてるじゃねぇかよ……」
「雑巾が使いたければ、洗面所に置いてある。夜までには済ませろよ」
用件だけを淡々と伝えると、山崎は部屋を出て行ってしまう。ひとり残された俺は、室内をぐるりと見わたす。床が埃にまみれているのは勿論、天井には蜘蛛の巣が張っている典型的な“汚部屋”だ。自然と、ため息がこぼれてしまった。
「はあ……こんなところで暮らすのか……」
新居に対しての不満はあったが、まずは掃除から始めようと決めた。荷物を片づけて部屋の埃を除去しない事には、暮らすにも暮らせないのである。幸いにも、基本的な掃除の方法は村雨邸で秋元にみっちり叩き込まれていたので、さほど難ではなかった。
(これで一応、住めるようにはなったかな)
そんなことを考えていると、背後の戸がノックされた。俺が掃除をしている間、室外に出ていた山崎が戻ってきたようである。入ってくるなり、彼は目を丸くして驚きの声を上げた。
「おお! これはすごい。綺麗になったじゃないか!」
「ああ。ひと通りのことはやった」
「んじゃ、この調子で居間も頼むわ」
自分でやれよとも思ったが立場上、文句は言えない。俺は渋々、引き受けた。
「……分かったよ」
リビングに入るとすぐ、戦闘機のラジコンやら、某ロボットアニメの模型やらが次々と目に飛び込んできた。綺麗に飾られたそれらは、おそらく山崎の趣味によるものだろう。他にもテニスラケットや家庭用ゲーム機、トカゲらしき爬虫類が入った水槽などを見つけることが出来た。
(意外と、多趣味なんだな……)
数の多さに圧倒されながらも、気持ちを切り替えて作業に励む。すると、山崎はソファーに寝っ転がりながら雑誌を読み始めた。彼が手に取ったのは「月刊あんもないと」。言わずと知れた少女漫画の雑誌である。
(いい年こいて、ガキ向けの漫画かよ。それも少女漫画。気持ち悪りぃなあ)
吹き出しそうになった口元を押さえて、俺は床の水拭きを始める。掃除自体はスムーズに進んだものの時折、山崎が上げる大きな声に邪魔された。どうやら、彼は漫画を読む際には感想を叫んでいるらしい。
「うわぁ! すげぇ!」
「そりゃないぜ!」
「いいぞ! もっとやり返せ! いけいけーっ!」
これらはすべて、彼が発した独り言である。山崎の実年齢は分からないが、目元にしわの入った容姿からして30歳は過ぎているはず。そんな年齢のヤクザが、少女漫画を読みながら、寝っ転がって歓声を上げているのである。正直なところ、俺はかなり引いてしまった。
(うわあ。すっげえ、痛い奴だな………)
だが、俺が目の当たりにした山崎の変わり者ぶりは、これだけではなかった。掃除を終えて風呂に入った後、さらなる衝撃が待っていたのだ。夕食時になって、ダイニングルームの食卓にならんだ献立を見た瞬間、思わず驚愕の声が出た。
「おいおい! これが晩メシかよ!」
「ん? 何か、問題でもあるか?」
そこにあったのはポップコーン、ポテトチップス、チーズフライ、揚げエビ煎餅といったスナック菓子の数々と、小さくて丸いチョコレート。どれも白い皿の上に、山のように盛られている。後者に至っては、その上からシロップまでかかっているではないか。
「問題って……それ、メシの時間に食うやつじゃねぇだろ」
「はははっ。たしかに、そうかもしれないなぁ!」
呆気にとられた俺を笑い飛ばした山崎は、手前の皿にあった菓子を数枚つかむと、豪快に口の中に放り込む。バリバリと音を立てて咀嚼を繰り返した後、頬を緩ませて感想を放つ。
「はあ~、美味いわ! やっぱり、ポテチはうす塩味に限るよなぁ~」
上機嫌に笑う若頭の表情はさながら、子供のようである。
(まさか、この男は覚醒剤でも打ってるのか?)
もはや奇行としか思えない。それまでの人生において、彼はまったく遭遇した事の無いタイプであった。良からぬ意味で、変わり者すぎる。山崎が放つ雰囲気の中にあった痛々しさは、やがて気持ち悪さを通り越し、ついには不気味さへと昇華していた。すぐにでも逃げ出したくなった衝動をグッとこらえ、俺はできるだけ冷静に尋ねてみる。
「……俺が居候するからって、わざとそれを用意したのか?」
「いやいや。個人的に食いたかったからだ」
「なら、あんたは普段から晩飯にポテチを食ってると?」
「そういう日もある。でも、毎日ではないさ。エブリデイ・ポテチだったら、流石の俺でも飽きるからな。今日はたまたま、晩飯にポテチが食べたい気分だった。それだけのことだ。親分には『体に悪いから止めとき!』って言われるけどなあ。フフッ」
軽く笑った山崎は、さらに続けた。
「麻木。極道になるつもりなら……よく、覚えとけ。俺たちの世界は、いつ死ぬかわからない。悔いが残らないように、己の欲望には常に忠実であるべきなんだ。物欲、食欲、そして性欲。死んでから『~しておけば良かった』なんて思っても、遅い。だから俺は毎日、買いたい物を買うし、食いたい物を食うし、抱きたい女を抱く。後悔しないようにな」
その言葉の通りに考えてみると、部屋に沢山のホビーグッズが置かれていることにも合点がいく。これら趣味の品の数々も、すべては山崎の「~がしたい」という欲望に基づく代物なのだろうか。
明日の命も知れない日々だからこそ、1日1日を楽しむ――。
カタギの善良な市民の皆様からすれば、山崎の行動は、単純に生き急いでいる、もしくは我欲を貪っているだけにも思えるかもしれない。常識的に考えれば、非難に値するだろう。しかし、父の死を通して人生の儚さを嫌というほどに味わった過去を持つ俺は、目の前の若頭にそれ以上の苦言を呈することができなかった。
「……」
「ほら。ボーッとしてないで、お前も食え。美味いぞ?」
「……ああ。いただきます」
1枚のチップスを手に取って口に入れてみるが、いつもと同じ。たまにコンビニで買って食べるものと、まったく変わりがない。美味いことには美味かったのだが、やはり夕食のメニューとしては違和感が生じてしまう。
しかし、山崎には居候させてもらっている手前、文句は言えない。今後、どれくらい彼と共同生活を送ることになるのか、分からないのである。その夜は結局、山崎と共に大量のスナック菓子で腹を満たし、俺は床に就く。
(白い飯が食いてぇなあ……)
今後の生活の行く末が思いやられる、あまりにも憂鬱な1日の終わりであった。




