俺の知らない俺の話
今回から第4章です。
よろしくお願いします(^▽^)/
どうやら、本庄組は俺を受け入れるらしい。
「誰か、涼平に茶を出したれ! 早うせい!」
組長に檄を飛ばされた組員たちは、せかせかと動きまわって支度を整える。オフィスに併設されたキッチンのような所で湯を沸かした後、やがては灰色の湯飲みに淹れて持ってきた。その際、こちらをジッと睨む眼差しが俺の視線と絡み合う。明らかに、不満を訴えるような目であった。
どうして、コイツなんかのために茶を淹れねばならないのか――。
そんな思いが伝わってくる。いくら親分の命令とはいえ、いきなり飛び込んできた16歳にも満たぬ少年をもてなすのは本意ではないのだろう。他にも、ソファーに腰かける俺を苦々しく見つめる者もいた。まさに「なにを偉そうに座っているんだよ」と、今にも言われんばかりの表情だったと思う。
無理もない。何故なら俺の存在は本庄組にとって、疫病神以外の何者でもないのである。俺を組に置いておくことは即ち、村雨組と戦争状態に突入することを意味するのだ。いくら極道としての身分は本庄の方が格上とはいえ、残虐魔王の異名で恐れられる男を敵に回すのは流石に危険が過ぎる。普通に考えれば誰でも分かることだ。
(もしかして、後々で俺を村雨組に引き渡す気なんじゃないか!?)
今後の展望に懸念を拭いきれない俺とは対照的に、当の本庄は至って冷静であった。
「うちには、好きなだけ居たらええで。その芹沢とかいう幹部が迎えに来てくれるまでは、しっかり匿ったるわ。アメリカに行きたいなら、パスポートも作ったるし。偽造ちゃうくて、ほんまもんをな。1か月はかかるやろうけど……それまでに住む場所が欲しかったら、そっちも用意したるさかいな。任せてくれや」
「マジで良いのか?」
「そらあ、もちろん。安いもんやで。パスポートなんかせいぜい、1万円ちょいくらいやし。アメリカへ飛ぶんやって、銀座で女を買うよりも安う……」
「いや、そうじゃなくて!!」
本庄の声を遮った俺は、少し語気を強めて問う。
「分かってんのか? 俺は、村雨組に追われているんだぞ!?」
「せやから、どないしたっちゅうんや」
「このまま俺を匿えば、あんたらは確実に連中と戦うことになる。それでも良いのか?」
すると、本庄は平然と頷いてみせた。
「良いに決まってるやろ。お前は、みっちゃんの倅なんやさかい」
みっちゃん――。
この妙な愛称は俺の実の父である、麻木光寿のことを指しているようだ。本庄曰く、親父とはかつて「渡世の兄弟盃を交わした関係」にあったとのこと。だが、それが突如として事務所を訪ねてきた15歳の少年を庇護する理由になるとは、どうにも納得できなかった。
「おいおい……俺を匿って、あんたに何かメリットでもあるのかよ……」
「ん? メリット? そうやなあ」
人差し指を眉間に当てて考え込む仕草をした後、本庄は軽く笑いながら答えた。
「見ての通り。うちの組はいま、人手が足りへん状況にあるんや。一時的な助っ人でも構わへんから、ひとりでもようさんの兵隊が欲しい。せやさかい、うちの組で働く代わりに匿うたる言うてるんやで」
「……じゃあ、あんたの助っ人として暴れたら良いのか」
「おう! お前ほどの腕っぷしがあったら、大抵の敵はどうにかなるやろ。山崎の後ろにでも付いて、うちのシノギを手伝ってくれたらええ! それに、なあ。お前のオトンには返しても返しきれない、とても大きい“恩”があるんやで」
意味ありげな言い方だった。目の前の親分の云う“恩”とは一体、どれほどのものなのか。深い理由があるように思えてならなかった。同時に、俺の知らない親父の話を聞いてみたいという気にもなってくる。
「そんなに仲が良かったのか? 俺の親父と」
本庄は、静かに語り出した。
「だいぶ昔の話になるな。わしが17歳で渡世の門をくぐった時、同じ日に長井の盃を貰ったんお前のオトン。みっちゃんや。歳はわしの方が上で、同じ系列とはいえ代紋が違うたけど、すぐに親しなってな。気づいたら一緒に行動するようになっとった。いつも2人で1人。そこから、いろんな修羅場を通ってきたもんや。役割分担はわしが頭で考えて、みっちゃんが暴れる。なかなか、ええコンビやったで?」
「それで、兄弟分になったのか」
「ああ。長井の組長に命じられて、2人で初めて人を殺しに行った前の晩。みっちゃんと盃を交わしてん。互いに対等な5分の兄弟。ほんで、鉄砲玉を無事に勤め終えて帰って来た後は、一緒に出世していったんや」
若かりし頃の親父と本庄が、最初に入ったのは「長井組」という中川会系列の3次団体だったらしい。そこで武功を重ねて目覚ましい活躍を見せた後、彼らは上位の2次団体「土御門一家」の組員へと昇格するに至る。そして、2人はそれぞれ自分の組を立ち上げたという。
「今から、17年前になるかのう。土御門の親分の許しを得て、わしが『本庄組』、みっちゃんが『麻木組』を旗揚げしたんは。組からは、所領も貰うてな。わしが五反田、みっちゃんが川崎。看板掲げたのも、ちょうど同じ日やったし」
本庄の云う17年前とは、1981年のこと。俺が生まれる1年前である。物心ついた時、親父は既に「組長」だった。時系列を年齢と照らし合わせて考えれば、麻木光寿は21歳で自分の組を持ったことになる。なんと痛快な出世街道だろうか。俺は思わず、称賛の声を上げてしまった。
「すげぇ! そんなに若くして『組長』って呼ばれたなんて」
「ははっ。そりゃあ大袈裟やて。まあ、わしはともかく……みっちゃんには人の上に立つ才能があったやさかいな。喧嘩の強さ、頭の良さ、器量の大きさ、すべてにおいて完璧やったわ。欠けてるとこなんか1つもあらへん。本家のお偉いさん方も、よう言うとったで。ほんま『100年に1人の傑物』だって。未来の中川会を背負うて立つ者として、目ぇかけられとったなあ。名実ともに、将来を嘱望された男やった。せやけど……」
本庄の声のトーンが、ゆっくりと落ちる。
「自分も知ってる通り、みっちゃんは若して……あの世へ行ってもうてん。あれは、たしか5月の夜やったかな。雨が降っとった思う。街の有力者との会合で酒を飲み過ぎたせいで、酔っ払うて、歩道橋の階段を滑って転がり落ちて……不慮の事故やった。あれが無かったら、みっちゃんは確実に直参入りしとったわ。あれほどの男が、3次の枝で終わるはずがないからな。もったいない話やで……ほんまに」
初耳であった。親父が亡くなった日のことは、うっすらとしか覚えていない。朝になっても帰って来なかったために「どうしたんだろう?」と心配していたところで、搬送先の病院関係者から訃報が届けられたのだ。
当時の俺は、あまりに幼かった。それゆえ事実を事実と認識できず、オヤジがこの世を去ったことも「消えてしまった」としか捉えられていなかったのだろう。言い訳かもしれないが、子供とはそういうものだと思う。それが少しずつ歳を重ねて大人へと成長するにつれて、少しずつ変化するのである。
話を聞いた俺は、一言で応じた。
「……そうか」
以上でも以下でもない。たった、それだけ。もっと大きな反応をすれば良かったのに、と思う人もいるかもしれない。しかし、泣いたり涙を流したりしたところで、親父がもはや故人であるという事実が揺れ動いたりはしないのだ。適切なリアクションが、他に見つからなかった。
残された者にできるのは、その人を偲んで冥福を祈ることのみ――。
そんな考えが俺の中で導き出された時、不意に本庄が席を立った。
「ちょい、待っとき」
彼は、急ぎ足で部屋を出て行く。どこへ行くのかと皆が首を傾げる間もなく、室外からは階段を昇る音が聞こえてきた。そして、数分後。またもや早歩きで戻って来た本庄は再度入室するなり、俺に1枚のフォトフレームを見せた。
「こ、この写真は!?」
4人の男女が映っていた。小さな男の子を抱っこする若い女性の両脇に、2人の若い男性が立っている。全員、顔には見覚えがあった。左から順に親父、お袋、本庄組長の順。そしてお袋が抱いている小さな男の子は、俺自身だ。
(初めて見た……)
あんぐりと口を開けたまま写真に見入る俺に、再び語り始める本庄。
「覚えてへんかもわからへんけど、わしとみっちゃんは家族ぐるみの付き合いやったんやで。お前のことも、生まれた時から知っとる。ほんまに、懐かしい思い出やなあ」
「ま、マジか」
「おう。みっちゃんの葬式からぱったり音沙汰が無うなっとったけど、久々に会えて嬉しいで? 涼平。お前がこうして7年ぶりに、わしの元を訪ねてきてくれたんは……なんかの縁や思うとる。もしかしたら……天が、恩返しの機会を与えてくれたのかもわからへんな。今のわしが極道として食っていけてるのは紛れも無く、いろんな場面でみっちゃんの助けがあったおかげやさかいな。今度は、わしの番や」
しみじみと感傷に浸るように頷いた後、本庄は優しく言った。
「涼平よ、安心せえ。お前のことは、この本庄利政が責任を持つ! たとえ煌王会や村雨組と一戦交えることになったとしても、命に代えて守ったるわ! まあ、それが……わしにできる、たったひとつの“償い”でもあるからな……あの日……みっちゃんを守りきれんかった……」
「ん?」
「ああ、いや! 何でもあらへん。こっちの話やさかい」
話の中で出てきた“償い”という単語が気になったが、遮られてしまった。こちらの更なる質問を避けるがごとく、本庄は傍で控えていた若頭に大きな声で支持を出す。
「おい、山崎! おどれの住んでるとこは2LDKで、空き部屋が1つあったやんな? しばらくの間、涼平を住まわしたってくれや!」
「承知いたしました」
山崎は快く返事をすると、俺の肩をポンと叩いてきた。
「んじゃ、行こうか」
「は? どこへ?」
「いいから来い。寝床に案内してやるから」
困惑を隠せない俺だったが、ここは相手に合わせるしかない。本庄に軽く会釈をすると、山崎に手を引かれて事務所を出た。そのまま歩いて向かったのは、事務所から15分ほどの距離にあるマンションだった。
「……ここは?」
「俺の家だよ。今日から、お前にはここで暮らしてもらう」
「はあ!?」
思わず、声が出てしまう。いきなり引っ張り出されたかと思えば、今度は見ず知らずの集合住宅に連れて来られた挙句に「ここで暮らせ」と告げられるではないか。だが、山崎はピシャリと言い放つ。
「これは組長のご命令だ!」
俺は、何も言い返すことが出来なかった。
「……」
「おら、さっさと入るぞ! 入ったらまず、シャワーを浴びてもらう。今のままじゃ、お前の体が臭くて仕方ないからな」
「わかったよ……」
本庄組の庇護が受けられるのは良いが、まさか若頭と同居する羽目になるとは。
(辛抱してみるか。すべては、絢華の元へ行くためだ……)
様々な不安を抱えたまま、山崎の後についていく俺であった。




