ロスト・レコード
6月らしい、ジメジメした空気の中。俺たちは東五反田1丁目のビルまで、戻って来た。扉の隣には相変わらず「株式会社 本庄総業」の看板。組の名前は直接的に出されていないにせよ、そこがヤクザの事務所だという事が何となく分かるデザインだった。
「なあ。1つ、訊いても良いか?」
「もちろん」
俺は、気になっていた事を山崎に尋ねてみる。
「あんたらの親分。本庄組の組長さんって、どんな人だ?」
人見知りではないにせよ、いかなる人物かを知っておいた方が無駄な緊張をせずに済む。だからこそ事務所へ入る前に、確認しておこうと思ったのだ。俺の問いを受けた若頭は、苦笑いしながら首を傾げる。
「どんな人か。うーん。簡単なようで、なかなか難しい質問だなあ」
「ざっくりとで良いから、教えてくれ」
「そうだなあ……」
しばらく考え込んだ後、山崎は一言で答えた。
「“偉大な人”だ」
非常に分かりやすい、お世辞の言葉だった。ナンバー2の地位にある者が事務所の前に居ながら、そこのトップについて悪い評価を下すはずが無い。当然といえば、当然の答えである。山崎は、更に続けた。
「うちの親分は、さほど高くはない地位から己の腕1本で、成り上がったお方だ」
「すげぇことなのか?」
「そりゃあ凄いさ。中川会全体の歴史を見ても、30代で直参に昇った人間は、あの方以外には存在しない。史上最年少での昇格だよ」
当時の俺は、まだ極道社会の文化や慣習に関する知識を全く有しておらず、興味すら抱いていなかった。それゆえ誇らしげに語った山崎の言葉に対しては、取って付けたような返事しかできなかった。
「へ、へぇ……そうなんだ。とにかく、すげえんだな。あんたらの組長さんって」
事務所に入った俺は階段を上り、山崎の後に続いて2階の部屋へと入っていった。そこには、1時間前と全く同じ顔ぶれが詰めている。例の応接係に、拳銃を持って取り囲んだ4人の組員。若頭が一緒という事もあってか、先ほどのように威圧的な応対はされなかった。
「ここで待ってろ。いま、組長をお連れする」
「わかった」
俺をソファーに座らせると、山崎は出て行く。どうやら組長の部屋は、3階にあるらしい。彼が退室した後、コツコツと階段を駆け上る音が聞こえてきた。少し暇になった俺は、室内をぐるりと見渡してみる。
(うわあ。さすがはヤクザの事務所だな)
組の名前が記された提灯の他にも、壁にかけられた棍棒、隅に置かれた古めかしい壺、そして天井近くに設置された神棚など、室内の至る所に“それらしさ”を感じてしまう。死んだ親父の事務所で、幼少の頃に親しんだ光景とそっくりである。
『中川会 本庄組』
机と椅子が並んだ室内の一番奥の壁に、この6文字が筆文字で書かれた掛け軸があった。その上には、3つの花を象った紋章が描かれている。山崎が身に着けていたバッジの形にそっくりで、俺はそれが本庄組の「代紋」であると気づくのに、大して時間はかからなかった。
(あの花、何ていうんだろ? どこかで見たことがあるような……?)
そんな事を考えていると、ガチャリと扉が開く音がした。
「ご苦労様です!!」
室内に居た組員全員が、大きな声と共に深々と立礼をする。彼らが頭を下げた方向を見ると、ちょうど2人の男がドアを開けて、部屋に入ってきたところであった。1人は山崎、そしてもう片方の人物は初めて見る顔だ。
紺色に白ストライプが入った上下のスーツに、灰色のシャツ。髪は茶色のセミショートを後ろに流しており、黒い薄色のサングラスが特徴的だった。左腕に嵌めた金色の腕時計からは、金回りの良さが窺える。
(もしかして、本庄組の組長か……!?)
彼はソファーに座っている俺を見るなり、呟くように言った。
「なかなか、ガタイのええ兄ちゃんやな。とても15とは思えへん。のう、山崎?」
同意を求められた若頭は、小刻みに頷いて相槌を打つ。
「ええ。彼の父親もまた、極道だったそうです。その遺伝子を受け継いでいるのでしょう。戦うことについては、何ら申し分ございません。喧嘩慣れしているのはもちろん、ここぞという時の度胸もあります。即戦力としては、かなり良い部類に入るかと思われます」
「フフッ。そうか。そいつは楽しみやなぁ」
男は満足気な笑みを浮かべると、俺の前に座った。
「初めましてやな。わしは中川会直参の本庄利政ちゅうモンや。見ての通り、この組の組長をやっとる。よろしゅうな」
その瞬間、鋭い針で心臓を突き刺されたような気分になった。本庄利政と名乗った男は笑みを浮かべているが、目元は全く笑っていない。その瞳の奥に、俺はひどくおぞましい気配を察知してしまったのだ。
底知れぬ狂気、とでもいうべきか。表面上は人当たりの良い印象を放ちながらも、一方で何をしでかすか分からない恐怖で形成された、冷たい貫禄を纏っている。村雨組長とは、また違った“オーラ”のようなものがあった。
(関西弁!? 東京のヤクザなのに……?)
味わった事の無い感覚で硬直する俺を見た本庄は、プッと吹き出す。
「おいおい。そないにカタくならんでも、ええやん。えらい怖い蛇に睨まれた、蛙みたいになっとるで? 中学生とちゃうんやさかい。肩の力、抜けや」
ウィットに富んだ喩え方である。それだけ、初対面の俺が緊張していたのかもしれない。もしも村雨であれば「なにゆえ黙っておる? 何とか申せ!」と一喝してくるところだろう。そこを笑い飛ばしてくるあたりに、両者の違いを感じた。
「ど、どうも……」
軽く礼をした俺を尻目に、山崎が本庄に問うた。
「親分。いかがでしょうか。こいつをうちで働かせるというのは」
裁可を仰がれた組長は、首をひねりながら答える。
「せやなあ。ちょいと、時間をくれ。ええか?」
「もちろんでございます」
「しばらく、こいつと話してみたいねん」
そう語った本庄。ところが、人払いをするわけではないようだ。室内には変わらず、5人の組員と山崎が留まり続けている。彼らは俺の方をまっすぐに見つめ、少なからぬプレッシャーを与えてきた。
(うわ。すっげえ、気まずいなあ)
そんな中、本庄は話しかけてくる。
「兄ちゃん。ここら辺に住んどるんか?」
ハッと我に返った俺は、慌てて答えた。
「いや、違う。っていうか、そもそも東京の人間じゃない」
「どっから来たんや?」
「横浜。実家は川崎だけど……」
すると、本庄の側に控えていた山崎が口を開いた。
「親分。この少年、つい先日までは村雨組で部屋住みをしていたと」
「なんやと?」
「彼が言うには『トラブルがあった』から、逃げ出して来たとかで」
部屋にいた組員たちが、顔を見合わせる。
村雨組――。
その固有名詞が若頭の口から出た途端、室内の空気が一変するのを俺は悟った。皆、眉間にしわを寄せた険しい表情をしている。中には、手元がビクビクと震えている者もいた。
「おいおい、村雨組って」
「あの残虐魔王の組じゃねぇか」
「逃げ出して来たってことは……」
「やべぇよ」
ざわめき出した組員たちだったが、本庄の一声によって制される。
「やかましい!」
彼は場が静かになったのを確認すると、返す刀で俺を質してきた。
「……それ、ほんまか? 村雨から逃げてきた言うんは?」
先ほどとは打って変わり、深刻そうな面持ちの本庄。俺は、ゆっくりと頷く。
「ああ。本当だよ。つい昨日まで、俺は村雨組にいた」
「何で逃げたんや?」
「組の偉い人と、ちょっとしたいざこざがあって」
「いざこざ? 包み隠さんと、もっと詳しゅう聞かせろや」
本庄の眼差しは真剣そのもの。このように迫られては、誤魔化しようが無い。観念した俺は、川崎から横浜に来ることになった経緯、村雨耀介との出会いから組での日々、そして逃亡するきっかけになった事件の詳細に至るまで、すべてを打ち明けた。
「……というわけだ。だから、いまの俺は村雨組に戻れない。若頭補佐の嘉瀬なんかは、きっと今ごろ血眼になって俺を探してるだろうよ」
「で、わしの領地に逃げ込んできたっちゅうわけか?」
「そういうことになるな」
実際の所、意図的に本庄組の縄張りへ入り込んだわけではない。品川駅から物思いに耽りながら、適当にブラブラ歩いていたら、気づかぬうちに五反田へ来てしまっていただけのことだ。
しかし、話を全て聞き終えた本庄は、大きなため息をついた。
「はあ……よりにもよって、村雨組かあ」
そして頭をかきむしった後、舌打ち混じりに言い放つ。
「あかん。うちでは面倒見られへん」
「えっ?」
想定外の答えだった。まさか、ここに来て拒絶されるとは。
「すまんな。わしとしても、人手が欲しいんはヤマヤマなんやけど。その存在が戦争の火種になるやもしれんのなら、話は別や。悪い事は言わへん。どうか、帰ってくれ」
だが、納得できない理屈でもない。それほど、村雨組の恐ろしさが知れ渡っているということなのだろう。いくら本庄とて、ドリルで生きたまま両目を抉るという、残忍極まりない所業を平然とやってのける男が率いる組を敵に回したくはないのかもしれない。返答を受けた俺は、素直に引き下がった。
「……だよな。わかったよ」
そう言って立ち上がり、俺は部屋のドアを目指して歩いて行こうとする。だが一方で、山崎は組長の裁定に納得していないようだった。
「よ、よろしいのですか!?」
「しゃあないやろ。こないな、いずこの馬の骨とも分からへんガキのために、村雨組とドンパチやる価値がどこにある言うんや」
「ですが、我が組の人員は……」
「他を探したらええやないか。ここは東京やで? ぎょうさん人がおるんや! 喧嘩の強いガキなら、すぐ見つかるに決まっとる。こいつにこだわらんでええ!」
当人を前に言わなくても良いだろうに――。
デリカシーの欠片も無い本庄の言葉を軽く聞き流しつつ、俺はドアノブ手をかけた。ガチャリと右に回そうとした時。背後から、山崎になおも大声で呼び止められる。
「待ってくれ! 麻木ーッ!」
背を向けたまま、俺は山崎に返礼を送った。
「いいんだ。組長さんが『帰れ』って言うんだからさ」
やむを得ない話である。極道社会では、組長の意見が絶対なのだから。芹沢が迎えに来るまでの間、本庄組に身を寄せるのも悪くはないと思ったが、それでは先方の都合がよろしくないようだ。
(やっぱり、隠れ場所は自分で見つけるしかねぇか……)
覚悟を決めた俺は、ドアを開けて1歩を踏み出す。だが、その時。
「待て!」
本庄の声が聞こえた。俺は開けた扉を元に戻し、後ろを振り返る。
「……なんだよ」
「お前、名は何ていうんや?」
どうして、このタイミングで尋ねるのだろうか。困惑しつつ、俺は答えた。
「麻木涼平」
こちらの名乗りを聞いた瞬間、本庄の目が見開かれるのが分かった。彼が驚愕の念に包まれているのが、グラスのレンズ越しに伝わってくる。いったい、何だというのか。少し困惑する俺に、本庄は更に問うてきた。
「さっき、実家は川崎って言うとったよな。ほんで、お前の親父はんも渡世の人やったと聞いたが。名前は?」
「親父の名前か。麻木光寿。もう、俺が小さい頃に死んじまったけど。でも、どうしてそんなこと……」
「な、なんやと!?」
首を傾げた俺の言葉を遮るように、大きな声を上げた本庄。即座に立ち上がった彼はサングラスを外し、足早にこちらへ歩み寄って来た。そして、俺の顔を至近距離で凝視してくる。無論、あまり気持ちの良いものではない。
「おいおい! 何だよ!」
「似とる……よう見たら、似とるやないか!!」
「だから、何だってんだよ!」
眉をひそめて嫌悪感を示す反応にはお構いなしに、俺の顔を舐めまわすように見続ける本庄。そして、その動作をしばらく続けた後、彼は大きく頷きながら言った。
「思い出したわ! たしかに“みっちゃん”とこの倅や!」
「ん? もしかして、親父のことか?」
「そや! お前も、こないに大きゅうなって……何年ぶりかいな」
親父を“みっちゃん”なる、奇妙なあだ名で呼んだ本庄。さらには何故か、自分のことを知っているかのような態度まで見せてきた。そんな彼に俺は、心の中に浮かんだ疑問をストレートにぶつけてみる。
「あんた、親父の知り合いだったのか……?」
本庄は俺の手を力強く握り、揚々と答えた。
「知り合いも何も。わしと“みっちゃん”は、渡世の兄弟やったんやで! もちろん、お前のこともよう知ってるさかいな。赤ん坊の頃なんかは、抱っこさしてもろうたし……お前の4歳の誕生日には、美味いもん食べさせに連れて行ったこともあんねん。覚えてへんか?」
「いや、覚えてない……」
「そうか。でも、何はともあれ久しぶりやなあ、涼平! とりあえず、そこに座れや。茶でも飲みながら、ゆっくり話そうやないか。な?」
本庄は幼い頃の俺と、面識があるようだった。まったく記憶に無いのだが、どうやら親父とも非常に親しい付き合いだったらしい。そんな彼に促されるまま、再びソファーに腰を下ろす。
(……まあ。そのうち、思い出すか)
そんな気楽な考えだけが、俺の中に居座っていた。
これにて、第3章は完結です。
ビックリするほどの衝撃展開と、
どんでん返しの連続でしたね。
「えっ……」と思われた方、
どうもすみません(;´∀`)
己の所業が招いた災厄に、
涼平はケジメをつけられるのか?
第4章もお楽しみに。
新キャラも続々登場します!




