見合わない“代金”
「このまま無宿生活を続けたって、先が見えないだろう。お前、いつまでフラフラしてるつもりだ? 早いとこ、落ち着ける居場所を手に入れた方が良いんじゃないのか?」
村雨組に勧誘された時にも、そんな言葉をかけられたような気がする。一種のデジャヴか。とはいえ、山崎の表情は真剣そのもの。決して無下にはできない雰囲気を醸し出していた。
「俺を誘うメリットは何だ?」
「即戦力になりそうだからだ。お前は昨晩、ベルセルクのガキどもを木っ端微塵に撃退した。7人相手に大暴れできるくらいだから、ドンパチが起こった時にも活躍できると思ってな」
「言っとくけど。あいつら、ぜんぜん大したこと無かったぜ? 小学生と喧嘩してるみたいだった。あんな雑魚集団を倒したのが、『凄い』とでもいうのか?」
「ああ。相手の実力がどうだろうと『複数の敵を1人で倒した』って事実に、変わりは無い。すなわち『喧嘩ができる』ということだ。お前を誘う利点は十分にある。それになあ」
山崎は、俺の二の腕を指差した。
「服の上からでも分かるぞ? この筋肉。15歳とは思えない逞しさだ。こんなに良い体をした奴なんか、そうそういないからな。放っておくには、もったいなさすぎるんだよ」
肉体的なことで賛辞をおくられたのは、初めてである。川崎の実家を飛び出して以来、腕立てと腹筋、スクワットは毎日のように100回ずつ続けてきた。甲斐があったと言うには大袈裟かもしれないが、若干むず痒い気分である。
「……そうか。まあ、褒め言葉として受け取っておくわ」
しかし、だからと言って快諾できるわけではない。こちらにも、事情というものがあるのだ。その後、喧嘩が強いだの、歳の割には度胸があるだの、あれこれ長所を挙げて勧誘されたが、俺は首を縦に振らなかった。
「申し訳ないけど、その話はパスで。乗れないわ」
そんな俺の態度に、業を煮やしたのか。山崎は大きなため息をついた。
「はあ。どうしてだよ! こっちは、お前の実力を買ってるのに!!」
「褒めてくれるのは嬉しいけどさ。無理なものは無理なんだ」
「受けられない理由でもあるのか? まさかとは思うが。こちらの申し出を何の理由も無しに、断ろうってわけじゃないよな?」
理由――。
一瞬、心臓の鼓動がドキリと早鳴る感覚がした。村雨組に追われているという事実を明かそうか、迷っていたからだ。山崎が所属する本庄組は、中川会の2次団体。村雨組の上位組織たる煌王会と、どのような関係にあるかが、はっききりと分からない。
(下手にバラしたら、捕まって引き渡されるかも……)
そのような懸念が拭えない。ゆえに、どうにかして村雨組との因縁を伏せたまま、本庄組の誘いを断ろうと考えていた。万が一にも2つの組が友好関係にあったなら、俺は忽ち窮地に追い込まれるのだ。
(ここは適当な嘘で、誤魔化すしかないか……)
だが、そうすることはできなかった。咄嗟に思いついた方便を繰り出す前に、山崎が釘を刺してくる。眉間にはしわが寄っており、それまでの物腰とは明らかに違う。ひどくドスの利いた、底冷えするような声だった。
「麻木。俺が何の打算も無しに、お前みたいな初対面のガキを飯に誘うと思うか? 蕎麦を奢ってやってるのは、あくまで『お前が組で働いてくれる』って期待があるからだ。その期待を適当な嘘で裏切ろうというのなら……俺にも考えがあるぞ」
そう言い終わった瞬間、山崎は持ってきた鞄に手を突っ込む。そして銀色の何かを素早く取り出し、俺の眉間に突きつける。あまりにもスピーディーな動作だったために、俺は一瞬、それが何なのかを認識できなかった。だが、2秒ほどで理解が追い付いてくる。
(拳銃だ!!)
驚愕する俺に、山崎は淡々と言った。
「こいつは9mmオートマチックだ。普通のハジキに比べれば性能は劣るが、それでもお前の頭蓋骨を撃ち抜くには十分な威力を持っている。風穴を開けられたくなかったら、俺を納得させる説明をしてみろ。どうして、うちの組の下で働きたくないんだ?」
「……ふざけんなよ」
「ふざけてるのは、お前の方だろ。俺の金で蕎麦をモリモリ食っといて、そのまま帰ろうだなんてムシが良すぎる。答えないなら、鉛玉をお見舞いするだけだ。俺だって、お前にこだわってるわけじゃない。腕の立つ若者を連れて来いというのが、組長のご命令だからな。仮にお前を殺したら、“次”を探しに行くだけだ!!」
啖呵を切った山崎は、拳銃の撃鉄をカチャリと起こす。当時は、銃の仕組みについては全くと言って良いほどに無知だったが、彼の持つ拳銃がいつでも発射可能な状態にあることだけは何となく、察知できる。
(チーマー撃退のご褒美はどこいったんだよ……でも、ここは折れるしかないか……)
片手で銃を構える本庄組若頭の目は、明らかに本気だった。俺が下手な言い訳をしようものなら、即座に引き金を引くだろう。観念した俺は、ボソッと呟くように答えた。
「先約があるんだよ」
銃口を額に押し当てて、山崎は聞き返してくる。
「どういう意味だ?」
「盃を貰う予定があるって事だよ! 村雨組の!」
その瞬間、相手の表情が変わった。
「何だと? 村雨組だと?」
「ああ。俺は昨日まで、横浜で組の手伝いをしてたんだ」
「それは本当か?」
「本当だよ! この状況で嘘なんかつけるかよ!」
声を張り上げて答えたこちらの様子を見て、何かを悟ったのか。山崎は額に突きつけていた銃口を離し、そのまま下におろした。俺の口から出た“村雨組”という単語が、彼に少なからぬインパクトを与えたようだ。
「……そうか」
「あんた、村雨組を知ってるのか?」
山崎は大きく頷いた。
「もちろん知っている。というか関東の極道で、村雨耀介の名前を知らない奴はいないよ。こないだ組長の代役で本家の会合に顔を出した時も、あの男の話題が出たくらいだからな。『ムラサメはいつ、煌王会の直系に昇格するのか』って」
「おいおい。そんなに有名なのかよ」
「たしか、この間も10人くらい殺したんだろ? 『ショバ代を払わなかった』とかで、カタギの連中を。噂だと全員、電動ドリルで生きたまま両目の眼球をくり抜かれたらしい。それも、組長本人が自分でやったっていう話じゃないか。恐ろしいよな……ほんとに」
自分の知らないところで、そのように凄惨な出来事が起きていたとは。予想を大きく超えた村雨組長の極悪非道ぶりに、俺は背筋が凍る感覚をおぼえてしまった。同じ目に遭うかもしれない己の今後を想像すると、余計に胸が苦しくなる。
(あの人の“残虐魔王”って渾名も、伊達じゃないな……)
顔をしかめて絶句した俺に、山崎は問うてきた。
「ん? 聞かされてなかったのか?」
「あ、ああ……俺の仕事は専ら、お嬢さんの世話係だったから」
「ほう。なら、お前は村雨組の部屋住みだったってわけか?」
「そういう事になるかな。よく分かんねえけど」
話を聞きながら、山崎は小刻みに相槌を打っていた。芹沢同様、流石は組のナンバー2というだけあって、聴き上手だ。相手の話を聞いて、会話を広げていくのが上手い。そんな彼は常温になった蕎麦湯を一口飲んだ後、さらなる質問をぶつけてきた。
「お前、さっきは『盃を貰う予定だ』って言ってたよな?」
「ああ。言った」
「じゃあ、どうして五反田にいるんだ? 普通なら、横浜にいなきゃいけないはずだろうに。もしかして、あれか? バックレてきたのか?」
「……そんな感じだ。ちょっと、トラブっちまって」
山崎はニヤリと笑った。
「なるほどな」
「ん?」
「やっぱり、お前。来るべきだよ。うちの組に」
「はあ!?」
思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。話が飛躍しすぎている。村雨組から逃げ出してきたというだけで、何故に誘いを呑まねばならないのか。あからさまに眉をひそめる俺に、山崎は揚々と言った。
「部屋住みをバックレた以上、村雨組にとってお前は“お尋ね者”だ。そのうち、あらゆる手を尽くして追い込みをかけてくるだろうぜ。でも、考えてみな? いくら村雨がイケイケだろうと、所詮は関西の枝に過ぎん。極道としての立場を考えれば、中川会の直参の下にいる人間に手出しはできないはずだ。うちの盃を貰えとは言わない。ほとぼりが冷めるまでの時間を潰すつもりで、働いてみたらどうだ?」
冷静に状況だけを整理してみると、たしかに山崎の言う通りだった。本庄組が中川会の2次団体なのに対して、村雨組は煌王会の3次団体。前者の方が、明らかに格上であるのだ。そちらの庇護を受けるのであれば今後、後者から命を狙われるリスクは大きく減るだろう。
芹沢の迎えが来るまで、一時的に身を置いてみるのも良いかもしれない――。
そんな軽い気持ちで、俺は首を縦に振ってしまった。
「……わかった。でも、盃は貰わない。あくまでも、あんたらの為に働くだけだ。それで良いか?」
「よし! そう来なくっちゃな! じゃあ、さっそく。お前を組長に紹介するとしよう。いま、ちょうど事務所にいらっしゃるんだ。ついてこい!」
待ってましたとばかりに笑顔を見せる山崎に促されて、席を立つ。鴨せいろの会計を済ませて暖簾をくぐると、外の天気は変わっていた。先ほどまでは澄やかに晴れていたにも関わらず、すっかり曇り空になっているではないか。
(どんよりとしているなあ……)
梅雨らしい暗雲が漂う空の下、俺は山崎と共に本庄組の事務所へ歩いていった。