東京
研究所を出てから、俺は必死に走った。
閑静な住宅街から、多くの車が行き交うメインストリートへ出る。そこでちょうど目の前を通りかかったタクシーを捕まえ、運転手に言い放つ。
「駅まで頼む! 早く!」
一刻も早く、街を出たかった。突然に飛び込んで来た客の荒々しさに、当初は困惑気味の運転手だったが、俺の目を見て「これはただ事ではない」と判断したのか。すぐさま、車を発進させた。
「横浜駅までですね。承知しました」
「早くしろ!」
タクシーに乗ってからも、後方は相変わらず気になる。村雨組の追手が来ていないか、もしくは後をつけられていないか、不安で仕方がなかった。車窓越しに飛び込んでくる人や車、すべてが追跡者のように思えてしまうのだ。1度でも疑いを持ち始めてしまえば、キリがない。
(あいつ、村雨組の人間か……?)
歩道を足早に進むスーツ姿の男が視界に入り、俺はサッと身を隠した。平日の昼間なのだから、そういう服装をした者が出歩いていてもおかしくはない。もしかしたら、外回り中の営業マンだったかもしれない。だが、気持ちが昂っているせいか、どうにもヤクザにしか見えなかった。
「おい! 何をチンタラ走ってやがる。もっと飛ばせ!」
不安と恐怖で頭がいっぱいになって、苛立ち混じりに檄を飛ばしてしまう。
「そう言われましてもねぇ……法定速度というものがありまして」
「いいから! 黙ってアクセルを踏みやがれ!」
「申し訳ありませんが、ここは高速じゃないんですよ? ま、そうカリカリせずに。飴でも舐めててくださいよ。お客さん」
運転席の背面には、大量の飴が入ったカゴが、ご自由にどうぞ言わんとばかりにぶら下がっている。本来なら有り難くいただくところであるが、その時の俺に甘味を楽しむ精神的余裕は無い。
「うるせぇ。余計なお世話だよ、バカ野郎!」
「……そうですか」
横浜駅にたどり着くまでの25分間が、やけに長く感じてしまった。
「お会計。3450円になります」
「ほらよ!」
俺は1000円札を4枚渡すと、釣り銭は受け取らずに車を降りる。細かい金を財布に戻す手間さえ、もったいないように感じたのだ。降りた後は、人の波をかき分けるように券売機へと向かい、東海道本線の切符を買う。
『研究所を出たら、そのまま突っ走って街を出るんだ。どこでもいい。可能な限り遠くへ離れて、息をひそめて身を隠せ』
この芹沢の言葉を実践するには、とりあえず東京へ出るのが望ましいと考えたのである。地元に戻る事も選択肢にはあったが、俺は勘当の身。おまけに村雨組から追われているとあっては、帰ったところで母や妹に更なる迷惑をかけるだけ。一時的に湧き起こった故郷への思いをグッとこらえ、俺は電車に飛び乗った。
しばらくの間、電車に揺られる。地元の川崎を少し、過ぎた頃だったろうか。シートに深く腰掛けてぼんやりと微睡んでいると、不意に声をかけられた。
「ちょっと、お兄さん」
ハッと我に返り、声のした方を見つめる俺。そこには、初老の男性の姿があった。年齢は、おおよそ60歳前後。頭髪には、白いものが混じっている。一瞬、追いかけてきた村雨組のヤクザかと思って警戒したが、違うようfだ。
「何だよ」
「どいてくれないかね? そこ、私らみたいな老人に譲るべき席なんだけど」
後ろを振り返ってみると、窓には“優先席”の3文字が。いくら学の無い俺とはいえ、意味くらいは知っている。そこは本来、高齢者や妊婦、乳幼児連れなどが優先的に座る権利のある場所であった。
だが、おいそれと譲ってやる筋合いなどは無い。俺は、敢えて聞こえないフリをしながら、無視を続けた。
「……」
こちらの態度に憤りをおぼえたのか。初老の男は、少し強めに声でなおも迫ってくる。
「おい、聞いているのか?」
「……」
「席を譲りなさいと言ってるんだよ!」
「……」
当時の俺は、年寄りという生き物が嫌いだった。大して役にも立たないくせに、旧態依然とした価値観、思想などを自慢げに語ってくる。そうして事あるごとに「最近の若い奴は……」などと、時代についていけない自分の非力さを棚に上げた説教を繰り返す。思い出話と現役世代への不平不満しか喋れない、醜くて劣った連中であるという認識だった。同時に、そんな連中に対しては何をしても許されると考えていた。
「爺さんよ。さっきから、うるせぇんだよ。マジで。適当なことばっかり言いやがって。何様のつもりだ? ああ?」
「何様って……ずいぶんと礼儀知らずな言い方だな。目上の人に向かって、そんな口の利き方をするもんじゃないよ。こっちは、君に常識というものを教えてやってるんだから」
「いらねぇよ。『教えてください』なんて、誰が頼んだ? テメェ、ボケてるんじゃねぇのか?」
「黙りなさい! 生意気な口を利くな!」
男の顔が、次第に赤みを帯びてゆく。自分の言う事を素直に聞かない若者への怒りで、どんどん興奮状態に近づきつつあると悟った。こちらもこちらで、心と体が臨戦態勢に変化する。こうなると、もはや喧嘩は避けられない。ざわつき始める他の乗客たちを尻目に、俺は更なる挑発を浴びせてやった。
「フフッ。つくづく、マヌケなジジイだぜ。礼儀だとか、常識だとか……まっとうな言葉を並べちゃいるけどよ。要は、テメェが座りたいだけだろ」
「何だと!?」
「はっきり、言えば良いじゃねぇか。『ずっと立ってて足が疲れたから、座らせてください』って。俺に泣きながら土下座したら、譲ってやるよ。ほら、やってみろ!」
自分でも、かなりひどい言い方だと思う。優先席に居座り続けた挙句、それを注意した人に対して逆上。あまつさえ、暴言を吐いて土下座まで強要する俺の威勢を前に、相手はすっかり絶句してしまった。
「……」
まさに、開いた口が塞がらないと言わんばかりの表情だった。口論に競り負けたというよりは「もう、こいつには何を言っても無駄だ」と、諦めの念が混じった眼差し。かつて収容された少年鑑別所の係官にも、同じような顔をされた思い出があった。
『まもなく、品川。品川。お出口は、左側です。新幹線、山手線、京浜東北線、横須賀線と京急線は、お乗り換えです』
次の停車駅を告げる車内アナウンスの声がするや否や、初老の男は静かに踵を返し、どこかへ行ってしまう。その背中を見た俺は、心の中で余計に苛立ちが強まってしまった。
(何だよ、あのジジイ。逃げるくらいなら、最初から引っ込んでろよ!)
このまま口喧嘩を続け、殴り合いに発展したところで勝てないと踏んだのか。来る禍の炎を避けるように、相手は去った。賢明な判断であると思う一方、できることなら、あの男の顔面にパンチの1発でも浴びせてやりたいと願う自分もいた。
(くそったれが!!)
他の客の視線が気になったので、逃げるように電車を降りた俺。昂った気持ちのままホームを進んでいくと、駅名を記した看板が目に飛び込んでくる。
品川駅――。
幾度かメディアで耳にした機会こそあったが、いまいちピンとこない地名だった。そこが神奈川ではなく、東京であるという事実だけは何となく理解できる。しかし、どこにどんな建物があるのか、物価はどれくらいなのか、詳細な情報はまるで分からない。完全に、未開の地だった。
(まあ……とりあえず、ここに隠れてみようかな)
初老の男との喧嘩で熱くなった心身を冷やすように、俺は新たな街のことを考え始める。まったく縁もゆかりも無い品川の地だが、ずっと住み続けるわけでもない。芹沢の迎えが来るまで、身を潜めていれば良いのだ。
時刻は、午後5時46分。
一般的には下校や退勤の時間帯である。必然的に、駅を行き交う客も学生やサラリーマンが多くなっていた。逃亡者という立場上、どうしても彼らが組の追手に見えてしまう。
自分でも考えすぎかと思えたが、逃亡者という立場上、用心するに越したことは無い。警戒心を研ぎ澄ませながら、俺は品川駅高輪口から柘榴坂の方に向かい、ゆっくりと歩き出した。移動中、頭に浮かぶのは今後の展望。
いつ、自分は絢華の元に行けるのか。
いつ、自分はアメリカへ逃げられるのか。
いつ、自分は芹沢と合流できるのか。
未来がまったく、見えなかった。そもそも合流するまでの間、どうやって暮らせば良いのかが分からない。東京には、頼れる人間が1人もいないのだ。衣食住を確保する事さえ、まるで見通しが立てられなかった。
(横浜に来た時のデジャヴかよ。笑えるぜ)
考えてみれば、ほとんど変わらないではないか。村雨組で築き上げたものを一気に失い、ゼロに戻ってしまった。分かりやすく喩えるなら、ふりだしに戻ったような感覚だった。
3か月前の自分も「これからどうするか」と、考えていたことを思い出す。最も、その時に生活の糧を得るために路上強盗をはたらいていなければ、横浜から逃げ出さずに済んでいたのだが。
「マジで、これからどうやって食ってくよ……」
思わず、口に出てしまう。それだけ絶望的な状況だった。日暮れの夕闇が差してゆく品川の街を茫然と歩きながら、先の見えない現実にため息が漏れる。桜田通りの道路を渡り終えたところで、ふと財布の中身を確認してみる。
(10万円と、4000円か)
まっとうに生きる同世代の若者からすれば、さぞ大金に思えるであろう。しかし俺から見れば、実に少ない金額であった。これでは1週間ほどホテルで暮らせたとしても、あっという間に使い切ってしまう。そこに食費や服代が加われば、一文無しになるのはもっと早いだろう。
(チマチマ使っていかなきゃな……)
不安と後悔をそれぞれ2分の1ずつ抱えながら、俺は歩き続けた。やがて空は日没を迎え、夜の暗さが周囲を覆う。それでも静かになるどころか、華やかさを増してゆくのが東京の特徴だと思う。
「とりあえず、泊まる所を見つけよう」
独り言をボソッと吐き捨て、ネオンが輝く街の中を進んでゆく。そんな俺が何の気なしに通り過ぎた電柱のプレートには、“品川区東五反田1丁目”と記されていたのだった。




