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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第3章 盃のゆくえ
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足を止めるな!

「ざまあみやがれ……テメェはもう終わりだ!!」


 嘲け笑いと共に俺を睨みつけ、高々と宣言した里中。どうやら彼は、芹沢が置き忘れた携帯を勝手に使い、村雨邸に連絡を入れてしまったようである。


 自分を襲った犯人の名は、麻木涼平――。


 その情報が組に伝わるだけでも俺にとっては一大事だが、里中の話には尾鰭おびれが付いていた。


「ぜんぶ伝えてやったからな。テメェは斯波一家と繋がってて、村雨組の内情を探るために送り込まれたスパイだって!」


「なっ!?」


「あいにく組長はお出かけ中で不在だったんだが、嘉瀬の兄貴が電話に出てくれたぜ? 『今から、腕利きの兵隊を連れてそっちに行く』だとよ。フフッ」


 そう言って、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた里中の胸倉を芹沢が掴む。


「ふざけるな! 誰が電話をしろと言った!」


「放してくださいや。こう見えても、俺はケガ人ですぜ?」


「黙れッ!! 俺は『預かる』と言ったんだ。そして『いったん忘れろ』と……」


「申し訳ありませんが、叔父貴。預けられませんよ。っていうか、スパイが目の前にいるのに、あんたはどうして」


 ――パチン!


 甲高い破裂音が響く。なおも御託を並べ続ける里中の主張が、芹沢の平手打ちによって遮られたのだ。威力はそれなりに強力だったようで、力任せに張られた頬は赤くなっていた。


「……涼平はスパイなんかじゃねぇよ。お嬢の世話係に、組長が見込んで連れてきた男だ。いくらテメェが幹部だろうと、いい加減な物言いは許されねぇぞ? ああ?」


 力強く、そして堂々と言い放った芹沢。その背中はどことなく勇壮に見え、俺はまるで、大きな盾を前にしているような感覚であった。「頼もしい」という言葉が、ここまで似合う人物もいないと思う。


(芹沢さんの後ろにいれば、何とかなるか……)


 しかし、里中はまったく怯む様子を見せなかった。


「なるほど。叔父貴は、敵のスパイを庇うんですかい」


「スパイじゃねぇって言ってるだろ!」


「いいえ、こいつは斯波一家の回し者です。少なくとも、嘉瀬の兄貴はそう思ってるらしいですぜ?」


 嘉瀬とは午前中に、揉めたばかりである。それ以前にも、靴磨きの件で因縁がある。もともと俺を快く思っていないだけあって、里中に吹き込まれた「麻木涼平はスパイだ」という嘘をいとも簡単に、信じたのだろう。


 もしくは、事情は何であれ「クソ生意気な新入りのガキを排除する、絶好の機会だ」とでも考えているのか。思考をそのまま覗き見ることは不可能だが、直情的で頭に血が上りやすい気性の嘉瀬であれば、起こり得る話だ。


 全く同じことを考えていたのか、芹沢は軽く耳打ちしてきた。


「涼平。嘉瀬はお前を殺そうと、ムキになってるはずだ」


「……かもな」


「きっと、拳銃ハジキの1丁や2丁は持ってくるだろう。いいか? 相手が武器を持っている以上、いくらお前が喧嘩上手とはいえ、勝ち目はゼロだ。ここは、俺に任せておけ。考えがある」


 ベッドの方を向き直った芹沢は、里中に鋭い視線を浴びせる。


「賢介。組長は、この件をご存じなのか?」


「さっきも言ったでしょう。組長は『不在』だって」


「じゃあ、ご存じないんだな?」


「何度も言わせないでください。現在、お出かけ中です!」


 その瞬間。芹沢は、微かな笑みを浮かべた。


「そうか。だったら、テメェらの行動は組長の許しを得ない『独断専行』ってことになるな!」


「は?」


 呆気にとられる里中に、芹沢はなおも続ける。


「組長から直々に『殺せ』って命令が出ねぇ限り、あくまでも組員同士の喧嘩。俺が涼平を庇うのにも、まったく問題は無いってわけだ!」


「叔父貴。あんた、何を……」


「こいつの身柄ガラは俺が預かる。文句があるなら、組長に言え!」


 そう吐き捨てた芹沢は俺の腕をグッと掴むと、部屋の外へと走り出す。勢いよく体が動いたので、俺は危うく、バランスを崩しそうにそうになってしまった。


「ちょ、ちょっと、芹沢さん!?」


「黙って走れ! いまは、とにかく逃げることだけ考えろ。研究所の外に出たら、どっか安全な場所に匿ってやる!」


「わ、わかった!」


 まさに、逃げの一手。余計な事は極力考えないようにして、全力で脚を動かした。走る事は昔から得意だったので、あまり苦ではない。一方、芹沢は少し呼吸を乱し始めていた。


「はあ……喫煙者スモーカーにゃあ、キツい運動だぜ……まったく」


 3階の廊下をひた走り、やがて俺たちはエレベーター前にたどり着いた。ボタンを押し、上がってくるゴンドラを待つ間、芹沢が会話を投げてくる。


「……ふう、涼平。例のパスポートは受け取ったか?」


「いや、まだだ」


「そうか……なら、海外に逃がしちまうのは無理かあ」


 偽造旅券の完成が遅れていたことが、本当に悔やまれた。俺としても、里中襲撃の件のほとぼりが冷めるまでの「一時避難」が、海外渡航の目的の1つであった。


 それがまさか、このような急展開を迎えるとは――。


 我が身の今後を想像をすると、どんよりとした気持ちになってくる。これからどうなるのか、何が起こるのかが全く見通せない。自然と、不安がこぼれてしまう。


「だ、大丈夫かな……?」


 すると、芹沢が背中を優しくさすってくれる。


「大丈夫だ。お前のことは、この俺が責任を持って何とかしてやる。せっかく打ち明けてくれたんだ。その勇気、絶対に無駄にはさせねぇよ」


「あ、ありがとう」


「よせよ。礼を言うのは、このヤバい状況を抜け出してからだ。まあ、嘉瀬は未だ着いちゃいないだろうけどな」


 組の兵隊が到着する前に、研究所を脱出して逃げようという芹沢。だが、3階へと上がって来たエレベーターから降りてきたのは、こちらの想像を悪い意味で上回る人物であった。


「お、お前は……」


 嘉瀬だった。


 衝撃のあまり、言葉も出なかった。ゴンドラから出てきた彼の後ろから、7人の男たちが次々と現れる。皆スーツ姿で、手には武器を携えている。ナイフ、包丁、牛刀とその種類はバラエティーに富んでいたが、中には拳銃を構えた者もいた。どうやら、彼らが「精鋭部隊」のようである。その目的は、たった1つ。


 麻木涼平を始末すること――。


 一方、愕然とする俺とはまったく対照的に、芹沢は至って落ち着いた様子だった。予測が外れた事への驚きはみじんも感じさせない、喩えるなら「もう、来てたのか」と言わんばかりの余裕に満ちた表情だった。


 そんな彼は、静かに言った。


「……そこをどけ」


「どうか邪魔をしないでくださいよ、芹沢の叔父貴。どうして、そいつを庇うんです? 斯波一家のスパイだったんでしょ?」


「それは、賢介の勝手な思い込みだ!」


「でも、あいつをあんな目に遭わせたのも、そこのガキだった」


 物々しい雰囲気に身構える俺を後ろに下がらせた後、芹沢は嘉瀬に言った。


「違う。それも賢介の妄想ってやつだ。こいつに手を出す事は、俺が許さねぇ。オラ、さっさと回れ右しやがれ!」


「ずいぶんと肩を持つじゃないですか。そんなに、そのガキが気に入りました?」


「気に入るも何も、証拠が無いだろう」


「要りませんよ。そんなもの。里中の証言さえありゃ、十分です」


 2人の応酬は、激しさを増してゆく。


「嘉瀬。この件、組長に連絡は入れたのか?」


「入れてませんよ。だいたい、ガキを1人始末するのに、どうして組長の許可が必要なんですか!」


「……本気で言ってるのか?」


「本気ですとも。本気じゃなかったら、道具なんか持ってきませんぜ」


 近くを通りかかった研究員はその張りつめた緊張感に怯え、来た道を慌てて戻っていった。言うまでもなく、一触即発の空気である。


「……そうか。フフッ。まあ、俺だって何事もなく通してもらおうなんて考えちゃいねぇよ。さっきの質問は、あくまでも確認……俺にブチ殺されても良いか否かを問う、お前への最終警告だ」


「じゃあ、こっちも確認させてもらいますが……叔父貴、どうかここはおとなしく、そこにいるガキをこっちに渡してやってくださいよ」


「お断りだ。馬鹿野郎が。お前の方こそ、さっさとそこをどけってんだよ。これ以上、顔の傷を増やしたくなかったらな」


 嘉瀬の鼻には、湿布のような物が貼りつけられていた。察するに午前中、芹沢に思いっきり蹴られた際に、折れてしまったのだろうか。他にも、顔のあちらこちらに痛々しい傷の跡が散見される状態であった。


「お気遣いは無用です。さっきのように、まんまと倒されたりはしません」


「ずいぶんと強気だな?」


「そりゃあ、ねぇ。こっちの方が大人数ですから!」


 エレベーターの前に並んだ、得意気に見えを切る嘉瀬と7人の組員たち。嘉瀬はバット、他の連中はそれぞれ刃物や銃を手に持っている。それに対して、芹沢は素手。武器という武器は、ろくに持っていない。


「どうです? そのガキを渡す気になりました?」


 単純に考えると、圧倒的にこちらが不利である。しかし、芹沢に動揺は無かった。


「フッ。舐められたもんだなぁ。たった8人で、俺を倒すつもりだなんてよ」


「は?」


「言っておくが、俺はそう簡単にタマを取られるほど、ヤワじゃねぇよ。こんな状況は到の昔に、経験済みだ。俺が昔、組長と一緒にどれだけ多くの修羅場を潜り抜けてきたか……テメェら、知らねぇだろう」


「知らないですね。っていうか、知りたくもありません。どうでも良いでしょう。芹沢の叔父貴。あんたはもうすぐ、死ぬんですから!」


 慇懃に挑発する嘉瀬に、毅然と応じる芹沢。睨み合いを続ける両者のプレッシャーは、すぐ側で見ていた俺にも伝わってくる。蒸し暑い空気に包まれているせいか、額からは汗が滴り落ちていた。


「……涼平。1度しか言わねぇから、よく聞け」


 後ろを振り返った芹沢が、小声で指示を伝えてくる。。


「こいつらは俺が食い止める。タイミングを見計らって、お前はそこの階段を使って1階へ降りろ。研究所を出たら、そのまま突っ走って街を出るんだ。どこでもいい。可能な限り遠くへ離れて、息をひそめて身を隠せ」


「おいおい、大丈夫かよ……」


「心配すんな。この雑魚どもを始末したら、俺もすぐにお前を追いかける。どんな場所に隠れていようと、絶対に見つけ出してやるから。お嬢の所にも、俺が責任を持って連れて行ってやる。だから、いまは逃げる事だけを考えろ」


「そうじゃなくて、あんた1人で平気なのかよ!」


 いくら芹沢でも、複数が相手では流石に不利だろう。おまけに、敵の中には銃を持った者までいる。殴り合っている所を背後から撃たれたら、一瞬で終わってしまう。


「大丈夫。さっきも言ったと思うが、こういうのには慣れてるんだよ。いいか? 俺のことは気にせず、わき目も降らずに走り抜けろ。安全だという確証を得るまでは、何があっても足を止めるな。この場から逃げて、生き延びて……明日をつかみ取るんだ。分かったな?」


 覚悟を決めたおとこの前では、どんな懸念の言葉も「杞憂」の2文字で片づけられてしまうようだ。本音を言えば俺も残って戦いたかったが、ここは素直に頷くしかなかった。


「……わかったよ」


「よし。良い返事だ。絶対、後で合流するからな。それまでは別行動だ」


「ああ。絶対だぞ?」


「おうよ」


 一方、嘉瀬は配下の者たちに檄を飛ばしていた。


「お前ら、相手が舎弟頭オジキだからって遠慮は要らねぇぞ? 徹底的に痛めつけて、ボコボコにして、ひと思いにブチ殺してやれ!」


 バットを構えた若頭補佐が号令をかける間もなく、組員たちは気勢を上げ、こちらに向かって一斉に飛び掛かってくる。


「うおおーっ!!」


 次の瞬間。


「いまだ!」


 正面から刀を振り下ろしてきた組員の斬撃をかわし、その腹部に強烈なミドルキックを叩き込んだ芹沢が、俺に力強く合図を送った。


「行けーっ!!」


 それを視覚と聴覚で捉えるや否や、俺は走り出す。1対8の乱戦が始まる中、エレベーター脇の非常階段を全速力で駆け抜けてゆく。


「逃がすな! 追えっ!」


「行かせねぇよ! テメェらの相手はここだ!」


 途中、そんなやり取りが耳に飛び込んで来たが、決して振り返りはしない。何段もの階段を足早に下り、1階の出口を目指して、死に物狂いで走る。


 ――ズガァン!


 銃声のような音も、聞こえてきた。


(芹沢さん……)


 無論のこと、足は止めない。湧き上がってくる感情を押し殺し、ただひたすらに走り続ける俺であった。

芹沢の叔父貴……(´;ω;`)

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