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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第1章 旅立ち
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卒業に名を借りた放逐

 学年が上がると、俺はケンカに明け暮れるようになった。


 生意気な後輩、ムカつく同級生やクラスメイト、うざったい先輩、そして教師。誰彼構わず、男も女もボコボコに殴った。身体の弱い妹にちょっかいを出したり、いじめたりする奴も徹底的にシメる。


 相手の歯が折れようが、額が割れて血が流れようが、泣きわめこうが、俺は一切の容赦をしなかった。当時の俺の辞書には「手加減」の3文字なんて無かった。たとえ大人が相手でも、気に入らないヤツは全力で叩き潰す。


「お前は狂っている。このままだといつか、人を殺してしまうぞ」


 これは、小5の秋ごろに一時収容された児童相談所の職員から掛けられた言葉である。いま考えても、なかなか適切な評価だと思う。


「だから何? 文句でもあんの?」


「……」


 初めての面会時には居丈高に振る舞っていた児相の福祉司も、何度か顔を合わせるうちに俺の凄みに圧倒されているようだった。


「俺は俺の、やりたいようにやるし、生きたいように生きる。邪魔する奴は全員、ぶっ殺す。それの何が悪いっていうんだ?」


 すっかり困り果てた福祉司のおっちゃんを相手に放った“宣言”の通り、俺は中学校に進学してからも更にケンカに明け暮れ続けた。同級生はもちろん先輩や教師、時には他校生に至るまで相手を選ばない。それゆえ中3の夏を迎える時点で俺は、いわゆる不良少年として広く名が知られるようになってしまっていた。


『藤見中には“アサギ”っていう、ぶっ飛んだヤツがいる』


『とにかくケンカっ早くて、そのくせタイマンでは負け知らずらしいぜ』


『目が合っただけで相手を殺す寸前まで追いつめるそうだよ』


 すべて、当時の川崎の少年たちの間で実際に語られていた噂である。


 義務教育を終えるまでに、俺が傷害の罪で補導された回数は累計104回。ボコった相手が書いた被害届は、事件化されなかったケースも含めて77枚にものぼる。自他共に認める、絵に描いたような不良少年だった。


 そんな俺に中学卒業が近づいた、1998年2月のある日。実家の部屋で窓を開け、覚えたばかりのタバコをふかしていた時に母親が尋ねてきた。


「あのさ。あんた、卒業したらどうするつもりなの?」


 受験した高校も無ければ、就職先も決まっていなかった。ゆえに進路のことを訪ねられると、実に歯痒い気分になる。少しイライラしながら、俺は答えた。


「別に。どうもしないけど」


 返ってきたのは、生気の無い反応だった。


「そっか……」


「ん?」


「いや。何でもない」


 何か言いたげな様子。気になったので、思い切って尋ねてみる。


「俺に何か言いたい事でもあるの? あるなら言ってくれよ」


 しばらくの間、沈黙が流れる。気まずい空気感が、その場を支配した。これまで息子の素行の悪さを全く咎めず、叱る事はおろか、説教ひとつ垂れた事が無かった母。


 そんな彼女が、何とも言えない表情をしている。俺は即座に「これは何かあるな」と悟った。悪い予感、とでも言うべきだろうか。これから何か嫌な事を告げられるような気がしてならなかった。


「……あのさ」


 窓から吹き込んで来た風の音と共に、母は俺をまっすぐ見据えて言った。


「卒業したら……うちを出てもらえないかしら」


 予感が当たってしまった。どうやら俺は、家を追い出されるらしい。


 しかし、どういうわけか反発心は生まれなかった。それどころか、自分の中で「そりゃ、そうなるわな」と納得してしまった。今まで色んなところで大暴れして、警察の世話になる事もしばしば。ろくな勉強もせず、代わりに覚えたのは酒とタバコと、バイクの乗り方。


 そんな出来の悪いバカ息子の世話に、身も心も疲れてしまったのだろう。児相や警察署で「お前は他人の痛みが分からないヤツだ!」と罵られ続けてきた俺も、母が自分を放り出したくなる気持ちは、何故か理解できた。


(母さんを自由にさせてあげるか)


 そう思った俺は、特に理由を問うわけでもなく静かに頷いた。


「わかったよ。卒業したら、この家を出て行くよ」


「うん……ごめんね……」


「いいんだ」


 本当なら、この後で「今まで迷惑かけてごめんね」などと、労いと感謝の麗句を添えてやれば良いのだろう。だが、ばつの悪さと照れくささに阻まれて何も言えない。


「……」


 目を伏せたまま部屋を出て行く母の背中を俺は、無言で見送った。それからは気持ちを改めるかのように、自分の今後を集中して考えてみる。


(どこへ行こうか?)


 迷いに迷った。受験の願書を出す期限は、とっくに過ぎている。とはいえ高校に行くために1年、浪人して勉強し直すというのもバカバカしい。


(いっそ、働いてみようか!)


 そのようにも考えたが、誰かの下について汗水流して働くという行為は、たまらなくカッコ悪く思えた。第一に、そんな自分の姿を想像したくなかった。


 おまけに当時は「失われた10年」と呼ばれる不景気の真っ只中。大卒のエリートですら職にありつけないというのに、義務教育すらマトモに修めていない中卒の悪ガキが一体、どんな仕事に就けるというのか。


(じゃあ、俺はどうすれば良いんだ……?)


 悩んでいるうちに、時間ばかりが過ぎていく。そしてあっという間に、俺は中学卒業の日を迎えてしまった。


 3月某日。午前9時過ぎに式が始まる。


『卒業証書、授与』


 教頭の声が体育館内に響き渡る。生徒1人1人の名前が呼ばれていく中、俺は笑顔でステージに上がる隣のクラスの生徒たちが目に付いた。


 ある男子生徒は、関西の名門私立高校への進学が決まっていた。彼はそこできっと3年間、難関大学合格を目指して勉強漬けの日々を送るのだろう。


 しかし、その先で待っている未来はバラ色のはずだ。良い大学を出て、良い会社や役所に入って、良い給料を得て暮らす。そこにたどり着くまでの我慢や制約は多いだろうが、きっと俺よりマトモな人生を歩むはずだ。


 それに比べて、俺の未来は――。


 隣のクラスの秀才男子・W君の晴れ姿を見て少し、せつない気分になってきた俺の耳に、担任の声が飛び込んでくる。


『続いて、3年3組』


 俺はハッと我に返った。自分の苗字は「麻木」で「あ」行。名簿順で呼ばれるなら、自分がクラスのトップバッターなのだ。慌てて立ち上がり、ステージへと上がってゆく俺を皆が見つめる。下級生たちからは「麻木先輩、ようやく卒業してくれるのか」などとヒソヒソ話が聞こえたが、俺は無視して通った。


『……麻木涼平!』


「はい」


 他の者が力強く返事をする中、俺は静かに返事をして校長の前に立つ。


『おめでとう。これからはどうか、真っ当な人生を生きてくれ』


 麻木涼平以外の生徒には、決してかけないであろう“送る言葉”。俺は少し腹が立ったが無言で証書を受け取り、そそくさとステージを降りて行った。


「……ただいま」


 帰ってきたのは正午を少し、過ぎた頃。家には誰もいなかった。


「まあ、当たり前だよな」


 そんな独り言がこぼれてしまう。母親は卒業式には出席せず、近くのスーパーのパート勤務に出ていた。


「ん?」


 俺は今のテーブルに置かれた紙切れが目に付く。そこには、サインペンで書いたであろう文字たちが並んでいる。


『卒業おめでとう。離れていても、あなたのこれからを応援しています。母より』


 式にかまけて忘れていたが、この日は家を出なければならない日でもあった。


(俺に行くところなんかねぇってのに……)


 だが、今さら親に頭を下げて「やっぱり居させてください」と頼み込むのは性に合わないし、非常にカッコ悪いと思った。


(とりあえず、街を出てみるか)


 俺が好きなロックバンドには『16』という楽曲がある。読み方は『シックスティーン』。家出をテーマにした歌詞で、ボーカルの実体験を基にしているそうだ。


 金を財布に詰め込み、荷物をまとめ、汚れた靴を履いて飛び出す――。


 今までラジカセで聴いていた『16』の歌詞とまったく同じ行動をとって、俺は実家に別れを告げたのであった。

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