芹沢には、すべてがお見通しだった。
すっかり、言葉を失ってしまった。荒波に煽られるヨットのごとく、心が大きく揺れ始める。懸命に築き上げた防御用の障壁が、音を立てて崩れ去るような感覚を覚えてしまう。
(ど、どうして……バレちまったんだ!?)
まともな返答が浮かばなかった。
「お前。組に来る前は街で、カツアゲや路上強盗に明け暮れてたって、言ってたよな? 金を持ってそうな見た目の奴を選んで、ボコボコに殴ってたって。もしかして、その時に賢介をやっちまったんじゃねぇのか?」
「いや、それは……」
「俺を甘く見るなよ、若造。何年、この世界で飯を食ってると思ってるんだ? まったく身に覚えの無い話なら軽く受け流すか、笑い飛ばしても良い所だろう。だが、さっきのお前は明らかに普通じゃなった。死に物狂いで『俺じゃない!』と否定してたよな? おまけに視線は終始、泳いでやがった。一瞬で『怪しい』って思ったぜ」
俺のことを真っ先に訝しみながらも、反応を確認するために敢えて、庇う振りをしていたという芹沢。彼の洞察力の鋭さを前に、俺は何も言い返すことができなかった。
「……」
軽く俯いた俺にはお構いなしで、詰問はさらに飛んできた。
「……まあ、組に入る前の事だもんなぁ。その時は、相手が村雨組の幹部だなんて、知らなかったわけだし。そうだろ?」
「な、何の話をしてるんだ!?」
「分かってる。お前のことだ。誰かに命じられて、賢介を襲ったわけじゃない。大方、川崎から家出同然に流れ着いて、日銭を稼ぐ為にやったんだろう?」
「芹沢さん! ち、違うんだ! あれは……」
再び、肩をポンと叩かれる。
「いいんだ。俺だって、お前くらいの歳の頃は生きるのに必死で、明日の衣食住を賄うためになりふり構わず悪さして、暴れまわってたもんだよ。その相手が、たまたま村雨組の人間だっただけのことだ。気にしなくていい」
「は!?」
「大丈夫だ。賢介には、このまま知らぬ存ぜぬを貫き通せばいい。お前がやったっていう、確実な証拠があるわけでもねぇんだ。『斯波の人間がやった』ってことにすりゃあ、どうとでもなる」
「だから、違うって!」
すると、芹沢は穏やかな声で言った。
「涼平。やっちまった事の重大さに動揺して、隠したい気持ちも分かる。けど、俺には隠さなくていい。秘密をテメェ1人で抱えたまま生きていくなんざ、けっこう窮屈なもんだからよ」
「いや、そうじゃな」
「前に、言ったよな? 『俺のことを頼ってくれる以上は、味方になってやる』って。俺は、その言葉を今でも覚えてるんだぜ? もちろん、嘘は無い」
思い返してみれば、初めて村雨組の門を叩いた日に、そのような話をされたような気がする。しかし、それとこれとは別問題だ。己の所業を素直に打ち明けたとして、状況が好転する保証はどこにも無いのである。
(このオッサンに話しちまって、大丈夫なのか?)
初夏の青空の下、俺は悩みに悩んだ。打ち明ける事のメリットとデメリット、それぞれを照らし合わせて己の運命を真剣に考えた。無論、すぐに答えが出る問題でもない。数分の時を要した。
(やっぱり……ここは……)
そして、俺は結論を出す。
「……ああ。あんたの言う通りだよ。里中をボコったのは、俺だ」
「そうか。よく、打ち明けてくれたな」
自らの弟分に重傷を負わせた人間を前にしての態度とは思えぬほど、芹沢の反応は終始、あっさりとしていた。それどころか、こちらが自白を決めるまでの間、彼は1度も「さっさと答えろ」などと、催促の言葉を口にすることは無かった。
激昂されたり、鉄拳が飛んできたりしなかっただけ幸運であるが、冷静に考えてみれば不自然な話だ。気になった俺は、恐る恐る尋ねてみた。
「なあ、芹沢さん。その……あんた、怒ってないのかよ」
「怒っちゃいないさ。逆に、どうして怒る必要がある?」
「俺が、里中をあんな目に、遭わせちまったから」
「そりゃあ、賢介が弱かっただけのことだ。弱かったから、お前に襲われた。弱かったから、3か月も眠る羽目になった」
2本目のタバコに火をつけながら、芹沢は続ける。
「いいか? 極道は強くてナンボだ。どんなにシノギが達者で稼げる奴だろうと、弱けりゃ価値が無い。拳銃で撃たれたなら未だしも、すれ違いざまの不意討ち程度に対処できねぇようじゃ、あいつもまだまだ覚悟が足りない」
「そ、そうなのか……」
「そうに決まってるだろ。俺たちの世界じゃあ、いつ、どこで、どんな死に方をするか分からないんだからな。言い換えるなら24時間365日、誰が命を取りに来てもおかしくはないってことだ。その危険度は、テメェの肩書きのデカさに比例する。稼業で出世をすればするほど、殺される可能性は必然的に高まるんだよ。組の幹部なら、なおさらだ」
そのような立場にありながら、里中は気が緩んでいた――。
極道としての“覚悟”の重要さを力説する芹沢の姿が、いつも以上に力強く見えた。また同時に、どこか頼もしくも思える。この人になら着いて行っても良い、という安堵感すら感じさせる雰囲気だった。
「村雨組の盃を貰うつもりなら、そこら辺はしっかりと胸に刻んでおけ。いいな?」
「……ああ。わかったよ」
「よし」
こちらの返事に満足したのか、芹沢は微笑みを見せる。しかし、まだ俺には疑問が1つ、残っていた。
「なあ、ちょっと聞いても……良いか?」
「おう」
「あんた、どうして俺の肩を持ってくれるんだ? そりゃ、庇ってくれるのは有り難いし、嬉しいけど……自分の所の幹部を襲った挙句、3か月も眠らせた人間をどうして、そこまで……?」
「そりゃ、決まってんだろ。お前には心底、期待しているからさ」
いったい自分のどこに、そんな要素があるというのか。
喧嘩の腕に関しては「現時点では負け知らず」というだけで、百戦錬磨の渡世の住人たちに比べたら、いまいち場数が足りないだろう。知力はからっきしで、中学生程度の計算問題すら危うい有り様だ。組長令嬢の信頼を得ているとはいえ、それが極道としてのアドバンテージになるとも思えない。
芹沢に高く買われる理由が、まるで分からなかった。
「……俺のことを買いかぶりすぎてないか? まだ何の手柄も、立ててねぇってのに」
「手柄なら、これから立てていきゃあ良いだろう。焦ることはねぇよ。それにな、涼平。お前は、最近の若い奴には珍しい強さを備えてるからな」
「は? 強さだと?」
芹沢は、深めに頷く。
「そうだ。お前には、何事においてもテメェの腕だけで勝負しようとする性がある。そいつは組の名前や代紋に頼らない、確固たる気概だ。自信を持っていい」
当時の俺は全くの無学で、サガだのキガイだの、それらはあまり馴染みの単語であった。ゆえに言葉の意味こそ理解できなかったが、褒められた事実に変わりは無い。俺としては当然、嫌な気はしなかった。
「まあ、よく分からんねぇけど……ありがとよ」
「おう。だが、相手と場所を選ばずに暴れまわるのは、もう止めておいた方が良いな。今回ばかりは俺の力で何とかできるが、これからは分からんぞ? 事と次第によっては、流石の俺も庇えなくなるかもしれない。そこは、わきまえておけ。分かったな?」
己の所業に対して、真っ向から釘を刺されたような感覚である。ばつの悪さを覚えながらも、俺は素直に返事をした。
「……気をつけるよ」
「ああ。気をつけてくれ。俺だって、いつまでもお前の面倒を見られるわけじゃないんだからな」
そう言いながら芹沢は2本目のタバコを投げ捨て、歩き出す。俺は、その後を1歩ほど引いてついてゆく。
「賢介には『犯人は麻木涼平じゃない』ってことで、俺の口から説き伏せる。まあ、あいつのことだ。納得させるのには、ちょっと時間がかかるだろうがな」
「他の連中には、どう説明するんだ? たとえば、組長とか」
「心配するな。組長だって、お前が街で暴れてた過去は知ってるんだ。ちゃんと話せば、分かってくれるさ」
「だと、良いんだけどな……」
軽く雑談を交わしながら、俺たちは元来た通路を戻ってゆく。研究所の構造は入り組んでおり、芹沢自身もその複雑さには未だ慣れないとのことだった。
そんな中。歩いていた芹沢の足が突然、止まる。
「あれ、おかしいな」
「どうした?」
着ていた背広の内側などをまさぐりながら、彼は呟いた。
「携帯が無い。ここに、入れといたはずだったんだが……」
「忘れてきたんじゃねぇのか?」
「いや。来るときは、確かに持ってきてたんだ。んで、上着のポケットに入れてたつもり……あっ! そういえば、さっき出したんだった!」
曰く、里中の病室で時間を確認した際に、そのまま仕舞い忘れてきたのだという。しっかり者の芹沢とは思えぬ、凡ミスであった。
「たしか、取り出した後にそのまま、ベッドの脇のテーブルに置いたんだったな。いやあ、うっかりしてたぜ」
ところが、戻ってみると携帯は置かれていなかった。
「あれ?」
テーブルどころか、椅子や床の上などを確認しても見当たらない。前後左右をキョロキョロと探しつつ、芹沢は首を傾げる。
「おかしいなあ……どこにいったんだ?」
ちょうど、その時だった。ベッドの上の里中が、不意に口を開く。
「叔父貴。携帯なら、ここにありますぜ?」
そう言って彼は、銀色の端末を芹沢に返す。
「すみません。ちょっと、お借りしてました」
「おいおい……勝手に使うなよ……」
「それは謝ります。申し訳ありませんでした。もしも、叔父貴がお望みであれば、さっきの電話代を後でお支払いしますが」
ちなみに1998年当時、携帯電話は二つ折りですらない、いわゆる「セルラーフォン」と呼ばれる、独特の形状が特徴だった。家庭用の固定電話の子機をそのまま、持ち歩いているような感覚である。端末の値段も決して、安くはない。勝手に使われたことに芹沢が不満を覚えるのも、無理はなかった。
「いや、そこまではしなくて良いけどよ……やっぱ、他人様の物を使う時には一言かけるのが、礼儀ってモンじゃねぇのか?」
「申し訳なかったです。けど、大事な用だったもので」
眉をひそめる芹沢を尻目に、里中は横に立つ俺を睨みながら、強い口調で言い放る。
「お前のこと、ぜんぶ報告してやったよ。組に。『自分を襲ったのは、麻木涼平とかいうガキだ。いま、そいつが開科研にいる』って」
「は!?」
「もうじき、ここに押し寄せてくると思うぜ? 組の連中が、お前をブチ殺しになぁ!!」
それは、戦慄の時間の始まりであった。




