ぶつかり合う主張
全身の血の気が、一気に引いてゆくのが分かった。
「……」
言葉が出ない。緊張と恐怖、それに焦り。あとは、絶対に悟られてはいけない事実を悟られてしまった絶望感の4つが入り混じり、俺の心はブランコのように揺れ始める。
(や、やばい!!)
一方、芹沢は首を傾げた。
「ん? どういう意味だ?」
その声のトーンと表情からは、彼の困惑ぶりが伝わってくる。さしずめ、突然に告げられた話を理解できない、といった様子であろう。だが、里中は語気を強めてくる。
「叔父貴、間違いありません。コイツです。コイツがあの日、俺を襲ったんですよ。俺をこんな目に、遭わせたんです。叔父貴は……」
「ちょ、ちょっと待て!」
さらに続けようとする里中だったが、芹沢はそれを片手で遮る。
「賢介、さっきから何を言っているんだ? ん? 自分を襲ったのが……涼平だと?」
「はい」
「ありえねぇだろ。そんなこと。だいたいどうして、涼平なんだ?」
「俺、この目で見たんですよ」
なおも食い下がる里中に、芹沢は言い放った。
「動機が無いって言ってるんだよ!!」
室内に、彼の大きな声が響き渡る。あまりのボリュームに俺は一瞬、全身の毛がゾクッと逆立つ心地がした。
(!?)
よく見ると、芹沢の眉間にはしわが寄っている。目元もすっかり鋭くなっており、突き刺すような眼差しで里中を睨みつけているではないか。
「……俺もあまり、こういう事は言いたくねぇんだけどな。賢介、お前は頭がおかしくなったのか? 何で、涼平が犯人なんだよ。こいつにお前を襲う理由なんか、あるわけねぇだろう!」
「いや、見たんですって」
「見間違えだよ! それか頭を打った衝撃で、お前の思考回路が狂っちまったのか」
どうやら彼は、里中の主張を信じていないようだった。信じないどころか、けんもほろろに突っぱねている。
組長が連れてきた男が、下手人のはずがない――。
きっと、そう考えていたのだろう。ところが実際のところ、里中襲撃の犯人は俺。こちらは犯行を真っ向から否定できる材料を持っていないので、芹沢の“弁護”を期待しつつ、黙秘を決め込むしかなかった。
「……」
芹沢と里中の言い合いは、そんな俺を差し置く形でヒートアップしてゆく。
「申し訳ないですが。俺は自分の目で、たしかに見たんです」
「だから、見間違えだって」
「どうして言い切れるんですか!」
「理由が無いからだ。それにお前、事件があった夜は飲んでたんだろ? 酒が入ってる状態で、襲ってきた相手の顔なんか覚えてるはずがねぇよ」
先ほどとは対照的に、至って静な口調で諭す芹沢。だが、里中も諦めない。
「叔父貴。あなた、知ってますよね? 俺は、酒で記憶を失った事が今まで1度も無いって。飲んでトラになる事はあっても、何があったかは覚えてるんですよ!」
「だからって、涼平がやったって証拠にはならんだろうが」
俺が犯人であると声高に叫ぶ里中と、あくまでも無実を信じる芹沢。2人の議論はますます激しくなり、それから5分近くも続いたが、すれ違いにすれ違いを重ねるだけだった。
「……はあ。叔父貴、いい加減にしてくださいよ。何で、このガキを庇うんですか?」
「そりゃあ、こっちの台詞だぜ? 賢介。どうして、お前は涼平が犯人だって決めつけるんだ? 証拠も何もねぇってのに」
芹沢の言う通り、里中の主張は根拠に欠ける。「自分がやられた」という体験談だけで、他に俺の犯行を裏付ける物証が何ひとつ無いのだ。指紋、写真、もしくは第三者の目撃証言などがあれば手っ取り早いのだろうが、幸運なことにそれらは存在しない。
里中を襲ったのは、紛れもなく俺だ。
しかし、ここで認めるのはあまりにも危険すぎる。里中にヤクザとしてのメンツがある以上、俺のことを許しはしないだろう。必ずや、落とし前をつけさせたいと望んでいるはず。それに、もし仮に里中に糾弾されなかったとしても、問題は組長だ。
『我が子分をあのような目に遭わせた者を必ず見つけ出し、この手で叩き殺してくれるわ!』
以前、村雨が吐露していたという言葉を思い出した俺は、背筋が凍る思いがした。
(バレたら、俺は……)
真実が露見することは即ち、処刑を意味する。さらに言えば、決して楽には殺してくれないだろう。村雨組は一般的に、敵対者や裏切り者への残虐な“始末”で恐れられているのだ。
生きたまま首をチェーンソーで切断されたり、日本刀で左手、左足、右手、右足、首の順に斬り落とされたり、焼却炉の中に放り込まれたりと、その方法は「凄惨」の2文字では言い表せないほどに惨いという。
(クソっ! そうなってたまるかよ!!)
だが、何が何でも隠し通さんと心に決めたその時。芹沢が声をかけてきた。
「なあ、涼平。どうなんだ?」
「えっ!?」
いきなり話を振られたために、驚くと同時に素っ頓狂な声を上げてしまった。そんな俺に、芹沢は問うてくる。
「さっきから、賢介が適当な事ばっか言ってるけどよ。お前、やってねぇよな? そんなことをするわけねぇよなあ?」
「あっ、ああ……」
小さく、コクンと頷く。それ以上の返答が出来なかったのは、咄嗟の事態に対応が追い付かなかったからだ。このような場面は、どうも苦手である。己に国語力が無いせいか、言葉に詰まりやすいのだ。
「……」
その場に、沈黙が流れる。室内の空気が嫌な方向へと、少しずつ変わってゆくのを感じ取れた。否定しつつも煮え切らない俺の答え方に、さらなる苛立ちを滾らせたのか。里中は声を荒げた。
「やったのはテメェだろ! 何をとぼけてやがる!!」
「うるせぇ! 俺はやってねぇよ!」
怒鳴られて引き下がるほど、こちらとて軟弱ではない。里中の怒声による詰問に対しては、怒声による痛罵で応じてやった。
「どんなに嘘をついたって、無駄だからな。こちとら、テメェの姿をしっかり見てるんだ!」
「それが何だって言うんだよ。ああ? 俺がやったって証拠はあんのかよ!」
「要らねぇよ、んなもん! テメェが認めりゃあ良いだけの話だ!」
「黙れやぁ!!」
顔を真っ赤にして追及する里中と、口汚く罵る俺。
自分の犯行は事実だが、やったという証拠は無い――。
そんな自信があったからこそ、強気な返し方が出来たと思う。もしも決定的な物証が1つでもあったら、瞬く間に窮地に追い込まれ、やり込められていただろう。
里中との応酬は、ますます熱を帯びていった。
「いい加減に認めろよ!」
「うるせぇ! テメェこそ、いい加減にしろや。さっきからデマカセばっかり言いやがって。あんまり舐めてると、息の根を止めるぞ? このホラ吹き野郎!」
「んだとゴラァ!!」
すると、横にいた芹沢が言い放った。
「もういい!」
腹の底から出たであろう声の迫力は絶大で、それまで血相を変えて言い争っていた俺と里中は、一瞬で口を閉ざした。
その隙を見逃さんとばかりに、芹沢は淡々と言葉を挟む。
「この件は俺が預かる。2人とも、いったん忘れろ」
そして、彼は俺の肩をポンと叩いた。
「涼平。ちょっと、ツラ貸せ」
「は?」
「いいから! ついてこい!」
「わ、わかった……」
手招きした芹沢の後に続いて、俺は部屋を出る。研究所の廊下をゆっくりと進んでいくうちに、テラスのような場所に着いた。
(ここは……屋上か?)
ほのかに夏の匂いを帯びた6月の風が、俺たちを優しく包み込む。
「お前、ちょっと頭を冷やせ」
「頭? そんなもん、最初から冷えてるよ」
「だったら、さっき何であんなに熱くなった? 明らかに冷静さを失ってただろう。頭が冷えてたんなら、ああいう答え方は普通、しないものだぜ?」
「それを言うなら、あんただって……」
すると、芹沢は軽く笑いながら言った。
「あれは演技ってやつだ。里中の言葉が本当かどうかを試すために、わざと、感情むき出しに怒鳴ってやったのさ。驚かせて悪かったな」
「別に、驚いたわけじゃねぇよ」
「そうか? なら、良いが」
フッと笑いをこぼした芹沢が、背広の内ポケットからタバコを取り出し、火をつける。
「……ふう」
立ち昇る煙の中で、彼は続けた。
「極道の世界で生きていきたいなら、相手の心を読まなきゃならん。相手の顔つき、仕草、言葉、そして行動から『目の前の何を考えているか』を読み解くんだ。それができなきゃ、簡単にやられちまうぞ。よく覚えとけ」
「ああ。分かったよ」
それからしばらくの間、俺はタバコを吸う芹沢の後姿を無言で見つめていた。彼も彼で、特に何か言葉を発することも無く、そこそこの値段がするであろうタバコを深々と味わっていた。
(いつまで続くんだ?)
あまりの長さにツッコミを入れたくもなったが、里中の部屋に戻るよりは気が楽なので、悪くはない。俺も、心を落ち着かせて初夏の風に身を委ねようとした。
「……」
だが、そんな時。不意に声が聞こえた。
「……なあ。ちょっと、考えたんだけどよ」
「ん?」
「本当は……お前だろ」
「何がだ?」
振り返った芹沢が、呟くように問いを放つ。
「里中を襲ったのって、涼平。本当は、お前の仕業なんだろ?」




