表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第3章 盃のゆくえ
38/261

ぶつかり合う主張

 全身の血の気が、一気に引いてゆくのが分かった。


「……」


 言葉が出ない。緊張と恐怖、それに焦り。あとは、絶対に悟られてはいけない事実を悟られてしまった絶望感の4つが入り混じり、俺の心はブランコのように揺れ始める。


(や、やばい!!)


 一方、芹沢は首を傾げた。


「ん? どういう意味だ?」


 その声のトーンと表情からは、彼の困惑ぶりが伝わってくる。さしずめ、突然に告げられた話を理解できない、といった様子であろう。だが、里中は語気を強めてくる。


「叔父貴、間違いありません。コイツです。コイツがあの日、俺を襲ったんですよ。俺をこんな目に、遭わせたんです。叔父貴は……」


「ちょ、ちょっと待て!」


 さらに続けようとする里中だったが、芹沢はそれを片手で遮る。


「賢介、さっきから何を言っているんだ? ん? 自分を襲ったのが……涼平だと?」


「はい」


「ありえねぇだろ。そんなこと。だいたいどうして、涼平なんだ?」


「俺、この目で見たんですよ」


 なおも食い下がる里中に、芹沢は言い放った。


「動機が無いって言ってるんだよ!!」


 室内に、彼の大きな声が響き渡る。あまりのボリュームに俺は一瞬、全身の毛がゾクッと逆立つ心地がした。


(!?)


 よく見ると、芹沢の眉間にはしわが寄っている。目元もすっかり鋭くなっており、突き刺すような眼差しで里中を睨みつけているではないか。


「……俺もあまり、こういう事は言いたくねぇんだけどな。賢介、お前は頭がおかしくなったのか? 何で、涼平が犯人なんだよ。こいつにお前を襲う理由なんか、あるわけねぇだろう!」


「いや、見たんですって」


「見間違えだよ! それか頭を打った衝撃で、お前の思考回路が狂っちまったのか」


 どうやら彼は、里中の主張を信じていないようだった。信じないどころか、けんもほろろに突っぱねている。


 組長が連れてきた男が、下手人のはずがない――。


 きっと、そう考えていたのだろう。ところが実際のところ、里中襲撃の犯人は俺。こちらは犯行を真っ向から否定できる材料を持っていないので、芹沢の“弁護”を期待しつつ、黙秘を決め込むしかなかった。


「……」


 芹沢と里中の言い合いは、そんな俺を差し置く形でヒートアップしてゆく。


「申し訳ないですが。俺は自分の目で、たしかに見たんです」


「だから、見間違えだって」


「どうして言い切れるんですか!」


「理由が無いからだ。それにお前、事件があった夜は飲んでたんだろ? 酒が入ってる状態で、襲ってきた相手の顔なんか覚えてるはずがねぇよ」


 先ほどとは対照的に、至って静な口調で諭す芹沢。だが、里中も諦めない。


「叔父貴。あなた、知ってますよね? 俺は、酒で記憶を失った事が今まで1度も無いって。飲んでトラになる事はあっても、何があったかは覚えてるんですよ!」


「だからって、涼平がやったって証拠にはならんだろうが」


 俺が犯人であると声高に叫ぶ里中と、あくまでも無実を信じる芹沢。2人の議論はますます激しくなり、それから5分近くも続いたが、すれ違いにすれ違いを重ねるだけだった。


「……はあ。叔父貴、いい加減にしてくださいよ。何で、このガキを庇うんですか?」


「そりゃあ、こっちの台詞だぜ? 賢介。どうして、お前は涼平が犯人だって決めつけるんだ? 証拠も何もねぇってのに」


 芹沢の言う通り、里中の主張は根拠に欠ける。「自分がやられた」という体験談だけで、他に俺の犯行を裏付ける物証が何ひとつ無いのだ。指紋、写真、もしくは第三者の目撃証言などがあれば手っ取り早いのだろうが、幸運なことにそれらは存在しない。


 里中を襲ったのは、紛れもなく俺だ。


 しかし、ここで認めるのはあまりにも危険すぎる。里中にヤクザとしてのメンツがある以上、俺のことを許しはしないだろう。必ずや、落とし前をつけさせたいと望んでいるはず。それに、もし仮に里中に糾弾されなかったとしても、問題は組長だ。


『我が子分をあのような目に遭わせた者を必ず見つけ出し、この手で叩き殺してくれるわ!』


 以前、村雨が吐露していたという言葉を思い出した俺は、背筋が凍る思いがした。


(バレたら、俺は……)


 真実が露見することは即ち、処刑を意味する。さらに言えば、決して楽には殺してくれないだろう。村雨組は一般的に、敵対者や裏切り者への残虐な“始末”で恐れられているのだ。


 生きたまま首をチェーンソーで切断されたり、日本刀で左手、左足、右手、右足、首の順に斬り落とされたり、焼却炉の中に放り込まれたりと、その方法は「凄惨」の2文字では言い表せないほどに惨いという。


(クソっ! そうなってたまるかよ!!)


 だが、何が何でも隠し通さんと心に決めたその時。芹沢が声をかけてきた。


「なあ、涼平。どうなんだ?」


「えっ!?」


 いきなり話を振られたために、驚くと同時に素っ頓狂な声を上げてしまった。そんな俺に、芹沢は問うてくる。


「さっきから、賢介が適当な事ばっか言ってるけどよ。お前、やってねぇよな? そんなことをするわけねぇよなあ?」


「あっ、ああ……」


 小さく、コクンと頷く。それ以上の返答が出来なかったのは、咄嗟の事態に対応が追い付かなかったからだ。このような場面は、どうも苦手である。己に国語力が無いせいか、言葉に詰まりやすいのだ。


「……」


 その場に、沈黙が流れる。室内の空気が嫌な方向へと、少しずつ変わってゆくのを感じ取れた。否定しつつも煮え切らない俺の答え方に、さらなる苛立ちを滾らせたのか。里中は声を荒げた。


「やったのはテメェだろ! 何をとぼけてやがる!!」


「うるせぇ! 俺はやってねぇよ!」


 怒鳴られて引き下がるほど、こちらとて軟弱ではない。里中の怒声による詰問に対しては、怒声による痛罵で応じてやった。


「どんなに嘘をついたって、無駄だからな。こちとら、テメェの姿をしっかり見てるんだ!」


「それが何だって言うんだよ。ああ? 俺がやったって証拠はあんのかよ!」


「要らねぇよ、んなもん! テメェが認めりゃあ良いだけの話だ!」


「黙れやぁ!!」


 顔を真っ赤にして追及する里中と、口汚く罵る俺。


 自分の犯行は事実だが、やったという証拠は無い――。


 そんな自信があったからこそ、強気な返し方が出来たと思う。もしも決定的な物証が1つでもあったら、瞬く間に窮地に追い込まれ、やり込められていただろう。


 里中との応酬は、ますます熱を帯びていった。


「いい加減に認めろよ!」


「うるせぇ! テメェこそ、いい加減にしろや。さっきからデマカセばっかり言いやがって。あんまり舐めてると、息の根を止めるぞ? このホラ吹き野郎!」


「んだとゴラァ!!」


 すると、横にいた芹沢が言い放った。


「もういい!」


 腹の底から出たであろう声の迫力は絶大で、それまで血相を変えて言い争っていた俺と里中は、一瞬で口を閉ざした。


 その隙を見逃さんとばかりに、芹沢は淡々と言葉を挟む。


「この件は俺が預かる。2人とも、いったん忘れろ」


 そして、彼は俺の肩をポンと叩いた。


「涼平。ちょっと、ツラ貸せ」


「は?」


「いいから! ついてこい!」


「わ、わかった……」


 手招きした芹沢の後に続いて、俺は部屋を出る。研究所の廊下をゆっくりと進んでいくうちに、テラスのような場所に着いた。


(ここは……屋上か?)


 ほのかに夏の匂いを帯びた6月の風が、俺たちを優しく包み込む。


「お前、ちょっと頭を冷やせ」


「頭? そんなもん、最初から冷えてるよ」


「だったら、さっき何であんなに熱くなった? 明らかに冷静さを失ってただろう。頭が冷えてたんなら、ああいう答え方は普通、しないものだぜ?」


「それを言うなら、あんただって……」


 すると、芹沢は軽く笑いながら言った。


「あれは演技ってやつだ。里中の言葉が本当かどうかを試すために、わざと、感情むき出しに怒鳴ってやったのさ。驚かせて悪かったな」


「別に、驚いたわけじゃねぇよ」


「そうか? なら、良いが」


 フッと笑いをこぼした芹沢が、背広の内ポケットからタバコを取り出し、火をつける。


「……ふう」


 立ち昇る煙の中で、彼は続けた。


「極道の世界で生きていきたいなら、相手の心を読まなきゃならん。相手の顔つき、仕草、言葉、そして行動から『目の前の何を考えているか』を読み解くんだ。それができなきゃ、簡単にやられちまうぞ。よく覚えとけ」


「ああ。分かったよ」


 それからしばらくの間、俺はタバコを吸う芹沢の後姿を無言で見つめていた。彼も彼で、特に何か言葉を発することも無く、そこそこの値段がするであろうタバコを深々と味わっていた。


(いつまで続くんだ?)


 あまりの長さにツッコミを入れたくもなったが、里中の部屋に戻るよりは気が楽なので、悪くはない。俺も、心を落ち着かせて初夏の風に身を委ねようとした。


「……」


 だが、そんな時。不意に声が聞こえた。


「……なあ。ちょっと、考えたんだけどよ」


「ん?」


「本当は……お前だろ」


「何がだ?」


 振り返った芹沢が、呟くように問いを放つ。


「里中を襲ったのって、涼平。本当は、お前の仕業なんだろ?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ