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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第3章 盃のゆくえ
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恐ろしい推察

「なあ。ここ、どこだ?」


 突如として連れて来られた「開発科学研究所」なる施設。名前の通り、一般人には理解しがたい研究をしている場所ということは理解できる。だた、ヤクザである芹沢が、どうしてそのような建物に用事があるのかが分からなかった。


「ここは通称、“かいけん”。市がやってる法人でな。生物学をベースに、医学、工学、物理学など、幅広い分野への応用研究を行う施設だ。だが実のところ、ここ数年は目立った成果や実績を挙げられてない。だから、来年をメドに廃止、もしくは民間への払い下げが検討されていたんだが……そこに、うちの組長が名乗りを上げたんだ」


 芹沢によると、組のフロント企業を介して出資を行った村雨が実質、買い取った施設であるという。


「でも、何のために?」


「抗争沙汰でケガを負って、動けなくなった奴を匿うためだ。普通の病院に入院させてたら、パクられるし、襲われるかもしれないからな。さっきも言ったように、ここじゃあ『医学』の研究をやってて、医者の肩書きを持った奴が何人も在籍してるからな。いっぱしの治療だって受けさせられる」


「それで、わざわざ買い取ったのかよ……」


「まあな。組長なりの投資ってヤツだ」


 パッと見た限りでは、そこそこ規模の大きな施設に見える“開科研”。あれを買い取るのに一体、いくらの金を注ぎ込んだのだろうか。詳細な額は芹沢自身も把握していないというが、億単位の数字が動いているような気がしてならなかった。考えるだけでも、気が遠くなりそうだ。


「……なるほど。で、今日は何の用があるってんだ?」


「実はな。この施設に現在いま、うちの人間がいるんだ」


 曰く、当の組員は3か月前、意識を失って路上に倒れていたところを通行人に発見され、市内の病院に担ぎ込まれた。頭部には殴られた傷があり、敵対者による襲撃の可能性を排除できない事から、こちらの施設に移されたらしい。


「奴は長いこと、意識が戻らなくてな。あの世とこの世の境を彷徨っていたんだが、昨晩になって、奇跡的に息を吹き返したんだ」


「良かったじゃん」


「ああ。今日は、その見舞いってわけだ」


 先ほど買った鉢植えの意味が、ようやく理解できた。病院への見舞いに花を持参するという行為は、極道のみならず一般社会でも、よくある話だ。そのために大きな花を用意するというのも、よくよく考えてみれば芹沢らしい。彼の律義さに、俺は目を細めた。


「そっか。俺はそいつと会った事はねぇけど……喜ぶんじゃねぇか? あんたが見舞いに来てくれたら」


「ははっ。だと、良いんだけどな」


 軽い雑談を交わしつつ、俺たちは車を降り、施設の中へと入っていった。無論、見舞い花の鉢を運ぶのは俺の役目である。芹沢に同行した本来の目的も、“荷物持ち”なのだ。誤って倒す事などが無いよう、両腕にはしっかりと力を込めた。


(それにしても……デカい花だなあ)


 見た目以上の重量感で顔をしかめる俺を尻目に、芹沢は白衣姿の男性と話し始めた。


「あいつはもう、歩けるのか?」


「ええ。眠っている間、全身の筋肉には6時間おきに、負荷と運動を施しておりましたから。頭部の外傷は既に完治、週に1度のEEG《脳波検査》でも異常は見つかりませんでしたので」


「どれくらいで、戻れそうなんだ?」


「少しずつ。遅く見積もっても、来月には組の方に復帰できるでしょう」


 白衣の男は、どうやら組員の“主治医”のようだ。そんな彼の説明を受けた芹沢は、すべてを聞き終わると満足そうに笑った。


「それなら、良かった。ケンスケが居ないと、シノギが捗らなくてかなわん。組長の碁の相手も、あいつじゃないと務まらねぇからなあ」


「ええ。本人も目覚めて早々、親分さんのお話をしてましたからねぇ」


「お? そりゃあまた、会うのが楽しみになってきたなぁ」


 ケンスケ――。


 それが組員の名前らしい。芹沢と主治医の会話によると、かつては村雨と頻繁に碁を打っていたとか。また、話しを聞く限りでは、なかなかに「稼げる男」のようだ。


「何階にいるんだ?」


「ご指示の通り、3階のいちばん奥の部屋です。ちょうど、経過観察が終わったところですので」


「そうか。苦労をかけたな」


「いえいえ、とんでもございません。それが私の仕事ですから」


 その間、俺は特に口を挟むことなく、鉢植えを運ぶことに集中していた。


「……」


 饒舌に語らう芹沢らと、その後ろを黙って付いてゆく俺。もしかすると「そのケンスケってのは、どんな奴だったんだ?」くらいは、尋ねてみても良かったのかもしれない。しかし、大人同士の話に水を差すのも無粋だと思った俺は、とにかく口を横一文字につぐんでいた。


「お前、娘さんとは上手くいってるのか?」


「いやあ、ぜんぜん駄目ですね。反抗期真っ只中で。父親の言う事なんか、まるで聞きやしません」


「困ったもんだな……そりゃ」


「まったく、最近の子供は何を考えているのか。さっぱり分かりませんよ。もはや、お手上げです」


 大人同士の他愛もない会話が繰り広げられるうちに、やがて俺達は大きなドアの前にやって来た。


「ここに?」


「左様でございます」


 主治医がドアノブに手をかけたところで、芹沢は俺に言った。


「涼平。悪いが、下の自販機でお茶を買ってきてくれないか? 釣り銭は全部、お前にやるから」


「ああ。分かった」


「俺は先に入ってる。なるべく、早く頼むぞ?」


 鉢植えを床に置いた俺は、芹沢から受け取った1000円を片手に、1階のロビーへと向かう。そこには一般的な飲料メーカーの自販機の他にも、カップ麺や菓子パン、たこ焼きやホットドッグなどの軽食を販売する台もあった。


 以前、何かのテレビ番組で「研究者は基本、職場で寝泊まりする。食う寝る暇を惜しんで研究に没頭するのだ」と、某大学の教授が偉そうに話していたが、どうやらここも例外ではないらしい。仕事があまりに多忙なため、食事は出来る限り、こうした自販機などで済ませる研究員が多いのだろう。


 そんな考察を展開しながら紙幣を投入して、110円の緑茶を買う。当時は消費税が5%だったので、大抵の飲み物は100円前後で買える時代であった。


(このお茶で、満足してくれるかな? 芹沢のオッサンは)


 釣り銭の890円を財布にしまい込み、俺は3階の部屋へと戻ってゆく。ドアが開いていたので、そのまま入室できた。すると、カーテン越しに話し声が聞こえてくる。


「驚いたなあ。もう、歩けるようになったのか」


「はい……医者は『リハビリが必要だ』なんて言ってますけど、今すぐにでもシノギに戻れますよ……俺は。じゃないと、3か月ぶりに起きた甲斐が無い」


「そいつは頼もしい。けど、しばらくは無理するなよ。昨日の夜まで、ずっと眠ってたんだから。いま、気分はどうだ?」


「絶好調ですよ。久々に、酒でも飲みたい気分ですぜ」


 “ケンスケ”なる男の声は、病み上がりとは思えぬほど活力に満ちていた。自分は生物学の知識が全く無いので、長期間の昏睡から目覚めた人間がどのような精神状態になるのか、詳しくは分からない。ただ、このように軽口を叩けるという事は、それなりに元気なのだろう。


「あはは。でも当分、酒は止めとけよ? お前、そのせいでこうなっちまったんだから」


「はい。組長オヤジにも叔父貴にも、それから組の皆にも、ご迷惑をおかけして。本当にすみませんでした」


「気にするな。俺を含めて、組の連中は皆、お前が無事で何よりだって思ってるよ。ただ、組長は……鼻息を荒くしてるけどな。『我が子分をあのような目に遭わせた者を必ず見つけ出し、この手で叩き殺してくれるわ!』って。お前、襲った奴に心当たりはあるのか?」


「ええ。あの時は、ベロンベロンに酔っ払ってましたが、記憶だけはちゃんとあって。俺、相手の顔を見たんですよ。この目で」


 話の内容から察するに“ケンスケ”は、酒を飲んだ帰り道で事件に遭ったようだ。


「あれは……弟分たちを飲みに連れ出した直後でした。他の奴らと分かれて、1人で歩いてた時に……前の方から、変な男が近づいてきたんです。たしか、夜の9時に近い時間帯だったかな。犯人はグレーのパーカーを着て、髪は金髪。とにかく目つきの悪い、けっこう若い男でしたね」


「そいつに、殴られたのか?」


「はい。すれ違いざまに、後頭部をゴツンと。一瞬でクラッと来て、意識が朦朧として……そこから先は、覚えてないです。気づいたら、ベッドの上で」


「なるほどな。ちなみにだが、お前。殴った男の顔を見たんだよな? そいつは、斯波一家の人間だったか?」


 数秒ほどの沈黙を挟んだ後、返答の声が聞こえてくる。


「分かりません。あ、でも。俺が知る限り、斯波にああいう奴はいなかったと思いますね」


「そうか。だとすると……やはり、犯人を捕まえて吐かせるしかないか」


「す、すんません。叔父貴のお手を煩わせてしまって」


「いいんだ。気にするな」


 カーテン越しに飛び込んできた芹沢と“ケンスケ”のやり取りはさながら、仲の良い兄弟だった。いつもより穏やかな舎弟頭の口調からは、組のナンバー2としての立場を超えて、本気で部下を心配して気遣う優しさが伝わってくる。実に、微笑ましい光景ではないか。


「……」


 ところが、俺は頬を緩めることができなかった。“ケンスケ”の口から次々と放たれる情報たちが、何故か己の心に引っ付いてきたのである。


 酔っ払ってた――。


 すれ違いざまに、後頭部を――。


 斯波一家の人間――。


 どの情報にも、既視感があった。まるで、自分が以前に体験していたような感覚。もしくは、同じようなシチュエーションで痛い目に遭った人間が、どこかにいたような気がする。


(犯人はグレーのパーカーを着て、髪は金髪……)


 断片的なキーワードを基にして、自分の記憶のアルバムを1ページずつ、たどってゆく俺。すると、次の瞬間。とある仮説が脳裏をよぎった。


「ま、まさか!?」


 推察の結果はあまりに恐ろしく、同時に、とてつもない衝撃を俺に与えた。それゆえ、思わず素っ頓狂な声が出てしまう。自分でも驚くほどに大きい声だったので、当然、芹沢には聞かれてしまった。


「ん、涼平。戻ったのか?」


「あ、ああ!」


「そうか。ちょうど良かった」


 俺の存在を確認した芹沢は、“ケンスケ”に告げた。


「この機会だから、お前に紹介するぜ。今度、村雨組うちの盃を貰うことになった麻木涼平だ」


「アサギ……リョウヘイ?」


「そうだ。腕っぷしもあるし、それでいて度胸もある、期待の新人だ。ほら、涼平。こっちに来て挨拶しな!」


 促された俺は恐る恐る、カーテンの向こう側へ歩みを進めてみる。


(マジかよ……)


 恐ろしい推察が、当たってしまった。


「お、お前は!?」


 カーテンの向こう側のベッドに寝ていた“ケンスケ”は、こちらの姿を視界に捉えるなり、ギョッと目を見開く。


 そう。彼は俺が初めて横浜へ来た夜、国道1号線の路上にて殴り倒した背広の男 = 里中さとなか賢介けんすけであった。あれから2か月もの間、まっとうな食事をとっていないのだろう。頬はこけ、腕は棒のように細く、痩せに痩せたガリガリの身体だった。


「ん? お前ら、知り合いか?」


 きょとんとした目で尋ねる芹沢に、里中は震える声で言った。


「し、知り合いも何も……叔父貴、こいつです! こいつが俺を襲ったんです! 3月1日の夜、俺はこの男に襲われて、金を奪われたんです!!」

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