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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第3章 盃のゆくえ
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極道として生きる重み

「俺の車で行こう。屋敷の門の前の、電柱の所に停めてあるからよ。助手席にでも、乗ってくれや」


 芹沢の愛車は、黒のスポーツカー。メーカーの創立50周年記念として製作され、この年の春に発売されたばかりのFR車。彼によると、環境性能が追求されているらしく、燃費もそれなりに良いと豪語していた。


「なあ、涼平。知ってるか? HANDAハンダが作った後輪駆動としては、実に29年ぶりの新製品なんだぜ?」


「へえ」


「こいつの馬力、どれくらいだと思う?」


「分っかんねぇなあ」


 やけに勿体ぶった調子で、芹沢は言った。


「聞いて驚くなよ……なんと、2リッターで250馬力だ!!」


「それって、すげぇの?」


「当ったり前だ。ノンターボでここまで出せる車なんか、国産じゃあ、そうそうお目にかかれねぇよ。フフッ。乗せてもらえる事を有り難く思うんだな」


「……そっか」


 スポーツカーどころか自動車について、それまで何の知識も興味も無かった俺。得意気に語られる蘊蓄うんちくに対しては、ただ適当に相槌を打ち続ける事しかできなかった。


「んじゃ、その……有り難く、乗らせて貰うぜ」


「おうよ!」


 俺は静かにドアを開けると、高級感が漂うシートに腰を下ろす。


 余談だが、この車は事前の注目度の割に商業成績が振るわず、国内向け販売台数は10年間でわずか2万台ちょっと、世界累計では約11万台という敗北的な低迷に終わった。それゆえ、買ったのは芹沢を含めた一部の車ファンということになる。


「よし。それじゃあ、行くとするか!」


 芹沢がアクセルを踏み、車は走り出した。発進して暫くの間、彼の口から次々と飛び出してくるのは、やはり車についての話題である。


「涼平。お前は、ハンダの創業者の言葉を知ってるか?」


「知らねぇなあ」


「そうか。『進化とは、自己批判の厳しさに比例する』。何が言いたいかっていうと、テメェの日頃の行いをきちんと省みて、テメェでテメェを戒められる人間ほど、物事を大成しやすいってことだ」


「ふーん」


 おざなりな返事をする俺とは対照的に、芹沢は笑顔だった。


「俺は何をするにしたって、いつも終わった後で『さっきのアレは正しかったのか?』だの『他に方法は無かったのか?』だの、ひたすら考える。で、その結果を踏まえて次に活かす。その繰り返しだぜ。最も、極道の稼業ってのは……そういう奴じゃねぇと、長生きできないからなあ」


 こちらに伝えてきたという事は、彼自身、その格言を普段から“座右の銘”にしているのだと俺は悟った。まさに自分に厳しく、組織内の規律や秩序を何よりも重んじる芹沢らしい思考ともいえる。


(まあ、心の片隅にでも置いとくか)


 そうしているうちに、車は商店街の真ん中に停まった。諸事情により具体的な地名・店舗名を記すことはできないが、ざっくり「中区某所」とだけ書いておく。


「着いたぞー」


「お、おう」


 促されて、俺は車を降りる。軽く背伸びをしながら、スタスタと歩く芹沢の背中を追いかけていくと、やがて1軒の店に入っていった。


「……ここは?」


「見ての通り、花屋だよ」


 フロア自体はさほど広くないものの、アジサイやキキョウ、カスミソウといった季節の花々が、至る所に置かれた店内。水が入ったバケツを倒さぬよう、俺は芹沢の後に続いてゆっくりと、なおかつ慎重に歩いていった。ところが、奥へ進むにつれてコスモスの鮮やかな香りが嗅覚を刺激し、何度もくしゃみが出そうになってしまう。


(ちくしょう。ムズムズするぜ……)


 花粉症やアレルギーの自覚は無かったが、あまり居心地の良い空間ではない。そっと、小声で芹沢に尋ねてみる。


「なあ、ここに何の用があるってんだ?」


「そりゃ、お前。決まってんだろ。花を買うんだよ。と、言っても……ここは普通とは、ちょっとばかし違う店だけどな」


「ん? どういうことだ?」


 少し、意味深な言い方に疑問を覚えた俺が深く考察する暇も無く、そこに店主がやって来た。少し小柄で、痩せ型の老人だった。


「これはこれは、芹沢の旦那。早かったですな」


「おう。予約の品、できてるか?」


「もちろんでございますよ。ただいま、お持ちいたします」


 店主は、駆け足で店の奥へと戻ってゆく。そして10秒も経たぬうちに、大きな鉢植えを抱えて戻って来た。詳細な種類こそ分からないが、黄、緑、ピンク、青と、カラフルな色彩が美しい花だった。


「こちらで、よろしいでしょうか?」


「良い。まさに、文句なしの仕上がりだぜ」


「お褒め頂き、光栄でございます。あの、恐れ入りますが、今回のお代の方は……?」


「ほらよ」


 芹沢が差し出したのは、1万円札。


「いつも通り、釣りは要らねぇよ」


「ヘへッ。恐れ入りますねぇ……」


「当然だ。あんたの店にゃあ、いつも世話になってるからな。そいつを使って、孫に何か食わせてやれや。じゃあな!」


 絵に描いたように下品な笑みを浮かべた店主に背を向け、芹沢はフロアを早歩きで戻っていった。


「あっ! ちょっと、待てよ!」


 取り残されぬよう、俺も慌てて後に続く。その際、床に置かれた鉢植えを両手で抱え上げるのを忘れなかった。それは想像以上に重く、ずっしりとした重量感が両方の腕に襲い掛かった。


「お、重いっ!」


「落とすんじゃねぇぞ? そいつは意外と高いんだからよ」


 やっとの思いで車の所まで運びきった俺は、芹沢に再び問いかける。


「ふう……さっきの店。『普通じゃない』って、どういう意味だ?」


「あそこはな、うちの組の大事な得意先なんだよ」


「得意先?」


「そうだ。まあ、これには深い事情があってだな……」


 芹沢は言った。


「俺たち極道は、花を出す機会がとにかく多いんだよ。冠婚葬祭はもちろんだが、組の襲名披露や事務所開き、ムショから出てきた奴へのご祝儀だったりと、年がら年中、色んな場面で花が飾られる。正式には、“ごと”っていうんだけどな。けど、最近では暴対法の影響もあって、業界で『スジモンに花を売るな!』って風潮が高まりつつある。刺青スミを入れた奴が敷居を跨ごうもんなら、即座に警察を呼んじまう店も少なくない。だから、貴重なんだよ。ああいう、極道相手に堂々と商売をしてくれる花屋は」


「……大変なんだな」


「物凄く大変だ。最近じゃ、ショバ代や用心棒代も取りづらくなってきた。パクられて刑事裁判になった時でも、被告が極道ってだけで、ムダに罪が重くなったりするし。これから、どんどん厳しくなっていくんだろうなあ」


 淡々と話してはいたが、その言葉の節々からは悔しさが伝わってくる。だが、その一方で芹沢は、こんな持論も語っていた。


「けどな。俺は、仕方ねぇと思ってる。極道になる、盃を交わすってのは、良くも悪くも『人の道を自ら外れて、一般社会から隔絶される』。つまりは『普通の人間じゃなくなる』のと同じだと、俺は考えてるんだよ。普通の人間じゃないからこそ、稼げる時にはタンマリ稼げるし、人の道を外れた“裏技”で、厄介事や面倒事を解決できる。でも、さっき言ったようなリスクも付きまとう。それこそが、盃の重さってやつだからな」


 盃の重さ――。


 どういうわけか、そのフレーズが心に響いた。経験者であり、酸いも甘いもひと通り味わいつくしたであろう芹沢の主張には、とてつもない説得力が感じられるのだ。


(俺はこれから、そいつを1つずつ味わっていくのか……)


 今、まさに自分が直面しようとしている現実の大きさを考えると、自然と言葉が出なくなってしまった。


「さて、辛気臭い話はここまでだ。次へ向かうとしようじゃねぇか。なあ?」


「あ、ああ……」


 浮かない俺の表情とは全く対照的に、ひどく晴れ晴れとした様子で、芹沢は鉢植えの花を後部座席の床に接地すると、俺を助手席に乗せて、エンジンを起動させた。


「涼平、便所は大丈夫か? ここから40分くらい、かかるぞ?」


「……大丈夫。問題ねぇよ」


「わかった。んじゃ、行くぞ」


 芹沢がアクセルを踏み、車は走り出した。


 商店街のメインストリートを駆け抜け、大通りへと出る。周囲を行き交う車の量が増えてきて、窓の外の風景も変わってゆく。しかし、俺は黙ったままだった。


「……」


 盃を交わす事への漠然とした不安が、少しずつ湧き起こり始めていた。


 昔の格言に「案ずるより産むが易し」という言葉があるように、本当は考えたところで、どうしようもない問題だ。頭を抱えるだけ、無駄というもの。にも関わらず悩んでしまったのは、きっと当時の自分が若かった、もしくは、未熟であったという事に他ならないだろう。


「おい、着いたぞー」


 目的地への到着を知らせる芹沢の声で、ハッと我に返る。どうやら、考え込んでいる途中で眠ってしまったようだ。あくびをして、軽く背を伸ばしながら、俺は外の景色をぐるりと見回す。


(ここは、どこだ……?)


 フロントガラスを通して俺の視界に飛び込んできたのは、3階建ての大きなビル。薄い茶色の外壁が特徴的で、どこか落ち着いた雰囲気が漂っている。自然と、建物上部の看板が目につく。


(……ん?)


 そこには、白地に太い黒文字で「横浜市立開発科学研究所」と記されていた。

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