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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第3章 盃のゆくえ
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暴力の使いどころ

「そこまでだ!!」


 突然、室内に大声が響き渡った。


 それまで興奮状態にあった俺は、魔法が解けたように我に返る。向かってきた嘉瀬を蹴りで迎え撃つべく、身体を横向きにして片足を伸ばそうと、構えたところであった。


「なっ!?」


 興奮が一気に冷めたのは、嘉瀬も同じ。恐る恐る背後を振り返り、そこにいた人物の姿を視界に捉えるや否や、顔色がサッと青ざめた。


「お、叔父貴……どうしてここに」


「聞きたいのは、こっちの方だ。嘉瀬、こいつはいったい何の真似だ?」


 やってきたのは芹沢。グレーのスーツに短く刈られた黒髪、と装いこそ普段と全く変わらないが、その表情はいつもよりも険しく、眉間には思いっきりしわが寄っていた。


「い、いや……これは、その……」


「お前、例の回収に行ったんじゃなかったのか? それがどうして涼平の部屋にいる? どうして、涼平を殴ろうとしてるんだ?」


「こ、これにはですね。な、何と、言いますか……その、ちゃんとした理由がありまして……」


「どういう理由だ? 組長の命令を後回しにできるくらいのモンなのか?」


 語気を強めた芹沢の追及に、嘉瀬はすっかり沈黙してしまった。


「……」


 話を聞く限りでは、俺を同行させるよう命じられたというのは嘉瀬の嘘らしい。組長の下知と言って俺を連れ出し、自らの舎弟たちと共に人気の無い場所で痛めつけるのが、本当のねらいであったようだ。


「ですが、叔父貴! 先に煽ってきやがったのは、コイツの方ですぜ?」


「手を出したのはテメェだろう」


「避けられたんです! 俺としちゃあ、軽い“教育”のつもりだったのに……」


 ――ドガッ!


 ほんの一瞬の出来事だった。嘉瀬の言い訳を遮るように、芹沢が彼の腹へとパンチを叩き込んだのである。その威力はあまりに絶大だったようで、嘉瀬は静かに崩れ落ちた。


「どんな気分だ? お前の大好きな“教育”だぜ?」


「お、叔父貴……俺は……」


「どんな気分だって聞いてんだよ!!」


 ――バキッ!


 うずくまっている嘉瀬の顔面に、芹沢のつま先蹴りが炸裂した。


「ぶはっ!!」


 サッカーにおけるロングキックの要領で蹴り上げられ、たまらず後ろにのけぞった嘉瀬。芹沢の靴の先端部が硬かったせいもあってか、鼻血を噴き出し、そのまま仰向けに倒れ込んだ。


「目が覚めたか。馬鹿野郎が」


「げほっ……げほっ……」


「これに懲りたら、もう2度と“教育”はやめておけ。今回だけは特別に見逃してやるが、次はぇぞ? お前が面白半分に目下の人間を痛めつけてるって話は、組長の耳にも入ってるんだからな」


「す、すみませんでした……」


 嘉瀬は芹沢に平謝りすると、血にまみれた口元を両手で押さえながら、そそくさと部屋を出て行く。彼の情けない後ろ姿はさながら、何か悪さをして親に叱られた子供そのもので、つい先ほどまでの威勢がまるで嘘のようであった。


「涼平、大丈夫か? ケガは無いか?」


「ああ。問題ねぇよ」


「なら良かった。しかし、あいつのパンチを避けるとは……お前も、大したもんだな。マトモに食らってたら、きっとタダじゃ済まなかっただろうに。危ない所だったぞ」


「え、そんなにすげぇのか?」


 芹沢は大きく頷いた。


「凄いとも。あいつは空手をやっててよ、高校の頃には全国で2位になってる黒帯持ちだ。たしか、今は5段だったか? 素手で鉄板に穴を開けたこともあるくらいの、まさに人を殴るために生まれてきたような野郎だ」


「マジかよ……」


「そんな実力者の攻撃を避けるなんざ、そう簡単に出来る事じゃない。やっぱり、お前には素質があるらしいな。他の奴とは違う、持って生まれた才能みてぇなモンが」


 空手道に長けているという嘉瀬の実力については、にわかには信じられなかった。あのパンチは俺でなくとも、避けられたのではないかとも思った。しかし、芹沢の話に尾びれが付いているとは考えづらい。彼は普段、滅多に冗談の類を口にしない男なのだ。


 いずれにしろ、実際に拳を交えて戦ってみない事には分からない。


(やっぱアイツ、それなりに強いのかな?)


 今後、嘉瀬を敵にまわす場面に遭遇した場合、いかにして対処すれば良いのだろうか。俺は武道経験者を倒した経験こそあるものの、嘉瀬は森よりも、はるかに喧嘩上手に見えてならない。互いに武器を持たぬ、いわゆる“ステゴロ”の状態だと、ますます分からなくなってくる。


(ひと筋縄ではいかねぇのか……うーん)


 非常に難しい戦闘シミュレーションが頭の中で展開されると、次第に心が熱くなってくる。困難な場面を想像すればするほど、そこに面白さを見出してしまう自分がいるのだ。


 ひょっとすると、想像以上に喧嘩が好きなのかもしれない――。


 暴力の価値と意義を知った幼年期、相手と場所を選ばずに暴れたために「藤見中のアサギ」の名が知れ渡ってしまった中学時代、そして横浜に来てからは、極道社会に片足を突っ込んでいる。


 嘉瀬同様、自分もまた「人を殴るために生まれてきた」ような存在なのかもしれない。絢華との日々で、少しは落ち着いてきたかのように思えたが、根本的な部分はどうも変わっていないようだ。その証拠に顔は熱さを帯びて、どんどん火照ほてってきている。


「……」


 そんな俺を見ていた芹沢は、少し苦い笑みを交えて指摘してきた。


「おい、どうした! 大丈夫か?」


「えっ」


「お前、顔が真っ赤だぜ? 具合でも悪いのか?」


 どうやら、頭の中がそのまま顔に現れてしまうのが己の性分らしい。心配そうにこちらを見つめる舎弟頭に、俺はありのままを説明する。


「いや、別に。ただ、ちょっと考えちまっただけだよ。嘉瀬とタイマン張って、どうやってブッ倒すかを」


「そうか」


 実直な性格であると同時に、やや心配性な面も持ち合わせている芹沢。己の抱いた懸念が杞憂だったことが分かると、ホッと安心したような表情を見せた。


「まあ、お前らしいな。組長も、その度胸と剛腕を見込んでスカウトしたんだ。これから盃を下ろして、正式に組に入れるのが楽しみだろう。けどな、1つだけアドバイスがある」


 そう前置きするや否や、芹沢は俺の前で右の人差し指をピンと立てて、話し始める。


「いいか。暴力を振るう相手と場所……それから、タイミングを決して間違えるな。極道になるからには、そこら辺はちゃんと考えてかなきゃならん。ただ闇雲に、わき目も降らずに大暴れすれば良いって考えてるなら、そいつは大間違いだ。暴力にも、使いどころってもんがあるからな」


「使いどころ?」


「ああ。要は暴力で解決すべき時と、そうじゃねぇ時があるって事だ。渡世で成り上がっていきたいなら、よく考えろ。テメェの感情のまま後先考えずに突っ走って、その挙句に周りが見えなくなって身を滅ぼした奴を……俺は、何人も知ってるからな」


 お前にはそうなってほしくない、と芹沢は語った。助言というよりは、釘を刺す忠告に近い。むしろ、諫めているようにも聞こえる。


(使いどころ、か……)


 いまいち、ピンと来ない。当時はまだ15歳そこそこで、将来の展望などは何ら考えていなかったこともある。だがそれ以上に、己の暴力の使い方に間違った点があるとは到底、思えなかったのだ。


 相手がムカついたから、殴る。


 自分の要求を呑ませるために、殴る。


 誰かを殴る行為自体が好きだから、殴る。


 いったい、これらの何がいけないというのか。村雨組に限らず、どの組織も所詮は「殴りたい!」という、暴力的な願望を抱く人間の集まりであるはずだ。だからこそ、世間は彼らに「暴力団」という名前を付けているのではないか。


 芹沢の言う事は、まるで理解できなかった。


「うーん。正直、俺には難しい話だな。暴れてる時に、いちいち『これは正しいのか?』みたいに考えたことなんて、1度もねぇよ。っていうか、考えてる暇が無い。相手を倒さなきゃ、こっちが倒される。それが喧嘩ってやつだろ」


「たしかにな。今は、そうかもしれねぇなあ。人生の中でも、いちばん『暴れたい!』って年頃だもんな。でも、いつかきっと分かる時が来る。それまでに、さっき俺が言った事をよく考えておけ。いいな?」


「……分かったよ」


「それで良い」


 満足そうに俺の肩をポンと叩いた芹沢は、床に転がっていたバッグを拾い上げて、こちらに手渡す。そして、腕の時計に視線を移しながら問うてきた。


「お前、このあとは暇か?」


「特に予定は無いけど」


「じゃあ、ちょっと付き合ってくれ。いきなりで申し訳ねぇが、行くところが出来たんだ。荷物を持つのに、人手が必要でよ。頼めるか?」


 彼曰く、他の組員はあいにく出払っているとのことだった。荷物持ちに駆り出されるのは面倒だったが、パスポートの完成をただ何もせずに待つのも、それはそれで暇が過ぎるというもの。俺は、静かに了承する。


「ああ。いいぜ」


「よし! そうと決まれば、さっそく出発だ!」


 軽快に手をパチンと叩いた芹沢に導かれるまま、何も考えずに部屋を出ていく俺。この時、彼から渡されたバッグに放り込んだ財布の中には、10万円近い現金の束が入っていた。

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