苦悩の中で見失っていたもの
本日より、第3章開幕です!
「どうすれば良いんだ……」
思案に暮れた。
村雨から、幹部・里中襲撃の犯人確保を命じられたわけだが、実際のところ、襲ったのは俺。初めて横浜を訪れた夜、当座の生活費を確保するために軽い気持ちで、路上強盗をはたらいたのだ。
まさか相手がヤクザ、それも横浜で最も恐ろしい組織の幹部であったとは、夢にも思わなかった。俺の行為に、弁解の余地は無い。普通であれば素直に事情を説明して、謝罪するのが正解だろう。
ただ、問題は里中の親分たる村雨組長が、想像以上に憤慨しているという事だった。彼は、自身の勢力拡大に不快感を示す斯波一家内の人間が、シノギの妨害を狙って犯行に及んだと思い込んでいる。
『里中を襲った者には、斯波の息がかかっていると見て間違い。何としても見つけ出せ!』
いつになく息巻いた村雨であったが、残念ながら真相は違う。
斯波一家の人間に会ったことすら無いのは勿論、俺は横浜に来るまで、ヤクザとの絡み自体が無かったのである。幼少期に親父が死んで以来、てんで御無沙汰だった。村雨組の名前さえ、高坂の件で初めて認識したくらいだ。
でも、正直に話したところで、分かってもらえるのか?
激怒されるような気がしてならなかった。きっと「何故、それをもっと早く言わなかったのか」と、糾弾されるだろう。村雨にしてみれば、己の子分を昏睡状態にした張本人が14日もの間、愛娘の世話係を務めていたことになる。火に油を注ぎ込む結果となるのは、目に見えていた。
かと言って、このまま隠し通せるのか!?
幾度も脳内シミュレーションを繰り返したが、それは不可能だった。今回の命令には「生きたまま捕らえよ」との注文も付いている。里中襲撃の犯人を捕縛し、村雨の前に引き出さない限り、終わらないのだ。
タイムリミットは、1か月。それまでに命令を達成できなければ、それはそれで厄介なことになるだろう。村雨組の盃が貰えなくなるだけならば未だしも、罰として「指を詰めろ」と言われたら、たまったものではない。それ以上の、厳しい罰を受ける可能性だってある。
最悪、殺される――考えただけで、鳥肌が立った。全身の毛がよだち、足の先端から指先にかけて、ガタガタと震えが止まらなくなる。決してジョークの類ではない、本物の恐怖というものを俺は、久々に味わってしまった。
どうやって、この状況を乗り切るか……。
しかし、いくら知恵を絞って考えても、まっとうな打開策は見つからなかった。浮かんでくるのは、自分を待ち受ける悲惨な未来図のみ。幹部襲撃の犯人として、酷いやり方で拷問を受けた後に、殺される。そんな恐ろしい光景をいったん想像すると、しばらくは他の事が手につかなくなる。
くそっ!
マジで、どうすりゃ良いんだよ!
何も動き出せず、そして何も考え出せないまま、無情にも時間だけが淡々と過ぎていった。そんな、ある日の朝。俺の部屋に来訪者があった。
「麻木君、大丈夫ですか?」
数回のノックの後で入室してきたのは、秋元。どうやら彼女は、3日ほど自室に引きこもって姿を見せなかった俺を心配し、様子を見にきてくれたらしい。
「あ、ああ……」
「だいぶ、疲れているようですね。ご飯、ちゃんと食べてますか? 夜は眠れてますか? 組長から“秘密の仕事”を命じられたと聞きましたが、食事と睡眠だけは、しっかり取らないと」
強ばった頬を少し緩めて、俺は答える。
「……大丈夫だ。心配いらねぇよ。飯はモリモリ食ってるし、たっぷり寝させてもらってるから」
「そうですか? その割には、ここ3日間、台所で姿を見かけませんでしたね。おまけに目の下には、くまが出来ていますが」
「……」
沈黙せざるを得なかった。気を遣わせるまいと、敢えて強がってみせたのだが、秋元には通じなかったようだ。組長の邸宅で、家政婦として働いてるせいか。彼女の観察眼の鋭さと、並外れた洞察力の高さには毎度の事、感服させられる。
この人には、敵わねぇな。
まったく。
一方、秋元は俺の肩に静かに手を置くと、優しく語りかけてきた。
「麻木君。ちょっと、外へ出ませんか? 新鮮な空気を吸って、リラックスしてみましょうよ」
思えば、シャワーを浴びる時と便所に行く時くらいしか、部屋の外へ出ずに過ごしていた。廊下へ出た際に組長とバッタリ出くわして「進捗状況はどうだ?」などと尋ねられるのが、怖かったのかもしれない。少しは気分を入れ替えてみるのも、良いと思った。
「……わかった」
水無月の横浜は梅雨の真っ最中で、海から吹く風も相まって、外を歩けばジメジメとした空気感に包まれる。この日の天気は、あいにくの曇り空。雨こそ降っていないものの、散歩をするには若干の物足さをおぼえた。
「どうです? こうして歩いてみると、心地よいものでしょう?」
「まあな」
秋元と肩を並べて、住宅街の中をゆっくりと歩く。すると、張りつめていた気持ちが、どういうわけか自然とほぐれていった。やはり、外の空気に触れる事にはリラックス効果があるようだ。辺りをゆっくりと、見渡してみる。
なかなか良い所じゃねぇか……。
屋敷を出てすぐの三叉路にも、だいぶ見慣れてきた。地元では、あまり見かけない地形である。村雨組で働き始めた当初は「何だこりゃ!?」と奇妙に思っていたが、今や大して戸惑いは覚えない。自分の心が、横浜に慣れてきたという事なのだろうか。
そんな感傷に浸っていると、不意に秋元が言った。
「……実は、今日の夜。出発するんです」
主語と修飾語に欠け、いまいち分かりづらい文章であるが、俺は瞬時に理解した。
「えっ? マジで?」
「はい。本日の羽田発の最終便で。フライトの時間と、向こうに着いた時の時差を考えたら、どうしても夜になってしまうんです」
秋元の口から、突如として飛び出した「出発」の2文字――。
それは、絢華がアメリカへ旅立つ日付が、本日であることを表していた。振り返ってみると、たしか村雨組長もそのような旨を語っていたはず。
完全に思い出した。犯人捜しにかまけて忘れてしまっていた自分が恥ずかしくなってくる。同時に、心の中にはどこか焦りのような感情も湧き起こった。
「じゃあ、絢華と話せるのも今日が最後ってことか?」
「ええ。手術前では」
村雨の話では、2か月は日本に戻れないと聞いていた。
「だったら、すぐに戻らねぇと!!」
目の前の問題に悩み過ぎていたせいで、俺は大切なことを見失っていた。この3日間は本来、絢華と過ごすべき時間だった。それをあろうことか、自室で頭を抱えることに費やしてしまったのだ。
何をやっていたのか。即座に踵を返し、屋敷への道を足早に戻り始めた俺。もちろん、背後から秋元も付いてくる。
「お嬢様も心配しておいででしたよ。麻木君が、ずっと部屋に閉じこもっている事に。『具合でも悪くなったのか』って、ここ3日は落ち着かないご様子でしたね」
「だよな……」
「当然です。お嬢様は、麻木君を心の底から頼りにしておられるのですから」
曰く、俺を散歩に連れ出したのは、その事に気づかせる意図もあったという。外の空気に触れて気分を一新したところで、本題を切り出す。そうすることによって、忘れていたことが瞬時に思い出されるのだそうだ。
「とにかく、早く行ってあげてください。お嬢様がお待ちですので!」
秋元に背中を押された俺は足早に屋敷の門をくぐり抜けると、玄関へ駆け込んでいった。




