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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第2章 ふたりの異端者
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絢華の笑顔

「……あれ、絢華? どこ行った?」


 俺が“おかしさ”に気づいたのは、いつもはひっきりなしに通知音が鳴るはずのトランシーバーが静かだったからだ。普段であれば30分に1度は呼び出しがあり、無理難題をあれこれ押しつけられるというのに。


 もしかして、何かあったのだろうか――。


 妙な胸騒ぎを覚えつつも、俺は作業を中断して絢華の部屋に向かった。時刻は午後5時過ぎ。しかし、ドアを開けて入ってみてもそこに彼女の姿は無し。さらには、車椅子までもがいなくなっているではないか。


「おいおい、マジかよ」


 悪い予感が当たってしまい、胸の鼓動が一気に早鳴った。どうにか心を落ち着かせながら、慌てて屋敷の通用口へと向かう俺。


「えっ……!?」


 通用口の扉が開いている。俺のような部屋住みや雑用の下っ端組員が出入りするのに使われるのだが、どうやら絢華はそこから外に出てしまったらしい。彼女に車椅子の両輪を自力で押す力があったことには驚いたが、問題はそこじゃない。か弱い女の子が、1人で外に出てしまったことだ。


「や、やばい!!」


 次の日には組長が帰ってくる。もしも絢華の身に何かあったとなれば、俺はそれなりの“落とし前”をつけさせられるだろう。そうなったら、どんな目に遭わされるか分かったものではない。


 頼むから、その辺に居てくれ――。


 考える間もなく、俺は全速力で外に飛び出す。どういうわけか、絢華の行った先には心当たりがあったのだ。


 屋敷を出てすぐに三叉路に差し掛かったが、中央のブロックの家からは、楽しげな声が聞こえている。時間的に、家族団欒の声だろうか。カーテン越しに、幼い我が子を抱き上げる父親の姿が見えた。


(……いけない。今は見とれてる場合じゃねぇな)


 刹那的なノスタルジーに包まれた自分に喝を入れ、俺は絢華の捜索に集中した。曲がり角に差し掛かるたびに、彼女が考えそうな事を思い浮かべて、その方向へと足を進める。そうしてしばらく走り続けていると、やがて高台にある公園に辿り着いた。


「おっ!」


 敷地内の最も奥のブランコの前に、俺は絢華の姿を見つけた。


(……心配させやがって)


 幸いなことに、特にケガをしたような形跡は見受けられない。遊具の前に居ながらも、ぼんやりと佇むだけ。そんな彼女にゆっくりと近づいた俺は、それまでに羽織っていた黒いパーカーを脱いで肩にかけてやった。


 その瞬間、絢華のため息が聞こえる。まるで、1人の時間を邪魔されたことを少し不満に思っているような様子だった。


(ったく。ため息をつきたいのは、こっちの方だぜ。このじゃじゃ馬娘め)


 苛立った気持ちをグッと抑えた俺は、静かに言った。


「お前、よくここまで1人で来れたな。すげぇじゃん」


「……」


「俺もガキの頃、よく親父に連れてきてもらったよ。こういう公園に」


「……」


 目線を合わせ、隣にしゃがみこんでも、絢華は何も口を開かない。だが、俺はそれでも、言葉を繋いでゆく。


「連れられて来た公園で何をするかと言えば、いつも決まってかくれんぼか鬼ごっこだった。まあ、俺と親父の2人しかいないねぇから、すぐに決着がついちまうんだけどな。親父は俺の為に、わざと見つかりやすいところに隠れたり、遅く走ったりして。手加減してくれてたよ」


 公園に吹く夜風が、そっと俺たちの頬を撫でる。


「傍から見たら、さぞ馬鹿馬鹿しい風景だったろうよ。あんなもの、勝負事でも何でもないからな。でも、俺は家でファミコンを1人でやるより、そっちの方がずっと楽しかった。何でか分かるか?」


「……さあ」


「あの頃は『親父が自分と遊んでくれる』ってだけで、最高に嬉しく思えたんだよ。やる事は何でも良かった。ただ親父と同じ時間を過ごすだけで、俺は心が満たされていたんだよ」


 俺は絢華の正面にまわると、瞳をジッと見つめながら問いかけた。


「お前、思い出してたんだろ? 親父さんと、この公園で遊んだ昔を」


 少し前に俺は秋元から、まだ絢華が幼かった頃に村雨組長が彼女をこの公園に連れて来ていた話を聞かされていたのだ。その際によく遊んだというのが、この古びたブランコ。木製の座版に腰を下ろして後ろから組長に勢いよく押してもらい、大きく揺れて風を切る感覚を楽しんでいたとのこと。


「なあ、教えてくれよ。どうしてお前は、その……親父さんを遠ざける? たしかに血は繋がってねぇし、親子になったきっかけも、決して良いとはいえねぇけど……」


「聞いたの? あの人と私の、本当の関係を」


 こちらの問いかけを遮るように、低い声で逆質問されてしまった俺。嘘をついて下手に隠すわけにもいかないので、静かにコクンと頷く。


「……ああ。親父さんから、直接な」


「そう。あの人も、ずいぶんとお喋りね。あなたみたいなチンピラにまで話すなんて」


「でもな? 親父さんは、お前のことを何よりも一番に考えてるぞ。お前の幸せを願って、たとえ自分の命を張ってでも、お前のことを守り抜く覚悟がある。俺はそう思うぜ?」


 すると、視線を下に向けたまま、絢華は吐き捨てるように言った。


「要らない。こんな私に生きてる価値なんか、無い。出来ることなら1日でも早く、死んでしまいたい。こんな人生、さっさと終わりにしたい!!」


「……どうして、そう思うんだ?」


 絢華は語り始めた。


「私の人生は、ずっと惨めで辛い事の連続だった。2歳の時に両親を殺されて、その犯人に引き取られて、成長したら周りに『ヤクザの娘だ』って怖がられて、煙たがられて……今まで、友達も彼氏もできなかった。だから、決めてたの。中学を卒業したら、家を出て、あの人と縁を切って、自分の力だけで生きていくって。でも、出来なくなった。あの人が勝手に始めた抗争に巻き込まれて、こんな身体になったせいで!!」


 周りに距離を置かれて、遠ざけられる痛みは俺にも理解できた。


 何せ、己の父親もヤクザだったのである。不良になる前も、学校で色々と理不尽な目に遭ったりもした。すべて「ヤクザの子」という、単純ないわれだけで。しかし、絢華の場合は俺よりもずっと、悲しみを抱えてきたようである。


「だからもう……これ以上、苦難が降りかかる前に……終わりにしたいの。そうすれば、お父様に迷惑をかけることもない。私の体、内臓が殆ど機能してなくて『このまま放っておけば20歳を迎える前に死んでしまうだろう』って医者は言ってた。だから、アメリカで手術なんか受けないで、いっそのこと……」


 ようやく、俺はすべてを悟った。絢華が手術を拒んでいるのは、決して「怖い」からではなく、己の人生を悲観して「もう死にたい」と、望んでいるからなのだと。だが、彼女は湘南の海で確かに言ったのだ。


『アメリカには、いつかは行かなきゃいけないでしょうね。いまの身体を治すために』


 心のどこかに、まだ生きてみたいという希望があるのだろう。絢華は未だ生きることを諦めきれずにいるようだ。それにやはり、父親のことも心の底から嫌っているというわけではないらしい。


(だったら……)


 腹を決めた俺は、堂々と彼女に向き合った。


「これから、一緒に乗り越えてみようぜ。その、苦難ってやつを」


「は?」


「実は俺、人生はある意味『ゲーム』だと思ってるんだよ」


 目を丸くした絢華。俺は、少ない知恵と語彙力をフル活用して、必死に言葉を選びながら続ける。


「人間、生きてりゃ誰だって面倒な事や厄介な事、辛い事が次々と襲い掛かってくるもんだ。そいつらを1つ1つ解決して、突破して、攻略していく。みんな、その繰り返しだよ。だから、お前の人生だって……悪くないと思うぜ。今まで、色んな辛い事を乗り越えてきたんだろ? なら、この先も続けていけば良いじゃねぇか」


「リタイアするには、まだ早いって言いたいの?」


「そうだ。お前は『自分がこの先も、辛い目に遭い続けるんじゃないか』って怖がってるけど、それは誰だって同じだぜ? 明日に何が起こるかなんて、誰も分かっちゃいないんだ。みんな不安を抱えながら、それでも訪れる明日を受け入れて、襲ってきた苦難と戦いながら、がむしゃらに前へ進んでるんだよ。それにな……」


 ひと呼吸を置く。公園前を通った車の、なめらかな駆動音が聞こえる。


「絢華は1人じゃない。お前の側には、いつも秋元さんがいるし、芹沢のオッサンや廣田、ほかの組の連中だっている。みんな、お前の味方だぞ。みんな、お前が苦難を乗り越える力になろうとしてるんだ。もちろん、親父さんだって」


 絢華は、そっと目を閉じた。


「……」


 そして、ぼそりと呟くと共に息を漏らす。


「何よ。知った風な口を聞いて……」


 ところが刺々しい言葉とは裏腹に、声色はいたって穏やかだった。


「……でも、私にこんな事を言ってくれたのは、あなたが初めてかもね。ありがとう」


 きっと、養父の村雨組長や、秋元をはじめとする周りの者たちだって本当はそう思っているはず。だが、本人への遠慮から言えずにいたのだろう。


 何故、自分が絢華の世話を任されたのか――。


 その理由が、改めて実感できた。


「おう」


 軽く返事をした俺は、絢華に背を向けるとスラックスの左ポケットから取り出したタバコに火を付ける。心が通じ合えた喜び以上に、照れくささが気持ちを支配したのだ。


(やばい。すっげぇ、ムズムズする)


 だが、心地よい。それまで他者との関わり合いを避け、周囲に壁を作るようにして生きてきた俺にとっては久々に味わう心地よさである。


「……ッ……」


 タバコの先端部が焼け焦げる音に混じって、不意に声が聞こえてきた。


(何だ?)


 ふと、後ろを振り返った俺は、思わず声を上げてしまった。


「絢華……」


 彼女が泣いていたのだ。わずかに赤らんだ頬の上を涙のしずくが、流れるようにつたってゆく。俺は、何も考えずに右のポケットからハンカチを取り出し、渡してやった。


「ほらよ」


 絢華の涙の理由については、あえて聞かない。瞳を濡らす女性に説明を求める行為が、ひどく無粋に思えたからだ。


「あ、ありがと、う」


 泣き崩れる絢華と、無言でタバコを吸い続ける俺。それからしばらくの間、2人だけの時間が陽が落ちた公園に流れていた。


「……そろそろ、帰るぞ。もうすぐ飯の時間だし」


 俺は車椅子のハンドルを掴むと、ぐるりと向きを変えて歩き出す。腕時計を見ると、もうすぐ午後7時をまわろうとしている。


「ねえ。1つ、聞いていいかしら?」


 公園を出て、長い下り坂を降りている最中、少し落ち着いた絢華が問うてきた。


「いいぜ」


「あなた、さっき『みんな、お前が苦難を乗り越える力になろうとしてる』って言ったよね?」


「ああ。言ったな」


「その『みんな』の中には、その、あなた自身も入ってる?」


 俺は一言で答える。


「もちろん。入ってるぜ」


「そう。そ、それなら、良かった」


 いつものハッキリとした物言いとは対照的に、どうも滑らかではない絢華の口調。若干の違和感を覚えながらも、俺は歩みを前に進め続けた。それから、何メートルか進んだ時。


「ねえ!」


 またもや、絢華が口を開いた。


「ん、どうした」


「これからも……てくれるかしら」


 途中の部分がモゴモゴして聞き取りづらかったので、聞き返す。


「ん、何だよ」


 すると、彼女は大きく息を吐いた後で少し声のボリュームを強めて言い放った。


「これからも、私のそばにいてくれる?」


 いきなり、大声で何を言い出すのやら。一瞬、吹き出しそうになりながらも、俺は穏やかに答えた。


「ああ。いてやるよ。これからもな」


「ずっと?」


「もちろん」


 本当のことを言えば、“ずっと”いられるかどうかは分からない。自分はいつか、正式に村雨組の組員となる。そうなった場合、現在の世話係の役を解かれるかもしれないのだ。また、あくまでも可能性であるが、組の盃を貰う前に何らかの理由で、命を落とす未来だってあり得る。考えたくはないが、ヤクザの世界に身を置くことは常に死と隣り合わせの環境で生きることなのだ。


(悲しいけど、それがヤクザの運命さだめなんだよな……)


 一方、俺の返答を聞いた絢華は、少し間を置いてから漏れるようにホッと息をついた。


「……良かった。勝手に消えたら、許さないんだからね。あなたには、きちんと責任を取ってもらうから」


「責任? どういう意味だ?」


「さっきの言葉。一緒に、乗り越えてくれるんでしょ? 私の『人生』ってゲームを」


 俺は、快く返事をする。


「もちろん。何だって、ぎ倒してやるよ。お前の人生を邪魔するモンは」


「……うん」


 帰路につく俺たちの頭上には、満月が紅色の輝きを見せ始めていた。

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