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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第15章 血まみれの天使
256/261

プロポーズ

 爆発した車が激しく燃え上がる。屋敷の内外が騒然とする中、俺は一目散に現場へ走った。


「無事かーッ!?」


 総帥側近の立場から云えば旧御七卿の親分が身罷ろうが構わぬことで、むしろ歓迎すべきことだというのに。昨年の戦争で己の理想を託した男だけあって気にせずにはいられなかったのだ。


 煙を上げる駐車場にて、俺は膝を屈した背広の男たちを見渡しながら叫ぶ。すると、俺の前に黒煙で頬を汚した男が現れた。


「麻木次長」


三淵みつぶちさん! 御曹司は大丈夫か?」


「ああ……何とかな」


 この日、親分に随行し本家を訪れていた三淵みつぶち史弥ふみや。彼が顎で指した方向に秀虎は座り込んでいた。


 爆発したタイミングが車へ乗り込むより少し前だったために難を逃れた模様。全身をわなわなと震わせてはいるが、まずはひと安心といったところか。


 胸を撫でおろし、俺は三淵に言った。


「九州勢の仕業である可能性が高いな」


「おそらくはな。そうでなければあまりにもタイミングが奇妙すぎる」


 淡々と述べた三淵に向けて俺は頷く。なるほどな。つまり、秀虎が本家へ意見伺いへ出かけたことは連中の思う壺であったというわけか……しかし、何とも分からない。


「湯岡とかいう奴はどうしてる?」


 当人が本物かどうかは別として、敵の勢力圏のド真ん中で事を起こすなどあまりに迂闊すぎよう――されども三淵は吹き出した。


「ああ、ここへ来る前に始末しておいた。もっと言うとトランクには奴の首が入っていたのだ」


「何?」


 この爆発で黒焦げになったことだろう。ゆえに我々を訪ねてきた男は湯岡本人ではないと見て良い」


「おいおい。そいつを殺して良いか、総帥に仰ごうと出張ってきたもんだと……」


「ふんっ、そんな当たり前のことを尋ねて何とするのだ。シマへ踏み入ってきた敵方の幹部など、殺す以外に道は無いだろうに」


 銀座の屋敷を訪ねてきた湯岡と名乗る男を先んじて射殺していたという三淵。「それならそうと秀虎さんに伝えておくべきだ」と俺が顔をしかめると、彼は平然と言ってのける。


「俺の株が上がるだろう。『そんなこともあろうかと』という台詞と共に親分の至らなさをカバーした方が」


「……私欲のため親分にみすみす恥をかかせるとは。相変わらずゲスな男だな」


「その親分が恒元公に無能扱いされている現状にあっては、せめて子分だけでも『デキる奴がいる』と思わせなければ組の顔が立たぬというもの」


 敢えてか、あるいは偶然か――矢鱈やたらと大きな声で言い切った男に俺は舌打ちを鳴らす。しかしながら、反論はしなかった。何せ秀虎が演じる醜態の数々は、昨今の業界内で嘲弄の的になっているのだから。


 理事会で議論が繰り広げられている時にはまったく発言をしないどころか、居眠りに耽っている。加えてシノギは子分達に任せきりで、おまけに何をするにも母の淑恵の顔色を窺う始末と専らの噂だ。


 言葉を選ばずに評すれば、徹頭徹尾『坊や』といった気風が抜けない。そんな男に世を変える夢を託した俺も俺だが、極道としては愚物と云う他ない御曹司だからこそ為せることもあろうと信じている。


 ただ、本音を申せば秀虎には少しばかり稼業の男らしさを身に着けて貰いたい――口にこそ出さぬものの心の底でそう願っていたこともあり、俺は三淵の言葉を黙って聞き流した。


「……」


 その時、両頬をすすで真っ黒に染めた秀虎が近寄ってきた。何はともあれ無事だったのだから言うことなしか……などと感心していると、俺の目の前に立つや否やにっこりと笑った。


「わざわざ心配して見に来てくださったんですか、麻木次長。ご覧の通り、僕はピンピンしてますのでお気になさらず」


 すると三淵が苦い顔で口を開く。


「何をヘラヘラと笑っておられますか。五代目。あのような目に遭われたのですよ、もっと凛となさいませ」


 苦笑いで「別に良いじゃないか」と応じた秀虎に三淵はなおも食ってかかる。


「良くありません! あなたは眞行路一家の五代目なのですよ! もっと自覚を持ってください! そもそも先ほど爆発が起こった際、刀を落としたではありませんか! 虎の名を戴くお方がそのような軟弱ぶりでは困ります! 『右近衛大将貞宗』は平安時代より幾多もの豪傑を斬ってきた名刀なのです! 少しは相応しい器量を磨かれませ!」


 そう諫言をぶつけた後、三淵はため息を漏らした。


「まったく……この三淵みつぶち史弥ふみや、今日は悲しゅうございましたぞ。命を賭してお仕えするお方が、たかが爆発ごときで動揺して刀を落とそうなどとは。あなた様の兄、輝虎であれば一時も落ち着きを欠くことなく地に足を付けて立っていたことでしょうな」


 確かに、極道の棟梁たる男が敵の襲撃を前にして怯え竦んでいたようでは見栄も何もあったものではない。ましてやここは中川会の総本部で他の組の目もある場所だけに、背筋を伸ばして凛と振る舞うべきだった。三淵の叱咤は、俺から見ても一理ある。


 秀虎も思考では十分に理解していたのか。「あ、ああ」と頷いて言葉を返した。


「すまない、三淵。自分の命可愛さに浅はかな行動をとった。君の言う通り少しは……父や兄のような振る舞いが出来るよう努力するつもりだ」


「何卒よろしくお願い申し上げます。皆、あなた様に命を預けているのです。その意味を今一度しっかりとお考えください」


 それから二人は生き残った他の組員と共に宮殿の中へ入り、総帥に無事だった旨を伝えて陳謝。幸いにも運転手を含めて全員が車から出ていた状況だったため、皆が無傷で事なきを得た。恒元からも「お前が何とも無くて心より安堵している」との言葉を賜り、秀虎は素直に嬉しそうな顔をしていた。


「僕も極道の世界へ飛び込んでから随分と経ちましたから。そろそろ、その器量というものを父や兄のように身につけられたらと思います」


 まったく呑気なことだ。総帥の御前なのだ。本来なら『総帥のお庭を荒らした不埒な賊党を即刻血祭りに上げてご覧に入れます』と虚勢を張るのが正解であろうに。


 帰り際、またも秀虎に「少しはご自分の立場というものを……」と説教をぶつける三淵に、俺が同情の念を抱いたことは語るに及ばす。先ほどは不遜な物言いをしていたが、全ては組のためを思っての行動だろう。


「ああ、そうだね。でも、あんまり野心を露にしすぎるのもよくないんじゃないかなあ」


「野心ではなく一直参として当然の振る舞いです! 貴方様はそれさえも出来ていない!」


「う、うん……」


「まったく、これでは名剣が泣きますぞ!」


 二人が帰った後、窓の外を見やりながら恒元が呟いた。


「爆発で粉々に吹き飛んでおれば良かったものを」


 この男の御七卿嫌いも筋金入りだ。かつては関東博徒の専横に為す術が無かったことを思えば自然の至りであるが。


「まあ、あのように愚鈍であれば謀反を起こす能も無いな。ふふっ」


 そう下品な笑みを発した総帥は今日もおたのしみ中だ。彼にはべっているのは首輪付きの鎖で繋がれた女たち。彼女たちは主人の命令で裸のままゆかひざまずかされている。誰もが艶やかな肢体を持った美女ばかりだ。


 そのうちの一人が恒元の男根を一心不乱に舐めている。他の女たちは。その光景を眺めながら自分も早くあの立場になりたいとでもいうように熱っぽい眼差しを送っていた。恒元は口技が上手な女の頭を撫でつつ、満足気に微笑んでいる。


「ほれほれ。もっと舌を使うのだ。我輩をよろこばせてみよ」


「はいっ……」


 女が必死に奉仕をする。その姿はとても美しく扇情的だった。俺は見慣れているので特に思うところは無いが、初めて見る者はきっとその痴態に釘付けになるに違いない。


「おおっ……良いぞ! そのまま続けるのだ」


「はぁあんっ」


 恒元の肉棒をしゃぶる女が嬉しそうに悶える。


「くっくっくっ。良い声だ」


 恒元が笑った。まるで玩具を与えられた子供のように無邪気な表情だ。恒元は女性を痛めつける遊びを何より好む。単なるセックスでは快楽を感じぬようで、力任せに凌辱してこそ彼は興奮するらしい。女性たちはそんな彼に愛撫されたり、殴られたりと様々なやり方で弄ばれている。しかし、それでも尚忠誠を尽くそうとする彼女たちを哀れだと俺は思った。


「あふっ……あふっ……」


 やがて疲れたのか、女が恒元の陰茎を唇から離した。宮殿で暮らす妾たちは皆誰しも、元は娼館とは縁の無い一般人だった者ばかり。恒元に見初められて連れ去られた女もいれば、自ら志願してきた女もいるが、どちらにせよ奴隷の境遇に身を落とした者ばかりである。皆の本当の心を俺は知らない。ただ確かなことは、彼女たちの行く末は悲惨なものとなることだけだ。この世は弱肉強食。強き者が弱き者を虐げる世界。悲しいかなそれが現実なのだ。いつか打ち破ってやりたいが、今はただ傍観する他ない。


「どうした? もう終わりなのか? やっぱりお前は駄目だな。まだまだ鍛錬が足らぬ」


 恒元が呆れたように言った。恒元は自分の好み通りにならない者は容赦なく切り捨てる冷酷な性格をしている。もちろん俺はそんな奴だからこそ使えると思っているわけだが。


「すみません……」


 女の一人が涙目で詫びる同時に、別の女が前に進み出てきた。


「私なら上手にできます!」


 女が自信ありげに宣言すると恒元の股間へ顔を寄せていく。


「ほう。そうか?」


 恒元は試すように問う。彼女はこくりと小さく首肯すると舌を突き出して先端部を刺激し始めた。ちろっと出されたピンク色の可愛らしいベロが亀頭を這い回るたびに先走り汁が溢れ出す。それを彼女は美味しそうに啜っていた。男根全体が唾液に塗れて光沢を帯び、徐々に硬度を増してゆくのが分かる。女もそれを感じ取ったのか、ますます興奮した様子で行為に没頭していた。


「ふふっ。なかなかのものではないか」


 恒元が満足げに笑う。そして左手で彼女の頭を掴み引き寄せると、喉奥まで咥えさせるように押し込んだ。


「んぐぅ!?」


 突然の出来事に戸惑う女だが、逆らうことは出来ない。恒元の暴力性を理解しているためだ。彼の命令ならばたとえ死ぬことになろうとも従わなくてはならない。それがどれほど強烈であってもだ。たとえそれが命を奪いかねぬものであっても――やがて女は恒元の体から離れた。呼吸が苦しくなり、反射的に総帥を突き飛ばしたのだ。


「ゲホッ……ゲホッ……」


 辛そうに咳き込む女。されど、その行動を帝王が快く思うはずもない。恒元はゆっくりと立ち上がり、女に歩み寄っていった。女は怯えたように後ずさりするが、瞬く間に押さえつけられた。両腕をガッシリと掴まれてしまった。


「無礼者め」


 恒元が怒気を孕んだ声でなじった。当然のことながら女の顔面は蒼白となっている。


「申し訳ありません……」


 震える声を上げるが、相手は暗黒の帝王だ。恒元は片手で女の後頭部を鷲掴みにしたかと思うと、無理やり口を開かせて指を突っ込んだ。二本の指を使って喉の奥をいじり始めたのである。


「むぐぅ! むぐぅぅぅ!!」


 女が泣き叫ぶがそんなことは帝王の知ったことではない。そのまま戯れを続けると、女は次第に青くなっていった。やがて黄色の吐瀉物が床を汚した時になってようやく解放される。彼女は苦痛と恐怖で動けなくなっていた。その様を見て恒元は楽しそうに哄笑した。


「ふっはっはっ! 見事な芸当であった! 褒めてつかわす!」


 他の女たちも恐怖で体を縮こまらせていた。恒元の気きまぐれな嗜虐性を知っているからだ。やがて恒元は全裸のまま俺に言った。


「涼平。徳川の幕府が何故に崩れたか、分かるか」


「……え?」


 俺は一瞬、彼が何を言っているのか分からなかった。されども適切な返しをする以外の選択肢は無い。


「島津や毛利といった力のある大名を統制しきれなくなったからだと思います」


「うむ。では、何故に統制しきれなくなったか?」


「彼らを抑えるだけの軍事力を持てなかったからだと思います。数の上でこそ倒幕派を上回っていましたが、彼らは旧態依然とした体質を捨てられずにいた」


 すると恒元は首を横に振る。


「それもあるが、我輩は徳川幕府が崩れた根本たる理由は人材の枯渇だと考えている」


「えっ?」


 俺は思わず素の声で返してしまったが、すぐに我に返って咳払いした。


「人材の枯渇……でございますか」


「左様、大老の井伊直弼が体制に迎合しない者どもを一掃した時に幕臣まで殺したのが誤りだ。尊攘派を掃討したのは良かったが、能ある幕臣までをも『一橋派だから』という理由で一緒に粛清したことで、却って幕府の衰えは進んだ」


 フランス生まれの恒元が幕末の歴史について詳しいことに俺は驚かされた。確かに井伊直弼の暗殺後、幕府は急速に弱体化し島津家の台頭を抑止できなくなったのだ。


「あの折、幕府に賢い幕臣が少しでもおれば、文久の改革は無く、島津との関係も安政以前のままだったと我輩は考えている。要するに粛清をするにしても度が過ぎてはならぬということだ」


 結局、こう云いたいのだろう。総帥の心の中を探り当てるかのように俺は意見を具申した。


「いずれ、遠からず、御七卿に代わる新たな戦力を作らねばなりますまい……その第一歩として都内に跋扈するガキどもを傘下に抱き込んではいかがでしょうか。暴走族やカラー・モブ、などなど。跳ねっ返りの集まりですが、教え込めばそれなりの戦力にはなるかと思います」


 その言葉に総帥は歓喜した。恭しく傍で控えていた俺の手を掴み、ぐいっと抱き寄せ、恒元は口内に舌を入れてきた。


「ん……む、う」


 俺は目を白黒させながらも、その舌に己の舌を絡ませる。


「んうっ……はあっ、はあっ」


 やがて総帥の口が離れると、彼は俺の耳元で囁く。


「よくぞ申した、涼平。やはりお前は我輩の見込んだ通りの男だ」


「あ、ありがとうございます」


「その案はお前に任せる。己の思うようにやってみるが良い」


 この男の頭には己の権力を強化することしかない。それが分かっているからこそ、敢えて彼の意向に沿う具申をしてやったのだ。


「せっかくの機会だからお前にも言っておくが、我輩に御七卿を生かしておく気は毛頭ない。あの血筋を引く者は老人から赤子に至るまで根こそぎ殺してやる」


「はっ。承知いたしております」


「しかし、まあ……それを為すにも九州の賊党どもの動向が気がかりだな」


「確かに」


 そう、何にせよ先ずは九州勢の抑えだ。俺が遠征から戻ったタイミングであっただけに、此度の件を玄道会残党の仕業と考えるのは当然の至りである。


「報復は如何なさいます?」


「ひとまず博多へ兵を遣わす。九州で稼業に携わる者を悉く抹殺する勢いでな。適当に直参を選び抜いておいてくれ」


「承知いたしました。では、本家譜代の中から声をかけます。失礼いたします」


 執務室から退出した俺は、壮麗に飾られた廊下を歩く中で思案に暮れた。どのような者を選べば良いか。昨年から恒元が方々の悪ぶった起業家たちに「極道になればもっと稼げるぞ」と勧誘したことで本家譜代も数を増やしているが、いずれも戦に不得手な者ばかり。抗争では云うまでも無く各々の喧嘩の腕が勝負を左右するだけに、選ぶ基準を「適当に」というわけにはいかないだろう。


 そうなると古株の中から選ぶのが妥当か。中枢を壊滅させたとはいえ、玄道会は未だ九州各地に血気盛んな連中が残っているから、彼らと真っ向から戦える者でなくては――そこで俺は不意にハッと気づいた。


 関西の抗争が片付いていないのだ。大阪陥落後、神戸へ本拠地を移した煌王会に対して中川会と村雨組の連合軍は果敢に攻めかかっているが、なかなか敵城が落ちない。まさしく一進一退の激しい攻防が続いている。


 俺は勿論、一騎当千の戦闘力を誇る村雨耀介が参陣していないのだから当然と云えば当然であるが、このままでは情勢が中川会の劣勢へと傾く。


 そんな中で九州へ攻め込むとなると二正面戦争だ。資金の心配は無いにせよ、関東博徒たちの戦意を何時まで維持できるか。


「……あまり長びかせるのは賢明じゃねぇな」


 そう独りごちた俺は詰め所へ戻り、たまたま居合わせていた助勤たちと話した上で九州派遣軍の顔ぶれを考え出した。


「すまんが頼まれてくれ」


 数時間後、声のかかった直参組長たちが宮殿の応接間に集まってくる。程なくして中へ案内されると、まさに歴戦の勇者といった風貌の数名の親分衆の姿があった。


「よう、次長!」


「久しぶりだな!」


「暴れることしか能がぇ俺らと違って羽振りが良いみてぇだな!」


 口々に挨拶してくる彼らに礼を返してから、俺は本題に入った。


「皆、よく集まってくれた。作戦の概要としてはさっき執事局うちの助勤に伝えさせた通りだが、言い忘れていたことがある」


「何だ?」


「今回のドンパチで獲ったシマは各々の仕切りにして良い……そう総帥は仰せだ」


 俺の言葉に顔を見合わせると、彼らは一様に首肯した。


「そいつは耳寄りだな!」


「へへっ、それなら気合いを入れねぇわけにゃいかねぇな!」


「太っ腹じゃねえか、次長!」


 俺は彼らに頷きながら話を続けた。


「ああ、そうだ。九州の賊党どもに中川会の強さを知らしめると同時に、奴らが二度と刃向かえないようにする。それが今回の玄道会残党狩りの意味だ」


「つまり、ド派手にやれと」


「ああ。短期でケリをつけてくれ。出来れば関西との戦争に注力したいからな」


「へへっ、任せといてくれ。俺たちの力ってもんを天下に示してやるぜ。幹部の椅子にふんぞり返ってる御七卿の坊ちゃんたちにもな」


 俺は彼らの言葉を耳にし、思わず笑みを漏らした。


「云うまでもぇだろうが、あんたらの武勇を見込んで声をかけたんだ。よろしく頼むぜ」


 すると彼らも笑みを浮かべる。


「だな!」


「おうよ!」


 鼻息を荒くした直参たちは、それから意気揚々と宮殿を出て行った。彼らの颯爽とした背中を眺めながら、俺はため息を吐く。


 だいぶ俺らしくないことをした。見返りを欲せず総帥のために体を張ることが直参たちの使命だというのに――されど、ああでも言わねば皆が奮い立たぬのもまた確かなこと。任侠道の本質など結局のところは『御恩と奉公』に過ぎないのだから。それが分かり切っていたから、俺は戦後の領地の割り振りを自分に一任するよう恒元に頼み込んだのではないか。


 先ほどの光景を総帥が目の当たりにしたら、きっと『領地が貰えねば戦わんのか! 愚かな不忠者どもめ!』と激昂していたに違いない。以前なら本家譜代には手をかけないと断言できたが、最近では見境がない……俺が諫めてやらねば。


「しっかし、伯父貴らも気合いが入ってませんね。こないだの戦争で切り獲った四国が本家の仕切りになったことで不安がってるんでしょうが、たとえ褒美が出なくたって命を張るのが恒元公の子分としてあるべき姿でしょうに」


「奴らにしてみりゃ『腹が減っては戦は出来ぬ』ってことなんだろうぜ。まあ、恩賞の先渡しをせびってこねぇだけマシじゃねぇか」


「んじゃ、成果を出さなかったら殺すだけですね! ギャハハハッ!」


 血走った目で不敵に笑う助勤たちに適当な相槌を打ちながら、俺は屋敷を出た。親分は子分の事業シノギ領地シマを守って子分は親分のため命がけで戦う、という古くから続いてきた裏社会の常識は、今の中川恒元には最早存在しないのだろうな。


 煙草を吸いながら、俺は赤坂の街を歩く。時刻が夕方に差し掛かったことだし、腹に何か詰めておきたいと思ったのである。


 しかし、そんな時。


「おいコラァ! こっから先へは行かせねぇぜ!」


 派手な装いの三人組が立ちはだかったかと思うと、近くに車が停まってぞろぞろとスーツ姿の男たちが出てきた。


「へっ……玄道会の残党どもが早速湧いてきやがったか……」


 鼻で笑いつつ、その名を口にした俺。つい数秒前に聞こえた啖呵のイントネーションに若干の九州訛りが感じられたのだ。その集団の中には見たところ2メートルくらいありそうな巨躯の男も立っている。傷を負っていない姿から考えるに、総本部襲撃の折には居合わせなかった連中か。


 何にせよ、叩き潰すだけだ。俺は突進をかけた。拳を握り締めて。


「ぐううううッ!?」


 醜い断末魔を上げる巨漢。俺の繰り出したパンチを受けた男は顔面を粉砕し、飛沫しぶきを上げながら地面に倒れ込む。間髪入れず次の標的を定めた俺は、そいつへと近づくとその足を払った。バランスを崩した相手の側頭部に膝蹴りを叩き込んで破壊し、俺は周囲に注意を払う。奴らが腰のホルスターから銃を取り出したのが見える。俺は即座に距離を詰める、相手の腕を掴み上げる。そのまま関節を極める。パキリッという鈍い音が鳴ると同時に悲鳴が響いた。


「あっ! あぎゃあッ!?」


 その男の肘から血が噴き出し、腕が千切れた。額に拳を振り下ろしトドメを刺した後、別の男に向き直る。今度は正面から突っ込んでくる。その単調な攻撃を俺は掌底で迎え撃つ。


 ――グシャッ!


 顎を打ち抜かれて吹き飛んだ男を見て、他の連中は怯む。


「ひぃ! 助けてくれぇ!」


「こっ、殺されるぅぅ!! やめてくれぇぇぇ!!」


 情けない声と共に逃げようとした男たちに向かって俺は走り出す。まずは一人に追いつくと、背後から首を締め上げながら地面へ押し付ける。その衝撃で頭部が割れてしまったようだ。血が流れ出し、事切れていた。


 俺は銃を取り出すと引き金を引いて、次々に敵を倒してゆく。放たれた弾丸は頭を正確に撃ち抜き、そのたびに地面が鮮血で染まり赤くなる。


「弱いなあ……ヤクザのくせに……」


 倒れ伏した男たちを見ながら俺はわらう。血飛沫が宙を舞い地面を赤く染めてゆく様は純粋に美しいと思った。やがて生き残ったのは最初に襲いかかってきた3人だけとなった。


「くっ、クソがぁぁ!!」


 3人がナイフを取り出す。俺は構えを取る。わざと憎らしい声色をつくって銃を懐へ戻しながら。


「さあ。かかってきやがれ」


 挑発の言葉に従うかのように彼らは襲いかかってきた。その内のひとりの胴体を俺は殴りつけた。その一撃によって内部から爆ぜる肉片。飛び散った臓器と骨が辺りに撒き散らされてゆく光景は、なかなかに壮観である。


 もう1人は刺突だ。飛んでくる切っ先を避けつつ、腹部へ掌底を打ち込み内臓破裂を起こさせると男は地面に崩れ落ちた。


「ぐはっ……」


 そのまま俺はそいつの頭部を踏み潰す。脳漿が溢れ出して辺り一面が海と化したので掃除するのが大変だなとぼんやり思った。さて残るはあと1人。最後に残った男を見てみると、その身体が小刻みに震えている。おそらく恐怖によるものなのだろう。


「ヒィッ!」


 彼は泣き叫びながらこちらへ向かってきた。哀れなことに右手に持っているナイフも震えていたが。俺は軽くステップを踏みながら右ストレートを放つ。相手は避けることも受け止めることもできず、まともに喰らい吹き飛んだ。


「ぐわぁあぁあッ!」


 壁に激突した下っ端はそのままずり落ちて倒れ伏した。ピクピクと痙攣けいれんしている。俺はそいつに近づきながら拳を握り締める。そして全力で振り下ろした。


 ――グシャッ。


 鈍い音と共に頭蓋骨が砕けた感触が伝わってくる。


「な、何だこいつ……化け物か!?」


 情報を得るために敢えて急所を外し生かしておいた一人の男は、腰を抜かして後退りしながら叫んだ。


「化け物? 違うな。俺は人間だ」


 そう返しながら、俺はゆっくりとそいつに近づいてゆく。


「ひいっ! お、俺は上の人間に言われて動いてただけだ! もう何もせんから命だけは……ぐあっ!」


 命乞いを遮って、俺はその胸ぐらを左手で掴んで持ち上げる。


「上の人間? 誰だ、そいつは?」


「ひ、日田の……」


 しかし。


 ――グキッ。


 その男の鼻を掴み、俺は軽く力を込めてじった。彼の鼻は醜く破壊され、血が流れ始めた。


「ぎゃあああっ!」


 悲鳴が響き渡る。情緒の中で瞬間的に沸騰した快感に笑みをこぼしながら、俺はかす。


「誰だって聞いてるんだよ」


「い、今、答えようとしてたところばい!」


 男は震える声で答えた。


「ひ、日田の湯岡組だ!」


「何?」


 その名を聞いた瞬間、俺は思わず眉をひそめた。湯岡組と云えば先ほど宮殿に爆弾攻撃を仕掛けた張本人ではないか。やはり銀座を訪れたという男は偽物だったか――俺は再び銃を取り出すと、迷わず男の眉間に向け引き金を引いた。弾丸は正確無比に男の額を貫く。俺が左手を離すと、そのままドサリと音を立てて男は倒れ込んだのであった。


「なるほどな」


 俺は銃を仕舞うと、血にまみれた手で懐の中をまさぐって端末を取り出す。そうして宮殿の執事局詰め所に連絡を繋いだ。


「麻木だ。元赤坂一丁目に死体処理班を寄越してくれ」


 それから数分後。


「ギャハハッ! お掃除は楽しいなあ!」


 狂気じみた笑いで顔を歪めながら飛び散った肉片を拾い集める部下たちを尻目に、俺は物思いに耽る。


 日田の湯岡組は組員数が少なく、シノギの規模も中川会に遠く及ばない弱小勢力である。そんな奴らが斯くも大胆な攻撃を仕掛けてくるとは。俺は奴らの背後に黒幕の気配を感じた。


 おそらくは煌王会だろう。彼らは俺たちが玄道会を攻撃したことを好機と捉え、その残党や九州各地の一本独鈷を煽って味方に付け、中川会を挟撃せんと企んでいると見た。


 現に大義名分は敵方にある。何せ、此度は開戦表明も無しに奇襲同然のやり方で玄道会を壊滅させたのだから――そうとなれば俺たちは出来るだけ早く九州を平定せねばなるまい。奴らを緒戦で掃討しきれねば、相手方に勢いを与えてしまい、逆に中川会こちらが疲弊してゆく。


「……忙しくなりそうだな」


 憂さに包まれた俺が向かったのは赤坂三丁目の『Café Noble』である。愛する女の顔を見て、乾いた心を潤したかった。


「いらっしゃい!」


 店の中へ入ると、華鈴がいつものポジションに立っている。その姿を見た途端に鬱屈としていた精神がみるみる和らいでゆく。


 他の客の姿は無い。全身を血で汚した俺の姿がカタギ連中の夕食の邪魔にならないのは良いことだし、何より恋人とふたりきりで過ごせる。しかし、ここへ辿り着くまでの道すがら、宮殿に戻ってシャワーでも浴びようかと思案するに至らなかったのは何故だろうか。きっと俺の中に醜い確信があったからに他なるまい。彼女なら何も言わずに歓迎してくれるだろうという、浅はかな期待が。


 そんな華鈴は俺の姿を見てハッと息を呑むが、それも一瞬のことで、すぐに普段通りの美しい顔に戻った。


「いつもので良い?」


「ああ。頼む」


「はーい!」


 彼女は俺の前にコーヒーカップを置き、それからカウンターの向かい側に座った。


「ねぇ、涼平。何かあったの?」


「……」


 華鈴は心配そうな目で俺を見つめている。


「何だか元気が無いように見えたから」


 彼女なりに言葉を選んでくれたことが嬉しかった。他に尋ね方は何通りでも考え付いたであろうに。


「……まあ、ちょっとした喧嘩だ。俺ってやつを改めて感じたぜ。


 コーヒーを一口飲むと、俺は続けた。


「考えてみりゃ滑稽な話だ。俺が総帥の側近としてバリバリ稼いでる一方で、シノギに不得手な直参連中は上納金アガリにも困ってる。俺も奴らと同じ、所詮は喧嘩しか取り柄のぇ馬鹿だってのによ」


「そう……」


 彼女は何か言いたげだったが、それ以上は何も言わなかった。


「ま、そんなこたぁどうでもいいんだ。恒元公のお力でこの国から貧困を一掃すれば、連中だって良い暮らしが出来る」


「う、うん。そんな世の中になれば良いよね」


「ああ、現に動き始めたぜ」


「えっ?」


「今年度の修正予算案に困窮家庭に向けた給付金を盛り込むよう、恒元公が政府に働きかけてくれたんだ。新内閣の仕事になるだろうがな」


 俺の言葉に華鈴は瞳を輝かせた。


「本当? 凄い!」


「ああ、あの方は俺の意見具申に耳を傾けてくださったんだ。やはり正しかったらしい……恒元公のお傍に仕えてさえいれば理想が叶うってのは」


「うん!」


 二人の理想を叶え続けるには、これからも恒元のお気に入りの腹心であり続ける必要がある。嬉しそうに笑みを湛えた想い人に、俺は言った。


「なあ、華鈴。レディース時代の馴染みとは今も続いてるのか?」


「うん。たまに店に来てくれるかな」


「じゃあよ、その伝手ツテで勢いのあるチームを引き入れたり出来ねぇかな。今、組織で新たな戦力を探してるんな」


「分かった」


「すまねぇな」


「うん……」


 大きく頷いた華鈴の表情が、どこか曇って見えたのは気のせいだろうか。


「なあ、華鈴。お前こそ、何かあったのか?」


「う、うん。まあ、ちょっとね」


「俺で良かったら話してくれ」


「ありがとう」


 彼女は俺を見つめてから、おもむろに口を開く。


「……私、追い出されちゃったんだ」


「えっ?」


「この前に話したNPOを」


 彼女の言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中を衝撃と混乱が駆け巡った。脳の回路が焼き切れたかの如く、何も考えられなくなる。しかし、彼女があまりにも『何のことは無い』と云わんばかりの笑顔で語ってくれたおかげで冷静さを取り戻すことができた。


「追い出されたって? どういうことだ?」


 必死に心を落ち着けながら、努めて冷静に尋ねた俺。すると華鈴は伏し目がちに言った。


「ほら、言ったじゃん。あたしが中川会と繋がりを持ってることが白い眼で見られてるって」


「あ、ああ」


「あたしとしては裏方として働く分には良いじゃんって思ったんだけど。運営からも外れてくれって言われた」


「……」


「やっぱり怖いんだって。中川会系列の組が人身売買をシノギにしている以上、自分はいくらその組とは関係が無いつもりでも、カタギの人たちからすればどんぐりの背比べなんだって」


 そう云いつつも、彼女はどこか嬉しそうに見えた。てっきりひどく悲しんでいるものと思ったから俺は拍子抜けする。


「……そうだったのか。何か、すまねぇな。これって俺のせいだよな」


「違うよ。この間も言ったけど、涼平と付き合う前からあたしは中川会と関わってたから。むしろ、今回の件でスッキリしたよ」


「スッキリした……のか?」


「だって、カタギへの未練が消えたから。『自分も大好きな人と同じ世界の一員なんだ』って思えたから。良かったよ」


 そう言って華鈴は俺の手を取り、きゅっと握りしめた。


「だから、心配しないで。涼平はこれまで通り、強い涼平でいてね。ずっとあたしが傍で支えるから」


「ああ……」


「んっ」


 俺は想い人に顔を近づけ、唇を合わせた。舌を入れてやると、すぐに華鈴は自らの情熱を絡めてくる。いつもなら少しばかり控えめというか、俺との情事ではされるがままになることが多い彼女だが――今日は違った。動きに積極さを纏っている。


「はあっ、華鈴」


 数十秒にも及んだ接吻の後、息が苦しくなった俺に華鈴は言った。


「あのさぁ……涼平。こんなタイミングで言うのもおかしいかもしれないけど……」


「ま、待ってくれ!」


 俺は彼女の言葉を遮った。予感が当たっているとしたら――その言葉は俺の方から切り出したかった。


「結婚しよう。俺と結婚してくれ」


「えっ……」


 彼女の瞳が大きく見開かれた。しかし、すぐに双眸は涙に濡れてゆく。


「……ありがとう、涼平。あたし……凄く嬉しいっ」


 華鈴は俺の胸元に顔を押しつけると涙をこぼした。そんな女の小さな頭を俺はゆっくりと撫でてやる。いとしい。こんなにもいとしいとは――荒んだ男に安らぎを与えてくれる、かけがえのない想い人。


 彼女をあいせば、俺は血まみれの天使から人間に戻れる。彼女が傍にいるからこそ、俺は人間でり続けられる。


「こちらこそだ。俺はお前と出会うまで無目的に生きる抜け殻みてぇな男だった」


 なおも俺は言葉を続ける。


「だけどよ……お前と出会って、ようやく生きる意味を見つけたんだ。誰かのために生きるってことの美しさを俺に教えてくれたのはお前だ。華鈴。だから、これからはお前のために生きていきてぇんだ」


「ううっ」


 泣きながら嗚咽する華鈴の背に腕を回しながら、俺はこの日のことを一生忘れないでいようと思った。たとえ世界中を敵に回そうとも、この女が俺の隣に居てくれるのなら、血まみれの天使にでも何にでもなってやる。


「涼平……お願いがあるの」


「何だ?」


「これからも一緒に居て。ずっと、あたしの隣に、あたしの傍に」


「ああ。勿論だ」


 俺の言葉に華鈴は安堵したように頬を緩める。何があろうとこの女を守ってやると心に誓った瞬間だった。


「……」


 たまたま店に他の客が居なかったこともあって、暫し二人だけの時を過ごせた。そうして場を包む空気の温もりが絶頂に達した時、俺は言った。


「……総帥には俺からお伝えする。きっとお認め頂けるはずだ」


「う、うん」


「大丈夫だ。現状いまの組織で誰よりも手柄を立てている男の頼みだから、けんもほろろにされるなんてことはねぇさ」


 華鈴のことは恒元もよく理解しているはず。寵愛する腹心が馴染みの町娘と結ばれるのだから、文句は無いだろう。


 とはいえ、問題はその話をいつ切り出すかだ。関西や九州の情勢が落ち着かぬこともあってか、最近は彼の機嫌がよろしくない。タイミングを間違えては激昂される。ゆえに比較的恒元にとって喜ばしい出来事が続いている状況を見計らおうと俺は思った。


 ただ、華鈴は俺と永遠の仲になることを心待ちにしている。ならば俺も俺で腹を固め、彼女への愛に殉じようではないか。


「好きだ」


 俺は華鈴の顔に触れる。無論、先ほどの乱戦で掌にはべったりと血が付いている。けれども華鈴は嫌がらなかった。あまりにも滑稽な俺の振る舞いを黙って受け入れ、接吻キスで応じてくれた。 


 暫し抱き合い、俺たちは互いの感触を確かめる。華鈴のエプロンとブラウスが血で汚れることも厭わずに。程なく彼女は紐を解いてエプロンを脱ぎ、ブラウスのボタンを外し始める。綺麗なピンク色の下着があらわになるまで時は要さなかった。何時いつ見ても可愛らしい、自慢の恋人の乳房を包む布地だ。


「涼平っていつも血まみれだよね」


 ブラジャー越しに俺の右手を自分の左胸へ押し当てながら、彼女は微笑んだ。柔らかく大きな二つの膨らみは、俺の掌の中で自在に形を変えている。まるで生き物のように。指先には体温が伝わってきて温かい。本能に身を任せた勢いで、俺は華鈴の双丘へ顔を埋める。ブラを着けたまま、華鈴は悶える。


「あっ……」


 その仕草がいとしく思えた俺は、カップ部分に収まった乳房をペロッと舐めた。途端に彼女は声を漏らし身体を震わせる。その反応がたまらなく可愛くてさらに舌でもてあそんであげると、彼女は甘い吐息を洩らし始める。俺はその姿を見て興奮し始めていた。早く触れたいと思う衝動のまま、背中に両腕を回してホックを外す。


 プチリという小さな音と共に解放された大きな膨らみが二つ揺れる。俺はそれを両手で鷲掴みにする。柔らかい感触に酔いしれながら揉んでいると段々と固くなっていく乳首を感じることができた。俺はそれを指先で弾いて刺激を与える。すると華鈴は切なそうな表情を見せる。その顔がもっと見たくて今度は口に含んで吸い上げる。すると華鈴は喘ぎ声を上げる。


「あぁんっ」


 華鈴の乳房は、どうして斯くも美しいのだろう。醜い俺を優しく迎え入れてくれる慈愛のゆりかご。裏社会最強の殺し屋として名を馳せる俺が凡なる男へ戻れる唯一の場所。


 俺は華鈴の乳首を吸った。勢いよく。激しく。執着の情念を表現するがごとく――次第に華鈴の嬉声は悲鳴じみたものに変わり、彼女は切なげに叫ぶ。


「はあんっ! オッパイ、駄目ぇっ! 駄目ぇぇぇぇっ!」


 その瞬間、彼女は全身を痙攣させた。背中から肩にかけてうっすらと汗が浮かび、呼吸が乱れている。絶頂を迎えた想い人の穿くジーンズを下ろそうと俺はベルトに手をかける。されど華鈴は首を横に振る。


「ごめん……これ以上は……」


 俺は「そうだったな」と応じる。しかし、心に残った物足りなさが思考を締め付け、自ずと卑しい台詞を紡ぎ出させる。


「なあ、ブラの匂い。嗅いでも良いか?」


 唐突にして滑稽の度が過ぎるリクエスト。だが、華鈴はコクンと頷いてくれた。


「うん」


 そうして差し出された華鈴のブラジャーを俺は顔に押し当てる。甘い香りが脳を刺激する。その匂いだけで達してしまいそうになるくらい甘美なものだ。俺は深呼吸をする。肺の中一杯になるまで華鈴の匂いを吸い込むと三半規管が揺らぐ。それはまさに媚薬のようなものであった。


 さらなる快楽を得ようと、俺は下着を鼻先へ刷り込むようにして押し当てる。布地に含まれる汗と皮脂のミックスは独特の芳香を放っていた。俺は夢中になっていた。ただひたすらに。


「華鈴……」


 俺はその名前を呼んだ。すると彼女はこちらを見つめる。潤んだ瞳が俺の顔を映している。頬は紅潮しており唇も僅かに開いていた。艶やかな光沢を持つ肌は瑞々しく輝いているように見えた。美しい。その一語しか思いつかなかった。こんなにも可憐な女性が俺だけを愛してくれるという奇跡を噛み締めながら俺は彼女に覆い被さり口付けをした。舌を入れ絡ませ合う濃密なものだった。お互いの唾液を交換し合いながら貪るように乞い合う。やがてどちらからともなく口を離すと銀色の糸が伸びた。その光景に俺は燃え上がり、一気に爆発する。


「華鈴。わき、舐めさせてくれ」


「えっ? ええっ?」


 困惑する想い人だったが、拒むことは無かった。俺は華鈴に左腕を上げさせ、腋の窪みに顔を埋めた。先ほどと同様に吸い込む。ムワッとした熱気が鼻腔をくすぐる。汗の匂いがする。俺は堪らず鼻を鳴らし始めると華鈴がまた恥ずかしそうに身体を震わせた。俺は一心不乱に彼女の腋を味わう。その様子を見て彼女は何を思ったのか俺の頭を撫でてきた。優しく慈しむような手つきだった。それがとても気持ち良くて俺は更に興奮を高めた。


 腋に舌を這わせる。ベロリと。腋汗を舐める。


「くっ……! 涼平……!」


 華鈴の切なげな声が漏れる。俺は無心になって彼女の腋を貪った。よもやこうして愛する恋人の腋を堪能する趣味が俺にあったとはな。先ほど宮殿で見た主君の嗜好を馬鹿馬鹿しい限りだとわらったばかりだというのに。そんな些末事は考えられなくなるほど、脳髄に痺れが奔り意識を失ってしまいそうになるほどに美しい味覚だった。


「ふーっ……! ふーっ……!」


 俺は息を荒げながら夢中になって彼女の腋に食らいつく。華鈴はそのたびにビクビクと体を跳ねさせていた。しばらくして俺は顔を離した。そこには汗ばんだ跡が残っており微かに蒸れていた。それはとても扇情的で見ているだけで股間が疼くような光景であった。


「……はあっ。はあっ」


 気付けば1時間が経過していた。華鈴に疲労が蓄積してきたようだったので、俺は彼女を休ませるべく体から離れた。無論、ブラジャーは持ったまま。

 つい少し前まで華鈴の乳房を覆い、乳首をまもっていた布地――それを顔に押し当てる。そして深呼吸を繰り返す。愛しい香りが肺腑を満たし、俺の理性を奪ってゆく。もう止まらない。


「ふぅ……。ふうっ」


 俺は荒く息を吐く。そうしなければ自分を抑えられないほどだったからだ。そしてもう一度思い切り吸い込む。今度は先ほどよりも長く。より深く。すると華鈴が心配そうな声で訊ねる。


「大丈夫……? あなたってたまにおかしくなるよね」


 俺は「問題ない」と返した。


「華鈴」


 そう呼び掛けながら俺は彼女の下着を口に咥え、吸い付いた。華鈴は呆気に取られた表情をして固まる。俺はそのままズボンとパンツを下ろすと、自分のモノを弄び始めた。


「はっ……! はあっ……! ああっ……!」


 華鈴の乳房を覆っていたブラジャーに顔を埋めながら事に及ぶ。最高だ。至福だ。脳が蕩けそうだ。そんな気分になりながら俺は自慰に耽った。


「はあっ! はっ! あっ! あっ!」


 激しい動きでブラジャーがズレてゆく。しかし、構わない。今の俺にとっては些末事でしかないのだから。俺は手の動きを強める……やがて。


 凄まじく放出した。


「ああっ……ああっ……」


 床を白い液体が濡らす。その光景を見た華鈴が苦笑していたことは言うまでもない。


「掃除しようか」


「ああ」


 暫くして。上裸のまま床を拭き終えた想い人に、俺は尋ねた。


「なあ。どうして女ってオッパイを隠すんだ?」


 何気ない質問。華鈴は少し悩む素振りを見せた。やがて言った。


「見られたくないからだと思うよ? 好きな人以外にはね」


 そう言って彼女は微笑んだ。


「じゃあ好きな人に見せるのは良いのか?」


「まあね」


 その返答を聞いた俺は嬉しくなった。


「ありがとうよ。華鈴。こんな俺を好きになってくれて」


 想い人への純粋なる感謝。他に何も言うことは無かった。


「じゃあな、華鈴」


「うん。またね!」


 互いに着衣を直した後、そう云って俺は店を出た。宮殿へ戻るべく歩みを進めてゆくと、店から少し離れた路上で声をかけてくる女がいた。


「麻木さーん!」


 その女は赤坂地区の店で働くキャバ嬢、ともだった。


「おお、どうした……」


 挨拶を返した直後、俺は視線を落とした。何せつい数時間前、この女の腋を舐めたばかりなのだから。あれは総帥のリクエストだったとはいえ、男として気恥ずかしさに駆られぬはずは無い。されども友花は屈託の無い態度で意外なことを口走った。


「私、中川の親分さんの愛人になりました! 元気な男の子を産めるように頑張ります!」


「え?」


 俺は驚愕の声を発した。てっきり断ると思っていたのに。


「お、お前さん……マジで言ってるのか?」


「はい。親分さんから直々に『お前を買いたい』って」


「そ、そうか……」


 了承してくれた礼とのことで早速マンションを一棟ごと貰ったと自慢げに話す友花を前に、俺は複雑な心情に包まれていた。


 中川恒元の妾になるということは即ち、祖父と孫ほど歳の離れた醜き老人に道具のごとく扱われ、弄ばれることを意味している。しかも、いざ孕んだのが女児だった場合は即時殺される可能性すらある。


 おまけに宮殿に赴けば夫人は勿論、既に囲われている大勢の妾どもからの妬みや嫉妬を浴びるだろうし、街の住人たちからも「玉の輿に乗った下賤な女」と嘲られよう。そんな境遇に自ら進んでなろうとするとは……。


「これからあのお屋敷には頻繁にお邪魔すると思うんですけど、どうか温かい目で見守ってくださいね! 私、必ずあの親分さんの子を産んでみせますから!」


 だが、友花は屈託の無い顔で言った。その純朴な表情に、俺はただ頷く他なかった。


「……ああ、分かった」


「そうですか! 良かったぁ!」


「友花よ。ひとつアドバイスがある。あのお方をお呼びするときには『恒元公』か『総帥』と呼べ。間違っても『親分さん』などと呼ぶな」


「どうして?」


「あのお方は極道の風習や伝統を嫌っておられる」


「えっ、でも中川会ってヤクザですよね?」


「ご自分は極道たちを格上の立場からべる総覧者だと考えておられるらしい……まあ、あのお方の妾になる以上はあのお方の流儀に倣えということだ。分かったな」


 少し戸惑いつつも友花は「はい」と大きく頷いた。何だかんだ云って赤坂でキャバ嬢をこなすだけの器量と度胸を持っている女だ。すぐに適応できるだろう。


「じゃあな。お幸せに」


「はーい、またね。麻木さん」


 上機嫌にスキップをしながら駆けてゆく友花と別れ、俺は暫し感傷に耽った後で宮殿へと戻った。流石に血にまみれたまま総帥と謁見するわけにもいかないので、俺は風呂場へ向かい体を洗うことにした。浴室に入るとシャワーを浴びる。それからボディーソープを手に取り泡立てていく。体全体を洗った後で髪の毛を洗っていく。リンスインシャンプーなのでこれだけで十分だ。そして再びシャワーを浴びた。今度は冷水にして。頭から浴び続ける。火照った肌を冷やすためだ。


「……ふう」


 そうして浴室を出て、体を拭いて新しいスーツに着替える。向かった先は総帥執務室だ。


「おう、帰ったか。涼平」


 別宅の寝室でくつろぐ総帥は既に何杯ものカルヴァドスを飲んで酔っ払っていた。ゆえに好機とばかりに切り出す。


「お伝えしたいことがございます」


「何だね?」


 ひと呼吸置いてから、俺は言った。


「此度、結婚することと相成りました。与田華鈴嬢との婚約をお認め頂きたく存じます」


「……何?」


 恒元は目を剥いた。しかし、すぐにその表情が歓喜へと転じる。


「ふははっ! めでたいことではないか! いやあ、お前もそろそろ嫁を持つべきだと常日頃から思っておった! 良い報告だ!」


「は、はい」


「でかしたぞ! 涼平! これで嫡男でも生まれれば麻木家は盤石にして安泰! きっと光寿も喜んでいよう! いや、必ずや喜ぶであろう! ふははっ!」


 恒元は大口を開けて笑い、それから「おい」と傍の女中に声をかける。


「涼平に酒を持ってまいれ。蔵から上等なものを頼む」


 女中は「かしこまりました」と一礼し部屋を出て行く。数分後、テーブルの上には年代物のワインが給仕された。恒元曰く、仏国からの直輸入の名品だという。


「さあ涼平。お前も飲め」


 恒元が差し出したグラスに俺は口をつける。その瞬間、彼は俺の耳元で囁いた。


「よくやったな、涼平」


 その声を耳にした瞬間、俺は全てを悟った。


「……は、はい……」


「お前は我輩の期待を裏切らない男だ。これからも頼むぞ」


「あ……ああ……あ、ありがとうございます……」


 その瞬間、俺はワインを一気に飲み干す。何故なら上気した表情の恒元に唇を奪われたから。


「んっ……んぐっ」


 俺はその接吻を拒むこともせず、むしろ自ら進んで彼の舌に自分のそれを絡ませる。そして恒元もまた俺の背に手を回した。


「はあっ……はあっ……」


「ずっとこうしたかったのだ、涼平よ。お前はいつ抱いても可愛いやつだ」


 恒元は俺をベッドへと押し倒す。そして唇を触れ合わせた。今度もまた激しかった。


「あ……ああっ!」


 恒元の舌が俺の口の中へと入ってくる。歯の裏を。口蓋を。喉の奥を。全てを味わうかのごとく、俺の口の中で暴れ回る。主君の愛撫に対し、俺は自分の舌を使って彼の欲を絡ませることでこたえた。


「ん……んぐっ……」


 恒元の唾液が流れ込んでくる。俺は喉を鳴らし、全てを飲み干していった。


「はあっ……はあっ……」


 長い接吻キスの後、恒元はようやく俺から離れた。互いの唇の間に銀糸が伸びるのが見える。


「涼平よ」


「は、はい……」


「お前が妻を娶ろうと、お前はこれからも我輩のものだ。その体も心も我輩に尽くすために存在しておるのだ。良いな」


「はい……」


 俺はそう答え、恒元の首に腕を回した。そしてまたもや唇を合わせる。


「んっ……んふっ……」


 恒元の舌と唾液が入ってくる。俺はそれを自分の舌で絡め取った。


「……ぷはっ」


 やがて恒元は俺から離れると、今度は首筋へと舌を這わせてきた。そして俺のシャツのボタンを外していく。俺は抵抗しない。


 ただ、されるがままになっていた。


「……」


 それから暫く経った後、俺はベッドの上で抜け殻と化していた。もう指一本動かす力も残ってはいない。


「ふぅ……」


 傍らの椅子に腰を据え、恒元は葉巻を吹かしている。先ほどの接吻の後、彼が俺を寝室へと運んでくれたのだった。


「随分良さげだったではないか」


「え、ええ……気持ち良うございました」


「ふははっ、可愛いな」


 俺は理想のため醜悪な男へ身と心を売ったにも等しい。されど彼の持つ権力を少しでも己と愛する人のために使えるのだから安いものだ。


「思えば、我輩が中川の三代目を継いだ時にはお前はもう生まれておったな。祝いの挨拶へ訪れた光寿が連れていた幼子を見た瞬間、驚いたものだ。それはもう、あまりにも光寿に似ていたのだから」


「えっ? それじゃあ、俺は物心つく前に貴方様とお会いしていたということですか? 3歳くらいの頃に?」


「うむ。そういうことになるな」


 思わず声が上ずる。言われてみれば、幼い頃は何度か家族全員で正装に着替えて赤坂へ出かける機会があったような気がする。


「しかし……光寿の奴め、我輩が涼平を養子にしようと持ちかけると『涼平は大切な嫡男です。貴方様には差し上げません』と断ってきたものだ。まあ、あやつらしいといえばそれまでなのだがな」


「そうだったんですか……」


 俺は少しばかり嬉しい思いを抱きながら呟いた。しかし、どういうわけだろう。生まれたばかりの第一子、それも長男を譲れとは何とも酷な申し付けをするではないか――まあ、良い。


 何にしたって俺は中川恒元に仕え続けるだけだ。今まさに愛する華鈴との幸せを掴もうとしている時に、幼少の頃の出来事など些末でしかない。思考が麻痺してゆくような感覚を味わいながら、俺は恒元との時間に身を委ねていた。

策謀が交錯する中、ついに華鈴と夫婦になることを決めた涼平。そんな二人の行く先は……? 次回、新たな戦乱の火の手が上がる!

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