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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第15章 血まみれの天使
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嵐のあと

 九州の制圧を終え、俺は赤坂へと戻った。中川恒元から歓待をもって迎えられたことは言うに及ばず。


「ご苦労だったな、涼平!」


「お褒めに預かり光栄でございます。ただ、ここまで暴れてしまっては……最早、九州の男どもは囲い込むべくもありますまい」


 裏社会における抗争は自らの勢力を増強させるため、勝った方が負けた方を吸収するのが常道だ。しかし、此度は違う。恒元は玄道会を「討ち滅ぼす」と言った。そして言葉通り、俺に九州で血の旋風を起こさせ、現地の最大勢力であった玄道会を壊滅させた。


「まだ九州各地に散らばった残党どもがおりましょう。連中が素直に我らへくだるかどうか……」


 俺は懸念をあらわにした。当人たちにしてみれば、此度の惨事は関東博徒に地元を食い荒らされた屈辱に他ならないのだから。


「安心するのだ、涼平よ。くだらなければ討ち滅ぼすまでよ」


「……その時は俺が」


「ふははっ! 頼もしいぞ!」


 恒元が大笑いする。


「まあ、涼平よ」


 そんな時、恒元はふと真顔になって俺を見た。


「此度のいくさは我輩の力を天下に示すためではない。我らの理想を叶えるための第一歩なのだ」


「……はっ!」


「裏社会を平らかにした暁には必ずや、この国から貧困を一掃してみせよう。そして誰もが幸せに暮らせる楽園のごとき世を創ろうではないか」


 俺は頷いた。確かにそうだ、と。


「そのためには……我らの理想を叶えるまであと少しだ。涼平」


「はっ!」


「どうか我輩のために戦っておくれ。これからも頼むぞ」


「お任せ下さい」


 まあ、そう言うしかないだろう。


「して、此度の報酬だが……」


 恒元が執務室の机から小切手を取り出す。そこには『現金一億円也』と書かれていた。俺は思わず目を見開いた。


「これは……」


「当然であろう」


「……ありがとうございます」


 俺は再び頭を下げる。


「これからも頼むぞ。麻木涼平」


「お任せを」


 この男から貰う禄など興味も無い――されど褒美は褒美だ。俺は小切手帳にサインをして、恒元から報酬の一億円を受け取ったのであった。


「では、これにて失礼いたします」


「ああ。また会おう」


 俺は屋敷を後にし、庭園を歩いて行く。すると背後から声がした。


「麻木次長!」


 聞き覚えのある声に振り向くと、そこに佇んでいたのは眞行路秀虎。黒のスーツに縞模様のネクタイを締めた爽やかな装いを着こなしており、顔つきも以前に比べて凛々しさを増している。


「おお、秀虎さんか」


「ご無沙汰しております、次長」


「ああ」


 俺は頷く。


「どうだ? 最近は」


「政治家との付き合いは難儀しておりますが、おかげさまで何とかやっております。これも麻木次長のご指導あってのことと……」


「よせやい。何もかもお前さんの力量によるものだ。俺は何もしちゃいない」


「いえ。本当に感謝しております」


 そんな会話を交わした後、俺は秀虎に尋ねた。


「ところでどうして今日は宮殿に? 理事会の日じゃなかったはずだが?」


「実は、恒元公のお耳に入れておきたいことがございまして。せっかくですから次長のご意見も賜りたく思います」


 秀虎は少し戸惑いを含んだ顔で言葉を続けた。


「今朝、湯岡ゆおかぐみが銀座を訪ねてきまして……彼らは僕に『恒元公への仲立ちを頼みたい』と申しておりました」


「湯岡組? 聞いたことも無い名だな?」


「ええ、大分の日田辺りを仕切る小規模な組でございまして。つい昨年までは玄道会に属していたものの、河上将三郎の六代目継承に反対して組織を脱したようです」


 曰く、組長の湯岡ゆおか雅樹まさきなる男は中川会への恭順を表明しており、小指まで詰めているという。つい昨日の玄道会壊滅で自分も巻き添えを食うと恐れを成したか――しかしながら、妙なことである。


「玄道が潰れてから昨日の今日だ……この業界は情報の足が速いとはいえ、あまりにも手回しが良過ぎる」


「やはり次長もそう思われますよね」


 秀虎を頼ったのは彼が中川会の現幹部陣にて最も年若く、乗じやすいと踏んだからであろう。尤も、俺は別の可能性を予想していた。


「中川会の内部へ入り込むため……かもな」


「ええ、組の皆も同じことを言っていました」


「真っ先に降伏を申し出れば、少なからず恒元公の歓心を買える。そうして中川会へ抱き込まれれば機会が生まれるわけだ……俺たちを内側から衝き崩し、あわよくば恒元公を討つ、格好の機会がな」


 おそらくその湯岡雅樹なる男は偽物だ。本物は昨年に玄道会へ背を向けた時点で河上たちに粛清されており、今回は玄道の残党たちが湯岡の名跡を用いて中川会への復讐を画策した謀略であろう。


 今回の『旋風二十一号作戦』は間違い無く裏社会に衝撃を与えるだろう。何せ、あれは事前の開戦表明が為されていない段階での奇襲だったのだから。卑怯だの姑息だのと煌王会や極星連合は非難するはず。


 されど恒元は開き直るだろう。彼は自らを極道だと称していない。全てを統べる「万物の王」だと真剣な顔で名乗っている。ゆえに極道の流儀などに従う謂れは無い――現に、そんな御教書を俺が九州へ向かった直後に発したらしい。助勤たち曰く幹部たちは困惑したというが、恒元の言うことに逆らえるべくも無かった。


 しかし、俺の博多奇襲は恒元が理事会にて申し付けたこと。総帥を快く思わぬ幹部たちが玄道へ情報を流していても、何らおかしくはなかったはずだが……?


 まあ、その辺りは考えずとも良いだろう。何せ俺の襲撃は成功したのだから。考えるべきは漏らした奴を始末する手はずだ。


 ともあれ、俺は言った。


「俺と真っ向からやり合うのがよっぽど怖いと見た。腰抜けは腰抜けなりに頭が回るもんだな」


「あははっ、違いありませんね。とりあえずは総帥にお伝えしてご意向を仰ぎます」


「おう」


「では、また後ほど」


 苦笑しながら秀虎は宮殿へ入って行った。俺も庭園を抜けて助勤たちの運転する車へ乗り込む。時計を見れば、ちょうど正午のお昼どき。向かう先は決まっている。三丁目の喫茶店だ。


 俺がカランコロンと扉を開けると、華鈴は客と談笑していた。


「ええっ? そうなんですか?」


「うんうん! そのったら、ワインをボトルでぐいっと飲んでもまったくバテないんだよぉ!」


 カウンタ―に腰かけているのは中年の女。確か、この辺りのキャバクラを任されている店長だったか。以前に店へ用心棒代を貰いに行った折に顔を合わせているので、見覚えがある。俺に気付くなり、彼女は笑顔を向けた。


「あら、涼平君! どうもこんにちは!」


「……こんにちは」


 長年にわたって夜の仕事をしているだけあって、人当たりが良く、親しみやすい。年上の女性からファーストネームに『君』を付けて呼ばれるのは少しむず痒い心地だが、顔を見た瞬間に恐れをなして逃げ出されるよりかは気分が良い。


 華鈴も俺に気付いて挨拶する。


「いらっしゃい、涼平。今日は何にする?」


「いつものを頼む」


「ふふっ、了解……あ、そうだ! 親分さんのお屋敷でともちゃんに会わなかった?」


「いや、会ってねぇな」


「そっかあ。じゃあ、ちょうど入れ違いだったのかな」


 華鈴の云うともとは馴染みのキャバ嬢で、ちょうど今コーヒーを飲んでいる女性が仕切る店で働いている。曰く、恒元からの招聘で宮殿へ赴いているという。


「こんな時間から珍しいな」


 すると女性が言った。


「そうなのよ。恒元公ったら、かなりの熱の入れ様でねぇ。あの娘を妾にでもするつもりなのかしら」


 現時点で愛人を二桁以上も囲っているというのに。恒元の好色家ぶりには困ったものだ。けれども彼女たちからすれば、その多情さはむしろ歓迎すべきものらしい。


「だってマンションとか車とか買ってもらえるしぃ!」


「そうそう! お金には困らないしぃ!」


「昼の仕事で普通に働くより、マフィアのボスの愛人になった方が絶対に得だって!」


 店で珈琲を飲んでいたキャバ嬢たちが口々に言う。華鈴が笑った。


「もう! 皆ってば欲深いんだから!」


 キャバクラの店長は俺へ向き直る。


「お下品で申し訳ないわね。でも、皆生きるために必死なのよ」


 時の政権が始めた構造改革は我が国に格差社会をもたらした。投資家や起業家といったごく少数の層だけを富ませる一方、多くの国民は豊かさを味わえないどころかインフレに伴う物価高で困窮に喘いでいる。このカフェに集まる女たちは、元々好きで夜職に就いたわけではないのだろう。その旨は語られずとも分かるので、俺は小さく頷いて応じた。


「ああ。そうだよな」


 彼女たちのためにも、一刻も早く貧困層のための政治改革を為さなくてはなるまい。世を牛耳る中川恒元の傍で仕える者として、俺はひどく身が引き締まる思いだった。玄道会壊滅という大仕事を成し遂げたことだし、少しくらいは踏み込んだ提案をしても差し支えないだろう。


「……」


「何だか凄く難しい顔をしてるね」


「そ、そうか?」


「とりあえずこれを食べて栄養を摂って」


 気付けば注文のポークパスタが完成していた。この『Café Noble』における俺のお気に入りだ。


 どこか心安らぐ香りが鼻腔を伝う中、俺はパスタにフォークを突き刺す。それをゆっくり口にすると、ゆっくりと噛んで麺を喉へ流した。ああ、美味い――ふと視線を感じて見上げると、カウンター越しに華鈴が微笑んでいた。


「……何だ?」


「ふふっ」


「おいおい、何が可笑しい?」


「ううん。何でもない」


 華鈴は首を横に振る。すると女たちが笑い出す。


「マジで美味しそうに食べるよね!」


「うちらまでお腹空いてきちゃった!」


「お熱いねぇ、お二人さん!」


 俺は顔をしかめる。すると店長が口を開いた。


「皆、二人のことが大好きなのよ。この街のベストカップルだもん」


「……え?」


 俺が華鈴を見ると、彼女は顔を真っ赤にしながら俯いている。そんな彼女を見て目を細め、さらに店長は言った。


「華鈴ちゃんから聞いたわ。もうじき二人、結婚するんでしょう?」


「……ああ」


「しっかりしてるわよね」


 店長は続ける。


「それにね、涼平君。あなた、すごく良い男よ」


 俺は思わず苦笑した。


「別に俺は称賛を貰うような男じゃねぇよ」


「いいえ、あなたの顔はまさに良い人って顔だもん。心の内に秘める熱い魂みたいなものが滲み出てると云えば良いのかしら」


「……」


 胸が熱くなった。中川恒元という暗黒の帝王に仕えながらも人々を救うために行動せんとしている、俺という人間の本質を認めてくれたように思えたから。こんな血にまみれた男でも、褒めてもらえる――俺は自然と笑顔になった。心の底から嬉しさがこみ上げ、堪えるのが大変だった。


「あなたなら、絶対に華鈴ちゃんを幸せに出来るから。もっと自信を持ちなさいよね」


「あっ、ありがとよ」


 照れ隠しに煙草に火を付け、灰を皿の上に捨てる。少しばかり俯いた愛しい女の前で、魂が芯から満たさてゆく。


「涼平君。華鈴ちゃんのことをよろしく。ずっとお幸せにね」


 俺は「勿論だ!」と力強く応えたのであった。


 それから女たちが去った後、俺は窓の外をぼんやりと眺める。夏の空は格別に美しかった。立ち上る入道雲の白さが夏模様を映しており、冷ややかなビル風が道行く人々の衣を爽やかになびかせている。


 そんな只中にあって俺は、ブラウン管から流れるクラシックピアノに耳を傾けつつ、珈琲の風味を楽しんでいた。まるでこの時間が至福の時間であると云わんばかりに。心が癒される。


「しっかし、嬉しいもんだな。最近じゃ、街で会うカタギどもは総じて俺の顔を見た瞬間に逃げるってのに。まだあんな人が残ってたとは」


「まあ……ね」


 その瞬間、華鈴が少しばかり意味深な笑みを作った気がしたが、彼女はすぐに元の表情に戻って言葉を紡いだ。


「でも、あの店長さんだけじゃないよ。涼平がホントは良い男だって思う人は沢山いるんだから」


 俺は頭を掻く。満更でもないのである。しかしながら、それを悟られるのは何となく恥ずかしいので、煙草を取り出し唇に銜えた。


 煙草に火を点け吸い始めた時、テレビがニュースを伝えた。


『東京タワーに代わる新たな超高層電波塔の建設案をめぐる政府と東京都、墨田区による三者協議は今日、建設予定地を墨田区押上に決定することで合意しました。平成21年の送電開始をめどに今年中の着工を目指しています』


 そういえば、連日の新聞の見出しに載っていたな。日本中に電波を送る東京タワーより高い建物が乱立するようになったため、超高層電波塔建設による新たな通信インフラの構築が喫緊の課題となり『新東京タワー』なるものを建てる必要が出てきたと。


 華鈴が興奮気味に語った。


「へぇ、凄いじゃん! 近いうちに、きっと東京は変わるよね!」


「ああ……良いことだ」


 俺は漠然と答えた。しかしながら恒元の側近としては素直に喜べない。新東京タワーの建設は莫大な富を生む金脈だ。墨田区は本家直轄領ゆえ、当然ながら恒元自身が仕切るシノギになる。されども、横取りを企む連中の発生は否定できない。最低でも数百億、開業後の見込みを勘案すれば年間数兆円にも上るやもしれぬカネのに目が眩まぬ者がいようか。


 近頃の恒元の恐怖政治じみた組織運営に反感を抱く幹部たちが、新タワー建設を好機と捉え簒奪工作を仕掛ける可能性は高い。もし、この案件の乗っ取りに成功しようものなら、幹部たちは一気に強大な発言力を得ることになる。秘宝『以津真天の卵』の力があろうと、彼らの勢いを恒元は無視できなくなるだろう。


 俺は幹部連中の動きが心配でならなかった。ようやく組織の中央集権化を成したばかりだというのに。


「……」


 だが、少し考え直して頭を振る。建設予定地策定をめぐる政治家たちの動きは全て掌の上らしく、恒元は特にはしゃいだりする様子も無く至って超然としている。この件が全て思うままに進むという自信があるからこその、余裕ぶった態度なのだろう。


「涼平?」


「……あ、いや。何でもねぇ。うちの組織にとってはデカいシノギになるから、その、ちゃんと進むかどうか心配でな」


「ちゃんと進むでしょ。中川の親分さんなら。もし、邪魔する奴が現れてもその時は涼平が瞬く間に倒しちゃうだろうし」


「ま、まあな」


 華鈴は微笑んだ。


「それでこそ涼平だよね」


 恋人との会話をよそにテレビからは音声が続く。


『新東京タワーの建設予定地をめぐってはと墨田区と埼玉県さいたま市が揉めていましたが、さいたま市の地域住民による建設反対の声が根強いことなどを鑑み、さいたま市が先月に誘致戦からの撤退を正式表明し、予定地の一本化が成された格好になります』


 俺が灰皿で煙草を擦り消すと同時、華鈴がテレビを消す。彼女は少し顔を赤らめながら言った。


「ねぇ、あたしたちの式なんだけど……景色の良い場所でやれたら良いよね」


「ああ、まあな」


「……ふふっ、良かった」


 俺は胸を高鳴らせた。だ日にちも場所も定まっていないが、俺との挙式を華鈴は楽しみにしている。ならば俺も気を入れ直して準備せねばならない――何といっても、生涯の伴侶となるべき女性との一生に一度の催しなのだから。


 互いに言葉を発するわけでもなく、じっと見つめ合う俺と華鈴。気付けば引き寄せるように接吻くちづけを交わしていた。心地好い温もりが唇から伝わり、暫しの幸福感に身を委ねた後で互いの唇が離れ、二人して真っ赤な顔で微笑み合う。


 華鈴が居れば、それだけで俺の心は温かくなる。異国にて傭兵稼業に明け暮れ、人を殺すことしか能の無かった俺を初めて愛してくれたのが彼女だ。彼女を幸せにするためだったら、如何なる手段も厭わないであろう。それこそ、血まみれの天使にでも何でもなってやる。思えば、俺という人間を誰より先に『天使』とたとえたのは華鈴だったな。きっと東欧の宗教のことは存じていないだろうから、レムルギウスに喩えたわけではないはず。純粋に「美しき理想のために血にまみれる」という行為を彼女は支持してくれている。たとえ、この街の全てのカタギにそっぽを向かれようと、それだけで俺は生きていける。


 愛しい女との結婚式には、俺の大切な人々を呼んでやりたい。俺と共に戦地を駆けてくれる仲間、執事局の助勤たち――中でも酒井と原田だ。


 関西の戦地に居る彼らの顔が浮かび、俺は自然と目が細まった。彼らは俺と華鈴の仲を応援してくれている。2人が俺の結婚式に顔を出す姿を想像するだけで嬉しくなる。


 ああ、彼らは元気でやっているだろうか。俺が直々に教え込んだ、自慢の弟分たちだ。きっと煌王会を相手に勇猛果敢に暴れまわり、武功を立てているに違いない。


 自然と笑みがこぼれた俺に、愛しの女は言った。


「結婚したら『麻木あさぎ華鈴かりん』になるのかぁ。うふふっ、楽しみだな」


「いや、まあ。確かにそうだな」


 互いに惚気ていると、扉が開いて常連の老婦人が入ってきた。それを合図に互いに顔を見合わせ、俺たちはそれぞれの日常へと戻った。俺は万札をテーブルに乗せて店を出て、華鈴は冷や水を供して注文を尋ねる。この働き者の女を妻として迎えられるなんて、つくづく幸せなことだと思える。


「……ふふっ」


 そんな薄ら笑いを浮かべながら、近くの空き地で待たせていた車に乗って宮殿へ帰った俺。ただ、屋敷の中では何とも奇妙な事象が発生していた。


「ああ、麻木次長」


「秀虎さん? どうした?」


「総帥に謁見したく伺ったのは良いのですが、なかなかお目通りが叶わないのです」


 ため息をつき、秀虎は懐中時計に視線を落とす。


「もうかれこれ2時間です……」


 聞けば恒元からは助勤を通して『手が空いたら執務室へ呼ぶから応接間で待っておれ』と言われたそうだが、いつになっても入室できず待ちぼうけ。これだけ時間が経てば、流石の秀虎も気が気ではあるまい。


「はあ、全く困りましたね」


「……少々心配だな。ちょっと行ってくる」


「そうして頂ければ幸いです」


 しかしまあ、どういう理由で秀虎を待たせているのか気になるところだ。時間的に昼食は摂り終えた後だろうし、何だったら食後の茶を飲む席に銀座の御曹司を招いても良さそうなものだが。大体、俺の中で恒元が執務室から出ないことについての予想は付いていた。


「よう。総帥はどうなされた」


 やがて執務室の前に辿り着き、扉を守る助勤に声をかけると2名とも全力で笑いを堪えた表情をした。ああ、案の定か――俺が苦笑で失笑を催すと同時、室内から女性のものと思しき嬉声が聞こえた。


「親分さんっ! あんっ! ああんっ!」


「はっはっは! お前は素晴らしいな! 我輩は美しいものが好きだ!」


「もうっ! お爺ちゃんのくせに変態なんだからっ!」


 声の主は友花か。彼女と総帥の二人でいちゃついているらしい。俺は助勤たちへ向き直る。


「まあ、そういうことか。お前らも大変だな」


「は、はい……」


「これで美味いもんでも食ってくれ」


 労をねぎらうべく助勤たちに小遣いを渡して俺が扉から去ろうとした時、またも室内から声が聞こえた。


「あんっ! 親分さんっ、すっごいよ!」


「はっはっは。まだまだ若い者には負けぬぞ」


 扉の奥から、何やらけたたましい音が聞こえる。一体、何をしているのだ。あまり考えない方が良いのかもしれない。俺の中で妙な妄想が湧き起こり始めた時、室内から声が聞こえた。


「おお、涼平か! 何としたのだ?」


 おいおい、先ほどの助勤たちとの会話を扉越しに……それも情事に耽りながら鼓膜で感じたというのか。尤も、恒元は若かりし頃には戦地を駆けていた軍人だったから、耳が良いのは当然なのだが。


「お楽しみのところ失礼いたします! 先ほどより眞行路秀虎が謁見を申し出ております!」


 すると恒元が「お前も入るが良いぞ」と言ったので、俺は躊躇いがちに扉を開けた。室内では裸の老人と女性が、額に汗を浮かべて事に励んでいた。


「いやあっ! 親分さん、わきの下は駄目ぇっ! 感じちゃうっ!」


「ふははっ! もっと良い声で鳴くのだ! 美しい女よ!」


 恒元は自らの男根を友花の右の腋に挟んで前後にピストン運動を行っていた。俺は二度目の失笑を吹き出しかけた。老人が若い女の身体であんなコトをしているとは――まったく、どういう戯れなのだ。しかし、恒元のハアハアという荒い息遣いから考えるに、どうやら友花のはさむ力は強大らしい。やがて恒元は真っ白な液体を放出した。


「んっ! やぁっ!」


 友花から甲高い嬌声が発せられると共に、一滴も残すまいと恒元の男根はびゅくびゅくと果てのない射出を繰り返す。凄まじい量の欲の結晶が彼女の腋に大量に注がれ、俺は思わず目を背けた。


 しかし、一番の問題はそこからだった。


「ふうっ! ふむ……この美しさとエロティックさを兼ね備えた技を持つ女と云ったら……」


 恒元はガクガクと震える友花を抱き寄せ、俺へ視線を移す。


「さあ、涼平。この娘の腋をお前の舌で綺麗にしてやりなさい」


 要するに自分の精液を舐めろというわけらしい……無論、断る選択肢などあるわけもない。俺はコクンと頷いた。


「はっ、承知いたしました」


 そう言って、俺は膝をついた友花へ近づき、彼女の汚れた腋にペロッと舌を這わせた。


「ああんっ!」


 ピクンと跳ねる友花。かなり敏感らしい。それからも俺はひたすら彼女の腋に顔を埋め、ペロペロと舐めまわし続ける。何とも形容しがたい味だ。決して美味というわけではない。されど、舌にまとわりつく粘着質な感触は妙に癖になるものがある。


「あふっ! ちょっとぉ、くすぐったいよぅ……」


 友花が切なげな声を発する。俺は構わず舐め続けた。その横で恒元が呟く。


「まあ、美しい女ではあるが。我輩のを産めるかどうかは別だ。赤ん坊を宿せぬ女に値打ちは無い」


 随分とゲスなことを言ってくれるじゃないか。尤も、反論などしない。ただ、無言で頷いて、恒元の申し付け通りの事を為すだけだ。娼婦の腋を舌で舐めて綺麗にするという、あまりにも異質なリクエストを果たすのである。


「……ところで、秀虎が待っておるとか?」


「左様でございます」


「まったく、せっかくのひと時に水を差すとは。あの小童こわっぱも無粋だな」


 そう呟くと恒元は全裸のまま執務室の扉へと向かう。「風呂で汗を流す。友花も参れ」と付け足しながら。


「すまぬな。お前との楽しみは夜にとっておく」


「はっ、ごゆるりとお楽しみくださいませ」


「ああ、我輩の愛しい涼平よ……四六時中お前を抱いてやれぬのが惜しゅうてならぬわ……」


 抱き寄せた俺に接吻を施した後、恒元は同じく裸の友花と手を繋いで風呂場へと向かっていった。残された俺は散らかった部屋を片付けながらため息をつく。


 やれやれ。


 まさか執務室でお楽しみとはな。寝室へ行かないのは移動の手間もあろうが、たぶんアリーシャ夫人の機嫌が気になるからだと思う。


 彼女は夫の浮気を黙認している。されど、白昼堂々と屋敷に妾を連れ込んでは流石に気まずい。万物を統べる暗黒の帝王も妻には弱いと見た。厳密に云えば今の恒元が統べられるのは決して万物ではないのだが。


 それから数十分後。執務室に彼の声が響いた。


「左様に下らぬことでいちいち顔を出すな! ひと思いに殺せば良いではないか!」


 寵姫と共にシャワーで汗を流し終えた恒元は、バスローブ姿のまま執務室へ戻り、待ち侘びていた秀虎を叱咤したのである。


「し、しかし、総帥のお耳に入れておかねばと思いまして……」


「事後報告で構わぬ! そんなことより我輩を侮った不埒者を少しでも長く生かす方が気に食わん!」


「も、申し訳ございませんでした! で、では、さっそく組へ帰ったら湯岡を始末いたします!」


 恭しく小刻みに礼をする秀虎に舌打ちを鳴らした後、ため息をついて恒元は言った。


「お前は曲がりなりにも銀座の猛獣のせがれである。眞行路一家の五代目なのだぞ。少しは己の頭で動け。さもなくば良い笑い者であろう」


「は、はっ! 誠にごもっともでございます! 恒元公の御心に従うよう心がけます!」


 恒元は「ふんっ」と鼻を鳴らしてソファに腰掛けると、テーブルに置かれたティーカップを手に取って紅茶を口に含んだ。その横では秀虎が直立不動で立ち尽くしながら、総帥の次なる言葉を待っている。


「まあ良い。その湯岡なる者の始末はお前に任せる……まったく、お前がこうも情けないとは思わなんだ。輝虎なら、もう少し自分の頭で考えて動いておったぞ」


「はっ。恐縮です」


 己の不甲斐なさを詫びながら、秀虎は帰って行った。その際、彼の唇が歯で強く噛みしめられる光景を俺は確かに見ていた。


「……」


 タオルで頭を拭き、恒元は苛立ち任せにカップに残った紅茶を飲み干した。そして、俺へ振り返る。


「ああ、そうだ。お前にひとつ頼みがある」


「何でございましょうか?」


「秀虎が、その湯岡なる男をきちんと殺すかどうか見極め……」


 ところが、その瞬間。


 ――ドーンッ!


 凄まじい轟音が窓の外から響いた。俺は反射的に窓の外へ振り向き、恒元もまた俺の声に顔を上げた。


「何だっ!? この音はっ!」


 そう言って窓へ駆け寄った俺は、駐車場に止められていた車から黒煙が上がっている様子を目の当たりにした。どうやら爆発した模様らしい。


「襲撃か?」


「……おそらくは。念のためご用心ください」


 助勤たちに指示を飛ばし、総帥を別宅へ移動させる俺は直後に気付いた。爆発したと思しき車が誰のものであるかを。


「あれは……眞行路一家の車!」


 秀虎が乗ろうとしていた、あるいは彼が乗り込んだ直後に車が爆発したと思われる。一体、何が起きたというのだ――銀座の御曹司の安否が気になるあまり、俺の心臓の鼓動は激しく乱れ打っていた。

車が爆発! 秀虎は無事か? 次回、歯車が動き始める……。

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