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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第15章 血まみれの天使
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敵の敵は味方

 2006年6月5日。


 俺は単身大阪へと飛んだ。いつもなら二人の可愛い弟分が付いているが、今回は一人旅。何故なら酒井祐二と原田亮助は遠征軍の一員として戦地に先回りしていたからだ。


「よう、来てやったぞ」


 さっそく堺市北区の総本陣へ顔を出すと、二人は子供のように喜んだ。


「次長ぉ!」


「兄貴ィ!」


 二人とも俺との再会に心を躍らせていた。彼らが纏う執事局仕様のヴァンパイア風スーツには無数の返り血が付着しており、戦いの激しさを表していた。


「元気そうで何よりだ。今の戦況は?」


 酒井と原田は顔を見合わせるとそれぞれため息と共に言った。


「良くはありませんね。一進一退どころか一歩も先へ行けてません」


「関西の連中は化け物ですよ。叩いても叩いても魔物みてぇに湧いてきやがる」


 俺はゆっくりと頷いた。


「そうだよな……」


 遠征軍の苦戦ぶりは赤坂にも伝わっている。恒元には「尻を叩いてくる」と言ったが、煌王会のゲリラ戦術を前に必死で戦っている当人たちにそんな野暮な真似が出来るわけもない。


 ましてや元傭兵だ。国同士の戦いと裏社会の抗争は違えど、地域住民が憎悪に駆られ牙を剥いてきた時の恐ろしさを知っている身としては、制圧前進が賢い選択でないことくらい分かる。


「……ここらじゃ関東博徒は歓迎されてねぇみてぇだな」


 そう敢えて戯けて言った俺に、近くを歩いていた背広の男が「歓迎されてねぇどころのレベルじゃねぇぞ」と眉を顰める。


「煌王がカタギ連中を焚きつけてやがるのさ。『中川の構成員を殺した人間には標的の格に関係なく褒美をとらせる』ってよ」


 彼は原田一家の原田和彦総長。原田亮助の父親で、派遣軍の後詰部隊として大阪へやって来ている。ここでの日々は上手くいかないことの方が多いようで、顔全体に疲れの色が滲んでいる。「まったく」と彼は続けた。


「おかげで俺たちはこの街から一歩も先へ進めねぇ。次々と湧いて出てくるカタギの相手をしてばかりだ」


「カタギに道具を握らせるとは……こうして大阪の手前に釘付けにすることが煌王の狙いだったのかもな」


 俺が言うと、原田は「ああ」と頷く。


中川会おれらは、まんまと敵の罠に嵌まったのかもしれねぇ。あっさりと占領できたから不思議に思ってたが」


 堺は煌王会の勢力圏の中でも発展が進んだ都市で、その繁栄ぶりは大阪市に迫る勢い。俺たちを封じ込めるための餌に使うにしては少し勿体ない気もするが、本拠地を防衛するためなら安い出費と考えているのだろう。


「ってなわけで、今の時点で大阪へ総攻めを仕掛けられるのは村雨組だけだ。奴らは俺たちと違って街の制圧にこだわらなかったからな」


「その村雨組もアテにならんぞ。ご存じの通り、奴らは一昨日と昨日にも赤坂へちょっかいかけてきやがった」


「だからあんたの出発が遅れたのか?」


「本家の領地シマを預かる執事局の次長として牽制しねぇわけにはいかなかった」


 俺は大阪へ赴く前、助勤を率いて横浜への報復攻撃を敢行していた。山手町の屋敷にシマ荒らしの下手人どもの惨殺体を投げ込むことで、中川会としての意思を示したのだ。


「煌王に続いて村雨とも揉めるたぁ……クソがっ、ますます緒戦の選択の誤りを恨みたいぜ! 越坂部の野郎もとんだヘマをやらかしてくれたもんだ!」


 するとその荒々しい愚痴を窘める男がいた。


「そこまでにしておけ。和彦」


 原田総長の肩をポンと叩いた白髪の男――今度は酒井祐二の父親で、酒井組の酒井義直組長である。


「越坂部の親分は軍資金の調達を優先しただけのこと。あの状況ではミスとは云えないだろうに」


「しかしだなぁ、兄弟。越坂部がこの街に拠点ヤサを出すことにこだわってなけりゃ今ごろ……」


「和彦!」


 今度は強めに肩を叩かれると、原田総長は「ひぇっ」と首をすぼめる。そして苦い笑みをこぼすと傍らにいた若者を睨み、わざとらしい声色で言った。


「へいへい。キレたら誰も止められねぇっていうお前の親父が眉間に皺寄せてんだ、これ以上の愚痴はやめとくよ」


 すると本人ではなく父親の酒井組長が「ふん」と笑う。その笑みにはどこか優しげなものがあった。


「だいぶ長いこと休んでいないのではないか?」


「まあ、確かに」


「この機会だから気分転換と行こうじゃないか、潰れん程度なら飲んでも差し支えないだろう」


 そうして父親同士が連れ立って去ってゆくと、酒井と原田は俺に頭を下げた。


「次長。すんませんでした」


「お見苦しいもんを見せちまって……親父には後できつく言っときますんで、どうか」


 失笑しながら「別に謝ることじゃないさ」と応じた俺。一方で気になることがあった。


「越坂部の親分はどこに?」


「交野で陣を張ってます。村雨組が攻めてくるかもしれねぇってんで」


 村雨組が滋賀に集まっていることは把握していた。ゆえに椋鳥一家がその抑えにあたるというわけか。


「だが、どうして交野に? 滋賀からの攻撃に備えるならもっと北辺りまで出た方が良いんじゃねぇのか?」


「そうなんですよね。でも、父さんたちが何度助言しても聞かなくて」


 渋い顔をする酒井に「この分じゃ大阪の総攻めもおぼつかねぇぞ」と俺は嘆息した。


 この戦況をどうにか挽回する戦略があれば――思い浮かんだのは単純明快な作戦。村雨組との直接的な交渉だ。


「村雨の腹を確かめておきたい。奴が中川会にも喧嘩を売る気なのか否かをな」


 俺の言葉に二人の部下は息を呑んだ。こうまで苦戦を強いられている時に村雨組とも本格的に事を構えるなど馬鹿馬鹿しい。


「向こうの出方次第によっては奴を始末する。組織同士のドンパチに発展させねぇためにも今ここで動くんだ」


 わなわなと頷いた部下たちに「しかし」と俺は続ける。


「ここ数日の行動が村雨耀介の意思でないとすれば、奴らとは手を結ぶ道もある。赤坂と横浜の相互不可侵協定くらいは取り付けられるはず……そうすりゃ共に煌王会を叩き潰せるってわけだ」


 すると酒井は「村雨組と手を結べるんですか?」と意外そうに目を丸くする。


「あの男は根っからの喧嘩好きだが頭は切れる。打算と刺激のどっちを選ぶかは分からんが、心を開かせる隙はある」


 尤も、村雨耀介という男の考えていることは理解できないのだが。


「しかし、相手はあの残虐魔王ですぜ。下手に手を出そうもんなら……」


「分かってるさ。だから、まずは俺が単独で村雨と接触する」


 すると酒井と原田は目を見合わせた。


「そんなぁ……いくらなんでも危ないですって」


「そうですよ。万が一ってこともありますぜ」


 俺は二人に「大丈夫だ」と応じる。平安時代から続く一撃必殺の武術の使い手が敵を前に臆するわけにはいかない。


 だが、身を案じてくれる部下たちを放っておくほど薄情な男でもない。フッと笑い、彼らに言った。


「なら、ついてきても構わんぞ。幹部ともあろう男が部下も付けずに敵地を歩いたんじゃ格好が付かねぇからな」


 その提案に彼らは「はい!」と頷き、かくして俺の村雨組との外交が幕を開けた。


 とはいえ、関東でいざこざがあった現状では殴り込みにも等しい行為。あの件の真相が何であれ歓待されるわけがないので気は抜けない。


 俺は部下たちに武装を確認させると、酒井組長に後を頼んで北へ車を走らせた。村雨が陣を敷いている地点に関しては局長配下の隠密斥候で既に把握済みだ。


 滋賀県甲賀市。


 戦国時代に数多くの忍者を輩出した土地が抗争の舞台になるとは何とも奇妙なめぐりあわせ。市の中心部のすぐ近くに建つ廃墟に彼らは集っていた。


「おう……さっそくか」


 車を降りるや否や、男たちに囲まれた。流石は武闘派村雨組、拠点に見慣れぬ車が接近した際にとるべき行動は日頃より教え込まれているようだ。


「テメェは麻木! 何の用だ!」


 その中の一人が昔からの馴染みだったので俺は「よう。相変わらず下っ端のままか」と挨拶する。


「おたくらの親分に会いに来た。話を通してくれねぇか?」


「馬鹿を言うな。体を蜂の巣にされてぇのか」


 すると酒井が「おい」と間に入る。


「この方は麻木涼平様だぜ。得物を向けたところでテメェらごときが勝てねぇことくらい分かるだろうよ」


 原田もまた「兄貴の最強伝説を知らねぇのか。間抜けども」と言い放つ。そんな部下たちに苦笑しながらも俺は続けた。


「腕っぷしはさておき、曲がりなりにも俺は中川会の幹部だ。居候してた頃ならまだしも、今もその辺のチンピラと同じように扱われる謂れは無いぜ」


「けっ、調子に乗りやがって……」


「少なくとも俺は中川恒元公より組織外交の一切をお預かりしている身だ。あんたらの態度如何で即戦争に繋がるってことは覚えておくべきだな」


 それに頷いて酒井が「そういうことだ。分かったならとっと通しやがれ」と凄む。その迫力に圧されたのか、村雨組構成員たちは渋々と得物を下ろした。


「お前らの反応で分かった。残虐魔王に中川会と揉める気はぇってことがな」


 もしも中川会に刃を向ける意向が少しでもあれば、俺が車から降りた時点で下っ端たちが発砲していてもおかしくはない――と考えていると声が響いた。


「少し見ぬうちにまたひとつ良き顔になったな。涼平よ」


 鼻を鳴らし、俺はその声を発した人物に視線を向ける。


「よう。あんたは変わらねぇな、村雨さん」


 長い髪を風にたなびかせる男、村雨耀介。


 天才な喧嘩の腕で横浜を仕切り、人間離れした戦い方と敵対勢力への非道な攻撃から「残虐魔王」の渾名で恐れられる猛将。


 その強さは、およそ人間が到達できる極限の域に至っていることは間違いないだろう。かくいう俺も地球上で最も恐れていた。


 されど今は違う。


 愛する女と共に抱いた理想を成すためには、どんな相手とも渡り合っていかねばならない。敵の発する闘気ごときで怯んでいて何とするのだ。


 そもそも俺は中川会最強のアサシン、麻木涼平だ。その気概に揺るぎなどあるはずもなかろう。


「まずはひとつ、文句を言わせてくれや」


 俺は村雨の顔を真っ直ぐに見据えて声をぶつけた。


「他人様のシマを荒らすこたぁ無ぇだろ。うちの人間をるとはどういうつもりだ」


 事あるごとに魔王の影に怯えていた昔の俺からは考えられない啖呵。当の村雨の反応は何とも満足気味だった。


「よう申したな、涼平よ。この私に向かって闘気を放つとは……お前も大きくなったものだ」


 かつての寵童が己を恐れなくなったことが喜ばしいとでも云うのか。まったく、侮ってくれるぜ。


「あれはあんたの指示か?」


 嘲弄じみた褒め言葉を無視して尋ねた俺に、村雨は「さて」と首をひねる。


「ここのところ大阪を攻め落とすことに躍起になっておったのでな。横浜に見向きする暇など無いわ」


 俺は「そうかい」と鼻で笑う。


「なら、このいざこざの落とし前はどう付けるつもりだ? あんたらも中川会うちと揉める気は無ぇんだろ?」


 すると村雨は「ふむ……」と顎に手を当てた。


「ならば、こうしようではないか」


「どうするんだ?」


「私とお前とで手合わせをし、勝った方が負けた方の願いを呑む。それが良い」


 思わず「手合わせだと?」と眉を顰めた。


「どういう風の吹き回しだ?」


 そんな俺に村雨は「なに」と口角を上げる。


「涼平よ、お前はまだ私の足元にすら及ばぬ。この私に勝つなど夢のまた夢であろう」


 その発言に俺は失笑した。確かに村雨の強さは人間離れしているが、敵の貫禄に怯む麻木涼平ではない。


「良いぜ。やってやろうじゃねぇか」


 背後で部下二人が顔を青くするが、俺は「大丈夫だ」と言って村雨の挑発に乗ってやった。


 喧嘩好きだが切れる頭も備えている――だから残虐魔王は苦手だ。岩口が中川会の領地を荒らしたことについて村雨は肯定も否定もしなかったが、それは『中川会と手を結ぶ気は無い』という現時点での彼の姿勢を端的に表している。


 おそらくあの一件は村雨の差し金ではないのだろう。だが、敢えて真意を口にしないのは敵方の調略で起きた部下の暴走を中川恒元への牽制に利用する腹積もりだからだ。


 ならば俺は、その意思を捻じ曲げてやる。


「村雨さんよ。あんたとの勝負、俺が勝ったら中川会と手を結んでもらいたい」


「ふむ」


「そして俺が負けたら、あんたの願いとやらを全て叶えてやろうじゃねぇか」


 すると村雨は「良かろう」と頷いたが、自らの思惑を口にすることは無かった。代わりに見せたのは、凄まじい突撃。


 刹那、目にも止まらぬほどの速さで、間合いを詰めてきたのである。


「っ!」


 咄嗟に村雨の腕を掴んで投げ飛ばそうとするが、その寸前で彼は俺の腕を払いのける。そして間髪入れずに拳打を繰り出した。


「くっ!」


 俺はそれを間一髪で躱し、反撃に転じようとするが、村雨の連撃は止まらない。まるで機関銃のような攻撃に防戦一方となる。


 だが、ここで怯んでいては負けだ。俺はフッと息を吐き出すと決意を固めた。そして、全力の掌底を打ち放つ。


「でやあああっ!」


 空気が揺れた。


 ――ブォン!


 超音速の動作により発生した衝撃波で、村雨の体が後方へ吹っ飛ぶ。だが、彼はそれを予測していたかのように両腕を交差させて防いでいた。


「ふっ……やりおるな。噂通りだ。しかし!」


 不敵に笑うと、村雨は目を光らせる。そして地面を蹴り上げて攻撃を仕掛けてきた。その速度は先程の比ではない。


「なっ!」


 すかさず繰り出された中段蹴りを自らも蹴りを打つことでいなすが、勢いに負けて後ずさった。その間にも村雨の攻撃は止まらない。


 俺が発生させる衝撃波を打ち破るとは――この攻撃を食らったら極限まで強化した肉体と云えどもダメージは甚大だ。


 流石は残虐魔王、村雨耀介。思い返せば今まで組み合ったことは無かったが、それはむしろ正解だったかもしれない。


 蛇王との戦いを経て衝撃波の精度に磨きをかけた今の俺でなければ、彼に対して防御など為せなかったであろうから。


「何だ! その程度か、涼平ッ!」


 まるで俺が背にするコンクリートの壁に押し付けられるようにして攻撃を浴び続ける。


「ぐうっ……」


 その威力に思わず呻き声が漏れた。だが、こちらにも切り札はある。次の瞬間、俺は水平に手刀を切った。


 ――シュッ。


 その一撃で放出された衝撃波は脇腹を掠め、村雨は血を流して後退る。そして目を細めながら「それがお前の奥儀か」と言った。


「見事なり」


 対する俺は村雨を見つめ返す。そこに隙は無く、その身から放たれる闘気は今までにないくらい濃かった。


「……だが、まだ甘いな」


「何だとっ?」


 すると村雨は「ふん」と鼻を鳴らすと、再び猛然と攻撃を仕掛けてきた。雨のように降る打撃の連発。


 だが、俺もやられっ放しではいられない。奴の一撃を躱すと同時にカウンタ―の貫手を放つ。


 されども村雨の表情は少しも変わらない。


「涼平よ」


「ああ!?」


 次の瞬間、俺の攻撃が弾かれる。村雨の掌によって。


「馬鹿なッ!」


 直後、間髪入れずに蹴りが飛んできた。その一撃は、まるで鉄球のよう。


「ぐうっ!」


 咄嗟に防いだものの、その衝撃は凄まじく俺は後方に吹き飛ばされた。そして地面に手を付きながらも何とか立ち上がる。


 だが、その時には村雨が目前に迫っている。


「トドメだ」


 よもやこれほどまでとは――しかし、ここまで肉薄されたらやる他ない。俺は一心不乱に村雨の腹部めがけて掌底を放つ。


「うおおおおおおーッ!!」


 その場に俺の絶叫が響き渡る。気付いた時には村雨耀介は後方へ飛んでいた。


「……良き一撃であったぞ」


 口からは血を吐いている。俺にとっては正拳突きを食らう寸前に繰り出した反撃だったので、村雨も回避が遅れたと見える。


 ほぼ賭けに近い攻撃だった。今の動作が少しでも遅ければ、俺は忽ちノックアウトされていたことだろう。


「はあっ、あんたもやるじゃねぇか」


 よろよろと立ち上がり、手を構え直す俺。呼吸が酷く乱れていて、なおかつスタミナも消耗している。


 鞍馬菊水流の使い手をここまで疲労困憊にさせるとは。村雨耀介の底知れぬ力には戦慄を覚える他ない。


「だが、勝負はここからだぜ……」


 そう言った俺に村雨は思いがけないことを口走るのであった。


「引き分けだ」


「えっ?」


「お前は息を乱し、私は血を流した。互いに決定的な一撃を与えられなかった。ゆえにこの勝負は引き分けだ」


「何を言ってんだ、あんた!」


 しかし、村雨は「どちらが願いを呑むかを分かつ勝負。息の根を止める必要はあるまい」と語るばかり。


「いや、確かにそうだが……」


 曖昧な形で勝負が決すれば、それはすなわち村雨組との外交の失敗を意味する。


「……引き下がれねぇな。あんたと手を結ぶ約束を取り付けるまでは」


「ならば呑もう」


「は?」


「此度の戦が終わるまでに限って、中川殿と手を結ぶ。これで良いか」


 随分とあっさり言ってのけるではないか。俺が呆気にとられていると村雨は続けた。


「代わりにお前も私の願いを叶えると申しておったな」


「あ、ああ」


「では、我が領地へ踏み入った不埒な賊党を打ち払って貰おうではないか。中川殿のお力によってな」


 曰く、近頃に横浜で中国マフィアが勢力を戻しており、奴らに感化された暴走族やカラーモブたちが村雨組のシノギを荒らすようになっているという。


「つまりは横浜を中川会に預けると?」


「左様、此度の戦が終わるまでの間に限ってな」


「良いぜ……元よりそのつもりだったんだ」


 見方によっては不可侵協定どころか相互援助協定の締結とも云える。願ったり叶ったりの交渉成就である。


「恒元公は、きっとあんたの領地を前にも増して住みよい街にしてくださることだろう。期待して待っててくれ」


 すると村雨は「ふふっ」と鼻を鳴らす。


「幼き時分は半ば狂った獣であったお前の口から、左様な台詞が飛び出るとは……」


「言いやがる」


 思わず苦笑する俺に村雨は「いや」と首を振って言葉を続けた。


「風の噂で案じておったのだ。似合わぬことをしているのではあるまいか、とな」


「俺はあんたに言われた通り、俺の信じた道を進んでるだけだ」


「それは良かった。私の見込み違いであれば、すぐにでもお前を討ちに参っておったところであった」


 四国で起きた一件のことを言っているのか。かくいうあんたも、出会った頃からカタギを手にかけることに何の躊躇も無かったくせに――そんな文句は叩かないでおく。


 村雨の言葉の根底にあるのは純粋な懸念だ。親が己の元を離れた我が子に対して向けるような、慈愛と憐れみが混ざった想いが彼の声色からは感じられるのだから。


「……心配かけてすまねぇな。だが、俺は俺のままだ」


「分かっておるわ」


 少しばかり寂しい空気が俺たちを包んだ。数秒の間を入れた後、村雨は「この機会だ」と提案した。


「茶の一杯でも飲んで帰るが良い。私も久しぶりに、お前に馳走でも振る舞おうではないか」


 すると車に控えていた組員たちが「へ、組長っ!?」と口々に動揺の声を上げる。


「何を狼狽えておるのだ。私はただ、客人をもてなすと申しただけであるぞ」


 組員たちはすぐに納得したが、俺としては少し困惑をおぼえた。村雨は他人に対して馴れ合いを好む男ではなかったはずなのに。


 もしかしたら俺の知っている村雨耀介という男は過去のものであり、今や完全に人間性が変わったのかもしれないが……どうあれかつての親分との再会を満喫するとしよう。


 それから俺は村雨の案内で廃墟の中へ通された。


「今や、あんたの組も千を超える一大勢力だ。料亭でも高級旅館でも、他に陣を敷ける場所は沢山あったろうに」


「陣というものはその時々に応じて移し替えるが常道。すぐに引き払う住まいに銭を費やして何とするのだ」


 微笑みながら「そうか」と俺は頷く。村雨の組員は皆、彼のことを尊敬している。ゆえに汚らしい廃墟ではあるが、その組長が選んだ場所ならば文句は無いのだろう。


 やがて俺たちは村雨の玉座へ通された。几帳と呼ばれる古めかしいパーティションで仕切られたスペースだ。


 俺たちを座らせるや「茶を淹れて参る」と席を外した村雨に「手伝おうか?」と尋ねたが、「客人にそのようなことをさせられる訳がないであろう」と笑われた。


 その辺りも村雨らしい。昔と何ら変わっていない。


 そうしてほどなくして、一つの湯飲みが運ばれてきた。中身は煎茶だ。


「あんたは飲まないのか?」


「私には茶は合わん」


「何でだよ?」


 尋ねると彼はフッと微笑しながら答えた。


「喉が嫌うのだ。大陸で作られたものではない茶葉を使ってはな」


 そんな回答に俺は笑うしかなかった。昔から何かにつけて中国由来の嗜好品を好んで呑んでいた男だったが、今もそれを貫いているとは。


「懐かしいぜ……」


 しみじみと呟いた俺は村雨に視線を移して言った。


「俺が中川会へ移ってからも、色々と気にかけてくれていたんだよな。こう見えてもあんたのことは分かってるつもりだぜ」


「何を申すと思えば」


「くだらん妄想かもしれねぇが、言わせてくれ」


 俺は湯呑みを掌で弄びながら続ける。


「あんた、けっこう追い込まれてんじゃねぇのか。前にもそんな顔を見せた時があったよな」


 直後「む……」と唸った村雨の表情が僅かに曇った。そして口を尖らせて吐き捨てる。


「何を分かった風に申す、この愚か者が」


「それだ、それ! いつもあんたは子分を叱る時にはそんな物言いをした!」


 勢い込んで俺は指摘する。すると彼はバツが悪そうに表情を顰めた。どうやら図星だったらしい。


 ため息と共に「……ふん」と舌打ちを鳴らした村雨。彼は懐から煙草を取り出し火を付ける。紫煙を噴いた後で語られたのは意外なものだった。


「大きくなりすぎた軍勢を率いるのは思いのほか手のかかることだ」


「は?」


「煌王会を離れてよりこの方、脇目も振らず組を大きくすることに力を注いで参った。しかし、集まったのは煌王憎しの一点でのみ結束した烏合の衆。跳ねっ返りばかりだ」


「なら、あの岩口とかいう野郎はニューフェイス連中に尻を叩かれて暴走したってところか」


「左様だ」


 俺は思わず「古株まで跳ねるとはな……」と呟いた。煌王会の調略の巧妙さが窺える――尤も、村雨とて手をこまねいているほど凡愚な男ではない。


「あんたは奴らが跳ねる可能性を読み、敢えて煌王会の調略に乗らせた。そうすりゃ組内部の不穏分子を軒並み炙り出すことができる……だが、いざ跳ねた連中の数はあんたの想定よりも多かったってわけか」


「ふんっ。奴らが指を嚙んで小便を漏らす様が見たかっただけだ」


 煙草の灰を灰皿に落とした村雨は自嘲気味に笑うと、ふうと息を漏らした。


「己ではない何人かの力を借りることを良しとせずにここまで戦って参ったが。大きな敵を相手にするのに独りきりでは疲れるな」


 その言葉を耳にした瞬間、俺は息を呑んだ。こんな表情を村雨耀介が見せるとは思いもしなかったのである。


 しかし、過去に一度だけ見たことがある表情だ。当時の情景が俺の脳内で映し出されたのと同じくして彼は言った。


「やり方を変えるべき時なのやもしれぬな」


「村雨さん……」


「だが、この情勢とて事ここに至って尻尾は巻けぬ」


「……だから、村雨組だけで煌王とやり合おうと思ってたのか?」


「左様」


「浅慮なもんだな。あんたにしては随分と」


 俺は思わずため息を吐いていた。そして彼の目を真っ直ぐに見つめながら続ける。


「男が男の道を曲げられねぇのは万人共通。しかし、勝負どころを前にした時に限ってはそうじゃないはずだ」


「華々しく散るのも良い。それだけのことよ」


「天下に冠たる残虐魔王は勝ってこそだろ」


 村雨は一瞬ピクリと眉を動かしたものの、すぐに真顔に戻った。俺は煙草を灰皿で揉み消すと立ち上がった。そして言い放つ。


「どんなに散り際が美しくても負けたら意味がぇ。敗者としてその名が歴史に刻まれる……あんたにはそんな道を辿ってほしかねぇんだ」


 すると村雨はフッと鼻を鳴らす。


「お前が言わんとしておることは分かっておる。なればこそ、中川殿と手を結ぶと申したのよ」


 そして少し視線を落とした後、またすぐに俺の瞳を見て続けるのだった。


「ただ、お前が何と申すか試したかっただけだ。地上でたった二人、この村雨耀介に血を流させた男ゆえな」


 俺は心苦しいものを覚えると同時に「ならば」と思った。まだこの人は俺に期待してくれているのだ、と。


 しかし直後に「さあ」と言った村雨は右手を振って俺を制す。


「お前はそろそろ麻木涼平としてではなく、中川恒元殿の腹心としての姿に戻るべきだ。良いな」


 俺が口を挟もうとするも、彼ははっきりとした語気で言った。


「中川殿にお仕えしている以上、案ずるべきは私ではなく中川殿ただお一人。私のことは駒として使え」


 俺は大きく息を吐き出しながら首を振ろうとするが、寸前になって止めた。やはりこの人には敵う気がしねぇや。


「……そうだな。俺はあんたを駒として使うべくここへ来ただからな」


「左様だ、涼平よ」


 元気よく「ああ!」と応じた俺は今度は少々遠慮がちにではあったが、笑ってみせたのであった。


 それから俺たちは村雨組の拠点を後にした。村雨は「またいつでも来るが良い」と言ったが、そうもいかない。


 何しろ村雨組とは限定的な協力関係を結んだだけに過ぎない。覇道を進まんとする残虐魔王の野心が変わらぬ以上、いずれは敵対することになるのだから。


「筋の通った男でしたね。次長が惚れる理由が分かりますよ」


「今どきあんな親分がいたとは。うちの直参どもとはちげぇや」


 すっかり歪みきった目をしつつも、村雨のことを快く評した酒井と原田。二人の言葉に心より安堵をおぼえる一方、俺は呟くのだった。


「……だが、敵だ」


 その言葉に声を揃えて「そうこなくっちゃ!」と頬を緩めた部下たちに、俺が密かにため息をついたことは云うまでも無い。


 まあ、仕方ないことだ。俺は中川会の幹部であり、中川恒元に忠誠を誓った男でもあるのだから。


「これで村雨組とは不可侵協定を結んだも同然だ。後は一気に大阪の本丸を攻め落とすぞ」


 低い声で俺に対して原田は「はい!」と元気よく頷き、酒井も控えめに微笑みながら頷いた。それからすぐに車のアクセルが踏まれ、二人の会話は弾んだ。俺は窓を開いて煙草を取り出し、一本咥える。


「……」


 そうしてライターで火を点けた後、吐き捨てるように呟くのであった。


「……俺も嫌な男になったものだ」

絆を確かめ合った涼平と村雨! これから二人が向かうのは……? 次回、煌王会と相まみえる!

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