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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第2章 ふたりの異端者
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それぞれの道

「あんた、無事だったのか……!?」


 そこにいたのは、高坂晋也。彼の姿を見るのは、実に久々だった。フェアリーズへ殴り込みをかけて以来、まったく連絡が取れなくなっていたのだ。服装は以前とは違い、少し落ち着いている。


 ジーパンの上に、白いTシャツ。大学生らしい、とても爽やかな出で立ちであった。髪の色もブラウンに変わり、身に纏う雰囲気もどこか、変わって見える。アルビオンの連中と共に暴れまわっていた頃とは、また違った意味で「オシャレ」だ。


「うん。何とか、元気にやってるよ」


 そう言って微笑む彼の傍らには、若い女性がいた。高坂曰く、キャンパス内で知り合ったガールフレンドらしい。


「初めまして。卿野きょうの詩織しおりです。晋也君の、お友達ですは?」


 彼女もまた、都会的で洗練された雰囲気を纏っていた。黒のロングスカートに、ノースリーブの同色のブラウス。年齢は高坂と同じくらいだろうが、やや大人に見える。目、鼻、口とパーツのどれも主張していない上品な顔立ちも印象的だった。地元の川崎はおろか、横浜にもいないタイプの美女を前にした俺は、不意に口調がたどたどしくなってしまう。


「あ、ああ。お友達っていうか……仕事仲間っていうか……」


 言い訳になってしまうことは百も承知だが、この時の俺には、女性経験がまるで無かった。絢華の着替えの際も、目のやり場に困っていたくらいである。そんな、絵に描いたような童貞丸出しの俺の反応が可笑しかったのか、高坂は吹き出した。


「フフッ、どうした? ヤクザ相手に1歩も引かなかった奴が、女の子を前にタジタジだなんて」


 高坂の軽口は、健在のようだ。若干の苛立ちこそ覚えた俺だったが、やがては懐かしさの方が強くなっていった。


「余計なお世話だ。でも、元気そうで良かったぜ。てっきり、組の連中に殺されたと思ってたよ。音信不通だったからな」


 最後に彼と会った日の翌朝、俺はホテルを引き払って村雨邸に引っ越した。それゆえ、連絡を取る暇も、手段も無かったのだ。


「……ああ。こっちこそ、キミの姿が見れて良かった。あの日、僕だけ帰らされた後に何が起こっていたのか、ずっと気になってたんだ。もしかして、村雨に殺されたんじゃないかってね」


 偶然にも、高坂とは同じことを考えていたようだ。


「あはは。そう簡単に殺されるようなタマじゃねぇよ、俺は。あんたも知ってんだろ?」


「もちろんさ。キミの強さはあの日、十分すぎるくらい目に焼き付けさせてもらったからね」


 つい1週間前の、あまりにもハードな出来事を回想して、笑い合う俺と高坂。一方で、女の子は不思議そうに首を傾げていた。


「ん、何か凄い事があったの……?」


 おそらく、聞かされていなかったのだろう。高坂は財布から取り出した1万円紙幣を握らせると、優しく言った。


「ちょっと、2人きりにさせてくれないか。その間、これで楽しんでおいで。ね?」


 紙幣を受け取るや否や、軽く「はーい」と返事をして、プクッと頬を膨らませた詩織。不服の意を表しつつも、どこかへ歩いて行ってしまった。


「……相変わらず、羽振りは良いみたいだな」


「ああ。前の稼ぎが残ってたからね。それを元手に、新しいビジネスを始めたんだ。もちろん、合法的なやつだよ? トラブルの『ト』の字も無い、まっとうな事業さ」


「ほう。そいつはすげぇな。アルビオンはどうなった?」


 すると、高坂は軽く頭を掻きむしりつつ、苦い笑みを浮かべた。


「辞めたよ。あの日以来、顔を出してない」


 凶悪なヤクザである村雨組を敵にまわした挙句、殺される寸前まで追いつめられた一連の経験のおかげか、高坂はすっかり、懲りているようだった。


「あの日、僕は悟ったんだ。『自分は、越えてはいけないラインを越えかけてた』ってね」


 チーマー集団の首領としての多忙な日々から足を洗った高坂だが、決して暇になったわけではないという。


「いま、僕は公務員試験の勉強をしてるんだ」


「コウムインシケン? 何じゃそりゃ?」


「官僚になるための試験さ。僕が目指してるのはⅠ種」


「へ、へぇ……」


 まったくもって無学だった俺には、「カンリョウ」だの、「イッシュ」だの言われてもいまいち、ピンとこなかった。せいぜい、難しい試験なんだろうなという認識だった。後になって知った情報だが、この時に高坂が志していた「国家公務員Ⅰ種試験」というものは、東大法学部の連中が死ぬ気で勉強して、やっと受かるか受からないかの超難関試験。


「ちなみに、僕の志望は通産省ね。将来的には、この国の貿易に深く携わってみたい。できることなら、ルールを作る側に立つ経験もしてみたいな」


 話に全くついていけないこちらの事情をものともせず、自分の夢を満面の笑みで語る高坂。なお、彼の云う「ツウサンショウ」こと「通商産業省」は、3年後の中央省庁再編で「経済産業省」と名前が変わるのだが、この時は未だ、何も知らなかった。


「よく分かんねぇけど、すげぇ話だな。まあ、とりあえず頑張れよ」


「ありがとう。ところでキミは今、何やってんの? 前みたいに、また一匹狼で暴れてる感じ?」


 一瞬、心の中で迷いが生じた。


「俺は……」


 かつて高坂に対して猛烈な追い込みをかけ、暴力をバックに恫喝し、殺す寸前まで追いつめた村雨組という集団の中で、自分が働いている現状。さらに言えば、俺の役目は、彼にとって因縁のある人物・村雨耀介の娘の世話係。


 伝えてしまったら、高坂は不愉快に思うのではないか――。


 しかし、下手に嘘をついて誤魔化すのも気持ちが悪い。俺は村雨に拾われた経緯から、日々の仕事、そしてエクスタシーの件で敵対した組員たちの“末路”に至るまで、すべてを正直に説明した。


「なるほどね」


 話を聞き終えた高坂は、俺の肩をポンと叩いた。


「大変なんだな。キミも、いろいろと」


「……ああ」


「しっかし、信じられないな。あんなに暴れん坊だった君が、お嬢様の世話を任されてるなんてさ」


 つい1週間前までは、チーマー達と一緒に喧嘩に明け暮れる生活をおくっていたのだ。粗暴という言葉を全身で表現したような、手の付けられない不良少年だった。そんな男が、世話係をやっている。自分でも信じられない状況であるが、俺は己の正直な気持ちを語った。


「任されたというよりは、押しつけられたに近いけどな。俺、最初は組に入れてもらえるもんだと思ってたよ。それがまさか……身体が不自由な女の世話係だったとは、予想もしていなかった。でもな、やりがいを感じてはいるんだよな」


「やりがい?」


「何つーか、その。自分が誰かに必要とされてる感覚が、すっげぇ気持ち良いんだよな。俺のことを頼ってくれて、信頼を寄せてくれてさ。そういうの、生まれて初めてだったからさ」


「ふーん。まあ、自分がそう思うのなら、良いんじゃないかな」


 つたない説明であったが、高坂は理解してくれたようだ。こちらに語彙力が無くとも、向こうに思考力があれば、会話は円滑に成立するものなのだろうか。しかし、一方でこんな事も言われた。


「でも、気を付けた方が良いよ。 さっきから話を聞いている限りだと、どうにも分からないことがある」


「何が、分からないってんだ?」


 緩んでいた口元を高坂は、ギュッと引き締めた。


「村雨さんが、娘のお守り役にキミを選んだ理由だよ。いくら、自分のことを恐れなかったからとはいえ、ほぼ初対面の人間を近くに置くものかな? それも、愛娘の側に。普通に考えたら、リスクしかないだろうに」


「言われてみれば……」


「とにかく、身の振り方には気を付けることだよ。僕にはどうも、村雨さんに何か別の意図があるように思えて仕方がない」


 たしか、芹沢にも同様の忠告を受けたような気がする。


 身の振り方には気を付ける――。


 言葉の意味が分からず首を傾げていると、遠くを見た高坂が言った。


「あっ! ごめん。僕、そろそろ行くよ」


「え?」


「詩織を待たせてたみたいだ」


 高坂が指差した方を見ると、彼のガールフレンドが、にこやかに視線を送っていた。両手には、大量の荷物を抱えている。先ほど高坂が渡した1万円で、買い物を楽しんだのだろうか。


「そっか……じゃあ、またな」


「うん!」


 恋人の元へ駆けだす高坂。その背中を俺は、じっと見送る。そんな時、不意に彼の足が止まる。


(ん? 何だ?)


 そして、高坂は振り返った。


「頑張ろうよ! お互い、それぞれの道でさ!」


 あまりにも突然の行動で、声のボリュームも大きい。それゆえ周囲の客が一斉に注目したが、彼は気にしていないようであった。


「お、おう!」


 戸惑いながらも、俺は右手を振る。最後に笑顔を見せつつ、高坂は去っていった。その姿が完全に見えなくなった後、俺は少し、後悔した。


(連絡先、聞いておけば良かった……)


 だが、俺はもうすぐヤクザになる人間だ。早稲田で華やかなキャンパスライフを満喫し、ゆくゆくは役人として世のために活躍するであろう高坂とは、もはや住む世界が違うのだ。


(もう、会うことも無いのかな)


 心を落ち着かせ、俺は歩き出した。


 なお、俺と高坂は後に思わぬ形で再会を果たすことになるのだが、それはまだ先の話である。

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