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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第14章 華やかなりし舞姫
247/261

ヴァンパイア

 2006年4月1日。


 早朝、煌王会の息のかかったアルゼンチン系マフィアによって誘拐されていたバルティヌーア王国の王子が、藤城琴音の私兵集団によって救出されたという情報が入った。


 これにより後顧の憂いを断った中川恒元は土佐地域に進撃を敢行し、一条会の拠点を次々と制圧。翌々日までに臨時総本部のある四万十市まで兵を進めると、残存勢力に対して降伏を呼びかける書状を送付した。


 煌王の連中は何とも薄情なもので、恒元の動きを封じていたカードが消滅するや、戦闘部隊を四国から引き揚げた。村雨組の動きも気がかりな時に、最早負けが見えた喧嘩にいつまでも注力しているわけにはいかないのであろう。


 関西の援軍を失った一条会は大きく動揺し、瞬く間に降伏へ舵を切る――かと思いきや、劣勢に立たされても思いのほか頑強であった。


「けっ、しぶとい奴らだ。白水と椋鳥の精鋭を相手に善戦してるようです。早いとこ白旗を上げりゃ良いものを」


 物見から戻った助勤の呟きに恒元は笑った。


「なかなかやるじゃないか。だが、所詮は田舎者の悪あがきだ。いつまで続くか見ものだな」


 その言葉に俺は内心でため息をついていた。


 ここへ来て一条会が猛烈な反撃を見せている根底には俺たちへの憎しみがある。恒元が執事局に命じた、彼らの戦意を削ぐための心理作戦が裏目に出たのだ。娘を傷物にされた父親の憎悪は生半可なものではなく、たとえ刺し違えてでも中川会を討ち滅ぼさんとする覚悟を抱いていることだろう。


 尤も、それを恒元に諫言として具申することは無いのだが――我が主君は既に打開策を用意していた。


「まだまだ恐怖が足りないようだ。これではロベスピエールに遠く及ばぬ」


 それから数時間後、恒元は助勤たちを集めて言った。


「皆も知っている通り、愚かにも一条会が降伏を拒んでいる。この中川恒元を前にして意地を張り続けるなら、奴らにくれてやるのはたったひとつ……圧倒的な破滅だ」


 煌王の連中は何とも薄情なもので、恒元の動きを封じていたカードが消滅するや否や戦闘部隊を四国から引き揚げた。村雨組の動きも気がかりな時に最早負けが見えた喧嘩にいつまでも注力しているわけにはいかないのであろう。


「皆も知っている通り、愚かにも一条会が降伏を拒んでいる。この中川恒元を前にして意地を張り続けるなら、奴らにくれてやるのはたったひとつ……圧倒的な破滅だ」


 恒元が皆に与えたのは一本の槍だった。長さは2メートルちょっと。フォークのごとく二叉ふたまたに分かれた穂先が鉤爪のように湾曲している禍々しい鎌である。


「えっと、こんなんで戦えるんですか?」


 そう言って驚いたのは鮎原であった。首を傾げる他あるまい。何故なら、ファンタジー映画に登場する敵キャラが持っている武器のような見た目をしていたから。


 だが、その疑問もすぐさま解消した。恒元が彼を含めた皆に向かって言ったのである。


「戦えるとも……そのためにこそ、お前たちに棒術を体得させたのだから」


 そうして恒元はやりを構えると、刃を逆向きにして勢いよく切り上げた。すると「ブォン!」という音が鳴り響き、部屋の隅に置いてあった花瓶が割れた。


「っ!?」


 皆の目が丸くなる。槍を振ったことで空気が切り裂かれ、衝撃波が発生したのである。


 恒元は得意気に言った。


「このスピアを振るえば、涼平の使う鞍馬菊水流に準ずる技を誰でも使うことが出来る。さあ、誰か戦ってみたい者はいるか?」


「あ……それじゃあ! 俺がやってみたいです!」


 最初に手を挙げたのは原田であった。彼は映画マニアというだけあってこの手の武器が大好きらしい。


 そんな彼が恒元から槍を手渡されると、顔を真っ赤に染めて感動に打ちひしがれた。


「おお……これが槍……かっこいい……」


 そんな彼の姿を見て、他の助勤たちも「俺も俺も」と次々に名乗りを上げる。


「ふふっ、この槍には面白い使い方もあってな。敵の首に差し込んだまま上へ振り上げれば、そいつの心臓を抉り出すことが出来る」


 恒元の説明にさらに興奮を覚えたのか「おおっ、良いっすねぇ!」と雄叫びを上げた助勤たち。


 俺としては内心複雑な気分であった。鞍馬菊水流の真髄は「素手のみをもって敵の全てを破壊すること」であり、得物を使う技は無い。


 とはいえ、恒元としては、ただ純粋に助勤たちの戦闘力を俺と同じレベルまで引き上げたいのだろうから文句は無いのだが。


「さて、せっかくだからこの機会にお前たちの衣装も揃えてやるとしよう」


  その後、恒元が丸の内から呼び付けた仕立て屋により、助勤たちの衣装替えが行われた。このテーラーは俺の防弾および防刃機能付きの背広を仕立てた店で、その腕は折り紙付きである。


 だが、そんな彼らの衣装がまた奇抜であった。


「うお、かっけえ!」


「これは……何だかヴァンパイアみてぇだな」


 助勤たちは口々にそう叫んだ。それも無理は無いだろう。何せ彼らが羽織ったのは、黒のジャケットとベスト、そしてネクタイの代わりに血のように真っ赤なスカーフをシャツの襟に結ぶという下劣な出で立ち。さらにジャケットには銀の鎖が付いており、スカーフの結び目は十字架のように見える。


「執事局と名乗っているのに不揃いな背広を着ていたのでは格好が付かん。これからは我輩の傍仕えをするに相応しい洗練された振る舞いをせねばならん。チンピラのように粗野な言動は慎むべきと心得よ」


 そんな恒元の言葉に助勤たちは「おおー!」と感嘆の声を漏らした。まあ、確かにこの格好なら確かに執事っぽいから良いだろう。


「さて、それではさっそく賊党どもを撃滅してくるのだ。遠慮は要らん。好きなだけ暴れてくるが良い」


 先日の人肉パーティーの一件以来、酒井や原田たちの心のリミッターは完全に外れている。彼らは「行って参ります! 総帥!」と叫ぶと、貰ったばかりの新たな武器を手に我先にと屋敷を出てゆく。


 連中の姿が見えなくなった後、俺は恒元に尋ねた。


「あの新しい背広、俺は着なくて良いのですか?」


 すると彼はにこやかに頷く。


「涼平は涼平のままで良い……シルクを着る必要は無いよ」


 ああ、そういう意味だったか――恒元の言葉の意味を理解すると同時に彼の悪辣さに改めて反吐が出る思いがした俺。以前に比べて少しばかり恒元の考えに共感の念を抱く自分がいることもまた腹立たしかった。


 とはいえ、私情は心の奥底へ封じ込めて話題を変える。


「ところで恒元公。伊予琥珀一家の件ですが」


 すると、彼は頷いた。


「ああ、分かっている。この戦争が終わり次第、彼らには恩賞を与えよう」


「ええ、どうか高禄をもって労ってやってくださいますようお願いいたします。彼らの奮闘が無ければ緒戦でああまで敵の戦力を削ることは叶わなかったでしょうから」


「当然だ」


 俺は心の中でガッツポーズをとった。一応は好感触である。あとは「伊予琥珀一家を直参として迎える」との言質さえ得られれば全て上手く片付くのだが。


 それにはもうひと押しといったところか。


「今回のドンパチで七代目鵜川藤十郎は誰よりも多く敵将の首を獲りました。あの腕を上手く飼い慣らせば、今後とも恒元公のために大いに働いてくれることでしょう」


「ふむ。それも考えるに値するが、しかし……」


 そこで言葉を区切ると恒元は俺をじっと見つめた。


「女が戦場にて刀を振るうというのは、たとえ形だけとはいえ我慢ならないのだよ。それも男を凌ぐ活躍をするなど不愉快きわまりない」


 うっかり「確かに」と納得しかけたが、それを堪えてなおも食い下がる。


「それは俺も思いますが、あの女は例外だと考えております。今の組織にあれほどまでの剣の使い手が居ましょうか」


 そう言った後の沈黙に嫌な予感がした。俺の願いとは裏腹に「ふう……」と大きなため息をついた恒元。


「……組織の戦力強化をはかりたいお前の考えはごもっともだ。しかし、我輩に女と盃を交わすことは出来ぬ」


「そこを何とかお願い申し上げます。きっと恒元公のお力になることでしょうから」


「すまんが我輩に女を戦場へ遣わす趣味は無い。それに戦力なら才原党が居るし、助勤どもが居るし、何より一騎当千のお前が居るではないか」


 頑ななまでに首を縦に振らない恒元。この男の女性蔑視は筋金入りで、もはや何を言っても考えを改めてはくれないだろう。


 これ以上食い下がっても機嫌を損ねるだけと考えた俺は一旦折れることにした。されども諦めたりはしない。


 姫香が戦力として使える女だということを分かってもらうには、彼女にさらなる武功を立てさせる他ない――せっかく恒元を「竹葉を残忍なやり方で粛清することで一条会に恐怖を与え降伏へ追い込む」と言い含め、伊予琥珀一家が捨て駒として消耗品のごとく扱われる展開を防いだのである。ここまで来たら、姫香の明るい将来を確かなものとせねば。


「……分かりました。伊予琥珀一家には待機を続けるよう伝えます。『暫くは松山の仕切りに専念するように』と」


「ああ、そう伝えておけ。あの小娘にはいくつか金脈をくれてやる。女にとらせる褒美としては申し分あるまい」


 恒元がくつろぐ居間から退出した後、俺は伊予琥珀一家の事務所へ無線で連絡を入れた。


『……はい、こちら伊予琥珀一家。その声は麻木さんかい?』


「そうだ。今、時間はあるか?」


『ああ、少しくらいなら大丈夫だ』


 連絡係の組員が応答するかと思いきや、出たのは大林だった。そう云えばあの花見の席では若衆の大半が麻薬を注射してトリップしていたよなと想起しつつ、俺は大林に事の次第を説明する。


「この戦争は間も無く中川会の勝利で終わる。お前たちはシマの守りに専念してくれ」


『ちょっと待て。それってつまり、俺たちは最早手出し無用ってことか?』


「松山に敵が逃げ込まねぇ限りはな」


 そんな俺の含みのある言い方に大林は『なるほど』と好意的な声色で応じてくれた。話の分かる奴で良かった。


『まあ、うちの若衆が使い物になるかは分らんがな』


「クスリか?」


『こないだの花見でおたくらに貰ったもんが止められねぇんだと。ったく、余計なことしやがって』


「あれは俺の差し金じゃねぇぜ」


『分かっている。だが、うちの親分は怒り心頭だ。伊予琥珀一家は麻薬を扱わないってのが先代からの掟だからな』


「……昨日も一昨日も顔を合わせた時には怒ってる気配なんか感じられなかったが」


『あの人はあの人なりにこらえてらっしゃるのさ。勿論、俺もな。待機しろってお達しも然りだが、ここまで舐めた真似をされて黙ってるのは単にあんた個人への信頼があるからだってことを覚えておけ』


「ああ、肝に銘じておく」


 無線を切ってため息をついていると背後から恒元の声が聞こえた。


「あの組の者どもは麻薬なんぞに手を出しておるのか。偉そうな口を叩いていた割に己の子分も統制出来ぬとは、嘆かわしい」


 おいおい、奴らに幻覚剤を与えて薬物中毒に至らしめたのは他ならぬ恒元自身であるというのに。俺は当然ながらその辺りのことは指摘せずに「ええ。確かに」とだけ言って頷くと、無駄な会話を終わらせるべく部下たちの仕事ぶりを見に行くという名目で外へ出たのであった。


 なお、恒元は今宵も遊興に出かけるという。何でも葉室がまたしても伊予市内における美味い料理店を紹介してきたとのことで、そこで旬の海鮮御膳に舌鼓を打った後は葉室が四国中から集めた美女を抱くのだとか。暇な時には一緒に行こうと誘われたが、暗殺稼業へ駆り立てられる部下たちをよそに飲み歩く気には到底なれない。


「……まったく、総帥もお人が悪い」


 そう独り言を呟きながら苦笑いで煙草を吹かして歩く俺であったが、街で繰り広げられていた光景は何とも愉快なものだった。


 ――ズガァァァン! ズガァァァン!


 ビルの扉から飛び出した男が、非常階段を下りながら追手に向けて発砲する。されどもその弾丸が敵に当たることはなく、やがて弾を切らした男は恐怖に慄いた顔で尻餅をつく。


「なっ、何で当たらねぇんだよ!?」


 原理は単純明快、何故なら男を追う青年――我らが執事局次長助勤の酒井は二叉槍を携えていたのだから。それを相手方の発砲に合わせて振り回すことで衝撃波を発生させ、銃弾の直撃を防いでいたのである。


 怯え竦んだ男に向けてゆっくりと距離を詰め、酒井は言った。


「俺たちとお前らじゃ格が違うんだよ」


「くっ、クソが!」


 踊り場にへたり込んだ男は懐をまさぐり、真っ黒な手榴弾を取り出した。勝てない相手と分かった以上は敵を道連れに自爆をはかるつもりか。


 しかし、その行動は一瞬で防がれた。


 ――グシャッ。


 男が手榴弾のピンに指をかけた刹那、酒井が距離を詰めて槍で一閃。右腕を切り落としたのである。


「ぎゃっ、ぎゃあああああああーっ!」


 痛みで絶叫する男に酒井は冷たく言い放つ。


「今の動き、遅すぎて俺には止まって見えたぜ。雑魚が」


 されども男とて稼業の人間らしく、痛みと恐怖で顔を歪めながらも最後の力を振り絞って逃走を敢行する。しかし、それすらも叶わなかった。


「どこ行くんだよ」


「うがっ、うぐああああ……」


 真正面に立ちはだかったもう一人の青年――原田が逃げようとする男の胸を槍で突き刺したのである。


「……」


 内臓を貫かれ、男は瞬く間に息絶えた。それを見た酒井が無表情で吐き捨てるのであった。


「手間ァかけさせやがって。雑魚は雑魚らしく黙ってなぶり殺されてりゃ良いんだよ」


 それから原田は倒れた男の胴体を踏みつけると、胸に刺した槍を力任せに振り上げた。すると血管が弾け、肉が裂ける音と共に男の惨殺体から心臓が取り出された。


「一条会直参『北山組』組長、北山良一……汚ねぇ心臓だぜ」


 そう呟くと原田は掴み取った心臓にかじりつく。そして本物のヴァンパイアのごとく獲物の血を味わい尽くすかのように喉を鳴らしながら咀嚼するのだった。


 一連の光景を無言で眺めていた俺は、ただ笑う他なかった。あれがあの二叉槍の正しい使い方か。


 つい昨日まで見せていた姿とはまるで別人のようになった部下たちの変貌ぶりには、特に感想は抱かなかった。第一、かくいう俺も彼らを非難できる立場ではないのだから。


 愛する女と抱き合ったことで本懐を思い出したつもりが、一瞬で元の暗黒に染め直された麻木涼平。狂気の帝王の下で働く俺もまた、狂っているのである。


 そんな自嘲に頬を緩めていると、俺の接近に気付いた酒井と原田は笑顔で駆け寄ってきた。


「次長!」


「兄貴!」


 俺は彼らの働きを素直に労った。


「よ、よくやったじゃねぇか」


 その言葉に原田は「へへっ」と照れ笑い。一方、酒井はというと「いえ……お恥ずかしい限りです」と顔を赤らめるのであった。


「粛清の現場が血の海であればあるほど、世間は俺たちを恐れるようになる。組織の敵を一掃するためにも、今後とも励んでくれ。恒元公がお力を振るうためには、社会の表と裏の両方が平らかであることが欠かせねぇんだからよ」


 すると程なくして俺たちのすぐそばに黒のワンボックスカーが停まった。降りてきた他の助勤たちが北山の惨殺体を見せしめにできる場所まで運ぶ一方、ハンドルを握る男が言った。


「これから例の作戦を始めます」


 俺は「ああ。やってくれ」と言いつつ、酒井と原田と共に車へ乗り込んだ。


「次長もいらっしゃるのですか?」


「まあな」


 そう運転手に返して後部座席に腰を落ち着けると、酒井と原田が嬉しそうに言った。


「やっぱり次長が一緒だと心強いですね」


「何つーか、こう……妙な安心感があるっていうか」


 後始末を担う係が北山の惨殺体を北山組事務所前に移動させると、彼らを乗せて車が走り出す。俺が乗車していることに気付いた助勤が「次長って映画に出てくるダークヒーローみたいで格好良い」と微笑んだが、俺はというと顔や体に返り血を浴びた彼らの姿が身に纏う背広のデザインも相まって本物のヴァンパイアにしか見えないことに驚いていた。


 まあ、自分が言えたことでもないのだが。


「……」


 それから程なくして俺たちの車は四万十市内のとあるオフィスビルの前で止まった。運転手が後部座席の車の窓を半開きにすると、酒井と原田がサブマシンガンを構える。


「んじゃ、次長。やりますよ」


「あ、ああ。総帥のご意思だからな」


 俺が頷くと同時、ビルの中からスーツ姿のOLらしき女性の姿が見えた瞬間。酒井と原田が引き金を思いっきり引いた。


 ――ダダダダダダダッ! タン、タンタンタンタンッ!


 放たれた無数の弾丸を浴び、女性は悲鳴を上げる間もなく地面に倒れた。通行人の絶叫が辺りを埋め尽くす中、車は急発進する。


「ああ。いいっすねぇ」


「いやあ、癖になりますよ。へへっ」


 恍惚とした表情の酒井と原田が煙と共にそう吐いたが、俺はそのような感情は一切湧かずに「そうだな」とだけ返す。


「しかし、この銃って凄いよなあ。速射性が高い割に扱いやすいときたもんだ」


「そりゃあそうだ。何せ麻木の兄貴が買い付けたオーストリア製の上物だからな」


 部下たちの会話を聞き流し、俺は煙草に火を付ける。


「……」


 よもや自分がこのような行為に及ぼうとは思いもしなかった。『一条会幹部の娘を撃ってこい』という恒元の申し付けによるものだったが、心が弾むべくもない。


 今回、銃撃した女性は組とは一切関わりが無く、むしろ裏社会でカネを稼ぐ父親を嫌って真っ当にOLとして働いていたとのこと。その健気な在り方に何とも言えない気持ちを抱いたが、俺の胸には無力な人間を傷つけて大はしゃぎする部下たちへの嫌悪感は微塵も生まれなかった。


 何故なら、恒元の意思のまま作戦にゴーサインを出したのは俺自身なのだから。


 抗争において敵方の家族がカタギとして生活している場合は標的にしない――それは裏社会の不文律であり、極道たちの美学でもあった。


 今回の作戦はそれを打ち破り、さらに「自分に仇成す者は女子供であろうと全て殺す」と世間に対して意思表明を行う恒元の思惑が込められていたことは云うまでもない。


 とはいえ、俺たちがやったことは非道きわまりない恐ろしき蛮行だ。かつて下校中だった村雨絢華を撃った連中がしたことと同じではないか。


 だが……。


「まあ、でも。さっき撃った女は見るからに人を殺したことがありそうな目つきだったからなあ」


「組とは関係ないって情報だったが、あの目は絶対に何かあるぜ。父親のシノギを手伝ってると思うぜ」


「そうだな、ああいうのは駆除した方が世のためだわな」


「ぎゃははっ! ちげぇねぇや!」


 盛り上がる部下たちの会話を聞いていると、彼らへの哀れみの念が思考を麻痺させてくる。酒井、原田、その他2名が自分を半ば強引に奮い立たせていることは、それこそ目を見れば分かる。


「……すまねぇな」


 そう小声で呟き、俺は静かに車に揺られ続けたのであった。


 翌日。


 一条会は恒元に降伏を申し入れてきた。ここ数日は頑強な反撃を続けていたものの資金が底を尽き、さらに幹部連中が次々と討ち取られたことで組織としての戦争遂行力が限界に達したのである。元より煌王会の資金および戦術的な支援をアテにしていた組織。端から暗黒の帝王を相手に喧嘩をする力など無かったらしい。


「ふっ、白旗を上げるならもっと早くに上げれば良かったものを……これだから田舎者は嫌いだ。無駄に愚かな意地を張るからな」


 総本陣における理事会で恒元は吐き捨てた。一条会が降伏したことで戦争も直に終結となり、いずれ恒元は赤坂へ戻るだろう。


「一条会は全てのシマの譲渡を約束してきたとか。おめでとうございます、恒元公」


「ええ、これで四国は中川会のものになったわけでございます。心よりお祝い申し上げますぞ」


 理事長、理事長補佐、それから幹部たちが続々と祝福の言葉を口にする中で恒元は「当然のことだ」とほくそ笑む。何だかんだ言って彼も嬉しいらしい。尤も、ここまで戦が長引いたのは些か想定外であったようだが。


 しかし、一人だけ顔をしかめる男が居た。


「恐れながら申し上げます」


「何だ、重忠?」


「此度、一条会を討ち滅ぼすにあたって総帥がおやりになったこと……あれは一体何でございますか?」


 櫨山重頼。彼は眉間に皺を寄せると、恒元を睨みつけて言葉を続けた。


「敵方の若衆を数え切れぬほど撃ち殺し、挙げ句の果てに女子供まで命を奪ったと聞き及んでおります。聞けばカタギにも相当数の巻き添えを出したとか」


「黙れ。それ以上は言わんでいい」


 恒元が鋭い眼光で重忠の言葉を遮った。同時に場の空気が凍る。


 絶対忠誠――その原則に支配された幹部たちにとって、重忠が恒元に物言いを付けたことは恐怖以外の何物でもないようである。


「恐れながら、この櫨山重忠!! 此度の総帥のご所業を見過ごすわけには参りませぬッ!!」


「見過ごさぬなら何とする。此度、我輩が殺した者どもは全て表向き病や事故で身罷ったことになっておる……そうまでこの国を支配した我輩に貴様がごときが何を為せるというのだ?」


 まずい。会話の流れに直感的な危うさを悟った俺は慌てて割って入ろうとした。


「おい、櫨山さんよ。その辺にしとけや」


 しかし、それを遮って重忠を口汚く罵る男がいた。葉室旺二郎である。


「おいコラ若造! さっきから聞いてりゃ分不相応にガタガタ抜かしやがって……恒元公はテメェごときに文句を云われるようなお立場じゃねぇんだよ!」


 だが、重忠は「黙れ! この老害が!」と一喝した。


「貴様のような下賤な輩に分不相応などと言われる筋合いは無いッ!」


「何ぃ!?」


 立ち上がり、睨み合う両者――櫨山重忠と葉室旺二郎。名門一族のサラブレッドと叩き上げという点で二人の境遇は対照的だ。常に上の機嫌を窺うことで低い身分から着実に成り上がってきた葉室にしてみれば、重忠の言うことは甘ったるく思えて仕方ないのだろう。片や、任侠道に邁進せんと日夜励む重忠には、葉室の姿がひどく醜く思えるのだろう。


 空気が一気に凍ってゆく。理事たちが固唾を呑んで見守る中、重忠と葉室がぶつけ合う気迫が一秒、また一秒と激しさを増してゆく。これは最早、始まってしまうのではないか……。


 俺は思わず声を上げようとした。こんな緊張感は、傭兵時代に駆けた東欧の荒野でも味わったことが無い。


「お、おい。あんたら……!」


 だが、二人の喧嘩はすぐさま止められる。


「おい、二人共。そこまでだ」


 他でもない。恒元が止めたのである。


「せっかくの戦勝の美酒がまずくなるではないか」


 そうして恒元は重忠を見て続けた。


「先ほどは熱くなった。すまんな、重忠」


「は……?」


 戸惑う重忠に対して、恒元は苦笑しながらこう言ったのだった。


「貴様の忠義は誰よりもこの中川恒元が分かっている。それゆえ無駄に血を流すことを良しとしない気持ちも分かるのだ……だがな重忠、此度我輩が始末したのは皆、敵方として組織に刃を向けてきた賊党どもであり、この四国を平らかにするためには必要な犠牲だったのだよ。どうか分かってくれぬか」


 その言葉に重忠は歯噛みした。


「……」


 彼にも譲れぬものがあったのだろう。されど、この場で意見具申を続けることへの葛藤もまた彼の中で渦巻いていたのであろう。


 多摩地域を仕切る組の総長として。銀座継承戦争で傾いた組を盛り上げなくてはならない立場として。


 中川恒元には逆らえない――その選択を導き出す他なかったようである。


 何だか俺と似ているな。この男は好きではないが、本心を呑み込んで醜悪なボスに付き従うという点で共通項を感じられる。


 尤も、俺なんぞよりこの男の方が幾分かはマシであろう。恒元から申し付けられる狂気を申し付けられるがまま遂行していないという点で。


 迷いを感じながら、それを迷いのままにしているだけ櫨山重忠は良い男だ。少なくとも、中川恒元の導きで人の肉を食らい、生き血を吸う怪物に成り下がってしまった俺よりは、ずっと。


 決して尊敬という意味ではないが、機会さえあればこの男と酒を酌み交わしてみたいものだ。通じ合えぬ要素こそあろうが、立場ゆえの孤独を埋めることは出来よう。


 まあ、この櫨山重忠は俺なんぞとは違い、愛する人と交わしたはずの約束に背を向けたりはしないはずであろうが。


「……出過ぎたことを申しました。どうかお許しを」


「いや、謝るべきは我輩の方だ。我輩の器の狭さゆえに貴様を不快にさせてしまった……申し訳ない」


 そう言って頭を下げる恒元に対して「とんでもございません!」と恐縮する重忠。総帥の気は知れないが、これでひとまず話はついたのだろう。場の雰囲気は瞬く間に落ち着いた。


「さて、他に議題がある者はおるか? 無ければ四国の領地の割り振りについて……」


 その時だった。


 ――ドンッ!


 屋外で銃声が轟いたかと思うと、助勤が走り込んできた。彼は血相を変えていた。


「カチコミです! 伊予琥珀のクソどもが跳ねやがりました!」


 すると直後、壁越しに聞こえてきたのは野太い男の声だった。


「関東から土足で踏み入ってきた余人ども! 全員まとめて斬り捨ててやるぞゴラァ!!」


 七代目伊予琥珀一家若頭、大林おおばやし雅也まさや。この男の暴発が、この戦争を意外なところへ着地させることになるのであった。

狂気に駆られ始めた執事局と、暴走する男たち! この抗争の終着点は果たして……? 次回、四国戦争衝撃の終戦!

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