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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第14章 華やかなりし舞姫
245/261

忘れてはなるまい

 下劣なフィクサーから手駒として目される「七代目鵜川藤十郎」こと鵜川姫香であるが、戦術支援の約束を得るや否や獅子奮迅の働きを見せ始めた。


 翌日、彼女率いる伊予琥珀一家は一条会に対して正式に開戦を表明。四国に散らばる彼らを一掃するべく、阿波地域、讃岐地域、それから一条会総本部のある土佐地域の三方向へ進撃をかけた。


 まず讃岐の制圧を開始した伊予琥珀一家だが、同地域をシマとする沢島さわじまぐみという組織が激しく抵抗してきた。だが姫香は真っ向から力押しをすることなく、あくまで暗殺を繰り返しながら徐々にその勢力範囲を奪っていった。


 続いて阿波へと姿を見せた姫香は、やはり同地に拠点を置く宮田みやた一家いっかからの猛反発に遭う。しかしこの組も沢島同様、親分が討たれたことで動揺しており、姫香の暗殺戦術と巧みな用兵術の前に為す術もなく壊滅した。


 こうして阿波地域を制圧した伊予琥珀一家は、いよいよ土佐へと足を進める。開戦から3日というハイペースでの戦果に、俺は戦況連絡へやってきた彼女を素直に褒め称えた。


「上出来だな、姫香。この分だと一条会が四国に築いた全てのシマはいずれ完全制圧できるだろう」


「うん。そのようだ」


「だが、油断するな……阿波の宮田や讃岐の沢島は殆ど弱体化してたようなもんだったが、土佐は違うぜ」


「依多田か」


「ああ。関西へ逃れていた依多田の野郎が煌王の軍勢と一緒に戻ってきたって情報もある。気を付けてな」


「……わかった」


 俺の言葉に表情を引き締めた姫香は、駆り立てられるように中川会総本陣から戦地へ戻っていった。その素早さはまるで飢えた肉食獣そのもので、鬼気迫るものがあった。


 無論、俺たちとて何もせずに高みの見物に徹していたわけではない。恒元の勧めで、俺たちなりの作戦に動いていたのである。


「本当にやるんですか?」


「何だか心が痛みますぜ」


 難色を示す酒井、原田ら助勤たちに俺は言った。


「勝つためにはこうするのが最も手っ取り早いからな。色々と思うところはあるだろうが……頼むわ」


 渋々ながらに頷き、酒井は立ち上がり様に言った。


「……分かりました。次長の仰せとあらばやりますよ。でも……このやり方は、やっぱり好きませんな」 


 そして原田と共に屋敷を出て行った。


 その数時間後、彼が他の助勤たちと共に持ってきたのは数本の映像だった。「どれどれ」とデッキに入れて再生してみると、そこにはあられもない姿で凌辱される女の姿が映し出されていた。


 そう、恒元が俺たちに申し付けたのは一条会幹部陣の娘たちの誘拐。愛娘が蹂躙される光景を撮影して送りつければ、敵方の戦意を削ぐことに繋がるだろうとの考えだった。


「……」


 皆、複雑な顔をしていたのは云うまでもない。己の良識的にそぐわぬところはあろうが、されども恒元の覇道のために甘んじて従ったことが易く見てとれた。


「すまねぇな」


 そんな部下たちに俺はただただ頭を下げるばかりであった。


 その後、土佐地域の各地で依多田率いる旧革新派勢力と武力衝突を繰り広げつつ勢力を拡大していった鵜川一家は、遂に一条会臨時総本部のある四万十市へ到達した。しかしここで、思わぬ展開に見舞われることとなる。


「何? 敵の拠点ヤサに煌王会の橘が?」


 姫香からの無線連絡を聞いた俺の眉間に皺が寄る。

 曰く、依多田の帰還で勢いを盛り返した一条会が本拠地とする四万十市の邸宅に、橘の姿が見えるというのである。


 先日の内紛に敗れて関西へ亡命した依多田は姫香への復讐に燃え、四国攻略を目論む煌王会と手を組んで自らが煌王の四国派遣軍に参画する代わりに、煌王会による伊予琥珀一家討伐へと動き始めた。そうして彼は駈堂の情報の通り、2千騎もの煌王会構成員に担がれて意気揚々と四国へ戻ってきた。


 そこまでは把握していたが――現時点で煌王会から開戦表明は行われていない。


 よってこのまま土佐の一条会へ攻撃を仕掛ければ、彼らと提携する煌王会と直接ぶつかることになる


『ひとまず恒元公のご意見を窺いたい。私の一存で西と東の大戦争の火ぶたを切って落とすのは畏れ多いのでな』


「分かった」


 無線が終了するなり、俺は恒元の部屋へと向かった。


「総帥、いかがいたしましょう」


 そんな俺のクエスチョンに対し恒元は「ふむ……」と言って少し考え込んだ後、ニヤリと笑って言った。


「……楽しそうじゃないか。松山の七代目たる女剣豪が煌王会の七代目を真っ二つに斬るという筋書きも」


「それでは」


「うむ。『そのまま攻め入って構わぬ』と小娘に伝えよ」


「はっ、承知いたしました」


 かくして、一条会総本部へ攻め入ることになった鵜川一家は、その勢いのまま敵本拠へと乗り込んだ。

 無論のこと「橘を始末する」という総帥の意向は、姫香を通じて森田一家、吉浦一家、園田興業、出川組の構成員へも伝達された。恒元が派遣した中川会との混成軍である以上、このタイミングで一条会を攻撃すれば煌王会との東西大戦争が幕を開けることになる。


 しかし、総帥が「橘を討ってよい」と頷いた以上は遠慮する必要など無い。


『煌王会は我ら共通の仇敵だ! ひと思いに叩き斬ってやろうではないか!』


 無線から聞こえてきた姫香の勇ましい声に俺は目を細めた。


 森田や吉浦とは代紋違いゆえの軋轢もあったようだが、煌王会という共通の敵を相手にしたことで結束が生まれたようだ。


 この調子なら橘を討てるか――そう思った俺であったが、姫香は総攻撃をかけることができなかった。寸でのところで恒元が止めさせたからである。


「総帥?」


 無線機を片手に困惑する俺に、携帯電話をパチンと閉じた恒元が苦々しい表情で語った。


「今しがた、情報が入った……バルティヌーア王国のフェルナンド王子が誘拐されたそうだ」


「えっ? バルティヌーアって云えば、カリブ海の島国の?」


「ああ。外遊先のアルゼンチンで武装勢力に拉致されたそうだ」


 西インド諸島のひとつ、バルティヌーア王国。確か元々はスペインの植民地だったが、本国での王位継承争いに敗れて逃げてきた王侯を擁立した原住民が蜂起、同時期に起こった米西戦争のどさくさに紛れて独立を果たした……そんな歴史を持つ島国だったような。


「思い出しました。そういや油田が湧いたって話でしたね」


「ああ。中東で産出される3倍の量が、おまけに手付かずでな」


 そんなバルティヌーア王国に日本は前年末の油田発見以降積極的なODAを政府と民間企業が一体になって振りまき、現地における親日感情を高めるべく腐心してきた。全ては資源に乏しい我が国の国情を憂う恒元が呼び掛けてのことだ。


「どうも、その武装勢力の構成員が全員日本人だったようでな」


「えっ!?」


「もし王子が殺されでもしたらバルティヌーア国内における親日感情は失墜する。今までのODAも水の泡だ」


「……煌王会の差し金ですか」


「そうとしか思えん」


 例の武装勢力はブエノスアイレス周辺に勢力を張るマフィア『グレゴーリ・カンパニー』と同盟関係にあり、そこの日本支部が最近になって煌王会と手を結んだことが大きな噂になっていた。


「王子の誘拐にマフィアが如何ほど絡んでおるかは分からんが、現地組織の手引きなしには為せぬことだ」


「総帥の海外政策を邪魔するべく、煌王会が現地のマフィアを味方に付けて王子を誘拐して譲歩を迫ってきたと……」


「おそらくはな。何にせよ、奴らは我輩の表社会における立場を巧みに突いたカードを切ってきたのだ」


 今、煌王会は石油や天然ガスなどの地下資源を狙い、世界中のマフィアやギャングとの同盟締結を進めている。全ては『以津真天の卵』の力で日本国における政治の大権を握った中川恒元を牽制するためであることは云うまでもないであろう。


「では、俺たちは煌王会に手を出しづらくなったってことですか……」


「そういうわけではないが、王子の安否は一刻を争うな」


「ええ、まだ13歳だそうですからね」


 資源をめぐる国の将来が掛かっている以上、恒元としては裏社会の抗争を優先するわけにはいかないようだった。


「総帥、どうなさいます?」


「……やむをえん。ここはバルティヌーア王国に恩を売るとしよう」


「分かりました」


 俺は無線機に「作戦中止」と伝えるのであった。その後、土佐地域へ出陣していた兵力は敵と睨み合ったまま動けず、そのまま膠着状態となった。恒元は現地の一条会および煌王会から攻撃があれば兵力を一旦北部へ下げることも考えていたが、どういうわけか相手方からの攻撃は無いまま時が過ぎていった。


 元傭兵の俺は戦況が予想を超えて長引いた時に生じる問題が二つあることを理解している。


 ひとつは物資の欠乏だが、こちらは中川会の資金力が盤石であるため何ら困りごとは無い。


 ただ、もうひとつの方が深刻だった。それは厭戦気分の蔓延だ。戦いが長引けば長引くほど厭戦の雰囲気は高まり、そしてそれは味方同士の摩擦へと発展してゆく。


「どうにも最近、松山の連中が素っ気ねぇんだ。夜の街に飲みに出てもチップを渡さなきゃ注いでもくれねぇ」


「徳島の紺屋町や高松の瓦町で飲んだ時も、そんな感じだったな。まるで四国に居続ける俺たちを嫌ってるみてぇだ」


 総帥に付いて四国へやって来た助勤たちがそんな会話を繰り広げ始めた頃、土佐の前線から使いの者がやってきた。


「総帥、お目通りを」


「うむ」


 恒元が応じると、それは吉浦一家、園田興業、出川組の幹部だった。彼らは神妙な面持ちながらどこか腹を括ったような雰囲気で俺たちを見つめると、少し間を開けてから「情けない話でございますが」と切り出してきた。


「伊予琥珀一家との軋轢が常態化しておりまして。連中ときたら既に自分たちが四国を仕切った気でいやがるんです」


 その報告に触れ、俺は一旦顔を窓へと向けた。森田は元より、吉浦、園田、出川との関係が冷えきっているとの情報を数日前に姫香から得ていたのである。


「総帥が『勝手に攻めかかってはならぬ』と仰せになったのに、あいつらはどんどん先へ行こうとするもんで」


「ええ、それもあの女親分ときたら『自分が単騎で煌王の橘を斬れば障りは無い』だの何だのと勝手なことを」


 互いに頷き合って口々に不満を吐露する3人。それに対し、恒元はため息で応じた。


「その勝手な行動を抑えるのがお前たちの仕事であろう。もっと励むよう各々の親分に伝えよ」


 なおも不平不満を爆発させようとする幹部たちだったが、俺が「その辺にしとけや。自分テメェの怠慢を棚に上げてガタガタ抜かしてんじゃねぇ」と凄むと忽ち震え上がり、逃げるように帰って行った。


「……呆れて物も言えませんね」


「こうも戦が長引いては致し方あるまいよ」


 笑い飛ばす恒元だったが、姫香のこと。歳若さゆえに盛んな気合いも相まって暴発の可能性があるのは確かだろう。


 そのことは吉浦たちの組の若衆とて例外ではない。後ろ盾を持たぬ連中にとって、遠征は手柄を立てる絶好の機会だ。


「兄から組織を継いだ時から思っていたが、我が中川会の空気はあまりにも堅苦しい。万事血筋が物を言い、祖父の代まで遡って親族に博徒が居なければ組織に入ることすらままならん。親からの世襲により13歳そこらで直参の組長の椅子に座る人間も珍しくない一方、古希を迎えた齢で下っ端に甘んじている爺も最近では目立つようになってきた」


 かくいう恒元もまた、そうした血筋至上主義で成り上がった身なのだが――というツッコミは心の奥へ仕舞い込んで俺はコクンと頷く。


「ええ。この中川会は極端な話『親族に稼業の男が何人いるか』で、キャリアのスタートラインが定まりますから」


「ああ、まさしくな。その血筋の壁を打ち破るたった一つの術が、手柄を立てることなのだ」


 稼業の男にとっての『手柄』とは、シノギで潤沢な額を稼ぎ上げて組織に貢献するか、抗争で敵方の大将首を獲るかの二択だ。


「だが、下っ端の多くはシノギが下手だ。奴らは親も下っ端で貧乏なものだから小学校もまともに通っておらず、掛け算九九もまともに出来ないような男たちだ。そんな連中に銭勘定などこなせるわけも無い」


「ええ。直参からの上納金アガリの殆どは組長本人が金脈を拾ってきてるって話ですからね。下っ端と違って物心ついた時から家が裕福で、大学にまで通わせてもらった親分の知性が無ければシノギは回せませんよ」


 そう相槌を打った俺が、内心で己の恵まれた境遇とめぐり合わせに感謝の念を抱いていたのは云うまでもない。無学な麻木涼平が中川会の若き幹部として成り上がれたのは、単に出会った人々の引き立てがあったからこそだ。


「そんな下っ端連中にとって、抗争は力を示すまたとない機会。餌を吊り下げられて心が燃えぬ獣はおらんだろうよ」


 苦笑した恒元に対し、俺は「ええ」と頷いた。


「ですから、何かしらのガス抜きは必要と存じます……この膠着状態で奴らが暴発しないためにも」


 飢えた獣の昂る激情を抑え、彼らに根気を養ってもらうための施策を恒元は既に思い付いていた。


「ちょうど桜も見頃を迎えていることだし、盛大な宴を催してやろうではないか。選りすぐりの美しい女を集め、酒と料理も贅を尽くせば男どもの暴発もいくらか抑えられよう。この中川恒元の名が如何ほどのものか、四国の博徒どもに分からせてやるためにもな」


 すぐさま「承知いたしました」と応じて準備に動き始めた俺。それは恒元が全線で戦う兵たちの疲れを労うために催すパーティーというよりは一種のデモンストレーションであった。


 2006年3月30日。


 徳島県東部の美波町にある日和佐城記念庭園には、満開の桜が咲き乱れていた。この年は桜前線の北上が緩やかで、例年に比べて遅咲きだったおかげで俺たちは毎年恒例『桜月の宴』を遠征地にて催すことができたのであった。


「まさかドンパチの真っ只中に花見とはな」


「恒元公も何をお考えなのやら」


 執事局が貸し切った庭園では出川組幹部たちの密やかな会話も聞こえていたが、彼らも彼らとて上機嫌である。何故ならテーブルの上には赤坂から呼び寄せた一流料理人が腕を振るった品々が並び、酒もたんまりと振舞われたからだ。


 そして何より園内の至るところで美女が給仕を行っている。


「はーい、親分さん。お酒をどうぞー」


「お、おう。頼むわ」


 両隣を恒元が見繕ったコンパニオンに固められた吉浦、園田、出川はすっかり顔を赤らめていた。直参組長のみならず下っ端構成員にまで女がべったりとくっついている。ここまで贅を尽くした宴が開催できるのは資金力に優れた中川恒元ならではのことだ。


 出来の良い笑顔を顔全体に張り付けた女たちは客の前で易々と下着を外し、乳房や陰部を見せつけては男どもの劣情を煽り立てていた。


「吉浦さん、お注ぎいたしまーす」


「む、うむ……」


 喜寿を迎えた老体には刺激が強すぎたか、吉浦総長は鼻血を噴き散らかして昏倒寸前だ。


「園田さん、飲み過ぎは身体に毒ですよー?」


「あ、ああ……そうだな……」


 開始から1時間ほどで園田代表も正体を失くしつつある。


「出川さんはお若いからこのくらい平気ですよねー?」


「う、うん……まあな……」


 まだ50代の出川も何だかんだいってベロベロだ。


 酒と女ですっかり舞い上がった親分衆たちは、もはや抗争などそっちのけだった。そんな彼らを見て3人の老婆がため息をつく。


「まったく、うちの人ったら若い女を見るといつもこうだよ」


「園田も同じですわよ吉浦さん、何せあの人に口説かれたのはあたしが18の時だったんですから」


「男の人って単純ですよねぇ、私も何で出川なんかと一緒になったんだろうって今でも思ってますし」


 そう言って呆れ果てたような笑みを浮かべるのは、関東の領地から呼び寄せられた吉浦の妻たちである。今回は春の花見を四国で開催することになったため、当然のごとく親分衆の妻も顔を出していたのだった。


「ぎゃははっ! もっと酒を持ってこいよぉ!」


 嘆息をつく奥方らを尻目に浮かれて騒ぐ親分衆。毎年恒例の行事を四国で開催するということで庭園内には理事会のメンバーも顔を連ねているが――それより気になったのは伊予琥珀一家の組員たちだった。


「よぉし、それじゃあ松山伝統の阿波踊りを踊りまぁす! どーんとご覧くださいっ!」


 酒が入ってテンションが頂点に達したか、褌一丁になって謎の踊りを披露する彼ら。阿波踊りは当地徳島の伝統であって松山のものではないはいはずだが……。


 そんな些末事はさておき、連中の足元に注射器らしき物体が転がっていることに俺は気付いた。よく見ると上半身裸になった組員たちの腕には針を打った痕がいくつかある。


 伊予琥珀一家は麻薬を扱わない組ではなかったのか?


 首を傾げていると、男たちは程なくして登場したダンス専門のコンパニオンの女を囲み、ますます下劣な笑みを浮かべていた。


「おっ、姉ちゃんたまんねぇな。踊って俺らを楽しませてみぃ!」


「は、はぁい! それでは……んっ、んっ」


 華やかな衣装に身を包んだ女が両腕を頭上に上げて腰を振る。その艶めかしさに男たちからは歓声が発せられる。


「おぅおぅ、姉ちゃんたち! そんなんじゃ足りねぇぞ! そんなんじゃ俺たちは満足できねぇぞ!」


「そうだそうだ! もっと激しく踊らねぇか! もっと俺たちを愉しませろ!」


「は、はぁい! では、もっと……んっ」


 女はさらに激しく腰を振る。その扇情的な踊りに男たちはますます歓声を強めた。


「おぅ、いいぞ! 姉ちゃんの踊り、凄いぜ!」


「あ……ありがとうございますっ」


「よぉし、次は俺の前で踊ってくれよ!」


「は……はい……」


 女の顔が一瞬だけ引きつるが、組員たちの指示に従う他ない。


 女は身に着けた衣装を脱ぎ捨て、そのままジャンプして空中で一回転。その拍子に大きな胸がぷるんと揺れるのが見て取れた。


「おぅ、いいねぇ!」


「姉ちゃん、もっとだ! もっともっと激しく踊れ!」


「は、はぁい……」


 女はさらに激しい動きを見せる。こうした接待は本分ではないのだろうが、稼業の男らに囲まれては断りようが無いらしい。


 やがて酒で薬で興奮が絶頂に達した男たちは、女の踊りを肴に自らの股間をまさぐっては歓声を上げた。


「うぉおおおおおお!」


「もっとだ、もっと激しく踊れぇ!」


 女はその豊満な胸をぶるんぶるんと揺らして踊り続ける。


「はぁい、喜んでぇ!」


 そのダンスはやがて、女自身が愉しむためのものに変わっていった。


「あ……ん……はぁ……」


「おぅおぅ、姉ちゃんの踊り、凄いぜ!」


 それから程なくして優雅なはずのお花見会が乱痴気パーティーへ変わったのは云うまでもない。昨年の赤坂でも似たような光景が見られたものだが、やはり俺としてはため息をつかずにはいられなかった。


 俺も男だ。ゆえに目の前で繰り広げられる宴は必ずしも不愉快ではないのだが、素直に楽しめない己がいる。


 何故なら、ここには俺の想い人が居るからだ。


「……」


「涼平!」


 無言で棒立ちになっていたところに声をかけられ、ハッと我に返った俺。ふと背後には着物に袖を通した華鈴の姿があった。


「……ど、どうした」


「どうした、じゃないよ。さっきからずっと呼んでるのに」


「あ、ああ……すまんな」


「もう、涼平ったら。そんなんじゃなさそうな顔して意外とスケベだよね」


「なっ!? 」


「冗談だよ。ほら、お料理を持ってきたから。あったかいうちに食べちゃおうよ」


 この下劣きわまりない空間に華鈴が居る理由はひとつ。彼女も四国へ呼び寄せるよう恒元が申し付けたからだ。


 華鈴は幼い頃から恒元の顔見知りということもあって赤坂三丁目のみならず組織全体に顔と名が通っている。


 正式な入籍こそしていないが、組織からは「麻木涼平の妻」としてみなされているのである。


 まったく奇妙なことだ。周囲に交際を公言しているわけではないというのに。裏社会は噂の広まりが輪をかけて早い。


「ほら、これ。私の自信作」


「そういや、華鈴は料理人たちを手伝ってたんだったよな……これは何だ?」


「ロールキャベツに見えるけど『白菜の肉詰め』だよ。お肉は鶏胸肉でヘルシーに仕上げてみました」


「確かに、こいつなら酒にも合いそうだな」


 そう応えて俺が箸を伸ばそうとすると、声が聞こえた。


「涼平。その女性は?」


 不意に低い声が聞こえたために視線を向けると、そこには和装の少女が歩いてきていた。姫香だ。いつもの凛々しい袴ではない艶やかな振袖だった。


「お、おう……」


 彼女は中川会の同盟相手、伊予琥珀一家の総長として恒元と共に宴の模様を眺めていたのであった。ふと庭園中央に目をやると酔っ払ったと思しき恒元が絨毯の上に寝転んでおり、その合間に姫香は席を立ったのだと予想が付いた。


「……こいつは華鈴といってな」


 そう言いかけると、遮るように口を開いたのは当の華鈴であった。


「どうも、与田華鈴と申します」


 そう名乗った瞬間、姫香の表情が一変したのを俺は確かに見ていた。どういうわけか、彼女の眉間に深い皺が刻まれたのである。


「……」


 だが、そこから暫しの沈黙の間が流れるわけではなかった。すぐに姫香が元の表情へ戻り、挨拶を返したのであった。


「……七代目鵜川藤十郎」


 すると華鈴はにっこりと笑って応じる。


「涼平から話は聞いてるよ。松山を仕切ってる親分さんなんだよね。その若さで凄いね」


「……いや。別に凄いということもありますまい。この稼業に世襲がつきものであることは貴女様もご存じのはず」


「ねぇ。『姫香ちゃん』って呼んでも良いかな。そっちの方が呼びやすいと思うし」


「……お好きになされよ」


 昨日に松山へ到着した際、華鈴には姫香のことも含めて今までの経緯をひと通り伝えていた。華鈴は姫香にとって良き姉貴分になると思っているのだが――少しそわそわとする俺をよそに、二人の女の会話は穏やかな盛り上がりを見せた。


「あたし、暫くこっちに居るんだけどさ。松山でどこか観光できそうな場所って無いかな」


「何処か特定の場所へ赴かずとも外を歩けば全てが美しく見える。それが松山という街だと思っておりますゆえ、私からは『ひとまず街を散策してみられよ』としか申せません」


「ふふっ、姫香ちゃんって地元愛が深いんだね。そういうの、何か羨ましいかも」


「そ、そうなのですか?」


「そうだよー。あたしは生まれも育ちも東京の赤坂ってとこなんだけど、あの街の全てが美しいだなんて胸を張れないよ」


「……ともかく、街を散歩するだけでも心が穏やかになるのが松山です」


 どちらかといえば饒舌な華鈴に対して少し姫香は引き気味だったのだが。


 されども、姫香の表情は次第に柔和なものになってゆく。いつもピンと張りつめている彼女だが、華鈴の前ではどこか気の抜けた雰囲気を醸していた。


 そんな彼女の変化を楽しんでいると、俺へ声がかかる。


「ちょっとええか、涼平」


 背後から声をかけてきたのは本庄だった。この男もまた理事の一員として四国へ出陣してきていたのである。


「……去年も花見であんたと喋った気がするぜ」


 少し離れた場所へ移動して呟いた俺を本庄は笑った。


「せやな。けど、去年と今年じゃおどれの肩書きから功績まで何もかも違うやろ」


「器に見合わん出世をしたって言いてぇのか」


「素直に褒めとんのや。玄道の井桁を討ったっちゅう武功は幹部に昇るに相応しいやないか、わしと肩を並べるんに丁度ええ」


 相変らずお喋りで嫌味な男だ。俺が「で、何の用だ?」と尋ねると本庄は「大きく分けて二つや」と切り出す。


「まずひとつはアドバイスや」


「アドバイスだ?」


「せや。あの井桁久武を討ち果たした麻木涼平の名は今や日本中に広まった……当然、井桁に煮え湯を飲まされとったこの四国にも」


「分かっている。俺の顔を見ただけで小便漏らしながら逃げてった奴もいたくらいだ」


「大半は相手が豪傑中の豪傑ってなりゃビビるやろうけど、中には例外もおる。強い相手と喧嘩しとうてたまらんっちゅう根っからの喧嘩バカがのぅ……そういう奴らが何時、トチ狂って襲ってくるかは分からんさかい気ぃつけとけや」


「へっ、俺が喧嘩で負けるとでも?」


「誰かと一緒に居る時を襲われたら、そいつを戦いに巻き込んでまうやろって言うとんのや。おどれの女も戦地に赴いとる以上、その辺は注意して動かなあかんで」


 言われてみれば、確かにその通りだ。しかし、華鈴も喧嘩自慢だから俺と一緒に居るところに襲撃をかけられたとて応戦できるであろう。


「で、ふたつ目は何だ?」


「ああ……現時点でのわしの憶測やけど、あの七代目鵜川藤十郎っちゅう小娘に先はあらへんで」


「はあ?」


 俺が怪訝な声を漏らすと本庄は「あの手の女を恒元公が生かしとくはずが無い」と続ける。


「きっと恒元公は伊予琥珀一家を捨て駒としか考えとらん。一条会を潰すための、な……せやから、おどれがあの小娘に情を抱くのは勝手やけど、そのことで無駄な気ィ回さん方がええで」


「無駄な気を回すなだと?」


「外国の件で煌王へ直接手が出せん状況になった今、伊予琥珀一家は単騎で一条と煌王の連合軍へ攻めかかる他ない……そう恒元公に焚きつけられたら、鵜川の七代目は断れんやろ。潰れるのは目に見えとる」


 その展開は考えないでもなかったが、俺は敢えて聞き流そうとしていた。


 確かに現状、中川会は煌王会に対して直接的な武力行使が出来ない。煌王会がアルゼンチンの武装勢力に依頼し拉致させたバルティヌーア王国の王子は、依然として救出の見通しが立たない。恒元としては、迂闊な行動で自らの政治的権威に傷がつくことは何としても防ぎたいのであろう。


 すなわち、一条会および煌王会との抗争は伊予琥珀一家に任せる他ない状況なのである。


「鵜川の七代目も組の将来を考えりゃ無謀な喧嘩でもやるしかあらへんのやろうけど、いずれ限界を迎える。恒元公の都合で振り回されて傷つく子分たちを見て、どこまで我慢できるか……今ここでおどれが下手に肩を持つようなことをすれば、もし鵜川の姫が跳ねた時におどれも割を食うで。そのリスクを頭に入れとき」


「……あんた、お節介な年寄りみたいだな。せっかくアドバイスをくれたのに申し訳ないが、七代目鵜川藤十郎に限ってそんなことはぇよ。俺がついてりゃ落ち着いてくれるだろうぜ」


「おどれもまだ若いから分からんやろうけど、女っちゅうんはな……いや、ええわ」


 本庄はまたしても言葉を濁し苦笑した。


「ふっ、あんたは女って生き物を過小評価しすぎだぜ」


 俺はそう応えて彼に背を向け、談笑する華鈴と姫香の元へ戻ったのであった。


「ねぇ、姫香ちゃんって何か趣味はあるの?」


「趣味……強いて言うなら散歩をすることか」


 積極的に話題を振る華鈴に、少し顔を赤らめながら答える姫香。先ほどに比べて距離が縮まっている様子が窺える。姫香が出会ったばかりの相手とここまで会話に興じるとは――心を開くのに時を要した俺としては驚くばかりで、同時に与田華鈴という女のコミュニケーション能力の妙に深く感心させられる。


「何だかんだ言って、涼平も歩くのが趣味だよね?」


 華鈴が俺に聞いてくる。俺は「ああ」と頷いておく。


「今度、3人で松山をゆっくりぶらついてみようじゃねぇか」


 それから暫く他愛もない談議に花を咲かせているうちに春の宴はお開きとなった。特に目立ったアクシデントは皆無。酔っ払った中川の親分衆が嫌がるコンパニオンに無理やり関係を強いていたくらいで、そういったものに対し精神的な耐性が備わっただけなのかもしれないが――発砲や刃傷といった流血の惨事は起こらなかったので良しとしよう。


「おーい、ゴミ袋が足りねぇ! 持ってきてくれや!」


「空き缶と空き瓶は袋が違う! ちゃんと分けてからジャンク屋に渡すんだぞ!」


 幹部や親分衆、それから伊予琥珀一家の連中が帰った後、片付けに奔走する助勤たちを眺めながら俺はふと考えた。


 先ほど恒元は伊予琥珀の組員たちに麻薬を打たせていた。自陣の構成員に「売っても打つな」と厳命しているものを同盟相手に与えることの是非はさておき、その行動には明確な思惑が見え透いている。


 恒元は彼らを洗脳しようと目論んでいるのだ。一度でもクスリを体に摂り込めば、忽ち自制心を失い快楽の虜と化す。そうなれば他の何物にも代えて薬を欲するだけの獣に成り下がり、組を束ねる姫香の言葉でさえまともに聞かなくなるだろう。


 最終的に恒元の行動とは――つまるところ「伊予琥珀一家を敵勢力にぶつける都合の良い駒として使い捨てにする」というシナリオを描いている。


 如何に親分が誇り高き人物であろうと、組員が麻薬中毒者であれば意味が無い。中川恒元の傀儡にはなるまいと姫香が心に線を引いたところで、若衆たちは麻薬を与えてくれる恒元の下知を優先するだろう。


 恒元が「突撃せよ」と言えば、たとえそれが無謀な死地であったとしても彼らは何の躊躇も無く突撃するだろう。姫香の言葉など耳に入らない。


 西日本隋一の喧嘩の腕を誇る頑強な松山極道たちを恒元は体よく使い捨てにしようというのである。それも安値で。


「涼平」


 あまりの下劣に歯噛みしていたところ、ふと背後から声をかけられる。振り返るとそこには華鈴の姿があった。


「あのさ、さっきの姫香ちゃんの子分たち……」


ヤクに手を出してやがったな」


「……あたし、赤坂で暮らしてるからさ。麻薬中毒の人は目を見れば分かっちゃうんだよね。たまにうちの店に来る人と比較しても、さっきの人たちは尋常じゃなかったよ」


「ああ。普通なら幻覚剤は効くのに時間がかかるもんだが、打って数分で絶頂ハイになっちまうってことは常習性があるんだろうぜ」


 すなわち、此度の宴の前から、彼らは麻薬の扱いを嫌う姫香に隠れて普段からコソコソと使用していたということ。さらに云えば、姫香はそうした若衆たちの行動を統制しきれていなかったということになる。


「中川の親分はどうして姫香ちゃんの組に薬を?」


「たぶん、言いなりにさせるためだろうぜ」


「た、たぶんって……涼平は聞かされてないの?」


「ああ、何もな。第一に執事局の人間は全員が総帥の直属だ。『次長助勤』って肩書きでも総帥からの直接的な指揮に従って動くことになってるから、俺は連中の行動について全て把握してるわけじゃねぇんだ」


「ええっ!?」


「俺が把握してるのはせいぜい総帥の護衛計画くらい。総帥が助勤を薬の仕入れに行かせようが、何処へ遣わそうが、俺は関知できねぇよ」


「そ、そうなんだ……」


 華鈴の胸に秘められた思いは何となく分かっている。ゆえに俺は先回りして言った。


「俺もあの人にやり方に全て納得してるわけじゃない。だが、それでも今はあの人に従う他ねぇと思ってる」


「……涼平はそれで良いの?」


「前に話しただろ、俺たちには中川恒元公の万物を統べる力が必要だって。どうやらあの人は俺たちが考えた飯配りのプランに肯定的らしい。もしあの人が政治家を動かして国の施策にしてくれれば、俺たちの夢が叶うわけだ」


「……」


「だから今はとことん恒元公に仕えて、歓心を買う。意見具申をすれば何でも了解してくれるくらいのお気に入りになるのが理想だと思ってる」


 俺の言葉に華鈴は何も言わなかった。されども心の内に渦巻く気持ちは、彼女の瞳を見れば一目瞭然だった。


 そのまま、俺は華鈴を抱きしめる。想い人が抱える葛藤や行き場のない情念を全て吸収するように。


「華鈴」


 どうか分かってくれという意味で恋人の名を呼んだ俺であったが、華鈴は涙声で吐露するばかりだった。


「……だとしても、あたしは嫌だよ。人の体を蝕むものを政治の道具に使うなんて」


「あのお方のやってることがゲスだとは分かっている。だが、今はこうするしかねぇんだ」


 俺は華鈴に言い聞かせるように言ったが、華鈴は嗚咽混じりにこう漏らす。


「それがあたしたちの夢を叶えるための手段だとしたら、あたしたちもあの男と一緒だよ」


「か、華鈴」


「涼平、あたしはね……あの理想論も良いとこの夢を叶えるには、確かに中川の親分の力が必要だと思ってる。でも、そのプロセスで誰かを犠牲にしたくなんかない。あの人のやり方は間違ってるよ」


 喩えるなら、心の中で鐘が打ち鳴らされたようだった。


 あの人のやり方は間違ってる――華鈴の言葉が耳に響き渡り、思考の中で半ば自動的に反芻される。同時に、ここ最近の己の行動が否応なしに省みられる。


 まさに華鈴の言う通りだ。暗黒に支配された世の中を変えようとしているのに、俺自身が暗黒に堕ちては本末転倒であろう。


 しかし……。


 どういうわけか百パーセント噛みしめることができない自分がいた。心のどこかで「仕方ないではないか」と思うのである。


 おかしいな。俺が残虐非道な行為をはたらくのは、他でもない華鈴のためだと思っていたのに。


 その華鈴に否定されてもなお、心の根底で沸々と煮えたぎる歪んだ信条を肯定しようとするとは。


 まったくもって自分で自分に驚かされる。


「……」


 されども華鈴のまっすぐな視線を前にしていると、燃え盛る炎が少しずつ鎮火されてゆくような感覚に包まれる。


 少しの間を入れた後、俺は深呼吸をした。そして彼女の肩を掴んで引き離すと、その目を見て言う。


「……ああ、そうだよな。俺自身が黒く染まっちゃいけねぇよな」


 すると、華鈴は涙で濡れた顔で微笑んだ。


「うん」


 華鈴が俺に強くしがみついた。その筋肉質な体を抱きしめながら俺は思う。やはり俺の恋人は素晴らしい女性だと。


「ああ……そうだな」


 雪のように真っ白な華鈴を抱きしめ、ようやく俺はあるべき己自身の姿を思い出した。如何なる情勢下にあっても俺たちは俺たちのまま、理想を成す。かつて大晦日の夜に誓い合った約束を忘れてはいけないのである。


「伊予琥珀の連中に、無駄に命を散らすことはさせねぇさ。そうなる前に他のやり方でこの戦争を終わらせるんだ」


「うん、お願い。あたしは姫香ちゃんに昔のあたしと同じ涙を流して欲しくないんだよ」


 深々と頷き「そうだな」と返し、俺は改めて心に誓ってみた。たとえ暗黒の帝王の下にあっても必ずや守るべきものを守ってみせると。

恒元の思惑で捨て石にされつつある姫香を救うべく、決意を固めた涼平! しかし、策はあるのか……? 次回、野心と愛情が躍動する!

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