ふるさとの誇り
四国の裏社会を二分する一条会の内紛劇は、嘉賀照之助会長を戴く墨守派の圧勝で幕を閉じた。
片や、抗争に敗れた革新派は土佐の一条会総本部が陥落するや否や次々と降伏。皆が墨守派への恭順を表明した。
そんな中、大将の依多田雅和は行方知れず。総本部に奇襲が仕掛けられると分かった途端、組の部下や仲間を捨てて姿を眩ませたのである。
依多田が失脚へと至る一連の模様は『依多田雅和の変』として語り継がれることになったのだが、何とまあ愉快なネーミングであろうか。自分に付いてきた人々をあっさりと使い捨ての駒とした彼の人間性と、敵の大軍を前にして逃げ去った臆病さへの嘲りの意味が込められていることは言うまでもないだろう。
さて、戦勝ムードに包まれていた松山の伊予琥珀一家の連中であるが、総本部を掌握し意気揚々と組織の再編に乗り出したタイミングで新たな壁にぶち当たっていた。
2006年3月18日。
この日、俺は朝から一条会総本部で彼らの会議を見守っていたのだが、それは紛糾の二文字では表現しきれぬほどに混乱していた。
「待ってくれ! それじゃあ元の木阿弥だ!」
「何がいけねぇんだ!? 一条会は愛媛だけを仕切ってる組織じゃねぇんだぞ!?」
猛然と拒否反応を示す伊予琥珀一家若頭の大林に対し、向かい側に座る一条会直参『竹葉組』若頭の井上春彦は断固として己の意見を曲げない。
彼らの議題は革新派に参画した親分衆を新体制に迎えるか否かについて。
大林は「逆賊の依多田と行動を共にした者を迎え入れては、いずれまた路線をめぐる対立が起きる。3月14日時点で墨守派へ寝返らなかった直参組長については渡世を引退して貰うべき」と具申したが、これに対して井上は「勝者だけを優遇してはルサンチマンが蓄積する一方だ。敗軍の将たちの声も取り入れた組織運営を行うべき」と反論した。
切れ長の瞳を思いっきり開き、大林は叫んだ。
「あんたはまた組織を割らせてぇのか!? 上手くいかねぇのが目に見えてる奴らをどうして仲間と呼ばなきゃならねぇんだ!?」
井上は真っ向から異論をぶつける。
「今でこそ恭順してるが、もし奴らが大人しく引退せず敵に回ったらどうするんだ!? 奴らが暴発する可能性を少しでも抑えるためにも妥協案を採るべきだ!」
無論、そう言われて歩み寄る大林ではない。両名はほぼ同時に立ち上がり、互いの絶叫と共に睨み合った。
「その必要は無ぇ! こっちの言うことに従わんようなら討ち滅ぼすだけだ!」
「今の組織に内輪で喧嘩する余裕があると思うのか!? 中川と戦になるかもしれねぇんだぞ!?」
「馬鹿が! そんなことになるわけねぇだろ!」
「はあ!? どうしてそう言い切れる!?」
「関東とのパイプはそこの麻木次長に任せときゃ問題ねぇんだよ! くだらん心配してねぇで四国をまとめることだけ考えやがれ!」
井上は俺をテーブル越しに指差しながらそう断言してのけた。
「大体よぉ、今回の喧嘩でいちばん武功をぶち上げたのは俺たち伊予琥珀一家だぜ? せいぜい今治で籠城してるだけだったテメェらが偉そうに振る舞うなんざ道理が合わねぇだろ!」
「へっ! 何が武功だ! 中川会からの助っ人の力で勝ち続けただけのくせしてデカい顔するんじゃねぇ!」
「何だと!? もういっぺん言ってみろ! その首叩き落とすぞ!」
「上等だ! やってみやがれ! 松山が一条会の筆頭だと思ったら大間違いだぜ!」
「この野郎っ! 言わせておけばっ! うちの七代目を馬鹿にするのは許さんぞ!」
そうして大林が懐に手を突っ込んだ瞬間。
「止めよ!」
室内に女の声が響き渡った。
「その辺にしておけ、大林。武功の数をあげつらっては元も子も無いではないか」
姫香が大林を静かに宥めたのである。
「……はっ。失礼しました」
親分の言葉とあっては血気盛んな猛将も引き下がる他ない。大林は一礼すると椅子に腰を下ろした。
子分を落ち着かせた後、姫香は視線を左へずらす。
「井上さん。あなたの言うことも分かる。確かに私は少し出しゃばりすぎだったかもしれないな」
「いやっ。そういう意味じゃありませんぜ、鵜川の親分さん。ただ、その、もうちょっと皆の意見を集めるべきだと思っただけでございまして」
「ああ。そうだな」
慌てて己の具申を穏やかな表現へ言い換えた井上に微笑んだ後、姫香は己の考えを語った。
「私の願いは嘉賀会長の治世を永久不滅のものとすること。少しでも危うき分子は除かねばならぬと考えている」
会議室に居並ぶ他の親分衆で異を唱える者はいなかった。何故なら彼らは皆、墨守派であるからだ。
「だが、それでは組織が硬直してしまう。私はもっと風通しを良くしたいと思っている」
ゆえに降伏してきた革新派親分衆も今後の組織運営に参画させる――そう姫香は言った。
「……あなた様の仰せとあらば」
「すまんな、大林。奴らの忠誠心を危ぶむお前の考えは至極当然だ。しかし、私は独善的な組織にはしたくないのだ」
「へい。承知致しております」
他の墨守派親分衆も一様に姫香の言葉を呑んだ。
何だかんだ言って、姫香は今回の戦勝における最大の功労者。その意見を無碍にするわけにはいかないようだ。
そして「一条会の今後の組織運営体制について話し合う」との目的で開催された会議も彼女が議長を任されている。
決して姫香自身が名乗り出たわけではない。今回、出席した親分衆に推されてのことである。
尤も、その親分衆も今回呼ばれていない革新派の連中が次回以降呼ばれる件に関しては内心複雑であろうが。
「では、次の議題に移ろう……」
それから姫香は予算、他組織との外交方針、負傷した構成員への見舞金の額など、いくつもの事柄を合議に諮った。
今までは議長としてひたすら進行に徹してきた彼女がイニシアティブを発揮したことで、議事はスムーズに進んだ。
しかし、最後の最後まで決まらなかったのが新たな人事である。特に、本家若頭の顔ぶれだ。
「若頭は一条会の跡目。こればかりは会長のお考えを窺わぬことには始められない」
そう言って言葉を濁し、決定については嘉賀に一任するとして散会させた姫香。
香川の沢島組、徳島の宮田一家といった墨守派親分衆からは「あんたが若頭をやったら良いんじゃないかね」と姫香を推す声が出たが、彼女としても迂闊に名乗りを上げるわけにはいかないことであろう。
何せ、自らの言動が一条会内の新たな火種になるかもしれないのだから。
墨守派が全員賛成に回ったとしても、伊予琥珀一家だけが甘い汁を吸っている印象が内外に広まれば反感を買う。
革新派の親分たちの意向も無視しないと決めた以上、彼らに配慮する必要が生まれたのである。
「……ふう。話し合いを仕切るのは疲れるな。喧嘩ならどれだけ暴れても疲れないのに」
終了後、そう呟いた姫香を俺は労った。
「お疲れさん。よく頑張ったな。ああするのが無難だったと思うぜ」
「ありがとう。だが、私があのような位置に座れたのも涼平がいたからこそだ。いつも助けられているな」
そう俺を称賛する姫香。しかし、俺は肩を竦めた。
「お前の頑張りを肯定してくれただけだよ。俺は何もしてない」
「そんなことはない。これからの一条会はそう簡単に組織がまとまらないと思うから、その方針が固まる場にお前がいてくれて本当に良かったと思っているんだ」
彼女は微笑みながらそう述べた後、こう続けるのだった。
「……情けない話だがな」
墨守派と革新派。二つの派閥に分断された人々の心は、すぐにまとまるものではない。
内紛で揺れに揺れた一条会復興の道のりは遠い――だが、それ以前に中川会の影響力をどうするか。
俺は姫香とより良い選択肢を模索することを確認し合った。
そして、四国の地を訪れた男たちを出迎えるべく正午に松山空港へと向かうのであった。
「よう、待ってたぜ。森田の親分さん」
数十人にも及ぶ派手な装いの手下を引き連れ、搭乗ゲートから颯爽と現れた中年男性――森田直正に俺は微笑む。彼の率いる森田一家は中川会にて最大規模の兵力を誇る武闘派集団であり、眞行路一家衰退以降の旧御七卿では当然のごとく筆頭格の地位にあった。恒元から四国派遣軍に指名されたのも道理だ。
「へへっ。お前さん一人で土佐を陥落させちまうとはな。出世頭の異名に違わぬ大活躍じゃねぇか、麻木よ」
「大袈裟だな。あれは殆ど伊予琥珀一家の手柄だ。俺は奴らに集るハエを少しばかり除けてやっただけだぜ」
俺の返答に森田は「まあ、謙遜するな」と白い歯を見せた。
「だが、数の上じゃ劣勢だった伊予の田舎モンたちが勢いづいたのはお前さん功績によるところも大きかろうが」
「……じゃあ、そういうことにしておくか。何にせよ総仕上げには理事長補佐のあんたの力が必要だ」
「おう。任しとけ」
森田によると、チャーター機に乗ってやって来た彼率いる本隊の他、森田一家の別働隊が次々と四国に入る手筈という。
総勢2千騎の大軍勢。南下を虎視眈々と狙う煌王会を牽制しつつ四国をまとめ上げるには十分すぎる数だ。
一条会と今後の方針について話し合う昼食会は翌日に予定されているため、今宵は夜の街で遊んで旅の疲れを癒して貰う。
そのために松山や徳島、高松といった歓楽街の情報は全て調べ上げている。こうした形でのバックアップも先遣隊たる俺の仕事であった。
「しっかし、あちらさんとの会合が明日までお預けとは奇妙なこった。せっかく昼に着いたんだから今晩でも良かろうに」
「それだと一条会の大親分が顔を出せねぇんだよ。あの爺さんは今晩、地元の政治家との会食があるからな」
「おいおい、ドンパチのケツをもってやった俺たちのもてなしより自分のコネづくりを優先するってのか」
一条会サイドから歓迎の宴が無いことに森田は少し腹を立てているようだが、俺はそうは思わない。
そもそも今回、中川会は一条会の内部抗争に組織として参戦していない。一連の武力介入はあくまで麻木涼平個人の行動ということになっているのだ。
「まあ、そう言うな。嘉賀の爺さんは地元とのパイプを大事にしてるんだ」
「ふん。まあいいさ」
森田は俺の言葉に対して鼻を鳴らしたが、それ以上は何も言わなかった。
「今回の四国遠征は倅の初陣なんだ。親バカなこたぁ百も承知だが、やっぱりこいつには何かしらの武勲をかっさらってほしいわけよ」
話題を変えるように、森田は俺に一人の男を紹介する。
「次男の道也だ。よろしくな」
そんな父親に「おう、挨拶しろ」と背中を叩かれて、その青年は俺の前に立った。
「森田道也です。若輩の身ゆえ拙いところもありましょうが、何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
ああ、思い出したぞ。森田が昨年の銀座継承戦争の折に討たれた長男に代わって若頭の地位へ据えた次男坊だったか。
齢はその年の1月に20歳を迎えたばかり。兄と違って今まで裏社会とは関わってこなかったというから少し心配だ。
「おう。理事の麻木涼平だ。分からんことも多いだろうから、まずは親父さんの傍に居てじっくり見学してくれりゃ良いよ」
すると道也は瞳を輝かせながら応じた。
「あなたが麻木次長でございましたか。お噂はかねがね」
噂――どうやら俺の働きは良くも悪くも組織内で広まっているらしい。武名が轟くのは光栄だが、少しむず痒い。
「別に大したことはしてねぇよ」
「この中川会で史上最も若くして理事の座に昇られた若手エースではないですか。麻木次長は僕の憧れです」
尤も、俺は腕一本で出世を遂げたわけではないのだが。
されど、尊敬の眼差しを浴びせてくれるのは純粋に嬉しいので、とりあえずはその気持ちに応えておくことにする。
「そうか。まあ、よろしくな」
「はい。こちらこそ」
そう挨拶を交わしたところで森田が口を開いた。
「じゃあな、麻木よ。明日、一条会の大親分さんとやらとの昼食会まで俺たちは羽を伸ばさせてもらうわ」
「ああ。各地の夜の店に関してはさっきメールで送った通りだ」
「へへっ、果たして水戸の女に比べて松山の女はどうだろうな。楽しみだぜ」
森田はそう豪語すると、道也や総長直属の子分たちを連れてターミナルを抜けていったのであった。
「さて、どうなることか……」
俺は呟いた。森田が良い女にありつけるか否かではない。彼らがこの四国の地で諍いを起こさないか否かである。
されど、気性の荒い関東博徒。酒が入った後となれば、尚更に血の気が多くなる。案の定、その晩は賑やかだった。
21時47分。
案の定というか何と云うか、俺が駆けつけた時には既に森田の顔は真っ赤だった。
「おらぁ! もっとぉ、酒と女を持って来いよぉ! 救世主様にをもてなすのがお前らの仕事だろうがぁっ! 」
白いソファに寝っ転がりながら、ワインボトルを片手に喚き散らす森田。それは他の組員たちも同様で、道也に至ってはすっかりへべれけになって上半身の着衣を脱いでいた。
「舐めんじゃねぇぞっ! 僕はぁ、僕は、天下の森田一家の跡目なんだぞっ!」
そうして大騒ぎする彼らに、苦々しい表情で詰め寄る男たちがいる。この店のある街――徳島市を仕切る宮田一家の組員たちだ。
「その辺にしときぃや、お客人方。そんだけ飲めば十分やろ」
「何だとぉ? この俺に偉そうな口きくんじゃねぇ!」
そう凄んだ森田はグラスのワインを口に含むや、それを宮田組員の顔にぶっかけた。上等な背広が真っ赤に湿った若衆は当然、激昂する。
「……てめぇ、何しやがんだ!」
「うるせぇ! この俺に楯突いたことを後悔するが良いぜ!」
そして、森田は子分を一人呼び寄せると「こいつを殺せ」と命じた。
「へ? え、良いんですか?」
親分と共にべろんべろんに酔っていてもその辺の理性は機能しているのか。流石に躊躇した森田の若衆。
されど主君はゴーサインを引っ込めない。
「ばっきゃろうっ! 俺が殺せと言ったら殺すんだよッ、さもねぇとお前を殺しちまうぞ!」
「へ、へい! 分かりました!」
そうして男は慌てて懐の中へ手を突っ込む――流石に見ていられなくなったので俺はすかさず割って入る。
「はいはい。そこまでだぜ」
同時に、俺の隣に居た姫香が森田に凄む。
「一体、何を考えておられるのか? 関東のお客人!」
それに対して森田は「ひえっ」と小さく動じるのであった。
まったく、困ったものだ。1時間前、俺の携帯に姫香から「徳島のキャバクラで中川会の幹部を名乗る男が騒いでいる」と連絡が入った。この地を仕切る宮田総長からの苦情を耳にした姫香が「何とかしてくれないか」と要請してきたため、松山市内で彼女と落ち合って徳島へ急行してきたのである。
云うまでもなく、森田は俺と同じ中川会の理事。第一に森田に四国の夜の街を教えたのは俺であり、ここで動かない方がおかしい。
尤も、彼が松山ではなく徳島の街で飲んでいたのは意外であったが。
「え? いや、その……」
「あなた方中川会はこの四国の地へ喧嘩をしにおいでになったのか? 曲がりなりにも他人様の縄張りで道具を抜くとは如何なる心得か!」
「それは……その……あれだよ、そう! この店の人間が無礼を働いたのさ。だからよ」
「だから何です? 一条会との会合は明日。それまでは互いに干渉しないのが暗黙の了解だったはず」
姫香は刀の柄に手をかけ、震え上がる森田を睨みながら言葉を続けた。
「あなたがこの地でこの地の者を傷つけるとあらば、私はあなたを輪切りにしなくてはならない。その覚悟はおありか?」
「あ、いや! 俺が悪かったぜ!」
姫香が放つ殺気に耐えきれなくなったのか。森田は椅子から跳び上がると、床に頭をこすり付けて陳謝した。
「だから、その……頼むから、水に流してくれや。な?」
なるほど。森田は姫香を恐れているのか。
女ながらに華麗な早業を次々と繰り出す剣の達人――七代目鵜川藤十郎の武名を俺から聞き及んだことで、すっかり腰が引けてしまったらしいと見た。
ゆえに彼は松山では豪遊しなかったのだ。羽目を外しすぎて姫香の怒りを買う展開を憂慮して。
「あなたは四国で遊ぶのに何故この徳島を選んだ? 私ではなく宮田の兄上の仕切る街なら乱暴狼藉をはたらいても報復は無いと考えたのか?」
「ち、違う! そんなつもりじゃ!」
「言っておくが、あなたの今宵の振る舞いでこの街の人心は中川会から離れたぞ。助太刀に来たつもりかもしれないが、無粋な真似をするなら我ら一条会は敵とみなすのみ……そのことをゆめゆめお忘れなきよう」
そう云い捨てると姫香はフロアを去って行くのだった。
宮田一家と話が付いていることは既に彼女から聞き及んでいる。宮田としても関東から赴いてきた客人と関係を悪くしてくはないらしい。
店を出る彼女を視線で見送った後、俺はため息をついて森田に声をかける。
「森田さんよ。遊ぶなとは言わねぇが、もう少し品良く振る舞えねぇのか」
すると森田は舌打ちを鳴らし、ゆっくりと立ち上がる。
「……この俺が遊ぶのに品もクソもあるかい」
そして彼は近くにあったテーブルを力任せに蹴り飛ばし、苛立ちを発散させるがごとく叫ぶのであった。
「クソッ、田舎の小娘が! この俺を相手にデカい口叩きやがって、許さねぇぞ!」
やがて道也が「父さん」と諫めると、森田は「興覚めだ馬鹿野郎」と帰り支度を始める。
「頭に来たぜ。こうなったら明日はとことんやってやる。今回は恒元公のお墨付きも得てんだから、一条会の田舎野郎どもにこっちの条件を一字一句呑ませてやるよ」
まるで悪ガキだ。だがまあ、道也はまだ幼く、交渉のイロハなど知らぬだろうからな。その点を鑑みても父親の森田が毅然とした物腰を見せるくらいがちょうど良いかもしれない。
明日は俺も中川会の人間として左様に振る舞わねばならないのである。
ただ、一条会……特に嘉賀が如何なる反応を見せるかが気がかりだ。協議が拗れて戦争に発展しなければ良いのだが。
その懸念は店の外の車で待機していた姫香も同様に抱いていた。
「あの会長が関東博徒に胸襟を開くわけが無い。戦だけは防がないと……」
俺も頷く。
「そうだな。だが、あの親分さんも四国と関東で喧嘩しても何らメリットが無いってことを分かってるはずだ」
今の一条会が中川会と競り合ったところで勝てるはずもなく、もしそうなれば煌王会が漁夫の利を狙って動くかもしれない――嘉賀照之助が何より儲けを優先する男だと云うなら情勢を読んでくれるはずだ。
姫香は「うん……」と頷くと俺に頭を下げた。
「それより涼平、今日は本当に助かった。礼を言わせてくれ」
「当然のことだ。身内が醜態を晒してると聞いて何もせずにいられる男はいねぇさ」
「あたし、涼平が来てくれて嬉しかった。だから、その……ありがとう」
「姫香」
「あ、でも! 別に涼平に助けて欲しいから呼んだわけじゃない。ただ、あたしが涼平に会いたかっただけだから!」
「分かっている。俺も姫香に会いたかったさ」
「……うん」
「だからよ。もう少しだけこうしてて良いか?」
「……うん」
松山へと戻る車内にて、俺は姫香の肩に手を回したのであった。
そして翌日。伊予琥珀一家本部。
正午を少し過ぎた頃、いよいよ一条会と中川会による協議が催されようとしていた。議題はもはや語るに及ばず、今後の両組織の関係である。
伊予琥珀一家の屋敷の奥にある応接間に、双方の関係者が腰を下ろしていた。一条会からは姫香、宮田、沢島といった墨守派親分衆が名を連ね、片や中川会からは派遣軍総大将の森田と息子で若頭の道也、そして俺が座している。
「そろそろ始めてぇところだが、肝心なゲストが来てねぇようだな。一条会さんよ」
俺の左隣に座る森田が開口する。その目には松山空港で見たような虚勢は欠片も見られない。やはり姫香への恐怖が心の中で渦巻いているらしいと見たが、思わず笑いそうになるのを堪えて俺も頷く。
「ああ。あの御仁のご到着を待たねぇことには何も始められん」
そう、他でもない一条会の会長である嘉賀が来ていないのである。やや苦笑しながら沢島が返答した。
「土佐から松山までの道路が少し混んでるらしゅうてな。もうちぃとばかし、お待ち願いたい」
「おいおい、この期に及んでまだ待たせる気か? こっちはもう待たされるのには飽き飽きしてんだよ!」
森田は苛立たしげに吐き捨てる。
「一条会さんよぉ。あんたらも俺らと戦争がしたくねぇんだろ?」
「それはそうだが、こっちも会長の到着を待ってから話を始めたい。もう少しの辛抱だ、堪えてくれんか」
すると森田が沢島を睨みつけた。
「おい、田舎モン。あんまり調子に乗るんじゃねぇぞ」
沢島はいきなり直球をかます森田に「お……?」と少しばかり驚いたように見えたが、すぐに表情から喜怒哀楽を消して稼業の男の目で彼を見据えた。
「……何じゃい?」
「俺はあんたらと戦争したって良いんだぜ。その選択を敢えて外してやってるってことを忘れねぇで貰いてぇな」
「ほう……」
「こちとら『少しでも向こうに非礼があれば皆殺しにせよ』って仰せつかってんだからよ、今この場であんたらを蜂の巣にしたって何の問題も生じないってことさ」
「……小僧、おのれ!」
沢島は座布団から立ち上がると懐中に手を伸ばす。おそらくは銃を握ろうとしたのだろう。背後に控える四国、関東と各々の構成員たちが闘気を発し始める中、機先を制したのは宮田だった。
「待て、兄弟。こいつらが憎いのはわしも同じや。せやけど勢い任せに動いたら思う壺じゃろ」
この男は昨晩、森田に領地を荒らされたばかりである。中川会憎しの念は小さくないらしく、彼は俺に向けても鋭い視線を浴びせてきた。
姫香の手前、表立って挑発しては来ないが、こんな具合では先が思いやられる。懸念が募る俺を尻目に宮田はなおも続ける。
「まあ、今は堪えとくとしようじゃないか。尤も、このお客人らがほんまにわしらを助けに来たんかは分らん。せやから何時でも銃は抜けるようにしとかないかんな」
その一言で場は鎮まり、応接間は再び静寂に包まれた。これは最早話し合いの場ではなく、喧嘩の場と化しつつある。
「……」
されども俺は慌てない。こうなることは予め想定していたからだ。なればこそ、昨晩に姫香と密かに示し合わせ、会合場所を土佐の一条会総本部ではなく松山に設定したのである。
関東博徒と話し合うつもりなど端から無いであろう嘉賀を外し、幹部クラスだけで先に議事を進めておくために。
結論を嘉賀の意に沿う方向でまとめれば、事後報告でも問題ないだろうと俺は考えた。ゆえに「先日の攻城戦で一条会総本部は会合が開ける状況ではない」という建前にて双方のトップを説得し、松山開催へこぎ着けたのであった。
松山ならば嘉賀会長にとっては孫娘同然に寵愛している姫香の所領であるため、一条会が多少譲歩を迫られる展開に至っても癇癪は起こすまいと俺は踏んでいた。よって嘉賀が会場へ乗り込んでくる前に協議を進めたかった。
「このまま嘉賀の親分さんが来ねぇまま散会になるのもな……ってことで、俺たちだけでちょいと話を進めておこうぜ」
俺の発言に姫香も賛意を示す。
「ああ。それが良いな」
他の連中も同じことを考えていたのだろう。話し合う気など毛頭に無い森田はともかく、全員が頷いてくれた。
「まあ、会長が来たらああだこうだとうるさくなるだけだしな。流れだけでも作っておこうじゃねぇか」
「……わしは別に中川と戦争になってもええんじゃが。兄弟がそこまで言うなら仕方ないやろ」
宮田と沢島が頷き合うと、森田が口を開いた。
「俺たちからの要求は単純明快。おたくらの新人事で中川会の人間を顧問に起用し、さらには中川会の兵隊を四国に駐屯させることだ。そしたら煌王だろうが玄道だろうが外敵からの攻撃に際して守ってやる……悪い話じゃねぇだろ」
すると宮田が瞬間的に反応する。
「あんたらの息のかかった人間を顧問に就けろって? どういう立場の人間をだ?」
「どういう立場も何も、直参の親分衆から一人を選んで四国に派遣する。だから、今後は組織の方針を定めるにあたってそいつに助言を諮ってもらいてぇ」
「まあ、呑めねぇ話じゃねぇな。こないだのドンパチで一条会は人手が足らねぇから、兵隊も含めて人員を貸してくれるのは正直なところ嬉しい」
「ふっ、うちの会長は『顧問料を納めるだけで良い。必ずしも助言を聞く必要は無い』と仰せだ。だからカネだけ払ってくれりゃ後は今まで通りあんたらの好きにしたらいいさ」
森田のこの発言には宮田が「ほう……」と興味深そうに唸っていた。
「……良いやないか。諮るだけなら」
しかし、異を唱える男が居た。
「あんた、ふざけとんのか?」
沢島である。
「中川会に顧問料を払う? それってつまるとこ、中川に上納金を払うようなもんじゃねぇか!」
彼の言葉は言い得て妙だ。考え方によっては一条会が中川会の傘下に入ったように見えなくもないのである。
「だったらどうする? 兵隊を借りるだけでこっちの意見は聞かねぇってのは釣り合わんと思うぜ?」
「あんたらには徳島の鉱山をひとつくれてやる。それで釣り合うだろうよ」
「いや、そうはいかねぇ。兵を貸すってのはそいつらの命をおたくらに預けるってことだ。それをカネでどうにかしようってのはおかしな話だと思わねぇかい」
「じゃあ何だ? カネじゃなくて世間体で支払えってのか? ずっと一本独鈷でやってきた一条会が余人に頭を下げたと!?」
「頭を下げろとは言ってねぇ。ただ、それなりの対価が欲しいってだけだ」
「だったらその話は……」
続いて「無しにさせてもらう」という台詞が聞こえてはまずいので、俺は口を開いた。
「まあ、中川会としても顧問云々に固執してるわけじゃねぇよ。前々から伝えてた通り、あんたらには川崎のシマを預かってもらう。その上納金の半分を俺らに寄越してくれりゃあ良いぜ」
姫香も頷いた。
「ああ。悪くない話だ。それならば一条会が関東に頭を下げた体には見えない」
川崎の件は既に森田にも話してある。『もし外部顧問を一条が拒んだ場合のプランBである』と。彼はため息をついた。
「こいつが言った川崎って街は宝の山だ。おたくらの懐具合を考えりゃ美味い話だと思うけどな。どうだよ」
沢島と宮田は「うーん……」と唸る。森田がさらに追い打ちをかけた。
「おたくらの出費はゼロ、新たに手に入れる領地のアガリをこっちに渡すだけで良いんだ。俺たちとしてはだいぶ譲歩した方だと思うけどな」
沢島は苦悶の末に決断を下す。
「……分かった。一条会としても関東にシマが持てるのは願ったり叶ったりだ。あんたらと喧嘩にならんってのは、やっぱええ話だと思うしな」
宮田も同様だ。
「あんたらに恩を売られるのは癪だが、今の情勢を鑑みれば乗るしかねぇだろうな。何せこちとら関東にシマが手に入るんじゃ……そしてわしらの譲歩は『余人と手を携えた』ってことだけ。儲けの方が多いじゃろ」
こうして交渉は順調に進行したように思えたが、この展開を快く思わない男が一人。
「待てや! 何勝手に話進めとるんじゃい!」
襖が勢いよく放たれるや、声が響く――嘉賀会長のご登場である。
「沢島に宮田! お前らはわしが余人を嫌っとることを忘れたんかい!」
応接間に現れた嘉賀の第一声がこれであった。齢90を過ぎているであろうに大した耳の良さだと、俺は失笑するしかなかった。
姫香が親分を必死で宥める。
「しかしながら会長、中川会を納得させるにはこれしかありません」
すると嘉賀が胸ぐらを掴み、怒りを顕にした。
「ヒメ! お前はわしが教えたことを何ら覚えとらんかったんか! 一条会は一本独鈷! この方針だけは変えてはならんとあれほど教えたじゃろうが!」
「しかし、会長。手を借りておいて何も対価を渡さなかったとあれば中川恒元も黙ってはおりますまい。ここは……」
「黙っとれ! お前の意見など聞いとらんわ!」
嘉賀は姫香を突き飛ばすと、今度は俺に食ってかかった。
「恩を押し売ろうとは狡賢いのぅ、余人! わしは『喧嘩の助太刀してくれ』とは頼んでないぞ!」
「成り行きで巻き込まれたんだから仕方ねぇだろ。大体にして恒元公は恩を返せとは仰っていない」
「じゃかあしい!」
「……元々は中川会だけのシマだった川崎を共同で運営しようぜと提案してんだ。むしろ譲歩してるのはこっちだがな」
「一切の交渉はせんて言うとるじゃろっ! こっちにはふるさとの誇りがあるんじゃっ! さっさと帰れっ!」
ふるさとの誇り――それが彼の心を頑なに閉ざしてていると見た。
嘉賀照之助は一条会の会長としては三代目にあたり、戦後の混乱期から四国をまとめ上げてきた生ける伝説だ。
幕末には土佐一国だけを仕切る勢力だった一条会を伊予、讃岐、阿波にまで拡大させた剛腕ぶりを偲ばせる風格はさすがであり、同時にその功績が彼の思考を硬直化させているのである。
「一条会はのぅ! 天下無双でなくちゃならんのじゃ! 余人に頭を下げることも、手を結ぶこともあっちゃならん! ただ、全てを呑み込んで組織を大きくしてゆく! それがわしらの精神なんじゃ! その誇りを忘れるなんざわしにはできん! たとえわしの代で組織を滅ぼすことになろうとも! 初代から継いだ誇りは捨てん!」
さて、どうするか。このままでは埒が明かない。少し切り口を変えて話を持ち掛けてみるか。
「そうかい。なら、親分さんよ」
ところが、その瞬間。嘉賀は思わぬ行動に出た。着物の懐中へと手を突っ込み、凄まじい速さでオートマチックピストルを取り出したのである。
「会長!?」
沢島、宮田、そして姫香が動揺する間もなく、彼は引き金を引く。
一瞬の出来事だった。
この展開は誰も予想だにしなかったであろう。銃口から2発の弾丸が放たれ、沢島、宮田の頭部を撃ち抜こうとは。
「……」
後頭部から鮮血を噴き出し、2人は息絶えた。呆気にとられる姫香に、嘉賀は言った。
「ヒメ。お前と伊予琥珀一家は今日を持って破門じゃ」
「えっ? ええっ!?」
「ふるさとの誇りをこうまで忘れるとは。一条会歴代の会長に申し訳が立たんわ」
「違います! あたしは何も……!」
俺は姫香を庇いつつ、嘉賀の視線に真っ向から睨み返した。
「あんた、何をトチ狂ってんだ!?」
しかし、嘉賀は聞く耳を持たない。彼は沢島と宮田の射殺体を足蹴にした。2人の頭部は床に転がり落ちる。そして、その頭部にさらに銃弾を撃ち込んだ。
――ズガァァァン! ズガァァァン!
そうして今度は森田に視線をずらす。嘉賀の瞳からは、云うまでもなく闘気が放たれていた。
「この四国を土足で踏み荒らしおって……」
「な、何だよ」
「死に晒せぇ!」
その瞬間、嘉賀が何をしようか悟った俺は「待てっ!」と叫ぶ。されども彼は止めなかった。
怒りと憎しみに駆られ、引き金を引くことを。
――ズガァァァン!
そして、その銃弾が森田の額を貫く。彼も彼で銃を携行していたであろうが、呆気にとられるばかりで抜いていなかった。「ぐあっ!」と叫び、その場に崩れ落ちてゆく。
「森田!」
俺は彼の名を叫んだが、返事はない。一発で命が奪われたようだ。
無論、奪われたのは森田の命だけではなかった。直後、連続して銃声が室内に轟いた。
――ズガァァン! ズガァァン! ズガァァン!
森田の背後に居た森田一家の組員らが一斉に引き金を引き、嘉賀を蜂の巣にしたのである。
「このジジイがーッ!」
「よくもやってくれたな!」
先ほどの嘉賀の発砲時、ただ呆然としていた彼らは身を挺して主君を守ることができなかった。その悔しさもあるのだろう。
彼らの放つ無数の銃弾が嘉賀を貫き、その体を破壊してゆく。
嘉賀は膝をついてその場に頽れた。9箇所もの銃創から血を吹き出しながらも、彼は這いつくばって応接間の入り口まで辿り着く。
「い、一条会は……任せたぞ……ヒ……」
開いていた襖から廊下に出たところで、嘉賀は息絶えた。
「会長!」
姫香が慌てて駆け寄った。片や、テーブルを挟んだ俺たちの席では慟哭が巻き起こっていた。
「父さんっ! 目を開けてよっ! 父さーんっ!」
森田の息子、道也が冷たくなった父の亡骸を抱いて泣き叫んでいたのである。俺はただ、その模様を見つめることしかできなかった。
「……」
そんな俺を尻目に、森田一家の組員たちは叫ぶのであった。
「よくも総長を殺ってくれたな! こうなりゃ戦争だ! 一条会のクソどもを皆殺しにしてやるよ!」
よもや、こんなことが――平和裏に手が携えられるはずだった中川会と一条会の関係は、思いもよらぬ方向へ進んでゆこうとしていた。
憎しみと怒りに煽られた嘉賀の暴走で中川会と一条会の交渉は衝撃の展開を迎えた! これにより互いの遺恨はついに爆発! 次回、中川会と一条会の激突の火ぶたが切って落とされる!?




