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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第13章 狂気のさえずり
235/261

理想をかけて

 翌日。


 俺はイギリス北部のアイルランド島にある都市へ赴いていた。


 人口61万4260人を誇る北アイルランド最大の都市、ベルファスト。ラガン川から流れ込む清涼な水は木々に潤いを与えるようで、高層ビルやタワーがそびつ中心部から一歩郊外へ出れば雄大な森林が広がる、まさに緑と人工物とが共存した街であった。


 そんなベルファスト郊外にある公園こそが俺の目的地。飛行機に揺られたフライト時間の疲れと日本との時差の影響で少し体が気怠いが、気合いを入れて歩みを進める。


「……あいつか」


 その男は森の中で銃を構えていた。イギリス貴族が狩猟で使う銃と云えば、そう。ウィンチェスターライフルである。


 俺は静かに歩み寄った。すると男は俺に気付いたようで、こちらを振り返った。その顔を見て思わず目を見開く。


「ほう……これは珍しい客人ですね」


 それは見知った顔だった――いや、迂闊に「見知った」と表現するのは語弊があるか。何故なら彼の名前と顔を俺は新聞の政治欄でしか見たことが無かったのだから。


「よう」


 俺がそう言うと、その男はニヤリと笑った。そして言うのである。


「君のような男を招いた覚えは無いのだがね。恒元公の使いで来たのかい?」


 驚いた。俺の素性を悟っているとは――ならば俺も為すべきを為すまでだ。


「ああ。そうさ」


 答え終えるや否や、俺は懐から拳銃を抜く。すかさず男の背後に居た背広の連中が銃を構えるが、それを片手で制して男は俺に微笑みかけた。


「いきなり銃を向けるとは無粋ですね。あちらの稼業の人たちはいつもこうだ。穏やかに話し合いをする気は無いのかね」


「お生憎様。話し合いとやらでどうにかなると思っちゃいけねぇよ。何せ先に手を出したのはあんたの方なんだからな」


「……ほう、気付いていたか」


「当然だ」


 闘気の込められた声を浴びてもなお、余裕たっぷりの笑みを崩さない男――賀茂かも欣滔きんとうはライフルのレバーを鳴らした。


「見ての通り、弾は入っていない。これから狩りを始めようとしていたところに君が押しかけてきたものでね。せっかくの優雅な時間に水を差してくれたな」


 その言葉に、俺は淡々と返す。


「そちらさんこそ、うちの組織に冷や水をぶっかけるとは良い度胸じゃねぇか。才原党の跳ねっ返りを焚きつけるとは。大物政治家の大先生ともなればやることが違うな」


 この男には因縁がある。先日、中川会で起きた才原党の内紛劇を裏から操っていた張本人こそ、この賀茂欣滔だったのだ。


「あんたの一族は江戸の頃には徳川幕府に仕えた旗本だった。忍者を動かすコネが現代に残っていてもおかしくはねぇと思ったが、随分と手の込んだ真似をしてくれるじゃねぇか」


「ふっ、容易いものだったよ。彼らは私の家名を知るや否や中川一族からの鞍替えを申し出てきたのだから……だいぶ使い方に問題があったようだね」


「部外者のあんたに口を挟まれる謂れはぇさ。それよりも、今日俺が来た理由はこないだのケジメをどうしてくれるのかって話をするためだ」


 すると賀茂は再び笑った。その笑みにはどこか嘲りの念が込もっているような気がしたが、俺は構わず続けるのである。


「うちの会長に忠誠を誓って貰おうじゃねぇか。そしたら、あんたをこの場で殺さないでやる」


「ふふっ。でも、それは出来ない相談だな」


 鋭い視線と共に「……命が惜しくねぇのか?」と尋ね返す俺に彼は答えた。


「中川恒元公のお家柄は存じ上げている。だが、あのお方は今やマフィア。政権与党の幹事長としてそんな人間に頭を下げるわけにはいかないだろう」


 俺はニヤリと笑った。


「マフィアだから何だってんだ? 自分テメェの方が偉いってのか? 笑わせてくれるぜ!」


「まあまあ。そういきり立たないで。とりあえず酒でも飲んで落ち着いたらどうだい」


「……真面目に答えた方が身のためだぜ。護衛が何人ついてようが、俺の手にかかりゃ1秒も経たねぇうちにあんたの喉を13回は切り刻めるんだからな」


 凄みながら闘気を発する俺だが、彼は構わず続けた。


「せっかくアイルランドまで来たんだ。ウィスキーはいかがかな」


 そうして彼は近くの白いテーブルに置かれたボトルを俺に勧める。


「アイリッシュは趣味じゃねぇ。残念ながらウィスキーはバーボン一択なんだ」


 しかし、賀茂は諦めない。


「飲んでみたまえよ。食わず嫌いは損の素だぞ」


「無駄に苦ったらしい味が気に入らねぇんだよ。第一、昼間から飲む習慣もぇ」


「ふーん。じゃあ、ここに置いておくから気が向いたら飲むと良い」


 失笑にも似た声を上げながら賀茂は椅子に座り、近くに居た秘書らしき男に預けた。そして、手招きをする。


「君も座りたまえよ。朝比奈隼一君」


 おっと、その名前で呼ばれるとは想定外だ。もしかしてこいつ、俺のことを調べたのか? ともあれ、俺は言われるがまま彼の対面に座った。


 このような手合いは交渉事において敵を自分のペースに引き込むことに慣れている。用心せねば。主導権を握られぬよう気を付けて俺は口を開いた。


「こっちの要求は変わらん。うちの会長に忠誠を誓え。さもなくば組織ぐるみで天地がひっくり返るレベルで大暴れしてやる」


 すると賀茂は俺が右手に携えた銃を見て、こう答えたのである。


「その銃はどうやって持ち込んだのかな? まさかベルファスト市内で買ったなんて言わないよね?」


「ご想像の通り、日本からの持ち込みさ。恒元公のお力で外交官特権を発動して貰ったんでね」


 俺が素っ気なく返すと、彼は言ったのである。


「驚いたな……よもやそこまでの力を持っているとは……」


 恐れ入ったか。ならば一気に畳み掛けてやろう。


「ああ、こういうことさ」


 俺は指をパチンと鳴らす。すると次の刹那、賀茂の周囲に居た護衛たちが一斉に銃を向けたのである。俺ではない。本来の護衛対象である賀茂幹事長に対してだ。


「おっと!?」


 流石に驚いた表情を浮かべた賀茂。俺はすかさず言い放つ。


「これが今の恒元公のお力だ。既にあのお方は政府の九割を支配下に置いている。ここであんたがどういう殺され方をしようが、翌日の新聞には『自憲党の賀茂幹事長が英国で事故死』と見出しが躍るだろうぜ」


 賀茂は苦笑した。


「流石……この国のフィクサーを気取るだけのことはあるね。昨晩に東京からの電報で『中川恒元が総理を呼び付けた』って聞いたから驚いたけど、こういうわけだったのか」


 頷き、俺は続ける。


「あんたが素直に従えば、中川会が今後のあんたをバックアップしてやらんことも無い。だが、あくまで抵抗するなら……分かっているだろうな?」


「やれやれ。裏稼業の人間ってのはどうしてこうも身勝手なのかねぇ」


 彼は呆れたように呟いた。そして俺を見据えて言うのである。


「君がここまでの男だとは思わなかったよ」


 その言葉に俺はニヤリと笑った。その反応に驚いたのか、賀茂は目を見開くとこう尋ねたのだ。


「何故、笑うんだい?」


「それやあ笑うさ、苦し紛れの返事にしては上出来だろう」


「おいおい、苦し紛れって何だよ……僕は君と対等な立場で話しているつもりなのだが」


「残念ながら対等じゃねぇぜ」


「それはどうだろうね」


「は?」


 どこか含みが感じられる賀茂の反応。何か奥の手でも隠しているのか――そう思って眉間に皺を寄せた直後。俺は闘気を感じた。


「っ!?」


 森の奥に凄まじい闘気を纏う気配を感じる。それも1人や2人ではない。ざっと勘定するだけ15人は下らぬ数だ。


「……」


 俺の表情が変わった様子に賀茂は目を細める。「してやったり」と言いたげに。奴の顔に気味の悪い笑みが浮かんだ。


「彼らは恒元公の力の及ばない者たちだ。残念ながらね」


「はっ。そりゃまた随分と都合の良い話だな」


 俺は鼻で笑う。だが、その余裕は長く続かなかった。何故なら森の奥から現れた男たちの姿を見て驚愕せずにはいられなかったからだ――全員が同じ格好をしていたからである。


「……忍者か?」


 思わず呟く俺に対し、賀茂は微笑んだまま言ったのである。「いいや、違うね」と……そして彼は続けたのだ。


「とある秘密結社の戦闘員とでも言っておこうか。彼らは世界中に支部を置いていてね。僕はそこに資金を拠出している」


「……おいおい。昔の特撮じゃあるまいし。そんな馬鹿な話があるかよ」


「嘘だと思ったら一度、殺されてみると良いさ。僕は寄付金のおかげで彼らを私兵として使えるんだ。かなり腕は立つよ」


 賀茂はニヤリと笑って言ったのである。


 さて、どうする――突如現れた『戦闘員』は俺が感じるに凄腕だ。構えを取っていない状態でここまでの闘気が滲み出ているのだ。奴らの力の程が定かでない以上、迂闊に戦わない方が得策ではないのか。


 思わず舌打ちが鳴る。武術家としての勘が体を反射的に動かしたのだ。そんなこちらの反応を楽しむかのように賀茂は言ったのだ。


「なかなかの使い手だと聞いたよ。朝比奈君も。確か、鞍馬菊水流だっけ。凄いよね。素手で人を殺せるなんて」


「あんた、俺の素性をどこで知りやがった?」


「さあね。それはご想像にお任せするよ」


 俺は二度目の舌打ちをする。この野郎……本当に食えない奴だな。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。


 戦闘員とやらは15人ほどだ。1分もあれば全員を片付けられるだろう。しかし、問題はその戦いだ。こいつら相手に俺の技が何処まで通用するのか。既に己の流派が最強でないことは分かっていた。衝撃波を防がれたら何とするか。


 だが、戦う前から引き下がるのは性に合わん――俺は全身から闘気を発した。


「……っ!」


 その模様を前にした賀茂が一瞬たじろぐ。


「ま、まあ。そう力まないで。せっかくアイルランドまで来たことだし、酒を飲みながらゆっくり語らおうじゃないか、ね?」


 ここで乱闘沙汰になることは本意ではないのか。少し動揺した奴の声を耳にした俺は「ふんっ」とわざとらしく鼻で笑って矛を収めたが、内心では安堵していた。


 まったく、俺も軟弱ヤワになったものだ。つい少し前までは強い相手と殺し合いが出来ることに喜びを感じる根っからの戦闘狂だったというのに。


「ほら、アイリッシュをどうぞ。毒は入ってないよ」


「要らん。俺はバーボンしか飲まねぇんだ」


 そう言って断ろうとした俺だが、賀茂はこう続けたのである。


「アイリッシュはアイルランドでは最もポピュラーな酒だよ。せっかく来たのに飲まないなんて勿体無いじゃないか」


「……ったく。分かったよ」


 ここで押し問答を続ける方が時間と体力の無駄だろうと考え、俺はボトルを受け取ったのだ。そしてグラスに注ぐなり、一口飲むと、その味に思わず目を見開いたのである。


「ああ……」


 美味くはない。だが、悪くはない味である。


「どうだい?」


「……バーボンには敵わねぇな」


「ふっ、褒め言葉と捉えておくよ」


 そう言って賀茂は俺と同じボトルから酒を注ぎ、グイっと飲んだ。半分くらいの高さまで注いだ量をストレートで飲むとは、この男もなかなかの酒豪だな。


「しかし、僕を脅かすためにアイルランドまで来るとはね。恒元公も随分と暇を持て余しておられるようで。感心するよ」


「当然だ。舐めた野郎を放っておいちゃ稼業は成り立たねぇんでな。暇なのはそちらさんも同じじゃねぇのか」


「僕は……あれだ。議員外交ってやつだ」


「呑気に鉄砲撃ちに来たようにしか見えんがな」


「明日はアイルランド自治州議会の議員さんとスポーツハンティングの特別試合が組まれているから、その練習さ」


 当時、アイルランドは独立の可否をめぐってイギリス政府と激しい折衝の最中にあった。賀茂はオックスフォード大学時代に双方の政府要人とコネクションを築いており、その立場を利用してイギリスの議会に働きかけ円満な形で独立への道筋を作ろうとしていたのである。


 まったく抜け目のない男だ。日本の友好国たるイギリスの内情を自らの政治活動に利用しようとは。それも民族感情と云うきわめてナイーブなテーマをだ。


 おそらく、この男の目標は総理の椅子だ。閣僚でもない党幹事長の立場で諸外国を回っているのも、総理に就任した時に備えての基盤づくりか。ここまでくると呆れを通り越し、笑えてくる。


「秋の総裁選に向けて、あんた自身も功績を作りに来たってわけか。だが、あんたが動かなくても独立は既定事項だろ」


「ああ、この一年で機運は高まってきている。そういう意味じゃスポーツハンティングの方が今回の旅行の本懐かもね」


 そう言って賀茂はグラスに入ったアイリッシュウイスキーを一気に飲み干した。そしてボトルを傾けると俺のグラスにも注いだのである。


「ま、飲みなよ」


 俺は再びアイリッシュを飲む、が……この男には乗せられない。敢えて否定的な言葉を吐いておこう。


「この酒は悪くないがイギリスの狩猟文化は性に合わん」


「どうして?」


「必要もぇのに殺しをやるなんざ御免だぜ」


「ふふっ、根っからの殺し屋がよく言うよ。その腕で今までにどれほどの人を殺してきたのやら。ウサギやキツネを撃つのは駄目なのに人を撃つのは良いのかい」


 俺は鼻で笑った。まあ、その相反する論理については何度か考えたことがあるが、いずれも己を己で納得させるだけで終わっていた。考えても無駄な話だということだ。


「俺が撃つのは撃たれる理由がある奴だけだ。食べもしねぇのに獣の命を奪う悪趣味な遊びと同じにせんで貰いたい」


「悪党……ならば君が日本時間で云うところの昨日、湘南でやったのは何なんだい?」


「組織に仇成す奴は始末する。当たり前のことだぜ」


 すると賀茂は肩を竦めながら言ったのである。


「哀れだね。君は自分が良いように利用されてる自覚が無いらしい」


「どうとでも言え。俺は俺の意思で恒元公にお仕えしている」


 ぶっきらぼうに応じた俺に賀茂はなおも続けた。


「君の意思なら尚更に哀れだ。奴の側近くに居ることで何を狙っているのかは知らないが、あの男の力を借りて何かを為そうとしているなら止めた方が良いぞ。虎の威を借りる狐ほど滑稽なものはないからね」


「それはあんたにも言えることだろ。あんたが政治家として振りかざす権力は所詮、民主主義によって与えられた借り物。そいつを自分自身で得た力のように思うのは愚の骨頂ってやつだ」


 俺はそう指摘したが、賀茂は余裕の表情でこう答えたのである。


「いいや、僕は違うね。僕は生まれながらの勝ち組であり、天下を獲るために生まれてきたような男だ。民主主義なんかに頼らなくたって頂点に立つだけの力を備えている」


 その自信に溢れた表情を見て俺は思った――自信過剰もここまでくると笑える。


 和泉義輝も大概であったが、この賀茂欣滔という男は本当に狂っている。その自覚が当人に無いのが恐ろしく思えてくるほどに。


「じゃあ、今すぐ天下とやらを獲ってみやがれ。議員辞職して公人としての地位を全て手放した上でな。あんたが狙ってる総理の椅子も恒元公からすれば数ある操り糸の一つに過ぎねぇんだよ」


 だが、賀茂は失笑を寄越してきた。露骨なまでに目を細め、腹立たしい声色を奏でながら。


「ほらほら、その物言いがまさに虎の威を借りる狐だよね」


「はあ?」


「僕を罵るのにどうして恒元公の名前を出すんだい。今は僕と君のどっちが凄いかって話をしているのに、どうして第三者の名前を出せるんだよ」


「……俺は恒元公の仰せのままに動いている。俺という人間を語るにあたって、あのお方の名を出すのは当然のことだ」


 返答するのにわずかな時間差が生じた俺。すると賀茂は勝ち誇ったようにこう続けたのだ。


「所詮、君は中川恒元に操られた戦闘アンドロイドでしかない。奴という存在を絶対視して盲信するあまり、自分の考えというものがまるで無くなっている。そしてあたかも恒元の権力が自分の権力であるかのように思っている……僕のように『借りた』わけでも『与えられた』わけでなく、ただ単にあの男の命令で動いているだけだというのに」


 俺は思わず息を呑んだ。


「っ!?」


 賀茂は続ける。


「言っておくが、あれに仕え続けたところで君の思い通りの世の中にはならないよ。日本社会における勝ち組と負け組の構図は誰しも生まれつき決まっているものなのだから」


「……恒元公のお考えは分からない。だが、少なくとも、そうやって既得層を守ろうとするあんたが天下を獲るよりはマシなはずだぜ」


「別に僕は既得層だけが得をする世の中を作りたいわけじゃない」


 そう断言するや賀茂は俺の目を見て言ったのである。


「勝ち組は勝ち組、負け組は負け組で各々が出来る範囲の努力を最大限に尽くし、勝ち組はノブレス・オブリージュの精神に基づき、負け組に慈悲をかけて暮らしを守ってやる……それが世の中のあるべき姿だ。しかし、今の小柳内閣は『スタートラインの平等』の名のもとに負け組に勝ち組と同じ努力をさせようとしている。これは間違っているだろう」


「だからあんたは世の身分を固定化すると?」


「ああ、そうだ」


 俺は鼻で笑った。


「あんたの言ってることは『特定の階層に生まれた人間は一定以上の出世が出来ない』と国家が定めちまうようなもんだ。自分が何を言ってるか、分かってるのか?」


 その指摘に対し、賀茂は深々と頷いた。恐ろしいほどに、ゆっくりと。そして俺の眼を見つめたまま、にこやかに言うのだった。


「ああ。そうだよ。選ばれた人間だけが支配する側に立って政治を動かし、そうでない者が黙して従う。云ってしまえばエリートによる貴族主義さ。これこそがこの国を良い方向へと導いてゆく。僕はその実現のために動いているんだ」


 俺は思わず失笑した。


「はははっ、何を言い出すかと思えば……あんた、頭がおかしいのか?」


 すると賀茂は肩を竦めて言ったのである。


「そうかもしれないな」


「いや、確実にそうだぜ。あんたは自分が天帝にでもなったつもりでいるのか?そんな考えを実行に移した日には何万人という数の死人が出るぞ」


「いいや、出ないさ。勝ち組に負け組の救済を義務付ければね。日本は長きに渡り封建制の政体が敷かれていたが、支配階層がノブレス・オブリージュを徹底した時代だけは飢える民衆が居なかった」


 一体、いつの時代の話をしているのだ。俺には意味が分からなかった。


「……愚かだな」


 すると賀茂はますます両目を細める。そしておどけたように言うのだ。


「僕からすればアメリカの猿真似をして社会の格差を拡げる現内閣のやり方こそが愚かに見えるがね。特に、和泉義輝。あの男が総理になったら日本はますます対米従属から抜け出せなくなるぞ」


 中川恒元が和泉義輝と懇意にしていることを知っている賀茂。なればこそ、両者を仲違いさせようと仕組んだのだろう。それを踏まえて俺は尋ねた。


「……あんたは恒元公を敵に回したいってことで良いんだな?」


「まあ、中川恒元が和泉を推す以上は仕方ないな。和泉は優秀な男だが資本主義に毒され過ぎている。あの年寄りに政権を任せるくらいなら僕は悪魔と真っ向から喧嘩する道を選ぶよ」


「年寄りって、あんたと9つしか変わらんだろ」


「大きな違いだ」


 賀茂はニヤリと笑った。そして続けるのだ。


「さて、どうだい? そろそろ気づいたんじゃないかい?」


「何がだ」


「和泉なんぞより、僕の掲げる理想の方がこの国にとっての最適解……いや、中川恒元に権力を握らせ続ければいずれ僕が思い描いた貴族主義の世に変わりゆくと」


「言ってる意味が分からんな」


 俺の言葉に対し、賀茂はやれやれと肩を竦めたのである。


「一人のフィクサーが思うままに国を牛耳る世……それを貴族主義の世と呼ばずして何て呼ぶんだ。君はそのために利用されているんだよ」


「何を言いやがる」


「君が恒元に利用されているのは、君自身があの男と同じ傲慢な価値観を持っているからさ。よって君は奴にとって都合の良い駒でしかないわけだ」


 すると賀茂はグラスを傾けてウイスキーを喉に流し込むと、さらに続けたのである。


「弱者や負け組を『救いたい』と思う時点で傲慢だ。自分が強者あるいは勝ち組であることを前提にモノを云ってるわけだからね」


 俺は鼻で笑った。そして言うのだ。


「強者とか負け組とか、そんなものは関係ねぇ。俺は俺なりに弱者や負け組の奴らを助けてやりてぇだけだ」


「それこそが傲慢なんだよ。君は自分が支配者層に居て、かつ弱者を虐げる立場であることを自覚していない。だからそんな戯言を吐けるんだ」


「どうとでも言え。あんたが俺たちの敵に回るというなら、叩き潰すまでだ。全てを焼け野原にしてやるから覚悟しておけ」


 勢い任せに啖呵を切ると、俺は公園を後にした。今回、恒元からは「賀茂幹事長を殺せ」とは言われていない。組織にとって味方か敵かを確認した上で、もしも後者だった場合は開戦表明をして来いと言われたのであった。


 賀茂欣滔――中川一族と同じく旧華族の出身で、オックスフォード大学卒業のエリート政治家。だが、その出自が故に傲慢な価値観に思考を縛られた男である。


「まあ、良い。賀茂欣滔……奴に俺の力を見せつけてやるさ」


 俺はそう呟くと、帰路に就いたのであった。


 翌日。


 例によって時差ボケで怠い体を押して総本部へ戻り、俺は恒元に事の次第を伝えた。賀茂欣滔が敵に回る可能性を話すと、主君はどこか満足げに頷いた。


「ふふっ、面白い。では、やってやろうではないか。あの男に我輩の恐ろしさをたっぷりと思い知らせてくれよう」


「はっ。しかし、奴が言ってた『世界中に支部を置く秘密結社』というのが何とも気になります。あれは一体……」


 そう懸念を伝えると恒元はニヤリと笑ってこう返したのである。


「だとしてもお前が勝てぬ相手ではあるまい」


「ですが……」


「大丈夫だ。己を信じるのだ」


 どうにもくだけた口調だったので不安しか無いが、恒元がそう云うならやる他ない。この男に尽くすことこそが、俺の抱く夢を叶える手立てなのだから。


「……はっ。承知いたしました」


 無論、手立てばかりに気を取られて真の目的を忘れたのでは本末転倒というやつだ。俺は執務室を出た後、すぐさま想い人の営む喫茶店へと向かった。


 眠気が蓄積した体にコーヒーを注ぎ込みたかったわけではない。華鈴と俺たちが抱いた夢について話し合うためだ。


「はあ。政治家の考えることって本当に無茶苦茶だよね……」


 カウンター越しにコーヒーカップを手渡しながら華鈴は溜め息を吐いた。俺は彼女の隣に腰を下ろし、コーヒーを一口だけ飲んでからこう返したのである。


「ああ、全くだ。だがな、俺たちには俺たちのやり方がある」


「そう……だよね」


 すると彼女は俺の目を見て言ったのである。


「涼平。あたしはね……全ての人を幸せにしたいの。飢える人たちを無くしたい」


 その真摯な眼差しからは、強い決意が見て取れた。しかし、それは俺も同じだ。だからこそ、やらねばならない。


「あたし、思うんだけど。食べ物に困っている人たちには食べ物が、お金に困っている人たちにはお金が行き渡るようにすれば、皆が幸せになれるんじゃないかって」


「ああ。そうだな。俺もそう思うよ」


「でも、それには……」


 そこで華鈴の表情が曇った。何を言いたいのかを悟って俺はこう返したのである。


「ああ、それにはカネがいる。けど、今の俺の立場ならどうになかるかもしれない。中川恒元の力を使えば、飢える街の連中に腹いっぱいの飯を食わせてやるくらい造作もぇだろうよ」


 すると彼女は俯いた。


「……うん。でも、ちょっと複雑だな」


「複雑? 何が?」


「中川会長の力に頼ることが。結局、あの人はフィクサーっていうか、黒幕っていうか……そういう立場にいるわけでしょ。あたしたちがやってることは正しいことのはずなのに、結局はあの人の利益にしかならないような気がして」


「華鈴……」


 俺は彼女の肩に手を回しながら言ったのである。


「お前の気持ちは分かるよ。俺だってあの男のことはいけ好かねぇと思ってるし……けどよ、今の俺たちがやろうとしてることは何だ? 飢える人々を救うことだぜ?」


「……う、うん。手段は選んでられないよね」


 彼女は小さく頷いた。そんな彼女を励ますように俺は続けるのだ。


「安心しろ。俺はあいつの色になんざ染まらねぇし、悪人にも堕ちねぇ。俺は俺のまま、お前との夢を叶えてやるから」


 その言葉に華鈴の表情が少しばかり明るくなるのが分かった。俺はさらに続けた。


「それに、もしあの野郎が暴走したら……その時は俺が奴を討つ。約束する。お前とこの街は何があっても守るからよ」


 ああ、守ってやるとも。たとえ暗黒の帝王が敵に回ろうとも、俺たちは俺たちの理想を貫き通すだけだ。そう、二人で誓い合ったのだから。


「……ありがとう。涼平。あたし、嬉しいよ」


 そう微笑む華鈴を抱き寄せ、唇を触れ合わせる俺。されど、何故だろうか。恋人を撫でる動作の影で、俺の手は微かに震えていたのであった。

ゆっくりと動き出した権力者たちの抗争劇。そんな中で涼平と華鈴の夢は叶うのか? 次回、新たな戦乱の火ぶたが切って落とされる!

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