表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第13章 狂気のさえずり
234/261

血の風雲

 2006年2月20日。


 この日、赤坂の中川会総本部では式典ムード一色だった。何をするかと云えば、盃の儀式である。


 銀座の眞行路一家、多摩の大国屋一家、そして御教により湘南から山梨の田舎町への領地替えが決定した龍曜会。


 この3つの組を直参へと昇格させるための式典だ。眞行路と大国屋については先代総長の喪が明けるのを待ってから日取りを決めたため、この日へもつれ込んだというわけだ。


「いやあ、めでたい。めでたい。やっと秀虎様の晴れ姿を見ることができる」


「ああ。ここまで多くの血が流れたものだ。その犠牲を無駄にしないためにも気張って頂きたいよなあ、あの御曹司には」


「しかし、少し前までは普通の大学生だった秀虎様が中川の直参に上がる日が来るなんてなあ……感慨深いものがあるぜ……」


 会場である大ホールには大勢の構成員たちが集まっている。皆、一様に眞行路秀虎の姿を見つめていた。それもそのはずで、彼は今、黒の紋付き袴に身を包んでいるからだ。そしてそんな彼を取り囲むようにして幹部たちがズラリと並んでいた。


「なあ、涼平」


 俺の隣に座る恒元が話しかけてきた。


「はい」


 俺が返事をすると彼は言ったのである。


「お前は秀虎をどう思う?」


 その質問に俺は思わず吹き出しそうになった。何故なら、彼の質問の背景など分かりきっているからだ。しかし敢えてこう答えたのである。


「父や兄のような大それた野心は持っていないように感じます……ただ……」


 そこで言葉を区切ると恒元は「ただ?」と続きを急かす。


「その器は大きい。俺ですらそう感じるのです。だから心配はしていません」


「ふむ……そうか。見かけ以上に器量ある者ならば奴を慕う連中は多いことだろうな。跳ねっ返りは懐の広い親分を好む」


「大丈夫ですよ。あいつも恒元公の恐ろしさは十分に分かっているでしょうから」


 恒元としては忠誠心が高ければ高いほど良し、操りやすければ尚良しといったところであろう。ゆえに俺の言葉を聞いて安堵したように微笑んだのだ。


 そんな会話を交わしていると、礼装姿で平身低頭する秀虎の隣に一人の男が座った。同じく着物を纏った格好ながら黒髪をワックスで固めた長身の偉丈夫ゆえに左横の大学生より見栄えが良い。大国屋一家を継承した櫨山重忠だ。


「……」


 大広間へ入場してきた重忠の姿を見た途端、どういうわけか唇を噛んだ恒元。一体、何を考えたのやら。主君の意味深な仕草はさておき、櫨山の後に入ってきたのは拙い所作で着物を着こなした少年であった。


 波木遼太。


 龍曜会の会長にして、この日をもって直参へ昇格を果たす男だ。端整な顔立ちをしているが、どうにも頼りなさげな印象を感じる。まったく、見るからに肝っ玉が小さそうなわらべが天下の中川恒元に対等な物腰で交渉を迫るとは片腹痛い。


 俺と恒元の読み通り、波木は赤坂に使者を遣わせてきた。そして『恒元公に折り入ってお願いしたいことがございます』と伝言を代読させた。それに対し、恒元は『20日に直参昇格の儀式を行うからその後にでも話そうじゃないか』と答えて龍曜会の使者を帰した。


 この童の狙いは分かっている。手に入れた以津真天の卵を利用し、その譲渡と引き換えに組織内における自らの地位を盤石なものとして貰う腹積もりだ。村雨組から中川会に鞍替えした外様の身であるにもかかわらず、随分と図々しいものだ。


 無論、恒元はそれに応じる気など無い――主君の腹の内をこの日の早朝に聞かされた身としては些か興が乗らないが、彼に尽くす以外の選択は考えられないので従うだけだ。


 物思いに耽る俺をよそに、会場では拍子木がパチンと打ち鳴らされる。


東西とざい東西とうざい~!」


 司会を担う、酒井組の酒井義直組長の声が響き渡る。儀式が始まるようだ。


「初春の候、お集まりいただき誠に恐悦至極に存じます。本日、我ら中川会に新たな若者が名を連ねます。今日はその誓いとなる盃を……」


 酒井組長の落ち着いた物腰の下、儀式はゆっくりと進行していく。秀虎、重忠、波木らの挨拶が終わった後、媒酌人となる本庄利政が白磁の盃へ酒を注ぎ入れる。


「ああ、どうやら我輩の出番のようだな。涼平、手筈通りに頼むぞ」


「はっ、承知いたしました。お任せください」


 恒元は中央へ進み出ると、本庄から盃を受け取って口を付ける。そしてそれを本庄が3人の前に並べてゆく。


「それでは皆々様、どうぞお飲みください」


 酒井組長の言葉に秀虎たちが座礼をする。そして盃を両手に持ち、それを一気に飲み干したのだ。それを見た幹部たちが拍手喝采する中、年若いゆえに酒に慣れていない波木はむせかえりながら、どうにか飲み干さんと盃を傾けた。だが、それは途中で止まったのである。


「……ん?」


 大ホール内が静まり返る中、波木は激しく咳きこんだのであった。彼の目の前には赤い水滴が垂れている。


 血だ。


「げほっ……げほっ……」


 目を見開き、口元を手で押さえ、激しく吐血する波木。親分衆が一斉に騒ぎ出す。一体、何が起きたのだ――俺はその答えを知っている。


 毒が入っていたのだ。


「げほっ……げほっ……」


「どうしたのだね、波木」


「……か、会長、これはっ!?」


 わざとらしく背中を擦る恒元に波木はそう尋ねた。その目は恐怖に染まっているが、彼はまだ気付いていないようだ。


「毒だよ。即効性のな」


 俺はそう告げたのである。その瞬間、波木の顔色が変わった。そして大ホール内が騒然とする中、恒元は言ったのだ。


「皆の衆! 静粛に!」


 その声によって場は一気に静まり返った。そんな中で恒元はこう続けたのである。


「この男は我輩に対して謀反を企てた! よって今日この場をもって粛清する! 異論はあるか!?」


 彼の言葉に幹部たちは動揺を隠せない様子だった。それはそうだろう、彼らは波木が中川会直参になるものだと思っていたからだ。しかし、恒元は彼らに構わず続けたのである。


「無いようだな……では者ども、この男とその子分どもを殺せ! そして中川会の新たな門出を祝う贄とするが良い!」


 その言葉を合図にして助勤たちが刀を抜き、波木と会場に待機していた龍曜会の幹部たちに飛びかかったのだ。彼らは必死に抵抗したものの、入場時のボディ―チェックで武器を預けていたのが災いしたか、多勢に無勢で圧倒されてしまったのである。そして数分も経たぬうちに、現場には無数の斬殺体が転がった。


 目下に広がる血の海を満足そうに眺め、恒元は言った。


「波木は不埒にも我輩に盾突き、一度は手放した湘南の領地へ戻ることを画策した。その証に組の屋号から『湘南』の二文字を外しておらなんだ。つまり、これは奴に新たな領地をくれてやった我輩への侮辱に他ならない。よって粛清した次第である」


 会場に広がる静寂が戦慄へと変わった。中川恒元に逆らえば殺される――その事実を誰もが改めて認識し、顔を真っ青にしているようであった。


「さすがは恒元公! お見事です!」


 酒井義直が大袈裟に褒め称えると、他の幹部たちもそれに倣った。そして俺はと云うと、主君の機転に感心していたのである。


 波木を始末するだけなら毒入りの酒を飲ませて一思いに殺すだけで良かったはずだ。しかし、彼は敢えてそうしなかった。波木の組員たちをも巻き込み、自らの恐怖を他の幹部連中に見せつけるために残忍な粛清劇を演出したのであった。


 博徒の王に歯向かった人間の末路。それは語るに及ばないこと。床に横たわる生首の数々がそれをつぶさに表していた。


「畳が血で汚れたな。買い替えておけ。頼んだぞ」


 そう言い残し、恒元は俺を従えて大広間を去った。退出時、俺は目をぱちくりさせて呆然とする秀虎と、ただ黙って俯くだけの重忠、そして下品な笑みを浮かべる本庄組長の姿が目に付いた。「波木遼太の盃にだけ毒を入れる」という今回のからくりは本庄以外には伝えていない。よってまさしく三者三様の反応であった。


「まったく、本庄も手先が器用なことだ。毒の調達から調合まで全てをやってのけるとは。そうまでして我輩の機嫌をとりたいか」


 執務室に戻るなり、ソファにどっかりと座り込んで吐き捨てた恒元。そんな彼に葉巻を差し出しつつ、俺は言った。


「甘い汁を吸いたいのでしょうね。会長のために力を尽くすことで。奴の頭には見返りを得ることしかありませんよ」


「つくづく卑しい男だが……使える男ではある。妙な野心を抱かぬうちは飼い慣らしてやろう。時折、釘を刺すことも忘れずにな」


「ええ。それが良いと思います」


 俺が頷き、葉巻の火を灰皿に押し当てていると恒元はこんなことを言ってきた。


「ところで涼平よ」


「はい」


「中川会理事としての正式な叙任は本日付けだ。さっそく手柄を立ててみないかね」


 遠回しな言い方であるが、どうやら仕事が与えられるようだ。俺はコクンと頷いて応じた。


「はっ。何なりとお申し付けください」


「うむ。では、湘南から例のものを回収してきてくれ」


 恒元が俺に命じたのは、例のもの――つまりは以津真天の卵を獲ってくることであった。無論、仕事はそれだけではない。


「湘南には不届きな残党どもが潜んでいることだろう。掃除してきてくれ」


 龍曜会残党勢力の一斉粛清である。後々の禍根を絶つためにも欠かせぬことだ。


「承知いたしました。では、行って参ります」


 俺はすぐさま執務室を後にすると、支度を整えて屋敷を出る。


「さて、と」


 車に乗り込み、エンジンをかける。そしてアクセルを踏み込んだその時だった。俺の携帯電話が振動し始めたのである。着信だ。画面を見ると意外な人物の名が表示されているではないか。


「……もしもし?」


 電話に出ると、相手は重忠だった。彼はこう切り出した。


『やあ、麻木君。今からちょっと話せないか』


「すまねぇが仕事中だ。また後でな」


『移動中に話すくらいのゆとりはあるはずだぞ』


「えっ?」


 驚いて前方を見やると、そこには携帯を持った重忠が立っていた。車に乗り込む様子を見られていたようだ。要するに、乗せてくれというわけらしい。


「何の用だ。話があるなら手短に頼む」


 ドアを開け、乗ってきた重忠は微笑みながら口を開いた。


「波木の件だ」


「ああ、あれか。それがどうした?」


 俺が尋ね返すと重忠は穏やかな表情のまま言った。


「……あれは君が仕組んだのだよな? 毒を盛って年端も行かぬ少年を殺し、子分達もまとめて粛清すると?」


「お考えになったのは恒元公だが、ああいう奴を生かしておくと後々に響くからな。お達しが出ずとも俺の方から進言していただろうぜ」


「ふっ。そうか」


 あっさりと言ってのけた俺に重忠は笑った。「あれはやり過ぎだ」とでも言いたいのか。しかし、次に続いたのは非難の言葉ではなかった。


「恒元公のお傍に君のような男がいてくれて良かったよ」


「そりゃどうも」


 その瞬間にアクセルをぐいっと踏み込んで車を発進させ、さらりと受け流した俺に重忠は続けた。


「……私は軟弱ヤワな男だ。ああいう場面を見ると自然と心が竦んでしまう。だが、麻木君はそうではなかった。まるで何事も無かったかのように振る舞っていたし、今もこうして殺戮へ向かおうとしている……恐れ入ったよ」


「嫌味のつもりか?」


 俺が尋ねると重忠はこう答えたのである。


「素直な尊敬と感謝さ。恒元公のご命令を一字一句実行に移してくれてありがとう。私には到底出来ないやり方で、かつてお傍近くに居た俺に代わり、今の恒元公をしっかりと支えようとしているのだから」


 そして彼はこうも続けたのだ。「願わくば私もあのお方のために為すべきを為したいのだけどね」と――俺は何も答えなかったが、内心では呆れていた。嫌味にしか聞こえない。もし純粋な意味での台詞だったとすれば、だったらあんたも俺と同じことをしてみろよという話だ。


「……要するに、あんたはさっきのクレームを言いに来たってことか。あるいは自分テメェに胆力が無いことの言い訳をしに来たと」


「ははっ、手厳しい言い方をするね。別に変な意味じゃなくて君には心の底から敬意を抱いているんだけどなあ」


「それなら俺が今からやる仕事を手伝ってみるか。口封じで人を撃つことがお前さんに出来るのか、この腰抜け野郎」


「出来たよ。昔の私はね」


「ああ?」


 車は赤坂の大通りを抜けて首都高へと続く道路に入った。晴れ渡る冬の東京の青空が、凍てついた車内の空気を少しだけ暖める。


「私はね、麻木君。心の底から尊敬する友を持っているんだ」


 重忠はそう切り出した。俺は黙って聞いていたが、彼は苦笑いする。


「そして……いや、これはいいか」


 何か言いかけたものの途中で止めてしまった重忠だったが、俺は構わず先を促したのである。


「いいから話せよ。別に隠すような内容でもねぇんだろ?」


 すると彼は小さく息を吐いてから言ったのだ。それは衝撃的な事実だった。


「その友は名を駈堂くどう怜辞れいじと云ってね。学生の頃から憧れの先輩だよ」


「はあっ!? 駈堂だと!?」


 俺は息を呑んだ。煌王会の若頭の名が飛び出したものだから当然であろう。


「お前さん、まさか……」


 不穏な推測が頭の中を駆けめぐる。櫨山重忠が煌王会と内通している――そう考えると、あらゆることに辻褄が合う。


 先日の新潟での協議が不調に終わったのは、云ってしまえば重忠の要らぬ一言が原因であった。もし、あれが中川恒元に打撃を与えるべく煌王会からの頼みで行ったものだとしたら……?


 憶測の域を出ないが可能性は高い。俺は食ってかかった。


「煌王会と!?」


 すると重忠は冷静に切り返してきた。こちらの言葉に先手を打つように口を開いてくる。


「内通はしてないよ。ただ、仲の良い先輩が向こうの組織に居るってだけさ」


「その言葉で信用しろってのか!? あんたに逆心が無いと何故に言い切れる!?」


「こうして打ち明けてるのが何よりの証じゃないか。逆心があったらここまで素直には喋ってないよ」


 諭すような口調に舌打ちを鳴らしつつ、俺は奴を睨みつけた。確かに、彼の云う通りである。だが、それならば何故に俺にそんなことを打ち明けたのだろうか。


 わけが分からずにいると、重忠は言った。


「駈堂……いや、番長は昔から私の憧れだった。強きを助け、弱きを挫く。鑑のような生き方を体現している人だ。私は10代の頃は恒元公のお傍で仕えながら、川崎の学校に通ってたんだけど、番長に惚れてさ。あの人のチームに入って男を磨かせてもらった。そして、男としてあるべき姿を学んだんだ」


 俺は混乱していた。


「あの駈堂が……?」


 番長と重忠が知り合いであることもそうだが、それ以上に駈堂怜辞という男は俺にとっては狡猾な策略家という印象が強かったからだ。


 それが尊敬に値する男だというのか?


「麻木君」


 重忠は言った。


「番長と出会うまでの私は、幼いながらに戦闘マシンみたいなものでね。8歳の時に初めて人を殺めて以来、私は父や恒元公に言われるがまま稼業の男としての修行ばかり積んできたんだけど……そのせいで冷酷なロボットみたいになってた僕を番長が変えてくれたんだ」


 俺は黙って聞いていた。重忠は続ける。


「番長は私を変えてくれた恩人さ。だから、あの人が煌王会に居るって状況じゃ思うように力が振るえないんだ……」


 少年時代、駈堂の影響で人間性が変わったことも関係しているのだろう。要するに、この男は悩んでいるのだ。


 かつての恩ある先輩と、今仕える主君との間で板挟みになって。そして主君の残虐な振る舞いが、昔に先輩から教え込まれた義理人情の精神に相反していることが苦しくて。


「そいつを俺に話して何とするつもりだ?」


「ふっ、私にも分からないよ。ただ、話しておきたくてね」


「会長側近の俺に敢えて話すことで自分テメェに逆心が無いとアピールするために?」


「それもあるが、君はかつての私と同じ目をしているから。色んな意味で親近感が湧いちゃうっていうか。ほっとけないっていうか」


 重忠はそう答えた。俺は鼻を鳴らして言った。

「くだらねぇな」


「相変らず手厳しいな……じゃあ私はここで降りるから、後は好きにすると良い」


 車は赤坂の大通りを抜けた先の道で停車した。そして彼は車を降りて去ってゆく。俺はそれを辛辣な視線で見送ったが、内心では奴の話に納得していた。


 忠を尽くすべき相手に迷い、悩むのは俺自身も経験のあること。村雨組長への恩と、中川恒元への忠義で俺もひどく苦しんだものだ。


 されど、俺は後者に仕え続ける道を選んだ。少年時代の自分を捨て、自らの手で未来を切り開いてゆく道を歩んだのである。


 ゆえに俺は櫨山重忠という男を理解こそしたが、共感を抱くことは無かった。よって、サイドミラーに映る彼の姿が見えなくなると吐き捨てたのであった。


 低い声で「愚かな迷いだ」と。それが過去の自分に向けての意味合いも含んでいたことは、心の内に仕舞っておくとしよう。


「……仕事だ」


 俺はそれから車を飛ばし、湘南へと向かう。そして茅ヶ崎市の龍曜会総本部の前に停めるや否や、懐から銃を抜く。


 グロック17。傭兵時代から好んで使っていた相棒が、今日はいつになく黒光りしているように感じられる。


 尤も、今の俺には些末事だ。果たすべきことは、ひとつ。


「失礼するぜ」


 俺はドアを開け、中に入った。東京へ送り出した主君と幹部との連絡が途絶えたことで連中もある程度の想定はしているだろうが、仕掛けられている罠などは気にせず奥へ進む。すると、すぐに目的の標的を発見したのである。


「くそっ……麻木か!?」


 そいつは俺を見るなり目を剥いた。無理もないだろう。屋敷に戻ってきたのが会長の波木遼太ではなく麻木涼平だった時点で、彼らの運命は決定づけられたも同然なのだから。


 しかし、俺はそいつのことなど構いもせず、居並ぶ全員に向かってにこう言い放ったのだ。


「悪いが死んでもらうぜ。中川恒元公のご意向でな」


 そうして拳銃を構えると、奴らも殺気立つ。


「ふ、ふざけるな!」


「やられてたまるか!」


「死に花咲かせてやらぁ!」


 彼らとてまんまと殺されるつもりは無いというわけか。


「ぶっ殺してやる!」


 啖呵と共に襲い掛かってきた構成員達を俺は次々と撃ち倒してゆく。奴らの発砲した弾は俺には当たらず、逆にこちらの銃弾は容赦なく相手方の肉体を抉り、命を奪っていった。


 だが、それでもなお彼らは怯まない。それどころか怒りのままに突進してくるのだ。やはり湘南地域を明治時代から支配し続けただけあって屈強だ。


 しかし、所詮は烏合の衆に過ぎない連中である。やがて全員を始末し終えた時、その場に立っているのは俺一人になっていたのである。


「……」


 昂った心を鎮めるべく、俺は煙草に火を付けた。そして、吐き出す紫煙と共に呟くのであった。


「……帰るか」


 早いところ赤坂へ戻って、体に染みついた血と憂さをシャワーで洗い流したい気分だった。なるだけ、早くに。


 勿論、目当ての物品を持ち帰ることも忘れない。屋敷を奥へと進んだ場所にある部屋の床の間に、それは安置されていた。


 古めかしい茶色の壺。蓋は紫色の布で密閉されている。


 どうやらこれが今回のターゲットにして、恒元が喉から手が出るほど欲しがっていた物品――以津真天の卵であるようだ。


 一体、この壺の中には何が入っているのだ?


 蓋が布という時点で細菌兵器の線は消えた。俺が思うに旧時代の貨幣あるいは宝石か。


 ともあれ、外へ運び出さなくては。俺は銃を懐へ戻すと、70センチほどの高さの壺を抱え上げた。

 すると……思ったよりも軽かった。


「えっ!?」


 中身は貨幣や宝石などではないのか。俺は驚いた。


「じゃあ、一体……」


 この壺の中に何が入っているというのだ? いや、そもそも本当にこれは以津真天なのか? そんな疑念が頭をよぎる。しかし、ここで考えていても埒が明かない。一旦は持ち帰って中身を確認するのが先決だ。


 俺は壺を抱えたまま屋敷を後にし、車へと戻ったのである。そして運転席に乗り込むと、エンジンをかけて発進させるのであった。


 それから40分ほどで総本部に帰着したのだが、恒元は外で待機していた。てっきり執務室で悠々と構えているかと思っていたのだが、どうやら俺が以津真天の卵を抱えて帰ってくるのを今か今かと待ち侘びていたらしい。


「おおっ、涼平! 戻ったか!」


「はっ。只今、帰りました」


 そう言って後部座席に置いた壺を見せると、恒元は飛び上がらんばかりの勢いで喜んだ。


「よくやってくれたぞ! これで、ついに以津真天の卵は我が手中に収まる!」


「はっ。お喜びいただき光栄です」


 俺は頭を垂れた。しかし、恒元はそんな俺の様子など気にもしない様子で壺に手を伸ばしたのである。そして布を取り外して蓋を覗き見ると、今度は子供のように朗らかな笑顔を浮かべる。


「ふふっ……これだこれだ……これさえあれば、我輩はこの国の真の支配者に……父も届かなかった高みに手が届く……」


 一体、何が入っているのか――それについては尋ねることが出来なかった。恒元があまりにも不気味な笑みを浮かべていたからである。


「これは我輩がじかに管理する。ご苦労だったな。下がって良いぞ」


「はっ。承知いたしました。それでは、失礼いたします」


 まあ、旧軍の兵器でもなければ貨幣でもないとすれば、この国の根幹にかかわる秘密が記された文書だろう。先ほど壺を抱え上げた時に内部の底面て紙の束が擦れるような音と感触があったので、俺は大まかな予想をつけていた。尤も、そんなことはどうでも良い。


 何であれ、中川恒元の力が絶対のものとなるのなら。俺はその万能の力を利用し、己と愛する人の夢を叶えるだけだ。全ての弱者を救うという、途方もない夢を叶えるために――自室へ戻り風呂場でシャワーを浴びた後、俺は夕暮れの街へと繰り出した。


 向かう先は『Café Noble』だ。想い人が営む喫茶店で珈琲を飲みたい気分であった。


「よう、華鈴。一杯淹れてくれねぇか」


 やけに嬉しそうな俺の声色を耳にした華鈴は、一瞬ばかり驚いた顔をした後で「はーい」と微笑んだ。俺はカウンター席に座るなり煙草に火を点けたが、その味はいつもよりも甘ったるく感じられた。


「……なあ、華鈴」


 やがて、俺は彼女に声をかけた。すると彼女は湯を沸かしながら「はい?」と小首を傾げる。


「もしも……俺たちの夢が叶うとしたら、どうする?」


 唐突な質問に面食らうかと思いきや、彼女はすぐに答えたのである。


「それは勿論、嬉しい。でも、涼平が傍に居てくれるだけであたしは嬉しいよ」


「……そうか」


「うん!」


 屈託のない笑顔で頷く彼女を見ると、俺まで嬉しくなってくる。やはり、俺はこの女を愛しているのだと実感するのであった。


 しかし、同時に不安にもなるのだ。果たして俺の歩む道は正しいのか――と。だがそんな迷いを振り払うかのように、彼女は言うのである。「あたしはずっと涼平の味方だからね」と。そして、その一言が俺に無上の幸福感を与え、今日一日の疲れと憂さを吹き飛ばす。


 やがて沸き立った湯で華鈴が淹れてくれたブレンドコーヒーを飲みながら、俺は話題を振った。


「そろそろ、動き始めようと思うんだ」


「何を?」


「弱い人たちを救うって話。具体的に何をするか、考えようと思って」


 俺は珈琲を啜りながら答えた。すると華鈴は「ふーん」と呟き、それから微笑んで言うのである。


「涼平なら出来るよ」


 その一言が、俺の心に深く響いた。そして同時に勇気を与えてくれたのだ。


「……ああ!」


 そうだ。俺は一人じゃない。俺には愛する人が居て、夢があるのだから――気づけば俺は華鈴と口づけを交わしていた。


「んっ……」


 彼女は少し驚いたような声を上げたが、すぐに受け入れてくれた。それからしばらくの間、俺達は互いの存在を確かめるかのように抱き合ったまま動かなかった。


 やがて唇を離すと、俺は言ったのである。


「ありがとう」


 すると華鈴は頬を赤らめながら微笑み返すのであった。


「……どういたしまして」


 そんな幸せな会話が繰り広げられた翌日のことだ。

 朝、俺はいつものように執事局の詰め所へ足を運んだのだが……室内に足を踏み入れた途端、違和感を覚えた。理由は単純明快だ。普段ならば事務仕事にあたる助勤しかいないはずの空間に、どういうわけか物凄い数の部下たちが集まっていたからであった。


「おいおい、お前ら。どうしたよ」


 きょとんとしながら尋ねた俺に酒井が歩み寄ってくる。


「じ、次長……!」


 彼から聞いた話は予想外のものだった。思わず声が裏返る。


「会長が、そんなことを!?」


「え、ええ……龍曜会の人間の家族を殺して来いと……」


 曰く、昨晩の未明に執務室へ呼び出され、そのような御教を賜ったのだという。困惑したが、それはまた彼らも同じ。


「いくら何でもおかしいじゃないですか。若衆や舎弟のみならず、その家族まで殺せって」


 酒井は苦々しい顔で言った。そして彼は続ける。


「訊いたんですよ。どうしてそこまでする必要があるんですかって。そしたら『以津真天の卵には大きな秘密が隠されている。それを知っているのはこの世で我輩一人だけで良い。ゆえに知った可能性がある者は全て消さねばならぬ』と……それで渋ってたら『我輩の命令が聞けぬのか』と……」


「なるほど。そういうことだったか」


 俺は合点がいったとばかりに頷いたが、内心では動揺していた。まさか恒元がそんな御教を発するとは思わなかった。


 今までに、そのようなことは一度として無かったのである。カタギを暗殺したことはあるが、それは当人が組織に明確に敵意を向けていた場合に限ってのことだった。


 恒元め、以津真天の卵を手に入れて歯止めが効かなくなったか……やはりあの物は恒元に強大な力をもたらすのか……いやいや、妄想は後回し。今すべきは部下たちを奮い立たせること。


 苦々しい想いに駆られながらも、俺は口を開いた。


「ここはひとつ。やって貰えねぇだろうか」


 すると酒井は目を丸くし、それから「本気ですか!?」と叫んだ。俺は頷きながら答える。


「ああ」


「でも……カタギを殺すだなんて……!」


「俺からの頼みだと思ってくれねぇか」


「……分かりましたよ!」


 恒元の御教を突っぱねるなど出来やしない――そもそも端から覚悟は決まっていたようだ。俺と酒井との会話を聞いていた原田が仲間たちに向き直り、声を張り上げる。


「お前ら! 会長がご乱心だ! いくら組織の敵だからって家族まで殺すなんてどうかしてるだろ!? そんなの許せねぇよな……けど、会長に逆らえばどうなるか……俺はお前らを死なせたくねぇ!」


 原田は部下たち一人一人と目を合わせながら叫んだ。すると彼の想いが伝播したのか、一人また一人と賛同の声が上がる。


「あ、ああ! やるしかねぇ!」


「仕方ねぇ! やってやろうぜ!」


「仲間だ! 俺たちには仲間がいる……!」


 そんな声が詰め所内に響き渡り、空気が変わったのを感じたのか酒井も頷いた。そして彼は仲間たちを鼓舞すべく声を張り上げた。


「……よし! やるぞっ!」


 しかし、彼らの足取りはどこかぎこちない。口では威勢が良いことを言いながらも、心の奥底では未だに迷いがあるのだろう。だが、俺は敢えてそれを咎めるようなことはしなかった。


 かけた言葉はただひとつ。未来への希望だ。


「お前ら、恒元公はこの国の全ての弱者を救うために力を振るおうとお考えだ。一部の強者だけが富を独占する政治を一新し、世の中を作り直す……これは、そのための第一歩なんだ! どうかっ! 頼むっ! もし、会長が変な方向に力を使うことがあったら、その時は俺がお諫めする! だから、どうか今は俺についてきてくれ!」


 俺が声を張り上げるのに合わせ、酒井と原田も仲間たちに声をかける。


「……ああ! 次長の仰る通りだ!」


「……大義は俺たちにある! これは悪を討つための戦いだぜ!」


 すると尻込みしていた連中もまた奮い立つかのように拳を握りしめるのだ。


「……よし! 行くぞっ!」


 そして俺たちは一斉に詰め所から飛び出したのである。


 向かう先は茅ヶ崎市。恒元から渡された情報を基に標的の家を一軒ずつ回って事を為す。


「いやあああっ! 助けてぇぇぇっ!」


 ――ズガァァァン!!


 慟哭と悲鳴を遮るように引き金を引く。全員が昨日に殺した龍曜会残党の妻子だった。


「はあ……これで何軒目だ?」


 俺は溜息交じりに呟いた。すると、傍にいた原田が答えるのである。


「さあ……30軒は超えたと思います」


「……そうか」


 30軒か。思いのほか多かったな。これは暗殺ではなく、ただの虐殺――部下たちが精神的に疲弊しているのが見て取れた。


 されど、そうした事実に目から背けねば引き金は引けない。誰もが「恒元公のためだ」と己に言い聞かせ、痛む良心をかき消していたことだろう。それはまた俺も同じ。


 なるだけ部下たちに負担をかけぬよう、先頭に立って銃を撃った。


 ――ズシャアッ!


 弾が切れれば、短刀で刺した。


 このやり方は間違っているかもしれない。だが、他に以津真天の卵の秘密を守る術がないのだから仕方がない。これが最善だと信じるしかないだろう。


 そんな俺の想いが届いたのか、部下たちも徐々にではあるが戦意を取り戻しつつあったのである。そしてそれは原田も同様であるらしく、彼は奮い立つように言ったのだ。


「……よしっ! もうひと踏ん張りだ!」


「ああ! 俺たちが片付けてるのはゴミだ!」


 酒井が頷き、原田は銃を構えながら標的の家の玄関を蹴破った。そして中へと突入してゆく部下たち。俺もまたその後に続いたのである。


 すると中には一人の女性がいた。彼女は恐怖に顔を引きつらせながらも必死に命乞いをする。しかし、それは逆効果だ。酒井は彼女の額に銃口を当てながら言ったのだ。


「悪いが、死んでもらうぜ」


 ――ズガァァァァン!


 苦しまぬよう、心臓を一撃で。そいつの口からは鮮血が噴き出し、やがて動かなくなった。


「……次長。終わりました」


 酒井の声に呼応するかのように、他の助勤たちが雄叫びを上げる。


「うおおーっ!」


 傭兵時代に精神操作術を学んだ俺と、彼らは違う。異様に昂っている精神を抑えきれなかったらしい。


 しかし、やはり慣れないものだな、無垢な人を殺すというのは。だが、それが恒元の意向と云うなら従う他ない。


 俺は全ての仕事を終えた後、総本部へと戻った。そして椅子にふんぞり返る主君に淡々と伝えるのであった。


「……終わりました」


 その言葉に恒元は満足げに笑みを浮かべた。


「おお、やったか」


 これで以津真天の卵の秘密は守られた――知っている人間を皆無にすることによって。龍曜の若衆たちはともかく、妻子に関しては「卵のことを聞かされた可能性がある」というだけで確証も何もあったものではないのだが、恒元が言うのだから仕方なかった。


「ふふっ。やはり良いものだな」


 どういうわけか笑みを浮かべる恒元。やがて昼間に関わらずワインボトルを開けた彼に、俺は思いきって尋ねた。


「その、これから……どうなさるおつもりですか?」


 すると恒元はグラスを傾けながら答えた。


「決まっているだろう。この国を動かしてゆくのだよ。我輩の思うままにな」


「……以津真天の卵を使って? それくらいの力があるものなんですか? そいつがあれば、国を変えられるんですか?」


 俺は少し語気を強めた。しかし彼は動じないどころか、むしろ楽しげな様子で言うのだ。


「我輩はこの国をより良いものへと作り変える。そのために必要なことなのだよ。全てな」


 そしてワインを一気に飲み干した彼は続けた。


「この我輩の考えが誤ることは無い。ゆえに、我輩が為さんとすることを阻む者は全て賊だ。女子供であろうと等しく粛清せねばならぬのだよ」


 女子供であろうと――その言葉が俺の中で凄まじい音量にて反響した。きっとこの男はこれからも『殺せ』と言い続けるだろう。


 己の権力を盤石かつ絶対のものとし続けるために。

 そんな彼に仕える俺は、彼に言われるがまま、今後も沢山の人間を殺してゆくことになる。それが出来るのか?


 いや、出来る出来ない以前に、それが俺が本当にやりたかったことなのか……激しく回転し始める思考に揺さぶられ、思わず意識が飛びそうになった。


 されども俺は瞬時に答えを出した。『ああ、そうだ』と。迷いかけた自分自身に言い聞かせるがごとく。


 そして恒元に対し、その瞳を真っ直ぐに見据えて表明する。


「はっ。承知いたしております。この麻木涼平、身命を賭してあなた様をお守り致します」


 俺は覚悟を決めた。この男に尽くすことを。そして……この男の力を使い、この国をより良いものへと作り変えるのだと。


 頬を緩めて「うむ」と頷く恒元。彼はワイングラスを傾けながら笑みを浮かべるのであった――が、やがて何かを思い出したかのように立ち上がると、俺に言ったのである。


「そうだ。ひとつ頼みがある」


「……何でしょう?」


「仕事を終えたばかりで悪いが、また頼みたい仕事がある。ベルファストへ向かってくれぬか」


「どうしてイギリスに?」


「一言、物申したい男が居るのだよ」


 そこから詳細を聞かされた俺は「なるほど」と納得する。そして、深々と頭を下げて言うのであった。


「承知いたしました」


 海外へ討ち入りか。やってやろうではないか。

謎めいた秘宝を手に入れ、絶対的な権力を手に入れた恒元。この男の暴走を涼平は止められるのか。次回、第13章戦慄のラスト!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ