フィクサー
2006年2月18日。
この日、俺は朝から湘南へ出かけていた。大磯山の発掘工事を見守るためである。
「おーい、出そうか?」
「いや、出ねぇ! ここらにはおそらく無ぇと思うぜ!」
「じゃあ、あっちの方を探してみるか……」
防寒着に身を包んだ髭の男たちが、雪の降りしきる中、スコップ片手に山地を掘り返している。総奉行たる俺が急がせたことで現場はまさに戦場と化していた。
「よーし! もうひと踏ん張りだ!」
髭の男の掛け声に皆が「おう!」と呼応した。その光景を眺めていると何だか申し訳ない気持ちになってくる。見ているだけでは忍びないので俺もまた作業に参画する。
「おかしいな……確かにこの山にあるはずなんだが……」
文献によれば『以津真天の卵』は『相模の国の大磯山に埋めた』とあった。江戸時代の書物なので信憑性は定かではないが、以津真天の卵について記してあるのはその資料だけ。
ゆえにひとまず大磯山を掘り尽くしてみようということになったのだが――なるだけ早くに掘り当てねばならなかった。
「皆! どうか怪我無くやってくれ! 適宜休息を忘れるなよ!」
「うっす! 麻木の旦那! 何から何までありがとうございます!」
そんな折にふと思い出すのは中川会総本部での一幕だ。あの後、恒元は恐怖で心身を縮み上がらせた旧御七卿たちを粛清することもなくそのまま放置し続けているが、それは連中が自分にとって脅威ではないと考えたため。
恒元は暗殺されかけたことで自らの恐怖支配が完全ではなかったのかと動揺したが、まったくの杞憂だった。旧御七卿の親分衆はもはや恒元に反対意見も具申できぬほどに怯えきっている。
暗黒の帝王の恐怖支配は本人が考えていた以上に強烈で、幹部たちを硬直させていたのだ。
では、あの一件を起こしたのは誰か?
暗殺作戦を企てたのが幹部連中でないとすれば、却って面倒だ。恒元に対して敵意を抱く人間が他にも居るということになるのだから。
煌王会か?
極星連合か?
それとも、暗殺依頼に恒元が難色を示したことを不快に思った和泉官房長官の仕業なのか……?
あのヒットマンたちが才原党の内紛劇を知っていたのか否かはさておき、忍者の眼をすり抜けて屋敷に入り込むとは見事な腕と云わざるを得ない。敵方がそれだけの殺し屋を囲っているということだ。
よって俺としては一刻も早く、中川恒元の権力を盤石なものにしてやりたかった。彼の力を絶対的にすることで、敵対勢力が戦わずして降伏してくるような状況が理想だ。
以津真天の卵の発掘は、そのためには欠かせぬ唯一無二の布石であった。
「……とはいえ、それが何なのかは分からんな。会長も詳しい話はしてくれなかったし」
ぼそっと呟いた俺に声をかけてくる男がいた。
「当然だろう。何せ、歴史の中で知る者は誰一人としていないのだからな」
才原だ。どうやら独り言を聞かれてしまったらしい――現代を生きる忍者の聴力の良さに感嘆とさせられつつ、俺は尋ねた。
「じゃあ、あんたは何なら知っている?」
「それは……その卵が『以津真天の卵』と呼ばれる所以だな」
才原はそう答えると俺の隣に立ち、スコップで雪を掬っては山へと投げ込む作業を始めた。
「そもそも以津真天なんて鳥が本当にいたのかよ」
俺が首を傾げると彼はこう答えた。
「あれは、かつてこの国に存在していたとされる伝説上の生き物だ。人語を解し、鳥獣や魚を自在に操る能力を持っていたと今昔物語集にはあるが……無論、御伽話だ。逸話や伝承というものは人々の希望や願望が集約されたものだ。それゆえに尾鰭がつき、やがては翼が生えて大空へと飛び立つ」
苦笑しながらも、俺は「じゃあ俺たちは何を掘ってるんだ?」と返すと、局長は一言で答えた。
「分からん」
まあ、そうだろうなと思う他ない俺であった。一方の才原は雪の降りしきる空を見上げた。俺もまたそれに倣う。
「……しかしまあ、こんな寒い日に発掘作業とはな」
「ああ、全くだ」
俺たちは互いに笑い合う。まあ、発掘作業自体はさほど苦ではないのだが……何せ寒いので温まりたくてうずうずしているのである。
「で? 何で局長までスコップを握ってるんだ?」
「西洋の医術で云うところのリハビリというやつだ。見ての通り、右脚を切り落とされたばかりなのでな」
この男は恒元襲撃事件と同日に発生した才原党の内紛で右脚を切断された。一族内の造反グループに背後から襲われ、忍の者同士の激しい戦いの結果、脚と引き換えに敵を討ち取ったのだとか。
その模様を間近で見たわけではないが、俺は才原嘉門という男の戦闘力を反応速度の凄まじさを肌で理解している。ゆえに、彼の右脚をもぎ取るほどの強さを秘めた敵が存在したという事実を前に背筋を凍らせずにはいられないのだ。
「……大変だったみてぇだな。あんたが無事で良かったよ」
俺は素直にそう言ったが、局長は首を横に振るばかり。
「ねぎらいの言葉など要らん。全ては一族から抜け忍びを出してしまった私の失態。本来なら恒元公には死んでお詫びする他無いのだ」
「そう気に病むことは無ぇよ。会長だって気にしてねぇんだから。襲撃が起きた時に現場に居合わせていなかったのは仕方ねぇことだろう」
俺が励ますように続けると、局長は言った。
「いや、忍びの棟梁として恥辱の極みだ。一族を統制しきれていなかったのは勿論、主君の危機に際してお傍でお守りできなかったとは……」
「まあ、統制という点では何処の組織も同じだろうぜ。百パーセント完全無欠の集団なんざありゃしねぇさ」
俺は局長を慰めるようにそう言った。しかし、彼の心は晴れないようで、続けてこう吐き捨てた。
「だが……私は忍びとして失格だ」
「……どうしてそう思う?」
俺の問いかけに対して彼は答えた。
「あの晩、私は里から動けなかった。前々から休暇を頂いていたとはいえ主君の危機に駆けつけるどころか、襲撃者の存在すら感知できなかったのだぞ? この失態は到底許されるものではない」
そんな局長に対して俺は言った。それは本心からの言葉であった。
「まあ確かにな……でも、あんたはよくやったよ。あの襲撃を生き延びただけでも大したもんだ」
「だが、主君の盾となるべき忍びが主君の危機に馳せ参じられないとは……やはり私は忍びとして失格だ」
局長はそう云って雪の中に蹲った。俺は彼の肩を軽く叩くと、こう告げた。
「まあ、俺も似たようなもんだから気に病むことは無ぇよ。それにな……」
そして俺は彼にこう続けたのである。
「あんたには教えてもらいてぇことが沢山あるんだ。間違っても『お詫びに腹を切る』とは言わんでくれ。頼むからよ」
すると局長は立ち上がった。その表情には僅かに笑みが戻っている。
「ふっ……そうだな」
彼は雪の降りしきる中、俺に向かってこう続けたのだった。
「では、麻木涼平よ。その命ある限り私に教えを乞うと良い」
俺は素直に頷いた。そして改めて思うのであった。この御仁が恒元を裏切ることなど絶対に無いだろうと。
「ああ。改めてよろしくな、局長」
そう言った直後。割り込むように声が聞こえてきた。
「あのぅ~! 麻木次長~!」
どこか気の抜けた声。振り向くと、そこには毛皮のコートを身に纏った少年が佇んでいた。
「あんたは……」
「お久しぶりです。湘南龍曜会の会長をやってます、波木遼太でございます」
かつて横浜の村雨組の傘下として湘南地域を仕切っていた組『湘南龍曜会』であるが、村雨組を裏切って眞行路一家の傘下へ鞍替えした。そうして昨年の戦乱に眞行路輝虎方として参戦するも、輝虎が中川会を離反した際にすぐさま陣営を離脱。本家に降伏し、全ての所領の返上と引き換えに村雨の報復から分たちを守るよう頼み込んできたのである。
そんな若き親分が、どうして今日この場に現れたのか。きょとんとしつつも、俺は話を振った。
「どうしてあんたがここにいるんだ? まさかこの期に及んで湘南に戻りたいなんて言わねぇだろうな? こないだの御教書でも伝えたが、あんたらには新しい領地が割り振られてるんだぜ?」
「いやいや。滅相も無いことで……今日は、折り入って麻木次長にお話したいことがありまして……」
波木は何やら神妙な面持ちでそう云った。俺は訝しみながらも彼の話を聞くことにした。
「何なんだ?」
俺が尋ねると、波木はこう答えた。
「その、恒元公は本当に僕らを守ってくださるのかと思いまして」
唐突な言葉。俺は思わず「はぁ?」と返してしまった。
「守るも何も……会長はあんたを直参に取り立ててやるんだろうが」
「ええ、まあ確かにそうなんですが……」
波木は何やら煮え切らない態度だ。何か裏があるのだろうか? 俺には分からないが……しかし、波木の懸念も理解できなくはない。なにせ相手はあの中川恒元であるからして。
「……まあ、心配なのも分かるぜ」
俺がそう切り出そうとすると、隣に居た才原が波木を睨んで口を開いた。
「おい、小僧。貴様、恒元公のご慈悲を何と心得るか」
「い、いや! そんなつもりは!」
波木は慌てて否定する。だが才原は納得がいかないようでさらに続けた。
「ならば何故そんな質問をぶつける? 慈悲をかけられた身でありながら、貴様のその態度は不敬に過ぎよう!」
「……それは……その……」
波木は口籠った。俺は見かねて間に入ることにした。「まあ待て、局長。まずは話を聞いてみようぜ」と俺が言うと、局長は「ふむ……」と頷いた。
波木はなおも俯きがちにこう告げた。
「ここだけの話、恒元公が村雨組との手打ちの条件に湘南を返還するという噂を聞きまして……それでその、僕らを村雨に差し出したりしませんよねってことで不安に思いまして」
俺は思わず目をぱちくりさせた。まさかそんなことを心配していたとは思いもしなかったからだ。だが、すぐに納得がいった。
だから今日ここに現れたのだろう。
「……なるほどな」
頷きながら呟いた俺だが、局長は言った。
「愚かなり! 恒元公が何をなされようと黙って従うのが筋ではないか! そんな些末事を悩む暇があるなら忠義に励め! これ以上、無駄口を叩くようならこの苦無が貴様の心臓を貫くぞ! 覚悟するが良い!」
「ひ、ひぃっ!? すいません! ごめんなさい!!」
波木は顔を真っ青にして逃げていった。その背中を見送りつつ俺は言った。
「そうカッカするなよ局長。まあ……あれだ。あいつの気持ちは分からんでもねぇよ」
俺がそう言うと、局長は真剣な眼差しでこう返したのだった。
「麻木よ。教えを乞いたいと云うなら早速教えてやる。主君の為すことに愚直に従うことこそ、子分の本懐。それを忘れるな」
「ああ、分かってるさ。しっかし、意外だね」
「何がだ」
「あんたの口からそんな台詞が聞けるとは。命がけでお諫めするとかしないとか言ってなかったか」
「ふんっ。確かにな」
局長は鼻を鳴らした。それから再び雪の中を歩き出すと、こう続けたのだった。
「だが……今は違う。中川恒元公にひたすらお仕えすることこそが何よりの道であると思っている。例え、それが滅びへと繋がる道だったとしても」
俺は素直に頷いた。そして思ったのである。やはりこの人は信頼できる御仁だと。
「なあ、局長」
俺は出来る限り表現を選びながら、才原に言った。
「あんたが一族の運命を背負ってるように、俺もまた守りたいものがある。お互い、色々と状況は違うだろうが……まあ、その、なんだ。よろしく頼むぜ」
「ふっ……麻木よ。やはり貴様は思った通り。不器用な男よな」
あの日から今日へ至る4日の間に、才原にも色々と思うところがあったのだろう。俺としては、敢えて詮索はしないでおいた。されど中川恒元の権威を借りて守るべきものを守り、叶えたいものを叶える――この忍者と俺は向かう先が共通していると心の中で頷いていたことは言うまでもない。
それから作業員たちは各々が持参した食事を片手に昼の休息をとり始めたので、俺と才原もまた彼らと共に昼飯を摂ることにした。
「……」
「何だ?」
「……いや、案外普通の飯を食うもんだなと思ってよ。忍者だから兵糧丸を食うのかと思ってたわ」
「そんなものは才原党の先祖の代の話だ。ここまで技術が発展した平成の世に握り飯を食わぬ理由はあるまい」
「まあ、そうだよな」
くだらぬ会話を交わしながら、来る途中に麓のコンビニで買ったホットドッグを頬張っていると――遠くから大声が聞こえた。
「あっ、ありましたーッ!!」
声のする方へ振り向くと、そこには雪の上でガッツポーズを決める中年作業員の姿があった。
「ありました! ありましたよ!」
彼はそう叫ぶと、皆を手招きした。「もしや」と思い俺も近づいて行ってみると、雪に覆われた岩肌から何やら木片のようなものが突き出しているのが見えた。
「これは……」
そう呟いた直後、作業員は雪を払い除けてそれを拾い上げた。それはなんと、巨大な木製の扉のようなものであった。
「……もしかして、この中に以津真天の卵が?」
俺は首を傾げたが、隣の才原は険しい表情を浮かべていた。何か心当たりがあるのだろうか――そんなことを考えていると、彼は言ったのだった。
「持ち去られているな」
「えっ?」
戸惑う俺に才原は言った。
「この扉には開けられた痕跡がある。おそらく、中に入っていた物は既に持ち去られていることだろう」
その扉には錠前らしき物体がぶら下がっていたのだが、よく見るとそれが外されているではないか。
「中に入っていたものが恒元公の探し求める物かどうかは定かではない。しかし、もぬけの殻であることは確かだ」
居並ぶ作業員たちが顔を見合わせ、ざわつく中、俺は扉を開けて中へ入った。岩をくり抜いて作ったと思しき空洞は、奥行きが5メートル程。高さも3メートルほどはあるだろうか。天井からは氷柱のように垂れた石が幾つも垂れ下がっており、それが雪の重みで時折落下しては鈍い音を立てていた。
「ああ。いかにもって雰囲気の空間だな」
俺が呟くと、才原は頷く。
「おそらくな」
俺は周囲を見回してみたのだが、例によって空洞の内部は整然としていた。壁際には何やら棚のようなものが置いてあり、埃まみれの古めかしい書物が何冊も並んでいる。そして最奥には薄らと苔が生えた大きな石碑らしき物体が鎮座し、そこには文字が刻まれている。
「……ええっと。『この壺の封が破られし時、忌まわしき厄災が外へ放たれるであろう』って書いてあるな」
どうやらここで間違いないらしい。
尤も、以津真天の卵が既に持ち去られている以上、ここに用はないのだが――しかし、どうしても気になってしまう。そんな俺の心を見透かしたかのように、局長は言ったのだった。
「奇妙なものだな。戦国乱世の異物を封印したという割には、書いてある文字が現代語だ」
「あんたもそう思うか。やっぱり、以津真天の卵は怪物云々じゃなくて平成に近い時代に造られた兵器なんだろうぜ」
俺はその正体が細菌兵器であると予想した。
旧日本軍が造った恐るべき兵器。その存在を利用し、中川恒元は日本政府と対等に渡り合う気でいるのだろう。
「旧軍の兵器が長らく廃棄されずに山の中で眠ってたってなりゃ、そりゃ政府としては何としても闇に伏せてぇわな。日本が戦時中に大陸で細菌兵器の非人道的な臨床研究をやってた話は都市伝説レベルで通ってる。ここにあったのはおそらく、その時に造られた兵器の一部だ……恒元公はこいつの存在を暴露しねぇ代わりに、政府に言うことを聞かせようと……」
すると、才原が俺の語りを遮った。
「いや、それは違うぞ麻木よ」
「えっ?」
首を傾げる俺に局長は言った。
「恒元公は既に政府機関のほぼ全てを賄賂と要人の醜聞で手懐けておられる。今さら脅しつける必要など無かろう」
「じゃあ、何だ? あの人は『以津真天の卵こそが我輩の権力を絶対的なものとする』とか何とか言ってたが……」
俺がそう尋ねかけると、局長は首を横に振った。
「分からん。だが、これだけは言える」
そして彼はこう続けた。
「恒元公が以津真天の卵を探せと命じられたのは事実だ。ならば、我々がそれを回収する以外に道は無いだろう」
確かにその通りだ。俺たちは頷き合うと、作業員たちに「ここまで付き合ってくれて悪いな」と礼を言って空洞を後にした。
しかし、その途中で才原が言ったのである。
「以津真天の卵かどうかは別として、あの空洞の中にあった物を持ち去ったのが誰か。貴様は分かるか」
まったく。随分とストレートに尋ねてくれるではないか。流石、忍者はオブラートに包むということを知らないらしい。
苦笑しつつも、俺は躊躇いなく答えた。
「湘南龍曜会だ。波木の野郎が謀りやがったんだよ。俺とあんたの注意を引き付けて、その間に持ち去ったんだろう」
波木遼太とその子分たち――彼らは恒元に梯子を外される展開を危ぶんでいた。村雨組との和平の条件として裏切りの逆徒である自分たちを村雨サイドへ差し出すかもしれないと恐れたのだ。尤も、恒元の人間性を考えれば起こり得ぬ話でも無いのだが……つくづく要らぬことをしたものだ。
「今日の工事は湘南の土建屋も手伝ってる。そこは湘南龍曜会のフロントだった店だ。連中に以津真天の卵を発掘させて、波木のガキが自ら俺たちと無駄話をすることで時間を稼いだんだろうよ。まだ高校生だってのに大した狡賢さだよ」
俺が思うに、以津真天の卵の話は輝虎から聞いていたのだろう。輝虎は「いざとなったらそいつをネタに恒元公と話を付ける」とでも波木に漏らしていたのか。何にせよ、持ち帰るべき宝物が部外者の手に渡ったことは由々しき事態と云わざるを得ない。
「麻木よ、どうするつもりだ? きっとあの小童は恒元公に何かしらの要求を迫る腹積もりだぞ?」
しかし、俺は冷静だった。「まあ、奴らも元の領地に戻りたいんだろうよ」と推測を語りつつ、言った。
「大丈夫だ。この工事を湘南の土建屋が手伝い始めた時点で、奴らの動きは読めてたからよ。手は打ってある」
そう得意気に言い終えるのと同時。雪が降る山中の静けさを轟音が切り裂いた。
――ズガァァァン! ズガァァァン!
おお、思ったよりも早かったな。「何だ?」と首を傾げる才原を手招きし、俺は音のした方角へと向かう。
そこには俺の部下が居た。
「次長」
「兄貴」
酒井と原田。2人とも手には拳銃を携えている。そして彼らが見つめる先には2名の射殺体が転がっていた。
他の作業員たちが怯え竦む中、俺は出来の良い部下たちに尋ねる。
「ご苦労だったな。それで波木たちはどこへ逃げたんだ?」
「茅ヶ崎市内の屋敷へ向かい、そこに籠って会長と話をつけるようで。こいつら、あっさり吐きやがりましたよ」
「ふっ、長年のケツモチだったってのに。あっさり裏切るんだな」
酒井が語った情報にほくそ笑む俺に、今度は原田が口を開いた。
「こいつら、龍曜のアホどもが恒元公に何を要求するかまで喋りましたぜ。ざっくりと云っちまえば、波木のガキを理事にしろと」
俺は鼻で笑った。そして言ったのである。
「馬鹿が! そんな話が通る訳ねぇだろうに!」
その失笑はさておき。背中と後頭部に弾丸を浴びた2人の射殺体を眺めながら才原は呟いた。
「目下の者を置き去りに逃げるとは……あの小僧は元より器に非ずというわけか」
かくして以津真天の卵は持ち去られたが、俺が予め部下を配置しておいたことで行き先はすぐに分かった。
しかし、俺が連絡を入れると恒元は『すぐに追わずとも良い』と言った。あろうことか、波木たちとの交渉に応じる用意があるという。
「よろしいのですか? あんな跳ねっ返りと話し合うなんざ?」
『まあ、言いたいことがあるなら聞いてやろうじゃないか。ほんの暇潰しくらいにはなるだろうて」
恒元としては逆徒との交渉に応じてやる義理など端から無いのだろうが、云うに事欠いて暇潰しとは。冷血漢ぶりもここまで極まると一周まわって笑いすらこみ上がってくる。
『ひとまず戻って来い。お前に伝えておきたいことがある』
「承知いたしました。ではこれより帰ります」
現場は才原が後始末を担ってくれるというので、麓に停めてあった車に乗って赤坂へ戻る。湘南龍曜会の連中が茅ヶ崎にて籠城戦を始める気ならすぐにでも攻めかかった方が良いと思うのだが、この辺りは恒元が何か考えているだろうから一旦は棚上げにしておく。
そんなことよりも俺は首都高速を飛ばす帰りの道中、部下二人の顔色が少し浮かなかったことの方が気がかりだった。
「……堪えたか?」
俺が声をかけると運転席の原田はコクンと頷く。
「え、ええ。ちょっと」
兄弟分に呼応するように、助手席の酒井も言葉を漏らす。
「フロントとはいえカタギを殺すことになろうとは。そういうの、あんまりやったことが無かったもんで」
俺はそんな2人を労う。
「まあ、お前らがやったことは間違ってないさ。逆賊を生かしておいちゃ恒元公の名に傷がつく」
そう――酒井と原田は先ほどの作業員を始末したことで動揺していたのだ。勿論、彼らとて殺す気は無かったし、銃を突きつけたのも単に揺さぶりをかけることが目的だったであろう。だが……結果的に彼らは2人のカタギを射殺したのである。
俺が指示したわけではない。彼ら自身の意思による行動だ。話を聞く限りでは、尋問の勢いでうっかり引き金を引いたと思われるが、やはり思うところはあるのだろう。
「……次長。俺は親父から『カタギさんは殺すな』と教えられてきました。カタギあっての極道であり、彼らの営みを守るためにこそ極道が存在しているんだと……でも、今回のことは……」
酒井が何か言い出す前に俺は遮った。
「お前らは恒元公のために悪を討っただけだ。ああいう奴らを生かしておけば後々で必ず恒元公に仇を為してくる。恒元公は、この国の全ての弱者を救うために力を振るおうとされておられるんだ。そいつを邪魔する悪党どもは一人残らず始末しなきゃならねぇぜ」
その一言で安心したのか、原田も頷いた。
「お、俺もそう思います。恒元公のやろうとしていることが何なのかは分かりません……でも、少なくともさっきの奴らは悪党でしかねぇですよね」
兄弟分の言葉を聞いて、酒井もまた同意する。その様子を見た俺は2人の部下に頷きかけた。
「そうだとも。恒元公のために銃を撃つ機会はこれからも多々あるだろうが、そいつは決して悪いことじゃねぇんだ。むしろ良いことさ。何せ、あの人に力を振るって貰わなきゃ俺たちの理想は成せねぇんだからな……だからお前らも、あんまり気に病むんじゃねぇぞ」
滅茶苦茶な論理であることは俺も分かっていた。されど言い聞かせねばならなかったのだ。
彼らの兄貴分として。弱者を救うという裏社会には似合わぬ理想を具現化するべく恒元の力を借りる選択をした男として。
思うところはあるだろうが、今は何も考えずついてきてほしい。
「はい。ありがとうございます、兄貴」
「次長の言うとおりです。これからも俺たち、頑張ります!」
そんな会話を交わしているうちに車は赤坂の邸宅に着いた。俺はすぐさま恒元の執務室へ向かう。
「只今戻りました」
そう声を上げると、恒元は「入っておいで」とだけ言って俺を中へ招いた。俺は一礼してから入室し、扉を閉める。そして彼に伝えた。
「波木の動きは把握済みです。恒元公が要求をお呑みになるまで以津真天の卵と共に屋敷に立て籠もるつもりでしょう」
すると、恒元は頷いた。
「そうか。では、奴らには『新しい御教書をくれてやるから総本部へ来い』と伝えろ。見せしめにはもってこいだろう」
その一言で俺は恒元の目論見を悟った。見せしめ――きっと他の直参組長の居並ぶ広間で波木を惨殺し、自らを裏切った逆徒の末路として皆の瞳に否応なしに焼き付けてやろうとしているのだろう。
「承知いたしました」
俺はそう返事して部屋を辞そうとしたのだが、そこで恒元に呼び止められた。
「おいおい、冗談だろう。涼平。これを見て何とも思わないのかね」
「……それはもう。何も思わぬわけがありません。ただ、適切なリアクションが分かりませんでしたので」
俺が答えると、彼はフッと笑った。
「そうか……まあ、良い」
その態度に俺は底知れぬ悪辣さを感じてしまった。何故なら、暖炉の近くに敷かれたブルーシートの上に、数名の男女と思しき人間の生首のような物体が並べられていたのであるから。
「これは……」
俺は一瞬、恒元が戯れにやった悪趣味な冗談かと疑った。しかし、彼はそれを否定したのである。
「マネキンではない。紛れもなく、本物だぞ。才原党にて反乱を起こした抜け忍どもだ」
そう語る恒元の口調は普段と変わらず穏やかであった。だが……その双眸には底知れぬ怒りの色が宿っているように感じられたのである。
「執事局の人間にやらせたのですか?」
俺が尋ねると、恒元は首を左右に振った。
「才原自身に始末を付けさせた。『逆賊を斬って来い。将来的に逆賊となるかもしれない者も含めて』とな」
「ああ、道理で局長の顔が浮かなかったわけです。跳ねっ返りを討つなら未だしも予防的に殺しておけと言われたら……」
「我輩とて、別に好きで彼らを始末させたわけではない! ただ、奴のやり方はいささか手緩いのだ!」
恒元はそう言ってから俺を真っ直ぐに見据えた。
「涼平。お前は我輩の腹心。そうだな?」
「はい。その通りでございます。俺は会長に忠誠を誓っています」
俺が頷くと、恒元はこう続けたのである。
「……不安なのだ。我輩のような立場になると敵が多くてな。東西南北、全方位を睨んでおらねば息もつけぬ」
どうやら先日の一件は彼を想像以上に疲弊させていた模様。俺は穏やかに言った。
「大丈夫ですよ。何があろうと、局長の忠誠心は揺らいだりしませんから」
現に恒元が突きつけた「忠誠の証に身内を殺せ」という絵踏みをやってのけたわけだし。だが、恒元はこう続けたのである。
「いや、奴に頼らずとも良い」
「は?」
俺が思わず顔を上げると恒元はフッと笑みを浮かべた。そして言うのだ。
「我輩の傍にはお前が居る……そうだろう?」
ああ、そうだとも。この御方が望むなら喜んで人を殺すし、必要とあらば軍勢を相手に大立ち回りを演じることだってやっても良い――全ては、俺自身の願いを叶えるために。
ここで己が為すべきことは分かっていた。俺は主君の方へゆっくり歩み寄ると、その手を握りしめた。
「……ええ」
そして程なくして、彼の誘いに応じた。力強く抱き寄せ、唇を触れ合わせてきた恒元のされるがままとなったのだ。
「んっ……んん」
舌を絡ませてくる恒元に応えつつ、俺は彼の股座に手を伸ばす。そしてそこにぶら下がった一物を優しく揉みしだいた。すると彼はすぐにズボンのファスナーを下げてくれたのである。
「涼平……」
恒元の吐息が熱を帯びているのが分かる。俺はそれを聞くなり、彼の下着の中へ手を差し入れた。そして直にその感触を確かめると……既に硬くなっていたそれの先端から滲み出る汁を指に絡め、そのまま扱いてゆく。
「あっ……はぁ……」
恒元の息遣いが荒くなる。俺はその反応に満足しつつ、彼の下着を脱がせにかかった。そして露わになった一物を口に含むと、彼は一層大きな声を漏らしたのだった。
「ああっ! 涼平!」
俺は舌を動かしつつ、頭を動かしてゆく。すると恒元は魔獣のごとく興奮し、俺の口の中に大量の白濁液を放出した。俺はそれを一滴残らず飲み込み、彼の一物から口を離す。
「はぁ……はぁ……」
恒元は俺の頭を優しく撫でてくれた。そして俺が顔を上げると、彼はその耳元で囁いたのである。
「涼平よ。お前だけは我輩の傍に居てくれ。ずっと。ずっとだ」
その震えた声色を耳にした時、俺は思わず失笑を吹き出しそうになったが必死に堪えた。そして微笑みながら言ったのだ。
「……ええ」
それから暫く情事に耽った後、ふと恒元は俺に尋ねてきた。
「時に涼平。お前は何か欲しい物はあるか?」
「欲しいもの……ですか」
俺は思わず首を傾げた。すると恒元はこう続ける。
「そうだ、お前自身の望みだ。金か? 女か? それとも地位か?」
直球な質問だなと俺は思った。要するに、恒元は俺の心を繋ぎ止めようとあれこれ思案しているわけだ。だが生憎、俺の答えは決まっている。
「……金も、女も、地位も、相応のものを頂いておりますからこれ以上は何も申しません。ただ、強いて言うなら恒元公にこの国をより良い方向へ導いて頂きたく思います」
そう答えるなり、恒元の顔色がサッと変わった。
「ふむ……面白いことを言うじゃないか。より良い方向とは? お前は政治について何と考えているのだ?」
「弱者の救済でございます。そのためには、恒元公のような力ある御方のご叡智が不可欠でございまして」
「ああ。弱者の救済か。しかし、それは理想論だ」
恒元はそう吐き捨てた。俺は穏やかに反論する。
「確かに理想ではありますが……それでもやらねばなりません。この国には救いを求める者たちが大勢居るのです」
「それは分かるが、全ての貧しき者どもに飯を食わせてやれるほどこの国は富んでおらぬぞ。だが、お前がそこまで言うなら考える価値はあるな。ふふっ」
そう言ってから彼は再び俺の身体を弄り始めたのである。そしてこう続けたのだ。
「今、この国は一部の強者だけが富を独占する仕組みになっている。弱き者はただ奪われ、虐げられ……やがては死ぬだけだ」
「ええ。その通りです。ですが、恒元公には、その現状を打破するお力があると俺は思うのです」
俺が答えると恒元は頷いた。
「その通りだが、我輩の力は未だ完全ではない」
「……以津真天の卵が手に入っていないから?」
俺が思わず尋ねると彼は答えたのである。
「ああ。あれさえあれば我輩は万物を統べることができよう。組織に横槍を入れる不埒な政治家どもとて一捻りだ」
少しばかり口惜しそうに言った後、恒元は思いがけぬ単語を口走った。それは人名であった。
「賀茂欣滔」
「えっ?」
「奴は才原党の抜け忍を焚き付け、反乱に見せかけて我輩を殺そうとした。例え殺せずとも、我輩が錯乱するよう仕向けたのだ。怒りの矛先を義輝に向けさせ、あいつと仲違いさせるためにな」
どうやら独自の人脈を用いて先日の一件について調べたらしい。よもや与党の幹事長が黒幕だったとは。
俺はただ、頷くだけだった。
「……承知いたしました」
そんな俺に恒元は言うのだった。
「奴に我輩と同じ恐怖を味わわせてやれ。この我輩を敵に回したことを後悔させてやるのだ」
その目は本気だった。ここで「賀茂が黒幕だとする根拠は?」などという無粋なことは尋ねない。もはや、今の俺にとっては些末事だからだ。
中川恒元の権力を盤石なものとするために、危うき存在は排除する。目指すは、彼の力を利用して宿願を叶えること。ただ、それだけだ。
「しかし、組織を率いるのも楽ではないな」
「ええ、確かに」
「涼平よ、お前は如何なる軍勢をも思うままに動かす用兵術を知っているかね」
「……さあ」
「絹を着た捨て駒に育てることだ。もっともらしい特権意識を植え付け、自分たちは選ばれし特別な存在だと思い込ませる。さすれば忠実な下僕として動いてくれる」
「なるほど。それが権力というわけですね」
俺の返事に満足した恒元は股間を弄ぶ手に力を込める。厭わしい感覚が続く中、ただただ夜は黒く染まってゆくのであった。
ついに語られた黒幕の正体……しかし、誰であろうと涼平は引き金を引く。ただ、己の理想を遂げるために。次回、中川恒元が玉座に就く!




