バレンタイン・クーデタ―
古めかしい耽美と退廃が同居した空間に驚愕の声が響く。声の主は変わることはない、俺自身だ。
「ど、どういうことですか会長!? 俺を理事にとは!?」
麻木涼平を中川会の理事に――先ほど、確かに中川恒元はそう言ったのだ。突然のことで思考が追い付かないが、これだけは分かる。
相応に非ず。あまりにも突飛で理解し難き人事である。
恒元が急転直下の思い付きで周囲を振り回すことは今に始まったことではないが、今回ばかりは流石に度が過ぎている。
「どういうつもりで仰ったか、お聞かせ願えますか!?」
俺がそう尋ねると恒元は微笑みながら答えた。
「無論、そのつもりだよ」
そして彼はこう続けるのである。
「遠い異国から日本へ帰ってより今日に至るまで、お前はよく働いてくれた。それに見合った地位を与えるのは当然のことだ」
確かに俺は中川会執事局次長、そして恒元の側近として様々な仕事をしてきた。しかし、である。
「ですが、俺はまだ23歳ですよ!? 組織の幹部を担うには若すぎるんじゃないですか!?」
「謙遜するな。お前はすでに中川会の執事局次長として、その地位に恥じぬ働きをしてきたではないか」
「っ……」
俺は言葉に詰まった。確かにそうだ。
暗殺の陰謀から恒元を救い、彼の云うがままに抗争の戦地へと出陣して敵を討ち、数々の武勲を打ち立ててきた。
だが、それはあくまで「中川恒元の片腕」という立場の中での話である。組織が絡むと話は別だ。
「……恩賞にしても少々大袈裟だと思うのですが」
すると俺がそこまで言いかけたところで恒元が笑顔で遮った。
「ふっ、何が大袈裟か。お前は井桁久武を討ち取ったではないか。あのおかげ中川会は九州へ楔を打ち込むことができたのだぞ」
俺は勿論、議場に居並ぶ幹部連中も唖然とする中、恒元はさらに言葉を続けた。
「それにな、お前に理事の地位を与えるのは組織のためでもあるのだ。お前にはこれから先、他所との折衝や交渉を担ってもらう。組織の外交を一手に仕切る者が無冠の地位にあっては、相手がそもそも聞く耳を持つまいて」
俺は腰が抜けそうだった。俗に云う「身に余る栄誉」とはまさにこのこと。もはや思考はパンク寸前であった。
「い、一手に仕切るだなんて……」
理事に就任させるというだけでも驚天動地であるのに、その上でさらなる大役を与えようとは。
「力量は勿論、今までの功績も申し分ない。井桁久武討伐の恩賞もくれてやっていなかったことだし、丁度良いだろう」
確かに俺は組織のために働き、その見返りとして報酬を得てきたが、それらはあくまで金銭や休暇といった方式での支給だった。
その恩賞に理事就任という破格のものが付されるとは誰が予想できるだろうか。先ほども恒元に言った通り、俺はまだ23歳の若人なのである。
「でっ……ですが……」
俺はなおも食い下がろうとしたが、恒元はそれを許さなかった。彼は俺の言葉を遮るように声を張るとこう続けたのである。
「涼平よ! お前はこの中川会に無くてはならぬ存在なのだ!」
そして皆に言い放つ。
「良いか、これは既定事項だ! 異を唱えることは許さぬぞ!」
彼らは顔を見合わせていたが、やがて一様に「ははーっ」と頭を下げた。
「……」
俺は言葉を失ったまま、ただその場に立ち尽くす他なかった。そんな俺を尻目に恒元はこう続けるのである。
「では、これをもって新理事の陣容は決定とする」
こうして理事会は終わった。恒元が退出した後で幹部たちも続々と帰路に就くのだが、無論のこと穏やかな時間が流れるわけがない。
「クソがっ! 何であの若造を理事に!」
「たまたま事が起こった現場に居合わせたから武功にありつけたってだけで、所詮は会長に掘られてるだけの男娼じゃねぇか! チンピラ以下のくせに!」
「恒元公の気が知れねぇ! 年老いて頭がおかしくなったんじゃねぇのか!」
廊下を歩きながら、続々と不満で声を荒げる彼ら。まあ、おそらくは敢えて聞こえるように言っていたのだろう。
元傭兵の俺は耳が良い。東欧の戦地で鍛えられた俺の聴力は親分衆の怒声を微塵も漏らさず感じ取ったのであった。
「……」
浮かない顔で執務室へ赴くと、理事会出席を終えた恒元が室内中央のソファに寝転がっていた。彼はすぐさま俺の表情で全てを悟る。
「まあ、気に病むな。奴らとて文句があろうと我輩には逆らえんのだ。そのうち言い飽きるさ。放っておこうじゃないか」
異を唱えることは許さないと言ってのけたが、陰で不平不満を吐くことは黙認するらしい。謂わばガス抜きというやつか。
「……っ」
俺は唇を噛み締めた。そんな俺を尻目に恒元はこう続けるのである。
「あまり肩の力を入れんで良いぞ。理事になると云っても仕事は今まで通り。我輩の護衛と本家直轄地の管理および経営。そこに理事会での発言権が追加されたと考えれば良い」
今まで俺は総本部にて開催された全ての理事会に立ち会ってきたが、それはあくまで恒元の護衛としての出席であった。ゆえに発言することは無く、進行する議事をただただ黙って見守るだけ。まあ、あの場でのディスカッションに参画できるようになることは得だが……それ以上に俺にとっては損の方が大きいように思える。
「しかし、会長? 俺は執事局の次長ですよ。局長を理事にするならともかく、何故に俺を? 直参の組長でもないんですよ」
俺の疑問に恒元は、にこやかに返答した。
「まあ、確かに初代と二代目の体制下で直参組長の地位にない者が理事になった例は無いが……問題あるまい。前例が無いなら我輩が作ってやるまでだよ」
俺は息を呑んだ。同時に、この男が考えていることを薄らと理解した。
「……旧体制の破壊と革新。それをおやりになることで会長はご自身のお力を絶対的なものにできると」
「あははっ、流石は涼平。鋭いね」
ますます頬を緩めて「その通りだよ」と答えた後、恒元は得意気に続けるのであった。
「我輩は中川会の三代目。父が開き、兄が発展させた組織を次代へと繋ぐ継承者……だが、一方で創始者であるとも考えている。この我輩が新たな秩序を創世するのだ。博徒どもの『王』としてな。そのためには先代以前が定めた伝統や慣習などを刷新せねばならないのだよ」
その一言で俺は全てを悟った。今回の衝撃人事の目的は、単に理事会に新たな風を吹かせることだけではない。
自らの意思こそが中川会という組織――ひいては関東裏社会、ゆくゆくは日本の裏社会において唯一絶対の理になるものであると内外に知らしめるパフォーマンスなのだ。
「……そうですか。それで、単なる護衛に過ぎない俺を幹部へ昇格させるわけですか」
「謙遜してくれるなと言っているだろう。地位を賜るに見合う功績は十分に立てているのだから」
「ですが、皆が納得するかは分かりませんよ。篁理事長や門谷補佐は勿論、桜井や本庄だって何を言い出すか」
「まあ、文句が出たら捻じ伏せれば良いだけの話だ。我輩に逆らうものには滅びの道しか無いとお前が教えてやれ」
「はい。承知してます」
されども俺には既得層から反発以外に、ひとつの気がかりがあった。
「局長はどうなさるおつもりで? 俺が理事になるんだったら、局長も理事にならないと釣り合わんのでは?」
俺の上司にあたる執事局の局長、才原嘉門は立場的には直参組長と同格の扱いだが、俺と同じく理事会での発言は許されていなかった。
今回の人事で俺が幹部の椅子に座ってしまうと、組織内において俺が彼より上の席次になってしまう事態を招く――それは色々とまずいだろうと思っていたのだ。
しかしながら、恒元の返答は単純明快だった。
「あれに幹部の肩書きなんぞ似合わんだろう。才原はこれまで通り我輩の護衛に専念させる。奴の一族も含めてな」
反論しても詮なきことであると分かっていたので「分かりました」と応じるしかない俺だったが、恒元の考える内容は全て理解した。
極星連合との停戦協議が失敗に終わって以来、恒元は才原を始めとする才原党の連中を快く思わなくなっている。
彼らが秋田での調略工作を成功し損じたことが余程の衝撃であったらしい。まあ、戦国時代から百発百中の任務成功率を誇ってきた忍びの一族が「しくじった」というのだ。彼らの裏切りや逆心を可能性として考えるのは当然のことだと云えよう。
そうした状況下で敢えて摩擦を生むような人事を決めたのは、才原局長に対する牽制の意味合いもあるのだろう。
云ってしまえば「嫌がらせ」であり、考え方によっては「ペナルティ」とも感じられる。これから先、俺が奴と競り合うような展開を恒元は夢見ているのだろうか。
叛意を起こしてもおかしくはない部下であっても、能力が高いなら容易には切り捨てず、飼い殺しの状態で手元に繋いでおく。この恒元の組織統制術が果たして吉と出るか、凶と出るか、俺は気になって仕方がなかった。
「さて、我輩は少し昼寝をする。お前も休むと良いぞ。午後からの予定は言ってあったな?」
「ええ。和泉官房長官とのゴルフのご予定でしたよね。承知しております」
恭しく「それではごゆっくりお休みください」と頭を下げ、執務室を出る俺。その際、入り口で守衛を担う部下たちに声をかけられた。
「次長! ご昇格おめでとうございます!」
そんな彼らに「ああ……」と少々素っ気ない返事をする俺だが、頭の中は懸案事項で溢れ返っていた。何にしたって、これから先が見通せなさすぎる。
俺が幹部に就任することで生じる旧御七卿の親分衆との摩擦は、俺の意地と恒元の威光次第でどうとでも片が付くから問題ではない。
だが、執事局はどうなるのだ?
現状、中川会執事局は局長の才原率いる才原党と、次長の俺とその助勤たちとが協力し合う形で運営されている。
才原党が屋敷の中庭や周辺の哨戒を担い、俺と助勤連中が恒元の身の回りの世話を「執事」として担う、分担制だ。
ベースボールで喩えれば外野の守備が才原党、内野の守備を俺たちが任されるようなもの。俺や次長助勤のメンバーは会長に密着して護衛する都合上、常に行動を共にする。一方で才原党は普段は姿を隠し、秘密裏に敵勢力の総本部敷地討ち入りの阻止や刺客の迎撃を行う。
棟梁の才原以外、全ての構成員たちが雲隠れしている才原党。顔や姿が表に露出していない分、恒元が彼らの逆心を恐れるのは自然な流れだ。
もし、今後俺たちと才原党の間に対立が生じたら――そうまでは至らずとも、少なからず今般の人事により、俺たちと才原党との関係性は変化を迎えることになる。それが良いか悪いかは別として、少なくとも俺の心中には複雑な思いが渦巻いていたのだった。
それから俺は華鈴の店へ出かけた。時刻は正午丁度。昼飯にはもってこいだろう。
「はい、涼平。今日はバレンタインだよ」
カウンタ―席に腰かけるなり、彼女から差し出されたのはハート形のチョコレートだった。
「ありがとう、華鈴」
俺は礼を言ってそれを受け取ると、早速包装を剥がす。中には一口サイズのトリュフが四つ入っていた。
「うん、美味いな」
一粒口に入れた俺が感想を述べると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。そしてこう続けるのである。
「そりゃあ美味しいよ。だってそのチョコは、あたしの愛を込めておいたものだもん」
そんな歯の浮くような台詞に俺は苦笑で返すしかない。しかし、そんな会話こそが何より愛おしく、そして何より幸せだ。
「……ありがとな。華鈴」
「何よ、あたしたちは恋人同士じゃん。お礼なんて良いのに」
「それでも、だ。本当に感謝しているんだ」
俺は彼女の目を見つめながらそう告げた。すると華鈴は頬を赤らめながらこう返すのである。
「……もうっ! 涼平ったら!」
そんな俺たちのやり取りを傍から見ていたカウンタ―席の常連客が茶化すように言った。
「お熱いねぇ! お二人さんよぅ!」
それに釣られて昼食に訪れていた他の客たちも笑い出すが、俺たちは至って真剣である。
「……っ」
「あははっ! 涼平ったら照れちゃって!」
華鈴は笑うが、俺は至って真面目に言っているつもりだ。そんな俺に対して彼女は言うのである。
「……あたしも感謝してるよ。幸せな時間を作ってくれた。こうして好きな人と一緒にいられるのって幸せじゃない?」
そんな彼女の一言に俺は思わずドキッとしてしまった。そして思うのだ――やはりこの娘には敵わないな、と。
それからしばらく談笑した後、ナポリタンを食べ終えた他の客が話題が組織のことへと及んだ。ふと、フォークを持つ俺の手が止まる。
「まったく……会長も人が悪いぜ。何でまた、いちいち角が立つような人事にしちまうのかねぇ……」
ため息をつく俺に華鈴は穏やかに言った。
「でも、良かったじゃん。理事って云ったら幹部なんでしょう? 大出世じゃん」
「……けどよ、俺は別に出世したかったわけじゃねぇんだ」
「涼平は嬉しくないの?」
「力が増すのは嬉しいことだ。けど、それで周囲と軋轢が増えるのは困る。世話になった局長に嫌な思いをさせちまうのもな」
「そっか。涼平らしいね」
俺が帰国して今の地位に就いた折、才原は助言をくれた。そのおかげで俺は鍛錬に励み、武術家として新たな境地へ辿り着くことができた。
謂わば恩人である。それ以外にも深い理由があった。
彼女にコクンと頷き、俺は言った。
「力を欲するのは人の世の理不尽に虐げられる人らを救うためだってのに。その俺が理不尽を作ってどうするんだって話じゃねぇか」
稼業の男としては、つくづく甘い理想論かもしれないが――華鈴は優しく応じてくれた。
「やっぱり優しいな。涼平って」
そして彼女は言うのだった。
「でもさ、こうも考えられるじゃん。いずれ涼平が力を得れば、今回のことで傷ついた人たちにも恵みをもたらすことができるって」
「……」
「だからって言い方は変かもしれないけど。このまま歩き続けて良いと思うよ。力を得るためには、へんちくりんでもあの会長の言うことに従うしかないわけだしさ」
その台詞を聞いた途端、胸のつかえが一気に解消される心地がした。それは単に華鈴の言葉が優しく、耳触りの良いものだったからではない。
俺が心の奥底で思っていた内容と、全く同じであったからだ。華鈴が自分の抱いていた解釈と全く同じことを言ってくれたのが嬉しかった、客観的に云えばそんなところであろうか。
「……ありがとな。やっぱりお前に話して正解だったぜ。華鈴」
「もうっ……またそんな恥ずかしい台詞を……」
彼女は頬を赤らめながらも嬉しそうに微笑んでいた。そしてこう続けるのである。
「……でもさ、あたしはちょっと安心したよ」
「安心? 何がだ?」
「いやね……涼平があたしのために頑張ってくれてることは分かってるし、そのおかげであたしもすごく幸せだよ。でもさ、ちょっと変な方向に行っちゃうんじゃないかって思ってたんだよね」
「変な方向?」
「……会長の側に仕えてるわけだからさ。あの人に影響されて、涼平も悪い人になっちゃうんじゃないかって。それが今の涼平の話で確信した。涼平は涼平のままなんだって。これからも優しい涼平のままなんだって」
「ああ、そういうことか。それは心配ないぜ。俺は俺だ」
俺の返答に、華鈴はどこか安堵したように微笑んだ。そして彼女はこう続けるのである。
「うん、そうだね。あたしはそんな涼平を好きになったんだもんね」
「俺もさ、お前が俺を好いてくれる気持ちを裏切ったりはしねぇよ。絶対にな」
それから俺は昼食のナポリタンを食べ終え、午後の一時をカフェで楽しく過ごした後で店を出たのだった。
さて、午後の予定はゴルフである。
中川一族御用達のコースと云えば奥多摩カントリークラブなのだが、この場に恒元が赴くのはおよそ1年ぶりのことだった。
2004年の秋に藤城琴音や和泉官房長官とのプレイを楽しんで以来の来訪となる。今回もメンバーはほぼ同じだ。
「ナイスショット! 腕を上げたじゃないか、義輝!」
恒元の歓声に和泉は目を細める。
「ありがとう。君に馬鹿にされんよう、多忙な中でも練習場に通った甲斐があったよ」
嬉しそうにクラブをキャディーの女性に預けた和泉は「それにしても……」と話題を変えた。
「藤城社長が来ないのは残念だね。色々と打ち合わせたいことがあったのに」
「断られるのも無理ないよ。老い先短い老人の楽しみには付き合ってられんのだろう」
「おいおい恒元、僕はまだ58歳だぞ。今年で65歳にもなる君と同列に扱われるのは心外だね」
「似たようなものじゃないか。四捨五入すれば58歳でも老人だ」
そんな恒元の言葉に和泉は苦笑いするばかりである。
「……近頃になって自分の老いを感じるシチュエーションが増えてきた身としては耳が痛いな。しかし、その台詞はそっくりそのままお返しするよ」
「ふんっ。相変わらず減らず口をたたく男よ」
そうこうしているうちにキャディーが戻って来て、俺たちにクラブを手渡す。プレイ再開だ。
「では、失礼します」
アイアンを握った俺は深呼吸をしてクラブを振り上げる。そして渾身の一打を叩き込む。
「ナイスショット!」
俺の打った球はグリーンの手前でワンクッションし、そのままカップへと吸い込まれていった。
「良かった……2号ホールもバーディか……」
俺はガッツポーズを決め込み、次のホールへと向かったのだった。
そんな調子で俺たちは順調にスコアを伸ばしていく。和泉官房長官と恒元が共に90で回る中、俺は1つだけボギーを叩きながらも2つのパーをセーブしてトータル104という好スコアをマークした。
そして迎えた最終ホール。雑談の中で恒元がふと和泉に尋ねた。
「ところで義輝。秋の総裁選はどうするのだね」
「……それは私に『出てくれ』という意味かな? それとも『出ないでくれ』という意味かな?」
「どっちでも良い。ただ、ソルボンヌ大学以来の友人が出るのに応援しない理由が無いだろう」
和泉はゴルフクラブをキャディーに預けると、伸びをしてからこう答えた。
「そのつもりは無いよ。僕はね、恒元……」
「そうか。では君は次の総裁選には出馬しないのだな?」
「……うん? ああ……」
和泉が何か言いたげな様子で口籠ったので俺は腹の内を訝しんだ。
この男が次期総理の座を狙っていることは新聞やテレビ、ゴシップ誌でもだいぶ前から話題に上っている。祖父、父とそれぞれ首相を務めた名門一族の当主であるのに、内閣のナンバー2たる官房長官まで昇っておいて総理の椅子が欲しくならないわけが無い。
あまり早くから恒元に出馬を示唆すると要らぬ借りを作ることになるから現状は適当に茶を濁し、季節が秋になったら翻意した風を装って出馬と協力を頼む算段か――そう考えた俺であったが、和泉の口から続いた次なる言葉に驚かされる。
「……ここだけの話だが、僕としては小柳総理に次期も首相をやって貰いたいと思っているんだ」
その発言に恒元は目を丸くした。
「何だって?」
国政与党、自由憲政党規約における総裁任期は3年。連続当選の回数に縛りはあるが、前総裁の辞任に伴い任期途中に行われた臨時の総裁選で当選し就任した場合は除外されるため、一人につき最大で3回まで総裁選で当選できることになっている。
現任の小柳紳一郎首相は1999年に失言により辞任した林學前首相に代わって登板し、翌2000年、2003年と連続で当選した。従って、既に3回当選している小柳首相はその年の秋の総裁選には出馬できず、いわゆる「ポスト小柳」が注目されていた。
俺の予想では、総裁選は強力なリーダーシップで現内閣を牽引してきた和泉官房長官か、若手ホープとして保守層から熱狂的な支持を集める賀茂幹事長の一騎打ちになると踏んでいた。ところが、和泉の話ではどうにも違うようだ。それも奇想天外が策謀がめぐらされているようだった。
「今年の梅雨明けまでをめどに総理は党規約の改正を行い、総裁の連続当選規定を撤廃するつもりだ」
何と、今年の秋以降も総裁選に出馬できるよう計らい、翌年、翌々年と総理の座に居座り続けようというのである。
「ふむ……それはまた、随分と思いきったことを……」
恒元の反応に和泉は「ああ」と頷き、こう続けた。
「ゴシップ誌に『暴君』と書かれる理由が窺えるくらい、無茶苦茶な話だろう。だが、僕は次の総裁選には小柳総理に出馬して貰いたいと思っているんだ」
「総理の党内工作に協力するというのか。しかし、それは……」
恒元が言い淀むのも無理はないだろう。この発言は和泉の進退に関わる問題であるからだ。もし彼が総理の座を熱望しているなら、小柳の策謀は本意なものではないはずなのだ。
だが、一方で俺は思うのだ。この和泉義輝という政治家は老獪な御仁、ただで譲歩を呑むような男ではないと。
予想通り、和泉はこんな思惑を持っていた。
「小柳さんは今年で70歳だから、次の総裁選の時には隠居も視野に入る齢になっているはずだ。今回、僕が総理に機会を譲ることで3年後の林派を囲い込めると考えたら安いものだろう」
林派とは自憲党における派閥で林前首相が率いており、小柳首相も属している党内の最大勢力。彼らを味方に付けるため、和泉は敢えて小柳内閣の存続に力を貸すのだとか。
「そこでだ、恒元。君に協力してもらいたいのだが」
「何だ? 『党規約の改正に必ずや異を唱えるであろう賀茂を殺せ』とでも言うのか?」
「ふふっ、流石は僕と長年のツーカーの仲だけのことはあるね。だが、始末して貰いたいのは賀茂じゃない」
ニヤリと笑った後、和泉は言った。
「岩田先生だ」
その発言に恒元は眉根を寄せる。
「何だと?」
今年に入ってから新聞や書籍を読み漁り、政界の情勢把握に励んでいた俺もまたリアクションは同じ。
「えっ!?」
和泉の云う岩田先生とは90年代に大蔵大臣や通産大臣を歴任した岩田重喜のこと。現在は第一線を退いて名誉職の副総裁の地位にあり、党の派閥のひとつである岩田派の領袖となっていた。この岩田派には他でもない、和泉官房長官が属していたはずだったのだが……。
「まあ、岩田先生はうるさくてね。二言目には僕に『総裁選に出ろ』と鬱陶しくて仕方ない。あの老人にはそろそろ消えて貰いたいんだ」
「待て、義輝。仲の拗れ云々はさておき、将来的な君の総裁選での勝利にとって必要不可欠な人物のはずだ。そのキーマンを……しかも派閥の領袖を他でもない君自身が暗殺するなどと……正気か?」
「ああ、もちろんさ」
和泉は平然と答え、苦笑を浮かべながら続けるのである。
「岩田先生は僕が今年の総裁選に出ないなら派閥から追い出すと言ってきている。来年には参院選も控えてることだし、出るのは今じゃないというのに」
出て負ければキャリアに傷が付くが、出なければ無傷でいられる。政治家の論理というものは、つくづく分からない。
理由は他にもあった。
「それに、岩田先生が殺されたら岩田派は僕が引き継いで『和泉派』になる。あの派閥を僕が完全掌握して、さらには林派の勢力を囲い込めたら3年後の総裁選はまず負けないだろう。どうだい? 素敵なプランだとは思わないかい?」
得意気に語ってのけた和泉。その顔は国政の中核で采配を振るう官房長官として日頃のニュース番組で見せるものとは大いに異なっていた。
野心に狂った、まるで悪魔のような形相であった。
「義輝……君という男は……」
恒元もこれには言葉を失い呆れ果てたが、特に非難することは無かった。むしろ、少しばかりの共感すら抱いているようにも見えた。
この男もこの男で、狂っているのだ。
「まあ、そういうわけだから」
和泉は話を切り上げると、俺に向かってこんな提案をしてきたのである。
「麻木君、今日は付き合って貰ってすまなかったね。組織の幹部になると聞いたぞ。これからも恒元を支えてやってくれたまえ。よろしくね」
俺はその言葉にすぐさま頭を下げた。
「はい」
それから恒元と和泉は最終ホールを回ったのだが、俺はそんな二人の間に一昨年よりも溝が生じているように感じていた。
元傭兵の人間観察眼というものは良くも悪くも冴えている。終了後、都心へ戻るリムジンに乗ったところで恒元が呟いた。
「義輝め。少々、調子に乗っておるようだな」
それ以上は官房長官についての悪口を連ねなかったが恒元だが、その一言に彼の意向が全て集約されているような気がした。
「……会長はどうなさるおつもりで?」
「岩田は中川会にも富をもたらしてくれるから、そう易々とは殺せんよ」
「では、和泉官房長官の話はお断りになるのですか?」
「無論だ。そもそも我輩はあの男を総理の椅子に座らせるつもりなど無い」
そう云い、恒元は葉巻に火を付ける。そして窓の外を眺めながら苦々しい表情で続ける。
「あの男は己が我輩と同格だと思っているが、それは間違いだ。我輩の方が上であり、奴は傀儡に過ぎぬ。その分を忘れて中川会と対等に接する、あるいは私兵のごとく使うなど言語道断。今のところは大目に見てやるが、もし岩田の排除を奴が急かしてくるようなら……その時は教えてやらねばなるまいな。己の身の程というものを。我輩の力というものを」
静かな口調であったが、その瞳は激しい怒りと憎悪に燃えている。隣に座る俺が思わず身震いするほどに凄まじく、やがて主君の全身から闘気が放出されていることに気付くまでに時間はかからなかった。
そんな恒元は「しかし、涼平」と俺の方に顔を向けてくる。
「お前は我輩の忠実な部下だ。これからもよろしく頼むよ」
「……はい。承知しております」
俺はそう答えながら、この会長は和泉を本当に殺すつもりなのだろうかと疑問を抱いたのだった。
多摩から都内へ戻ったのが夕方の18時。一般的には仕事を終えて家路につく時間帯であろうが、俺たちは違う。
稼業の男に定時は無い。時間や都合に関係なく、血生臭い展開というものは訪れる。ましてや暗黒の帝王の側近ともなれば振って湧いたりもする。
この日、総本部へ戻った俺と恒元を待っていたのは部下からのため息が出る業務連絡だった。
「会長。例の橋川の野郎、やっぱり中国人と繋がってました」
探索に出していた酒井と原田からの連絡を聞いた俺は、すぐさま恒元に伝える。会長は失笑を漏らすだけだった。
「奴は我輩が恐ろしくはないようだな。愚かなことだ」
恒元が呆れ果てるのも道理である。先月、彼は全直参に向けて「海外勢力と交際しないように」と達する御教を出していた。
これは昨年の銀座継承戦争において輝虎方が頼った中国系マフィア『狗魔』が中川会との和平に応じなかったことが関係している。敵意を隠そうとしないのは中国系だけに限らず、ロシア系、タイ系、フィリピン系といった連中もまた俺たちに牙を剥く勢い。ゆえに傘下組織が下手に彼らと関われば抱き込まれるだろうと考え、恒元は手を打ったというわけだ。
「煌王と内通してるかと思ったら、よりにもよって中国人とつるんでやがったとは驚きました。どうなさいます?」
「折を見て粛清する。橋川め、櫨山重頼の末路を脳裏に焼き付けておらなんだようだな」
舌打ちと共に吐いて捨てた恒元。されども易々と「では、殺して来い」とは命令しなかった。
「橋川めは中川会でも古参の域に入る本家譜代。奴の人脈を潰してしまうのは惜しいな」
「それは困りますね。では……どうなさいます?」
俺はそう尋ねつつ恒元に資料を手渡す。そこには俺が酒井と原田に命じて行った調査の結果が記されていた。
「橋川は最近になって御徒町で中国人クラブを経営しているようですが……」
「ふむ、これは使えるかもしれんな」
恒元はニヤリと笑うと、さらにふと何かを思い出したように尋ねてきた。
「橋川には男子が生まれなかったようだな」
「ええ、そんなわけで婿養子を迎えたとか」
「それで執事局に人を寄越すのを躊躇ったというわけか……くくっ」
妙案を思いついたがごとく微笑む恒元であったが、俺は詳細を訊くことはしなかった。如何に残虐かつ凄惨なやり方を申し付けられようと俺は……いや、俺たちは淡々とこなすだけだ。
それこそが会長直属の戦力にして親衛隊たる執事局の存在意義なのだから。
「……では。俺はこれで」
「待ちたまえ。今日は寒いからな」
「えっ?」
「背中を流してやろう」
戸惑う俺だったが、会長に云われるがままに移動する。総本部の中央に位置する屋敷、中川恒元の住居スペースの風呂場だ。
「……」
着ていたゴルフウェアを脱がされ、全裸になった俺。その背後から恒元が俺を抱きしめてくる。
「ああ……愛しい涼平……食べてしまいたいくらいだよ……」
そう云って彼は首筋をペロペロと舐め始める。この国のフィクサーになっても男色趣味は相変わらずか。
稚児や男娼たちを囲って侍らせるのではなく、俺ひとりを好むから困ったものだ。されど拒めないのでされるがままだ。
「……はあっ」
「おお、気持ち良いのか。快楽に素直なところもまた可愛い。さあ、汗を流そう。我輩に身を委ねておれ。ずっとな」
恒元はシャワーのコックを捻り、俺を抱きしめたまま熱い湯を浴び始める。俺は恐縮するばかりだったが、そんな俺の様子を笑いながら恒元は言った。
「なあ、涼平よ」
「はい?」
「お前もこの世界に入って長いのだ。そろそろ刺青を入れたいとは思ったりはせんか」
刺青――稼業の男が背中に彫る紋章のようなもので、その形状や位置によって様々な意味を持つ。龍や鳳凰、虎や獅子といった強くて格好良い印象の獣がポピュラーで、人によっては仁王や水天といった仏教の化身を彫り込む場合もあるとか。
「いえ……俺はまだ……」
今まで考えたことも無かったので、そう答える他なかった。
思えばこれまでに出会ってきた豪傑たちは多種多様な刺青を背中に刻んでいたものだ。村雨耀介は龍、眞行路高虎は虎、そして俺の父、麻木光寿は……?
幼い頃の記憶を想起しようとしていると、先回りするかのように恒元が言った。
「そうか、それを聞いて安心したぞ。お前の父親は獅子の刺青を入れていたな」
川崎の獅子。それが親父の裏社会における異名であった。まさに読んで字のごとくというやつか。
「獅子を……」
ああ、思い出したぞ。子供の頃、親父と一緒に風呂に入った際、背中に彫られた見事な彫り物を目にして『父ちゃん、これ何?』と尋ねたことがあった。
すると親父は『獅子だよ』と嬉しそうに答えてくれた。そしてこうも続けてきた気がする。
『リョウも大人になって、こっちの世界に入ることがあったら、その時は父ちゃんがカッコいいのを彫ってやるからな』
そんな会話をした記憶がある。しかし、その約束が果たされることはなかった。俺が中学に上がるよりも前に親父は死んだからだ。今になって思うと「酔って歩道橋の階段から足を滑らせた」という最期についてはクエスチョンが残るが……まあ、それは良いだろう。
今は恒元との会話に集中するべきなのだ。
「……俺はどんなやつを彫れば良いと思いますか」
「いやいや、刺青はいかんよ」
「えっ!?」
意外な答えに素っ頓狂な声を上げた俺に恒元は言った。
「あんなものは日本独特の恥ずべき文化であって、海外のマフィアやギャングには見られない。刺青など入れたところで何の役にも立たんよ」
「はあ……」
「我輩はな、涼平。お前の綺麗な背中に墨を入れるなんてまっぴら御免なのだ。我輩は美しいものが好きだ。ずっと美しいままでいるのだよ。分かったね」
俺の背中に触れる恒元の腕に力が込められるのが分かった。
「お前を抱く男は永遠に我輩だけだ。他の誰にも渡さぬぞ」
「分かりました。会長……」
俺は思わず苦笑するしかなかったが、同時に喜ばしくもあった。暗黒の帝王にここまで愛されているのだ。
このまま忠実なる下僕を演じ続ければ、いずれ恒元は俺の言葉は何でも聞いてくれるようになるだろう。さすれば、俺と華鈴の夢も叶えられるというものだ。
全ての寄る辺なき人々を救うという、果てしない夢を――そう考えていると、唇が奪われた。恒元が接吻を仕掛けてきたのだ。
「んっ……」
舌が絡み合う濃密なキス。俺と恒元は互いの唾液を交換し合い、同時に飲み下す。
歴史的な事象を例に表現するならば、これはまさしく古の封建制国家で営まれていた主人と従者の愛の儀式であろうか。
「涼平よ……お前は我輩のものだよ」
唇を離した後、恒元はそう云って微笑んだ。俺はただ黙って頷くことしかできなかったが、それで良いのだ。今はただ、この醜い男の言いなりになるだけだ。
「さあ、涼平。遠慮は要らぬ。我輩に身を委ねるのだ。始めるよ」
するすると下腹部へと伸びてきた恒元の手が俺の股間をまさぐる。
「あっ……」
「ふふ、もうこんなになっておるな」
俺は羞恥に顔を赤らめた。恒元の愛撫は嫌気がさすほどに巧みで、たちまち俺の分身は勃起してしまうのである。
「ああっ……会長……そこはっ……!」
「良い声で鳴くではないか。もっと聞かせておくれ」
そう云って恒元は俺の男根を口に含むと激しく吸い始める。まるで女陰の中に挿れているような感覚が俺を襲ったが、これはこれで気持ち良い。
「ああっ……ああっ……出るッ!」
俺は堪えきれずに恒元の口内へ射精した。しかし、彼はそれを吐き出すことはせず、ゴクリと飲み込んでしまうのだった。
「ふふ……濃いな」
満足げに微笑んだ恒元は俺の頬を撫でながらこう続けた。
「だが、まだ終わりではないぞ」
そう云って会長は俺を立たせると壁に手を突かせてきた。そして尻を突き出させるような格好を取らせてから自身の男根を取り出すと肛門の周囲をボディーソープで濡らし、ゆっくりと挿入してくる。
「ああっ……!」
思わず声を上げてしまった俺。恒元は高笑いした。
「良い声だ。もっと聞かせてくれ」
そう云って彼は腰を打ち付け始める。肉と肉のぶつかる音が浴室内に響くが、それすらも俺の興奮を煽る材料にしかならない。
「ああっ……会長ッ!」
俺は思わず叫んだ。しかし恒元は止まらないどころかさらに動きを速めてきたではないか!
「あああっ!!」
あまりの快感に膝から崩れ落ちそうになった俺だったが、恒元はそれを許さないとばかりに両手で俺の腰を掴んでくるのだった。
そしてそのまま激しく抽挿を繰り返すものだから――俺は絶頂を迎えてしまった。自分で自分が嫌になるが、今は何も考えずにいよう。
「はあっ……はあっ……」
崩れ落ちた俺に恒元が優しく微笑む。
「美しかったよ。大好きだ、涼平」
「はあっ……会長……いえ、恒元公……」
「うんうん。我輩の名を呼んでくれ。その美しい声で存分に」
彼の腕に支えられてよろよろと立ち上がり、俺は唇にキスをした。こちらからの行為に恒元は大喜びし、やがて俺の耳元で囁いた。
「もっと我輩を愛してくれ、涼平」
その言葉が意味する行為は何となく分かった。俺は「はい。恒元公」と返事をするとしゃがみ込み、彼の男根を咥え込んだ。
「おほっ……良いぞ、涼平」
恒元のそこは既に硬く勃起している。俺は舌先を使って丹念に舐め回し、同時に右手で玉袋を刺激することも忘れない。やがて彼は俺の後頭部を押さえ込むと強引に前後に動かし始めた。
「うぐっ……!」
喉の奥に突き刺さるような感覚に襲われながらも俺は必死に耐えた。ここで歯を立ててしまっては全てが水の泡になるからだ。しかし、それでもなお彼の動きが激しくなるにつれて呼吸が困難になってきたため、やむなく口を離すことにした。
「げほっ!ごほ!」
咳き込む俺を見下し、恒元は満足そうに云った。
「ふふ……苦しかったろう? だが、お前の口の中はとても心地良かったよ」
俺は息を整えながら彼を見上げるとこう返した。
「……あっ、ああっ。ありがとうございます」
「礼など要らんよ。さあ、もっと我輩を愛するのだよ、涼平」
そんなやり取りをしながら俺たちは再び抱き合った。今度は俺が仰向けになった状態で彼の男根を受け入れることになったのだが――まさに、その瞬間だった。
「っ!?」
突如として恒元の顔色が変わる。彼は俺の手を掴むと、凄まじい勢いで湯舟へ飛び込む。そして共に湯の中へ漬かった。
「か、会長?」
「口を押さえるのだ、涼平! 嗅いではならんぞ!」
「なっ!?」
その一言で俺は全てを悟った。毒ガスだ。見れば、桃色の煙が浴室内に充満しつつあるではないか。
「涼平、傭兵をやっておった頃に化学兵器の扱いは学んだか?」
「い、一応ですが」
「ならば良い!」
俺たちは互いに顔を見合わせると頷き合った。
「出るぞ!」
そう云って恒元は俺を抱え上げようとするが、俺はそれを制した。このままでは共倒れになる恐れがあるからだ。
「待ってください! こいつを投げ込んだ輩が外で待機してるかもしれませんので、俺が先に出ます!」
「しかし……」
「大丈夫です。会長は風呂場に居てください。湯船の蓋を閉めてりゃ入らねぇはずです」
密閉すれば一人分の酸素は何とかなるはずだ。俺はすぐさま浴槽を飛び出すと広い風呂場の出口へ走った。
「涼平……」
会長の声が微かに聞こえたが、俺は振り返らずに答えた。
「大丈夫です! 俺を信じてください!」
そのまま玄関へ走り去り、外へ出ると案の定、ガスマスクを装着した男たちが数人待ち構えていた。しかし彼らは俺の姿を見るなり慌てて銃を構えようとするが遅い。
「この野郎っ!」
俺は彼らが引き金を引くよりも先に次々と手刀を見舞い、一瞬のうちに全員を組み伏せる。そして尋ねた。
「誰に頼まれた?」
「……」
沈黙を貫く男たちだったが、俺は彼らの顔面に指を突き刺した。
「言え」
「……全員だ」
「はあ?」
「中川恒元を嫌っているのは関東博徒のほぼ全員だと言ってんだよ!」
全員――まさか、これはクーデタ―か。俺はその男の顔面に膝蹴りを叩き込む。さらに二人目に対しては頭突きを喰らわせた後、三人目の男は首を掴んで持ち上げると壁に叩きつけてやった。
――グシャッ。
体がバラバラになって絶命する男を見て俺は呟いた。
「間抜けども……舐めた真似をしてくれるじゃねぇか……」
燃え盛る怒りの中にあっても思考だけは冷静だった。
涼平が阻止した恒元の暗殺計画! されども情勢は思わぬ方向へ……!? 次回、暗黒の帝王が暴発する!




