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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第12章 銀座継承戦争
224/261

終戦

 赤坂へと戻った後、俺はすぐさまかかりつけの病院へ入院した。全身の裂傷の上に骨折、更には左脚の膝骨にひびが入っているとのことだ。


「まったく……無茶をされたものですな」


 複数回の手術を終えた後、医者が呆れたように言った。俺は苦笑いしながら答えることにする。


「まあ、これぐらいなら平気だ」


 そんな俺の言葉に彼は「藤城社長も嘆いておいででしたよ」と呆れ顔のまま首を振ると、そのまま病室を出て行ってしまった。残されたのは俺一人だ。


「やれやれ…‥」


 ため息を吐きながらベッドに横たわる俺だったが、そこへまた来客が訪ねてくる。


「もう! 涼平ったら!」


 頬を膨らませて入ってきた美しい女――華鈴だ。両手に果物カゴをぶら下げている。


「あ、ああ……すまねぇな」


 俺はそう謝ると上半身を起こそうとしたが、華鈴はそれを制止するように言った。


「いいから寝てて! もうっ!」


 彼女はそのままベッドの横に立つと果物カゴを机の上に乗せる。そしてその中からリンゴを取り出すとナイフで皮をむき始めたのだ。


「ふっ、美味そうなフルーツだな」


「お見舞いと云えば果物じゃない? 近くのスーパーで新鮮なやつが売ってたから……って、そんな話してる場合じゃないよもうっ!」


 華鈴はすっかり眉間に皺を寄せている。彼女には「京都でミッションをこなしてくる」としか伝えていなかった。それが大ケガをして帰ってきたのだから、そりゃあ怒るよな――恋人になってからさほど時間が経っていない頃合いだったということもあって当然だろう。


「涼平は良いけどさぁ! こっちの身にもなってよね!」


 そうまくしたてながらも華鈴はリンゴの皮をむいてゆく。


「まったく、もう……本当に心配したんだから……」


 やがて切り終えたリンゴを皿の上に並べると、彼女は俺の隣に座った。そしてそのまま俺の手を握りしめる。


「華鈴?」


「……涼平が生きててくれて良かった」


 そう云う彼女の目には涙が浮かんでいた。俺はそんな華鈴の手を握り返すと優しく微笑んでみせる。すると彼女もまた微笑み返してくれたのだった――その時である!


「失礼するよ」


 そんな声と共に護衛を引き連れて現れたのは中川恒元だった。「おいおい……こんな時に……せっかくのムードを壊しやがって……」という苦笑を顔に表さぬよう気を付けながら、俺は静かに頭を下げる。華鈴もまたその場で慌てて礼をしていた。


「ああ、そう畏まらなくて結構だよ。華鈴」


「いえ、そんな……」


「君が涼平と恋仲になったことは我輩も聞いている。我輩の右腕をどうか支えてやってくれたまえ。よろしくな」


「は、はいっ!」


 華鈴が恐縮する一方、俺は無言で頭を下げ続けた。そんな俺の態度を見て笑いながら恒元は言葉を続ける。


「涼平。此度の働き、ご苦労であったな」


「いえ、とんでもないことです」


「宿敵相手に勝ちを果たしたのだ。大手柄だぞ」


「勝ちというよりは相打ちに持ち込んで、先に奴の体力が尽きて結果として俺だけが生き残ったもので……」


「まあまあ。良いではないか。その辺は気にせんでも」


 そう言うと恒元は葉巻に火を付けた。赤坂に戻って来てから数日が経っていたが、今の今まで彼は俺の病室に顔を見せることは無かった。戦勝の連絡は琴音を通して既にしてあったが、かつての兄弟子との戦いで心身ともに疲弊しきっていた俺を気遣ってくれていたのだと思うと、ありがたいやら申し訳ないやらで複雑な心境だ。


 俺が日本へ戻って1年あまり。何だかんだ言って恒元は麻木涼平を息子のように心から可愛がってくれているのだ。


 色々と思う部分はあれども今は素直に主君を敬っておくとしよう。


「お前のおかげで輝虎の力を大いに削げた。極星連合にもそっぽを向かれて奴はチェックメイトを突きつけられたにも等しい」


 蛇王が麻木涼平に討たれた――この報せが裏社会を駆けめぐるや否や、銀座で続いていた熾烈な戦乱の情勢は一気に動いた。


 九州との縁が切れた上にブラックマーケットまで潰されて窮地に陥った輝虎に手を差し伸べた極星連合は、蛇王が散ったと分かった途端に兵を引き揚げた。輝虎に勝ち目が消えたことを悟ったのだろう。彼らにとって銀座の金脈は手に入れずとも構わないおまけ程度のものだったのかもしれない。


 輝虎派は今や直属構成員の多くが討ち死にし、残っているのは100名程度。傘下組織も軒並み壊滅状態というから驚いた。


「秀虎方と五分五分の戦況だったと聞いてましたが、いつの間にそこまで数を減らしたんですか?」


「村雨組だ。お前が京都から戻って眠り込んでいるうちに奴らが参戦してきたのだ。やはり我輩の見込んだ通りだった」


 恒元曰く、村雨組が銀座の抗争に参戦したのは11月4日のこと。かつて輝虎派の若衆に自陣の幹部が負傷させられたことへの復讐を理由に開戦を宣言、幹部の柚月宰率いる戦闘部隊が新橋へ攻撃を開始したとの話である。


「一方の秀虎派には本庄組のみならず森田一家と椋鳥一家が付いている他、今まで日和見を決め込んでいた連中も続々と支持を表明した。そこに村雨組まで攻めてきたとあっては、もはや輝虎の勝ちは消え失せたと言っても良かろう」


「なるほど、そういうことでしたか……」


 俺は納得した。確かに村雨組が参戦した状況では輝虎に勝ち目はあるまい。


「蛇王を討ったことでお前の武名も上がったぞ」


 そう云うと恒元は葉巻の煙を吐き出した。その仕草は様になっている。まるで映画俳優のような雰囲気だ。


「ありがとうございます」


 俺は素直に礼を言った。恒元は「まあ、お前はゆっくり休め」と言うと上機嫌で病室を去って行った。

 程なくして、残った華鈴が口を開く。


「会長、あたしに席を外させなかったよね」


 確かにそうだ。普通、組織の話は部外の人間に聞かせないはず。恒元に限ってうっかり人払いを忘れたりはしないだろう。


「ああ……云われてみれば……」


「もしかして会長、あたしのことを認めてくれてるのかな。涼平のパートナーとして」


「えっ!?」


 中川会においては構成員の妻もそれに準ずる扱いだ。つまり華鈴も組織の一員として数えられることになる。


「いやあ、それは……どうだろうな……」


 俺は苦笑しながら言葉を濁した。確かに彼女は喧嘩自慢だし血生臭い界隈にも精通しているが、完全に裏社会の人間というわけではない。ましてや現段階で俺の妻になったわけでもない……まあ、お膝元たる赤坂の馴染みの娘という贔屓目があるのかもしれない。


「でもさ、もしそうだとしたら嬉しいよね」


 華鈴は笑顔で言った。そんな彼女に俺もまた笑って答えることにする。


「ああ」


 この1年、華鈴と過ごした日々は俺にとってもかけがえのないものだった。彼女のおかげで今の自分があり、そして何より俺は人間でいられるのである。


「これからもよろしくな、華鈴」


「うん!」


 俺の言葉に、またもや彼女は嬉しそうに微笑んだのだった。


 それから銀座をめぐる戦乱は一気に決着が付いた――かに思われたが、ここへ来て輝虎は予想外の粘りを見せた。


 秀虎派から突き付けられた降伏の勧めを突っぱね、まだまだやれるとばかりに銀座へのゲリラ襲撃を繰り返した。


「馬鹿な男よ」


 季節が師走へ入ると恒元はそう吐き捨てるように言った。新橋が壊滅状態となった今、もはや彼に戦う余力など無いことは明らかだ。だがそれでも彼は戦い続けているのだという。その理由は俺にも分からない……ただひとつ確かなことは、輝虎は弟に頭を下げる気など皆無ということだった。


 やがて恒元は業を煮やしたか、12月6日になって「組織からの離反」を理由に輝虎を逆賊として討伐することを正式決定。これにより中川会が組織ぐるみで輝虎派および彼に従う勢力の掃討に乗り出すことになったのであった。


 そんな中、俺は夜の店に赴いた。


 戦乱をよそに呑気に飲み歩いていたわけではない。『錦糸町のいつもの店で飲みましょう』と誘いを貰ったのである。


「マスター、バーボンをロックで頼む」


「かしこまりました」


 無愛想な店主はグラスを棚から出すと氷を入れ、そこにバーボンを注ぎ入れた。そして最後にチェイサーを添える。


「どうぞ」


「ありがとう」


 俺は差し出されたグラスを手に取って一口飲んだ。芳醇な香りが口いっぱいに広がる。


「……美味い」


 いつもながらに落ち着く味だ。


 そうして洒落たひと時を満喫しているとドアベルが鳴る。入ってきたのは馴染みの女だ。


「お待たせ、涼平」


「遅かったじゃねぇか」


「ごめんなさいね。総理との会食が長引いちゃって。あの方は私が本気でミラージュを買おうと思っていたみたいで」


「ははっ……そりゃ別の思惑があったなんて言えねぇわな」


 藤城琴音。先ほどまで首相公邸で開かれていた夕食会にて、今年夏の米国ミラージュ社TOBについて総理から熱烈な激励を浴びたと彼女は語る。確かに世間的には「日本人投資家が米国第一位の資源開発企業を買った」ように見えるはずだから当然の反応であろう。


「でも、よもや成功しちゃうとはね」


「ああ……俺も向こうの大統領がOKサインを出すとは思わなかったぜ」


「たぶんホワイトハウスはミラージュ社にそこまでの思い入れが無かったんじゃないかしら」


 俺としては『ネバダのブラックマーケットが潰れた後となっては米国政府の愛着が薄くなるのも訳ないだろう』と言いたかったが、それは心に仕舞っておいた。何はともあれ俺たちは目標を達成し、結果的に彼女は国際投資家としてさらなる飛躍を遂げたのだから。日本と米国の関係性のアンバランスさは気になるけれど、今は論じずとも良かろう。


「しっかし、こうして飲むのも久しぶりだな」


「ええ、そうね。お隣に座らせても?」


「ああ、良いぜ」


 この時、俺は僅かに首を傾げた。着席するのは自分なのだから『座らせても?』という尋ね方は変だ。『座っても?』というい表現が正しいだろうに――いつも洗練された琴音にしては妙におかしな言い間違えをするものなだと思ってふと彼女の方を見た。


「っ……!?」


 思わず息を飲む。琴音の隣に思いもよらぬ男の姿が見えたからだ。


「ひ、久しぶりだな、麻木次長」


「テメェは……」


 決して大袈裟ではなく心臓が飛び出しそうになってしまった。


「……輝虎てるとら!?」


 そう、そこに佇んでいたのは眞行路しんぎょうじ輝虎てるとら。何を隠そう、組織が全力で行方を追っている標的マトだ。


「どうしてここに……」


「私が呼んだのよ」


 俺の言葉に琴音が答えた。そして彼女は続ける。


「彼からあなたに話したいことがあるんですって」


「……恒元公から何も聞いてねぇのか」


「聞いてるわよ」


「だったらどうして連れてきた!? こいつは組織の逆賊なんだぞ!」


「落ち着いてよ。今日、彼をあなたと引き合わせたのは恒元公のご利益にも適うと考えてのことよ」


 俺は琴音の言葉の意味が分からなかった。一応は恒元の妾である彼女が、その恒元が逆賊と名指しした男を連れ歩くとはどういう風の吹き回しだろう。


「どこでこいつを見つけた? まさか『新橋に肩入れしてた』なんて言わねぇよな!?」


「ひとまずは話を聞いてちょうだい」


 そう言うと琴音は輝虎に目配せし、彼を俺の右横に座らせる。


「……」


 こうして輝虎と会うのはいつ以来だろう。その年の正月にドンパチが始まってからというもの酒の席で顔を合わせる機会は無かった。


「……奢ってもらっても良いか。持ち合わせが少ねぇんだ」


 気まずさの中で口を開いた輝虎を睨みながら、俺は低い声で答えた。


「だろうな」


 呑気に酒なんか飲んでる場合かよ、ジリ貧野郎が――そう言いたかったが琴音の手前、安易に啖呵を切る真似はしない。


「マスター、こいつにも俺と同じものをくれてやってくれ」


「かしこまりました」


 俺は自分と同じものを注文した。運ばれてきたのはバーボン。それを美味しそうに一口飲むと奴は改めて口を開く。


「ああ……今日は……その……」


 だが、途中で口籠もる輝虎。そしてそんな元恋人の様子に苛立ったのか藤城琴音が横から口を出した。


「あなたね、自分の立場が分かってないの? そんなんだから弟に負けちゃうんでしょう?」


「……そうかもな」


「ここで涼平に頭を下げないなら、今すぐあなたを縛り上げて恒元公に差し出すよ! 八つ裂きにでもなるが良いわ!」


「へへっ、分かったよ琴音。これ以上、手間はかけん。お前も元カノのよしみで俺を助けてくれたわけじゃねぇんだろ?」


「どうかしら。何にせよ無様にマンションの前をうろついてた昔の男を拾った私の気持ちを少しは考えて欲しいわね」


「言ってくれるぜ」


 そういうことだったか。つい昨日、本家の勅を賜った討伐部隊が輝虎が本拠地としているタワーマンションを陥落させたが輝虎および幹部の姿は無かった。どんな手土産を携えてきたのかは分からないが、この男も琴音の優しさに救われたものだとつくづく思う。


「で、話ってのは何だ」


「ああ……その……」


 輝虎はまたもや口籠もったが今度は意を決したように俺の目を真っ直ぐ見つめながら言う。


「……麻木涼平、あんたに頼みがあって来た」


「そうかよ」


 俺は静かに答えたが、内心は穏やかではなかった。この期に及んで何を言いやがるんだこいつは――そんな思いだ。しかし奴の言葉はさらに続いたのである。


「あんたから恒元公に、俺と弟の手打ちの仲立ちを頼めねぇか」


 その瞬間、俺は激昂した。


「ふざけるなっ!」


 そうして懐からグロック17を引き抜き、奴の眉間に銃口を突き付ける。」


「テメェのせいで何人死んだ!? 今まで勝手放題しといて『手打ち』だと!? アホ抜かしてんじゃねぇ!」


 そうして 「何なら今すぐ頭を撃ち抜いてやろうか!?」と凄むとマスターが「坊ちゃん!」と声を上げる。しかしながら、俺は怒りを堪えることができなかった。こいつのせいで沢山の人間が――今年一年で目の当たりにした様々な光景が脳裏をよぎり、こみ上がる殺意と憎悪を封じ込められなかったのである。


 だが、輝虎は怯むことなく俺の目を見つめ続けた。


「……」


 そんな様子に琴音が言った。


「涼平! お願いだから銃を下ろしてちょうだい」


「……ちっ」


 舌打ちして銃を懐に戻した俺だったが、怒りが静まるわけではない。むしろ沸々と湧いてきたくらいだ。


「琴音、あんたも何を考えてんだ。こいつのせいで何人死んだと思ってる? こいつは俺たちにとっても敵なんだぞ!」


 俺は彼女に食ってかかったが、彼女は落ち着いた口調で答える。


「ええ、分かってる。だけど、さっきも言ったようにこの男と交渉することにはメリットがあるのよ」


「……メリットだと?」


「そうよ」


 するとそこで輝虎が深々と頷くと、割り込むように言葉を繋いできた。


「麻木次長。俺は『以津真天いつまでたまご』が今、どこにあるかを突き止めた。俺と秀虎の対等な条件での手打ちを恒元公が仲立ちしてくれるなら全ての情報をお教えすると約束しよう」


「いつ……何だ?」


「とにかく恒元公に伝えてくれ。『眞行路輝虎が以津真天の卵の隠し場所を探し当てた』と。頼むっ!」

 俺は輝虎の襟元を摑み、強引に引き寄せた。


「俺がテメェの頼みを聞けると思うか!?」


「……」


「何ならここで死ぬか? 今すぐ殺してやろうか!?」


 そう言って奴の頭を銃口で小突いてやった。しかしそれでも輝虎は動じない。そして俺の目を見て言ったのである。


「……殺したければ殺せ。最早、俺の手には何も残っていない。この期に及んで命乞いするほど脆弱じゃねぇよ」


 目を見れば分かる。


 この男は本気だ。彼の云う『以津真天の卵』なるものが何なのかは分からず、俺の読んだ通り付け焼刃の戯言である可能性も否定できない。


 されども覚悟を固めている。この場に命を懸ける覚悟を――俺は奴の覚悟を目の当たりにして、ようやく冷静さを取り戻した。そして「ちっ」と舌打ちすると言ったのである。


「……分かったよ。ただし条件があるぜ」


「何だ?」


 輝虎が尋ねたので俺は答えた。


「その以津真天の卵とやらはどこにあるかを教えろ」


 すると奴はこう答えるのだ。「湘南だ」と……俺はそれから輝虎に酒を振る舞った。理由は自分でもはっきりとしないが、おそらく酔いに身を任せてといったところだろうか。


 そして今、俺たちはカウンター席に並んで座っている。マスターは裏方に引っ込み、琴音も去り、店の中は俺たち3人だけとなった。


「なあ」


 俺は酒を傾けながら尋ねた。


輝虎てるとらよ……どうして弟とああまで張り合った?」


「負けたくねぇからだ。いくら親父の遺言だからって兄が弟に頭なんざ下げちゃいけねぇだろ」


 すると奴は間髪入れずに答えたのである。その答えに俺は「そりゃあそうだろうな」と思ったが、そこへ続いた言葉は少しばかり意外なものであった。


「……けど、今になって思えば俺は器じゃなかったのかもな」


「自分は組を継ぐに値せん男だと? そう言いてぇのか?」


「まあな」


 笑いながら輝虎は続ける。


「自分で云うのも俺はおかしな話だが、俺は頭は切れるし腕っぷしだって強い方だ。あんたほどじゃねぇが、人の心を掴む才能もそれなりにあるもんだと思ってる。それがどうしてろくに人も殺せねぇ秀虎に見劣りしちまったか……結局は度胸が足りなかったんだよ」


 そして彼は自嘲気味に笑ったのである。


「俺はここぞって時になるといつも尻込みしちまう……だから愚弟ごときにも負けたんだ」


「……そうか」


 俺はそう答えることしかできなかった。輝虎は続けた。


「結局、人間ってのは持って生まれた限界を超えられないのかもしれねぇな。人ぞれぞれにみてぇなもんがあらかじめ決まってて、そいつを超えて偉くなろうとした日には何かしらのひずみが生じるもんさ」


「……」


「俺はおかしくなってたんだよ。親父に嫡男から外されて……尤も、あの人を殺そうと企んでたんだから当然だってのに、我慢ならなかったんだ……親父が俺じゃなくて秀虎を跡取りに選んでいたことが。他の奴だったら『ああしようがねぇな』の一言で諦めがつくのに、何でまたよりにもよって弟を選んだのか……そのせいで己の分を忘れちまってた」


「……元より自分は眞行路を継ぐ器じゃねぇと分かっていたってか」


 すると奴は俺の目を見て頷くのだ。


「ああ」


 そんな輝虎に「一理あるかもな」と俺は答えた。確かにここ一年の輝虎の言動は狂気じみていた。しかし、だからと言って元より負けが分かっていたという表現は理解できない――銀座における戦乱で流れた血を考えれば、その言い草は何とも腹立たしかった。


「その台詞を死んでった奴らに聞かせたら、たぶんあんたは呪い殺されるぜ」


「へっ、だろうな。わらび須川すがわ、山内、森沢……数え上げたらキリがねぇな」


「皆、曲がりなりにもあんたのことを信じて、忠義を尽くして散っていったんだ。『端から勝てると思っていなかった』なんざ口が裂けても言っちゃいけねぇよ。俺はあんたのことをクソ中のクソだと思ってるが、子分の落命を無駄扱いするほどのろくでなしとは思っちゃいねぇぜ」


「そうだな……」


 輝虎は自嘲気味に笑った。そうして俺は奴のグラスを酒で満たすと言ったのである。


「理由はともかく、自分の誇りを懸けて弟と喧嘩したんだろ。だったら最後まで気張って見せろや」


 すると奴は「……ああ」と答えた。そしてこう続けたのだ。


「あんたと飲めて良かったぜ、麻木次長」


 それから互いに程よく酔いが回るほどに酒を傾け合った後、俺は輝虎と共に総本部へ戻った。深夜だったこともあってか、屋敷に居た兵は少ない。彼らは「次長が謀反の逆徒を引きずってきた」と早とちりして色めきたったが、俺はあくまで淡々と恒元に伝えるのみ。


「会長。こいつからお話があるそうで」


「ほう……自ら殺されに来るとは殊勝だな」


「何でも卵がどうのこうのと言ってます」


「卵?」


 以津真天いつまでたまご――その単語を耳にした瞬間、恒元の顔色が変わるのが分かった。


「うむ。ご苦労だったな、涼平。暫く輝虎と二人きりで話したい。部屋に誰も入れるな。頼むぞ」


 何と恒元は護衛すらも人払いして部屋で輝虎と二人きりになったのである。そして数分後、部屋から輝虎は満足げな表情で去って行った。


 一体、何を話したのか。それを尋ねるのは野暮というものだろう。ゆえに俺は考える他なかった。


 輝虎の云う『以津真天の卵』の正体を。そして翌日になって恒元が彼について『命までは奪わない』とする御教書を発布した理由を。


「ど、どういう風の吹き回しなんですかね、次長……ここへ来て輝虎を殺さねぇって……」


「さっぱりわけが分かりませんぜ……」


 戸惑う酒井と原田に、俺もまた眉間に皺を寄せるばかりであった。


「俺も分からねぇ……」


 何にせよ、輝虎が持ちかけた『黄泉の鶴』とやらが恒元にとって大切な何かであることは分かった。


 ともあれ中川会本家が眞行路輝虎の追討を撤回したことで銀座の戦乱は終結するかと云えば、そうではない。銀座のドンパチは元々は眞行路兄弟の喧嘩。本家が刀を鞘に戻したところで弟の秀虎にとってみれば敵を討たないことには戦が終わらないのである。


 銀座の秀虎派はなおも輝虎を殺すことに躍起になった。新橋の輝虎派も易々と潰されはしない。両派はそれぞれの本拠地を舞台に激しくぶつかり合い、ますます多くの犠牲を生んでいった――そんな彼らに恒元が停戦の御教を出したのは、世間が年末ムードに染まりつつあった12月20日のことであった。


「涼平。我輩が何故に大国屋一家へ攻撃を仕掛けなかったか、分かるか」


「……後々で駒として使うのに数を減らしちゃ元も子もぇってんでしょう?」


「うむ。流石は涼平。確かに大国屋も組織へ弓を引いた逆賊であるが、輝虎と違って使い道がある。この戦乱はあくまでも本家がかつての支配力を取り戻すための戦いなのだよ」


 四代目の高虎時代に本家へ激しく歯向かった眞行路一家を軸に、本家を凌ぐほどの力を手に入れていた旧御七卿の直参たちを戦いの渦に巻き込んで弱らせる。それこそが最終目的であり、今は元の鞘に戻っている白水一家、阿熊一家ともに多額の戦費で疲弊したことで、恒元の狙いはおおよそ達成された。


「大国屋は輝虎派が敗れ去る直前か直後くらいに降伏してくるだろう。そうなったら総長の櫨山はぜやま重頼しげよりを引退させ、組を中川会に戻してやれば良かろう。森田と椋鳥は本庄が抑えてくれていることだし、白水、阿熊は懐具合が火の車、そんな中で本家だけが潤沢なシノギを得て独り勝ち状態……全てが我輩の狙い通りになったな」


 そう高笑いする恒元に俺は言った。


「あとは銀座の戦争をどうやって終わらせるか、ですね」


「まあ、いずれ終わるだろうよ」


 中川会三代目会長、中川恒元。この男の悪辣さは今に始まったことではないにせよ、そんな人物に何食わぬ顔で仕えている俺も俺だ。以前に比べて少しばかり恒元の考えていることが分かるようになってきたが、それはもしかすると俺自身が彼の影響で変わりつつあるがゆえのことなのかもしれない。


「では、明日にでも御教書を携えて銀座へ行ってきます。『恒元公の御前で手打ちの儀式を催す』って流れにすりゃ、秀虎の子分どもはきっと暴走してくれるでしょう。本家の仲立ちとはいえ輝虎への恨みはそう簡単に消えるもんじゃないでしょうからね」


「うむ、素晴らしいアイディアだ。任せたぞ、涼平。彼らが我輩の顔を潰したという状況を作れれば、銀座の力も削げる」


 いや、これは会長側近として単なる意見具申をしたに過ぎないと自分を納得させて俺は恒元の部屋を後にした。


 そうして12月21日。


 俺は午後になって銀座へ向かい、秀虎および淑恵に御教書を手渡し、輝虎派との和平締結を提案した。

「これ以上、戦い合ってもおたくらの痛みが増すだけだと会長は考えておられる。ここら辺で手打ちにしねぇか」


 すると秀虎は静かに頷いた。


「ああ。僕もそれが良いと思う」


 戦乱の大将に担ぎ上げられたり、それに勝つための政略結婚で妻を娶ったためか、この一年で彼は少しばかり顔つきがヤクザらしくなってきたが、根本的な穏やかさは変わっていない。一応は予想できた反応である。されども、やはりこの女は違った。


「手打ち? 冗談じゃないよっ!」


 淑恵だ。彼女は御教書を読み終えるや否や、息子を殴りつけんばかりの勢いで声を荒げた。


「こちとら新橋方に多くの若衆を殺されてるんだ! このままおめおめと手打ちにするなんざ、関東博徒の恥だよっ!」


「おいおい、姐さん。そんなこと言ったって、こいつは恒元公の御教なんだからよ」


「秀虎! あんたも何か言ってやりなよ!」


 しかし、当の秀虎は穏やかな表情のままこう答えたのである。


「僕は恒元公が決めたことならそれに従うよ。それに、これ以上争ってもお互いに良いことなんて無いと思うし……」


「何を甘いこと抜かしてんだい! あんた、銀座の看板を背負ってる自覚が無いのかい!? 」


「それは……でも、僕は争いたく無い。それに父さんもきっと僕の気持ちを分かってくれると思う」


「……はあ?」


 そんな淑恵の怒りをよそに俺は考えていた。組の連中の平穏を誰よりも願うこの女は、心の底では手打ちを考えているのだろうと。そして同時に、この一年で彼女は何ら変わっていないのだと。


「姐さんよ」


 だから俺は言ったのである。


「言っちゃあ悪いが、もうあんたらの勝ちは決まってるようなもんだぜ。ここ数日のダメ押しで新橋の戦力は壊滅、もはやあちらさんに銀座を奪うだけの力は無い」


「確かにあたしらの勝ちは見えてるけど、向こうの大将を討たないことには……」


「それが唯一の勝利条件ってんなら、逆にあんたらが負けちまうかもな」


「何だって?」


「あんたも分かってんだろ。銀座だって兵と糧が底を尽きかけてるってことを。輝虎は逃げ足が速い野郎だ。このまま奴が逃げ回って、あんたらがいつまでも奴を殺しきれねぇようじゃいずれ銀座の米櫃は空になる。そうなりゃ輝虎に粘り勝ちをくれてやることになるぜ」


 それよりだったら、今すぐに手打ちを結んで秀虎派の眞行路一家五代目継承を絶対のものとした方が良いと俺は続ける。


「眞行路一家は秀虎が五代目を継ぎ、輝虎はかみさんの姓を名乗って一本立ちする。それで良いじゃねぇか」


 恒元が御教で提示している条件を改めて伝えると、淑恵は深く考え込む素振りを見せた。


「……」


 そうして数秒の間を入れた後、彼女はため息と共に口を開く。


「……分かったよ」


「ああ、その答えが聞けりゃあ何も言うことはぇよ」


「あんたの云う通り、意地だけ張っても飢えちゃ仕方ないからね。見ての通り、銀座方うちもジリ貧さ。このまま喧嘩が続けば遅かれ早かれ自滅してただろうよ」


 そうして「三淵たちはあたしが説得しておく。あたしの言葉ならあの子たちだって従うだろ」と淑恵は続けたが、俺としては……いや、本家としては秀虎派組員の暴走により和議が破られることが好ましい。さすれば秀虎派に「恒元公のご意向を無視して輝虎を殺した」と言いがかりをつけ、あわよくば組を潰せるかもしれないのだから。


「まったく。あんたにも手間をかけたね、麻木」


 少し心苦しい気分に陥りながらも俺は「いやいや、当然のことをしたまでさ」と応じる。さて、そうと決まればこれより赤坂へ戻って恒元に秀虎派が和平に応じたことを伝え、手打ちの儀式の準備をしなくては――そう思った直後。


「姐さん! 大変でさぁ!」


 血相を変え、一人の組員が部屋に駆け込んできた。

「どうしたんだい! そんなに慌ただしく!」


「そ、それが……し、新橋の大将の! 新橋の大将のカチコミでさぁ!」


「ええっ!?」


 眞行路輝虎が殴り込みをかけてきたという若衆。その言葉に淑恵と秀虎は勿論、俺もまたあんぐりと口を開けてしまう。


「……」


 皆で玄関へ様子を見に行ってみると、庭先で太刀を担いだ一人の男が大音声を上げていた。


「我こそは眞行路輝虎! 愚弟、秀虎との決闘を申し入れる!」


 俺は思わず声が漏れた。


「あ……あいつ……」


 先日に会った時にはすっかり戦意が薄れていた男が、まさかこのタイミングで殴り込みに来るとは思いもしなかったのだ。


「な、何だよ! あれは!?」


「……見ての通り、あんたの兄だよ」


「そんなことは分かってる! あれをどうしようって話さ! 誰か、早くあいつを殺してくれよ!」


 想定外の兄の襲撃に怯え竦む息子を淑恵は一喝する。


「秀虎! 何、弱音吐いてんだい! あんたもヤクザの端くれなら腹ぁ括りな!」


 しかし、当の秀虎はというと……。


「あ、あいつと決闘しろってのか!? ぼ、僕は嫌だ! 勝てないよ! 恒元公だって仰ってるじゃないか!『喧嘩はそこまでだ』って! 『手打ちをしろ』って!」


「関東博徒の手打ちってのは何も話し合いだけじゃない。子分たちのドンパチに代わって親分同士が一騎打ちで雌雄を決するやり方もある」


「そ、そんな!」


「秀虎。ここはあんたの見せ場だよ。男として、眞行路一家五代目としての覚悟を見せておくれ」


「無理だよぉぉぉぉぉ!」


 一方の輝虎はと云えば秀虎派の組員らに包囲されながらも顔色ひとつ変えていない。肩に担いだ太刀を抜き放ち、まさしく阿修羅のような表情を浮かべている。


「……」


 恒元の御教に従えば、ひとまず身の安全は約束されるというのに。一体、何が彼の消えかけていた闘志に火を付けたのか。


 あれ、もしかして俺が……?


 そんなことを考えていると、輝虎は声高に声を放った。


「やり合おうじゃねぇか、秀虎ァ!」


 ああ、そういうことか。奴も奴で恒元の御教が必ずしも自分の将来を約束するものではないことに気付いているのだろう。以津真天の卵なる謎のワードで恒元をその気にさせて手打ちを仲立ちさせ、こうして最後は関東博徒伝統の決闘で全てを挽回しようと考えた模様。流石は『銀座の猛獣』と呼ばれた男の息子。なかなか強かである。いや、感心している場合ではない。


「かかってこいや秀虎ァァァァァ!」


 輝虎をどうするべきか――それを考えなくては。


「む、無理だ! 僕は刀なんか持ったことも無いし、戦えない……」


 相変らず背後では母と倅の口論が続いている。やがて業を煮やしたのか、淑恵は秀虎の頬を殴りつけて言った。


「この意気地なしがっ!!」


「か、母さん……!?」


「もう良い! あたしがやる! あんたはそこで指くわえて見てな!」


 そう言うと、淑恵は近くに居た組員に声をかける。


「おいっ、あたしの薙刀を持ってきな!」


「へ、へい!」


 そうして彼女は薙刀を携えると、輝虎の前へ立ち塞がった。


「眞行路一家四代目高虎が妻、眞行路淑恵! あたしが相手になるよ!」


 しかし、その名乗りに輝虎は鼻で笑った。


「女とやるのは気が進まねぇが……あんたなら構わねえぜ」


「母親を『あんた』と呼ぶたぁ……随分な物言いになったねぇ、馬鹿息子が……それじゃあ……」


 次の瞬間、淑恵は爆速で突進をかける。そして目にも止まらぬ速さで薙刀を振り下ろす。


 ――シュッ。


 しかし、それを輝虎は難なく躱してみせる。


「遅いっ!」


 だが、淑恵にとっては想定された動きだったらしい。振り下ろした薙刀の刃をかち上げて押し返す。


 ――キィィィィン!


 輝虎が太刀の刃で跳ね返し、火花が散る。


「ふんっ……少し見ないうちに腕を上げたねぇ……輝虎……」


「少し見ないうちにだと? そうやってあんたはいつも秀虎ばかり見ている……それが昔から気に食わなかった!」


 そうして薙刀と太刀が何度もぶつかり合う。


 ――カキィィン!


 しかし、その戦いは長く続かなかった。輝虎の一撃を受け止めた淑恵は、そのまま体勢を崩して尻餅をついてしまう。


「……くっ」


「ふんっ!」


 そうして無防備になった彼女の首元に輝虎は太刀の刃を突き付けた。


「勝負ありだな」


「……」


 淑恵は苦虫を噛み潰したような表情でそれを受け入れていた。そんな母親の姿を目の当たりにして、秀虎が声を震わせる。


「か、母さん……!」


「……あんたも男なら……少しは親孝行しておくれよ……」


 そんな母親の姿を見て奮起したのか、秀虎は声を張り上げた。


「こ、この野郎! もう良いだろう! 母さんから離れろっ!」


 すると輝虎が目を剥いて叫ぶ。


「今さら何を言うか秀虎ァっ! 今までずっと逃げ回ってた癖に……この期に及んで絡んでくるんじゃねぇぞゴラァ!!」


「て、輝虎……」


「この女を殺したら次はテメェだ! 眞行路の五代目の座なんかどうだって良い!俺はテメェから全てを奪ってやりたかったんだ!」


 弟から全てを奪う――よもやそれが輝虎の今までの狂気じみた行動の源になっていたとは。考えてみれば納得できる。


「秀虎……俺はテメェが気に食わなかった……弱いくせに親父に可愛がられて、皆からもちやほやされて、俺が欲しがったもんを何もかも先回りして手に入れやがる……そんな愚弟が気に食わなかった! ぶっ殺したいと思っていた! ずっと殺したかったんだーッ!!」


 輝虎は太刀を振り上げる。


「よく見ていろ秀虎ァ……テメェの脆弱ヤワのせいで大切なものが失われるぞ! 全ては弱いテメェが俺に盾突いたせいだっ、よく見ていやがれーッ!」


 そうして彼は太刀を叩き付け、母親の喉元に刃を浴びせる――かに見えた。しかし、寸前になって彼の動きは止まった。


「ううッ!?」


 爆音が響いたのだ。それは鉛玉が飛ぶ音。つまりは銃声だった。


「……っ!?」


 俺も、秀虎も、淑恵も、そして他の組員たちも、音が聞こえてきた方を見やる。そこに居たのは薄ら笑いを浮かべた男だった。


「くくっ……間に合いましたねぇ……若頭カシラ……」


 新見晴豊。眞行路一家の若頭補佐で輝虎の側近とも云うべき男。そう云えば彼は……俺が思考をめぐらせると同時に奴は続けた。


「……あなたに眞行路の五代目を継がせるわけにはいかないのですよ。若頭カシラ


「新見……てめぇ……」


 輝虎は怒りの籠った目を彼に向けた。一方、新見の方は余裕綽々である。されど発せられた言葉は予想外のものだった。


「あ、そう云えば自己紹介がまだでしたねぇ。私、新見晴豊って名前じゃないんですよ」


「な、何だと……!?」


「私の本当の名前は……いや、名乗るのは止めときます。あなたごときに名乗るほど安い名前じゃありませんから。ククッ」


 そうして新見は手持ちの拳銃の引き金を引く。


 ――ズガァァァン! ズガァァァァン!


 放たれた2発の銃弾は輝虎の胴体を的確に射抜き、奴はへたり込むようにその場へ倒れた。


「うぐあっ……ああっ……」


「はあ、疲れた。やっぱりヤクザに成り代わるのって体力を使うなあ」


 次の瞬間、新見らしき男は上空へ飛翔するとそのまま姿を消した。一体、何だったのだ――てっきり秀虎派と示し合わせて輝虎を背後から討ったのかと思ったが。「成り代わる」ということは……いや、今はそんなことを考えている場合ではない。


「に、兄さん!」


 秀虎が輝虎に駆け寄る。俺はその隙に淑恵の側に駆け寄った。


「おいっ! 大丈夫か!?」


「……あ、ああ……何とかね……」


 彼女はそう答えるも、その表情は青ざめている。どうやら目の前で起こったことり理解が追い付かないらしい。無理もないだろう。


 本当の一瞬のうちの連続の出来事だったのだから。

 そんな俺の心配をよそに、秀虎は輝虎を抱き抱えていた。それはまるで、一般家庭において弟が兄にする動作と同じであった。


「に、兄さん! 兄さん!」


「離しやがれ……秀虎……この期に及んで何の真似だ愚弟め……俺ァ腐っても極道だ……敵の大将に手当てされるほど腑抜けてねぇぞコラ……」


「もう喋らなくて良い! 喋らなくて良いから!」


「うるせぇ……黙れ……」


 啖呵を切りながらも、その表情は既に生気を失っている。腹部から流れる血の量は尋常ではなく、庭に積もった雪を真っ赤に染めてゆく。


「ああっ……ああっ……」


 やがて自分の限界を悟ったのか。すっかり涙目になった弟を睨みながら、輝虎は言葉を紡いだ。


「……秀虎よぉ……獅子は生まれた我が子を千尋の谷に落として這いあがってきた子だけを育てるが、虎は違う……虎は我が子の見ている前で自ら谷底へ落ち、身をもって教えるんだ……崖の登り方を……世の渡り方を……生まれた家がそういう家だったってのに……テメェは親父から何も学んじゃいない……だからテメェは何ひとつ、自分の手でせねぇんだ……良いか、秀虎……自分が弱い人間だってことを……くれぐれも忘れるんじゃねぇぞ……俺はそれを忘れちまったせいで……己を見失ってたからよぉ……」


「ああっ! あああっ!」


 輝虎は秀虎の襟元を掴みながら続ける。


「秀虎……いや、出来の悪い弟よ……俺は心配だぜ……俺が死んだあと、眞行路一家が何処に向かうのか……テメェが……上手くやってけるのか……もし、組を潰したら……その時は承知しねぇぞッ……分かったかゴラァ……!」


 そして彼はそのまま事切れた。その死に顔はどこか安らかだったように俺には見えた。


「……兄さん」


 魂が抜けたように硬直した兄の体を抱きしめ、秀虎は顔をうずめた。憎しみ合っていた2人が、ここへ来てようやく単なる兄弟へ戻れた。


 俺はそんな気がしていた。


 眞行路しんぎょうじ輝虎てるとら


『銀座の猛獣』と畏れられた眞行路高虎の嫡男として生まれながらも父の跡を継ぐことが叶わず、裏社会の荒波に翻弄され続けた恵まれない男は雪が降りしきる冬の夕刻にその生涯を閉じた。


 2005年12月21日。


 銀座を仕切る名門、眞行路一家の後継者争いに端を発し、銀座のみならず日本の裏社会全体をも巻き込んで繰り広げられた大乱、銀座ぎんざ継承けいしょう戦争せんそうは輝虎の討死と、彼と同道していた残党勢力の降伏によって終結した。


 それから10日後の大晦日。


 いつもの赤坂のカフェで、俺は華鈴と語らっていた。つい1年前と、まったく同じように。


「……無事にこの日を迎えられて嬉しいな」


「ああ、俺もだ」


 この1年で俺は様々なものを得た。華鈴という、かけがえのないパートナーが傍に居るようになったのが最たる例だろう。


 されど失ったものもある。


「ねぇ……涼平」


「何だ?」


「あたしたち、1年前の約束を守れたのかな」


 如何なる時も自分たちの理想を貫き通す――考えてみれば俺は分らない。胸を張って「ああ、守れたさ」と言えるかどうかは微妙なところだ。


 俺は輝虎のブラックマーケットを潰した。そして奴が率いていた人身売買組織を壊滅させ、それに東京都が絡んでいたことを突き止めた。都庁の職員が隠語として「クサツ」と言っていたのは日本におけるアメリカのギャングの拠点が横須賀にある米軍基地の「932号地」だったから。


 つい昨晩に恒元の口から語られた、この国の想像を超えた腐敗に俺も華鈴も反吐が出る思いだった。

 俺は煙草に火を付けながら口を開く。


「俺はこの戦争で秀虎を勝たせた。奴は本家に忠誠を誓ったから眞行路一家が暴走することは無いだろう。だが、この終わり方が俺たちにとっての理想だったのかは……分からねぇや。眞行路が仕切ってたブラックマーケットは恒元公に引き継がれたようなもんだ。あの人も結局は欲で動く男だ。潤沢な儲けが生まれる地盤を善意で潰すとは思えねぇ」


「そっか……そうだよね……」


 華鈴はそう呟くと、遠い目をしながら続けた。


「……でも、あたしはこれで良かったと思うな」


「どうして?」


「だって……あたしたちがしたことは無駄じゃないもの。救えなかった人は確かにいるけど、救えた人だっているから」


 彼女はそう言って微笑んだ。その笑顔に俺は救われた気がした。


「そうだな……」


 寄る辺なき人々を救うという華鈴の理想を叶えるにはどうすれば良いか――温もりと切なさの中で、俺は言った。


「……もっと力をつけねぇとな」


「力?」


 深く頷き、続ける。


「俺たちが理想を叶えようとすると、そいつを邪魔する奴が現れる。だったら、そいつらをぶっ倒せるだけの力があれば良いわけだ。どんなに強大な敵が相手でも叩き潰せるだけの強い力……そうすりゃ、たとえ相手が中川恒元だったとしても、理想を叶えることができる」


 その言葉に華鈴は頬を緩めた。


「俺は力を手に入れる。誰にも負けねぇような力を……だから、これからも付いてきてくれるか?」


「……うんっ!」


 彼女は満面の笑みで答えた。その笑顔に安堵する一方で、俺の脳裏には確かな決意が浮かんでいた。

 誰にも負けないだけの力――つまりは権力を手に入れてやると。


 さすれば全ての寄る辺なき人々を救うことができる。そして華鈴を幸せにしてやれる。ああ、良いことずくめだ。


「もう少しで除夜の鐘だからさ、お蕎麦食べよっか」


「年越し蕎麦か、良いな」


 俺たちの波乱に満ちた2005年はこうして終わりを迎えた。そして来る年、俺は愛する女と共に、新たなる一歩を踏み出すことになるのだった。

戦争が終わった。喜びと悲しみを半々ずつ胸に抱き、涼平と華鈴は新たな一歩へ。次回、新章開幕!

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