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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第12章 銀座継承戦争
223/261

兄弟喧嘩の果てに

 蛇王の貫手が俺に突き出される。されども俺はそれをひらりと躱した。


 ――シュッ。


 空を切った攻撃の余韻が静かながらも凄まじい音を響かせる。流石は蛇王、衝撃波も尋常ではない。


「……少しはやるようになったようだな」


「あんたの攻撃は既に見切った」


 しかしながら、今の俺では奴に勝つことは叶わないだろう。だからこそここで全ての成果を出してやる! 蛇王はまたしても俺をめがけて腕を突き出すが、その攻撃は見切った。そして一瞬のうちに俺は反撃に転じた。拳を握りしめて蛇王を殴りつける――しかし奴は難なくそれを躱してのけた。


「どうした? そんな攻撃で俺を倒せるとでも?」

「……ちょっとしたウォーミングアップさ」


 すぐさま俺は次の行動に移る。奴の懐に潜り込み、その顎に向けて掌底を繰り出した。しかし、これもまた躱されてしまう。


 だが、それで良いのだ。俺の狙いは他にあるのだから。


「ふんっ! お前の腕はこの程度か、涼平っ!」


 蛇王の拳が俺の顔面に向かって突き出される――が、俺はそれをで皮一枚かわした。そしてそのまま彼の腕を掴み取ると、力一杯捻り上げた!


 すると奴は苦痛の声を上げる。


「ぐあっ!」


 そして俺は奴の腕を掴んだまま、地面へと引き倒した。奴は仰向けに倒れたまま俺の足を蹴り上げようとするが、俺はそれを躱して彼の腹の上に跨った。

 そしてそのまま奴の首を両手で絞め上げる!


「ぐっ……!」


 蛇王の顔色が変わるのが分かった。だが、このまま勝負をつけさせてくれる奴ではない。


「……少し油断したようだ。弟よぉぉ!」


 直後、頭突きが飛んでくる。首を絞められた体勢のまま蛇王が反撃を見舞って来たのだ。俺はすぐに後ろに飛び退く。


 おかげで直撃は回避した。しかし、額から出血しているのが分かる。頭突きすらも衝撃波を生ますとは恐るべし。


「俺を弟と呼ぶな!」


 手の甲で血を拭いながら、俺は奴を睨みつけた。


「お前は俺の兄なんかじゃない!」


「……何?」


 蛇王の顔色が変わる。奴は起き上がりながら俺を見据えた。そしてせせら笑うように言うのだった。


「この期に及んで何を世迷言を。共に鞍馬の秘術を学んだ仲ではないか。そして己の中に天狗を宿している……」


 だが俺は怯まずに言い返す。


「あんたこそ何を勘違いしている? あんたは俺の兄貴じゃないんだよ。あんたはただの天狗だ!」


「ふっ、ふはははは! 何を言い出すかと思えば!」


 蛇王は腹を抱えて笑い出した。


「……何が可笑しい?」


 俺は奴を睨みつけるが、奴はなおも頬を緩める。そしてひとしきり笑った後、その顔を俺に向けてきた。


「お前は……いや、涼平よ。お前こそ俺よりもはるかに獰猛な天狗ではないか」


 そんな挑発に惑わされる俺ではない。即座に反論する。「違うね」と。


 しかし、蛇王は続けてきた。


「かつてお前は傭兵として百を超える数の人間を血祭りに上げ、今は殺し屋として禄を食んでいる……そんなお前のどこが人だと言うのだ? お前は人の皮を被っただけの獣だ! 俺と同じな!」


「違う!」


 俺は叫んだ。


「お前と一緒にするな! 俺は人間だ!」


 だが、蛇王はなおも俺を笑うだけだった。


「違わないさ。現にお前は今もこうして俺と戦っているではないか?」


 しかし、俺もここで引き下がるわけにはいかないのだ。何故なら俺には守るべき者が居るのだから!


「……だったら教えてやるよ、俺の中の天狗はとっくに滅ぼしたってことを」


 そう吐き捨てた瞬間、俺は走った。


「でやあああっ!」


 直後、放ったのは飛び蹴り。爆速で距離を詰めて勢いに乗った攻撃だ。しかし、奴も黙ってはいない。

「甘いわっ!」


 蛇王は俺の蹴りを片手て止めると、そのまま俺を投げ飛ばした。地面に叩きつけられる寸前のところで身を翻し、素早く立ち上がるが、そこに奴が追撃を仕掛けてくる。


「はあっ!」


 今度は右の正拳突きだった。


 ――ドガッ。


 残像が残るほどの速さで繰り出された拳を俺はギリギリのタイミングで躱す。だがその隙に奴は次の攻撃に移っていた。俺の顔面目掛けて放たれた左の貫手だ。


 これは避けられない。俺は咄嗟に腕を上げてガードする。


 ――バキッ!


「ぐあっ!」


 強烈な一撃が俺を襲った。激痛と共に、骨が折れて肉が裂ける音が響く。だが、まだだ。こんなところで倒れるわけにはいかない。


「うおおおっ!」


 俺は咆哮を上げながら蛇王に飛びかかった。奴の首を掴み、そのまま地面に押し倒すと馬乗りになった。


 そして拳を振り上げる……しかし、その攻撃は不発に終わった。何故なら奴が俺の腕を掴んでいたからだ。


「ふははっ! 貴様ならやはりこの手に乗ると思っていたぞ!」


「……それはどうかな。『兄さん』よ」


「何!?」


 俺は掴まれた右腕を後ろに退いて、奴の体を引き寄せる。そして上体が起き上がったタイミングで額に頭突きを当てる。


 ――ドンッ!


 轟音が響いた。


「うぐあああっ! き、貴様ぁぁぁ!」


 予想だにしていなかった攻撃に蛇王は怯んだ。その隙を見落とす俺ではない。すかさず俺は奴の腹に掌底を入れた。


「ぐはっ!」


 奴が血を吐く。そして俺はその上にまたもや馬乗りになった。これでもう逃さないぞ!


「はあっ!」


 そのまま拳を振り落とすが、寸でのところで蛇王はそれを避けた。しかし、それは俺の想定内だ。

 すぐさま俺は奴の腕を掴んで捻り上げた。そして再び首を絞め上げると、その状態で何度も顔面を殴りつける。


 ――バキッ!ドゴッ!ベシッ!


 鈍い音が響く。勝負あったか。


 しかし、奴は直撃の瞬間に逐一顔を左右にずらすことで俺の掌打の破壊力を抑えていた。


「まだまだぁっ!」


 蛇王は叫ぶと、俺の拘束を振りほどいた。そしてそのまま後ろに飛び退き、距離を取る。


 だが俺はすぐに追撃を仕掛けた。奴が着地した瞬間を狙って拳を振るう! しかし今度は奴もそれを読んでいたようだ。俺の攻撃を避けると同時に反撃の蹴りを繰り出してきたのだ。


 ――ドカッ!


 鈍い音と共に俺は後方に飛ばされたが、何とか踏みとどまった。そして構えを直すと、次はこちらから仕掛けることにした。


 すぐさま駆け寄る。だが、次の瞬間。奴はその場で跳躍して宮殿の屋根へと上った。


「……ッ!?」


 屋根の上に立つ蛇王は大きく肩で息をしている。だが、その瞳だけは疲労の色を少しも纏わず、妖しい光を放っている。

 何か奥の手があるのか――そう直感した瞬間、奴は笑みを浮かべた。


「言ったはずだぞ涼平……貴様では俺には勝てぬと……力の差を見せてやる……人であることにこだわる男とそうでない男との違いを……俺の天狗をッ!!」


 次の刹那、蛇王の体から紫色の光のようなものが見えた。


「なっ、何だッ!?」


 分からない。目の錯覚か、あるいは本当の光景か。いずれにせよ俺は奴の力が格段に上がっているのを感じていた。


「行くぞ!涼平ッ!」


 奴は叫ぶと同時に超高速で俺に接近してきた。その速度は先程までとは比べ物にならないほど速い。


 だが、俺だって負けてはいないぞ! 俺は奴を迎え撃とうと構えを取る――が、次の瞬間にはもう既に俺の眼前にまで迫っていたのだ。


「何っ!?」


 咄嵯に防御態勢を取ったものの、蛇王の攻撃はあまりにも強すぎた。ガードの上からでも衝撃を殺しきれずに後方へ吹き飛ばされる。


「ぐあっ!」


 そのまま俺は地面に倒れ込んだ。そして立ち上がろうとするが、それよりも先に蛇王が追撃を仕掛けてきた。奴の貫手が俺の顔面目掛けて突き出される!


 ――シュッ!


 間一髪でそれを躱すも、その隙を狙って今度は蹴りが飛んでくる。だがそれも何とか回避した……しかし、その直後にはまた次の攻撃が俺を襲うのだ。


 まるで嵐のような連続攻撃だ。


「どうした涼平? もう終わりか!? 貴様の力はこの程度かッ!」


「うるせぇ! ちょこまかと動きやがって! もう見切ってんだよ!」


 だが、言葉とは裏腹に俺は確かな焦りを感じていた。


「でやあっ!」


 俺は奴の攻撃を躱しながら反撃の機会を窺う。しかし、奴はそれを食い止めんと言わんばかりに次々と攻め立ててくる。


「どうした? もう限界か?」


「まだだッ!!」


 俺は叫びながらも必死に応戦するが、それでもやはり分が悪い。徐々に追い詰められてゆくのが分かる。


 このままではまずいぞ……そう考えた時だった。蛇王の貫手が俺の顔に命中した。


 ――グシャッ。


 強烈な一撃だった。


「ぐあっ!?」


 肉が抉られる感覚が顔の左半分を襲う。視界が暗転し、強烈な激痛に意識が飛びかける。


 しかし、ここで倒れるわけにはいかない!


 俺はすぐに体勢を立て直すと、蛇王に向かって突進した。そして渾身の力を込めて拳を放つ。


 鞍馬菊水流究極奥義、鎧崩し……しかし、それは奴の掌底から放たれた衝撃波よって防がれてしまった。


「ふんっ!」


 次の瞬間には俺の体は宙を舞っていた。そして地面に叩きつけられると同時に背中に痛みが走る。どうやら投げ飛ばされたようだ――それもかなりの勢いでだ!


「うぐっ……!」


 肺の中の空気が全て吐き出される。だが、それでも俺はすぐに立ち上がった。そして再び蛇王に向かって駆け出す。


「無駄だ! 貴様では俺には勝てん!」


 奴の貫手が俺の顔面を狙う。しかし、俺はそれを紙一重で回避すると、そのままカウンターを仕掛けた――が、それはあっさりと防がれてしまう。


 それどころか逆に強烈な一撃を喰らってしまう始末だ……だがそれでも俺は諦めなかった。何度だって立ち上がってやるさ……!


「うおおおっ!」


 しかし、俺の攻撃は奴には届かない。貫手を放っても、掌底を打っても、全てが躱され、いなされてしまう。


 鞍馬菊水流の攻撃は使用した人間に絶大な負荷をかける。顔や体からの出血で闘気が削られてゆく状況ではますます体力の消耗が速い。


 気付けば俺は膝をついていた。


「はあ……はあ……」


 全身を血で真っ赤に染め、呼吸を乱しながら。


「ふはははっ! これが俺の天狗だ! 力を出し惜しみする貴様に勝てるはずが無い!」


 大笑いする蛇王の顔が歪んで見える。奴の体に見える紫の光は相変わらず妖しい輝きを放っている。

 おそらくあれが奴の云う天狗なのだろう。


 鞍馬菊水流の真髄を究めた人間が到達する最終地点――心を戦闘衝動に染め、全身を闘気で満たした魔の境地だ。


 その強さは想像を絶するものだと分かっていたが、まさかここまでのものとは……かつて自分があのような状態だったと思うと可笑しさもこみ上げてくる。


「どうした? もう終わりか?」


 蛇王の挑発に対して俺は何も答えられなかった。奴の力はあまりにも圧倒的だ。今の俺では勝てないかもしれない。


 いや、きっと勝てないだろう。だが、それでも諦めるわけにはいかない!


「まだだッ!」


 よろよろと立ち上がった俺。そして再び構えを取ると、そのまま突進する――しかし、またしても俺の攻撃は全て防がれる。


「甘い!」


 どうして俺の攻撃は当たらないのだ?


 蛇王が動体視力に優れているからか?


 奴の体から噴き出す闘気で距離感が掴めないからか?


 俺が攻撃を放つたびに的確な防御で応じられる。拳は腕で振り払われ、貫手は肘を曲げて跳ね返され、蹴りは膝でがっちりと止められる。それらの動作のひとつひとつにまったくと言って良いほどに隙が無く、攻撃と同じくらいに速い。「防御こそ最大の攻撃」とは言い得て妙だと感心させられてしまうほどに。


 鞍馬菊水流の持ち味は動作の速さにある。それが音速を超えることによって技を繰り出した手や足の周りでは衝撃波が発生し、たとえ攻撃そのものが当たらずとも衝撃波が敵の肉体を切り裂き、破壊する。


 よって俺も攻撃が蛇王の体を掠めるたび、手や足にダメージが蓄積された。蛇王のひとつひとつの防御動作により衝撃波が発生し、肉体が切り刻まれるのだ。おかげで次第に意識が朦朧とし、出血で四肢が真っ赤に染まってゆくのが分かる。


 これが天狗の力か。その状態に到達して技を見舞えば、これほどまでに相手を圧倒できるのか。


 俺は歯噛みした。超えられない力の差を痛感させられたような心地だ。古い記憶が脳裏を駆ける。


 異国の地で稽古に明け暮れていた頃、蛇王と組み合うたびに俺は笑われた。『遅い』と。


 奴が防御の構えに入るより先に攻撃を当てられないのである。こちらとしては蛇王の防御が速すぎて技を仕掛ける隙もタイミングも掴めない。そのせいでいつも俺がスタミナを切らして動きが脆くなった瞬間に一発でノックダウンを奪われていた。


『相手が悪いな、涼平。その力量なら戦うのが俺でなければ容易に勝っているから安心すると良い』


 まるでこの世界で強さの頂点に座るのは自分だと言いたげな台詞。血気盛んだった当時の俺はそんな兄弟子の言葉でさらに奮起し、何度倒されても負けじと挑みかかっていたものだ。あの頃と今とでは状況が違うが似たようなものだろう。


 やはり俺は蛇王には勝てないのか――待てよ? どこかに隙があるはずだ。鉄壁の防御を攻略する糸口が。


 そもそも蛇王の防御は何故に強靭なのか。それは動作が速くて衝撃波が発生しているからだ。


 つまりは奴の防御は衝撃波に完全に依存しているというわけである。ならば奴が防御動作を構えるより先に……!


 しかし、それは俺にはなし得ぬ技なのである。如何に頑張っても俺より奴の方が速い。天狗の力を爆発させ、蛇王は全てにおいて俺の力を超越している。技の速度も先ほどより上昇している。今までの戦いで疲れているのではないのか。疲労も蓄積しているだろうに。まったく大した男だ。


 奴より速くは動けない。


 よって俺の攻撃は悉く奴の衝撃波によって相殺されてしまう。


 これでは勝てない……!


 舌打ちを鳴らしながら、俺は全力で頭を回転させた。奴の防御を潰す技は無いか。


 技の速度が圧倒的に足りていない俺が――。


 いや、違う。俺は気付いた。奴の防御が上回っているからではない……俺の攻撃が物足りていないからだ!


「どうした? もう終わりか?」


 蛇王の言葉に俺はほくそ笑む。


「ふっ……そういうことだったか……」


 その瞬間、俺の口から血が飛び出た。どうやら内臓が激しく損傷した模様。このまま戦い続ければ危ういだろう。


 狙うは短期決着。されども勝算は得ている。


「痛みで頭がおかしくなったか! では、気が振れたまま塵とめっせい!」


 蛇王の拳が俺の顔面目掛けて飛んでくる。鎧崩し――だが、俺はそれを全力で躱すと、そのまま奴の懐に飛び込んだ。


 そして渾身の力を込めて貫手を放つ……が、それも簡単に防がれてしまう。


「ふっ……」


 だが、それは想定内だ。


 俺はすぐに次の攻撃に移るべく構えを取る――と見せかけて裏拳を繰り出した!


 当然のごとく避けられるが問題ない。本命は次にあるのだから。俺は続けて蹴りを放つ……これも跳躍で避けられた。


 されども俺は笑った。


「……嵌まったな」


「何?」


 ――ドガッ。


 次の瞬間、鈍い音と共に蛇王の体が吹き飛んだ。


「ぐはっ!」


 奴は地面を転がりながら壁に激突し、そのまま崩れ落ちた。奴の踵が地に着く直前を狙って繰り出した掌底が当たったのだ。


「はあっ……はあっ……」


 血を吐きながらふらふらと起き上がる蛇王。俺はそれを眺めながらゆっくりと歩み寄る。


「……貴様……何をした?」


「簡単な話だ」


 俺は答える。


「お前の防御が速いなら防御しきれねぇくらいの攻撃を叩き込めばいいだけのことだ」


 そう、つまりはそういうことなのだ。単純な話である。今までの攻撃は全て布石に過ぎないのだ。


「さっきの攻撃に敢えて闘気を纏わせなかったのは、お前に体力を使わせるためだ。鞍馬菊水流の使い手は防御にも衝撃波を用いる……だったらその衝撃波を打てねぇような体勢に導いてやれば良い!」


 鞍馬菊水流における衝撃波の発生手順は「両足を水平に接地した状態」であることを原則とする。だからこそ、俺は奴の両足が空中に浮かんだ瞬間を狙ったのだ。


「腕、肘、膝……鞍馬の使い手の防御が鉄壁なのは迎撃の動作があまりにも速いために衝撃波が発生するからだ。しかし、その衝撃波が打てなきゃただの武術家と変わらねぇよ!」


 俺は構えを取ると蛇王に向かって突進した――が、その時だった。突然視界が大きく歪んだかと思うと、両脚に強烈な痛みが走り始めたのだ!


「……ぐっ!」


 下半身の骨という骨が悲鳴を上げている。先ほど奴の攻撃を浴びすぎたせいで古傷が開いたらしい。


「ふははっ……夏の傷が癒えておらぬようだな……衝撃波を打てんのは貴様も同じではないか、涼平!」


 そう笑うと蛇王はゆっくりと近づいてくる。まるで勝利を確信したような顔つきで。


「はあ……はあっ……俺の方が一枚上手……やはり貴様では俺を討つことなど出来ん……俺の勝ちだ、弟よッ!」


 そうしてトドメの一撃を放つべく突進をかけようと奴が動いた瞬間。


「うっ!?」


 蛇王の顔が苦痛で歪んだ。


「うぐっ! うぐあああああっ!」


 両ひざに手を当てながら震える兄弟子。何が起きたのだと云わんばかりに、表情には困惑の色も浮かんでいる。


 その様子を見た俺はせせら笑う。


「もはや万全の体じゃなったのはあんたも同じじゃねぇか『兄さん』よ……さっきの掌底が空振りした時、そいつが生んだ衝撃波が膝にひびを入れたみてぇだな……」


「馬鹿な……! 貴様が……俺の膝を……?」


 信じられないといった表情の蛇王。俺はそんな奴に続ける。


「この技こそが鞍馬菊水流の真髄……分かるだろ?」


「……まさか」


「そうだ、そのまさかさ」


 そう、これこそが鞍馬菊水流の「敵中に活を見出す」という概念を体現した技である。相手の攻撃を利用して自らの攻撃を上乗せする荒業だ。


「勝負はまだ決まっちゃいねぇぜ……」


 頬を緩めた俺だが、こちらもこちらで脚の傷が深い。奴の云う通り、もはや衝撃波は打てないだろう。

 ならば。


「……シンプルなやり方で行こうじゃねぇか」


「……ふははっ、そういうことか」


 俺は痛む足を引きずりながら、ゆっくりと兄弟子のもとへ近づいてゆく。奴も同じことを考えたのか、こちらへ歩いてくる。


 そして――互いに絶叫する。


「でやああああっ!」


「おおおおおおおっ!」


 ――グシャッ。


 鈍い音が響いた。同時に繰り出したストレートパンチが互いの頬を抉ったのだ。


「……ふははっ。相変わらず弱いな」


「テメェこそ……力が全く乗ってねぇぜ……」


 そうしてまた渾身の一打を放つ。


「はあっ!」


「でやっ!」


 再び拳と拳がぶつかり合う。


 ――グシャッ。


 そしてまた次の一打を放つ。


 ――グシャッ。


 肉と肉がぶつかり、骨が削れる。その繰り返しだ。しかし、そんな戦いを続けていられるのも時間の問題だろう。


「……はあ……はあ……」


 もう限界が近いことは互いに分かっていたはずだ。それでも俺たちは殴り合いを続けた。それはきっと意地のようなものだったのだろうと思う。


 だが、それも長くは続かなかった。次第に動きが鈍くなり、ついには両手が動かなくなるまでになったのだ。


「……どうやら次が俺たちにとっての決定打になりそうだな」


「ああ……そうだな」


 俺は拳を握りしめると、体に残る全ての力を振り絞って振り上げた。


「蛇王ぉぉぉぉぉぉ!」


 奴もまた全身全霊の一打を放ってくる。


「涼平ッ、終わりだぁぁぁぁぁ!」


「蛇王ぉぉぉ!」


 俺たちは同時に拳を放った。それは互いの顔面を捉えると、そのまま振り抜かれて動かなくなった。


「……勝った」


 最初に声を出したのは蛇王だった。俺は倒れながらも奴の方を見る。すると奴は勝ち誇ったような顔で俺を見つめていたのだ。


「貴様はよくやった……だが、これで終わりだ……」


 そう云ってゆっくりと近づいてくる兄弟子に、俺は意地で力を振り絞る。そして立ち上がると同時に渾身の一撃を放つ!


 ――ドゴッ!


 頭突きだ。


「うぐあっ!?」


 流石に予想していなかった攻撃らしく、蛇王はゆらめき、やがてゆっくりとその場に倒れた。後を追うように俺も倒れる。


「はあ……はあ……」


「ああ……ああっ……」


 京都、鞍馬山の奥地に建つ宮殿。その中庭で俺と蛇王、二人の男が並んで倒れている。


「はあ……はあ……」


「……ふははっ」


 互いに満身創痍。だが、それでも俺たちは笑っていた。まるでかつての頃を思い返したかのように。


「なあ、涼平よ」


 そんな俺を蛇王が呼ぶ。


「……何だ?」


「何故だ?どうして貴様はそこまでして俺と戦うのだ?」


 その問いに俺は少し考えてから答えることにした。正直に云うと自分でもよく分からないからだ。ただ、一つだけ云えることがあるとすれば――それはきっと『意地』だろうと思う。


「……組織のお達しだとか、そんなものはどうでも良い。ただ、純粋にあんたに勝ちたかったんだ」


「何のために?」


「何のためか……分からねぇ。まあ、強いて言うなら理想のためだろうな」


 俺の放った返答に蛇王は笑った。


「そうか……そういうことだったか……」


 きっと説明を付け足さずとも理解したのだろう。かつての弟弟子の考えていたことを。やがて彼は穏やかに言った。


「……安心するが良い、可愛い弟よ。眞行路輝虎との契約はとっくに切れている。俺を討たずとも奴はもう終わりだ」


「き、切れている? 何? どういうわけだ?」


「あの男がギャラを払わなかったのでな。奴のために仕事をする理由は無い」


 そう云って笑う蛇王。俺は言葉を失った。まさか、そんな単純な理由で――いや、それよりも。


「あんた……じゃあ、どうして俺と戦った!?」


「簡単さ。ただ、貴様と戦いたかった。純粋にな。貴様と戦う理由などそれだけしか無いだろう。他は後付けで十分だ」


「……もしかして?」


 驚いて尋ねた俺に、蛇王は淡々と答えた。その答えを聞いて俺は愕然とするしかなかったのだ――何故ならそれはあまりにも衝撃的すぎたから。


「春頃にも伝えたではないか。俺は貴様を倒すために日本へ赴き、眞行路輝虎の味方に付いたと」


 それはてっきり俺を挑発するための言葉だと思っていた。だが、違ったのだ。彼は俺と戦うためだけにこの国に来たのだ。


「何故だ?」


 またしても尋ねた俺に蛇王は答える。


「それが鞍馬菊水流の……いや、俺と貴様の宿命だからだ」


「宿命だと?」


「……そうだ」


 そして彼はゆっくりと言葉を繋いだ。それは俺がかつて奴からかけられた台詞と、まったく同じだった。


「涼平……俺とお前は……戦うことでしか交われんのだ……」


「……蛇王!?」


「ぐふっ……さらばだ……可愛い弟よ……貴様は……俺の……」


「蛇王ッ!」


 俺は叫んだ。かつての兄弟子の名を。だが、それはもはや意味の無いことだと分かっていた。何故なら彼はもうこの世にはいないのだから。


「……」


 俺はよろよろと立ち上がると奴の亡骸に駆け寄った。そして奴の手を取ると強く握りしめる。すると不思議なことに温かさを感じるようになったのだ。

 まるで生きているかのように。


「……あんたは強かったよ。兄さん」


 そう言葉を残すと、俺は蛇王を背にしてゆっくりと歩き出した。ボロボロの体で数時間かけて山を下りた後、息をつくのと一緒に声を漏らす。


「さて……帰ろう」


 俺はそう呟くと、再び歩き出すことにした。


 行き先は勿論決まっている。愛する人の暮らす街だ――2005年11月2日。その日、俺は長年のライバルでありかつての親友でもあった蛇王を倒した。


 これにより眞行路輝虎は最後の切り札を失い、銀座をめぐる戦乱の情勢は一気に秀虎派の優勢へと傾くだろう。無論のこと中川恒元より賜った勅であるが、俺が鞍馬菊水流の使い手として道を歩むためには欠かせないことであった。


 異国の地で共に稽古に明け暮れていた頃、蛇王を超えることだけが俺の夢だった。その夢が叶ったというのに、まるで心は晴れなかった。どちらかと云えば、勝利の喜びよりも寂しさの方が心の大半を占めていた。


 ようやく憧れの兄弟子を超えたというのに。俺に「天狗になれ」と囁いてくる憎き敵を討ち倒したというのに。愛する人を殺した男に自らの手でトドメを刺せたというのに――湧き上がってくる感情はどういうわけか寂寥感ばかり。


 それはまるで心のどこかで何もかも自分を上回っていた蛇王のことを今もまだ尊敬していたようではないか。いや、そうだ。俺にとって蛇王は敵であると同時に友であり師であり追いつきたいと思っていた兄なのであった。


 憎しみにかまけてすっかり忘れていた。


 いやいや、ここへ来て想い起こせたのだから「忘れていた」とは云えない。


 今もなお、俺は蛇王に敬愛の念を持っているのである。


 様々な感情をかき消すように、俺は煙草に火を付けた。脳裏をよぎるのは、やはり共に暮らした異国での日々。流浪の果てに憎しみを背負い、鞍馬の最終到達地点たる天狗になったおかげであの男は歪んでしまった。


 そして彼に愛する人を殺された俺もまた、傭兵として異国を渡り歩いた末に天狗と化した。血の臭いと硝煙の熱で心が狂い、兄弟子と同じ化け物へと変貌してしまったのだ。そんな俺が人間の心へ戻れたのは何とも幸いなことであったと語る他ない。


 もしかすると、俺は今も天狗のままだったかもしれない。無論、今の俺は人間だ。日本で出会った愛する人と共に、これからも歩んでゆくだろう――たとえ歩む道が魔境へと続く一本道だったとしても、あくまでもひとりの人間として。


「これで良い……」


 そうひとりごちると、俺は予め麓に待機させてあった藤城琴音御用達の病院の専用救急車で赤坂へと戻ったのだった。

涼平と蛇王の戦い、ついに決着。あくまでも「人間」のまま、天狗へと変じた兄弟子を超えて打ち倒した。次回、長きにわたる戦乱に幕が下ろされる。

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