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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第12章 銀座継承戦争
221/261

異国の蛇

『この度は弊社および関連企業をご支援いただき誠にありがとうございます』


 ブラウン管に映し出された女性が上品な笑みを浮かべて語りかけてくる。彼女は藤城ファンドの代表、藤城琴音だ。


『今回のTOBは我々にとって大きなチャンスです。ミラージュ・エレクトロニクスは我が社がかねてから注目してきた企業であり、その株を私どもがお預かりし、適切な資金分配を行うことでミラージュ・エレクトロニクス社の業績成長は勿論のこと日米両国における経済発展が見込めます』


 琴音の発言に記者たちがざわつく。


 彼らは次々に英語で呟く。「黄色い猿が何を言ってんだ」だの「メス豚が」だの聞くに堪えない言葉が会場を支配した。


 されども壇上に立つ女は怯まない。TOBの発表と同時にニューヨーク株式市場で催された会見は、既に彼女の勝利で幕を閉じた。


『ご静粛に』


 琴音の一声で記者たちは静まり返る。その様を見て彼女は満足げに微笑むと続けた。


『我々藤城ファンドがミラージュ・エレクトロニクスの株式を買い占めた目的はただ一つ、日本とアメリカの経済の発展です。そのためにはミラージュ・エレクトロニクスの企業価値を高める必要があります』


 俺は笑みを浮かべた。


「ふん……よく言ったじゃねぇか」


 この会見の様子をテレビ越しに見ている限り、琴音は終始余裕の表情。もはや藤城ファンドによるミラージュ・エレクトロニクスの制圧は完了したにも等しいだろう――そう頭の中で納得し、俺は声を上げた。


「マスター。おかわりをくれ」


「かしこまりました」


 中年の店主が手際よくグラスに酒を注ぎ入れる。ここは錦糸町のバー『STRAY』で、時刻は深夜0時を過ぎた辺りである。


 日本企業としてはバブル期以来となる藤城ファンドによるアメリカ企業へのTOBをビッグニュースとして報じるテレビの音声が流れる店内で、俺はグラスを傾けた。


「随分と景気の良い話じゃねぇか」


 思わず独り言が漏れた。するとカウンターの向こうでマスターが応じる。


「藤城ファンドでしょう?」


 俺が頷くと彼は続けた。


「驚きましたね。まさかアメリカの会社を買っちまうなんざ」


「まあな……」


「社長もよくご決心されたものです。ミラージュ・エレクトロニクスはアメリカじゃ西部開拓時代から続く老舗なもんで、そこを外国の企業が買おうなんざ現地の人々にとっちゃあ愉快なはずがねぇってのに」


「……買収が成功しても失敗しても藤城琴音はアメリカ中の嫌われ者になる。たかが陽動のために大袈裟なこった」


 そう呟いてグラスの酒をぐいっと飲んだ俺に店主は深々と頷く。


「ええ。そこが藤城社長の恐ろしいところです。いくら儲かるったって、あの手この手で嫌われるのは避けられねぇでしょうに」


「しかしまあ、これで作戦の第一段階は完了ってわけだ」


 俺はグラスを傾けた。するとそこでドアベルが鳴って客が入ってくる。


「待たせたわね」


 そこへ視線を向けると予想通りの人物――琴音である。


「遅かったじゃねぇか」


「人目につくとまずいもの、抜け道を迂回してたらこんな時間になっちゃった」


 そんな彼女に俺は「そうかい。一杯おごるぜ」と言って隣に座らせた。


「ありがとう。じゃあ、ウイスキーを炭酸割りでお願い」



 俺は店主に目配せして頷いた。


 すると彼は棚からボトルを掴むと氷を入れたグラスへ注ぎ入れた後に琥珀色の液体を注ぐ。そして最後に炭酸水を加えてマドラーで軽く混ぜれば完成だ。その一連の動作は実に洗練されており、まるでショーでも見ているかのような気分にさせられる。


「お待たせ致しました」


 提供されたグラスを携えた琴音はそれを傾けて口に含むなり言った。


「……うん、美味しい」


 いつもはロックを頼む琴音にしては珍しい。ソーダの刺激が欲しくなったのだろうか。


「しっかし、よく出来てるな。特殊メイクってやつか」


「まあね。記者会見で喋る分には問題無いわ……」


 今日は7月22日。


 本来ならばニューヨークに居るはずの藤城琴音が何故か錦糸町のバーで酒を飲んでいるが、これには理由がある。


 ミラージュ・エレクトロニクス社および合衆国政府との折衝のため現地へ差し向けたのは影武者なのだ。


 同じ背格好の女性に特殊メイクを施し、琴音本人と見分けがつかないよう細工した上で、アメリカへ送り込んだ。そして俺はニューヨークで記者会見を行っているはずの本物の藤城琴音とこうして密会しているわけである。


 琴音が偽物を仕立てた思惑は単純明快。藤城ファンドによるミラージュ買収を阻止すべく現地のギャングおよびCIAが予想以上に躍起になっているからである。


 のこのこ現地へ赴いた暁には1日と持たずに殺されてしまうだろう――けれども彼女は呟いた。

「……尤も、あと30分もすればCIAは気付くでしょうね」


「まあ、世界最強のスパイ機関だから造作もねぇだろうよ」


 記者会見の終了後、偽物はすぐさまアメリカ国外へ脱出させる手筈だと琴音は言った。当人を乗せた旅客機が「エンジントラブル」を起こさない確証は何処にも無いが、ともかく今は打てる手を打つ他ない。


「で、首尾はどうかしら」


 グラスを傾けた後に尋ねてくる彼女に対し、俺は答えた。


「上々さ……ミラージュ本社の株価は連日高値を更新してやがる」


「そう。これでひとまず日本政府のバックアップは期待できそうね」


 満足げに微笑む彼女に俺は尋ねる。


「だが、買収の可否を決める最終的な交渉は米国大統領府ホワイトハウスでやるんだろ」


 アメリカでは農業や国防といった国の基幹を成す産業を担う企業が外国資本に経営を奪われそうになった折、大統領がその買収を拒絶する権限を持っている。


「ええ。大統領は必ず拒否するでしょうね」


「だったら、まだ安心はできねぇぞ」


 今回のTOBが成功すればミラージュ社は藤城ファンドの傘下に入り、日米両国における経済界のパワーバランスが大きく崩れることになる。そうなればアメリカ政府が自国企業の「防衛」のために動くことは想像に難くない。


「……そうね」


 今回の目的はミラージュ社を手に入れることではない。買収の可否を決める審議会出席のため同社首脳陣が米国大統領府に集まった隙を突き、ネバダ州の本丸に奇襲を仕掛けることなのだ。


「今回、あんたがやろうとしていることはあちらさんにとっちゃ本土に爆弾を投げ込まれたにも等しい。どうせ大統領府ホワイトハウスでのミーティングってのは自国民向けのパフォーマンスに過ぎんだろう。連中の真の狙いは、あんたをるための……」


「うふふっ、流石は涼平。よく分かっているじゃない。だからこうして錦糸町のバーで飲んでるってわけよ」


「……ミラージュの首脳陣をどうやってネバダからワシントンに引き付ける? あんたがホワイトハウスに顔を見せん限りは大統領も即時拒否にサインするだろうぜ?」


 眉間に皺を寄せて尋ねた俺に彼女は返答する。


「私の当初の目論見はミラージュ首脳陣がワシントンへ移動するのに伴って護衛のギャングたちも一緒に東海岸へ赴くことでネバダの守りを手薄にすることだったけど。私自身を餌にする策が予想以上に危険だと分かったからには。別のやり方を考えなくてはならないわね……単純にネバダの砦を攻略するとか」


 おいおい、それってつまり――思わず文句を云いたくなった俺だがそれ以上の言葉は繋げなかった。


「ちっ。無茶言ってくれるぜ……」


 ニヤリと笑みを浮かべながら俺を見やる琴音に怪訝な視線で応じつつも、小さく頷く。そして煙草に火を点けると言った。


「……分かったよ。だが、条件がある」


「何かしら?」


 首を傾げる彼女に俺は続けた。


「あんたの力で兵隊を用意してくれ。なるべく米軍の手の内に明るい人間を案内係として付けて欲しいんだ」


「勿論、あなたを単独で潜入させようだなんて思ってないわよ」


 三淵といい、琴音といい、誰も彼もが俺に無茶ばかり押し付けやがる。まあ、アメリカ本土へ渡ってカチコミかけるなんざ、確かに俺くらいしか成功させ得る人間は居なさそうだが。


「安心して。元合衆国陸軍特殊部隊群グリーンベレーの腕利きを中心に作戦ユニットを組んであるから。あなたはその一員に参画すれば良い」


 まあ、それなら申し分ないか。俺は他にも装備や携行品、輸送機などを揃えるよう琴音に注文を付け足した。俺のリクエストを全て聞き終えた彼女は「元傭兵のあなたならそう言うと思ってたわ」とにっこり笑うのみ。


 あたかも端からネバダの敵のアジトへのカチコミを前提にしていたような態度だった。相変わらず食えない女である。


「うふふっ。米軍と共同戦線を張ったことのある元傭兵に声をかけたのは正解だったわね。国際情勢にも明るいようだものね」


「一般常識程度に頭に入ってるだけだ」


「そうかしら? 並大抵の人はCIAから要注意人物扱いされてる爆弾魔とやり合ったことなんか無いんじゃない?」


「……蛇王のことを言ってやがるのか。あれは昔の馴染みがそういう手合いに成り下がっただけのことだ」


「都内で小規模な爆発が頻発してるって話は耳に入ってるでしょうに。昔の馴染みと云うなら早めにケリをつけるべきなんじゃなくって?」


「ああ、急かされなくてもそうするつもりだぜ」


 輝虎に雇われた爆弾魔が銀座界隈で爆破を繰り返している旨の情報は中川会本家も把握していた。それがかつての兄弟子であることはとっくに分かっていたが、恒元曰く暫しは様子見に徹しようとの仰せだったので静観していただけのことだ。奴を自らの手で打ち倒す用意は当然ながら出来ている。


「……ところで、あんたの用意した兵隊ってのはどんな野郎どもだ?」


 話題を変えるように俺が尋ねると彼女は答えた。


「あなたとは気心の通じ合った仲だと思うけど」


「……ん?」


 首を傾げる俺に琴音が告げたのは意外な名前だった――それから3日後。


 俺は高度1万メートルを飛行する輸送機に揺られていた。その飛行機は正式名称をC-50と云い、その年にロールアウトしたばかりの米空軍の最新鋭輸送機だった。


 ――ゴォォォォ。


 飛行機の内部というものは何とも五月蝿いものだ。

 けたたましいエンジン音が四六時中響き渡り、機内は文字通りの喧騒に包まれている。無論、軍用機には旅客機とは違って防音設備等は無いから当然と言えば当然だが。


「……」


 俺は座席に腰掛けたまま無言で窓の外を見つめた。眼下に広がるのは広大な雲海のみ。その景色をただ見つめながら物思いに耽る。傭兵時代の記憶が嫌でも脳裏をよぎってしまう。あの頃は粗末な装備と共に開くかどうかも分からぬパラシュートを着けさせられ、大空から地上へ急降下したものだ。


「……ちっ」


 思わず舌打ちする俺に同乗していた男が笑う。


「You’re nervous. Was it wrong to say that samurai in Japan are unfazed?(だいぶ緊張してるみてぇだな。日本のサムライは肝っ玉が強いんじゃなかったのか?)」


 俺は表情ひとつ変えずに言い返す。


「I’m not the one to say that.(そいつは俺の台詞じゃねぇ)」


 すると男はニヤリと笑って言った。


「Sorry, I was just kidding.(冗談だよ、冗談)」


 そんな男の名はリブラ。年齢と国籍は分らないが、見た感じ30代半ばの黒人男性だ。琴音曰く「元米軍将校として数多くの戦場をくぐってきた」とのこと。


「According to the young lady Kotone,you have infilt(お嬢様の話では過去にアフリカで何度かHALO降下で敵地に潜入したことがあるんだったよな)」


「Yes.I almost died because my parachute Handed over by ’t open.He got stuck in a tree and got nine deaths.(ああ。イギリス軍がクソみてぇなパラシュートを渡しやがったせいでヤバかったけどな。木に引っかかって九死に一生を得た)」


「Haha! Is it common for all countries to treat mercenarie(ひゃひゃっ! 傭兵の扱いが雑なのは万国共通ってやつか!)」


 このリブラなる男は日本語が話せない。ゆえにこうして英語で会話を繰り広げているわけなのだが――それが周囲の連中の目には滑稽に映ったらしく、狭い機内で冷淡な視線が俺に注がれる。


「……」


 ああ、分かっているとも。自分が英語には妙な訛りがあるということくらい。少し恥ずかしい気分に襲われていると奥から声が響いた。


「無駄話はその辺にしておけ。もうすぐ降下地点に到達するんだ。気を引き締めておけ」


 流暢な日本語で声をかけてきた長身の白人男性。そんな彼に俺はぶっきらぼうに応じる。


「へっ、分かってますよ。部隊長さん。おたくのボスが寄越した落下傘が開くかどうか少し心配になっただけだ」


「何だと? 貴様? 琴音様を馬鹿にしているのか?」


「傭兵のジョークってやつだ。そうカッカするな。キグナスよぉ」


 この男の名はキグナス。琴音の私兵の外国人部隊の隊長を担う人物である。


「……まったく。ただでさえ琴音様のお傍を離れるのは心許ないというのに。こんな男と作戦を共にするとはな……」


 苦々しい表情で呟いたキグナスに周囲の屈強な外国人たちが同調する。


 そう。今回、参画する流れになった「作戦ユニット」というのは普段は琴音の護衛を担う外国人部隊のことだったのだ。琴音曰く彼らをおいて他に俺の注文に見合う腕を持つ私兵は居ないとのことで、俺としても異存は無いが――不満があるとすれば連中が俺のことを快く思っていない点だ。


「くれぐれも足を引っ張るなよ、東洋人。イギリス軍の下働きだった元傭兵の力量が如何ほどか、お手並み拝見だ」


「その言葉、そっくりそのままお返しするぜ。元グリーンベレーさんよ」


 機内の空気が凍てつく。外国人部隊の中には男性のみならず女性の姿も目に付き、その誰もが屈強な身体つきをしている。


「貴様、言わせておけば……」


 キグナスが怒りを露わにしたその時だった。


 ――ブブッ! ブブッ!


 機内にブザーが鳴り響く。傭兵時代にはイギリス空軍の輸送機に同乗させてもらっていたので分かる。緊急アラートだ。


「おいおい。この機体はステルス仕様じゃなかったのかよ」


 ため息とともに吐き捨てる俺を尻目に機内が慌ただしくなる。


 どうやら米軍の防空レーダーに見つかったらしい。すぐさま機長が機内放送でアナウンスを始める。


「Confirmed the approach of an enemy aircraft from the rear! Tracked!(後方より敵機接近を確認! 追尾されている!)」


 アメリカ合衆国の防空体制では国籍不明機を感知した時点で管轄区域内の空軍がスクランブル発進を敢行。場合によっては撃墜することも少なくない。


 俺は思わず舌打ちする。


「はあー。成田から出発して10時間、快適な空の旅だったんだけどなあ」


 一方、キグナスは唖然としていた。


「おかしい……」


 その顔には何処か焦りの色が窺える。俺は尋ねた。


「ああ? この飛行機の隠密性能にそんなに自信があったのか?」


「いや、違う。この機体は確かにステルス機だが、そうでなくとも見付からないはずなのだ」


「何故に言い切れる?」


「琴音様が西海岸管区の空軍に話をつけてあるからだ。それがどうして……」


「まあ、いくら奴さんらと同じ空軍機で飛んでても怪しい動きをすりゃ一発で敵国機扱いだわな」


 さてはパイロットが迂闊な侵入経路を採ったな。俺は肩を竦めると座席から立ち上がった。そして機内を歩き始める。


「どこへ行く気だ?」

 キグナスの問いに俺は答えた。


「決まってるだろ? 脱出だよ」


 そんな俺の背中にリブラが声をかける。


「……What are you doing,samurai?(……何をするつもりだ、サムライ)」


「Let’S take a look. The courage of a samurai(ご覧頂こうじゃないか。侍の度胸ってやつをな)」


 俺はニヤリと笑うとそう応えた。


「正気か、貴様?」


 そんな俺にキグナスは顔を曇らせる。だが、構わず俺は続けた。


「あんたも支度をしたらどうだ。ジャマ―を張ろうが、フレアを放とうが、スクランブル機に追っかけられた以上は墜とされるもんさ」


「何!?」


 すると機体を衝撃が揺さぶる。近くでミサイルが爆発した模様。間一髪のタイミングでフレアを放出したおかげで着弾は免れたが、この至近距離で爆発されてはひとたまりも無い。


「……やむを得んか」


 キグナスは舌打ちを鳴らすと、両手袋を嵌めて背後に防護マスクを顔に装着する。高度1万メートルからの落下に伴う凍傷と酸欠を防ぐための装備品だ。


「Captain, open the hatch.As soon as it’S done, you (機長、ハッチを開けてくれ。それが完了次第、あなたもこの機を降りてくれ)」


 そんなキグナスの言葉と共に機内の後部ハッチが開く。するとそこから2機の戦闘機の姿が見えた。


「……へっ、見るからに俺たちを撃ち落とす気満々じゃねぇか」


 彼らは容赦なく機銃を掃射、飛んできた弾丸が機内の壁に当たって鈍い音を響かせる。


 まあ、この状況は軍人でなければ乗り切れないだろうな。日本から俺の部下たちを連れてこなくて良かった――そう思いながら俺も装備を整える。


「東洋人。合流地点で会おう。それまでくたばるなよ」


「へへっ。誰に言ってやがる。あんたこそな、キグナスさんよ」


 俺はそう応じると機内の通路を走り出す。その途中、リブラが声をかけてくる。


「You are a warrior.(戦士だな)」


 そんな彼に俺は苦笑して応えた。


「It’S not that big. I’m just a mercenary.(そんな大層なもんじゃねぇさ。ただの傭兵だよ)」


 やがて後部ハッチまで到達すると、俺はそのまま機体の外へと飛び出した。そしてパラシュートを開くと同時に降下を開始する。


「……懐かしいな、この感じは!」


 俺は笑いながら呟くと、地上に聳える敵の要塞めがけて降下していった。


 そんな高度1万メートルからの自由落下であるが体内時計で数えれば10分以上に及んだ。その間、パラシュートは風に揺られて何度も広がりそうになるも、その都度、俺の腕力で強引に引き締める。そしてようやく辿り着いたのは絵に描いたような荒野だった。


 まずは現状確認だ。


 俺はパラシュートを切り離し、落下速度を落として地上へと降り立つ。そして周囲を見渡した。するとそこには無数のテントが設営されており、その周囲には銃を持った兵士の姿が見受けられる。どうやらここは敵陣の範囲内らしい。


「……はあ。風に流されちまったか」


 作戦行動において落下地点が当初の予定を逸れることはよくある話だが――俺は頭をかくと、とりあえず物陰に身を隠して無線機を起動する。


「あー、あー。聞こえるか?」


 すると無線機からキグナスの声が返ってきた。


『おおっ、この周波数は!? 貴様、無事だったか!』


「ああ。そうだよ。あんたは今どこにいる?」


『私はまだ降下地点の近くにいるが……って! そんなことを言っている場合じゃない! すぐに合流地点まで引き返せ!』


「おいおい、落ち着けや」


 そんな俺の言葉を遮るようにキグナスが叫ぶ。


『さっきの強風で全員がバラけた! まずは全員の合流だ!』


 ああ、そういうことかい。昔からアメリカの西海岸は風が強いと云われているが、この日は桁違いだったらしい。


 俺は嘆息すると、無線機を切った。そして物陰から身を乗り出すと周囲を見渡す。


 テントの数からして結構な規模の部隊が駐屯していると思われるが……さてはこの砦を守っているアメリカ軍か?


 だが、それにしては妙だ。


「……敵の拠点が米軍基地ってのはあくまでも表向きで、本当は単なるギャングのアジトって話だったよな」


 俺はそう呟きながら、ふと上空を見上げた。するとそこには2機の哨戒ヘリの姿がある。


「元軍人の成れの果てにしても、ギャングごときがあれほどの機体を……まさか!?」


 元軍人どころか米軍そのものがブラックマーケットを仕切っているとしたら――妙な予感が脳裏をよぎるも、俺はひとまず物陰に身を隠しながら敷地を抜け、1キロほどの合流地点へ辿り着いた。


「あ、来たよ! おーい!」


 そんな俺の姿を見つけて駆け寄って来るのは先日に温泉街で顔を合わせた女性兵士である。その背後には彼女の仲間と思しき外国人部隊の兵士たちが控えていた。


 キグナスの姿もある。


「無事だったか。東洋人の癖に運が良いな」


 どこか安堵したように呟くキグナスに俺は苦笑する。


「あんたが心配してくれていたとはな。恩に着るぜ」


 そんな俺にリブラが肩を竦めた。


「It seems to be a great (どうやら凄腕のようだな)」



 俺はそんな彼らの言葉を聞きながら、改めて辺りを見回した。するとそこには複数のテントが設営されており、キグナスが言うには米軍基地を装ったこの拠点でギャングたちが寝泊まりしているとのこと。


「東洋人。もう気付いていると思うが、ここは正真正銘の米軍基地だ。外を守っているのはギャングだが内側はれっきとした米兵だ」


「……つまり俺たちは今から世界最強の軍を敵に回そうってのか」


「怖じ気づいたか」


「逆だ。燃えてきたんだよ。俺は昔からメリケンどもが気に食わねぇんでな」


 予想通り、ブラックマーケットを仕切っていたのは米軍――つまり奴らの人身売買は合衆国政府が黙認しているということだ。俺は傭兵時代にアメリカ軍が東欧で働いた非道の数々を目の当たりにしている。それゆえ心の中には彼らへの敵愾心のようなものが薄らと渦巻いていたのだ。


 無論、それは俺だけではなかった。


「言っておくがな、東洋人。この基地に居る奴らは曲がりなりにも俺たちの昔の同胞ということになるが、躊躇なんてものは端から無いぞ。我ら全員が祖国アメリカを捨てている……いや、祖国から裏切られて帰る場を失っているのだからな」


 そんなキグナスに俺は微笑んでみせる。


「そいつは分かってるさ。行き場を失くしたところを藤城琴音に救われたんだろ」


 するとスナイパーライフルを担いだ女性兵士「ヴィルゴ」が口を開いた。


「ああ、そうさ。祖国から弾かれたあたしらに琴音様は生きる道をくれたんだ。あの人のためだったら何だってやるよ」


 そんな彼女の隣でキグナスは頷く。


「今の我々に生きる意味を与えてくれたのは琴音様で、あのお方こそが今の我らの帰る家なのだ」


 そんなキグナスの言葉に俺は苦笑した。


「んじゃ、米軍やつらとドンパチやるのに遠慮は要らねぇってか」


 リブラもまた、呟くように言う。


「Rather, it is a wish and a wish come true. I’ve always wanted to give them a blow.(むしろ願ったり叶ったりだ。昔から奴らにはひと泡吹かせてやりたいと思っていたんだ)」


 よく見たらリブラの左足は義足になっている。その理由について俺は深く尋ねなかったが、彼が募らせる祖国への恨みが尋常でないことは容易に想像が付いた。


「んじゃ、行こうぜ。作戦開始ミッション・スタートってやつだ」


 俺たちは二手に分かれ、基地の攻略を開始する。


 まずはキグナスたち「潜入方」が哨戒の目をかいくぐって基地に隠密潜入し、その裏でヴィルゴたち「援護方」が遠距離から狙撃技術を駆使して俺たちを援護するという二段構えだ。


「キグナス。俺はどう動けば良い?」


 部隊長はナイフを手渡して言った。


「近距離戦に長けた男だと琴音様から聞いている。外の歩哨を排除してくれ」


「おうよ」


 俺はナイフを構えると、そそくさと隊を離れる。


「さて、どう攻めるか」


 まずは歩哨の数を把握する必要があるな。俺は物陰に潜みながら基地の外周をぐるりと回ってみたが、天下の米軍基地だけあってそこら中にアサルトライフルを構えた兵の姿が見える。おそらくは俺たちが襲撃をかけてくることは予想しており、哨戒レベルも跳ね上がっているだろう。


「まどろっこしいのは性に合わねぇや」


 そんな呟きと共に俺は駆け出した。鞍馬菊水流伝承者の足の速さには誰も気が付けやしない――俺はあっという間に距離を詰めると1人目の喉を切り裂いた。


「がっ!」


 鮮血を噴き出しながら倒れ込む敵兵。近くに居た奴らは何が起きたか分からず呆然としている。


 俺はそれを読んでいたかのように身を屈めると、そのまま地面を蹴って跳躍した。そして空中で身体を捻ると1人目の首筋にナイフを突き立てる。


 ――グシャッ。


 それと同時に3人目の顔に恐怖が浮かぶ。


「ぐはっ!」


 1人が倒れると同時にもう1人の首を切り裂きつつ着地する俺。


「Attack! Enemy Attack! (て、敵襲だ!)」


 ようやく事態を把握した敵兵たちが銃を構えるが、俺はすぐさま手刀を切って衝撃波を放つ。その刃先は1人の心臓部分を的確に切り裂く。


「うぐっ!」


 そんな呻き声と共に崩れ落ちる兵士を尻目に俺は次の獲物へと狙いを定めると、またもや跳躍する。そして空中で身体を捻ると残る敵兵の首を次々と切り裂いていった。


 ――グシャッ。


 彼らは恐怖に顔を歪めたまま地面に倒れ伏す。


「……しっかし、反応が良いな。流石は米軍兵士。ギャングとは違うってか」


 それから10分後。俺は施設の外周を哨戒していた全員を倒してしまった。


「さてと、次は中だな」


 俺はナイフを鞘に収めると、そのまま基地の内部へと潜入する。そしてキグナスたちと合流しようと試みた。


「おう。外の奴らは片付けたぜ」


 そんな俺の呼びかけに応えてくれたのはヴィルゴだった。どうやら彼女もまた哨戒兵を始末したようだ。


『い、今の……どうやったの!?』


「何のことはぇ。バレねぇように近づいて仕掛けただけだ」


『流石は日本人……まさにニンジャね……そ、それはともかく、キグナスたちは南口から入ったから。あなたも合流して』


 彼女の案内に従って進むと、やがて大きな倉庫のような場所に出た。そこには物資が山積みになっている。おそらく武器弾薬だろう。その近くには装甲車も停車している。


「お、居たな」


 倉庫の一角にキグナスたちが待機していた。彼らは俺の顔を見るなり安堵の表情を浮かべると、すぐさま駆け寄って来る。


「よくやったぞ!東洋人!」


 そんな彼らの言葉に俺は鼻を鳴らした。


「楽勝だ」


 俺が外の連中を片付けたことで、米軍は外敵が未だ外に居ると思っている。よって連中の注意が逸れた今が好機。すぐさま内部へと入り込み、目的を果たさなくては。


「けどよ、連中の商品にされてる子供らを助けるんだろ? 往路は良かったとしても復路はどうするんだ?」


 大勢で逃げれば速度も落ちるため追いつかれてしまうだろう――そう懸念を露にした俺だったが、キグナスたちの反応は意外なものだった。


「往路? 復路? そんなものはない」


 キグナスの言葉に俺は思わず首を傾げる。


「どういうことだ?」


「今回、俺たちの目的は『施設の破壊』であって『救出』ではない」


「……何だと!?」


 そんな俺の反応にリブラが言う。


「Haven’t you been told?(聞かされていないのか)」


 ちょっと待て。俺はてっきり救出が目的だと思って……いや、待て。よくよく考えてみれば救出が目的ならば施設を攻略する必要など無いはずだ。


 まさか……!


「俺たちの目的はあくまで施設の壊滅だ。商品にされている子供らのことは最初から眼中にない」


 そんなキグナスの言葉に俺は愕然とした。そして同時に激しい怒りが込み上げてくるのを感じた。


「……っ!」


 だが、俺の肩をポンと叩きながら諭すように言葉をかけてきたのは他でもないキグナスだった。


「俺たちも同じ思いだ、東洋人。だが、助けたところで今さらどうにもならんのだ」


「どうにもならねぇだと!? 何がだ!?」


「……見れば分かる」


 そう言うとキグナスたちは歩みを進めて行く。慌てて俺もついてゆく。倉庫の先にあったのはさながら研究機関ラボのような空間だった。

 薬品の臭いが充満した、薄暗い部屋。そこに何人もの子供たちが鎖に繋がれている。中には赤子の姿もあるではないか。


「な、何だ……これは!?」


 思わず声を上げる俺にキグナスが言う。


「見ての通りだ。連中はここで新薬の人体臨床を繰り返している。人為的に病原体を移植させたりなんかしてな」


「なっ……!? 国のお墨付きでそんなことを!?」


「ああ」


 リブラは呟くように言った。そして続けるようにヴィルゴも口を開く。


「……それがこの国のやり方よ。そしてあなたの国のマフィアが戦後60年近くに渡ってシノギにしてきたこと」


 ヴィルゴの言葉を耳にした途端、俺の中で点と線が繋がった。日本の眞行路一家がアメリカ合衆国政府と結託し、ブラックマーケットを牛耳ってきたのは、まさにこの非人道的な人体臨床による新薬開発で莫大な利益を得るためだったのだ。キグナス曰く新薬開発は年間数十億ドルもの利益を生むといい、それが眞行路一家に富をもたらしてきたというわけである。


「何と……赤ん坊を誘拐して海外に売っていたのは、それ自体を商品とする以上に『使い道』を見込んでのことだったってのか……」


「ええ、そうよ。子供の体は臨床に使うのに丁度良いからね。合衆国は1人につき1万ドルを眞行路一家に支払っていたみたい」


 ヴィルゴの言葉にキグナスが続けた。


「これは昨日の今日で始まったことではない。第二次大戦終結後、日本を占領していたGHQが眞行路一家に話を持ちかけて始めたものだ。その時の眞行路一家のボスは眞行路しんぎょうじ家虎いえとら……医学研究の不振に悩むアメリカ国内の状況を把握していた彼はそれを利用し、組の勢力を拡大しよう思いついたわけだ」


 1950年代のアメリカは医学の研究開発においてソ連の後塵を拝していた。この状況をまずいと感じた当時の大統領が手早い技術発展を模索する中で目を付けたのが人体臨床による新薬開発だった。そしてその素体を戦争で打ち破った日本から「調達」することに考え至り、日本の裏社会を支配するヤクザに協力を持ちかけて事を成したとのこと。


「おかげでアメリカは世界に先駆けて様々な病気の治療薬を開発した。結核も、梅毒も、このブラックマーケットが無ければ治せない病のままだっただろうな……」


 そう語るキグナスだが、言葉とは裏腹に声色は憎しみに満ちていた。


「……だが、このブラックマーケットは同時に多くの子供たちを臨床に使い潰してきた! そして今も尚、その悪行が続けられている!」


 キグナスの視線の先にあるのは英語で『素体』と書かれたガラスケース。その中には小さな赤ん坊が横たわっていた。


「浅ましくもアメリカは非人道的な研究によって得た成果を西側の同盟諸国に高値で売り付け、巨万の富を築いた! そして、その金でまた非人道的な研究を続ける……まさに負のスパイラルだ!」


 それだけではない。そのカネの一部は日本のヤクザ――素体の調達係を担う眞行路一家にも流れ、彼らに強大な権力を与えてきた。元は銀座を仕切る中規模組織でしかなかった眞行路が中川会をも凌ぐ権勢を振るうようになった理由はアメリカとの蜜月にあったのだ。


「眞行路一家は三代目の家虎が亡くなった後も四代目の高虎たかとらがブラックマーケットを仕切り、今まさに家虎の孫の輝虎が父と祖父が築いた販路をさらに拡げようとしている。潰すなら眞行路一家の跡目が定まっていない今しか無い……」


 現時点で輝虎はアメリカ国内の要人とのコネクションを築いていないため、ここで研究施設を潰してしまえばブラックマーケットは消滅する。ちなみにブラックマーケットはアメリカ国内でも機密扱いされているらしく、研究情報も含めて全てがこの施設に集約されているとのこと。つまり、ここを潰せば一気に片が付くというわけだ。


「なるほど……そういうことか……」


 俺は納得したように頷いた。確かにキグナスの言う通りだ。逆に施設を潰さなければ眞行路一家は新たな販路ルートを拡げるだろう。その過程でやがてアメリカの政治家ともパイプを作り、その圧力を後ろ盾に日本の政界に食い込む可能性もあるかもしれない。


 そうなれば眞行路一家は、またもや中川恒元を超える力をつけるかも……いや、そうなるだろう。


「この施設の奥に燃料タンクがある。そこを爆破すればこの施設は吹き飛ぶはずだ」


 彼の言葉に俺は逡巡した。


 どう反応するのが正解か、単に分からなかったのである。


 ここで臨床体にされている子供たちは既に様々な病原菌を植え付けられてしまっている。医学的にはもはや手遅れのレベルだろう。


 だからと言ってこのまま放っておいて良いのか――俺には答えが導けなかった。


「どうした? 東洋人?」


 そんな俺の様子を見抜いたか、キグナスが声をかけてきた。


「……いや、その……子供たちをこのままにしておいて良いのかと思ってな……」


「ふむ、確かにそうだな」


 キグナスはそう言うと俺に向き直って言った。


「だが、どうする? ひとりで数十人を運べるのか?」


「……」


「例え全ての子を救えたとしても、その後はどうする? 全員の食い扶持を稼いで、大人になるまで養ってやれるのか?」


 彼の言葉に俺は思わず唇を噛んだ。己の迷いが所詮は偽善でしかないことは端から自覚している。

 そして、救いを乞う全ての人間を救うなど出来やしないこともまた、俺は悟っている。


「……確かに。あんたの云う通りだ」


 ため息と共に深く頷いた後、俺はキグナスの瞳を見据えて言葉を続ける。


「甘い男で悪かったな」


 若干の苦笑いと共に放った台詞だが、返ってきたのは意外な声だった。


「別に幻滅はしていない」


「えっ?」


「寄る辺なき人々を救いたいと願うのは俺たちも同じだ。むしろ良かったよ。琴音様が見込んだだけの男である理由が何となく分かったのだからな」


 キグナスの言葉に暫しきょとんとしていた俺だったが、そんな俺をよそにリブラが言葉を紡いだ。


「さて、時間が無い。もうすぐ別働隊が爆弾をセットし終えた頃だ。もたもたしていれば爆発の巻き添えを食らうぞ」


 そんな彼の言葉を耳にして、俺はようやく納得したように返答を投げる。


「……ああ。そうだな」


「そうと決まれば退散だ」


 俺たちは薄暗い施設の中をゆっくりと、なおかつ速やかに脱出経路を進んでゆく。こみ上がる様々な思いに「こうするしかないのだ」との言葉で、封印を施しながら。やむを得なとは云えども、自分たちの選択が少なからぬ命を犠牲にしてしまうことが分かっているだけあって心が痛かった。


「東洋人。琴音様とは長いのか?」


「長くはねぇな。去年出会ったばかりだ」


「そうか。あの方は色々とおかしいが、どうか支えてやってくれ」


「ああ。言われなくてもそのつもりだよ」


 気を紛らわすかのように話を振ってきたキグナスの言葉にそう答えた俺だが、本当のところ内心では琴音に向けたクエスチョンが渦巻いていた。確かに彼女は色々とおかしいところがあるし、それゆえに突拍子もない行動も多い。純粋な意味で、彼女のことをもっと理解したいと思っていた。


「……なあ、あんたから見て琴音はどんな人間に見える?」


「行き場を失くした我らを拾い上げてくださった恩人だ。男性優位の世の中で、ああまで上り詰めた。そんなお方を尊敬しないわけがない」


「そうなんだな」


「ああ、そうだとも。しかし、一方で精神的に脆い部分があるのは確かだ」


「脆い? 琴音が?」


「言葉を選ばずに云ってしまえば『自分を守ってくれそうな男にはすぐに胸を開いてしまう』と表現すべきか」


「まあ……確かにな」


「それでもあの方は我らにとっての『光』であることに変わりはないがな」


 キグナスの言葉に俺は思わず息を呑んだ。そして同時に思う。やはり彼女は特別な存在なのだと。


 そんな俺を尻目にリブラが言葉を紡いだ。


「There is only one minute left until the detonatio(起爆まで残り1分だ)」


 その言葉に俺たちは足を速め、やがて別働隊と合流、基地の中に停めてあった装甲車に飛び乗ると全員で外へ飛び出した。


 異変に気付いた米兵たちが一斉に銃撃を寄越してきたが、堅い装甲は弾丸を容易に跳ね返してくれる。


 そして数秒後。


 ――ドォォーン!!


 凄まじい爆音と共に背後で白煙が上がる様子が見えた。どうやら燃料タンクが爆発したようだ。


「よし、撤退だ!!」


 キグナスの号令と共に装甲車は走り始める。俺はその車内から基地の様子を眺めつつ、静かに呟いた。


「……すまねぇな」


 だが、この犠牲は決して無駄にはしないと心に誓ったのだった。きっとそれは車内の全員が胸に感じていたと思う。


 吹き荒れる風塵のような複雑すぎる感情を心の中で抑え込み、ひたすら車に揺られること1時間。


 俺はキグナスに尋ねた。


「なあ、これからどう動く?」


 ハンドルを握りながら、彼は答える。


「ひとまずラスベガスへ向かう。車は郊外に乗り捨てる。この格好で街をうろつけば人目を引くだろうからな」


 確かにまずは扮装を施すことを優先すべきだろう。近くの米軍基地に襲撃があった後に戦闘スーツを着た連中が街に赴いたとあれば何が起きるか分かったものではない。ラスベガスまで着いた後は藤城ファンドにツテのある人物が日本へ撤退する手筈をつけてくれるというので俺は安堵した。


「まったく……あの女も顔が広いぜ……」


「当然だ。方々に名が売れていなければアメリカ第一位の資源開発企業にTOBを仕掛けたりは出来まい」


「ん? それはネバダのギャングを引き付けるための餌じゃなかったのか?」


「それもあるが、あの方は本気でミラージュ・エレクトロニクスを我が物にしようと考えていたのだ」


「なっ!?」


「アメリカの経済界に楔を打ち込むためにな」


「……恐れ入ったぜ。あんたのボスの野心と行動力には」


 ネバダのギャングを誘き寄せる作戦がハイリスクと考えたために今回の攻略作戦が行われる流れになったのかと思っていたが、琴音は琴音で別行動――今はホワイトハウスに居るというから驚いた。ミラージュ・エレクトロニクスのTOBの可否についてアメリカの大統領と懇談へ赴いているという。


「ネバダのギャングはミラージュの首脳陣に帯同してワシントンへ向かっているから、基地を守る残りの戦力は米兵だけで手薄……道理で少なかったわけだぜ」


「ああ。国家機密の施設ほど、それを守るための歩哨は少なくなるものだ。秘密というものはそれを存ずる人間が少ないから秘密と呼べるからな」


「ともあれ、それを俺たちは利用できたんだな。琴音も言ってくれれば良いのに」


 苦笑した時だった。突如として装甲車が停まる。


「どうした!?」


 ふとフロントガラスを見やると、両手にロケットランチャーを携えた男がこちらの行く手を阻んでいる。


「……」


 その男の顔には見覚えがあった。


「蛇王!」


 舌打ち混じりに声を漏らした俺にキグナスがきょとんとする。


「誰だ?」


「昔の馴染みさ。奴の目当ては俺だ」


「何だと?」


「キグナス、先へ行ってくれ。ラスベガスで合流する」


「おい、待て……」


 俺はドアを開けて荒野へ降りた。そしてすたすたと歩いて行くと、せせら笑う兄弟子と睨み合った。


「よう。まさか異国で会うとはな」


 こちらの言葉に奴はますます頬を緩める。


「大陸こそ違えど、出会ったのも異国の荒野だったのだ。ここで遭遇するのは俺たちらしいではないか」


 そう応じた後、ニヤリと笑いながらコートを脱ぎ捨てた蛇王。相変わらず大柄な肉体をしている。


「輝虎に頼まれて俺を殺しに来たのか」


「ミスター・シンギョウジに雇われているのは確かだが、ここへ来たのは俺自身の意思だ。尤も、貴様らの作戦を阻止できなかった時点であの男に先は無いがな。アメリカまで出かけておきながら、いざ異国の地を踏んだ途端に怖じ気づいてホテルに籠って何もしなかった大将に付き従う子分など居るまい」


「……無駄話は良い。やるならさっさとやろうぜ」


 すると蛇王はまたもやニヤリと笑う。


「その気になったようだな。涼平」


 次の瞬間、俺は突進をかける。かつての兄弟子との決着をつけるために。


 ――バキッ。


 ぶつかり合う肉体と技、そして闘気。互いの動きは秒速よりも速く、それはまるで周囲から切り離された俺たちだけの空間を形成しているかのようだった。


「どうした涼平! その程度の技では俺は倒せんぞ! 天狗を解き放ったこの俺には!」


「うるせぇ! 俺はテメェを倒す! 倒すだけだぁぁぁ!」


 蛇王からの連撃で体が血しぶきを上げる中、俺は凄まじい表情で反撃を放つ。


「うおおおおおおッ!」


 鞍馬菊水流究極奥義、鎧崩し――だが、その一発は空を切った。

今度は異国の地で激突した涼平と蛇王。鞍馬の伝統を担う男たちの勝負の行方は? 次回、戦いは一気に熱を帯びる!

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