バーサーカーモード
翌朝。
俺たちは登別市内をバスで一周していた。上叡大学サークル合同旅行2日目、登別市内観光である。
「凄いね。本当に景色が良い街だね」
車窓から外を眺め欠伸をしながら華鈴が呟く。俺は答えた。
「ああ、お前と来られて嬉しいぜ」
そう返すと、彼女は少し頬を赤らめて頷いたのである。そんな他愛もない会話をしていると原田は運転手に訊ねたのだ。
すると彼はすぐに応答した。どうやらこの先に小さな遊園地があるらしい。
「へぇー、面白そうじゃん!」
原田が目を輝かせて言うので俺は苦笑した。どうやら興味を抱いたようだ。まあ、俺も嫌いではないから構わないのだが。
「じゃあ、そこに行ってみるか」
そんなわけで俺たちはバスを降りて少し歩くと目的地に到着したのである。
そこは登別でも名の通った遊園地らしく、広々とした敷地の中に大小さまざまな遊具やアーケードゲームなどが並んでいる。
「いやいや。子供じゃあるまいし……」
「でも、何か修学旅行って感じじゃない?」
「まあ、そうだな」
学生たちは苦笑していた。しかしながら、原田がそこへ寄るよう提案したのは何も遊ぶためではない。
「……ここなら街の全体が綺麗に見渡せますぜ」
これから始まる作戦を俯瞰できる地点を手に入れたかったからだ。その遊園地は標高も高ければ、何より敷地が広い。さらに周囲には民家も無く見通しも良いのだ。
小さく頷き「なるほどな」と原田の提案に賛意を示す俺。また、もう一つ理由がある。
「これだけ一般客が居りゃあ、玄道会の馬鹿どもも迂闊に手を出せねぇだろうからな。北海道がアウェーなのは奴らだって同じだ」
組織による表社会の掌握が及ばない地域で、抗争に一般人を巻き込むことの意味――それは九州ヤクザが如何に血気盛んとて分かっているはずだ。井桁が俺たちを兵数で押し潰す気なら、その策が効果を発揮しない条件を作り上げれば良いだけの話である。
「流石は次長。よく考えていらっしゃる」
「まあな。ただ、この戦術には大きな穴がある。そいつを潰すためにお前たちには……」
「分かってます。敵が少数精鋭のヒットマンを差し向けてきた時に備えるんですよね。このテーマパークの地図は把握してますぜ」
酒井は力強く言ったが、俺は首を横に振った。
「いや、そうじゃねぇんだ」
そんな俺に対して彼は首を傾げる。だから俺はこう続けたのだ。
「俺が言いたいのは、井桁が姿を現さない可能性があるってことだよ」
「……え?」
そんな俺の発言に酒井だけでなく原田も驚いた様子であった。
「な、何で!? まさか、俺たちの作戦がバレちまってるとでも!?」
そんな彼らに対して俺は言ったのである。
「今回、俺は本庄の野郎を100パーセント信用したわけじゃねぇ」
「そ、それって……」
原田がゴクリと喉を鳴らすので俺はニヤリと笑った。そして頷いた。
「……ああ、そうだ。もしかすると井桁と裏で繋がってる線もゼロではないってことだ」
その言葉に酒井も息を呑んだのが分かった。まあ無理もないだろう。あの本庄のことだ。裏で何を考え、もしくは企んでいるか分かったものではない。
「だから、お前らには秀虎の護衛以上に井桁の監視にも気を配って貰いてぇんだ。今回は何が何でも奴を倒さなきゃならん。絶対にだ」
「……」
ひとまず顔を見合わせる二人。彼らの考えていることは分かる。
「で、でもよ……もし井桁と本庄が裏で繋がってたとして、本庄のメリットは何だ?」
そんな原田の言葉に酒井は頷いて応じた。
「確かにその通りだな。秀虎の後見人に就くよりだいぶ以前から、本庄の叔父貴と輝虎は不仲だったはずだぜ」
二人の疑問は尤もだ。だが俺は昨夜に知ったばかりの情報を元に答えることにしたのである。
「……昨晩、この街で玄道会のチンピラが騒いでたって話を本庄に伝えたら奴は『勝手なことしよってからに』とキレてやがった。その言い方からして九州と何らかの利害関係を伴う協定を結んでいると考えるのが自然だろう」
「だとすると、井桁は輝虎のみならず本庄とも通じてるってわけですか。万が一、輝虎との仲が拗れた場合のプランBとして」
酒井の言葉に俺は頷いた。そして続けたのである。
「ああ、そうだ。もし井桁が盟約の相手を眞行路輝虎から本庄利政に乗り換えていた場合、奴はこれから催される会談の場に姿を現さず、この遊園地へ秀虎を拉致しに来るだろう。銀座の利権を手に入れる交渉材料としてな」
殺害ではなく生きた状態での拉致――さすれば銀座における戦乱の大義名分を失わせ、輝虎派に対して優位に振る舞う格好の理由となる。同時に銀座の秀虎派を玄道会に恭順させ、同地区の利権を丸ごと奪い取ることも可能になる。
「おそらく井桁は俺の策略を見抜いている。相当な数の護衛を付けているはずだ」
「百単位の兵隊が同時に動くとなりゃ、この高台から見えないはずはねぇってわけですか。確かに」
「ああ。この位置は会談が催される料亭の部屋と一直線で繋がる。もし、奴の姿を捉えたらこいつで撃て」
そう言って俺は持ってきたゴルフバッグを渡した。中にはドラグノフ狙撃銃が入っている。
「こいつはまたデカいですね……」
「あまり好きな銃じゃねぇが、遠くを狙うにはもってこいだ」
俺は頷いた。この狙撃銃はボルトアクション式で、一発撃つごとに手動で排莢・装填を行う必要があるが、その破壊力は折り紙付きだ。射程距離も2kmを超えるので一撃必殺を要する状況なら問題あるまい。
「なるほど……これなら確かに……」
そんな酒井の呟きに原田も頷いたのである。
「で、もしここに井桁が現れたら奴の排除を優先しろってことですね」
「ああ、そういうことだ」
俺の予測では井桁は料亭ではなく遊園地に現れるはず。ゆえに部下たちをこの場に待機させようと考えたのだ。
「兄貴はどちらに?」
「料亭に陣取って奴を狙う」
「へへっ。兄貴を間違って撃たねぇよう気を付けなくっちゃなあ」
「もしそういう状況になったら、俺のことは気にせず撃って良い。今回、俺は刺し違えても井桁を討ち取るつもりだ」
「じょ、冗談っすよ……」
本庄組の動向が信用ならない以上、遠距離からの射撃のみならず近距離にも戦力が居た方が安心だろう。万全に万全を期すのが戦術の基本だ。
「もし、俺が奴と道連れになったらその時は会長によろしくな。あとはまあ、華鈴のことも……」
そこまで言いかけたところで原田が言葉を被せてきた。
「いやっ! そんな縁起でもねぇこと言わないで下さいよ!」
そんな彼に酒井も同調する。
「そうですよ、兄貴! 俺たちにはまだまだ教わりたいことが山ほどあるんですぜ」
そんな彼らの反応に俺はフッと微笑んだのである。そして言った。
「……冗談だ。銃弾が当たったくらいでどうにかなるような軟弱な体じゃねぇってことはお前らだってよく分かってるだろ」
「い、いや……そりゃまあ……」
原田が苦笑交じりに答える。そんな彼に対して俺は言ったのである。
「それにな、俺が死ぬ時はヤクザを辞める時だ」
「え?」
そんな俺に対して二人は目を丸くさせた。だから俺は続けることにしたのだ。
「ってのも冗談だ」
忽ち二人はため息をついた。
「あ、兄貴ぃ!」
「心臓に悪いですぜ! もうっ!」
そんな二人からの文句を聞き流しながら俺は思うのだ。まあ、自分がこの世界でしか生きていけないのは確かだよな――いつになく感傷的になった脳裏には華鈴の顔が浮かんでいたのだった。
「っていうか、兄貴」
「何だ」
「やっぱり華鈴さんのことが好きなんですね。『華鈴のことも』って……」
「う、うるせぇ! あの店でしょっちゅう昼飯を食ってるからよ! その、俺が死んだら太客が居なくなっちまうから、な、何つうか、適度に世話してやって欲しいって意味だ! 別に変な意味じゃねぇよ!」
「へへっ。分かりやすいですねぇ。兄貴は」
「……」
そんなやり取りを交わしているとアトラクションを終えた学生たちがやって来たので、俺は「次の見学先の下準備をしてくる」と言って遊園地を離れた。今夜は旅館で輝虎の誕生日会が予定されている。それまでに戻れば問題ないだろう。
華鈴と学生たちを巻き込んでしまう展開が心配だが、ここには頼れる部下たちを残しておくので彼らに全てを任せても良かろう。
それから俺はひとまず登別市内の料亭へと移動した。道中で合流した本庄組の兵たちも一緒である。そして会場となる部屋に陣取り、俺は無線で部下たちに状況を訊いた。
「九州の奴らは動いたか?」
そう尋ねたところで以外な反応が聞こえてきた。
『あのー、次長』
「何だ?」
『近くの廃工場みたいな建物に物凄い数の背広の男が群がってるんですけど……』
「背広? 玄道会か?」
『え、ええ……来る前に見てきた写真の連中と似た格好ですけど……』
「分かった。おそらくはそこを登別での陣地にしてるのかもしれん。引き続き監視を続けて井桁を発見次第、連絡してくれ」
そう言って話を終えると、本庄がやって来た。彼は俺の姿を見るなり怪訝な顔で言った。
「おい、何でおどれまで居んねん。全て本庄組が仕切るって言うとったやろ」
だから俺はこう返したのである。
「そうはいかない。本家の人間として一切を見届ける責任があるんだよ」
「……わしが信じられへんってのか?」
「念のためだ」
すると本庄は鼻で笑ったのである。そして言ったのだ。
「アホ抜かせ。この状況でわしの何処に九州と通じる要素があるんや」
「だったらあんた自身の手で井桁にケリをつけてくれ。手柄は全てそっちのもんにして良いからよ」
しかし本庄の奴は聞く耳を持たない様子で吐き捨てたのである。
「……まあ、ええわ。そないここに居りたかったら好きにせぇ。せやけど、邪魔だけはするんやないで。わしかてあの九州人を討ち取るために絶対の策を練ってきたんやさかいな」
「その言葉に嘘が無いことを祈るぜ」
すると、その直後。俺たちが待機している部屋に男が飛び込んできた。
「見えられました!」
この男は本庄組の伝令係――つまりはおでましのようだ。今回の会談相手が到着したというわけだ。
「おお、時間通りやな。ほな松川社長。よろしゅう頼んますで。手はず通りにな」
「わ、分かりました」
本庄に促され、松川は緊張の顔つきで隣の部屋へ入ると席に座る。そして数分後、その向かい側には見るからに高そうなモーニングを着た男が座っていた。
「初めまして。私は『はかた第一銀行』の専務取締役を務めております沢森正信と申します」
すると、松川も深々と頭を下げて自己紹介をした。
「遠路はるばるご苦労様でございます。私、『松川リゾート』の松川健一郎でございます」
その沢森なる男が専務の職を担う『はかた第一銀行』は九州でその名を知らぬ者はまず居ないであろう大手地方銀行だが、玄道会のフロント企業でもある。北海道への勢力拡大を狙う井桁の意向で土地売却の話に乗ってきたのだろう。
例えそれが罠だとしても、組織内における自らの権勢を盤石なものにしたい井桁が食い付かないはずが無い。北海道に玄道会の領地を獲得することで反主流派を黙らせたいのだ。
やはり来たか――俺は内心でほくそ笑んだ。しかし、そんな俺を尻目に本庄はこう呟いたのである。
「さて……ほんまに井桁は姿を見せるんかのぅ……」
確かに、土地獲得交渉の陣頭指揮のため登別には赴いているだろうが、この会談の席に現れるか否かは定かではない。ゆえに俺は小声で伝えた。
「……俺の部下から報告があった。この近くの廃工場にそれらしい男らが群がってるって話だ」
「まあ、この街で直接采配を振るうとすりゃあそこやな。迂闊にノコノコ姿見せたら討たれるかも分からへんのやさかい」
さて。どう動くか。井桁の気性を知り尽くしている俺としては、中川会による待ち伏せの罠が張られたこの料亭を逆に奇襲してくる可能性を視野に入れていた。
だが、必ずしもそうなるとは限らない。
まずは自分の身の安全を第一に考え、陣地からは一歩も動かず沢森専務に遠隔で指示を飛ばして交渉にあたる展開も考えられる。
あるいは、最初から秀虎のみを狙っているか。
「せやけど、おどれが言うとった通り、あの井桁っちゅう男も相当な切れ者やからな」
緊張の糸を引く俺たちをよそに、隣の部屋では会談が進んでゆく。
「本日は弊社の土地の売却についてお時間を頂きありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ、はかた第一銀行さんにご協力頂けて大変感謝しております」
そんな社交辞令が交わされた後、沢森専務はこう切り出してきたのである。
「ところで松川社長。本日、我々がこうしてお会いした目的は何でしょうか」
「……と申しますと」
その問いに対して沢森専務はニヤリと笑ったのだ。そして言ったのである。
「業界でも名うての情報通として知られる貴方様なら、我々のバックに誰が付いているか、ご存じのはず。どうかそのことを踏まえてお話が出来ればと」
自分たちが玄道会のフロント企業であると訊かれずとも匂わせてくるとは意外だった。まあ、圧力をかけたいのだろう。
「ええ、承知しておりますとも。お互い物騒な後ろ盾がおりますからね」
松川社長も流石である。沢森の挑発に全く動じず躱してみせた。
いやいや、感心している場合ではない。この料亭の近くに別動隊を送るかを考えなくては。
「本庄さんよ」
「何や?」
「さっき言った廃墟の様子を見て来てくれねぇか」
「はあ? 何してそないなことせなあかんねん」
「もし、井桁が料亭へ来ねぇのならこのまま待ち伏せを続けても意味は無い。別の地点に居るならそれを突き止めてぇんだ」
「ふんっ。そない言うならおどれが行けばええやないか……って言いたいとこやけど、確かに物見を送った方がええわな」
そう本庄が頷いた、その時だった。
――ドンッ。
何かが外れる音がしたかと思うと、会見が行われている部屋に黒ずくめの男たちが入ってきた。
「っ!?」
彼らは障子を蹴破り、松川専務と沢森専務を取り囲んだのだ。
「な、何ですかっ!?」
当然、二人は立ち上がりながら叫ぶ。だが、男たちは二人の頭に拳銃を突きつける。一体、どういうことだ――俺はすぐさま本庄の顔を見やる。
「ああ? 何やこれは!」
その一言で、この展開が彼の仕込みではないと思い至った俺。取るべき行動は一つ。すぐに襖を開け、拳銃を構えた。
「てめぇら! 玄道会か!」
井桁の指示で会談を襲いに来たか。おそらくこの中には居ないだろう。もしそうであれば酒井たちが連絡を寄越すはずだから。
俺に続いて本庄組の組員たちも拳銃を構えて乱入する。すると、黒ずくめの男たちは松川社長と沢森専務、二人の襟首を引っ張って外に連れ出したのである。
「待ちやがれっ!」
俺は慌てて後を追いかける。
本庄たちもそれに続き、料亭の外へと飛び出した。
「お、親分っ!」
「おどれらはここに居れ! わしと涼平の二人だけで何とかする!」
そんなやり取りを本庄が部下と交わす中、俺は考える。まさか井桁が松川社長の拉致に出てくるとは。
しかし、何故に味方であるはずの沢森専務共々狙ったのだろう。
奴らの逃げ足は異様に早く、俺たちは謎の武装集団を見失ってしまった。予想だにしていなかった急展開である。
「……おそらくは例の廃工場だ。井桁の野郎、松川社長を拉致して土地だけを奪い取るつもりか」
「まあ、そうやろうな。危険を承知で来たとはいえ、わしらの策に易々と乗るほどアホと違うってこっちゃ」
「てっきり秀虎の方を狙うと思っていたが。土地の奪取に随分と熱心なようだなな」
「無駄話しとる暇はあらへん。追うで」
部下たちからの無線が来ないことは気がかりだが、ひとまず俺は本庄と共に例の地点へと走る。そこは料亭から数キロも離れていない地域にあり、全力疾走したおかげで5分足らずで着いてしまった。
「あの廃工場やな」
本庄が指差した先には、いかにも廃墟といった様相の建物があった。元は自動車整備工場だったのだろうか。シャッターも屋根もボロボロで、窓ガラスも全て割れている。
しかし、そんな建物の前に黒ずくめの男たちが数人たむろしていたのである。
「おいっ!」
そんな男たちに俺は声をかける。すると彼らは一斉にこちらを向いたのだ。その数は5人か6人か……いや、もっと居る。
暗がりに紛れてよく分からなかったが、建物内から発せられる闘気を読む限り100人以上は待ち構えているようだ。
「テメェらの正体は分かってる。松川社長を返して貰おうか」
そう言い放つと、奥から野太い声が聞こえた。
「がっはっはっは! やっぱり来たかぁ! 麻木涼平! おいどんの読み通りじゃった!」
聞き覚えのある憎々しい声。でっぷりと肥えた大柄な体躯にしわが刻まれた顔――井桁久武である。
「井桁……」
「おはんが来ることは分かっとった。おいどんの首を獲らなきゃ、色々とまずいじゃろうてなぁ!」
「……テメェの戯言を聞く気は無い。何はどうあれここで殺すだけだ。ついでに松川社長も取り返す」
あくまで冷静に応じ、奴に向かって銃を構えた俺。すると背後から思わぬ声が発せられた。
「動くな」
低い声と共に闘気を浴びせ、俺の後頭部に拳銃を突きつけた男が居た。そいつは何を隠そう、本庄利政だった。
「けっ……やっぱり裏切ってやがったか……」
「すまんのぅ。涼平。わしにはわしの戦略があるんや」
「このクソ関西人が!」
そう吐き捨てて俺は奴に回し蹴りを浴びせる。だが、奴はひらりと身を躱すと高く跳躍し、宙返りして井桁の隣に降りた。
「ちっ」
まさか鞍馬菊水流の使い手たるこの俺の蹴りを躱すとは――本庄の動体視力は化け物レベルか。俺は舌打ちした。
だが、その程度で心折れたりはしない。
「標的が二人に増えただけだ」
今一度銃を構える俺をせせら笑う本庄。するとその横の井桁が続けてこう言った。
「今日はもう一人、客を招いとってのぅ。おはんを殺したい殺したい言うとっておったから、ここへ呼んだんじゃ」
「客だと?」
「ああ。おはんもよう知っとる男じゃ」
そう井桁が言った刹那、奥から気配が近づいてきた。そして現れた人物を見て俺はため息をついた。
「テメェまで来たか」
現れたのは輝虎だった。傍には須川と新見、二人の部下も控えている。
「よう、麻木涼平……うちの愚弟と組んで随分と俺のシノギを荒らしてくれたじゃねぇか……今日はたっぷりと礼をしてやるよ!!」
彼が率いているのは輝虎派と思しき兵たち。ざっと見た限り100人は従えている。須川興業、新見組の連中も合わせると倍近くになると見積もるべきか。
「ここに居るんは皆、おはんを殺りたがっとる連中ばかりじゃ。おはんがおいどんを狙っとったのと同じでな」
そう井桁が語った後、輝虎本庄がほくそ笑み合う姿が見えた。眞行路一家輝虎派のみならず本庄組をも味方に付けるとは、さては人身売買ブラックマーケットの利権でもちらつかせたか。
「まあ、構わねぇよ。テメェらを全員まとめて血祭りに上げるだけだ」
だが、その瞬間。懐に入れた無線機から声が響いた。
『次長! 緊急事態です! 秀虎が襲われました! 今、一緒に逃げてます! 相当な手練れです!』
俺は眉を顰める。こいつらめ、遊園地に別動隊を送ったか。
だが、特に動じたりはしない。俺は懐から無線機を取り出すとボタンを押して呟くように言った。
「すぐに駆け付ける」
そうして端末を懐に戻すと、下品な笑みを浮かべる井桁を見据えて言い放った。
「俺を取り囲んで嬲り殺しにするつもりか。慢心は大敗の要因だぜ、田舎ヤクザさんよ」
「何じゃ。この状況で勝てると思っちょっとか」
「ああ……勝てるさ……俺を相手にしたことを悔やむと良いぜ……」
俺は構えていた銃を下ろした。そして後頭部と首の境目を指で擦り、その中のとある部分を力強く押した。
「っ!?」
深く息を吸い込んだ俺。すると、直後から全身が熱を帯びるのを感じ取った。
「な、何や……おどれ、体から湯気が……」
本庄が目を見張って俺を見つめる。俺はその問いには答えず、井桁と輝虎を見据えて言ったのだ。
「さあ、始めようぜ」
そう言い放った瞬間だった。俺の身体から闘気が溢れ出し、周囲の空気を震わせたのである。そして同時に俺の脳内にあの男の言葉が響いたのだ。
『お前の中の天狗を目覚めさせてやる』
まあ、この状況では仕方ないであろう。大切なものを守るためなら俺は喜んで人間であることを捨ててやる。
鞍馬菊水流に伝わる経穴の術。
その技は脳に作用し、全身の細胞を活性化させ身体能力を向上させるという。
だがしかし、この技には大きな欠点がある。それは使用後に強烈な疲労感と脱力感に見舞われることである。
そして何より……。
「うおあああああああああああああああッ!!」
俺は雄叫びを上げながら、輝虎に向かって突進したのだ。
「な……っ!?」
その速度に驚いたのか、輝虎は咄嗟に身を躱そうとしたが遅かった。俺の貫手が奴の顔面を捉えたのだ。
「若頭!」
慌てて彼の部下が割って入り、俺の一撃で頭部を粉砕された。
「なっ!」
そのまま後ずさりして逃げる輝虎。だが俺は追撃の手を緩めず、さらに追い打ちをかけるべく彼の元へ向かったのである。
無論、彼を守るべく護衛たちが進路を阻むも、俺は手刀と貫手で居並ぶ敵を次々と砕いていった。
「うおおおおおおおッ! うおおああああああああああッ!」
もはや理性など脳内には残っていない。ただ、戦闘本能の赴くままに拳を振るい、敵を殺す――これこそが鞍馬菊水流に伝わる諸刃の剣。経穴孔だ。
云うなれば、麻木涼平バーサーカーモード。俺は数の上での振りを覆すべく、敢えて自分を暴走状態に落とし込んだのだ。
「こ、こいつは化け物か! 本庄どん、何じゃこれは!」
「じゃかあしい! わしに言うなや!」
敵の大将たちが狼狽える中、俺は一心不乱に拳を振るい続けた。
「うおおおッ!」
そう叫びながら俺は井桁へと突進する。流石の彼にも怯えが窺える。それもそのはず、俺の闘気は最早、人間離れしているのだから。
「井桁さん! 何としても逃げましょう!」
輝虎が叫ぶ。しかし、井桁は動かない。
「か、かかってこい! 麻木涼平!」
俺と戦おうとは。愚かな男だ。
まず、俺は近くに居た敵兵の顔面に貫手を放った。
――グシャッ。
そいつの頭部は破裂し、首から上の部分が吹き飛ぶ。そして俺はその亡骸を無造作に投げ捨てた。
「ひ、ひいっ!」
輝虎が悲鳴を上げる。だが、俺は容赦なく井桁めがけてに襲いかかった。
「うおあああああッ!」
そう叫んで拳を繰り出す俺だったが、奴は近くに居た組員を盾にして身を守った。しかし、その動きによって生じた隙を突いて二人の護衛が襲いかかってきたのである。
「うおおおおッ!!」
敵が刀を振りかざすも、俺の目にはスローモーションに映っていた。
俺は身を屈めて彼らの懐に入り、拳を腹に叩き込んで内臓をぶちまけさせた。だが、同時に本庄が後ろから拳銃を発砲した。
――パンッ!
乾いた音が鳴り響く中、俺は振り返って銃弾を避けた。そしてそのまま群がる組員たちの顔を蹴りで粉々に砕いていった。
血が飛び散り、肉が爆ぜる。
「な、何じゃこいつは……っ! 化け物か!」
本庄がそう叫ぶ中、俺は井桁に向かって突進する。奴は護衛を蹴散らして逃げようとするも、すぐに追いつかれてしまった。
――ドガッ。
俺の拳が彼の左腕にめり込む。直撃の瞬間に体を反らしたか、流石の戦闘センスだ。されども今の俺には関係ない。勢いのまま殴り飛ばすと彼は地面に転がった。吹っ飛んだ奴は仰向けに倒れたのだが、そうして窺えた顔は恐怖で歪んでいるように見えた。
だがしかし、俺は容赦なく奴に馬乗りになり、その首に手をかけた。
「ひいっ!」
「会長!」
そう叫ぶ輝虎と護衛たち。だが、もう遅い。俺は彼の首を力任せにねじ切った。
――ブチッ。
血管が千切れ、皮膚が張り裂ける音と感触。切断した井桁久武の首が宙を舞い、やがて地面に転がった。
「うおおおッ! うおああああああッ!」
そう、これは戦いではない。一方的な蹂躙である――だが、もはや天狗と化した俺の脳に理性など残されていない。
俺は立ち上がると、今度は輝虎の方へと走り出した。恐怖に足を竦ませながらも庇いに入った彼の部下を次々と薙ぎ倒してゆく。
頭部が破裂し、脳漿と血液が飛び散る。
凄まじい雄叫びを上げ、俺は輝虎を睨む。護衛の部下たちと切り離され、彼は完全に丸裸。恐怖で両脚を震わせていた。
次の瞬間、俺は突進をかける。
「ひっ!」
彼は反射的に短刀を抜いて防御した。だが、俺の攻撃はそれを容易く打ち砕き、彼の心臓めがけて貫手が伸びる。
しかし、奴には刺さらなかった。
――グシャッ。
攻撃が当たる瞬間、割って入った男が居た。須川であった。
「うっ……ぐうっ……」
彼は咄嗟に主君を庇い、俺の貫手をその身と引き換えに防いだのだ。
「須川!」
輝虎が叫ぶ。
「か…‥若頭……いや、輝虎様……お逃げ……ください……」
「須川! お前、どうして!?」
「当然のことでさぁ……あなた様は……眞行路一家の……五代目になられるお方……ですから……さあ……早く……」
「す、すまねぇッ!!」
輝虎はそう叫ぶと、俺に背を向けて逃げ出した。だが、俺は奴を追おうとはしない。故なら須川の体が俺の身体にしがみつき、身動きが取れなかったからだ。
「うおあああああっ!」
「若頭には……指一本触れさせねぇぜ……この老骨が居る限り……」
そう言って彼は俺の胴に絡みついた。
だが、還暦過ぎの老人の力である。俺は構わず奴に拳を放つ。そして頭部を爆ぜさせると、その亡骸を投げ捨てて輝虎を追ったのだ。
しかし、既に彼の姿はどこにもなかったのである。
「はあ……はあ……」
力が抜ける。どうやら経穴孔――バーサーカーモードの効果が切れたようだ。俺はその場に崩れ落ちるように倒れた。同時に全身の疲労感と脱力感が俺を襲う。
「くそ……っ」
だが、倒れているわけにはいかない。俺は懐から小瓶を取り出し、臭いを嗅いだ。こういう時に備えて持ち歩いている失神防止薬だ。
「これで何とか……」
そう呟きながら俺は立ち上がり、よろよろとした足取りで先を急いだ。
一対多数の圧倒的不利を打破するべく、経穴を突いて自らを暴走状態に陥らせた涼平。だが、それは彼が心から恐れる「天狗」への扉を開いてしまうことに……。次回、戦いの行方は!?
あけましておめでとうございます。本日を持ちまして拙作は連載4周年を迎えました。
本年も『鴉の黙示録』をどうぞよろしくお願いいたします。




