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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第12章 銀座継承戦争
214/261

青春旅行

 そうして迎えた5月1日。


 華鈴、秀虎を含めた上叡大学の学生たちにとっては春のお楽しみ、合宿という名のサークル合同旅行の日である。東京駅で新幹線を待つ若い男女――その中には俺と2人の部下の姿もあった。


「じ、次長……大丈夫なんですか? 次長ならともかく、俺たちまで参加しちまって? 明らかに浮いてますぜ?」


 不安げに訊いてくる酒井に俺は耳打ちした。


「大丈夫だ。俺たち3人は『松川リゾートから派遣されたツアーコンダクター』って設定になってる。そのために松川社長に頼んで正式な社員証まで用意して貰ったんだからよ」


「そ、そうは言いますけど……キラキラした大学生の中に俺たち極道が混じってるのは流石に……」


「言わなきゃ誰も分からねぇよ」


 そんなやり取りを交わす俺たちに対し、原田はすっかり浮かれ模様。バカンス気分だ。


「楽しみだなー! 北海道! こないだ函館に行った時は兄貴一人だけだったから、一度は皆で行きたかったんだよ!」


「おい。でかい声を出すな。とりあえずその『THEヤクザ』な喋り方は止めろ」


 心配性な酒井に対して能天気な原田。まさにそれぞれの気質を反映した言動と云えよう。彼らを微笑ましく眺めつつ、俺は集まった学生たちにも目を向ける。


 皆、まさに今どきな青年といった装いだ。年齢的には俺と変わらないはずなのに、心なしか彼らの方が若々しく見えるのは何故だろうか。


 少しばかりの哀愁に駆られていると、華鈴が言った。


「皆、揃ったかな?」


 その言葉に一同が『はーい』と返事をする。俺はそれに応えて学生たちに向き直り、軽く一礼して言った。


「本日はよろしくお願いします。松川リゾートの麻木涼平と申します。今日は皆さんの楽しい思い出作りを全力でサポートさせて頂きますね」


 そんな俺の挨拶に対し、大学生たちは『おおー』と歓声で応えたのだった。その反応を見て俺は安堵したのだ。これなら上手くいきそうだと。


「それでは、これから新幹線で登別に行きます」


 添乗員らしく振る舞わねば。俺は自ら率先して学生たちを誘導し、列の先頭を行く。そうして俺たちは東京駅から発車する新幹線へと乗り込み、途中で特急へ乗り換え、目的地である登別へと向かったのだった。


『まもなく~登別駅です』


 そんな車内アナウンスが流れた時、華鈴が俺に頬を緩ませて言った。


「麻木さん。この旅行の日程表に『登別温泉入浴』ってあったよね?」


「ああ、そうだな」


 俺は頷いた。すると彼女はさらに続ける。


「もしかしてさ……一緒にお風呂に入ったりするのかな?」


 思わずドキリとしてしまうが俺は平静を装って答えた。


「いや、そんな予定は!」


 そんなやり取りをしていると、前の座席に座っていた女子学生がこちらを振り返って言った。


「お二人はお知り合いなんですか?」


 その言葉に華鈴は「しまった」という顔をして、口ごもってしまう。俺は、すぐさま言葉を繋げたのだった。


「え、ええ! 高校の同級生でして!」


 そんな様子に華鈴はクスクスと笑みをこぼす。そして俺にそっと耳打ちしたのだ。


「ありがと、麻木さん。可愛い」


 そんなやり取りをしつつ俺たちは登別に辿り着いた。


 登別市は北海道内で最も成長率が目覚ましい街。温泉目当てで多くの観光客が訪れ、単純な経済効果では札幌市を超える。


「温泉街は駅から少し離れていますので、バスで向かいます!」


 俺は先導して学生たちを案内した。その最中も華鈴が俺に耳打ちする。


「良いね……修学旅行みたい」


 そんな楽しげな彼女を見て俺も思わず笑みをこぼしたのだった。


「ああ。そうだな」


 だがその時だった。俺の携帯電話に着信が入ったのだ。


「もしもし……」


『涼平か。もう着いた頃や思うてな』


 本庄だ。どうやら俺の様子を気にして電話をかけてきたらしい。


「ああ。今ちょうど温泉街に着いたところだ」


『そうか、そいつは良かった』


 彼は続けた。


『それで……どうや? そっちの方は?』


 そんな問いに俺は答える。


「順調だ。宿に着いたら松川社長と合流して明日の確認を行う。武器については現地の商人と話が付いてる」


 そう答えつつ俺は周囲を見渡した。学生たちはバスの中でワイワイと騒いでいるが、その雰囲気は決して悪いものではない。むしろ和気あいあいとしたムードが漂っているようにも思えたのだ。


 だが本庄はそんな俺の思いとは真逆の言葉を返してきたのだ。


『武器はこっちで用意してあるで』


「そいつはどういう風の吹き回しだ……?」


 思わず耳を疑った俺に対し、本庄は続ける。


『お前は秀虎の護衛だけしてりゃええ。松川社長の護衛も含めてのぅ、他は本庄組こっちで仕切るさかい』


 そんな彼の言葉に俺は眉をひそめる。だが、彼はさらに続けた。


『……それにおどれの出る幕は無いかも分からへんで?』


「ああ?」


 俺が尋ねると電話の向こうからクツクツと笑う声が聞こえた。そして本庄は言ったのだ。


『今、わしもそっちに向かっとる。久々にジンギスカンが食いたくなってのウ。北海道旅行を満喫しようやないか』


 俺は思わず息を呑んだ。本庄組長の連中には今回の作戦の手筈を整えて貰ったが、まさか本人がやって来るとは想定外だった。


「……あんたはどうする?」


 そう尋ねると彼は即答した。


『決まっとるやろ。わしが自ら采配を振るって九州の奴らを迎え撃つんや。そうでもせんと、秀虎も未来の舅を敬わんやろ』


 本庄組長御自ら動くことで、秀虎派に対して恩を押し売るつもりか。狡賢い男のこと、何かするだろうとは思っていたのだが。


 そんな彼の言葉を受けて俺は言った。


「分かった。だが、くれぐれも無茶はするなよ」


『分かってるさ。俺は自分の力を過信するほど馬鹿じゃねぇ』


 そう答えた本庄の声を聞いて俺は通話を切った。そして華鈴に言う。


「……なあ、この辺りで飯を食わねぇか」


「えっ、それにしては早くない?」


「だよな」


 時計を見ると15時。昼食には遅いし、夕食には早い時間帯である。分かってはいたが、俺としては何とか寄り道をしたかった。


 これからの動きについて本庄と打ち合わせをする必要があったのだ。バスで話していて学生たちが訝しんではまずい。


「近くに何か北海道らしい飯が食える店は無いか?」


 俺が尋ねると華鈴は首を傾げた。


「うーん……あるにはあるんだけど、ガイドブックによれば最近オープンしたばかりって」


 俺は首を捻る。


「そうか。なら、仕方ねぇな……」


 そんな俺の言葉を遮るようにして彼女は言った。


「でもさ、せっかくだから行ってみない? 私もカニが食べたいし」


 それから3分後。俺たちはその店の前にいた。『登別カニ王国』という看板が掲げられたその店は大通りから少し離れた地区にあった。


「なるほど……カニを食うには確かにここが一番だな」


 店内に足を踏み入れると、そこはまるで別世界のようだった。壁一面を覆い尽くす巨大な水槽の中で泳ぐカニたち。そしてそれを眺めながら食事を楽しむ客で賑わっていたのだ。


「すごいね……こんなにたくさんいるなんて」


 そんな華鈴の言葉に対し俺は頷いた。


「……ああ、そうだな」


 学生たちも興味津々といった表情をしているようで俺は安心した。ツアーの日程には含まれていないことなれど、これはこれで良い思い出になるだろう。


「カニ、好きなのか?」


 俺は尋ねた。彼女は少し照れくさそうに答える。


「うん……まあね」


 そんなやり取りをしつつ全員で席に着く。すると華鈴はメニュー表を開いて言った。


「……ねぇ麻木さん。この『登別海鮮丼』って美味しそうじゃない? 私はこれにするけど、どう?」

 そんな問いに俺も頷く。


「ああ、いいぜ。じゃあ、俺もそれを食おうかな」


 学生たちも含めて各々が注文を済ませると、俺は「宿の予約の確認をしてくる」と言って離席した。その間の学生たちの対応は酒井と原田に任せた。今回の作戦は華鈴にも伝えてあるのでサークルの皆々に素性がバレる心配は無さそうだ。


 向かった先は屋外の駐車スペース。そこで本庄と待ち合わせていた。


「何や、おどれ。その固そうな背広は。まるで似合っとらんのぅ」


 黒塗りのセダンを降りるなり笑みを浮かべた本庄に「うるせぇよ」と返し、俺はすぐさま話を振る。


「兵はどのくらい連れてきた?」


 こちらの質問に本庄は不敵な笑みで応じる。


「うちの傘下も合わせて、ざっと200ってとこやな。沖合のフェリーで待機させとる」


 彼の言葉を受けて俺も頷く。


「流石の仕事ぶりだな。ご助力感謝するぜ」


 そう言って頭を下げると彼は鼻で笑った。そして言う。


「馬鹿野郎が。別におどれを助けたわけと違うわ。北海道の領地が欲しゅうなっただけや」


 そんなやり取りをしつつ、俺は本庄が乗ってきた車の後部座席に目をやる。そこには松川社長が座っていた。どうやら俺よりも先に本庄と合流していたらしい。


「こうして会うのは初めましてだな、松川社長。今日はよろしく頼むぜ」


「え、ええ……」


 少し緊張した顔を浮かべる社長。松川リゾートには本庄のバックアップがあるとはいえ、俺たちのような人種と語らうことには些かの躊躇いを感じていると見た。


「……あ、あのぅ。私の身の安全は保障して頂けるんですよね」


「大丈夫だ。俺たちが完璧に守ってやる。あんたは餌に徹してくれりゃあ良い」


「わ、分かりました。それから、その、上手くいった暁のお約束の方は」


「ああ。心配するな。あんたの言った通りの褒美を用意してある」


 俺の言葉に松川社長はホッと胸を撫で下ろす。そして、彼は本庄の手下の運転で市街地へ走り去っていった。定刻までは市内でゴルフを楽しんで貰う手筈となっている。


「涼平。松川さんはうちでお守りする。おどれは九州のアホどもを迎え撃つことだけ考えてりゃええ」


「分かってるさ。あんたも油断はするな」


「ああ?」


「九州の奴らも間抜けじゃない。こっちが罠を張ってることに気付かれねぇとも限らん。兵隊はなるべく早くおかに上げた方が良いぜ」


 俺の言葉を受け、彼はニヤリと笑う。そして言ったのだった。


「けけっ。おどれの考えた策がどこまで通じるか、お手並み拝見と行こうやないか」


 本庄と別れるなり、俺はすぐさま店内に戻り、学生らの待つ小上がり席へと向かった。


「あははっ! このカニ美味しすぎるんだけどぉ!」


「こんなもの初めて食べたわ!」


 俺が居ない間に注文の膳が運ばれて来ていたようで、本格的なカニの絶品を前に大盛り上がりといったご様子。皆、本当に楽しそうだ。気心の知れたサークルの仲間たちだけあって男も女も関係無く全員が頬を緩めている。


「ご満足いただけたようで何よりです」


 俺がそう声をかけると学生たちは一斉にこちらを向いた。


「添乗員さん! このカニ、美味しいですよ!」


 そんな言葉に俺は微笑んで応じる。そして言った。


「そうですか……それは良かったです」


 ふと秀虎を見ると、彼もまた後輩や仲間たちに囲まれて上機嫌だ。


「坂谷先輩、もっと食べてくださいよぉ!」


「いや、さっき特急の中で弁当を食べたから……」


 その模様を見ていると自然と心が和む。銀座の跡取りとはいえ、彼は21歳。世間的には気の向くままに青春を謳歌する年頃だ。


 銀座では名家の当主らしき振る舞いを意識的に心がけている秀虎も、同年齢の仲間に囲まれると自然に柔和な顔つきになる。それを見て少し安心する自分が居た。


 秀虎……良かったじゃねぇか……。


 そう心の中で呟いた時、学生たちの会話が耳へ飛び込んできた。


「ねぇ、坂谷先輩。例のやつは何時いつやるんですか?」


「一応、明日の夜を考えてる」


「ですよねぇ! 先輩の誕生日ですし!」


「う、うん。僕としても、好きな人に告白するならその日が良いと前から思ってた」


 好きな人に――その言葉にほんの少しの胸騒ぎが起こった刹那、俺の鼓膜を揺らしたの秀虎の後輩と思しき学生のこんな台詞だった。


「絶対に似合いますよ。坂谷先輩と華鈴先輩。誰がどう見たって良いカップルじゃないですかぁ」


「そ、そうかな……?」


 秀虎は照れ臭そうに微笑む。その瞬間だった。俺の脳裏に過ぎったのは華鈴の姿だ。


 そして俺は思わず目を見開いたのだった。


「……っ!」


 いけない。いけない。ここで正気を失ってどうするのだ。何とか我に返った俺だが、それでも困惑が治まらない。秀虎が華鈴にプロポーズをするとは――考えてみれば確かに今回の旅行がベストタイミングだ。しかし、華鈴には俺という相手が居る。


 待てよ……?


 もしかするとそれは俺の独り善がりな思い込みでしかないのかもしれないぞ……?


 華鈴とはキスもしたし、セックスもした。されども、その行為は相思相愛の仲にあらずとも交わされる戯れのようなものだ。


 俺は華鈴に「好きだ」とは伝えていない。彼女とは正式な恋仲に進んだわけではない。つい先週は手も繋いだが、それはカップルの間柄であることの証左とはなり得ないのだ。


「……」


 あんぐり口を開けていた俺を尻目に、なおも秀虎は周囲の同級生に揶揄われていた。


「おいおい、秀虎。お前、マジで華鈴先輩にプロポーズするつもりなのかよ」


「あの先輩、どう見たって元ヤンだろ。尻に敷かれるぞ」


「どうせ狙うならもっと小動物みたいな女の子が良いだろうよ。その方が絶対に坂谷と釣り合うって」


 仲間たちの言葉に秀虎は苦笑する。だがすぐに朗らかな顔になって応じたのだった。


「確かに華鈴先輩は男勝りだ。でも、僕はあの人が好きなんだ」


 彼らのやり取りを俺は黙って見ていたのだが、やがて背後から肩を叩かれた。


「次長」


 酒井である。彼に引っ張られるように、俺たちは近くにあったトイレへと入った。


「何だよ」


「華鈴さんとは、どういう関係なんです? どこまで進んでるんですか?」


「……別に。付き合ってるわけじゃねぇよ」


「でも、好きなんですよね?」


「い、いや、そんなことは」


「分かりやすいですねぇ。次長は。でも、お似合いだと思いますよ。次長と華鈴さんは。原田も敢えて言わねぇだけで心の底じゃ応援してるんですから。勿論、俺だって」


「……」


 よもや勘付かれていたとは――まあ、華鈴から届いたメールに返信する際の俺は何時いつだってニヤケていたであろうから。無理も無いのだが。


 部下からの思わぬ指摘に頭を掻いていると、酒井は続けた。


「言っちゃあアレですけど、秀虎の撃沈は目に見えてると思いますよ」


「おっ、おい! そんな言い方!」


「秀虎には既に決められた相手がいるってことは華鈴さんも気付いてます。縁談を断わる理由に使われちゃ堪ったもんじゃねぇでしょう」


「……何であれ、俺もあいつに気持ちを伝えたい。そろそろ良い頃合いだとは思ってる」


「おお。流石は次長、意外とロマンチストですね」


「そういうお前はどうなんだ? 女絡みは?」


「俺も原田も嫡男ですからね。将来的に親が決めた相手と結婚するのは分かってたんで自分からは作りませんでしたぜ。ガキの頃に見合いした女と、たまにデートするくらいです」


「いわゆる政略結婚ってやつか。案外、仲が良いんだな」


 そんなやり取りを交わしつつ、俺はトイレから出ると席へと戻った。


「ああ、美味しい!」


 海鮮丼を嬉しそうに食べる華鈴の姿に、思わず心が昂る。見ているだけで幸せな気分に浸ってしまう……いや、いかん。下心に気付かれては好感度が下がる。


「おう、美味そうだな」


「うん!」


 それから間もなくして俺の分の丼物が運ばれてくると、華鈴は「あ、そうだ」と声を上げた。


「ねぇ麻木さん。この後の予定ってどうなってたっけ?」


 俺は少し考えてから答える。


「泊まるのは市内の温泉ホテルだ。着いたら風呂に入って、それから宴会場で夕飯を頂くってのが一応の予定だ」


「そっかぁ……じゃあ、食べちゃわないとね!」


 華鈴は箸を動かす手を慌ただしくする。俺もまた、それに倣った。


「ねぇ、麻木さん」


 食事も終わりに近づいた頃だっただろうか。彼女はふと手を止めて言った。


「何だ?」


 そんな俺の問いに彼女は少し躊躇うような素振りを見せてから言う。


「……その……さ。ちょっと相談があるんだけど……」


「ああ、良いぜ」


 俺は即答したのだが、それでもまだ何か言いたげな様子である。なので先を促したのだ。すると彼女は頬を赤らめて口を開く。


「……二人でカラオケに行く時間とか、無いかな」

「カラオケ?」


「うん。ここだけの話、明日の秀虎君の誕生日会でサプライズで歌を披露することになってて。練習がしたいんだよね」


「そ、そうか」


 聞けばバンドサークルの仲間たちの演奏で秀虎がファンだというアイドルの代表曲を歌唱するという。その話に俺は思わず心が揺れた。断るわけが無い。


「良いぜ。じゃあ、時間を見つけて市内のカラオケボックスにでも行くか」


 俺がそう言うと彼女は笑顔を浮かべた。


「うん! ありがとう!」


 そんなやり取りをしつつ、俺は酒井と原田に目配せを送る。彼らはすぐに俺の意図を理解したようで軽く頷いた。


 さて、明日はどうなることやら……。


 此度の待ち伏せ作戦は綿密に策を練っている。先ずは正午過ぎに登別市内の料亭にて松川社長が福岡の企業代表と土地の売却について会談を催す。その企業は九州の勢力下にあるため、北海道の土地を入手できるとあらば、奴も必ず姿を現すはず。


 そうして現場に赴いた瞬間を大部隊で奇襲して討ち取る。理論の上では完璧な策略であろう。


 ただ、問題は九州の兵が如何ほどの数であるかということ。護衛程度だろうと少なくとも百騎は見積もらねばなるまい。奴らが本格的な北海道侵攻を想定しているとすれば、それ以上の兵を相手にすることとなる。


 本庄が連れてきた戦力で足りるか。どうにも気がかりだった。


 まあ、具体的な戦術は敵の陣容を把握した上で改めて練るとしよう。


 それから俺は添乗員として学生たちをホテルへと案内し、天然温泉と夕食を楽しんだのだが、ここからは別行動だ。俺と華鈴は駅近くのカラオケボックスへ。そして酒井らは秀虎の用心棒も兼ねた学生たちの世話である。


 なお、俺が華鈴と二人で繁華街へ向かうことに関しては「明日に備えて街の様子を見ておく」ということで部下二人には理由を付けたのだが、原田は完全に勘違いしていた。


「いやあ、天下の麻木涼平様はやっぱりモテるんですね! あんな美人さんを彼女にできるなんて憧れちまうなあ!」


 緊急時に行動できるようアルコールは飲んでいないというのに上機嫌だ。あまりに嬉しそうに言うものだから、俺は「何を勘違いしてやがる」と返したのだが、奴は「どうぞ一晩楽しんできてください」などと言いつつニヤニヤ。


 まあ、良いさ。いずれ俺は華鈴と正式に恋仲へ繋ぎたいと考えているのだからな。


 そんなこんなで俺は華鈴とカラオケボックスへ。訪れたのは駅のすぐ向かい側にあった雑居ビルの店。観光地である所為か混んでいた。


「いらっしゃいませ。お二人様でよろしいですか」

 フロントスタッフの問いに華鈴が応じる。


「はい」


「お時間は如何なさいますか?」


「あ、じゃあ2時間でお願いします」


 華鈴の返答に俺は内心で少し驚いた。てっきり1時間くらいで切り上げるものだと思っていたのだが。

 そんな俺の驚きなど知る由も無く、華鈴はフロントスタッフから鍵を受け取る。そしてエレベーターに乗り込み、部屋へと向かう。するとそこは薄暗い空間だった。


 フロントで貰ったカードキーを差し込むと明かりがつく。


「カラオケにしては随分と広いな」


「じゃあ、あたしから歌うね」


「おう」


 華鈴が選んだ曲は、やはりというか予想通りというか。いつも赤坂のカフェでも話題に上らせるアイドルの楽曲だ。


 だが、歌が始まると俺は思わず目を瞠った。それは決して彼女の歌声に驚いたからではない。むしろその逆だ。彼女は音痴だったのである。


 リズム感は皆無だし、声量も無いし、歌詞を間違えるわ音程を外すわで酷いものだ。しかし、それでも一生懸命に歌う姿を見ていると応援したくなる。


「あ、もうちょっとこぶしを効かせなくても良いかもな」


「う、うん!」


 尤も、かくいう俺も音楽の素養などは皆無に等しいから真っ当なアドバイスなど出来ないのだが。そんなやり取りを幾度か繰り返した後、俺は彼女に提案した。


「何か飲まねぇか」


「えっ、あ……ああ! 確かに入店してから飲まず食わずだったもんね!」


「喉が渇いたことだし飲もうぜ」


 俺はそう言うと端末を操作したのだが、そこで彼女は言ったのである。


「じゃあ、あたしはメロンソーダで」


 いつもは喫茶店を切り盛りする華鈴のこと、コーラフロートあたりを頼むと思っていたので驚いた。彼女もたまには変わり種を味わいたくなるようだ。


「俺はコーラで良いか」


「うんっ!」


 華鈴が頷くと、俺たちはフロントでグラスを貰ってドリンクバーへ向かった。グラスをセットし、ボタンを押すと飲み物が出てくる仕組みである。


 俺が炭酸水を注いでいると彼女はメロンソーダを注ぎながら言う。


「麻木さんはフロートとか乗っけないの?」


「ああ。別に好きって訳でもねぇからな」


「そうなんだぁ……あたしは結構好きなんだけどなぁ……」


 そんなやり取りを交わしていると俺の分の飲み物が流し込まれたので上階へ戻る。部屋の前まで歩いてくると、俺たちは向かい側が騒がしいことに気付いた。


「ぎゃははっ! お前、それマジで言ってんか!」


「マジだって! 俺は絶対に嘘なんて吐かねぇ」


 何やら男たちが廊下の壁にもたれかかって盛り上がっている。おそらくは酔っ払いの馬鹿騒ぎといったところだろう。だが、それだけなら特に気にすることもないのだが……どうにも引っかかるイントネーションだ。


 そっと耳を凝らしてみると案の定だった。


「そげんこと言ったって、仕方なか!」


 絵に描いたような九州訛りだ。まさか、こんなところで遭遇するとはな――どうやら俺の予測は当たっていたようだ。敵が罠にかかっている。


 さらに耳をそばだてると、男たちの会話は続いた。


「まあ良いや! それよりさ、お前も聞いてるよな?」


「……どげんこつ?」


「だからよお! 北海道を東と西で二分するって話じゃ! 俺たち薩摩は東の方ば貰える手筈じゃろがい!」


 北海道を東西で二分割、そして薩摩――その会話から俺はすぐさま仮説を浮かび上がらせた。どうやら九州勢は北海道の領地を総取りする気でいるようだ。今回の土地入手にかこつけて一気に地元から兵を呼び込み全土を制圧するつもりらしい。


 まったく。全ては俺たちの罠だというのに。つくづく愚かな奴らだ。


「関東の奴らにデカい顔はさせねぇぞ! ぎゃはははっ!」


 ああ、どうやら秀虎が兵を連れてきていることには気付いていたか。


 何にせよ此度の作戦が功を奏する確証は得られた。俺は安堵すると共に、心の内でほくそ笑んだ。


「麻木さん?」


「ああ、すまん」


 俺はグラスを手にして部屋に入ると、華鈴からコーラフロートを受け取った。そしてソファに腰を下ろすとすぐに携帯をいじって本庄に連絡を入れる。


『どないした? 何か問題でもあったんか?』


「いや、そういうわけじゃねぇんだが、ちょっと耳寄りな話だ」


『何や?』


「九州の奴らを市内の店で見かけた」


 そんなやり取りを交わしてから俺は九州勢の現状について説明した。すると彼は少し驚いた様子で言ったのである。


『それはほんまか!?』


「ああ、間違いない。関東の奴らにデカい顔はさせないだの何だのと息巻いてやがった」


『けっ、あいつら……調子に乗りよって……ま、まあ、とりあえずはよく調べてくれた。おおきにな』


「おうよ」


 どういうわけか舌打ちを鳴らしていた本庄との通話を終えると、俺は華鈴に向き直った。


「もう少し歌うか」


「良いけど、どんな歌が良いかな……」


「そうだなあ」


 そんなやり取りを交わしていると、俺はふと思いついた。彼女の歌声をもっと聴きたいからという理由もあるのだが、それ以上に俺の心を動かしたのは彼女が歌うアイドルの曲だ。


「前にラジオで流れてた『キミにHappy Birthday』って曲? あれを歌ってくれないか?」


 俺がそう言うと彼女は目を丸くさせた。


「えっ、良いけど……でも、あたし歌下手だよ?」


「良いじゃねぇか。俺は華鈴の歌が聴きてぇんだ」


「……うんっ!」


 俺がそう促すと彼女は頷いた。それから端末を操作して曲を入れるとマイクを握る。そして歌い出したのだが、やはり音程は外れているし、リズムも怪しいものだ。だがそれでも一生懸命な彼女の姿を見ていると胸が熱くなる。


 そうして何曲か歌っているうちに時間は過ぎていった。そろそろ頃合いか。


「華鈴、そろそろ出よう」


 俺がそう促すと彼女は頷いた。そして俺たちはカラオケボックスを出ると、フロントでマイクを返却してからエレベーターに乗り込む。


「楽しかったね」


「ああ、そうだな」


 そんなやり取りを交わしながら屋外の夜風に当たっている時、俺は意を決したのである。


「華鈴」


「ん?」


 俺の呼びかけに彼女は首を傾げる。そんな彼女の肩に手を置いてから俺は言ったのだ。


「ずっと思ってたんだ。俺、お前のことが……」


 だが、その瞬間。


「華鈴先輩!」


 交差点の向かい側から声が飛び込んできた。見れば数人の男女がこちらに手を振っている。あれは華鈴のバンドサークルの後輩だったか。


「あれっ? どうしたの?」


「ここらで飲んでたんですよ! 先輩もどうですか?」


「え、でも……」


 華鈴がチラリと俺を見る。俺は肩を竦めて応じた。


「行くか」


「うんっ!」


 彼女は笑顔で頷き、後輩たちと共に繁華街の方へ歩いていった。そんな背中に俺は吐息混じりに呟く。


「……おあずけか」


 どうやら邪魔が入ったようだ。まあ、良いだろう。そう思い、俺は夜風に吹かれながら想い人の後ろについて歩き始めるのだった。

涼平の策は上手くゆくのか? そして華鈴との恋の行方は? 次回、男たちの激戦必至!!


今年、2024年の『鴉の黙示録』の更新は今回をもって最後とさせていただきます。次回は年明け1月4日、夕方18時からの更新です。


読者の皆様、来年もどうぞ本作をよろしくお願いいたします。良いお年をお迎えください。

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