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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第2章 ふたりの異端者
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父と娘

「たしかに絢華は我が娘だ。なれど、血が繋がっていない」


 そう言って村雨は窓に近寄って錠を外し、ガラリと開けた。外は、とっくに日が落ちている。地平線の向こう側は、霧がかった漆黒の空がどこまでも広がっていた。


「……これは私が極道になって、まだ1年も経ってない頃の話だ。当時、私は斯波しば一家いっかの下っ端だった。毎日、それはもう多忙な日々を過ごしていた。と言っても、やることは殆ど幹部たちに押しつけられた汚れ仕事。もっぱら鉄砲玉だったな」


「鉄砲玉?」


「そうだ。戦が始まると真っ先に『行ってこい!』と、私に命令が下る。行った先で大暴れして相手を痛めつけたら、警察が来る前に逃げる。仕事を終えたら即座に戻って、今度はまた別の幹部の命令に従う。そんな繰り返しで日々が過ぎていった」


 村雨曰く、彼が渡世に入ったのは16歳の時らしい。話を聞く限りでは、当時からかなりの喧嘩上手だったようである。


(16歳か……いま、まさにヤクザの世界へ片足を突っ込もうとしている俺と同じだな)


 だが、そんなある日。村雨に奇妙な命令が下された。


「親分直々に呼び出されて、事務所に行ったら、1枚の写真を渡されてな。親分に『ここに写っている男のタマを取って来い』と言われたのだ。それも『家族ごと、始末しろ』と」


 相手は政界に名を馳せた有力者で当時、地元の港湾工事の利権をめぐって斯波一家と火花を散らす関係にあったという。


「私は正直、ためらった。それまでに人を殺した経験が無かったのは勿論だが、何の罪も無い相手の家族も含めて『殺せ』と命じられたゆえ。されど、極道にとって親分の命令は絶対だ。二の足を踏んだが結局は引き受けることになった」


 殺しの指令を受けた村雨は、さっそく用意に取り掛かる。通り魔による強盗に見せかける計画を立てたり、周囲に銃声を聞かれないよう、犯行に使う拳銃には消音機サプレッサーを付けたりと、万全の下準備を整えた後、決死の覚悟を決めて実行に向かった。ところが、想定外の出来事に襲われてしまう。


「事前の算段通り私は窓から侵入して、寝室で眠っていた標的マトの有力者と、その妻の頭を撃ち抜いた。そして最後は娘を殺せば任務完了……というところで、私の手元に狂いが生じた。しかし……撃てなかった」


「えっ? 撃てなかった?」


 静かに頷く村雨。


「……ああ」


 意外だった。目の前にいる村雨からは、とても想像できない行動だったからだ。泣く子も黙る最恐の極道でも、そのような感情に囚われるとは。フェアリーズで俺と対峙した時に見せた、身も凍るような威圧感に満ちた姿とは、ずいぶんとかけ離れているではないか。


「あの頃の私は、とんだ半端者だった。射殺した母親の横でスヤスヤと息を立てて眠る娘の顔を見た瞬間、情が生まれてしまったらしい。引き金にかけた指が動かせなくなってしまったのだ」


「それから、どうしたんだ?」


「通り魔による放火に見せかける偽装工作を施した後、私はその子を連れて現場を離れた。結果として親分の命令に背くことになってしまうが、命を奪うことまでは出来なかった。まだ2歳にも満たぬ幼子の命をな」


 現場から逃げる際、彼の脳内は様々な感情が入り乱れて、まさにグチャグチャになっていたという。


 ヤクザとして初めて人を殺した、高揚感。


「全員殺せ」という親分の命令を無視してしまった、背徳感。


 そして、脇に抱えた女の子の両親を一気に奪ってしまった、罪悪感。


 あらゆる思いが複雑に絡み合い、心がパンクしてしまいそうになったという村雨。


 俺は、思い切って尋ねてみる。


「なあ、もしかして……その時、殺せなかった女の子っていうのは」


「そうだ」


 村雨は言った。


「絢華だ」


 その瞬間、俺に大きな衝撃が走った。絢華が村雨の実子ではないという事実よりも彼女が実の両親を殺されていたという告白が、まるで雷鳴のごとき驚愕をもたらしたのである。さらにいえば、絢華は現在の養父によって肉親を奪われたということになる。愕然とする俺に、村雨はなおも話を続けてきた。


「現場から逃げ伸びて頭を冷やし、気を落ち着かせてから、私は考えた。自分がした事が、いったい何だったのかを。極道としては至極当然のことだろう。親分の命令に従い、親分に仇なす者を己の手で始末したのだ」


「……」


「だが、人としてはどうか? 極道の掟に従ったとはいえ、私がやった事は『人でなし』以外の何物でも無い」


 初めての殺しをやり遂げた後、村雨はひどく己の所業を悔いた。そして組に戻って親分に報告する前に、とある決意を胸に抱いたという。


「私は決めたのだ。あの子から親を奪ってしまった埋め合わせに自分が親になってやることを。親として、彼女の人生を支えてやることをな」


「……どうして、そう思ったんだ?」


「それが私にできる、唯一無二の“償い”だからだ」


 絢華を引き取った村雨は、彼女を育ててやる事に決めた。当時、彼は16歳。一般的に父親となるには、経済的に「まだ早い」年頃であろう。だが、幸いなことに村雨はヤクザ。金に関しては余裕があった。


 それ以上に、拾った娘に苦しい思いをさせまいと、村雨本人が意欲的にシノギに励んだ事もある。今や、横浜の一等地に豪邸を構えるほどに裕福な暮らしを営めるようになった。


 ちなみに「絢華」という名は、村雨が付けたもの。斯波一家の目を憚る意図もあったそうだが、やはり父親として自分なりに愛を注いでやりたかったのだろう。ただ、一方で気になることがあった。


「絢華は知ってんのか? そのことを」


「知っているとも。あの子が13歳の誕生日に教えた」


「えっ!?」


 事件があった当時、絢華は1歳と数か月。実の親に関する記憶は殆ど無いと考えて良いかもしれない。しかしながら、本人にそれを打ち明けてしまうのは流石に酷というものではないか。


 俺は驚きのあまり、手元のティーカップを落としかけてしまった。自然と語気も強まってくる。


「それを知って、あいつは何て言ったんだよ!?」


「特に驚いた様子も無かったな。『誰が親だろうと、どうでもいい』とな」


 事実をあるがままに正面から呑み込み、受け入れたといったところだろうか。冷めているといえば冷めているが、絢華らしいといえば絢華らしい。不思議にも、俺はあっさりと腑に落ちてしまった。


「……そっか」


 本当はもっと、言いたいことが山ほどある。あんたは人として最低だとか、よくもまあ父親ヅラができるだとか、頭がおかしいんじゃないかだとか、1つずつ挙げていけばキリが無いほどだ。しかし、俺は思っても口に出すことはしなかった。


 それは、何故か――。


 自分もいつか、目の前の組長と同じ轍を踏んでしまうような気がしていたからだ。


「……あんたが人を殺したのは、ヤクザだからだろ? そんなら俺に、あんたを責める資格はねぇよ」


「フフッ。よく分かっているな」


「だって俺、そのうちヤクザになっちまうんだから」


 村雨は再び微かな笑みを浮かべると、俺の肩をポンと叩く。そして、やけに真面目なトーンで語り始めた。


「涼平。極道である以上、誰かを殺さなくてはならない場面に、いつかは必ず直面するものだ。相手が何人であれ、親が『殺せ』と命じたら『殺す』のが極道だ。だが、もしも……親に背を向けてでも守りたい相手であったならば、その時は己を貫け。命を賭して、たとえ己の身が滅んでも守り抜くのだ。良いな?」


 村雨の場合、それが絢華だったということだろう。この先、自分に当てはまるかどうかは分からないアドバイスであったが、俺は素直に返事をした。


「ああ。分かったよ」


「肝に銘じておくように」


 ただ、その一方で殺しの際に下手な情を挟むのは、いわゆる「半端者」のする事だと村雨は語った。彼自身、手にかけるのを躊躇った相手は後にも先にも、絢華だけである。逆に言えば、それ以外の者は全員、迷うことなく殺してきたということだろう。


 当然、絢華の件以外で後になって悔やんだことも無いらしい。村雨が極道として、いかに完成された人物であるかを窺い知る事の出来る実に貴重なエピソードであった。話を終えた村雨は、窓を閉めながら軽く肩を伸ばした。


「さあて。私はそろそろ、戻って休むとするか。明日は早い」


「ん? 何かあるのか?」


「明日の始発の便で、名古屋へ飛ばなくてはならぬ。3日ほど、ここを留守にすることになる」


「名古屋か」


 俺の反応に軽く相槌を打ちつつ、村雨は続ける。


「今週は本家の定例会でな。普段は理事長が同行するのだが、色々あって、私が総長について行くことになったのだ。実に面倒な話であるが」


 どうやら煌王会本家への随行役に、村雨が選ばれてしまったらしい。彼は村雨組の組長であると同時に、直系斯波一家の幹部でもある。厭わしく思っているのが見て取れたが、従うしかないようだった。


「……なるほどな。絢華のお土産は、何にするんだ?」


 すると、村雨は苦笑した。


「残念だが、もう既に『要らない』と言われてしまった。『いってらっしゃい』の一言くらいは欲しかったが……まったく、我が子ながら可愛げのない」


 そもそも、“我が子”ではないだろう――。


 ツッコミは入れてやりたくなったが、それでは流石に無粋が過ぎるというもの。俺は口をつぐみ、部屋を出て行く村雨を静かに見送ろうとした。しかし、ドアを開ける直前。


「涼平」


 村雨が呟くように、俺の名前を口にした。


「……何だ?」


「私が留守にする間、絢華のことを頼むぞ」


 俺は、明るい声で応じる。


「おう。任しとけって。俺以外にも、秋元さんだっているし。あとは芹沢のオッサンとか、組のやつらだっているから。大丈夫だよ。安心して行って来な」


「……ならば、良い」


 そう言い残すと、村雨は出て行った。部屋には、彼が吸ったタバコの残り香が漂っている。窓を開けて換気をしても、未だ立ち消えぬようだ。


(それにしても、すげえ威圧感だったな)


 普通に話をしているだけなのに、村雨はとんでもないプレッシャーを放ってくる。彼と向き合っていると、時間の流れがやけに遅く感じる。ふと壁掛け時計を見た俺は、長い針がわずか10分しか動いていないことに気づいた。


 自分では、1時間近く話し込んだものと思っていたのだが。


 それだけ、気持ちが張りつめていたのかもしれない。村雨と一緒にいると、どうも緊張する。あの男の低くて重々しい声と、まるで時代劇の登場人物のような喋り方のせいなのだろうか。もしくは、鋭くて冷たい目元が特徴的な風貌のせいか。要因はきっと他にもあると思うが、村雨耀介という男が他者を寄せつけない独特のオーラを纏っているのは言うまでも無かった。


(でも……意外と、娘思いなんだよな)


 ひとつだけ、断言できる事実がある。それは村雨が、何をするにしても、娘の絢華のことを一番に考えているということだ。彼女を引き取った経緯も、きっとそこには関係しているのだろう。


 しかし、使命感や義務感などの情を抜きにしても、村雨は心の底から娘を愛し、その幸せを願っている。でなければ、去り際に「絢華のことを頼む」などと言う理由わけが無い。彼女が撃たれてしまった件についても、おそらく相当な責任を感じているはずだ。


 少なくとも、俺にはそう思えた。

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