長いようで短い、幼き日の思い出
まずは生い立ちから語らせてもらうとしよう。
1982年12月8日、俺は神奈川の川崎にて産声を上げた。生家は堀之内の花街近く。生まれも育ちも川崎というわけである。世間様からは「ソープの街」として何かと好奇の目で見られることの多い堀之内だが、自分の中ではかけがえのない大切な「ふるさと」だ。無論、愛着もある。
父親の名は麻木光寿。関東のとある組織に身を置く極道であった。俺が物心ついた時は、たしか3次団体あたりの組長を務めていたと思う。組としてはそこそこの所帯で、ポン引きから民事紛争への介入まで手広くやっていたそうだ。実際に年若い子分を5~10人ほど連れて大通りを闊歩する姿を見た事がある。
そんな親父は仕事の合間を縫って、俺と遊ぶ時間を作ってくれた。
肩車をしてくれたり、一緒に竹トンボを飛ばしたり、買ってもらったファミコンを一緒に攻略したりと、それなりに可愛がってもらったものだ。中でも印象に残っているのは、親父の事務所でのかくれんぼ。
「ねえねえ、父ちゃん。かくれんぼしようよ! ボクが鬼ね?」
「おう、いいぜ!」
このような時は大抵、父はすぐに見つかりやすい場所に隠れる。
「父ちゃん、みーいつけた!」
己の職場とはいえ犯罪組織の拠点である。そこに年端もいかぬ我が子を連れ込む時点でどうかしているのだが、俺は幼心にまるで気にしていなかった。
「あはは。リョウは探すのが上手だなぁ」
いま思えば、手加減をしてくれていたのだろう。しかし当時の俺は、自分には要人捜索の才能があるものと本気で思い込んでいた。また、隠れる対象を人から物に置きかえた「宝探しゲーム」でも遊んだ。
そんなある日のこと。親父が隠したゴムボールを見つけるべく、事務所の戸棚を1つずつ開けて捜索していた俺は、何やら黒くて重い物体を見つけた。
「父ちゃん。これ、なあに?」
好奇心いっぱいに取り出した黒い物体を見せると、親父は一瞬、ギョッとしたような表情になった。
「あっ! そいつは……」
しかし、すぐにいつもの柔和な顔に戻る。
「あはは。リョウ、父ちゃんに渡してくれないか?」
その物体の正体を知らなかった当時の俺は、素直に手渡した。
「これはなぁ。“ハジキ”っていうんだ」
「“ハジキ”ってなに?」
キラキラと輝く俺の眼差しを受けた親父は暫く迷った後、苦笑交じりで答えを返した。
「何つうか……的当てゲームの大人版ってところか。まあ、とりあえずよ。リョウ、これから事務所で“ハジキ”を見つけたら、絶対に触らないで父ちゃんを呼んでくれや。分かったな?」
「うん!」
その時の苦虫を嚙み潰したような親父の顔は、今でも覚えている。「これは何か触れちゃいけないものに触れてしまったな」と子供ながらに感じたものだ。ちなみに俺が“ハジキ”の本当の意味と使い方を知るのは、もう少し先である。
さらに、親父とはこんな思い出もあった。いつものように組の事務所へ遊びに行った日のこと。
「なあ、リョウ。お前は大きくなったら何になりたいんだ?」
「父ちゃんみたいになりたい!」
当時、俺の中で親父は「カッコいい男」の象徴的存在であった。
街を闊歩すれば皆が道を開け、子分達を含めた周りの者に頭を下げられ、高いスーツに身を包んで、華やかな私生活を送る。言ってしまえば単なるヤクザなのだが、そんな「カッコいい」父の背中を間近で見てきた俺が幼心に憧れを抱く対象となるのは言うまでもないだろう。
俺の返答を聞いた親父は、ニコッと笑いながら俺の頭を撫でてくれた。
「あはは。そうかぁ。リョウは父ちゃんみたいになりたいって思ってくれるか」
「うん!」
しかしその時、近くにいた親父の部下が言った。
「いやいや。やめといた方がイイっすよ。そんな甘い世界じゃありませんから」
「あ?」
それまで、にこやかだった親父の表情が一変した。連動するかのように、場の空気も一気に重苦しいものとなる。親父は若衆の方をジッと睨むと、間髪入れずに胸倉を掴んだ。
「どういう意味だ? 『やめといた方がイイ』ってのは」
「いや、別に。俺は事実を言ったまで……ぶはっ!!」
部下が弁解を述べ終わるのを待たずに、親父の鉄拳が炸裂した。
「テメェ、いったい誰に向かって喋ってやがる! ああ!?」
「すみません……」
「オラァ! もう1度言ってみろ!」
そう言って、親父は若衆の顔を何度も拳で殴り続けた。
「はあ……はあ……もう、勘弁してください……」
おそらく、10発以上は殴っていたと思う。部下の顔は血まみれになり、醜く歪んでしまっていた。
「リョウが将来、どの道を選ぶかはリョウ自身が決める事だ。テメェごときが口を出すことじゃねぇんだよ。分かったか、この野郎!!」
そう言い捨てると、親父はトドメとばかりに部下の顔に膝蹴りを食らわせた。
「……っ!?」
強烈な最後の一撃を食らった部下は、気を失った。その瞬間、親父は我に返ったように穏やかになった。
「ふう。リョウ、悪いな。怖いもんを見せちまって」
「う、うん……」
「でもな。これが、父ちゃんの仕事なんだ。どうか忘れないでくれ」
俺は静かに、頷く。親父が人を殴る瞬間を始めて見た。小学校低学年の子供には、いささか刺激が強い光景である。
(父ちゃんの……仕事……)
ここまで怖い親父の姿は初めてだった。
普段は仏のように優しいが、1度でもキレてしまえば鬼より恐ろしい――。
その日を境に、俺は親父に対して畏敬と同時に畏怖の念を抱くようになったのは、言うまでもないだろう。しかし、長くは続かなかった。
俺が小学3年生だったある日、親父は突然死んでしまったのだ。死因は事故死。宴会からの帰り道で酔って足を滑らせて転倒し、後頭部を強打。救急車が到着した時には既に、帰らぬ人になっていたという。子供だった俺には、何が何だか分からなかった。しかし、火葬の前に棺に入った父の遺体を見た時に、強く実感させられた。
(ああ。人が死ぬっていうのは、こういう事なんだな……)
死んだ人間には2度と会えないし、決して生き返らない。9歳の誕生日に買ってもらったRPGに「ふっかつのじゅもん」なるものが登場したが、あれは嘘。
もう父親とは、言葉を交わすこともできない――。
その事実を悟った途端、口惜しさやら喪失感やらが一気にこみ上げてきて自然と涙があふれたのを覚えている。
俺には3つ年下の妹がいる。一家の大黒柱たる親父の稼ぎが無くなったので、母は育ち盛りの息子と娘を女手ひとつで育ててゆくことを余儀なくされた。市内のスーパーにアルバイトとして勤務する傍ら、余った時間を造花製作の内職に充てる忙しい毎日。
あまりかまってもらえなくなった俺は、必然的にひとりで遊ぶ機会が増えていった。もともと引っ込み思案な性格で自分から行動を起こす性分でもない。進級してもクラスの輪の中には入らず、教室の片隅でボーッとして過ごす日の多い根暗な子だったという記憶がある。
「リョウヘイ君って、いっつも何を考えてるのー?」
「ひとりで遊んで楽しいの?」
「誰かと一緒に遊んだほうが楽しいよ」
クラスメイトはおろか学級の担任にさえ、からかわれて嘲笑の対象にされる始末。しかし、それでも俺は誰かとつるむ気にはならなかった。
ただ単純に、周りの人間と合わせるという行為がたまらなく窮屈で格好悪く感じたのだ。おまけに俺は父親の死で心に大きな穴が開いていた。学校の連中は、それを埋めてくれる存在とはなり得なかったのだろう。
そんな中、事件は起こった。