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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第11章 親分たる器
198/252

過去と今の鎖を断ち切って

東西とざい東西とうざい~!」


 2004年12月30日。この日、東京都港区赤坂の中川会総本部では10時から盃の儀式が執り行われていた。


「草木枯れゆくこうではございますが、皆様お揃いのこと誠に祝着至極に存じます。さて本日はお日柄も良く、この良き日に中川会の新たな力が加わりますことを盛大に祝し、そのご健勝とご発展をお祈り申し上げまして、一席の宴を開かせていただきます」


 口上を述べたのは酒井義直組長。前回に引き続き、今回もこの男が司会を務める。相も変わらず彼の野太い独特な声は遠くまで響いて美しい。


「まずは、盃の儀に先立ちまして、新しき直参として加わる英気溢れる若者たちをご紹介させていただきます」


 そう言うと、大座敷の中央に座った男たちが名乗りを上げる。


「手前は『韮建組』を名乗ります、韮建にらだてまさると申します。未熟の身ながら精進に励みますので、以後お見知りおきを」


「手前は『杵山組』を名乗ります、杵山きねやま 基次郎もとじろうと申します。田舎者ゆえ拙いところもございましょうが、ご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願いいたします」


 韮建と杵山は、それぞれ東北と九州から引き込んだ親分である。いずれも俺が媒酌人を務める。韮建に関しては俺が直接的に調略をかけたわけではないものの恒元が云うので仕方ない。


「それでは、盃の儀を執り行います。媒酌人を務めまするは麻木涼平殿」


 俺はゆっくりと前に出る。紋付袴は何とも着心地が不快だ。もしかすると着物自体が合っていないのかもしれないな。


 ともあれ祭壇の前に置かれた座布団へ腰を下ろす。


「それでは麻木殿、盃のご支度を」


 酒井組長の号令で、俺は盆の上に並んだ2枚白磁の盃を神棚へと掲げて御神酒を注ぐ。そして韮建と杵山と向かい合って座る恒元に盃を差し出した。


「中川会三代目、中川恒元公に申し奉り候。本日ここにおわします3名の者たちを新たな直参として加える儀、お許しいただきたく候」


 俺の言葉に恒元が一礼する。


「承りて候」


 そのやり取りを聞いた酒井組長が言った。


「盃は親から子へと与える仁の施しであり、子が親に立てる義の誓い。まずは親である恒元公より盃を頂戴頂きたく存じます」


 恒元は2枚の盃にそれぞれ口を付ける。俺はその盃を韮建と杵山の前の高坏へ乗せる。


「任侠渡世は修羅の道。親への恩義を忘れたる不忠者は、命をもってその罪を償うさだめなり。お覚悟はおりかな?」


 酒井組長の問いに韮建と杵山は答えた。


「全てに懸けてお仕えいたす所存」


「今さら語るまでも無いことにございます」


 答えを聞いた酒井組長は彼らに言った。


「それでは、これより申します言葉を私の後に続いて復唱なさいませ。『盃の儀、謹んであいえ候。これにて我は中川会へ加わること、ここに証し致す』」


 何とも古めかしい言い回し。江戸時代から続いている関東博徒の盃口上とのことだけれど、もっと簡易的にはならぬものかと俺としては思う。


「盃の儀、謹んで相了え候。これにて我は中川会へ加わること、ここに証し致す!」


 韮建てと杵山の声が響き渡ると、酒井組長が彼らに言った。


「そのお覚悟に二言が無いことを示されませ! 肚、定まり次第、その盃を飲み干し、懐中深くに納められよ!」


「はっ!」


 威勢の良い返事をした2人の組長は盃を手に取り、一気に飲み干した。そして、高坏の上に敷いてあった和紙で包み込み、懐の中へと仕舞う。それから深々と礼をする。


「これにて韮建勝殿、杵山基次郎殿が中川会へ加わることと相成りました! 皆々様方におかれましては、この晴れの日にお立ち会いくださったことに心から御礼申し上げます!」


 その場に居た執事、幹部、その他構成員の全員が拍手を鳴らす中、俺は祭壇の前に置かれた高坏を手に取って韮建と杵山たちの前に行く。


「これなるは中川恒元公より賜りし仁義のあかしにて候。今日よりお二方は中川会の直参として存分に働き、その忠義を果たされんことを」


 高坏に乗っているのは鞘が鮮やかに塗られた短刀。恒元から賜ったこれを着物の帯に差すことで、正式に中川会の一員として認められるのである。


「ははっ!」


 杵山たちはそれらを着物に差し、改めて平伏した。


「賜りし仁義の証、謹んで頂戴つかまつります!」


 これにて盃の儀式は無事に閉幕した。失敗できない役回りだけあって緊張する。終わったと同時に肩がドッと重くなる感触が走ったのは言うまでも無い。


「皆様、この後は暫しの休息を挟みましてことおさめかいを執り行います。皆様方には恐れ入りますがこのまま本宅内でお待ちいただきますようお願いいたします」


 助勤の言葉に構成員たちが「おぉ~」と声を上げる。


「お食事の方は2階の宴会場へご用意してございますので、そちらでお願い致します」


 その言葉を聞いた幹部、それから傘下の組長たちはゾロゾロと大座敷から出て行った。俺たち執事局の仕事は宴の準備と後片付けである。


「よしっ! それじゃあ片付けるぞ! 儀式の道具は絶体に傷をつけねぇよう慎重に箱に入れるんだぞ!」


 俺は構成員たちにそう言った。彼らは「はいっ」と返事をしてから作業に取り掛かる。


「涼平。ちょっと良いかね?」


 作業中、恒元が俺に話しかけてきた。


「はい」


 俺がそう返すと彼は言った。


「昨日の件だけどね。風越とは円満に話が付いたよ。今月分の用心棒代に5億円を上乗せすることで彼も納得した」


 エースタウン社が中川会のシマ内にて女を攫っていた事件。恒元によると昨晩のうちに風越とは手打ちが成立したというのだ。


「お前が帰った後、あいつを呼びつけて厳しく言い聞かせたよ。『いつも払っている10億円の中に女を買う代金も含まれているかと思った』などと開き直っていたけどね」


 よもや夜の内に恒元がそんな挙に出ているとは知らなかった。会長のスケジュールは専ら把握しているも、風越との話し合いについては初耳だ。会長には会長付きの次長助勤が交代で付き従っているものの、彼らは立場的には才原局長の膝下で働いているので、ある意味で遊軍的存在の俺に話が上がってこないのは無理もないといえば無理もないのだけれど。


「……それで、風越社長は会長に詫びたのですか?」


「ああ。軽く脅したらあっさり頭を下げたよ。尤も、奴が反省しているかは怪しいけど。昨日の件については我輩も水に流すことにしよう。カネも貰えることだからね」


 その額は5億。多くの女たちを食い物にし、その人格を壊した代償としては高いのか安いのか、俺には分からない。おまけにそれらは全て、恒元の懐に入る。


 中川恒元も極道だ。弱い者のことなどは考えてもいないのだろう。当然ながら文句を言っても仕方が無いので俺は黙っておく。


「そうですか」


 搾取する側とされる側、奪う側と奪われる側、そして食う側と食われる側。世の中にはこの二極しか存在しない。そう考えると社会の摂理とは何とも虚しいものかである。


「まあ、お前が気にすることではないよ」


 俺の顔から心情を看破したか、あるいは別の意味か。恒元そう言った。彼は俺の肩にポンと手を置くと、こんなものを差し出してきた。


「風越からお前にと預かったものだ。受け取りたまえ」


 俺はその封筒を受け取った。中には2枚のチケットが入っている。


「神野龍我のライブ……!? 何ですか、これ?」


 俺がそう聞くと恒元は言った。


「風越からお前へのプレゼントだな。『口止め料』だとよ」


 聞けば風越社長は今日12月30日夜に開催される神野龍我のライブの興行権を中川会へ無償で譲ったらしい。神野龍我はエースタウン所属のロックシンガー。億単位の収益が期待できる東京ドーム公演の仕切りを任せることで此度の事件を手打ちにしようという思惑なのだろう。


「それでチケットを俺に……」


「ああ。お前のことは話していないが、例の休暇所にうちの者が踏み込んだと話したら『ライブに招待するからその者に箝口令を敷いてくれ』と」


 何という偶然だろう。神野龍我は中学生の時分からの大ファン。ロックバンド 『LUVIAルヴィア』のボーカルだった頃よりずっと追いかけている歌手だ。


 そのライブチケットをこんな形で手に入れようとは。何とも複雑だった。心の中はマイナスな感情が大半を占めている。


 あまり嬉しくはなかった。


「ん? 『口止め料』というなら現金の方が良かったかね?」


「いえ、ありがとうございます」


 カネのために風越との関係を優先する会長は口を閉ざすことを求めている。それに盾突けるくらいの自由さは俺には無い。快く受け取るしかなかった。


「このチケット、日付が12月25日になってます。停電で延期になった代替ってことなんでしょうけど。こいつで入れるんですか?」


「ああ。エースタウンはクリスマス2DAYSのいずれかのチケットを購入した者を無償で招待している。ここまで早く代替公演を打てるのもあの会社ならではだろうね」


 それが国内最大手の芸能プロダクションの力ということか。権力を持つ者は持たぬ者に施しをすることもあれば、時として虐げたりもする。栄華のおこぼれをくれてやるから多少の横暴は許せと云いたいらしい。俺は何とも鬱屈とした気持ちにさせられる。されども恒元の前で異議を唱えたりはしない。ただただ、従うだけであった。


「さあ、昼飯だ。たらふく食おうじゃないか」


 恒元はそう言ってから、酒井組長や幹部と共に宴会場の方へと行ってしまった。俺はその背が部屋を出た後で作業に戻る。


「よしっ! それじゃあ片付けるぞ!」


 助勤たちは手分けして作業をする。50分くらいで大座敷の儀式道具を全て倉庫に仕舞って宴会場へと向かう。そこではお抱えの料理人たちが食事の給仕をしている最中だった。


「はあ……美味そうなもんはあらかた食われちまってますぜ。残っているのはサラダくらいです」


 舌打ちを鳴らした原田に俺は一言で応じる。


「まあ、仕方ねぇわな」


 お抱えの料理人が作る御馳走はどれもこれも絶品ではあるものの、やはり総本部に集った組長たちによって食い尽くされたようだ。


 宴会場には沢山の円卓が並び、大勢の組長たちが高級和食を肴に酔っ払っている。


 今日は事納会も兼ねているのだ。正月のことはじめかい、夏のゆうすずかいと並んで全国から傘下組長が集まる関東博徒の定例行事。参加者が多いだけあって飯が足りなくなるのは当然だった。


 さて。適当に何かを腹に詰め込んで午後の催事に備えるか。そう思っていると、恒元から声をかけられた。


「おい! 涼平!」


 円卓で語らっている彼の方へと向かう。年代物のワインを飲んだ会長は既に酒がまわっていた。すっかり頬が赤くなっている。


「会長。この後は事納会ですよ。あまり飲みすぎると……」


「へへっ。我輩を侮ってもらっては困るよ、涼平。酒に呑まれる中川恒元ではないぞ!」


「しかし……」


 そうは言っても既にべろべろだ。まったく仕方ないなと呆れつつ、俺は会長の隣に座った。すると円卓についていた男らが声を上げる。


「よう! 麻木次長! あんたも飲んでくれや!」


「流石は中川会。酒も料理も格が違う。東京者はこんなに美味いものを食っているのか」


 韮建と杵山。今日をもって新たに中川会の傘下に入った組長たちだ。盃の儀式の後の食事会では新人組長が会長と円卓を共にするのが通例となっている。


 俺は彼らに言った。


「おうよ。遠慮せず食ってくれや。あんたらには会長の手となり足となり存分に働いてもらうからな」


 そんな俺の前に恒元はグラスを置いてきた。中には氷と赤ワインが入っている。どうやら俺に飲めと言っている模様。


「……頂きます」


 仕方なく俺は酒を呷り、宴会の中に加わった。


「いやあ、それでな。うちの組の若い衆がよ、その女と恋仲になっちまったもんで俺としても困ったわけだぜ……」


「それでどうなったんだ?」


「そりゃあもう! その女が別府に逃げ込むのを膳立てしてやったわけだよ! それくらい俺は子分を大事にしてるってことよ!」


 杵山組長から聞かされた話によれば、杵山組の下っ端組員が福岡の女を好きになってしまい、玄道会の領内に住んでいた当人を別府に脱出させるよう組を挙げて手伝ったっというのだ。チンピラのためにそこまでする器量もさることながら、あわや戦争になりかねない行為を平然とやってのける杵山の人柄に俺は感銘を受けた。


「あんた、すげぇな……」


 俺は相槌を打ちながら、酒や料理を腹へと流し込んでゆく。恒元が俺のために取り置いてくれたので嬉しかった。そんな時である。


「その行動には賛同できねぇ。軽率としか思えん」


 杵山と向かい合って座っていた韮建組長が呟いた。その声量はあからさまであり、テーブルについていた誰もが眉を顰める。


「ああ?」


 睨みつけた杵山に韮建は続けた。


「賛同できねぇと言ったんだ。その女のために戦争に発展する危険を冒すのは軽率以外の何物でもない。ましてや親分の為すべきことじゃねぇだろ」


 杵山も負けじと言い返す。


「じゃあどうしろってんだ? てめぇはよぉ!?」


「そもそも俺は子分の私情を組に持ち込ませない。公私の分別くらいつけて当たり前だ。それができねぇなら極道なんか辞めるこったな」


 韮建の一言に杵山は激昂する。


「ふざけんじゃねぇぞ、てめぇ! 子分が惚れた女一人守れねぇで何が極道だ! そんな腑抜けで稼業が務まるのかよ!」


「たかが下っ端の都合で組全体が振り回されるなんざ筋が通らんだろう! 田舎者はそんな簡単な話も分からねぇのか! お前は組長失格だ!」


「てめぇだって田舎者だろ、東北のヘタレ野郎!」


「何だゴラァ!?」


「おう! やるかぁ!?」


 二人とも立ち上がったところで酒井と原田が「どうかその辺で」と割って入り、韮建に耳打ちした。


「……」


 周囲の雑音もあって何を言ったのかは聞き取れない。しかし、程なくして韮建組長はどういうわけか怒りを自ら消火したのだった。


「……すまねぇ。熱くなった」


 俺も俺で杵山を諭す。


「あんたもその辺にしとけよ。恒元公の御前だぞ。これ以上やるってんなら許さねぇぜ」


「お前さんだって俺の言ってることが正しいと思うだろう?」


「どっちが正しいかの話じゃない。この宴の席で喧嘩をするなと言ってんだ」


「んだと!? 何で俺が己を曲げなきゃならねぇんだ! 大体、お前は生意気なんだよ! 執事局の次長だか何だか知らねぇけどな! 俺より後輩の癖に……」


 そこで恒元が何度か手を叩いた。


「騒々しいなあ」


 彼の言葉に反論しようとする杵山組長であったが、会長の視線を受けてほんの一瞬で沈黙した。


「杵山。何か我輩に文句でもあるのかね。少しは格というものを分かってもらいたいものだね、お前たちにとっての媒酌人は涼平なのだから」


「……も、申し訳ございません。図に乗りました。文句を言うなど滅相も無いことにございます」


「うむ」


 やはり中川恒元だ。権威が揺らいでいるとはいえ、関東の王と呼ばれるだけの威風堂々たる貫録はある。そんな恒元に睨まれて杵山はおろおろと縮こまった。


「別府では玄道会相手に大暴れしているようだけど、中川会ここでは決められた序列や慣習は守るべきだろう」


「はっ! 肝に銘じます!」


 杵山が頭を下げるのを見届けてから恒元は俺に向かって言った。


「涼平は何ら気にすることは無いぞ」


 俺は一言だけで返事をした。


「はい」


 擁護されるまでもなく気にしてはいないからだ。アルコールが入ったことで杵山も饒舌になり過ぎてしまったのだろう。会長相手にはひとまず従順のようなので良しとする。


「うむ。杵山も韮建も今日から共に禄を食む盟友なのだ。些末事で諍いを起こすようでは困るぞ」


「はっ!」


 会長の叱咤で場の空気は一気に引き締まった。中川恒元はただの老いぼれではない。俺は改めて畏怖を抱いたのであった。


 それから少し気まずくなりつつも宴は盛り上がり、時計の針が13時を迎えたところで幕引きとなった。

「皆様。事納会の用意ができました。1階の大座敷へとお越しお願いいたします」


 助勤の先導で皆がぞろぞろと宴会場を出て行く。俺たちも大座敷へ向かわねばと会長に声をかけようとしたところ、彼は俺に小声で囁いた。


「涼平。この後の事納会にて裁定の内容を皆に明かそうと思う」


 輝虎と秀虎。次代の銀座を仕切る総長の座を兄弟のいずれに継がせるか、その答えを事納会の場で決するというのだ。当然ながら俺は戸惑った。


「なっ!? もう決められたんですか?」


「ああ。決めたとも。どちらにも継がせない」


「どちらにも継がせないとは!?」


「あの兄弟の両者共倒れを狙うならそうするのが容易い。『兄弟でより多大なる力を示した方に継がせる』とでも言えば自ずと殺し合いが始まろう」


 俺は耳を疑った。兄弟による戦争を画策していたのは知っていたけれど、よもや裁定の内容を曖昧にして喧嘩を起こさせるとは。


「……会長はそれでよろしいのですか?」


「実を言えば秀虎に継がせたいが、あれは脆弱すぎるな。かと言って兄の輝虎は好かん。ゆえに我輩はあのどちらをも選ばないことに決めた」


 恒元の意図は別にもあるようだった。


「いざ戦争になれば暫くもしない内に輝虎が勝つだろう。奴には椋鳥や森田を始めとする有力幹部がついているからね。しかし、そうなったらそうなったで今度は内輪揉めが始まる。輝虎を勝たせた対価、つまりは銀座の利権をめぐって後ろ盾についた幹部同士で喧嘩になるのさ。我輩としてはそうなることが好ましい。より多くの幹部の力を削げるのだから」


 本庄が予想していた輝虎勝利後の銀座をめぐる中川会の混乱劇。やはり恒元は最初から想定していた。幹部同士の争いを敢えて黙認することで有力幹部たちを互いに潰し合わせ、その勢力を弱めるために。


「し、しかし、混乱が長引けば中川会は内部崩壊するかもしれませんぜ? 煌王会や九州、東北だって俺たちの混乱に乗じてくるかも……」


「そうならないために我輩直属の戦力を拡充したのではないか。それに今の煌王会には関東を攻める力はない。九州と東北の抑えは杵山と韮建に任せれば良い」


 そう言って恒元は韮建を睨んだ。会長の視線の先に居た韮建はべろんべろんに酔っ払っていた。これより事納会だというのに足がもたついている。あんな奴が東北ヤクザに対する切り札とは。何とも心許ない限り。威勢だけは良いのだけれど。


「ふへへへっ。会長ぉ! これからよろしくお願いしぁす!」」


「うむ。期待しているぞ」


 韮建は恒元に深々と頭を下げ、部下に支えられながら宴会場を出て行った。その直後、恒元は俺に問うた。


「お前も東北の抑えとするべく奴を調略したのだろう?」


「いや、そんなつもりはありませんでした。あの野郎がこっちに寝返ったのはあいつ自身の意思によるもので俺が工作を仕掛けたわけじゃ」


 俺の答えに恒元は不思議そうな顔をする。


「そうか? しかし、奴は言っていたよ? 『麻木次長の侠気に感銘を受けたのだ』と?」


 まったくの初耳だ。そもそも俺は今日に至るまで韮建とはまったく面識が無かったのだ。どういうつもりか、俺が東北を訪れた際に奴が中川会への寝返りを決めたのである。


「お前を北へ遣わしている時に奴から中川会へ寝返りたいと電話があってな。それゆえ我輩はお前が奴を調略したものと思っていたのだが」


「いや、特には何もしてません」


 韮建のことだ。麻薬取引がバレて東北に居場所を失っていたところで関東の中川会が交渉に訪れたため、あわよくばと踏んで寝返ったのだろう。俺は己にそこまでの度量があるとは思っていない。どうせ単なる偶然である。恒元にも「中川の代紋に惹かれただけのことでしょう」とだけ答えておいた。滑稽な慢心は禁物。


「うむ……そうか。まあ、経緯はどうあれ杵山と韮建は中川会の傘下だ。彼らが中川の代紋を担ぐことで九州と東北は迂闊に手出しできなくなる」


 かねてから一本独鈷で玄道会と事を構えていた杵山組はともかく、韮建組は東北から割って出る形で中川会に加わった。ゆえに東北にとって韮建は決して許すことのできない存在であり、大きな脅威でもある。今後は領地奪還を狙った東北ヤクザの攻勢が及ぶであろうが韮建は上手く躱せるか。


 ただ、今の時点で東北ヤクザたちは大戦争に踏み切るだけの資金と兵力に乏しいというので、韮建が中川の代紋を掲げた以上、当分は手出しされないだろうと恒元は読んでいた。それでも韮建には現状に胡坐をかかず勢力拡大に努めて貰いたいものである。杵山については玄道会と対等に渡り合ってきた経歴があるので特に問題はあるまい。


「そうですか。確かに。東北は韮建が釘を刺してます。九州は杵山が睨みを利かせてます。煌王会はゴタゴタ続きで戦争する力は無い。俺たちは内側だけに注力できるわけですか」


「ああ。やるなら今しかないのだ。これは中川会があるべき姿を取り戻すための大改革だよ」


 大きく頷き、恒元は続けた。


「銀座を舞台に幹部どもをぶつけ合わせ一気に潰す。そして同時に総本部の兵力を拡充させ、我輩を頂点とする新たな体制を作り上げる。中川会はこの中川恒元のものであると皆に知らしめるのだ」


 中川会は創設された経緯も相まって、会長の権力が他所よりも貧弱といえる。


 恒元の父親にあたる初代会長が関東の親分衆に互いに同盟を結ばせることで結成された連合体であり、『中川会』というネーミングもその連合体の盟主に中川恒澄が座ったからその名が付いただけのこと。そのため中川会の会長は御七卿をはじめとする傘下団体に推戴される存在でしかなく、中川一族の当主という権威はあれど皆を屈服させる実力には乏しかった。


 この矛盾とも云える状況を己の代で変えるべく、恒澄の次男で三代会長の恒元は会長権力を高めることに努めてきた。今回、彼にとってはそれを一気に成し遂げる機会がめぐってきたのだ。思惑通りに銀座の跡取り問題が拗れて有力幹部を巻き込んだ大戦争が起これば、父と兄が苦杯を舐めてきた中川会の歪な権力構造が是正されることになる。


「涼平。秀虎を呼び出してくれ。兄の方も事納会ということでそろそろ到着するだろう」


 今の輝虎の身分は食客だ。こちらは正式な構成員ではないため組の盃の儀式には参加する権利を持っていない。それゆえに今日は午後の事納会だけに顔を出すことになっていた。


「分かりました。しかし、輝虎も馬鹿な男じゃありませんから。もしかすると会長のお考えに気付いているかもしれません」


「構わん。我輩の掌の上であろうとなかろうと、奴は必ず弟と争う道を選ぶ。奴が如何に聡明とて欲と野心には勝てぬはずだからな」


「だと良いのですが。あとは幹部たちの出方にも注意すべきです。ただでさえ前代未聞の内容の裁定になるわけですから連中が何かしでかさないとも限らない」


「ああ。そのためにも皆を酔っ払わせたんだ。事納会でもさらに酒を飲むだろうから、泥酔した状態ではどうにもなるまい」


 それで盃の儀式と事納会を連続させず昼食の宴を挟んだのか。極道の世界における事納会とは忘年会のようなもので、酒と料理をたらふく振る舞ってどんちゃん騒ぎをする。皆、ただでさえ昼食で酒を飲んでいる。その後に事納会が続けばますます飲むだろう。そうしてべろんべろんに酔い潰れてはまともな判断が下せない。


「流石です、会長」


 恒元の策略家ぶりに感心しつつ俺は銀座に電話をかけた。数秒の呼び出し音の後、通話が始まる。驚くべきことに出たのは淑恵だった。


『はい』


 てっきり電話番が出ると思っていた。普段ならその役回りを担う組員を屋敷の守りに割いているらしい。そう考えると秀虎派は人員不足だな。


「よう、姐さん。麻木だ」


『麻木? どうしたんだい?』


「秀虎さんを赤坂に寄越して貰えねぇか。跡取りのことで会長が裁定をお下しになられる。今すぐ総本部までお運び願いたい」


 その呼びかけに対し、淑恵が投げたのは意外にもあっさりとした返事だった。


『分かった。秀虎と一緒に、あたしもついて行くよ』


 驚かないのか。まあ、思慮深くて勘の鋭い淑恵のことだ。一年の総括を行う事始会で何らかの政局があって然るべきと予想はしていたのだろう。


「ああ。よろしくな。持ってたらで構わねぇからせがれにはなるだけ正装を着せてやってくれ」


『ふんっ。舐めてんじゃないよ。昨日から着物屋に上等なのを用意させてるよ』


「そりゃ良かった。じゃあ、切るぜ」


『ああ』


 そうして電話が切れると俺は恒元に言った。


「母親も同席するとのことです」


「あの女らしいな。では、すぐにでも事納会を始めようではないか」


 俺は恒元と廊下を歩きながら、あれこれ思案に耽る。


 淑恵は裁定の内容を知らない。仮に輝虎が選ばれようものなら自らの体を張ってでも長男を押し止め、次男を逃がす時を稼いでやるくらいの気構えだろう。次男を想い、母として心からの愛を注いでいる。そんな彼女が恒元の意図を知ったら如何に思うか。いや、もっと不憫なのは利用される秀虎だ。つい昨日立ち上がる肚を決めたばかりだというのに。


 せめて秀虎にとって優位な状況に上手く運べないだろうか……?


 気付けば、秀虎に肩入れしていた。元より輝虎を嫌っていたのはあれど、昔の麻木涼平なら侮っていたはずの軟弱な優男に情を抱くとは何とも不思議だ。そんな自分を心の中で叱咤しつつ、俺は事納会の行われる大座敷へと向かったのだった。


「皆の者、今年もご苦労であった。中川会も新たな戦力を迎え入れ、我らの結束はより一層高まったといえよう」


 事始会はそれから30分後に大座敷で始まった。既に酒や料理が振る舞われており、皆ほろ酔い状態。中には泥酔して寝込んでいる者もいる始末だ。


「しかし、まだ終わりではないぞ! 来年はいよいよ、関西へ攻め込む! 諸君らと共にある限り、我輩は決して歩みを止めることは無いのだ!」


 恒元の言葉に会場はどよめく……かと思いきや、すっかり冷めきっている。酔っ払っている者が過半数を占めている所為もある。されど集っていた幹部の大半が嘲りとも取れる表情だったのだ。


「ったく。『来年は関西へ攻め込む』だとよ。どうせやりもしねぇくせに」


「ああ。戦争準備にかこつけてカネ儲けがしてぇだけだろ。上納金アガリを払う俺たちの気持ちも考えて貰いてぇぜ」


「そうだよ。尤も煌王会と喧嘩をするのもまっぴら御免だけどな。何もしないでふんぞり返ってるのがお似合いなんだよ、恒元公は」


 そんなあからさまに聞こえるような声量で皮肉と文句を垂れる幹部たちの反応に、俺はため息を吐いた。まさしく、彼らは今の中川会の歪みを端的に表す。自身の権力を拡大したい恒元の野心には俺個人として興味は無いけれど、こいつらに泡を吹かせてやれるなら喜んで協力したいものだ。


 一方、幹部連中の冷ややかな反応をものともせず、恒元はなおも演説を続けた。


「我らが武名を天下に轟かせ、中川の代紋でこの国を照らす! それを為すためには皆の奮励と奉仕が欠かせぬ! どうか力を貸してくれ!」


 真摯に耳を傾けている者はごく少数。息子を人質に取られている組長たちは従順に振る舞う他ないようであるけれど、おおそよは不忠者だ。


「中川会の繁栄と関東の安寧のため、力を尽くそうではないか!」


 そうして恒元が盃を掲げると、幹部たちも一応は盃を天に掲げた。


 無論、所詮は表面上のこと。理事長以下、全員が腹の底では中川恒元など屁でもないと思っている。その幹部たちも内心では互いを嘲っている。その中において俺はどうあるべきか。会長である恒元に尽くすのが為すべきこととは分かっている。 ただ、それで良いのかと思う自分も居る……。


 そんな未熟な悩みに頭を捻っていると時、俺はふとある参加者に視線が留まった。


 淑恵と秀虎だ。この母子は座敷の一番隅で並んで座っている。豪勢に盛り付けられた高級和食の膳を美味しそうに頬張る息子を、淑恵は何とも愛おしそうに眺めている。その表情には深い愛情が宿っているとはっきり分かる。


 片や輝虎は2人と向かい合う位置に座っていた。


「何だよ、この天ぷら。すっげえ美味いじゃん。赤坂の料理人にも腕利きがいたんだな」


 酒を飲みながら勢いよく料理に食らいつく輝虎。まるでプライベートで食事に訪れたかのような態度だ。今日が彼にとって何の日であるか存じているのか。


「……はあ。まったく呑気なもんだぜ」


 そう呟きながら視線をずらすと、今度は杵山組長の姿が捉えられた。彼は盛られた料理を既に食べ終えているようだった。


「ああ、食った食った。腹が膨れたら何だか眠くなっちまった。少し横になっていいかい?」


「いや、ちょっと。冗談だろ。あんた……」


 隣の組長の文句は無視し、杵山は座敷に寝そべり大の字になった。その図太さたるや、まるで自宅のソファに体を預けているかのようだ。


 九州の男は威勢が良いと聞くけれど食べっぷりまで盛んなのか。まあ、今まで疲れが溜まっていたのだろうな。彼の場合は今月に福岡にて日韓首脳会談が開催された影響で盃の日取りが延び、いざ東京に出てきたと思えば今度はクリスマス停電で儀式が延期になった。鬱憤が蓄積されて当然である。多少の無作法は許してやるとしよう。


 そう思っていると、不意に恒元が口を開いた。


「盛り上がっているところすまない。ここでひとつ、我輩から皆に知らせておきたいことがある。聞いてくれたまえ」


 ああ。例の裁定をいよいよ明かすらしい。言われるまでも無く眞行路一家の件だと察したのか、会長の言葉で皆が静まり返った。


「……」


 固唾を呑んで見守る一同。騒いでいた幹部たちもひとまず姿勢を正して恒元に視線を向ける。


「皆に知らせたいのは他でも無い、結論を先延ばしにしていた眞行路一家の跡取りについて。我輩の決定を伝えようと思う」


 そうして恒元は切り出した。


「眞行路一家の後継者を誰と定めるか、これに結論を出すのは暫し保留とする」


 彼の言葉に唖然とする一同。無理もない。先延ばしにしていた結論をようやく出すのかと思いきや、さらに先延ばしにすると明かしたのだから。


「つ、恒元様!?」


 淑恵が狼狽えた声を上げ、秀虎が息を呑む中、恒元は次なる言葉を付け加えた。


「銀座の新たなる支配者に求めるのは、それに相応しい器量。ただひとつだ。よって今後、輝虎と秀虎のうち、より大きな武勇を示した者に組の継承を認めることとする」


 真っ先に反応したのは輝虎だった。


「はははっ! そりゃあ良いや! 『より大きな武勇を示した者に』ってこたぁ、極端な話が喧嘩で弟をぶっ殺しちまっても構わねぇってことですよね?」


「我輩の言葉をどう捉えるかはお前たち次第だ。我輩からは何も言わん。ただ、仁義に悖るようなことはしてくれるなよ」


「はははっ! やったぜ! これで俺が組を継いだも同然だっ!」


 輝虎は大喜びで、座敷を飛び跳ねる。その反応に他の幹部たちがどよめいた。


「な、何だと!?」


「内輪揉めを事実上容認するということか!」


「ふざけやがって……! そんな馬鹿な話があるかよ!!」


 当然の反応だ。しかし、恒元は動じない。むしろ不敵に笑ってみせた。


「まあ、そういうことだ。どうせ召し抱えるならば勇ましい男の方が良いだろう。せいぜい努めてくれたまえ」


 そんな流れで中川恒元は12月30日付で記した御教書にて眞行路一家の継承者は『兄弟で決める』ことを命じ、さらには『その決め方は問わない』と謳い、輝虎と秀虎による兄弟喧嘩を自ら煽ってのけた。


 この裁定を聞かされた淑恵および秀虎派の関係者は揃って頭を抱えたことだろう。何せ継承問題に終止符が打たれるかと思いきや、新たな火種が生まれたのだから。現状で兵数と資金力で勝る輝虎派だけがそれを歓迎しているという有様だ。


 事納会の終了後、理事長ら幹部たちは恒元に臨時の幹部会の開催を提案。前代未聞のこととして裁定および御教書を撤回するよう具申した。


 しかし、恒元は応じなかった。


「我輩の下した裁定の何がいけないというのだね。今の時点で眞行路一家は中川会の傘下ではない。彼ら自身の手に委ねるのが最も良いじゃないか」


「ですがね、会長! あれじゃあ、中川会のお膝元の東京で内輪揉めのドンパチをやっても良いとあなた様が自らお認めになっているようなものです! そんな話は聞いたことが無いし、後で必ず火種になりますよ!」


 理事長の言い分は尤もだった。極道の親分が傘下の後継者争いを黙認するなど通常なら有り得ないことであるからだ。しかし、それでも恒元は意に介さない。


「ふんっ。何を言うかと思えば下らんな。我輩の裁定に異を唱えるなど言語道断だ」


「なっ……!」


「大体、お前たちも兄弟で喧嘩が始まることを期待していたくせに。あの組の争乱に乗じて銀座の利権に食い込みたいと顔に書いてあるぞ」


「ば、馬鹿言わないでください! そんなわけないでしょう! 私は中川会の安寧のためを思えばこそ反対を申し上げているのです!」


「もう良い。下がれ。眞行路一家は中川会の正式な傘下ではない。よって銀座で何が起きても我輩は知らんぞ。後は好きにやれば良い。お前も嘴を突っ込みたくば突っ込むと良い」


 そんなやり取りを繰り広げた後、理事長は苛立ちを露に総本部を出て行った。彼も前に比べて、会長に盾突くようになってきている。古参の幹部たちの中でも「会長派で中川恒元の忠臣」を自称していたくせに己の思い通りにならない恒元に愛想が尽きたか。


 ともあれ、これで眞行路一家はのっぴきならない状況に陥った。組の継承権を狙った輝虎派が秀虎派に攻勢を仕掛けるのは、もはや時間の問題。恒元としては、そうして始まった喧嘩に他所の幹部らが続々と介入する展開を望んでいるのだ。


 有力幹部同士を互いに潰し合わせ、力を削ぐために。そして自らの権力を高めて、ゆくゆくは関東裏社会を名実ともに支配するために。全てが上手く運ぶかは別問題なれど、これは恒元の大きな挑戦でもあった。


「この策の成功の可否はお前たちに懸かっている。才原。涼平。他の皆々も。よろしく頼むぞ。持てる力を全て尽くしてこの中川恒元を支えてくれ!」


 夕方。執事局の全員および酒井組長、原田総長、杵山組長、韮建組長、以下会長派の親分たちを前に恒元は深々と頭を下げた。


「はっ! 承知いたしました!!」


 とりあえずは皆で返事をする。けれど、分かっている者は分かっていた。所詮は中川恒元の独り善がりな計画だということを。


「ったく。会長も酷だよなあ。そのために眞行路を生け贄に多くの連中を巻き込むなんてよぉ」


 原田亮介の父親である原田一家の原田はらだ和彦かずひこ総長はぶっきらぼうに云い捨てながら去って行った。


「……まさか中川会に入ってすぐに身内同士のドンパチとはな。東北も大概だったが、東京も色々とやばいもんだ」


「今さら何を言うか。韮建。いつ、いかなる時も私心を殺して会長にお仕えするのが俺たちの務めだ」


「そうではありますけどねぇ」


 新人の韮建は酒井祐二の父の酒井義直組長に叱咤されながら帰って行った。確かに、東北ヤクザの殺伐とした空気を嫌って中川会の傘の下へ逃れてきたであろう韮建にとってはとんだ計算違いだったかもしれない。それでも会長の盃を呑んだからには恒元の忠臣として力を尽くして貰いたいものだ。


「くかぁ……くかぁ……」


 事納会終了時で既に泥酔状態だった杵山組長は恒元とのミーティングが終わるや否や、床に崩れ落ちて眠ってしまった。


「組長。帰りますよ」


「うげえ……」


 待機していた杵山組の若衆に肩を担がれ、彼は総本部を後にした。いやいや、この状況を分かっているのだろうか。まあ、別府では仁義の親分で鳴らしている人だからいざという時も頼りになるとは思うけれど。


「ああ。飲みすぎてしまった。我輩は少し寝るぞ」


 組長たちが帰った後で、会長はそう呟いて別宅へと向かった。会長付の助勤が警護するというので、特にすることの無い俺は少し外の風にあたることにした。


 ふと隣には才原が静かに歩いていた。


「局長。あんたはどう思うよ」


「どう思うも何も……我らはただあの方に従い、お仕えするまでだ」


 愚問かと思って苦笑した俺。なれど、その直後。不意に才原局長は思いがけぬことを口走った。


「……ただ、俺個人としては安易すぎると思う。有力親分衆の力を削ぐためとはいえ迂闊に火種を撒くのは稚拙と言わざるを得ない」


 恒元のやり方を批判的に評したのである。


「局長!?」


 俺は驚いた。才原のことだから何があっても文句を言わず服従し続けるものと思っていた。それが古より続く忍者の掟だと思っていたのだ。


「へぇ、意外だな」


「俺が己の論理を持っていることか?」


「ああ」


 すると才原は淡々と答えた。


「俺とて人である。お前や他の者どもがそうするように、仕えるあるじに対して己の主張を抱くこともあれば感想を持つこともある。それを口に出してはならないというのが一族の掟というだけでな」


 ますます意外だと思った。あらゆる私心や感情を殺すのが忍びの教えだと勝手な印象を持っていたからだ。才原によれば、必ずしもその限りではないという。


「戦国乱世の折より忍びの者は戦を好まぬ。ゆえにこそ時には諫言もするし、体を張って主君をお宥めすることもある。戦で上がる火の粉を最小限に留めるためにこそ我ら忍びがいるのだ」


 そういうことか。局長は「ただしこれは才原党の忍びに限っての考えだ」と付け足すも、才原嘉門という男が意外と平和主義者であることは分かった。慌ただしさにかまけて忘れていたけれど、以前にもこのようなやり取りがあったような気がする。


「……忍びだからこそドンパチを嫌うか」


「そうだ」


「じゃあ、村雨耀介の邸宅を襲って煌王会の女将を殺したのも戦争をさっさと終わらせるためだってのか」


 何気なく問うた一言に、才原は歩みを止めないまま返事を投げた。


「ああ」


 やっぱりそうだったか。まあ、今さらその件で非難したり罵ったりする気は無いので「そうか」と聞き流すだけなのだけど。


 ただ、意外にも話題を繋いだのは才原の方だった。


「麻木。勘違いしてもらっては困るから言っておく。あれは俺たちの意思ではなかった」


 突如として足を止めたことに驚きつつも、俺は相槌を打つ。


「あ、ああ。分かってるよ」


「我ら才原党が恒元公に付き従うのは拾って頂いた恩義があるため。なれどあの方の為されることに非道があれば、それをお諫めするのも我らの役回りよ。そのことは俺だって胸に刻んでいるつもりだ」


 いつになく真剣かつ感情的な声色で訴えかけるように言い切った才原。では何故にあの時は止めなかったと尋ねたいところであるけれど、敢えてそうは返さなかった。


「だよな」


 人に仕えるという行為は少なからぬ矛盾を含む。葛藤、悲嘆、後悔とままならぬ感情に押し潰されるのは才原たち忍者とて同じはずだ。ましてや相手が中川恒元のような冷徹な策略家であるなら一層のこと自分が分からなくなろう。


「つまらぬことを言った。俺らしくも無い」


 そう呟いて才原は薄暗い廊下の闇に消えていった。


 古来より忍者は主君への忠誠を誓った上で、その裏では時に葛藤と悲嘆に暮れて仕えてきたという。忍者も人並みの感情を持っていて当然だ。そうでなければ、才原があんな台詞を漏らすことは無いであろうから。


 忍者の起源は諸説あれど、権力者の都合で虐げられる民衆の代弁者たる存在であったという説が有力らしい。甲賀の里も伊賀の里も周辺を巨大な大名に囲まれ、交互に侵略される状況にあった。弱き者のために武術を身に着けた歴史的背景があるからこそ、忍者は例え汚い手段を用いても戦を止めようとするのだ。


「……弱き者のためか」


 そんな美学は、俺と似ている気がする。いや、むしろ頭に思い描くだけで何も為せていない俺よりはずっと素晴らしい。俺といえばヤクザらしくもない気高い志を掲げながら、思うままにならない現実を前にただただ流されるままの甘んじているのだから。


 ふと、頭をよぎったのは秀虎のこと。


 彼は兄から命を狙われ、権力拡大を狙った中川恒元に手駒として使い捨てられようとしている。極道の大親分の次男として生まれただけで当人は何ひとつ闇に染まっていないにもかかわらずだ。


 秀虎の境遇を俺は理不尽だと思うし、憤りをおぼえずにはいられない。自己決定権を持たぬ時分に大人たちの打算に振り回される苦しみは苛烈だ。10代の頃にそれを嫌というほど味わった嫌な思い出が、秀虎に対する異様なまでの同情をもたらしていた。


 俺の中で漂う漠然とした気持ちの正体に、ようやく気付いた。俺は秀虎を救いたい。多くの者から命を狙われるさだめから彼を掬い上げたいのだ。


 けれども、どうすればそれを為せるというのか……?


 立場と役柄、そして俺自身を縛り付ける過去の呪縛が考えを堂々巡りに停滞させる。もどかしさからため息をこぼした時、偶然にも時計へと視線が向かった。


「ああ、もう16時30か」


 夕方の会合が終わってから既に30分が経っていた。そういえば今宵は東京ドームで神野龍我のライブがあるのだった。そろそろ出発せねば開演に遅れかねない。


 俺は寮へ戻って紋付袴からスーツに着替えると、そのまま総本部を出る。向かった先は同じ赤坂地区の『Café Noble』だ。ペアチケットで誘う相手といえばあいつしか居なかった。


「よう」


 店の扉を開けると、彼女は少し暇そうだった。ちょうど団体客が帰ったばかりらしく店内に客の姿は無い。


「いらっしゃい」


 この喫茶店の看板娘、華鈴だ。俺はかいつまんで事情を話すとチケットが1枚空いていることを伝えてやんわりと誘いをかけた。


「……ってなわけだ。会長はこれを俺に対する口止め料ってことで渡してきた。だから、まあ、もし良かったら、お前と一緒に行きてぇなって」


「ふーん。口止め料ねぇ。それならまあ、行ってあげても良いけど?」


 華鈴は素っ気なく答えたが、チケットをちらちらと見ながら満更でもない様子だった。彼女も何だかんだ言って神野龍我の音楽を好んで聴いているのである。


「じゃ、じゃあ決まりだな」


「うん。でも、とりあえず言っておくけど。あたしとしては素直に楽しめないかもね」


「あ、ああ」


 彼女の云い分はごもっともだ。このライブを主催するエースタウンは彼女の後輩を廃人同然に貶めた男が経営する会社。好きなアーティストが所属しているといえど、本来ならそんなところとは関わりたくも無いはずだ。


「けど、口止め料ってことはそれを貰わなきゃ後で危害を加えられるってことでしょう? 麻木さんはヤクザだから大丈夫にせよ、あたしは一般人だからさ」


「あ、いや……必ずしもそういうわけじゃ……」


「赤坂で21年も暮らしてるとさ。権力を持ってる輩の考える内容は大体、分かるんだよね。口止め料を渡されたからにはそれを貰わきゃ殺されるってことくらい想像が付くよ」


「……」


 考えてみれば華鈴はエースタウンの事件に関わった、ただひとりの一般人である。裏社会において噂はすぐに拡散される。


 あの変態社長に口止め料を受け取っていない旨が伝われば、後で恒元に暗殺が依頼されるかもしれない。華鈴のことは恒元も知っているにせよ、奴は必要とあらば親族ですら平然と手にかける冷酷な男。カネのためにシマ荒らしを黙認したように、利益のために昔馴染みの娘を殺すことは厭わないだろう。


 今後のためにも口をつぐむ意思を明確に示すべきと考えたのか。華鈴は店の外に出ると、ドアプレートを『CLOSE』にひっくり返した。


「ちょっと待ってて。着替えてくるから」


「お、おう」


 華鈴はカウンタ―の裏手に回り、すぐに着替えて出てきた。彼女はいつものブラウスに黒のロングパンツを脱ぎ去り、代わりにベージュのセーターの上に白いコートを羽織っていた。下はピンク色のスカートにストッキングという何とも女の子らしい服装だ。


「じゃ、行こっか」


「ああ……ってお前その格好……」


 いつものポニーテールではなく、長い亜麻色の髪をたなびかせた姿。これは華鈴のよそ行きの装い。前回に続いて美しい。


「何よ?」


「いや、別に……」


 俺は思わず俯いた。その服装があまりにも似合っていたから。まるでデートにでも行くような……と、そこで我に返る俺。何を勘違いしているんだか。いや、これはライブに行くための準備に過ぎないし、そもそも今日は遊びに行くというよりは今後の面倒を避けるためのミッションみたいなものだ。彼女が素直に楽しめないというのに俺が楽しんでどうするのか。


 そんな葛藤など知る由もない彼女は俺の様子に笑い出した。


「あはは。何なのそれ」


「う、うるせえよ。行くぞ」


 頬を紅潮させながら店の外へと歩き出した俺を華鈴が少し嬉しそうについて来る。


「どうした?」


「別に。ただ、何ていうのかな。麻木さんと一緒にライブを観に行けるなら良いかなって。ましてやあの神野龍我の東京ドーム公演だもんね」


「あ、ああ……」


 歓楽街を過ぎた辺りまで来ると、華鈴の表情がだいぶ穏やかに変わった。俺とのデート……いや、ライブ鑑賞を楽しんでくれるのが嬉しい反面、何だか申し訳なくも思えてくる。そんな気持ちに蓋をするかのように俺は華鈴と駅へひた走り、電車に飛び乗った。


 港区赤坂から東京ドームのある文京区までは地下鉄南北線に揺られること15分。歳末の師走だけあって電車の中はそれなりに混雑していた。


「はあ。こんなに混んでるならタクシーを拾えば良かったね」


「車ならどれくらいだ?」


「たぶん12分くらい」


 華鈴の云う通り、車で行けば良かったと少し後悔した。そんな彼女はドア近くの手すりに捕まっている。俺は何となく彼女の座る座席の前に立った。


「人が多いなあ」


「麻木さんも座れば良いのに。ふふっ」


 そんな話をしているうちに電車は駅へと到着し、ドアが開くと同時に大勢の乗客がホームへと降りてゆく。俺たちもその流れに乗って降りる。


「行くよ!」


「あ、ちょっと待て!」


 改札を抜けてドームの方へと歩いていく俺たちを人々が追い抜いていく。まだ開演まで50分近くあるというのに既に多くの客が会場へなだれ込む。超人気ロックシンガーだけあって観客の情熱もそれなりに昂っているようだ。


「麻木さん、ライブは初めて?」


「ガキの頃に家族で観に行って以来だ。あまり機会が無ぇもんでな」


「そっか。あたしは大学にバンドサークルがあるからライブ自体はけっこう観に行くんだよね。東京ドームは初めてかも」


 よく考えたら俺も東京ドームに赴くのは初めてかもしれない……なんて考えていると、携帯が鳴った。


「あ、ちょっとすまん。組関係だ」


「うん」


 華鈴に一言かけてから端末を開くと、画面に表示されていたのは淑恵の名前だった。若干の後ろめたさを感じながらも通話に出る。


「麻木だ」


『もしもし。麻木次長。さっきはどうもね』


「お、おう……」


 おそるおそるといった調子で答えると、彼女から繰り出されたのは何とも気まずい問いだった。


『会長の裁定の話。あんたは知ってたのかい?』


 さて。何て返事をするべきか。俺は悩んだ。


 知らなかったと云えば偽りになる。けれども恒元の意図を知っていたと答えるのも気が引ける。何故なら俺ですら事納会の30分前に教えられたのだから。


 まあ、下手にはぐらかしても淑恵の鋭さの前では全て言い当てられてしまうだろう。俺は仕方なくありのままを話した。


「ああ。直前に聞かされたもんで、何もできなくてすまねぇ。まさか兄と弟のどちらも選ばねぇとは驚いたぜ」


『ふーん。そうかい』


 俺の返事を聞いた彼女は、どこか納得したような様子だった。そして、こう続けたのだ。


『あんたも大変そうだね』


「え?」


『あの男の気まぐれには困ったものさ。周りの連中は全て自分の意のままになると思ってる。ああいう奴の下で働いてると色々と疲れるだろ』


 非難されると思っていたので、ねぎらいの言葉をかけられたことに俺は戸惑った。


「……いや、そんなことは」


『別に隠さなくて良いよ。男の考えてることなんざ分かっちまうんだから』


 電話の向こうで微笑む声を上げ、淑恵は続けた。


『麻木。ありがとうな。秀虎のことを思ってくれて』


「えっ!?」


『あんたがうちの息子のために気を揉んでくれてたのは知ってる。秀虎も嬉しそうだったよ。久しぶりに話の分かる人に会えたって』


「いや、俺は別に……」


『隠さなくて良いんだよ』


 淑恵が優しく諭すように云う。まるで俺の心を読んでいるかのようだ。


『初めて会った時から気付いてたよ。あんたは心が優しい男だって。ぶっきらぼうなふりして他人のために一生懸命になる器を持った男なんだよ』


 俺は何もしていない。秀虎には何ひとつしてやれていない。会長の側で情勢に流され、まともに反論も述べられずに無言で賛成せざるを得なかっただけだ。


 それなのに淑恵は俺に感謝しているという。裁定を聞いた時の俺の表情が怒りに満ちていたというのだ。自分でもよく分からぬ感情に戸惑うばかり。


 褒めないでくれ。俺は自由意志を持てぬただのマリオネットでしかないのだから。こみ上げた申し訳なさと悔しさ、そして不甲斐ない自分への怒りのあまり、気付けば俺は漏らすように問うていた。


「……会長を止められなかったくせに偉そうなことをほざく資格も無ぇだろうけど。あんたらのために、俺はどうすれば良い?」


 淑恵は優しい声を返してきた。


『あんたの秀虎を守りたいって思いは伝わったよ。だから、後はうちらに任せておくれ。あんたはあんたの為すべきことを為せば良いから』


 そこで通話は切れてしまう。俺はため息と共にその場に立ちつくした。すると華鈴が俺の隣に立っていた。


 その大きな瞳は俺の心を案じている。


「大丈夫?」


「……ああ」


 そう答えると、彼女は安心したように微笑んだ。


「良かった」


 そういえば東京ドームへ行く途中だった。複雑な感情と迷いはあれど、今はとりあえず華鈴と過ごす時に身を委ねるとしよう。


「待たせてすまねぇな。行くか」


「ええ!」


 俺たちは後楽園駅の改札を出て、歩道橋を通ってまっすぐに向かう。駅を後にすれば東京ドームはすぐそこである。


「うわあ、凄いな……」


「流石は日本一の野球場だね……」


 1988年に開業した東京ドーム。約5万人のキャパシティーを誇る屋内野球場で、野球はもちろん、コンサートやイベントの場として幅広く利用されている。音楽会場としては国内外の有名アーティストが沢山訪れ、数々の伝説を作り上げてきた聖地だ。


「このドームに収まるのは5万人。中川会と煌王会の全構成員を足せばそれくらいになるか」


「ふふっ、何よその例え話」


 東京ドームは2002年に横浜市に開業したキャパ約6万人の日本スタジアムにその地位を譲るまでは、日本最大の屋内ライブ会場だった。それでも華鈴の云う通り、日本一の野球場であることに変わりはない。万単位という途方もない数字に、何だか鳥肌が立った。


「でもさ、その中にあたしたちが入れるってのも凄いよね」


 華鈴がそう答えると、俺は頷いた。確かにそうだ。俺たちはあの神野龍我のライブを観るのだ。しかも一般席ではなくプレミアムシートという最前列の席。チケットを手に入れた経緯は複雑なれど、これはもう奇跡としか云いようがない。


「しっかし、クリスマスに中止されたライブをたった5日後に持ち越せるとは。予備の日程で押さえてたのかもしれねぇけど大したもんだな」


「そうね……流石は業界最大の芸能プロってところね」


 華鈴は呆れたように笑うと、ドームの入口へ歩き出した。俺も彼女の後を追いかけるようについていく。入口のゲートで係員にチケットを提示するとそのまま中へ通される。


「おお、すげぇな」


 東京ドームのロビーはとにかく広い。ドームの中もそうだが、天井がとても高くて開放感がある。壁や床の照明装置が高級感を醸し出し、競技場というよりはまるで未来都市のような雰囲気である。


 華鈴はきょろきょろと辺りを眺めまわしている。こんな場所に来たのは初めてなのだろう。俺も初めてなれど、ここはもう別の世界だ。


「ええっと、このチケットに書いてある通りだと……一番前だよね?」


「ああ」


 俺たちは係員の誘導に従って場内へ入る。最前列だけあって、舞台には伸ばせば手が届きそうなくらいの位置関係だ。


「わあ……」


 華鈴が感嘆の声を漏らすのも無理はない。何しろ顔のすぐ前に巨大な舞台セットがあるのだから。このライブでは何万人もの観客を収容できるドームの中に、たったひとつの舞台しか用意されていないのだ。その巨大さに圧倒されるばかりである。


「神野龍我のライブってこんな感じだったのか……」


 俺は思わず呟いた。


 神野龍我は俺と同じ神奈川県川崎市で1968年に生まれた。高校中退後、横須賀の米軍人向けキャバレーの楽団員として働きながら暮らしを立てていたところをスカウトされ、1992年にロックバンド『LUVIAルヴィア』のボーカルとしてデビュー。


 LUVIAの持ち味は、サウンドこそハードロックを主軸にしつつも日本人の好むメロディアスな旋律を乗せた楽曲である。米軍基地仕込みの英語力もあって彼らの歌は聴く者全てを魅了し、デビューするや否や若者を中心に絶大な支持を得た。


 しかし、人気絶頂の1997年に突然バンドの活動終了を発表し、翌1998年の東京ドームライブをもってバンドは姿を消した。


 それから3ヵ月後、ソロデビューを果たす。デビュー曲『HEAVEN』は爆発的に大ヒット、同曲を収録したアルバムはその年の日本レコードグランプリで最優秀アルバム賞を獲得した。以降も精力的に音楽に勤しみ、2002年にはシングルとアルバムの両方でミリオンヒットを達成するなどロッカーとしての地位を不動のものにしている。


 そんな神野龍我の曲を俺は荒れに荒れていた中学の頃から聴いており、同郷ということもあってずっと追いかけている。傭兵として渡り歩いた東欧の紛争地帯でもLUVIAや神野龍我の存在は広く知られていたくらいだ。


 そして今日この時、俺は神野龍我の生歌を聴こうとしている。


「麻木さん、何だか興奮してるみたいだね」


 微笑む華鈴に俺は顔を真っ赤にさせながら答える。


「あ、ああ」


「ふふっ」


 華鈴はまた笑った。彼女の可憐な顔が視界に入るたびに鼓動は高鳴ってしまう。それを悟られまいと、俺は話題を変えた。


「そうだ。今のうちにトイレに行っておくか?」


「そうね……」


 俺たちは席を立ち、ドームの通路を通ってトイレへと向かった。しかし、その道中で思わぬ人物と出くわしてしまう。


「あれっ? 麻木次長!」


 声をかけてきたのは何と秀虎だった。彼は俺の姿を捉えるなり不思議そうに言った。


「どうしてここに?」


「あ、たまたまチケットを貰ってな……あんたこそ何で」


「そりゃあ僕もライブを観に。神野龍我はLUVIAの頃からずっと追いかけてるんですよ」


 聞けば秀虎は神野龍我のヘビーリスナーだという。バンド時代からアルバムは出る度に必ず購入し、東京でライブがあれば毎回足を運んでいるのだとか。彼の柔和な雰囲気からしてクラシックやポップスを好んで聴きそうな印象を持っていたので俺としては意外であった。


「へぇ……こりゃあたまげたわ……」


 ただ、それ以上に俺を驚かせたのは華鈴の反応だ。


「えっ、坂谷くん!?」


「華鈴先輩じゃないですか!」


 坂谷さかたになる奇妙な呼び方はさておき、2人が顔馴染みだったのである。俺は戸惑った。


「なっ? 二人、知ってるのか?」


 すると華鈴が頷く。


「うん。坂谷君はあたしの大学の後輩なの。学部は違うんだけど、お互いバンドサークルに顔を出してるからそこでたまに会うっていうか」


 驚いた。華鈴も秀虎も同じ上叡じょうえい大学だいがくの学生というのだ。華鈴が3年生なのに対して秀虎は2年生。互いの学部の校舎が隣り合っていることもあり、頻繁に連絡を取っているのだとか。秀虎の存在は大学でも存外に有名らしい。華鈴が少し誇らしげに言った。


「坂谷君はボランティア同好会の会長なんだよ。あたし、去年は文化祭の運営委員をやってたから交流があってさ」


「へぇ……」


「月に一度、公園で炊き出しをやっててね。足りない分は自腹で賄ってるんだって。尊敬しちゃうよ」


 華鈴と秀虎がそんな関係だったとは。俺は驚くばかりである。坂谷という名字はおそらく母方の姓だろう。眞行路しんぎょうじは全国でもおそらく銀座にしか存在しないであろう氏だから。極道の息子という肩書きがキャンパスライフに不向きであることは言うまでも無い。


 ともかく、どういうわけか親しげに語らう華鈴と秀虎を前に胸が騒ぎ出す。この二人、そこまでの仲か? いや、お互い同じ大学に通っているのだ。顔を合わせる機会は多くて当然。少なくとも、客としてたまにしか訪れない俺よりは多いはず。よって親密度はそれなりに高いと考えるべきだろうけれど……。


 華鈴と秀虎は楽しそうに談笑している。俺はふと、2人の会話に割って入った。


「なあ、お前らって付き合ってるのか?」


 すると2人は揃って驚いた顔をして互いに視線を合わせた。そして華鈴は吹き出す。何故笑う?


「あははっ! 何を言い出すかと思えば……」


 絵にかいたような大爆笑をしているものだから、俺は何だか腹が立った。


「おい、そんなに笑わなくたって」


「いや、だってさ! あたしと坂谷君が付き合ってるだなんて! あはははっ!」


 華鈴は腹を抱えながら笑い続ける。俺は憮然とした表情で秀虎に訊いた。


「違うのか?」


 すると彼は少し照れくさそうに答えた。


「ええ、まあ……」


「じゃあどうしてあんなに仲良さそうに話してたんだよ」


「……実は僕、華鈴先輩に憧れてるんですよ」


 2人のやり取りを傍観していた華鈴がまた吹き出す。


「もう!坂谷君ったら何言い出すの! あたしに憧れてるだなんて! 2年生でサークルの会長やってる坂谷君の方がよっぽど凄いよ! あたしなんかとは大違いなんだから!」


 きょとんとする秀虎をよそに笑い続ける華鈴。どういう意味なのだろう。俺は思いきって問うた。


「な、なあ、お前らってどんな関係なんだ……?」


 すると華鈴は一言で答えた。


「ただの知り合いだよ!」


 その返答を聞いて不意に心が軽くなる感覚が走った。何だろうか。物凄い安堵にも似た感覚である。


「……」


 そんな俺と交差するように秀虎が尋ねてきた。


「そういう麻木次長と華鈴先輩は? どういうご関係なのです?」


 彼に対する華鈴の答えは、やはり単純明快なものだった。


「単なる友達!」


「あ、ああ。そうでしたか。すみません。てっきり付き合っておられるものと。これはデートなのかと思いまして。へへっ」


「ううん。デートなんかじゃないよ。色々あってお互い神野龍我のチケットが手に入ったから来ただけ」


 単なる友達。


 れっきとした事実なのであるが、その答えを聞いて少し心を雲が覆った俺であった。自分でも説明に苦しむ感覚に苛まれていると聞き慣れた男の声が響いた。


「秀虎様! ここに居られましたか! 探しましたよ!」


 声の主は背広を着た男。俺も知っている眞行路一家の三淵史弥だ。その男が近づくや否や、秀虎が血相を変える。


「あっ……」


「さあ、お席へお戻りください! どこに連中の手の者が潜んでいるか分からないのですよ! 私どもから離れられては困ります!」


「わ、わかったよ……」


 秀虎は華鈴に軽く会釈するとそのまま男に連れて行かれた。その去り際に彼は俺たちに向かって言った。


「……華鈴先輩。またお会いしましょうね。麻木次長も」


 2人の後ろ姿が離れてゆくと、華鈴は戸惑いの表情を浮かべた。


「あれ、何だろう?」


 ヤクザの親族であることを秀虎は周囲に伏せているのだろう。後輩に“様”なる敬称を付けて呼ぶ男の姿に驚くのは無理もない。


「さっき麻木さんのことを『麻木次長』って呼んでたよね!? ってことはもしや!」


 如何に答えれば良いのだろう。悩みに悩み、俺はため息と共に返事を投げた。


「ああ。お前の考える通りだよ」


 華鈴に偽りは通用しない。彼女の鋭さは何もかもを暴く。けれども単に肯定するだけでは足りないような気がしたので、俺なりに補足しておく。


「と言っても現役バリバリの稼業人じゃない。親がそういう関係ってだけだ。あいつ自身は真っ当な男だよ」


「そ、そうなんだ……」


「あんまり触れないでやって欲しい。あいつも自分てめぇの親のことでさんざん悩んできたんだ。頼むわ」


 ここで『秀虎はまさにヤクザになろうとしているから関わらないことをおすすめする』などとは言わなかった。そんなことをするほど俺は小さい男じゃない。ましてや秀虎の悩みは俺も痛いほどに知っている。出自のせいで生まれながらに後ろ暗いさだめを背負った男だ。せめて学生生活くらいは自由にさせてやりたい。そう俺は心から思った。


「そ、そうだよね。たとえ親がクズ野郎だったとしても、坂谷君は良い人だもんね。親と子は、まったくの別だもんね」


 おいおい。クズ野郎どころか、奴の父親はあの眞行路高虎だぞ。尤もそれを実際に指摘することは無いのだけれど。


「ああ……」


「そ、それに麻木さんみたいに、正義のヤクザだっているかもしれないよね。たぶん」


 俺は何も言えなかった。麻木涼平は彼女の云うような正義に燃える男ではないのだ。かと言って否定できない自分も腹立たしく、みっともなく思える。


「……」


 空気感が微妙になり始めたので、流れを変えるべく声を上げた。


「……トイレ、行くか。そろそろ始まっちまう」


「そうだね」


 華鈴は頷くと、女子便所に向かって歩いて行った。そこから俺も男子トイレで用を足す中、くだらぬ物思いに耽っていたのは言うまでも無い。


 そんなこんなで客席へ戻ると会場の照明が落とされて周囲もざわめき始めた。いよいよ開演だ。


「いよいよだね」


「ああ」


 俺と華鈴は最前列の席に腰を下ろした。ライブが始まる前の緊張感がじわじわと高まってゆく。周囲では熱狂的な観客によるコールが起こっている。


『神野ッ! 神野ッ! 神野ッ!』


 神野龍我はリスナーが過激なことでも知られている。ライブ会場でオーディエンスが喧嘩騒ぎを起こして警察が出動したなんて話もよくある。


「みんな、凄いね」


 華鈴は笑いながら言った。俺も頷く。


「ああ。神野龍我の生歌だぞ? そりゃ興奮するよ」


 周囲の熱狂ぶりを見て俺はふと思い立った。


「なあ、せっかくだからコールしないか?」


「えっ!?」


 驚く華鈴に俺は続ける。


「そいつが神野龍我のライブの醍醐味ってもんだぜ。最前列で観られる機会なんて滅多に無いしよ」


「それはそうだけど……あたし、あまり詳しくないから」


「大丈夫さ。俺が教えてやるよ」


 俺は華鈴に神野龍我の代表曲をいくつか教えながらコールの練習をした。最初は戸惑っていた華鈴も次第に要領を得ていったようだ。そして開演時刻が迫るにつれ、会場の熱気は最高潮に達していったのである。


『おおおおーっ!』


 地鳴りのような歓声の中、会場が真っ暗になる。正面の巨大スクリーンに映像が映し出された。今回のライブツアーのために制作されたスペシャルドラマのようである。


「いよいよ始まるね」


 華鈴が呟いた。俺は頷いた。


「ああ、楽しみだな」


 映像と共にナレーションが流れる。


『時は21世紀。場所は日本某所』


「おおっ」


 俺は声を上げた。スクリーンに映し出されたのは、まさに今俺たちがいるこの会場である。そして映像が切り替わり、神野龍我が舞台上に姿を現した。


「うわあ!」


 華鈴は興奮している。俺も同じ気持ちだ。画面の中で神野龍我はマイクを握りしめて叫んだ。


「ハロー! 東京ドーム!」


 ドーム全体に拍手が響く中、神野龍我は続ける。


「今夜は2日分のソウルとハートをぶつけてくれよっ! 騒ごうぜっ! 行くぜぇぇぇぇぇーっ!」


 神野が叫ぶと同時に曲が流れる。第1曲『HELLO, Mr.MONDO』だ。シンセサイザーから始まる軽快なイントロで会場の熱気が爆発した。


「凄い……本物の神野龍我だよ……!」


 華鈴が感嘆の声を漏らしたその時、神野の歌声が響き渡った。


「わぁぁぁーっ!」


 華鈴は絶叫した。俺も思わず拳を振り上げる。スクリーンに映し出された映像には、今俺たちがいるこの会場で歌う神野の姿が映し出されている。


 観客の熱狂ぶりも大迫力だ。


 叫ぶ者。『龍我様』と書かれたうちわを振り回している者。そして興奮のあまり頭を上下に振り続ける者。


 誰も彼もが狂乱の中に居る。


 神野龍我は髪を逆立て、派手な柄のシャツとレザージャケットを身に纏い、手には革手袋をはめている。まさにロックスターに相応しい姿だ。


「あの格好……LUVIAのライブと同じだ……!」


「ああ! そうだよな!」


 俺も華鈴も興奮している。背後から響く地鳴りのような歓声。そして正面には舞台上で暴れまわる神野の姿がある。


「凄え! 本物ってのはこんなに迫力があるのか!」


 俺は思わず叫んだ。華鈴も叫ぶ。


「凄いよ! あたし、もう嬉しくて泣きそうだよ!」


 俺たちだけではない。会場のボルテージは最高潮に達していた。しかし、神野のライブはまだ始まったばかりだ。第2曲『S.O.S』が流れ始めると会場の熱気はさらに高まった。


『うおおっ!』


『龍我様ぁぁーっ!』


『キャーッ! 龍我様ぁーっ!』


 観客は狂喜乱舞している。俺も華鈴も大興奮だ。神野の歌声が会場に響き渡る度に、観客たちは呼応するかのように絶叫する。


 まるで地鳴りのようだ。まさにライブならではの光景である。騒ぎまくる観客たちの中に秀虎も居るのか……なんてことが脳裏をよぎる。


『龍我様ぁーっ!』


「キャーッ!」


 華鈴と俺は歓声を上げた。神野は舞台上で激しく踊りながら歌っている。やがて彼は客席に向かって叫ぶ。


「お前ら、最高だぜ! もっと叫べ!」


『おおっ!』


 観客たちは一斉に叫ぶ。神野は続けた。


「今日は途中で電気が切れる心配もぇぜ! だから遠慮せずに声出しやがれっ!」


『うおおおおっ!!』


 会場が震えるほどの歓声が上がる中、神野は歌い続ける。そして曲が終わり舞台袖に引っ込むと、すぐに次の曲が流れて来る。


 今度は第3曲である。この曲は華鈴も知っている。CMソングにもなったという『SESTIY~美しい嫉妬~』だ。


「来たよ! これ、大好き!」


 華鈴は興奮している。俺もだ。この曲は爽やかなサウンドに合わせた歌詞の内容がロマンチックで、神野が女のリスナーを掴むきっかけになった作品だ。


『うおおっ!』


 観客たちは大盛り上がりだ。もちろん俺たちも一緒になって叫んでいる。


「すごい! こんな近くで聴けるなんて夢みたい!」


 華鈴が叫ぶと俺は答えた。


「ああ、本当だな!」


 曲が終わってMCが始まる頃には会場の熱気はさらに高まっていた。


「センキュー、東京ドーム。クリスマスの停電でライブは延びちまったけど、みんな大丈夫だったかい? 今日は思う存分盛り上がろうぜ!」


 神野龍我の呼びかけに会場は大歓声で応える。そして次の曲が始まり、ライブは怒涛のように盛り上がっていった。


 ドラマの主題歌にも起用された『EXCLUSIVITY』や最大のヒット曲にして代表曲『WITH ME』などのアップテンポな楽曲と『あなたのために酒を』や『好きだね』などのバラード曲を織り交ぜたセットリストは観客の心を掴み、誰もが神野龍我の表現力に感涙をむせんでいた。


 そうして終盤、ライブの定番曲である『夏だぜ』が流れると、観客のボルテージは最高潮に達した。


「おおっ!」


 華鈴も興奮して叫んでいる。俺も負けじと叫んだ。


「夏だぜーっ!!」


『うおおおおっ!』


 観客の雄叫びが会場に響き渡る。神野はマイクを握りしめて歌い始めた。


「夏だぜー! 海だぜー! 砂浜だぜー!」


『うおおおおおおっ!!』


 俺と華鈴も絶叫する。神野の歌に合わせて叫ぶ度に、身体の奥から情熱が燃え上がるのを感じた。


「夏だぜー!!」


『うおおっ!!』


 神野が叫ぶと観客たちが呼応する。華鈴は俺にしがみつきながら言った。


「ああ! 最高だね!」


 俺も興奮を隠せない。


「ああ!最高だな!」


 会場のボルテージは最高潮に達している。神野龍我の歌には人を魅了する力があるのだ。大熱狂でライブは幕を下ろし、会場は拍手に包まれた。


「凄かったね!」


 華鈴が感動を隠せない表情で言った。俺も興奮している。


「ああ、最高だった」


 神野龍我の歌声に酔いしれた俺たちはしばらく感傷に浸っていた。そしてようやく落ち着いてきたところで俺は口を開いた。


「なあ、今度またライブ観に行かねえか?」


 俺の提案に華鈴も笑顔で頷く。


「うん! 絶対行こう!」


 口止め料云々のことは完全に頭から消えていた。ただ純粋に俺たちは神野龍我の作り出す時に酔いしれていたのである。


 それから俺たちは客席を出てロビーまで戻ってくる。3時間もぶっ通しで騒ぎ続けた所為か、喉が渇いている。俺は華鈴に提案した。


「ちょっと飲み物、買ってくるわ」


「うん!」


 確かトイレの近くに自販機があったはず。俺は華鈴を階段近くで待たせてロビーを走った。


「あそこか」


 自販機が置いてある場所を見つけて、俺は小銭を取り出す。そうしてコーラとサイダーを買おうとした時だった。不意に背後で気配がした。


「……ん?」


 何か殺気じみたものが通り過ぎてゆく感覚。ライブ会場に限ってそんなことはあるまいと思うも、ここにはヤクザたちが居る。一応の確認のため振り向くと案の定だった。


「……」


 観客の雑踏の中、ヤクザが人混みを掻き分けるように歩いて行った。その表情は怒りに満ちている。はっきりとは聞こえないが「待てやゴラァ!」と言ったようにも思えた。


 あの男たちは秀虎が連れて来た護衛。彼らが怒声を上げて追いかけているということは、何か秀虎に危害を加えようとする者でも現れたか。


 何だか気になる。されども今はデート中。まあ、俺の勘違いかもしれないから、ここはひとまず奴らに任せて俺は華鈴の所へ戻るか。


 そう思って買い物を済ませ、颯爽と華鈴が待つ場所へ向かった俺。


「待たせた!」


 しかし、そこにあった光景に俺は戸惑う。戻ってみると華鈴が数人の男たちと言い争いをしていた。


「だから、知らないって言ってるでしょう!」


「お前のせいでナンパ失敗しちまっただろ!? 責任取ってもらうぜ!」


 華鈴の隣には何故か秀虎の姿。彼は男たちの手を払い除けようとする。


「触れるな! この人は関係ない! 何もかも僕がやったことだ! 殴りたいなら僕を殴れ! 好きなだけ僕を痛めつけろっ!」


 そうか。大体の事情が分かったぞ。調子に乗った不良たちによるナンパ行為を秀虎が咎め、それに怒った男らに秀虎が路地裏へ連れて行かれそうになったところを華鈴が助けに入ったと思われる。


 ふと視線を向ければ秀虎の頬には既に殴られたような跡が。どうやら別の場所で絡まれ、ここまで引っ張られたらしい。


 当然、俺は彼らに割り込んだ。


「おいっ! 何やってんだ!」


 すると明らかに不良風のイケイケな容姿の男らが一斉に俺を睨みつける。


「ああ? 何だテメェは?」


 その服装からして暴走族のメンバーか。神野龍我のリスナーはLUVIA時代から不良が多かったが、今でもそれは変わらないようだ。


「こいつらは俺のツレなんだよ。お前らもせっかくの楽しいライブでボコられたくないだろう。さっさと消えな」


「へっ! 『消えな』だって! 調子に乗ってやがるぜこいつは!」


 男たちは下品に吹き出す。そして、その中の1人が一歩前に出て言った。


「おい! お前、この兄ちゃんと姉ちゃんのツレだって言うんならよ! ちょっと責任取って殴られてくれねぇかなあ!」


 その刹那、男の拳が飛ぶ。


 ――シュッ。


 けれども俺にとってはどうということもない。ただ単に片手で受け止めるだけだ。


「うっ!?」


「おいおい。危ねぇじゃねぇか。いきなり殴るなんて無粋だな。喧嘩にも礼儀ってもんがあることを知らねぇのか。チンピラさんよ」


 俺が受け止めた拳を力任せに握り潰すと、男は悲鳴を上げた。


「うぎゃあああ!」


 すると右隣の男が激昂する。


「この野郎! 舐めんじゃねぇ!」


 彼が放ったのはハイキック。しかし、俺はそれを左手で打ち落とす。その直後に何かが砕けるような音が響いた。


「ぐあっ!」


 男がその場に蹲る。その足はあらぬ方向に曲がっていた。軽く脛を叩いたつもりが、脚を粉々に破壊してしまったらしい。


 俺は他の男たちに視線を向けた。彼らは皆、真っ青になっている。中には腰を抜かしている奴まで居たほどだ。


 すると最初に殴ってきた奴が叫んだ。


「お、お前ら! もうずらかれっ!」


 その言葉を皮切りにして連中は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。俺は追尾はしなかった。どうせ調子に乗った一般人、痛めつけても無駄であろう。


「華鈴。それに秀虎。大丈夫かよ」


 俺がため息をつくと、2人は笑った。


「うん。どうってことないよ。麻木さんが来なくたって、あたし一人で何とかなったでしょうから」


「はあ。華鈴先輩のおかげで助かりました。麻木次長もありがとうございます」


 どうやら俺が予想した通りの経緯だったか。俺は少し呆れながら秀虎に尋ねた。


「まさか、あんたの方からさっきの連中に絡んでいったのか?」


 その問いに秀虎はゆっくりと頷く。


「は、はあ。ナンパされてる女の子たちがいたので、助けなきゃと思って。そしたら逆に絡まれて、引っ張られちゃって」


「そっか。まあ、無事で良かったよ。すぐに頼れる先輩が通りかかって何よりだったな」


 以前、恵比寿駅前で出会った時も秀虎は似たようなトラブルに巻き込まれていた。やはり並々ならぬ正義感の持ち主らしい。銀座の邸宅では大人しいというのに、このような野外に出た場面では不思議と勇猛果敢さを前面に出すようだ。


「でもな、あんま無茶すんなよ? あんたみたいなタイプはすぐにボコられるから」


 すると秀虎は苦笑する。


「はい。以後は気をつけます」


「大体、あんたの立場は次の……」


 総長候補ともあろう存在が迂闊なことをしてはいけないと諭したかったが、敢えて止めておいた。華鈴の居る場で秀虎の組事の話は可哀想だ。一方、そんな俺たちのやり取りに華鈴が口を挟んできた。


「ねえ麻木さん! あたしもさっき絡まれたんだけど!」


 いや、お前は大丈夫だろう。俺が助けなくても自力で何とかできたはずだ。むしろ華鈴が激昂して暴れたら対峙するチンピラたちはケガどころでは済まなかっただろう……と思って可笑しくなる俺をよそに、華鈴はすぐにいつもの表情に戻った。


「まあ良いや! 神野さんのライブ観てたらさ、あたしも歌いたくなっちゃった! ねぇ! 3人でカラオケ行かない? あたしの歌も聴いてよ!」


 そんな提案をしてきたのだ。


「はい! 良いですねぇ! カラオケ!」


 俺としては嬉しい反面、やや物足りなさを覚えた。せっかくのカラオケなら華鈴と2人きりで行きたかったのだ。秀虎と一緒なのも嫌というわけではないのだけれど。


「あ、ああ……俺も良いぜ。行こうか」


「やったぁ! じゃあ、早速行こうよ!」


 こうして華鈴の先導により俺たちは歩き出す。入場ゲートを通って外へ出て、秀虎がたまたま知っていた後楽園に近いカラオケ店へ向かう流れになった。


「へぇ! 坂谷君、この辺りのお店に詳しいんだね!」


「は、はい。小学校と中学校は文京区だったもので。休みの日は友達と一緒にこの辺りで遊ぶことも多かったんです」


 華鈴と同様に俺も意外だった。あの一族の御曹司とあらば大崎あたりの小中一貫校にでも通ってそうなイメージだけれど。


 ああ、そういえば秀虎は嫡男である兄とは別の育て方をされたのだったか。わざわざ母方の姓を名乗らされているくらいだ。兄とは違って普通の人生を歩めるように、学校も公立に行かされたということか。


「後楽園の遊園地で遊んだこともありますよ」


「そっかぁ! この辺って楽しい所がいっぱいあるもんね!」


 そんな他愛もない話を続けていくうちにふと華鈴が立ち止まった。


「あれ、無い……!?」


 鞄の中をまさぐり、服のポケットを叩いて何やら探している様子。


「ああっ、やっちゃった……あたし、ドームにパンフレットを置いて来ちゃった……」


「パンフレット? さっきのライブのですか?」


 秀虎が尋ねると、彼女は頷く。


「うん……入り口で貰ったんだけど、席に置き忘れちゃってさ……ほら、限定カードとかも載ってるから」


 ああ、言われてみればそんなものを配られたような気がするな。ライブツアー限定の品であるから紛失するには惜しい。


「じゃあ僕が取ってきますよ!」


「大丈夫。あたしが行ってくるから。二人は先にお店に向かってて。着いたら電話してね。後で合流するから」


 そう言って華鈴は走り去った。


「行っちまったな……」


「行ってしまいましたね……」


 ぽつんと置き去られた俺たちはふと視線を合わせる。ふとしたタイミングで「そうだ!」と思って俺は先ほどに気になった話を尋ねてみた。


「秀虎さん。さっきドームの通路であんたの護衛の男に出くわしたんだよ。誰やらを追いかけてるような顔をしてたけど、何かあったのか?」


 その問いに秀虎は若干顔をしかめた。返答に迷っていることが伺える表情。やがて数秒ほど経った後、彼は声のトーンを落として語り出した。


「ここだけの話ですけど。実はさっき……」


 ところが、その時であった。


「おうおう! ここに居たかぁ! 秀虎っ!」


 聞き慣れた声が夜の後楽園沿いの通りに響き渡る。俺は舌打ちを鳴らしながら、その男を睨んだ。


「てめぇは……!?」


 輝虎だった。秀虎の兄にして、組の若頭。そして現在は組の後継者の座を巡って争う関係にある男だ。


「へっ、麻木次長も一緒だったか。そうだと思ったぜ」


 輝虎は不敵な笑みを浮かべる。俺は警戒心を強めた。まさかこんな場所で出くわすなんて予想だにしなかったからだ。


「何しに来たんだ? 兄さん?」


 鋭い声色で問うた秀虎を輝虎は笑った。


「はははっ! 決まってるだろう? お前に軽く挨拶してやろうと思ってな!」


「挨拶……?」


 秀虎は身構え、俺は「何のつもりだ」と問う。すると輝虎は俺のことを睨みつけた。


「麻木涼平……てめぇが会長に入れ知恵しやがったんだろ……俺と秀虎が争い合えば幹部連中に隙が生まれるからなぁ!」


「おいおい、何を言ってやがる。そんなことはしてねぇぜ」


 そうして輝虎は秀虎の前へと詰め寄った。


「まあ、恒元公の思惑はどうだって良い。会長がああいう裁定を下してくれたおかげで俺は心おきなくお前と喧嘩が出来るんだからなぁ。思う存分お前をぶっ殺せるってことだよ!」


 すると秀虎はすかさず言い返す。その瞳には怒りが宿っていた。


「そんなくだらない“挨拶”をするためにわざわざ僕をつけてきたのか!? 一般の人たちがいるライブ会場にまで現れて! 無関係な人を巻き込んだら大変だとは思わないのか!」


 そんな秀虎を輝虎はあからさまに鼻で笑った。そしてまたもや嘲笑うかのような眼差しを弟に向けたのだった。


「ライブ会場に俺が現れた? 何のことだ?」


「何をとぼけてるんだ! さっき僕らの前に現れて挑発したじゃないか! 三淵たちを怒らせて、すたこら逃げ去って……」


「おいおい。俺はドームになんか行ってねぇぞぉ。ずっとここで待ってたんだよ。影武者が上手くやってくれるよう、期待しながらなぁ。へへっ」


 影武者だと?


 きょとんとする俺をよそに、秀虎は声を震わせた。


「も、もしや、あれは……!?」


 その反応に輝虎は高笑いする。してやったりと言わんばかりの表情で彼は歯噛みする弟を嘲った。


「そうだよ! お前を三淵から引き離すための囮だよ! 三淵は俺の姿が視界に入りゃあ冷静さを失いやがるからなぁ! 背格好の似た奴を探すのは大変だったぜ! けど、その甲斐があったってもんだなぁ!」


 言い終えた輝虎が指をパチンと鳴らす。それと同時、俺たちを取り囲む者が現れる。スーツ姿の男らが何処からともなく歩み寄ったのだ。


 分かったぞ。輝虎は自分にそっくりの影武者を用意して、ライブ鑑賞後の弟の前に行かせて三淵たちの注意を引いた上で逃走させた。三淵は積年の恨みからか輝虎の姿が視界に飛び込めばその時点で激昂、殺意を持って襲いかかるほどに憎しみを抱いている。その感情を利用して、輝虎は護衛を秀虎から引き離したのだ。


 あの時、三淵たちは偽物の輝虎を追いかけていた。「待てやゴラァ!」と叫んでいたのにも納得が行く。あれは輝虎の弄した策略だったということか。


「秀虎ぁ。会長が素晴らしい裁定をくださった。要はお前をここでぶっ殺しても問題ねぇってことだ。俺は面倒が嫌いでなぁ。さっそくケリをつけさせてもらうぜ」


「くっ……」


 秀虎は歯噛みする。俺はそんな彼を庇うようにして前へと出た。


「おっと、そうはいかねぇぜ」


 しかし、彼は俺を鼻で笑うだけ。


「ああ? 何だ? 秀虎の肩を持つのか? おかしいよなぁ? 会長は『より大きな力を示した方を認める』って言ってなかったか? お前さんは中立であるべきなんじゃねぇか?」


 そうだ。俺は未だ恒元に『秀虎を守れ』という命令は受けていない。現時点で会長がどちらを支持するかは決まっていない……されどもここで引き下がるわけにも行かない。


「うるせぇよ」


 舌打ちを鳴らし、俺は輝虎を睨みつけた。


「会長は『力を示せ』と言っただけでお前らにドンパチをやれとは言ってねぇ。何を勘違いしてるのかは知らんが東京で舐めた真似は許さねぇぞ」


 即席で練り上げて繰り出した反論だった。どちらかといえば苦し紛れの弁明に近かったのだけど。無論、そんな付け焼刃の理屈は輝虎には通用しなかった。


「ははっ!笑わせてくれるねぇ! 前から思っていたが、あんたはやっぱり甘ったれだな!」


「んだとっ!?」


「お前は秀虎を守りたいだけなんだろ? 中立であるべき立場を忘れて感情移入しちまってる! 会長も心の底じゃあ俺たちが争い合うことを望んでるってのになあ!」


 俺は言葉に詰まった。確かにそうだ。されども俺がここで輝虎を食い止めなければ、秀虎が殺されるかもしれない……。


 そこから「何を」と言いかけたところで輝虎は高笑いした。


「まあ、会長は俺たちの争いを利用して御七卿を潰そうと企んでるみてぇだがな……それは銀座の喧嘩が中川会の内輪揉めで収まった場合の話だ」


「は? 何を言ってやがる?」


「そうなるとは限らねぇってことよ! 何もかもが奴の思い通りになると思ったら大間違いだぜ!」


 不敵に笑った輝虎が顎で指示すると護衛たちは懐から拳銃を取り出した。一体、この男は何を考えているのだ……!?


 いやいや、そんなことはどうでも良い。今はこの状況を打破する術を考えなくては。立場としても俺個人としても、ここで秀虎を討たせるわけにはいかない。


「……そうかい。何にせよ都内で兄弟喧嘩の引き金を引こうってんなら容赦しねぇ。新橋の拠点ヤサもろとも徹底的に叩き潰してやる」


自分てめぇ個人の依怙贔屓をあたかも本家の意向みてぇに語ってんじゃねぇぞ、クズ。まあ、会長もどっちかって云やあ俺より秀虎が好みだろうがな」


「言いたいことはそれだけか」


 次の瞬間、俺は取り囲む男たちめがけて回し蹴りを放つ。


 ――シュッ。


 されども感触が無い。ほんの紙一重でバックステップにて躱されたのだ。


「何っ!?」


 その光景に輝虎が大笑いした。


「いやあ、良いねぇ! カネをばら撒いて手練れの兵隊を集めた甲斐があったってもんだ! あんたの使う武術を攻略するには並大抵の腕じゃ事足りねぇからな」


 拳銃と同時に短い棍棒を取り出して水平方向に構えている男たち。この姿勢については覚えがあるぞ。俺は舌打ちを鳴らした。


「タイの伝統武術、ラートリットか」


「そうだ。こいつはアユタヤ王朝時代のタイ人が服属を迫る中華の軍勢を追い払うために編み出した技でな。中国拳法の強みである突進の速さを潰す回避能力に特化している」


 相手が間合いを侵略してくることを前提に自らも回避行動を取り、敵の突撃速度が鈍ったところで反撃に転じて勝利を得るという基本思想で作り上げられた格闘術だ。


「ここにいる奴らはタイマフィアを追い出された流れ者でな。ガキの頃からラートリットを叩き込まれて育った腕利き中の腕利きよ。中国拳法とは水と油、あんたを倒すにはうってつけの連中ってわけよ!」


 輝虎が得意げに語る。秀虎が心配そうに見つめる中、俺はフンと鼻を鳴らした。


「つまり俺が圧倒的不利だって言いてぇわけか」


「ああ! そうだ! あんたの突撃がいかに凄かろうとこいつらには敵わねぇだろうぜぇ!」


「そうかよ……テメェは俺の技を中国由来だと思ってやがるのか……くくっ……」


「あ? 何がおかしい?」


 俺は不敵な笑みを浮かべ、輝虎を一瞥する。


「俺が使うのは中国拳法なんかじゃねぇよ」


「何だと?」


「平安時代の日本で生まれた鞍馬菊水流だ。中国の拳法なんかと比べられちゃ困るぜ。全てにおいて桁違いなんだからなあ」


 そうして深く息を吸い込み、構えを取る。ああ、鞍馬菊水流だと言ってしまったぞ……まあ仕方ないな。言ったところで分かりやしないだろう。


「くらま? 何だって?」


「テメェが知る必要はぇ。覚えたところで無駄な知識だ。もうすぐ俺に殺されるんだからよぉ!」


 俺の飛ばした怒声に輝虎は一瞬だけ怯んだ。居並ぶ男たちも気圧されたように見える。武術家同士の喧嘩は先に相手を臆させた方が勝ちだ。


 気付けば周囲の通行人たちが俺たちを注視している。ここで暴れれば確実に騒ぎになるだろう。まあ、警察を呼ばれる前に全員を倒せば良いか。


「あ、麻木次長……」


 震え声を上げる秀虎に俺は穏やかに言った。


「大丈夫だ。すぐ片付けてやる。あんたのことは守ってやるよ」


 その言葉に秀虎がおそるおそる頷き、片や輝虎は苛立たしげに舌打ちを鳴らしたその時だった。


「おーい! 坂谷君!」


 遠くから女の声が響き渡る。俺はハッとさせられる。何故なら、そこに華鈴が走ってきたのだから。


「あっ、華鈴……今は来ない方が……」


 慌てて声をかけようとするも時既に遅し。彼女は足を止めて呆然とした。


「えっ」


 無理もない。ここには彼女にとっては最も会いたくはないであろう相手、輝虎が居るのだから。当人はひどく戸惑った様子だった。


「華鈴?」


 口をあんぐりと開けたまま、輝虎は佇む。彼はこちらと華鈴を何度も繰り返し見回して無言で立ちつくしている。


「……」


 それから数秒後、輝虎は怒声を上げた。


「……そういうことだったのか……そういうことだったのかぁぁぁぁぁぁぁぁぁーッ!!!」


 周囲の空気を切り裂くかのような絶叫の後、輝虎が取り出したのは拳銃だった。キリキリと音を鳴らして歯噛みし、奴はこちらに歩み寄って来る。


「秀虎ァ……てめぇは華鈴と……」


「へ? 何を言ってるんだ?」


「とぼけんじゃねぇっ!!」


 戸惑う弟に輝虎は引き金に指をかける。その瞬間、俺は奴へにじり寄って銃のスライドを掴んで発砲を防いだ。


「撃たせねぇよ」


「どけやあっ!」


 ここで引き金を引かせるわけにはいかない。一般人に被害を及ぼすわけにはいかないのだ。


「あれ、ヤクザ?」


「やばいね。銃を出してるもんね」


「警察を呼ぼう」


 ひそひそと話す声が聞こえる中、輝虎は怒鳴った。


「秀虎ァ! てめぇは華鈴と繋がってたのかッ! この俺を差し置いて、よくもっ!」


 対する秀虎は狼狽えるばかり。


「に、兄さん、違うんだ……僕は……僕は……」


 秀虎としても何のこっちゃといった話だろう。ただ、その怯え竦む様子が輝虎にとっては図星を突かれたように見えたようで兄は尚も激昂する。


「とぼけてんじゃねぇぞゴラァァァ!」


 俺が銃身を押さえていなかったら、きっと彼は弟に向かって連射していたことだろう。そんな中で華鈴はおずおずと口を開いた。


「ちょっと待って……坂谷君、もしかして……」


「そうだよ華鈴! こいつは俺の弟だ! 坂谷なんてのは母親の前の名字、こいつの本名は眞行路秀虎ってんだよ!」


 輝虎が割り込んで答えた途端、華鈴は雷に打たれたような顔になった。


「うっ!? そ、そんな!?」


 その反応に俺は思わず心が苦しくなる。まさか親交のあった後輩が自分に醜い求愛を行ってきた男の弟だとは思いもしなかっただろうから。


 そんな彼女に輝虎は問うた。


「華鈴! お前は秀虎と付き合ってたのか!? 他に好きな男がいるらしいことは掴んでたけどよぉ、まさかそれが俺の愚弟だったとはな!」


 遮るように「黙れ」と俺。すると華鈴は声を震わせながら言ったのだ。


「……嫌っ。やめて。そんな、嫌」


「けけっ! まあ、どんな仲だろうと関係ねぇ! お前は俺の女にしてやる! 秀虎の恋人イロだってんなら尚更に奪い甲斐がある! どんな手を使ってもな! 俺の女になれやあああ!」


 俺はすかさず奴の胸に肘打ちを叩き込んだ。それ以上は輝虎に語りを紡がせるわけにはいかなかったのだ。


 ――バキッ。


 明らかに骨が砕ける音が響いた。息の根を止めるつもりで仕掛けた心臓を狙った一撃だったものの、寸前で体を引いて威力をすぼめたのは流石ヤクザということか。


「うあああっ……!?」


 呼吸困難に陥りそうになるのを懸命に堪え、輝虎はよろよろと立ち上がる。「若頭!」と駆け寄った部下たちを片手で制して彼は叫んだ。


「……奪ってやる! 何もかも奪ってやる! てめぇらっ、秀虎を殺せぇぇぇぇ!」


「は、はい!」


 輝虎の号令に男たちが拳銃を一斉に構える。俺は舌打ちした。まずいな、この位置関係では秀虎が殺されてしまう……と思ったその時。


「そうはさせませんよ。若頭」


 割って入るように男の声がした。


 その声の持ち主は三淵みつぶちだった。彼だけではない。背広に身を包んだ男たちがぞろぞろとその場に現れたのだ。


「み、三淵っ!? 何でここに!?」


 戸惑う輝虎。


「おい。あんた……」


「さっきの囮を追いかけに行ったんじゃ……」


 俺と秀虎も困惑する中、兵隊を率いて颯爽と現れた三淵は淡々と言った。


「ええ。まんまと先ほどは囮を追わされました。けれど、途中で奸計からくりに気付きましてね。慌てて引き返した次第。ご無事で何よりです。秀虎様」


 その言葉に俺は思わずツッコミを入れた。


「おいおい。何が『ご無事で』だ。守るべきあるじを置き去りに敵を追うのは迂闊だろ」


「ああ。確かに迂闊だったな。しかし、あの場には麻木次長。あんたが居た。もし万が一のことがあれば、秀虎様はあんたが守ってくれると踏んだのだ。事実、その計算に狂いはなかった」


「よく言うぜ!」


「軽率に身体が動いてしまったのは不覚だった。しかし、裏を返せばそれだけ憎き相手だったということだよ。そこに立つ男は」


 そう言うと三淵は輝虎を睨みつける。


「若頭。いや、輝虎。もう俺たちは貴様の配下ではない。貴様に虐げられた12年間の恨み、ここで晴らさせてもらう。覚悟しろッ!」


 三淵は短刀を抜くと背後の同輩たちと共に輝虎めがけて猛然と斬りかかる。若頭の部下が慌てて発砲するも彼らは難なく躱す。


「うおおおおっ!」


 銃声が鳴ったことで現場はパニック地に陥る。一般人たちは次々と逃げ出し、辺りには悲鳴と興奮の声が絡み合って響く。まさに狂乱だ。


「おいっ! 華鈴!」


 唖然と立ち竦んでいた華鈴だったが俺の声でハッと我に返る。


「逃げるぞ!」


「わかった!」


 俺と華鈴は秀虎を連れてその場を逃げ出した。


「待ちやがれぇぇ!」


 背後から輝虎の怒号が聞こえるが、構わず走った。華鈴は秀虎の手を引きながら走る。


「三淵!」


 秀虎が息を切らして叫ぶと当人の声が返ってきた。


「心配ご無用! 輝虎はこの三淵史弥が必ず仕留めますッ!」


 その声を耳にしながら俺はひたすらに走り続けた。何としても秀虎を逃がそう。途中、華鈴と秀虎がしっかりと手を繋いでいるのが気になったがそれはさておいて。


 銃撃により大混乱に陥った大通りを脱出し、都道405号線沿いの歩道を走って外堀通りへ入って真っ直ぐに突っ走り、そこから5分ほど走ったところで明大通りへ右折し、御茶ノ水へ逃れた俺たち。ただただ全力疾走を続けてきたので息が切れる。少し休みたいといった表情で秀虎が言った。


「はぁ、はぁ……ここまで来れば……」


 華鈴は息を切らせながらも言う。


「ねぇ、これからどこに行く? いつまでも走ってられないよ……」


 俺は悩んだ。理想としては秀虎を銀座の眞行路邸へ戻すことだが、輝虎が攻勢をかけてきた以上は銀座にも輝虎派の組員が張っていると考えるべきだ。向こうの安全が確認されるまでは近づかない方が良いかもしれない。


「……ちょっと待ってろ」


 俺は近くの華鈴と秀虎に近くの茂みへ身を隠すよう指示し、携帯を取り出した。連絡を繋いだ先は赤坂だ。この状況で秀虎を匿えるのはあの場所しかない。


「もしもし。会長。今、お時間よろしいですか?」


『おお。どうしたのだね、涼平』


 少し驚いている様子の恒元に俺はさっそく話を切り出す。


「これから総本部に秀虎を連れて行ってもよろしいでしょうか? ちょっと緊急を要する状況でして」


 すると恒元は笑った。


『ふむ。その声色じゃ何かあったようだね。訳を聞こうじゃないか」


 もう赤坂の総本部を置いて他には無い。そう思った俺は恒元にこれまでの経緯を説明する。プライベートで神野龍我のライブに出かけた先で眞行路秀虎に会ったこと、その帰り際に輝虎が奇襲を仕掛けてきたこと、そして成り行きで秀虎を連れて逃げていることを。


『なるほど。まあ、穏やかな状況ではないね』


「ええ。ですから今すぐそちらに……」


 しかし、穏やかな口調とは裏腹に恒元が繰り出したのは予想外の言葉だった。


『いや。総本部ここには連れて来ないでくれ』


「えっ?」


『お前も我輩の立場は知っていよう。眞行路一家の件において本家はあくまで中立だ。どちらかに肩入れするわけにはいかん』


 俺は耳を疑った。一方、やはりそうだよなと妙に納得するところもあった。そもそも俺がこのように秀虎を警護していること自体が問題なのだ。


『お前もいつまで秀虎の傍についているつもりだ? もう裁定は下ったのだから、奴を本家が守る理由は無いはずだぞ?』


 されどもそこでは引き下がらなかった。


「分かりました。確かに会長の仰る通りですね。秀虎を赤坂に入れるのは止めておきます。ただ、俺がやってるのは“護衛”ではなく“監視”です。兄弟喧嘩の火が赤坂にも及ぶかもしれないので見張ってるんですよ。そしたら輝虎の攻撃の巻き添えを食っちまったもんで、俺個人としては報復かえしをしねぇと気が済まねぇっていうか」


 物は言いようと云わんばかりの屁理屈か。もしくは拡大解釈によるこじ付けか。俺の中ではだいぶ捻りを利かせて繰り出した言葉だった。


『あはははっ! お前は面白いことを言うなあ!』


 電話の向こうから恒元の失笑が聞こえた。彼は少し考えた後、実に軽い調子で答えた。


『まあ、構わん。お前に関しては自分の裁量で動いて良い。ただし本家の立場は中立だからな。これを忘れぬように。頼んだぞ。くれぐれも』


 俺は「ありがとうございます」と通話を切り、華鈴と秀虎に向き直る。彼らは不安げな表情で俺を見た。ゆえに返事は宥めるような口調を努めた。


「大丈夫だ。ちょっと待ってくれな」


 その言葉に2人は視線を合わせてコクンと頷く。どうするか……この状況における避難先を俺は考える。


 必ず秀虎の味方をしてくれるという確信が無ければならない。いざ預けた後でやっぱり輝虎に寝返りましたとなれば一巻の終わりだからだ。しかしながら、そんな人間などまるで思いつかないのも事実。現時点で輝虎の買収が及んでいないと断言し得る者は……?


 悩みに悩んだ末、俺は一つの結論を得た。そうして入力した番号は俺自身としても不本意なものだった。


『あら。涼平じゃない。どうなさって、こんな夜に』


 かけた相手は藤城琴音。護衛として独自の私兵部隊を備え、尚且つ中川恒元の妾という立場の彼女であれば利害関係にかかわらず秀虎の力になってくれると踏んだのだ。


「琴音。すまない。ちょっと預かってほしいもんがあるんだ」


『誰を?』


「要人とだけ伝えさせてくれ。詳しいことは着いてから話す。無理なら無理と言ってくれて構わねぇけど……」


 いきなりこんなことを言われて困惑されるのは想定済みだった。しかし、意外にも琴音の答えは快いものだった。


『分かったわ。良いわよ』


 難色を示すどころかあっさり快諾。それもそのはず、彼女もちょうど俺に会いたいと思っていたそうな。


『ちょうど良かったわ。あなたに伝えておきたい話があってね』


「そうなのか?」


 俺は思わず聞き返すと琴音の声が返ってきた。


『ええ。とりあえず日本橋までいらっしゃい。そこで待ってるから』


 そこで通話は切れた。何だか怪しい気もしたけれど、この状況で頼みを聞いてくれる人間など他には居ないので敢えて追及はしなかった。まあ、それは後で本人に聞けば良いか。


「麻木さん……?」


 不安そうに聞いてきた華鈴に俺は「ああ」と頷く。


「今から行っても大丈夫とのことだ」


 華鈴はそれを聞いてホッと胸を撫で下ろす。しかし、その一方で不安そうな表情を見せるのは秀虎だ。


「ああ……ありがとうございます……」


 秀虎は安堵の表情を浮かべた。


「その人、誰なの?」


 そんな彼に華鈴が心配そうに尋ねる。先日の件もあって少し気まずいものの俺は淡々と答えた。


「琴音だ」


 すると華鈴が息を呑んだ表情をした。


「えっ!? 琴音さん!?」


「ああ。あいつなら腕利きの外国人を護衛として囲ってるし、何より拠点ヤサも持ってるからな。ちょっとの暇を潰すにはもってこいだろ」


「そ、そうなんだ」


 華鈴が苦笑いを浮かべるのも仕方ない。俺としてもむず痒い心地だった。誰に命を狙われているか分からない秀虎を匿うには彼女しか考えられなかった。


「……まあ、しょうがないか」


「ごめんな。華鈴。秀虎のことは俺の方で何とかするから。タクシー代は俺が出す。お前はそれに乗って帰っても」


「いや、あたしもついて行くよ。ここまできて放っておくわけにはいかないし。彼はうちの大学の後輩だからさ」


 琴音の別宅に随行するという華鈴に俺は頭を抱えた。先日の修羅場が頭をよぎる。顔を合わせて変な空気が流れなければ良いのだけれど。


「分かったぜ」


 それから俺たちは通りかかったタクシーに乗って日本橋を目指す。車では7分ほどで着く距離だ。銀座に近いのが気になるけれど、琴音には私兵部隊が居るので問題は無かろう。


 とりあえずは日本橋で一息つきながら銀座の様子を探るか……なんてことを考えて助手席で揺られていると後部座席から話し声が聞こえた。


「ね、ねぇ。坂谷君。あなたの実家って……?」


「すみません。先輩。隠しておきたかったんですけど、もう隠せないみたいなので。お分かりの通り。僕の実家は極道。銀座の眞行路一家です」


「うっ……!」


 改めて呆然となる華鈴に秀虎は俯いた。


「やっぱり嫌ですよね。こんな極道の家の息子だなんて。だから、ずっと黙ってたんです」


「い、いや……そういうわけじゃ……」


 華鈴はしどろもどろで返す。すると秀虎は自嘲気味に笑った。


「良いんですよ。無理しなくても。僕の父と兄はヤクザ。そして僕はこれからヤクザになろうとしていて、さらにはその兄と父親の後継の座を巡って争おうとしているクズ野郎です。今までは母の言い付けで偽名を名乗ってましたけど。もう隠せませんね」


 その言葉に華鈴は尚も驚いた。


「えっ!?」


 雷に打たれたような顔をしているのがバックミラー越しに分かる。実家がヤクザというだけなら未だしも、秀虎も極道社会飛び込むのだ。一部例外を除いて裏の稼業人を蛇蝎のごとく嫌う華鈴にとっては裏切り以外の何物でもないはずだろう。


「ただ、僕自身の意思じゃないんです。僕が継がないと周りの人が困るから継ぐしかないっていうか。皆は僕を兄の対抗軸として担ぎたいんですよ」


「そ、そうなんだ……」


「華鈴先輩も気付いてると思いますけど、もうすぐうちの組は真っ二つに分かれて戦争が始まるんで。大学も辞めるつもりです。先輩にもバレちゃいましたからね」


 力なく吐き捨てた秀虎を呆然気味に見つめる華鈴。何を考えていたかは分からない。怒りか、失望か、それとも落胆。


 ただ、約数十秒ほど経った後で呟かれたのは穏やかな台詞だった。


「……や、辞めることはないと思うよ」


「えっ?」


「その、大学は辞めなくて良いと思う。むしろ辞めないで」


 窓の外に視線を流し、華鈴は続けた。


「実家がどうだとか、親がどうだとか、そういうのは関係無いよ。坂谷君は坂谷君。上叡大学ボランティア同好会会長で魚が大好きな坂谷君であることに変わりは無い」


 そうして秀虎の方を向き直るとなおも続ける。


「これから坂谷君がどんな人になったって、あたしにとってはこれまで通りの坂谷君。だから、坂谷君も、あたしの前ではこれまで通りの坂谷君で居て。家業を継いでヤクザになったって構わない。どんなことをしたって構わないから、せめてあたしにだけはこれまで通りに接してちょうだい。自分のことを『クズ野郎』だなんて言わないで、お願いだから」


 彼女はそう言って秀虎を真っ直ぐに見つめた。


「先輩……」


 すると、秀虎は目を見開いて華鈴を見つめ返す。まるで信じられないといった具合だ。そうして彼は恐る恐る口を開いた。


「本当に良いんですか? こんな僕で」


「もちろんよ! 坂谷君こそ、あたしみたいなのが先輩で良いの?」


 不安げな顔で聞く華鈴に秀虎は笑った。その笑みにはどこか安堵の色が滲んでいた。そして彼もまた同じように返したのだ。


「もちろんです」


 華鈴と秀虎のやり取りを助手席で聞いていた俺は、そっと俯いた。どんな表情をして良いやら、どんな気持ちをして良いやら分からなかったのである。秀虎の幸せを想うなら「素晴らしい」と思うべきだろうが、華鈴とそこまで仲良さげな姿を見せられると……。


 まあ、所詮は客でしかない俺より秀虎の方が何倍も彼女と一緒に居るのだ。距離が縮まるのは当然の流れといえよう。俺ときたら華鈴と出会ってから9ヵ月ほどになるが、プライベートな用事に出かけたのは今回のライブ鑑賞を入れて2回しかない。


「はぁ……」


 俺は溜め息を吐いた。このモヤモヤした気持ちの正体は分かっている。嫉妬だ。華鈴にではなく、秀虎に対しての鬱屈とした感情。


 そんな俺の心は知らずに、秀虎が尋ねてきた。


「麻木次長? どうしました?」


 俺は慌てて顔を上げた。


「いや、何でもない」


 それから間もなくしてタクシーは日本橋に到着した。琴音から指定された場所である高級マンションの正面玄関に横付けすると、すぐに黒スーツに身を包んだ男が近づいてきた。


「お前が麻木涼平か?」


「ああ。いかにも」


「社長から話は聞いている」


 代金を払ってタクシーを降りると、黒スーツの男がマンションの中へ案内してくれた。


「最上階だ」


 エレベーターに乗り込むと、男は言った。


「お前は社長のご友人か?」


「いや、違うな」


「ならどうしてここにいる?」


 怪訝な顔で聞かれたので俺はこう答えた。


「重要な取引先とだけ言っておくぜ」


 この藤城ファンドの社員らしき門番は『麻木涼平という男が来る』としか伝えられていなかったのか。随分と浅い情報共有だなと思った。そんな俺たちをよそに華鈴と秀虎は無言のままエレベーターに揺られていたのであった。


「……」


 最上階に到着すると、男は静かにドアを開ける。するとそこには1人の女性が立っていた。


「こんばんは。要人ってのはその可愛らしい男の子かしら」


 琴音である。俺は「ああ」と頷くと、秀虎の身の上を軽く紹介した。


「眞行路秀虎さん。眞行路一家の後継者候補で、先代の次男にあらせられる御方だ。夜が明けるまでここに居させてくれねぇか」


「ええ。良いわよ。要人って云うからには組織の偉い人でも連れてくるのかと思ったけど、まさかそんなに若い子だったなんて驚いた」


 俺の背後では秀虎があんぐりと口を開けていた。


「えっ……この社長さん、藤城琴音さんですよね?」


「うん。あの藤城琴音。本物だよ」


「麻木次長は何でこんな有名な人とお知り合いなんです?」


「さあね。中川会の会長の顧客だとか何とか言ってたけど。詳しいことはあたしにも分からないよ」


 内緒話の声量で華鈴と言葉を交わす秀虎に琴音が微笑みながら声をかけた。


「うふふっ。初めまして。藤城琴音と申しますわ」


 その妖艶な笑みに秀虎は「あ、はい。初めまして。藤城さん」と返すのが精一杯だった。さては秀虎。恋愛経験は少ないな。


「琴音で良いわよ。よろしくね」


 華鈴や俺に接する時と同じように気さくな口調で話す琴音に、秀虎は戸惑った様子で続けた。


「琴音さん。あの、あなたはどうして僕を匿ってくださるんです? 失礼ですけど、あなたのように表社会でお立場があるお方が暴力団関係者と会うのはまずいんじゃないですか?」


 すると、その質問を受けた琴音はほんのわずかに驚いたような顔をした後に笑みを浮かべる。そして言ったのだった。


「うふふっ。『著名人がヤクザと関わっちゃいけない』なんて建前よ。建前。あなたにはまだその辺の事情は分からないかしら。でも、私があなたの味方であることは確かよ。だから安心してね」


「どうして……?」


 きょとんとする秀虎に琴音は穏やかに微笑んだ。まるで我が子を見守る母親のように穏やかな笑みで。


「涼平の頼みだからよ」


 その言葉に俺は息を呑んだ。まさかそんな答えが返ってくるとは思いもしなかったのだ。そしてそれは華鈴も同じだったようで、彼女は唖然としていた。


 一方、当の秀虎はというと、彼は暫しひどく困惑していた様子だったものの、やがて納得した様子で頷く。


「……分かりました。それではお世話になります。すぐに帰りますのでお構いなく」


「ええ。でも、ウェルカムドリンクの1杯も出さないようじゃ女の名が廃るから飲み物くらいはご馳走させてね。とりあえずお菓子の用意をさせるわね」


 琴音はそう言うと家の中の使用人に声をかけて食事の支度をさせたのだった。そんな彼女は華鈴にも穏やかに声をかけた。


「あら。華鈴も。いらっしゃい」


 華鈴は少し気まずそうに返事をする。


「う、うん」


「華鈴も上がってちょうだい」


 琴音は当然のように言った。俺は少し戸惑ったが、琴音がそう決めたなら仕方がないと思い直した。秀虎は訝しげな顔をしたものの、何も言わなかったので俺も特に何も言うことはなかった。


「分かった」


 華鈴がそう言うと、琴音は満足そうに微笑んだのだった。それからしばらくして料理が運ばれてくると、俺たちは食事を始めた。


 しかし、その間ずっと沈黙が続いていたのであった……。


 そんな空気に耐え切れなくなったのか、華鈴は琴音に尋ねた。


「ねぇ、琴音さん。さっきは麻木さんの頼みだから聞いたって言ってたけど。実際のところ二人はどういう関係なの?」


 すると、その質問を受けた琴音は穏やかな笑みを浮かべたまま答える。


「涼平は私の大切な人よ」


 その言葉に俺は思わず食べ物を吹き出しかけた。華鈴はそんな俺を見てギョッとする。


「えっ? あ、あの……それってどういう……」


 動揺する彼女に琴音は続けた。


「そのまんまの意味よ」


 あまりにも挑発的な物言いに華鈴は「あっそ」とだけ言ってそっぽを向いた。


 一方の俺はと言うと、内心穏やかではなかった。琴音の言葉に深い意味など無いのは分かっているのだが、それでも嫌な表現だと思ってしまったのである。しかし、そんな彼女を非難しきれなかったのも事実。


 やがて食事が終わると、疲れてしまったのか秀虎は寝てしまった。琴音は彼をゲストルームに寝かせる。このペントハウスは琴音が普段から別宅のひとつとして所有しているらしく、今日は俺の頼みを受けて久々に訪れたのだとか。


「本当は六本木でも良かったんだけど、それだと秀虎君が変に気を張っちゃうかと思ってね」


「おいおい。見ず知らずの野郎を家に上がらせるのはまずいだろ」


「涼平が紹介してくれた人なら大丈夫よ」


 まったく。どうしてそこまで俺を買い被るのやら……と思いつつも内心では満更でもない俺であった。華鈴がトイレに行っている間で本当に良かったと思う。


「ねぇ、涼平。ちょっとその空気を吸わない?」


「ああ。良いぜ」


 俺は琴音に続いてベランダに出る。高級マンションの設備は屋外も豪華。最上階だけあって、夜景がとても綺麗だった。


「うふふっ。素敵でしょ」


「そうだなあ」


 琴音は俺の隣に立つと、そのまま手すりに寄りかかった。そして俺を抱き寄せると、その整った顔を俺の頬に近づける。


「ねえ、涼平」


「ん?」


 琴音は妖艶な笑みを浮かべて言った。


「私のこと好き?」


 俺はドキッとする。


「えっ、それはどういう意味で……」


 すると彼女は嘲弄するように微笑んでからさらに顔を近づけた。あろうことかそのまま唇を重ねてきたのだ! あまりにも衝撃的な行為に驚きつつも、俺はそれを受け入れてしまう。彼女の柔らかな唇の感触が伝わってきた。それはとても心地の良いものだったが、同時に背徳的な感情も湧き上がってくるのを感じた。


 やがて唇を離すと、彼女は言った。


「ねぇ、涼平。私のこと好き?」


 俺は思わず生唾を飲み込んだ。心臓の鼓動が激しくなるのが分かる。顔が熱い……。きっと今俺は赤面していることだろう。そして同時に思うのだ。この女を自分のものにしたいと……。しかし、そんな俺の気持ちを見透かすように琴音は続けたのだった。


「好き? それとも嫌い? どっちなの?」


 その口調は穏やかだが有無を言わせぬ迫力があった。


「す、好きだよ」


 俺は正直に答えた。すると彼女は嬉しそうに微笑む。その笑顔はとても美しく見えたが同時に恐ろしくもあった……。


「うふふっ! 良かったぁ!」


 そして今一度唇を重ねてきたのだ。今度は先程よりも長くふしだらなものだった。互いの唾液を交換し合い、舌を絡ませ合うような激しいものだ。頭がボーッとしてくるのを感じた。まるで夢でも見ているような気分である。やがて琴音はゆっくりと顔を離して言ったのだった。


「……私のことを好きと言ってくれたお礼に教えてあげる。実はね、涼平から電話がある前に後楽園で起きた一件は知っていたの」


「だろうな。さっきあんたは俺が『ちょっと預かってほしいもんがあるんだ』と切り出した時に『誰を?』と訊き返した、そいつは事の次第を知ってなきゃ見せられねぇ反応だ」


「前々から眞行路一家の内輪の揉め事については注視してたもの。何せ、私もあの組の問題の当事者ですから」


 どんぴしゃり。しかしながら当事者とは……一体、どういうことなのか。その説明は俺が求める前に繰り出された。


「私なのよ。眞行路輝虎に資金援助していたのは。勿論、私自身の意思じゃなくて恒元公のご命令だけど」


 俺は何も言えなかった。まさか琴音がそんなことをしていたとは知らなかったからだ。輝虎の金回りが良かったのは俺も認めるところだけれど……しかし、彼女は俺の反応を待つことなく続けたのだった。


「恒元公は輝虎が秀虎君を叩き潰すことを望んでる。その後は銀座で内紛が起きて、より多くの幹部を巻き込んでの大戦争になる。そこまで計算ずくだってことはあなたも予想が付いているでしょう」


「……まあな」


「でも、それだけじゃない。あの男の狙いはいずれ関東全土を手中に収めること。父や兄が果たせなかった野望を自分の代で叶えようというのよ」


「関東全土を手中に収める? まさか!?」


 思わずギョッとした俺に琴音は深く頷いた。


「ええ。横浜の村雨組を取り込んで、やがては神奈川全域を手に入れる。輝虎に湘南龍曜会を手に入れさせたのもそのための布石ってこと」


 あの情勢での湘南龍曜会の調略は村雨組にとって痛手であった。中川恒元としては、村雨組を傘下に入れることこそが真の狙いだったというわけだ。そうして進退窮まって追いつめられたところに救いの手を差し伸べて自陣へ取り込む……それが奴の手口だったと考えれば途中ではしごを外した件も納得が行く。


「中川会は今でこそ甲信越や北陸にも勢力を拡げたけど、今年に入るまで神奈川だけが手つかずだったからね。それに村雨耀介は一騎当千の猛者、恒元公が欲しがるのもわけないわ」


「だからって、あんたの金で……」


「それが中川恒元という男のやり方なのよ。あの男はあなたが思っている以上に恐ろしいことを平気でやるわ。まさに裏社会が生み出したモンスターよ」


 恒元の企みについては分かっていたものの、改めて裏側を知ってしまうと鬱屈さに包まれる。ましてやその生け贄となったのは琴音。用心棒代の名目でカネだけを搾り取られている彼女には自然と同情を抱く他なかった。


「そこまでされてあんたはどうして会長に力を貸すんだ? 身の安全をはかるにしても見返りが少なすぎやしねぇか?」


「私自身あんまり嫌な気はしないわね。昔から強い男の人が大好きだもの。それに恒元公は夜のお戯れもお上手」


「そ、そうか……」


 琴音は妖艶な笑みを浮かべた。俺は思わずドキッとしてしまうが、同時に彼女のことを不憫に思ったのだった。


「なあ、輝虎について何か知ってることはぇか? あいつは会長の計略を見抜いてるはずだ。それでいて何もしねぇってのは有り得ねぇと思うんだ」


「そりゃあそうでしょうね。このままだったら利用されて終わりだもん。だから、彼は恒元公にひとあわ吹かせるつもりよ」


「一泡吹かせる? どうやって?」


 俺の質問に対してを琴音は少し真面目な表情を浮かべた後にクスッと笑った。そして俺を抱き寄せると言ったのである。


「眞行路輝虎はいざとなれば中川会を離反する気でいるわ。宇都宮の森田、前橋の椋鳥と一緒に組織を割って出てしまえば中川恒元の計算は破綻する」


 それを聞いた直後から鳥肌が立った。


「何だって!?」


 どんな冗談だよと呆然とさせられた俺。しかしながら、表情に反して琴音のトーンは至って真面目。聞けば離反した先の展開まで輝虎は予想済みなのだとか。


「眞行路一家の自らが率いる派閥と森田一家、それから椋鳥一家の構成員を全て合わせれば6千騎にはなる。それら全ての兵隊を連れて輝虎は九州の玄道会に寝返るつもりみたい」


「玄道会……!」


「輝虎に合わせて森田一家や椋鳥一家も加わるとなれば、現状1万騎ちょっとの玄道会にとって願ったり叶ったりよ。おまけに関東の領地も手に入るんだから。輝虎がどうしようもない男だからって玄道サイドがこの話を蹴るはずが無いわ」


 俺はまたしても言葉を失った。つまり、輝虎は恒元に馬鹿を見せるために敢えて乗せられているというわけだ。中川会にて一直参の立場に甘んじるより九州に降って彼らの組織の関東支部長役にでも就いた方がお得である……そう考えたのだろう。


「け、けどよ。そんな話を何処で」


「本人から直接聞いたわ。ベッドの上でね。あの子ったら全然上手じゃなくて飽きちゃった。そのくせ当人はあの藤城琴音とセックスしたと良い気になってるから困ったものよ。あんな短小に満足する女なんか居ないでしょうに」


「……」


 琴音にとっては、きっとそれも情報を得るための行為だろう。目的のためなら誰とでも一夜を共にする彼女の図太さには、敬服と畏怖の念を覚えるしかない。別にここで非難するつもりはない、そんなことをしたところで無駄だとは分かっているから。


「それにね、涼平」


「……ああ」


「輝虎は兵隊と領地の他にもうひとつ玄道会への手土産を用意している。何だか分かる?」


「いや、分かんねぇ。利権か何かじゃねぇのか」


「東京における人身売買の闇市場よ。輝虎は国際的な闇商人と渡りをつけていてね。海外の富裕層向けに独自のビジネスを展開しているの」


「なっ!?」


 俺は思わず唸った。琴音によれば輝虎は父親が行っていた乳児奴隷ビジネスを引き継ごうと企んでおり、何らかの事情で赤ん坊を欲している外国人の富豪を相手に商売を始めるつもりらしいのだ。


「そこで売り買いされるのは生後間もない赤ちゃんたち。金銭的な理由で母親が手放した乳飲み子を安値で買い叩き、海外に高く売り飛ばすの」


 その闇市場は虎崩れの変の混乱でタイ系マフィアに乗っ取られたが、輝虎はそれを武力で取り戻しつつあるという。タイ人たちの人身売買といえば俺も記憶がある。先日に別府へ赴いた折に玄道会の幹部がタイの密輸組織に赤ん坊を売り渡そうとしていた。


「今、玄道会は奴隷ビジネスの販路を広げようとしている。少子化に歯止めがかからない九州よりも東京の方が商売を行いやすい。だから独自のマーケットを持つ眞行路一家に接近をはかったようね」


 裏で輝虎がそんな行為に手を染めていたとは驚いた。それよりも、俺の心に雷鳴のごとき衝撃を与えたのは人身売買、カネで売り介される赤ん坊が存在するという話だった。生まれてすぐに売り飛ばされた彼ら彼女らは一体どんな末路を辿るのだろう……嫌でも想像が付いてしまう。


「まあ、私が知っているのはここまで。後はあなたに任せるわ。恒元公に話すかどうかも含めてね」


「えっ? 待てよ? 今の話、会長には伝えてねぇのか?」


「ええ。未だ伝えていないわ。裏を取るのに時間を要したこともあるけれど」


 そう言った上で「今の話を聞いて涼平がどうしたいのかにもよるわね」と微笑んだ琴音。その笑顔に込められた意味は俺には分からなかったけれど、琴音にしては随分とリスクの高い道を真似をするものと思った。どういう風の吹き回しなのやら。


「大丈夫なのか? その話をさっさと会長に伝えなかったと知れたら後で何をされるか分からねぇぜ?」


「うん。だからそれも含めて涼平に任せると言ったのよ。今の話を自分が調べたことにするか、私から聞いた話だと言うか、それとも伝えないで伏せておくか、あなたが決めれば良い」


 この女も食えない奴だ。一時でも肉体関係を結んだので少なからず情のある俺が彼女にとって不利となる行為に及ばないのを分かっている。ただ、それにしても何故にこの件を恒元に伝えないのかはおおよそ見当もつかないのだけれど。


「……ったく、どうなっても知らねぇぞ」


「うふふっ。その台詞、そっくりそのままお返しするわ。果たしてあなたに私の共犯者になる度胸があるのかしらね」


「はあ? どういう意味……」


 問い質す前に唇を塞がれた。琴音は俺の首に腕を回して身体を密着させている。柔らかな乳房が俺の胸板に押し付けられ、彼女の体温を服越しに感じた。


「んっ……ちゅっ……」


 やがて唇を離した彼女は美しい笑みを浮かべて言ったのだった。


「あなただって分かっているんじゃなくて? いつまでも中川恒元の言いなりでいて良いはずがないって」


 俺は答える代わりに無言で彼女を抱き寄せた。そしてそのまま室内のソファに押し倒すと、今度は俺の方から唇を重ねるのだった。


「んっ……ちゅっ……」


 彼女は嫌がらなかった。それどころか自ら積極的に舌を絡めてくる始末だ。まるで恋人同士の睦み合いのような光景がそこにはあった。やがて唇を離すと、俺たちは互いに見つめ合った後にどちらからともなく笑い出したのだった。


「ふふっ」


 琴音は愉快そうに微笑んでいる。その笑顔には先程までの淫靡な雰囲気はなく、むしろ少女のように純真無垢な印象を受けた。そして俺は改めて彼女に問いかけることにしたのである。


「……なあ、琴音?」


「何かしら」


「これからどうすれば良いんだ?」


 俺は続ける。


「心じゃ分かってるんだ。『非道に虐げられる奴らを救いてぇんだ』って。だけど、何も果たせやしねぇ。組織に飼われた哀れなマリオネットに徹するのが関の山だ。それがヤクザとしてあるべき姿だ、くだらねぇ志なんか抱かずにそうするのが正しいって、頭脳あたまで自分自身に鎖をかけちまうんだよ」


 まさか他人相手にここまで思いのたけを吐露してしまうとは。自分でも驚いた。そんな俺の独白を受けた琴音は少し考える素振りを見せた後、優しく答えた。


「もしも違ったら謝るけど。涼平は今まで自分の意志で行動したことなんて殆どないんでしょう? だからいきなりそんな大それた夢なんか持てないわよね」


「ああ、その通りだよ。俺はこの国に帰ってから、ずっと会長の指示に従ってきたんだ。それが当たり前だと思ってたし、今も思ってる」


「ふーん。どうしてそう思ってしまうの? あなたなりに理由に見当は付くかしら?」


「そうしねぇと過去の自分てめぇに申し訳が立たねぇからだ……俺、前に居た組を割って出る形で中川会に入ったから……きっと『あの時の離反はその時の親分のためにも正しかった』って自分を納得させてぇんだと思う……」


 そう情けなく答えれば、彼女は静かに頷いた後に言ったのだった。


「あなたがどういう過去を経て今に至るのかは分からないけど。これだけは云える。過去の全てに悔いが無い人なんか居ない。皆、何かしら『ああすれば良かった』って思いを抱えながら今を生きてる。私だってそうよ。だから無理に自分を納得させる必要なんか無いんじゃないかしら」


 彼女の言葉に俺はハッとさせられた。言われてみれば確かにその通りなのだ。「それに」と琴音は続ける。


「後悔したって良いと思うのよ。同じ轍を踏まないよう、今をやりたいようにやれば」


「……まあ、どうあがいたって過去には戻れねぇんだからな」


「ええ。過去があなたの心を縛り付ける鎖になっているのなら、それを断ち切るのはあなた自身。自分で自分を解放してあげなきゃ」


「自分で自分を解放……?」


 俺を真っ直ぐに見つめた後で琴音は深く頷いた。


「周りに流されて往く道を自由に決められなかったことを悔いているというなら、今はその分自由にやれば良いじゃない」


「えっ? いや、俺は今でも……」


 そう言いかけた俺だが、琴音に人差し指を立てて制された。そして彼女は笑みと共に続けて言う。


「過去を埋め合わせるには、とにかく今を充実させるしかないの。あなたは自分を中川恒元のマリオネットと形容しているけど、それは単なる立場や役柄の話であって、誰もあなたの心まで縛れやしないわ。あなたは自由に自分のやりたいようにモノを考えて良いの」


 琴音の紡ぎ出す言葉の一つ一つが心に染みわたってゆく。それは俺の中で燻っていた感情に火を点けるかのようだった。


「涼平。あなたは自由に生きて良いのよ」


 その一言が胸に沁み渡った時、無上なまでに琴音の存在が愛しくなって、俺は彼女をきつく抱きしめた。そしてそのまま唇を重ねる。


「んっ……ちゅっ……」


 互いの舌を絡ませ合いながら、俺たちは何度もキスを繰り返した。そうしているうちに琴音が俺の股間に手を伸ばしてくる。ズボン越しに優しく撫で回されて思わず声が出た。


「ううっっ」


 彼女は妖艶な笑みを浮かべて俺を見つめている。その表情には情欲の色が見え隠れしていた。俺は堪らずに彼女の体をまさぐる。


「あんっ……もう、涼平ったら」


 彼女はくすぐったそうに身を捩った。しかし抵抗はしない。むしろ俺の愛撫を受け入れているかのように思えた。俺は彼女の胸に手を這わせる。キャミソールの上からでも分かるほど大きく膨らんだ乳房は柔らかく、手に力を込めれば容易に形を変えた。


「あっ……んっ……」


 彼女が切なげに吐息を漏らす。俺はその反応を見てさらに強く揉んだり指先で先端を摘んだりした。その度に琴音は小さく喘ぎながら身体を震わせるのである。


 そんな彼女の姿がますます愛しく思えて、俺はキャミソールをたくし上げてブラを外すと露になった乳房にしゃぶり付いた。


「ああんっ! おっぱいダメぇ!」


 琴音が一際高い声を上げる。俺は夢中になって彼女の乳首を吸ったり舌で転がしたりした。その度に彼女はビクビク反応して俺の興奮を煽ってくる。


 やがてショーツを脱がすと秘部はもう濡れていた。割れ目に沿って指を這わすと、琴音が切なげに身を捩った。そして俺を見つめて言ったのだ。


「涼平……来て?」


 その一言で理性が吹き飛んだ気がした。俺は下半身の衣類を脱ぎ捨てると彼女の両脚を大きく開かせた。そしてその間に割って入ると、一気に挿入する。


「ああああっ!!」


 琴音が一際大きな声を上げた。その瞬間に膣内が激しく収縮して俺のものを締め付けてくるのが分かった。あまりの快感に一瞬意識を失いかけたほどだ。しかし、ここで果てるわけにはいかない。俺は無意識のまま腰を動かし始めたのだった。


「あんっ……ああんっ! いいっ!」


 琴音は快楽に打ち震えるように身体をくねらせている。そんな彼女の仕草一つ一つが俺の興奮を煽った。俺はさらに激しく腰を打ち付ける。


 肉と肉がぶつかる淫らな快音。結合部からは愛液が飛び散り、黒のソファに染みを作っていた。


「ああんっ! 涼平っ……もっと激しくしてぇ!」


 琴音の言葉に呼応するようにピストン運動を激しくすると、彼女は一層大きな声で叫んだ。


「ああんっ!」


 そして次の瞬間には琴音の身体が大きく痙攣し、膣内が激しく収縮した。同時に大量の精液を放出してしまう俺。その熱を感じたのか、彼女は満足そうな笑みを浮かべた後に俺の名を呼んだのだった。


「はぁ……涼平……好きよ……」


 俺は肩で息をしながらゆっくりと肉棒を引き抜くと、そのまま彼女を抱きしめてうつ伏せの体勢で乗っかった。


 ああ、そういやあこの女は恒元や輝虎を含めた不特定多数の男と肉体関係を結んでいるのだったな……。


 自嘲気味に思うものの不思議と嫌な心地はしない。俺はそれから琴音を抱きしめたまま共に時を過ごしたのだった。


 どれくらいの時が経った後だろう。ふと気が付けばソファで全裸で寝ていた俺たち。


「ああ、寝ちゃったみたいね。私たち」


 琴音が微笑んでいる。俺は思わず赤面するも、彼女は構わず続けたのだった。


「あなたの過去がどうであれ、今は私が居るわ。だからもう一人で悩まないでね。私と涼平は似た者同士なのだから」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の心の中で何かが軽くなった気がした。それはまるで重荷から解放されたような感覚である。同時に「ああ、そうか」と納得した。


 俺は今までずっと自分自身に鎖をかけていたのだなと。それは簡単に断ち切れるか分からない。されども何故か漠然と俺の中に漂っていた孤独感は消えていた。


「なあ、琴音?」


「何かしら」


「お前って俺のこと好きか?」


 そう問うと彼女は少し考える素振りを見せた後で答えたのである。


「ええ、好きよ。もう食べちゃいたいくらいに好き。あなたは勇敢で、格好良くて、可愛い子。そして何より私と目指すところは同じのようだからね、大体にして好きじゃなかったらこんなことしないもの」


「いや、でもあんた、俺以外の男とも……」


「好きな男とするセックスと利益のために体を売る行為は違うわ」


 得意顔で言い切った後、琴音はなおも揚々と続ける。


「うふふっ。あなたと同じく、私にだって正義があるの。それを貫くためなら手段を選ばないってだけよ。この藤城琴音を甘く見て貰っては困るわ。私の全ての行動原理は信念。お尻が軽くなったってそれだけは曲げたくないんだから」


 よく分からないが、彼女には彼女の叶えたい志があることは何となく把握できた。それは俺と似ているものなのか……はさておき、以前より少しは琴音のことを知れたようだ。少なくとも、いつもメディアを騒がせる冷徹な女社長の姿とはかけ離れた一面があるのだ。


「……ちょっと便所に行ってくるぜ」


「ええ、行ってらっしゃい」


 俺はソファから立ち上がると、衣服を戻してトイレへと向かった。その途中で俺に電撃が走る。すっかり忘れていたことがあった。


 華鈴と秀虎! あの二人はどうなったんだ!?


 確か、琴音に振る舞われたワインのおかげで酔い潰れた秀虎を介抱するため、華鈴は彼をゲストルームへ運んだのだった。そこまでは覚えている。


 あれから彼女は戻ってきていない。いくら何でも時間をかけすぎだろう……尤も、彼女が今に至るまで席を外してくれたことで琴音との情事を見られずに済んでいるのだけれど。


 されども少し心配だ。俺は廊下を歩いてみる。流石に高級マンションというだけあって、部屋数は一般的な集合住宅とは比べ物にならない。さながら迷路のように腹圧に入り組んでいる。一体、どこがゲストルームなのやら。事前に俺も華鈴同様、家主の琴音に聞いておくべきだった。


「あれ……迷ったか……?」


 戸惑いながら歩いていると、廊下の突き当りから薄らと光が漏れているのが分かる。「もしや」と思って近づいてみると、ほんの少し開いた扉の向こうにあったのは……。


「ああんっ! 気持ち良いっ!」


「先輩! 先輩! ああっ、凄いっ!」


 裸の華鈴が全身を震わせ、その下で同じく素っ裸の秀虎が寝ている光景だった。両名の近くには白濁液が入った使用済みの避妊具が落ちていることから、既に膣内射精を済ませていることが分かる。しかしそれでもなお秀虎は腰の動きを止めることはなく、華鈴もそれに呼応するかのように嬌声を上げているのだ。


「あんっ! ああんっ!」


 秀虎が下から突き上げるように腰を振る度に華鈴は激しく乱れる。まるで快楽を貪り食う獣のようだった。


 華鈴が裸だ……。


 初めて目の当たりにした華鈴のあられもない姿。小柄なれど肉付きの良い体に、俺の視線は釘付けになる。彼女の豊満なバストは下から突き上げられるたびに上下左右に大きく揺れていた。


 美しい。あまりにも美しい。先ほど俺自身も濃密な行為に及んだばかりというのに、またもや欲情が立ち上ってくる。


「……」


 華鈴は秀虎の腰の動きに合わせて自らも腰を動かしている。彼女の表情からは普段のような余裕が一切感じられない。ただただ快楽に身を任せる一人の女の姿がそこにあったのだ。


「ああっ! そこっ!」


 秀虎が一際強く突き上げた瞬間、華鈴は大きく仰け反った後に脱力する。どうやら絶頂を迎えたらしい。しかしそれでもなお秀虎は腰の動きを止めない。それどころか、さらに激しくピストン運動を繰り返す。


「ああんっ! もうダメェ! やめてぇぇぇーっ!」


 乱れた髪を揺らし、華鈴は絶頂に達した。


「はあ……はあ……」


 彼女は肩で息をしている。俺は思わず生唾を飲んだ。こんな華鈴は見たことがない……。


「……秀虎君、気持ち良かった?」


 男の体から降り、華鈴はその横に寝そべった。


「は、はい。すごく気持ち良かったです」


「良かった」


 疲れ切った表情で答える秀虎に、華鈴は優しく微笑みかける。そんな彼女の胸を秀虎は揉んだ。


「あんっ、もう……ダメ……」


 秀虎は華鈴のおっぱいをゆっくりと揉む。華鈴は甘い吐息を漏らしながら、その快感に身を委ねていた。


「先輩……可愛いです」


 秀虎が耳元で囁くと、華鈴はくすぐったそうに身をよじった。そしてそのまま二人は抱き合い、キスをする。それはまるで恋人同士のようであった。


 俺はゆっくりと扉を閉めた。見てはいけないものを見てしまった気がする。同時に途方もない敗北感が押し寄せてくる。


 まさかあの二人はそんな仲だったとは……。


 おそらくは衝動的に身体を交わらせたのだろう。「そんな関係じゃない」と言っていたのだから。いや、待てよ。もしかすると嘘をついたのかもしれないぞ。真の関係を俺に伏せるために。いやいや、考えても無駄なことだ。


 とはいえ、何とも気になる。俺の心が大きく揺さぶられているのが分かる。親しい女の裸を見てしまったことも然り、その女が他の男とセックスをしていたことも然り。


 頭が沸騰しそうだった。


「……」


 そんな悶々とする俺の耳に届いたのは、思いのほか感傷的な会話であった。


「……先輩。やっぱり僕は捨てきれません。平々凡々とした世界で幸せになりたかったって未練を。どうしますか。先輩だったら。僕と同じ立場だったら」


「うーん。分かんないなあ。その立場に立ってみないと。人って、その時その時で考えることも変わるし為すことも変わるからさ。やっぱり分かんないよ。ただ話を聞いてるだけじゃ」


「そうですか」


「でも、あたしは凄いなって思うよ。秀虎君。ちゃんと信念を持ってるじゃん。少しでも多くの人を救いたいっていう。そういう人には多くの人が集まってくるよ。分かってくれる人はちゃんと居るから」


「せ、先輩」


「もちろん、あたしも秀虎君の味方だよ」


 ああ。そういうことか。二人で同じ部屋に入ったところで酔った勢いもあり、衝動的に情事に及んだのか。何だか先ほどの俺と似ているな。話を聞いて貰っているうちに相手のことが不思議と愛しく感じてしまう流れ。恋愛感情に関わらず自然と求めてしまうのだから分からないものだ。


「……先輩。改めて言います。僕と付き合ってください」


「ああ、うん。ごめん。そういう感じでは見れないかな」


 これ以上、立ち聞きを続けるのは野暮に思えたので俺は部屋の前から立ち去った。秀虎の告白に対する華鈴の返事に、少しばかり安堵感をおぼえる自分が居た。


 まったく。先ほどは自分だって琴音と体をぶつけ合ったというのに。妬心の情を覚えてしまうとは俺は何て浅ましく単純で醜いのだろう。


 俺は無言でダイニングルームへと戻ると、またもやベランダに出て煙草に火を付けた。


「ふう」


 そんな俺に着衣を戻した琴音が話しかけてくる。


「さっきの声、華鈴ちゃんに聞かれてないと良いね」


「どうだろうなあ」


 背中で返事を投げた後、俺は携帯を取り出す。時刻は2時25分。そろそろ銀座の状況が気になるところ。


「すまねぇ。ちょっと電話するわ」


 そう呟いて、先ずは頭に刻んだ番号を入力して電話をかける。されども出ない。眞行路邸の固定電話には応答が無かった。


 続いて俺がかけたのは淑恵の個人番号だ。こちらは数回のコールで当人と繋がった。


『どうしたの?』


「もしもし。麻木だ。そっちは大丈夫か」


『は? 大丈夫って何が?』


 きょとんとした様子が伝わってくる。てっきり輝虎派が攻撃を仕掛けたと思っていたのだけれど、それに関しては要らぬ心配だった模様。


『そんなことより、あんた! 秀虎を知らないかい!? 屋敷に帰ってこないんだよ!』


 彼女に俺は事の経緯を話した。


「……ってなわけだ。おたくの次男は無事だぜ。安心してくれ」


『はあ。良かった。いや、後楽園に遊びに行ったっきり帰って来ないから心配になってさ。あんたと一緒に居るのね。執事局の次長と一緒なら安心だわね』


「いや、そうとも限らねぇけどな。あの野郎は弟を殺せるとありゃ場所を選ばず襲ってくるかもしれねぇ。今日だって周りにカタギが居るのに撃ちやがった」


『輝虎は昔からそうだったよ。誰に似たんだか、欲しいもんのためには見境を無くすっていうか。今日の件はカタギを含めて双方に犠牲が出なかったのが何よりだ』


 俺が思うにかなりの乱戦に発展したはずだけれど。双方とも負傷程度で済んだのは奇跡と云うべきか。通行人が呼んだパトカーの到着で輝虎も三淵たちも引き下がらざるを得なかったようだ。


『けど、もうのっぴきならないところまで来たようだね。輝虎と秀虎の兄弟喧嘩は。あんたにも迷惑をかけてすまなかったよ』


 これをもって戦争開始とみなすか、未だ開戦に至っていないと考えるかはあの現場を見ていた者たちの判断に委ねられる。なれど輝虎は妥協せずに攻勢をかけてくるであろう。翌朝に淑恵の方から迎えを寄越してくれることを確認して電話を切った。


 ああ……またしても俺は立場を明確にしないまま会話を終えてしまった……会長側近の役柄を超えて秀虎を支持すると、何故に言えなかったのだろう……。


 またしても俺の迷いが出た。


 頭では好きなようにやろうと決めても結局は立場に縛られてしまう。そんな鬱屈さに肩を竦めていると琴音が抱き着いてきた。


「何か嫌なことでも言われたかしら?」


「そ、そんなんじゃ」


「うふふっ」


 後ろから耳元にキスをされて俺は見悶える。そのまま俺はソファに押し倒され、朝まで琴音と熱い夜を過ごしたのだった。


 されどもこのペントハウスには華鈴と秀虎も居る。


「……」


 翌朝、酔いがさめた俺たちは酷く気まずかった。


 特に会話という会話も無いまま苦笑いで琴音専属の使用人が作った朝食を取る。酔いというものは面倒なものでふしだらな記憶までは消してくれない。ゆえに互いに何があったかを覚えているから気まずさが増すのだ。


 華鈴と秀虎との情事を俺が知っているように、あの2人もまた俺と琴音が事に及んだ流れを知っていよう。恥ずかしさを堪えるので精一杯だったのは言うまでも無い。


「あらあら。皆、よく眠れたかしら。ふふっ」


 大半の事情を知っているくせに琴音だけ何故だか得意気に笑っていた。ちなみにこの日は12月31日。よってこの食事は2004年最後の朝食ということになる。


 どうせならもっと穏やかに味わいたかった……いや、普段の中川会総本部で恒元と囲む食卓に比べたらマシか……そんなことを考えながら、俺は和食の膳に黙々と箸をつけたのだった。


 食事が終わると建物の前には眞行路邸からの迎えが到着していた。


「秀虎様、ご無事で何よりでございます!」


 リムジンを運転していた三淵は秀虎の前で深々と頭を下げた。


「き、君の方こそ、大丈夫だった?」


「ええ。不覚にも輝虎は取り逃がしましたが、次こそは必ず仕留めてご覧に入れます」


 昨晩も思ったことながら、この三淵という男の頭には憎き輝虎を討つことしか無いらしい。秀虎のことは単なる御輿程度にしか考えていないらしい。そんな子分を淑恵が呆れた面持ちで眺めていたのは言うまでも無い。


「それにしたって。秀虎。要らない心配をかけるんじゃないよ。無事なら無事って連絡を寄越しな。おかげで昨日は多くの者があんたを探して回ったんだ。まったくもう」


「ご、ごめん……母さん。今度から無駄な外出は控えるようにするから……」


「こら。甘ったれてんじゃないよ」


「へ?」


「組を継ぐ男がそんな弱気でいてどうすんだい。親分ってのはね。たとえドンパチの最中であってもシマの見回りを欠かさず、夜は派手に遊び歩いて街にカネを落とすもんさ。上に立つ者が堂々といつも通りに振る舞ってなきゃ下の連中は臆しちまうだろ。これからもあんたは今まで通りに過ごしな。引きこもってたら母さん許さないからね!」


 緊迫した情勢下にもかかわらず私的な外出をした息子を嗜めるかと思いきや、意外な角度から叱咤を食らわせた淑恵。まあ、彼女らしいと云えば彼女らしいし道理も通っている。尤も『今まで通りに過ごしな』という言葉の裏には、家の事情で半ば無理やり極道の世界へ引きずり込んでしまった自責の念もあるのだろうけれど。


「分かったよ。母さん」


「さあ。帰るよ。今日は歳末年の瀬。色々と挨拶に回らなきゃいけないところが山ほどあるんだ。あんたは眞行路の総長の座に就く男なんだから。ビシッと決めなさいよ」


「う、うん……」


 母親に手を引かれてリムジンへ乗り込み、秀虎は銀座の街へ帰って行った。琴音は若干寂しそうに呟く。


「あらあら。帰っちゃったわね。もうちょっとお喋りしたかったなあ」


 俺にウィンクしてマンションの中へ入っていった琴音。彼女もこの日はテレビ番組への出演やイベントへの参加など、色々とスケジュールが用意されているらしい。メイクと着替えを済ませたらすぐに六本木に向かうという。


 思ってみれば2004年はまさに藤城琴音の一年だった。あらゆる企業を買収し、歯に衣着せぬ言動で世を騒がせ続けた彼女。まさに2004年の顔と呼んでも差し支えないのではと思う。そんな天才女相場師とセックスをすることになろうとは……一体、何の産物だろう。俺もまた今年は激動だった。単なるチンピラがこんな著名人と親しい仲を築いたのだから。


「ね、ねぇ。麻木さん」


 少し言いづらそうに切り出した華鈴に俺はハッとして向かい合う。


「あのさ、昨日のことなんだけどさ……」


「そ、その話は止めとこうぜ。お互い忘れようや。俺もお前も、秀虎だって、酒が入ってたんだからよ」


「う、うん」


 その提案に乗ってくれて心から救われた。つくづく男として情けない話だ。衝動的な行為だったとはいえ、後ろめたさが俺を取り巻いていたのも確かだった。


「じゃ、じゃあ、帰るね。琴音さんによろしく」


「おう……」


 すたすたと歩いて行く華鈴の背中を眺めながら、その姿が視界から消えるまで物思いに耽った俺。麻木涼平という男の不格好さは勿論、最も心を締め付けたのは俺が中川恒元のマリオネットであることだ。所詮、俺はあの男の謀り事の実働を担う駒でしかない。


 けれど、それで良いのか……?


 真っ先に脳裏をよぎったのは輝虎の所業。奴は玄道会と手を組み、非道なシノギで金を稼ごうとしている。あれはあまりにも人の道に外れすぎている。


 ただ、それを琴音が恒元に伝えないのは、恒元とて冷酷無比なる男だからだ。一連の話が耳に入ろうものなら、あの会長は輝虎から利権を奪って自らが市場を仕切ろうなどと考えるだろう。それでは元も子も無い。裏社会で虐げられる者を救うどころかさらなる被害を広げてしまう。


 それでも俺には中川恒元に逆らうことは叶わぬ……と思いかけたところで、別府で遭遇した事件の記憶が映し出される。あの時、俺と華鈴が助けようとした赤ん坊は海外へ売り飛ばされるところだったのだ。既に玄道会はそういったビジネスに手慣れているらしい。輝虎が奴らと正式に手を結べば、より多くの者が悲惨な末路を辿ってしまう。


 どうすれば止められるか?


 俺には未だ分からない。それでも、指を咥えて奴らの横暴を許したくはない。もう後悔を覚えたくはない。


 そうだ。俺がこのまま自由意志を捨てて恒元のマリオネットに徹すれば、沢山の人々が虐げられることになる。自分だけが割を食うならともかくそれはあまりにも嫌だった。


 ここで意志に背けば、後で必ず悔やむだろう。


 今この時に己を貫かずして、何時、何処で貫くか。


 俺には俺の為すべきことがあるのだ。


 大きく息を吸い込み、ゆっくりと歩き出す。向かった先は品川区の五反田。考えてみれば6年ぶりとなるこの地で足を運んだのは路地裏の建物。


 株式会社『本庄工務店』のオフィスビル。そう、本庄組の事務所であった。


 その拠点の家主は明らかに俺を歓迎していない。因縁もあるため是非も無いことだ。それでも臆せずに食いつく他ない。


「よう、涼平。どないしたんや。ただでさえ慌ただしい大晦日に訪ねてくるなんてのう」


 怪訝な面持ちで切り出した本庄組長に、俺は真っ向からぶつける。


「本庄さん。単刀直入に言うぜ」


 それは自分でも驚く提案。されども今さら曲げることは無い。この男の協力なくして、俺は俺の志を貫くことは叶わぬのだから。


「眞行路秀虎の味方に付いてくれ。あんたの力が必要なんだ。秀虎をこの喧嘩で勝たせるためにはな」

迷いを振り払い、本庄組長の元を訪ねた涼平。その真意とは……? 次週、第11章完結!

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