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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第11章 親分たる器
194/252

敵の上陸を阻止せよ

 芹沢組からの報告は実に電撃的だった。


「もう溝端が沼津に入っただと!?」


 村雨としても意表を突いたようである。それもそのはず、彼の見立てでは溝端辰也率いる松下組の来襲は明日以降を想定していたのだから。


「思ったよりも早かったな。湘南の一件で我らが動じていることを悟ったか」


 そんな俺の呟きを拾った政村はこう答えた。


「眞行路のクソ御曹司が水面下で橘と通じてる線も考えられますけどね。何にせよ、さっさと手を打つべきです。連れてる兵隊が少ないうちにね」


 気になるのは『100名の護衛を連れていた』という情報。それが俺にはどうにも少ない気がした。村雨組を叩くのであれば最低でも500以上は見積もらなくてはなるまいに。


「組長。どうする?」


 そう尋ねた菊川に、村雨はすぐさま応じた。


「迎え撃つに決まっておろう。出陣の支度にかかれ」


「はいよ」


 菊川は颯爽と立ち上がって座敷を出て行った。村雨は皆に向けて言い放つ。


「皆の者! これより我らは伊豆へ赴き、逆賊橘威吉とその一党を討ち滅ぼす! これは我らの忠義を天下に示さんが為の戦いぞ!」


 村雨の檄に皆が「応っ」と応える。俺もまたその一人だ。されども沖野、柚月、政村らが慌ただしく軍議の場を出てゆく中で俺は呼び止められた。


「涼平。お前は残っておれ」


「……分かりました」


 俺は素直に応じた。この大戦おおいくさで俺が役に立てるとは思えないが、それでも幹部としての立場がある以上はそうもいくまい。それに、万が一にも溝端との直接対決となれば命を落とす危険もあるのだ。ここは大人しく従うことにした。


 俺は素直に応じた。湘南の一件で叱責を浴びせられるのかと思いつつも俺は素直に従うことにした。すると村雨は俺をじっと見据えながらこう話し出したのだった。


「……お前には別の仕事を頼みたい」


 お説教ではなかったので安堵する。まあ、今は済んだことを蒸し返している暇は無いので当然といえば当然か。


「ええっと、政村さんと一緒に横浜の留守番をしろってことですよね?」


 俺がそのように答えるや否や、村雨は意外な答えを返した。


「まあ、そうなのだが少しばかり陣容を変える。お前はお前は扇町の埠頭で睨みを利かせよ」


「え? 扇町?」


「左様」


 俺は思わず聞き返したが、村雨は至って真面目な口調でそう答えた。どうやら彼なりに思うところがあるようだ。


「実は近頃、横浜で中国人どもが不穏な動きを見せておってな。奴らの拠点が扇町あたりにあるとの情報を得ておる」


 このタイミングで中国マフィアを抑えに向かう――それは溝端ら松下組の出方を警戒してのこと。村雨は松下組の中国人との結託を懸念していた。


「松下組が中国人と組めば我らに勝機は無い。念のため手を打っておくのだ」


「なるほど、それで俺が見張り役ってわけですか」


 村雨の説明に俺は合点がいった。仮に松下組が中国マフィアを手を組んだ場合、奴らが横浜に直接乗り込んでくることになる。そうなれば一巻の終わりだ。しかし、どうにも腑に落ちないことがあった。横浜における中国マフィアは6年前の大乱戦で壊滅したのではなかったか。


 そんな俺の考えを見透かしたように、村雨は次のように答えたのだった。


「あの戦で奴らは殆ど滅んだが3年ほど前に勢いを盛り返しおってな、本国からの増援も得て往時の力を取り戻しつつある」


「完膚なきまでに叩きのめしたつもりだったんですけどね。まだ残党が潜んでたってわけですか」


 横浜市の全域を手中に収める村雨組だが、外国人に関しては未だ支配が及ばぬところがある。そうした日本人とは隔絶されたコミュニティでマフィアはどんどん勢力を伸ばしているそうな。中国人のみならず、韓国人やロシア人も同様とのこと。


「私が中華街から追い出したことで中国人どもは扇町に棲み着くようになった。韓国人は豊浦町、ロシア人は千鳥町だ」


「どこも海に近い所ですね」


「うむ。海に近ければ本国との密貿易を円滑に行えるゆえ。我らも当局にカネを渡して奴らの船を入港前に押さえんと図っておるが、なかなか骨が折れるわ」


 俺は納得した。村雨は続ける。


「いずれにせよ、松下組と中国人との合流は何としても食い止めねばならぬ。扇町で松下の手の者を炙り出し討ち滅ぼせ!」


 こうして、俺は横浜市中区の扇町港へと向かうことになったのである。村雨邸から車で23分。海を埋め立てて造られた人工島の扇町は潮風が香っていた。


 その一画に村雨組が保有する倉庫があった。俺たちはそこを隠れ場所として監視役を務めることになったのだ。


「ふう、海の匂いって癖がありますよね。ここに車を停めっ放しにしてたら潮風で錆びますぜ」


「まあ短時間なら問題ねぇだろ」


「だったら良いんですが……」


 俺に続いて降車した原田は大きな欠伸をして呟いた。


「……それにしても、良かったんすか。俺たち二人だけで」


 彼の言葉に俺は小さく頷いた。


「ああ。どうにも政村の野郎がキナ臭ぇからな。あいつに屋敷を任せておくのは心許ねぇ」


「言われてみれば」


 この日、俺は酒井祐二を屋敷に置いて来ていた。理由は実に単純。屋敷の留守居役を命じられた政村が不穏なことをしでかさないか不安だったのだ。


「奴は村雨組の傘下に入って未だ日が浅い。松下組と通じてる線もゼロじゃない」


「ええ。確かに。あの男に任しといたら松下組の連中が乗り込んで来るかもしれないですもんね」


 原田の言う通り、万が一つにも政村が松下組に寝返れば村雨は本部を奪われることになる。政村は長いものに巻かれるタイプの男であり、村雨組の傘の下に入った動機もさしずめ銀横戦争における勝ち馬に乗りたかったからだろう。組長が政村を重用している手前表立って口には出せないものの、それでも不安材料は少しでも減らしたいというのが俺の本音だった。


 酒井には「密通の証拠を握った時点で政村を殺せ」と言い付けてある。彼ならば無事に抑えの役割を果たしてくれるはず。


「しっかし、村雨組長も分かりませんねぇ。何でまた部外者同然の政村なんかを留守居役に据えるんでしょう」


「そうだよなあ……昔から、あの人の考えてることは今ひとつ真意が読み取れねぇ部分があるからなあ……それでいて策が外れたことは未だかつて無いから皆二つ返事で従っちまうんだけどなあ……」


 その時、携帯にメールが入っていた。端末を開いて確認すると差出人は酒井。


『政村が村雨組長のお屋敷を出ました。尾行します』


 俺は眉間に皺を寄せる。


「おいおい。こりゃあどういう……」


「何かありました?」


「酒井からの連絡だ。政村が屋敷を抜け出したと。野郎、一体何を考えてやがる。奴は留守居役だったはずだ。それを勝手に抜け出すなんざ立派な反逆行為だ」


 今は戦争の真っ最中。本部の守備を命じられた人間がそれを放棄して勝手に出歩くなど言語道断である。かつて村雨は仕事中に私用でコンビニへ出かけた組員を射殺したことがあり、その厳しさは政村とて気付いていように。


「あいつは組に入って日が浅いとはいえ、組長の意思に逆らうことの意味が分からんわけじゃねぇだろう」


 そう呟いた直後、遠くから気配の接近を感じた俺。ふと視線をやると黒塗りのセダンがこちらへ猛スピードで走ってきた。


「えっ? まさか中国人?」

「ああ。おいでなすったようだ……いや、違ぇな」

 海外マフィアというからにはそれ特有の雰囲気が無い。セダンの運転席でハンドルを握っている男の顔つきは明らかに日本人のもの。


 やがて車は俺たちの前に停まった。後部座席から降りてきたのは、やはり中国人ではない。それもまた意外な顔である。


「よう、麻木涼平。律儀に張り込みとはご苦労なこったな。一度は出奔した身のくせにそういうところはちゃんとしてるんだな」


 嫌味ったらしい口調――政村平吾だ。


「は? あんた、どうしてここに居るんだ?」


「お前さんの様子が気になったんでな。暇つぶしついでに見に来てやったんだよ。まさか言い付け通りに任務に邁進してるたぁ驚きだ」


「そうじゃない。屋敷の留守居役を任されたはずのあんたが、何でこんな所を出歩いてるのかと聞いてるんだ。平然と職務放棄か?」


 すると政村は頬を緩めて苦笑した。


「おいおい。そんな喧嘩腰にならなくたって良いじゃねぇか。俺はただ、お前に話が……」


 問答無用。彼の言葉を遮るように、俺は懐から銃を取り出して構える。


「持ち場に戻れ」


 その速度があまりにも並外れていたのか、政村は一瞬だけ驚愕の顔色になる。しかしながらすぐに表情を戻してせせら笑う。


「おい。そんなの向けてくれるなよ」


「黙れ」


 なおも憮然と銃口を向ける俺に、政村の背後に佇んでいた2名の手下たちが殺気立った。


「この野郎!」


「銃を下ろしやがれ!」


 俺を牽制しようと思ったか、遅れて背広の内側の銃に手をかける彼ら。されどもその仕草は一瞬で中断させられる。


「お前らこそ銃を下ろせ」


 なんと連中の背後で原田が両手に銃を携え、2人の後頭部に突きつけていたのだ。ほんの一瞬のうちに背後へ回り込んだ模様。気配の消し方を教えておいて良かった。


「……っ!?」


 わなわなと震え上がる取り巻きに政村が言った。


「お前ら、下がってろ」


「で、ですが組長!」


「良いから下がってろ。中川会の執事局といえば正真正銘、殺しのプロだ。お前らじゃ敵わねぇよ」


 語気を強める政村の言葉に渋々といった様子で2人は銃を下ろした。俺はなおも銃を構えたまま小さく溜息を吐き捨てる。


「持ち場に戻らねぇなら今すぐ撃ってやりてぇところだがな。一応は聞いといてやる。あんたの話ってのは何だ?」


 その言葉に政村が微笑む。


「おう。聞いてくれるか」


「言いたいことがあるならさっさと話せ。内容次第によっちゃ肩に風穴を開けてやるぞ。俺の射撃を舐めて貰っちゃ困る」


「そんなに慌てなくても教えてやるよ。まあ、お前さんにとっても旨味のある話だ」


 この男が油断ならない相手だとは分かっている。俺は銃を構え直す。そんなこちらを嘲弄するかのごとく、政村は少しの間を空けて言うのだった。


「お前さん、村雨組に来る気はぇかい」


 思わず聞き返した。


「何の冗談だ?」


「冗談は言っちゃいない。本気で誘ってるのさ。今なら俺がお前さんを組長に推薦してやっても良いぜ」


「は?」


 俺は耳を疑った。政村は続ける。


「お前さんは昔、村雨組に居たと聞いた。古巣に戻るには今が絶好の機会なんじゃねぇのか」


「……あんた正気かよ。俺は中川会の執事局の次長だぜ。そんな話に乗るわけねぇだろうが」


 そんな俺の反応が面白かったのか、政村はくつくつと笑う。


「本当にそう思ってるのか?」


 当たり前だ。どんな誘いを投げかけられたとて、俺が組織への忠義をたがえることは無い。それこそが6年前に誓った覚悟なのだ。


「冗談も休み休み言えや」


 そう吐き捨てる俺に、政村はなおも続ける。


「このまま中川恒元に仕え続けて、お前さんはそれで良いと思ってるのか? おとこの道を示してくれたのは他でもねぇ村雨耀介公だろう?」


「……」


「色々と調べさせてもらった。お前さんは組長のために中川会へ行ったと自分を正当化してるみてぇだが、その際に組の人間を殺しちまってる」


「……だから何だ」


「過去の償いをするには元の鞘に収まるのが一番だろってことだよ。議会での共犯証言を阻止したくらいじゃ何の落とし前にもなりゃしねぇ」


 俺は思わず黙り込む。自分の中で忠義と覚悟、そして恩の3つの概念が大きく揺らいでいるような心地に襲われたのだ。


「てめぇ! さっきから兄貴に向かって何を抜かしてやがる! 口の聞き方に気を付けねぇと部下を殺しちまうぞ!」


 原田が怒鳴ったが、俺はそれを制して政村に問うた。


「そこまで御託を並べて、あんたが俺を組に誘いたがるのは何故だ? そう言えと組長に頼まれたのか?」


「いや、俺自身の意思だよ。こないだの勇猛果敢な戦いぶりを見て個人的な興味が湧いたのさ。一緒に渡世の荒波をくぐってみてぇってな」


「そうかい。だがお生憎様、俺はあんたの個人感情に付き合ってやる義理は無い」


「確かに俺個人にはぇわな。けど、組長に対してはどうだ。一生かかっても返しきれねぇほどの大きな借りがあるはずだぜ」


「……っ!」


 不覚にも言葉に詰まってしまった俺。脳裏をよぎったのは6年前の乱戦。菊川との喧嘩がもつれて大暴れした結果、沼沢を始めとする多くの組員を俺はこの手で殺したのだ。


「お前さんが中川会に行ったおかげで村雨組は潰されずに済んだってのは事実だ。しかし、それは結果論。ましてや組の先輩を殺した言い訳にはなりゃしねぇ」


 考えていることを見透かしたかのような痛烈な一言。俺はますます動揺する。


「分かってるんだぜ。お前さんは表じゃ中川会の使いとして振る舞っちゃいるが、心の底では過去を清算しきれてねぇ。組を抜けた埋め合わせをしたがってるんだよ」


 そんな政村は俺が一瞬だけ息を吞む表情を浮かべたのを認めると、ほら見たことかとばかりに言葉を続けてきた。


「お前さんのやってることは単なる自己満足だ。村雨耀介を裏切った罪の意識を忘れたいから中川恒元に尽くそうとしてるだけなんだよ」


「知ったような口を利くな」


「図星だろ。だから俺は誘ってんだよ。早いとこ中川会なんか捨てて村雨組に戻って来いって。その方が楽だぜ。ヤクザとしてのように悩まなくて済む」


 俺が悩んでいるとは。政村は一体、何を根拠にそんなことを抜かすのか――と思ったが、力強く否定できないのが悔しかった。まったくの図星だった。


 日本へ戻ってきてからの俺は苦悩続きだった。かつて自分の人生を奸計によって歪めた中川恒元に心を尽くして仕え続ける理由は何か。自分で自分が分からなくなっていたのだ。


 村雨への贖罪がしたかったのは事実である。6年前に酷い方法で組を出奔した旨を誠心誠意謝りたいと思っていた。だが、その後ろ暗さを打ち消すために中川会への忠勤を続けているわけでは決してない。恒元への奉仕は俺の意思だ。俺自身が選んだ、そして今もなお選び続けている答えだ。それを半ば一時の憂さ晴らしのように言われる筋合いは無い。


 次の瞬間、俺は銃を構える手に力を込めて言葉を返した。


「黙れ。テメェは何様のつもりで俺の人生を語ってんだ。何を言われようが、俺の過去に後ろ暗いところなんかありゃしねぇんだよ」


 銃口を額へ押し当てられたことで政村はほんの僅かに驚いた反応を見せたが、すぐに普段の表情に戻ると不遜に笑った。


「くくっ。じゃあ、お前は6年前に組を抜けたことは間違いじゃなかったと思ってるのか。恩を仇で返すようなやり方で組長と決別したことを」


「俺のやったことは確かに村雨耀介への裏切りだ。どんな誹りを受けようと言い訳するつもりはぇさ。村雨耀介のためを思えばこその選択だったんだ」


 だから微塵も悔やんでなどいない――強引に自分を納得させて言い切った俺は、銃口を突きつけたまま政村へ凄みながら詰め寄った。


「これ以上、文句があるってんなら頭をぶち抜くぞ。相手が誰であれ気に食わない奴には容赦しねぇのが俺の主義なんでな。テメェが組長のお気に入りだろうと知ったことか」


 その脅しを受けて政村は何を思ったか。奴は例によって怯まなかった。


「……ふんっ」


 単に鼻で笑うのみ。この男は百戦錬磨の極道だ。22歳になったばかりの若造に圧し掛けられる迫力など屁でもないと言わんばかりに平静さを保っている。


 この野郎、少し痛めつけてやろう。


「おい。テメェ」


 だが、そう思って拳を握り固めた時だった。


「……ははっ。ははっ。はははははははっ!」


 政村が突如として高笑いを始めたのは。


「っ!?」


 唖然とする俺を見てさらに抱腹絶倒。こんなに面白いことがあろうかと呆気に取られるほどに心の底から笑っている。


「舐めてんのか!」


 俺は怒り任せに銃で政村を殴った。威嚇のつもりで引き金もひいた。すると膝を付いた彼は俺を見上げながら、なおも嘲弄を顔いっぱいに浮かべるのだった。


「おかしいな。組織の操り人形でしかないお前が『相手が誰であれ気に食わない奴には容赦しねぇ』とは。滑稽すぎて腹が二つに裂けそうだぜ」


「んだと!?」


「まあ、何にせよお前の本心は分かった。村雨耀介公のことを何とも思ってねぇんだってな。語ってくれてありがとよ」


 口元から血を垂らしながらも人を食ったような態度を崩さない政村。ふざけているのか。やがて彼はゆっくりと立ち上がって続けた。


「とりあえず、銃は下ろした方が良いぜ。組長への裏切りを重ねたくなかったらなあ」


「は?」


「もう一度だけ言うぜ。早く銃を下ろせ。さもないと、お前は……」


 その時だった。


「下ろす必要はありませんよ。次長」


 酒井の声が響いた。聞こえてきた方向に視線を向けると、当人がゆっくりとこちらへ近づいていた。


「おおっ、酒井……そいつは!?」


 俺はきょとんとした。何せ、やって来た酒井は一人ではなかったからだ。彼はボコボコに痛めつけられたと思しき傷だらけの男に銃を突きつけていた。


「こいつ、遠くから次長のことをカメラで撮ろうとしてやがったんで。とりあえず捕まえておきました」


 その傷だらけの男は異様な格好をしていた。下はジーンズで上は黄緑色のコート。それでいて恐怖に顔を歪ませている。


「おい! てめぇは誰だ? どういうつもりで俺を撮ろうとした?」


「……っ!?」


 するとその瞬間、政村の顔に焦燥が浮かんだ。それは明らかな変容。何か「まずい」と言いたげに眉間に皺を寄せたのがはっきりと伺えた。


 なるほど。俺はすぐさま推理を導き出す。


「そうか。このガキはあんたの回し者かよ。政村さんよ」


「……」


「俺があんたに銃を向けてる瞬間を隠し撮りして写真に収めて、そいつを村雨組長に見せて俺を追放するつもりだったんだろ」


 そう。この男は最初から俺を監視していたのだ。政村の配下がフィルムに写していたのは、俺が政村に銃を向けている一部始終であるに違いない。そしてそれを村雨に渡して『麻木涼平に殺されそうになりました』とでも讒言すれば俺は組長の怒りを買う。


 だが、その企みは酒井によって阻止されたのだ。政村を尾行して来る途中でこの男と出くわし、捕縛したのだろう。俺は銃を構えたままで言った。



「あんたも詰めが甘いな」


「……何のことだかさっぱりだぜ。そんなガキ、俺は知らねぇぜ。中国マフィアのメンバーじゃねぇのか」


 そんな政村の言葉に真っ向から異を唱えたのは、他でも無い。カメラを持った男自身であった。


「く、組長! 話が違うじゃねぇですか! もしバレたらその時は守ってくださる約束だったでしょう!?」


「うるせぇ! 適当なこと言ってんじゃねぇぞゴラァ! 大体にしてお前は誰なんだよ!」


 政村が男へ掴みかかろうとするも、俺が銃口を突きつけて止めた。


「その辺にしとけや。この期に及んでみっともねぇ」


「……」


 間違いない。この表情は確実に図星。遠くから隠し撮りすることで政村は俺を嵌めようとしていたのだ。


 しかし、村雨組長は写真だけでは結論を下さない人物だ。他にも有力な物証が揃っていて初めて物事の優劣を決する慎重な人柄でもある。ゆえに政村はそんな組長に対して讒言を行うには、何かしら麻木涼平の叛意を裏付ける物的証拠を用意するはず――そう考えた俺は政村の背広の中をまさぐってみる。


「ん?」


 そんな中、懐から思わぬ機械が出てきた。


「……ICレコーダーか」


 数年前に発売された電子録音機。従来のカセットテープに比べてサイズが小さくて持ち運びしやすいことから世の中に広まりつつあった代物だ。


「なるほどな。道理でさっきの口調が台詞じみてたわけだ。俺の吐いた言葉を色々と編集して裏切りを仄めかす音源を作る腹積もりだったか」


「何を言ってやがる」


「認めねぇか。まあ、良い。何にせよこいつが組長に渡ればあんたはどうなるだろうな……」


 そんな脅し文句を受けてもなお、政村は不遜な態度を崩さない。むしろ開き直ったかのように鼻を鳴らす始末だ。


「ふんっ、どうにもならねぇよ。俺とお前の会話が録音されてるだけだ。加工する前の音源を渡したところでそいつは俺の企みを示唆する証拠にはならん」


「おいおい。それってまさに自分がやりましたって認めてるようなもんだろ。この期に及んで下手な誤魔化しはみっともねぇぜ」


「馬鹿野郎が。お前は例え話と事実の区別もつかねぇのかよ。そんな安っぽい脅しに俺が屈するわけねぇだろ」


 政村はなおも強気な面持ちのまま。さて。このICレコーダーを如何に使ってこの男に泡を吹かせてやるか――俺が頭を悩ませ始めた、ちょうどその時だった。


「っ!?」


 何かが近づいてくる気配を察した。そしてそれはやがて聴覚を伝って具現化する。無数のエンジン音が聞こえたかと思うと、埠頭の空き地に居た俺たちを数台のバンがあっという間に取り囲んだ。


 停まった車からぞろぞろと降りてきたのは、見るからにアウトローといった風貌をした男たち。


「……誰だ。てめぇらは」


 原田が問うと、男の一人が声を上げた。


「オ前ラコソ、ココデ何ヲシテイル。見タ所ヤクザノヨウダガ何処ノ組ダ。返答次第二ヨッテハ今スグ二切リ刻ンデヤルゾ」


 その奇妙なイントネーションからすぐに予想が付いたものだ。こいつらは中国人。彼らの話し言葉の至る所に大陸出身者の特徴が表れ出ている。


 うっかり騒ぎすぎたせいで露見したか。ここが中国マフィアの本拠地であるという噂は真実だったようだ。まあ、仕方あるまい。


「……お前らに聞きてぇことがある」


「質問シテイルノハ我々ダ!」


 次の瞬間、中国人たちは包丁を構えて一斉に飛び掛かって来た。


「くっ! 手強い奴らか!?」


 政村たちは驚き、戸惑いながらも攻撃を躱し、懐から短刀を抜いて応戦を始めた。こうなっては尋問は一時中断。俺たちも負けまいと奴らに向かって行った。


「オラァ!」


 俺はまず、先頭で突っ込んできた男に前蹴りを食らわせてやった。


「グハッ」


 男は吹っ飛んで地面に転がり、そのまま息絶えた。すかさず俺は勢いに任せて他の構成員に殴り掛かって顔を破壊し、蹴り飛ばし、銃で撃ち抜いていった。


「オラァ! 日本人を舐めんなゴラァ!」


 政村たちも鬼の形相で奮闘している。俺はちらりと酒井と原田の方を見やった。彼らは中国マフィアのメンバーと思しき男を素手で圧倒していた。その戦いぶりは実に堂に入っている。まさに殺し屋の顔。部下の成長は上司として嬉しい限りである。


 ただ、奴らの数が多すぎた。次から次へと湧いてくるかの如く俺たちに襲い掛かってくるのだ。俺たち3人はそれぞれ背中合わせになって互いの隙をカバーし合いつつ敵を薙ぎ払っていった。


「次長! こいつらは例の中国マフィアですかね!?」

 酒井が叫ぶ。俺は答えた。


「ああ! 俺たちが中川会だろうが村雨組だろうがお構いなしだ! 全員まとめて返り討ちにしねぇことには終わらねぇぜ!」


 その時だった。


「待テ。今、何ト言ッタ?」


 拳を交えていた男の内の一人が問いかけて来た。その瞬間に他の連中の挙動がぴたりと止まる。


「……ああ?」


「オ前タチハ何処ノ組ノ所属ダト言ッタ。松下組ノ使イデ来タワケジャナイノカ」


「俺は中川会の麻木だ。今は会長の命令で村雨組に協力している。松下組じゃなくて残念だったな、生憎俺たちはお前らから武器は買わねぇぞ」


「何ダト!?」


 こちらの返答に仰天し、互いに顔を見合わせる中国人たち。


「ソンナ馬鹿ナ。松下組ノ奴ラハ横浜二上陸スル予定ジャ無カッタノカ」


「俺タチトノ商談ガ決裂シタコト二気ヅイタノカモシレナイゾ」


「セッカク罠ヲ張ッテ待チ伏セシテイタノニ。全テ漏レテイタトイウノカ」


 俺は戸惑うばかり。すると、奴らの群れを掻き分けるように一人の男が出てきて中国語で叫ぶ。


「冷静(静かにしろ)!」


 その男はすらりとした長身の美丈夫。上等な中国服を着ていて、他の連中とは一線を画した風格を漂わせている。


「単刀直入に聞く。お前たちは松下組か?」


 先ほどまで聞こえていた片言とは打って変わっての流暢な日本語。少し戸惑いながら、俺は一言で答えた。


「違うな」

「そうか。それは失礼なことをしたな。詫びよう」

 男はそう言って頭を下げた。礼儀正しい男だ。俺も思わず会釈を返す。


「私の名はじょめいおう。横浜で貿易商をしている者なのだが、今日は部下を連れてちょっとしたいざこざを収めに来たんだ」


「貿易商だ?」


「ところが、その帰りに突如として銃声を聞いた。何かと思って見に来たらお前たちがいたというわけだ」


 なるほど。つまりは俺たちと鉢合わせになったということか。俺は言った。


「騒がせたようですまなかったな」


 ただ、納得したわけではない。この徐明鷹なる人物の肩書きだ。貿易商などと云うのはおそらく表向きの仮称で実際には中国マフィアの実力者だろう。


 まさかこんな形で出くわすとは思ってもいなかった。しかし、ここで会えたのも何かの縁。せっかくなので色々と情報を聞き出してみよう。


「えっと。徐さん、だったけ?」

「ああ」


 俺は直球で質問を投げた。


「さっきは松下組がどうこう言ってたが。あんたらは松下組と取引があるのか?」


 俺の問いに徐は顔をしかめた。


「どう答えれば良いのか返答に迷うが。『取引があった』と言えば分かってくれるだろうか。日本語でいう所の過去形だ」


「それはつまり松下組とは以前に取引をしていたけど仲がこじれて今じゃ付き合いが無いってことか?」


「そういうことだな」


 随分と回りくどい言い方をしてくれるものだ。この男ほどネイティブな発音ができるなら、もっと簡潔に述べられただろうに。それをしないのは聞き手を混乱させるための一種の作戦かもしれない。


 この徐明鷹なる男、なかなか計算高い。とりあえずは質問を続行しよう。


「あんたらは俺たちを松下組だと勘違いして襲って来たみてぇだな。奴らとの間に何があったか、良かったら教えてくれるか?」


「ざっくり言えば契約の不履行だ。重慶にある我々の本社が松下組にとある物品を売る契約を交わしたのだが、奴らは期限を過ぎてもカネを支払わなかった。それで日本支社長の私が本社から対処を任されたという次第でね」


「なるほど……」


 彼らが松下組に送った物品が何なのかは、ここでは触れないことにする。何であれ確かめるべき事柄が他に存在するからだ。


「松下組が横浜に来るって話は本当なのか?」


 その問いに徐は大きく頷いた。


「ああ。奴らは村雨組と戦争中でな。名古屋から船をチャーターして海路で横浜へ直接上陸、村雨を叩くという話だった」


 ところが罠を張っていたものの松下組は現れず、代わりに現れたのは俺たち。それで俺たちを松下の人間だと勘違いして襲いかかって来たというわけだ。


「私たちは松下組の連中に支払いをどうするのか問い質すつもりでいた。そのためにわざわざ3日前から監視の網を張っていたのだがな」


 外れくじを引いたと言いたげな様子で徐は悔しそうに歯噛みをする。そんな彼に俺は言った。


「つまりあんたらは松下組のバカどもをとっ捕まえて未払いの代金を払わせられりゃ、それで良いってことか?」


「ああ。そういうことになるな。少なくとも我らは松下組の溝端という幹部に対して日本円で億を超える額の債権を持っているのだから」


「億単位って、こらまた随分と多いな」


「焦げ付いたとなれば商会始まって以来の一大事。必ずや回収せねばならない。くれぐれも邪魔をしてくれるなよ」


「別に邪魔なんかしねぇよ……」


 松下組の溝端を探しているという徐たち中国人。奴の殺害もしくは生け捕りを狙う村雨組にとっては大きな障壁となることは間違いない。


 村雨の人間としてはまさにライバル登場といったところか。そう思ってふと政村の方を見やると、彼の姿は何処にも無かった。


 どうやら先ほどの乱戦の混沌に乗じて部下共々逃げ去った模様。まったく抜かりの無い男だ。尤も例のレコーダーは奪ってあるので問題ないのだが。


「……あんたらも難儀なもんだな」


 そう呟くと徐は怒りに満ちた声で言った。


「ああ。まったくだ。溝端という男は煌王会若頭の甥だからと図に乗っているんだ。何かヘマをしでかしても周囲の人間が片付けてくれると思っているのだろうな。あの小生意気な若造、今度会ったら滅多打ちにしてやる!」


 何処から取り出したのか、徐は巨大な柳葉刀を手にしていた。その刃は鈍く光っている。


「清停下来。徐大人。(お止めください。徐様)」


 部下が慌てて止めに入るのだが、彼は聞く耳を持たずに続ける。


「他鄙視我們是“劣等種族”! 我們比日本人好幾百倍!(奴は我々を『下等民族』と蔑んでいる! 我々は日本人なんぞより数百倍も優れているというのに!)」


 徐は怒りに任せて柳葉刀を振り回す。空気が切り裂かれる度に風圧が襲い来る。この刃で斬られようものなら堪ったものではないなと思いつつ、俺はあることに気付いた。


 今、溝端が伊豆に居ることを徐は知らないのか……? だとすると、何故にこの男は溝端が横浜に上陸すると思っているのか? いや、そもそも松下組が横浜を直接攻撃するとの情報を何処のソースから入手したのか?


 分からないことが多すぎる。兎にも角にも知っている話を聞き出さねば。探りを入れるつもりで、俺は軽く会話を振ってみた。


「物を買っておいてカネを払わねぇのは卑怯だよな。その溝端って野郎、会ったことはぇがどういう人となりか大体わかるぜ」


「ほお、どんな男だ?」


「人を見下すタイプだな。自分よりも立場の弱い人間に対して威張り散らすのが得意な野郎だ。それでいて上の者にはへりくだる」


 その言葉を聞いて徐はニヤリと笑った。どうやら俺の予想は当たったらしい。


「よく分かっているな。奴はそういう男だよ」


 少し満足したような声色で柳葉刀を鞘に戻した徐。思ったよりも反応の感触が良い。俺は続けて会話を振った。


「今の時点で横浜に来ねぇとなると、奴は何処へ向かったんだろう?」


「本社からの情報では松下組の兵隊を大きく二手に分けて村雨を攻めるらしい。東海道を伊豆経由で東上する勢力と、名古屋港から海路で横浜へ向かう勢力。そのどちらかに溝端が居ると我々は見ている」


「なるほどな……」


 徐は続ける。


「しかし、あの男は叔父の橘威吉に認められようと功を焦っているからな。村雨を伊豆の沼津か三島あたりに誘き出して討ち取る腹積もりかもしれん」


「だったら陸路で攻め寄せてくる軍勢の中に居るんじゃねぇか?」


「そうとも言い切れないのだ。村雨がこのまま横浜から動かないとなると短期決着を見込んで海路を選ぶはず。溝端は派手な作戦を好む男だからな」


 確かに海から船で敵陣に上陸して大きな戦果を挙げたとなれば武名が天下に轟く。その作戦に溝端が乗っかる線は十分に考えられるだろう。


「伊豆の旧斯波一家系親分衆を調略しながら東上するより格好は付くわな……でも、いざ横浜を海路で攻め落としたところで村雨組が出払っててもぬけの殻なら無意味じゃねぇか?」


「それはそうだな。先日の虎崩れの変では屋敷を敵方にわざと奪わせて油断を誘ったというからな。裏社会の喧嘩において、相手の拠点を落とすという行為は必ずしも意味があるわけではないのだ」


「だよな」


 そうと分かっていて何故に溝端は海路で横浜に向かってくるのか。伊豆へ総出撃した村雨組を陸路勢と東西から挟み撃ちする計略なのではとも思えたが、それなら上陸地点を伊豆の港にすれば良いのであってわざわざ横浜を狙う必要はないだろう。


「……」


 さて。溝端の不可思議な采配の理由は一体どういうわけか。暫し思案に耽った俺は、ひとつの推論を導き出した。


 もしかして、溝端は村雨組が伊豆へ行った事実を知らないのではないか?


 その仮定で考えれば何かと辻褄が合う。溝端は村雨耀介が未だ横浜に留まっているものと考えており、海路から直接上陸して大軍勢で奇襲を仕掛ければ一瞬で勝負が付くと踏んでいるのだ。


 なお、話をする限りでは村雨の伊豆遠征については徐も知らない模様。彼もまた溝端と同様の推測を立てている。結果として出し抜く形になってしまうことを申し訳なく思いつつ、俺は推理の核心部分を隠したまま話を続けた。


「……村雨組は伊豆にあった斯波一家って組の旧幹部たちを傘下に入れてる。でも、その親分衆は前々から村雨への忠誠心が低いらしくてな」


「ああ。有名な話だよな。だから溝端も陸路勢を伊豆へ立ち寄らせて地元親分衆の取り込みを図るようだ」


「その破壊工作を溝端自らが行う線は考えられねぇだろうか? 『調略は大将が御自ら行う』ってのが橘威吉の教えだと聞くぜ?」



「うん。私もそれは考えなくもなかった。けれども村雨が横浜に居る以上は海路での上陸作戦を優先した方が多大な戦果を挙げられよう」


「なるほどな……」


 やはり、徐は村雨が横浜に留まっていると考えている模様。しかし、事実として溝端は今のところ静岡に布陣している。徐の推理が当たっていると仮定するならば、浜松で捕捉されたという溝端は容姿を似せた影武者ということになるのか?


 おっと。いけない。考えていることがうっかり口から出そうになってしまったので、俺は慌てて我に返る。

「ところで麻木とやら」


 あたふたしていると徐は改まった口調で俺に尋ねてくる。


「何だ?」


「お前は先ほど『自分は村雨組の人間ではない』と言ったが、それならどうして村雨に協力している?」


「ちょうど横浜を観光している時に松下組の連中に襲われてな。成り行きで村雨に加勢することになったんだよ」


「そういう建前か。面白い口実を考えたものだな。巻き込まれたていを装えば会長側近に火の粉がかかったということで中川会としても本格的に武力介入する道理が立つ」


「何のことだかさっぱりだぜ」


 徐とて裏社会の人間。組織外交が絡んだ複雑な事情は何となく分かるのだろう。無論、こちらから建前を崩して本音をぶちまけるわけにはいかないので俺は軽く笑って受け流すだけに留めておいた。


「中川会が着くとなると情勢は一気に村雨優位に傾こう。橘威吉は頭の切れる男。中川が本腰を入れて出てくることは既に見越して戦略を立てているだろう」


「偶然とはいえ中川の会長側近が村雨サイドに居る限り、あちらさんも手が出しづらいと踏んでいたが。そいつはお見通しってことか?」


「ああ。橘は中川恒元を侮ってはいない」


 徐は険しい顔をして頷いた。その横顔はまさしく策略家の表情だ。これまで数々の戦を経験してきたのだろう、自信のほどが窺えた。


「橘としては中川会の本格介入を警戒して短期決着を狙うはず。甥に横浜上陸を命じるのは必然。我々との取引を打ち切ったのも、おそらくそれが原因だろう」


「取引を打ち切った?」


「ああ。我らの提示した納期が気に食わなかったようでな。奴らは『もっと短期間で品物を用意する相手に乗り換える』と言って来た……」


 徐は大きく息を吸うと、苦々しい面持ちで言った。


「……よりにもよって、奴らが乗り換えた相手はヒョンムルだ」


「なっ!?」


 在日韓国人にて構成された犯罪組織、ヒョンムル。よもやここでその名を聞くことになろうとは。およそ6年ぶりだろうか。


 徐によれば松下組はヒョンムルから村雨との戦争で用いる特殊兵器を大量購入する手筈になっているのだとか。それは本来徐たち中国人が専門的に扱っていた品物。客を奪われた上に代金を踏み倒されそうになっている現状に徐は腹を立てていた。


「赤外線追尾能力を備えた対戦車用携行ロケットランチャー。通称『紅蜂』。1発で重戦車を軽く吹き飛ばせる代物だ」


 それは赤外線を感知して標的を自動追尾するミサイルのことらしい。その桁違いの殺傷力の高さから中国では軍の正式装備になっているとのこと。


「おいおい! 松下組はそんな物騒なモンを村雨相手に使おうってのか!?」


「ああ。奴らにとっては村雨を滅ぼして戦争に勝てさえすれば良いのだ。街を火の海にしようと、警察当局に睨まれようと奴らには関係ない話だろう」


 驚いた。しかも松下組は徐の商会からロケットランチャーを本国経由で受け取っているというではないか。横浜に上陸して村雨組相手に使った後、ヒョンムルから購入した分を用いて神奈川中で村雨の残党狩りを行う腹積もりだろうと徐は踏んでいた。


「ば、馬鹿な……」


「まったく馬鹿げた奴らだ。自らの利益のために街を焼き一般市民を巻き添えにするなど言語道断。おまけに松下組はこの私に恥をかかせた。野放しにしておいては男の名が廃る。絶対に許さんぞ」


 必ずや自らの手で松下組を討ってやると息巻く徐。港で待ち構え、連中が上陸したところを奇襲して徹底的に痛めつけるという。松下組のために用意した携行ミサイル15門の代金を取り立てた後は全員を海に沈めるつもりだとも彼は語ってのけた。


「溝端は武功に逸って必ず横浜に上陸するだろう。その瞬間が総攻撃の合図だ。私を舐めたツケを払わせてやる」


 そう言って徐は部下を連れて去って行った。俺の前で柳葉刀を振り回したのは釘を刺す意味もあったのだろう。『溝端は私の獲物だから手を出すなよ』と。


 徐明鷹。見るからに強そうな男だった。同族かどうかが分からないが、6年前に刃を交わした中国マフィアの張覇龍とはまた違った雰囲気を感じる。


「……」


 徐たちが去った後、俺は港の埠頭で佇んでいた。彼の話を聞いて色々と思うところがあったからだ。溝端が海路で横浜に迫って来ているという徐の話は、昨日の時点で溝端が静岡県に居るという村雨組の情報と矛盾する。


 しかし、一概に誤情報と片付けられない。仮に奴らが重火力のロケットランチャーを携行しているとすれば、みすみす横浜への上陸を許してしまうのはあまりに危険すぎるからだ。俺たちを欺こうと与太話をかました線とて考えられるも、俺としては徐の話を聞き過ごすことができなかった。


 渋い顔をしていた所為か。酒井と原田が不安そうな面持ちで声をかけてきた。


「次長?」


「兄貴?」


 そんな彼らに向き直り、俺は微笑んで見せる。


「おう」


 さて。どうするか。本隊が伊豆に遠征していて横浜の守りが手薄な村雨組にとって、溝端の上陸作戦は何としても防がねばならない問題だ。


 海から来る松下組には中国マフィアという抑えがあろう。しかし、彼らは村雨組の味方ではない。ゆえに徐たちの戦力を頼みにするのは色々とまずい。


 とはいえ、伊豆に出かけた村雨組長を呼び戻すわけにもいかない。ここは俺たちが一肌脱ぐしかなさそうだな……と考えながら口を開いた。


「海からやって来る松下組を迎え撃つ。そして俺たちの手で連中をぶちのめすんだ。徐よりも先にな」


 俺の唐突な言葉に酒井と原田は呆気に取られた。


「なっ!?」


「兄貴、本気ですかい?」


 それでも俺は淡々と付け加える。


「ああ。溝端が陸と海のどっちに居るかは重要じゃねぇ。『敵の大群が海から迫っている』という事実が問題なんだ」


 きょとんとしてしまう2人。まあ無理もないだろう。いきなりこんな大それたことを言われたのだから混乱するのは必定だ。


「た、確かに……さっきの中国人が言ったことは必ずしも嘘とは言い切れませんからね。僅かでも信憑性がある以上は警戒するべきです」


「ええ。中国人のデマカセなら良いですが、もし本当に上陸されたらヤバいっスよ。中国人に騙されたと笑って終われるならそれに越したことはぇでしょう」


 一応は分かってくれたようだ。されども問題は迎え撃つ方法だ。少なく見積もって100は数えるであろう敵勢に対して3人だけでは流石に無理がある。


「総本部に連絡を入れて増援を仰ぐ。山手の政村はアテにならねぇし、中国人を頼るなんざもってのほかだぜ。後々が面倒なんでな」


 ため息をついた後、俺は過去の記憶に浸りながら続ける。


「あの徐明鷹とかいう男、俺が思うに奴は狗魔だ。どれほどの地位にあるかは分からんが『日本支社長』と名乗るくらいだから相当のお偉いさんだろう」


「なっ! マジっすか!?」


「ああ。狗魔は6年前に当時の日本支部総督が殺されて瞬く間に勢力が衰退、中華街を村雨組に奪われた。そこから今に至るまで何があったかは知らないがな」


「なるほど。だから奴らはこの港界隈を拠点に……」

「そうだ。もし仮に徐が狗魔の一員だったとして、奴の功績で松下組を退けたとなればどうなるか。村雨組長は中国人どもに借りを作ったことになる」


「も、もしそうなったら!?」


「奴らは見返りに中華街の返還を要求するだろう。そうなれば中国人のみならず他の海外マフィアも勢いづく。村雨一強だった横浜の情勢が大きく変わる」


 事の重大さを悟ったようで原田は何度も頷いていた。かつて俺は村雨組の協力者として狗魔と熾烈な戦いを繰り広げた。ゆえに奴らの強さは身に染みて分かっているつもりだ。


「でも、次長。その徐明鷹って野郎が言うには松下組は韓国人と手を結んでるんでしたよね。だとすると厄介な話ですぜ」


 会長に頼んで直参組織をひとつ増援に寄越してもらった方が良いのではないかと具申する酒井。彼の提言は実に的を得ている。


「確かにな。だが、連中が手を取り合っているとは限らないぜ」


「えっ? それはどういう?」


「松下組は中国人への支払いを拒んだ。韓国人相手にも同じ真似をするかもしれねぇ。カネを用意せず物品だけを掠め取るんだ」


 先ほどの徐の話を俺は不可思議に思っていた。というのも、韓国マフィアは日本人を徹底して嫌っているのだ。利益のためとはいえ不倶戴天の敵であろうはずのヤクザと手を組むだろうか。6年前に俺が刃を交えた連中ならば有り得ない気がしていた。その辺は松下組が韓国人に見せかけた代理の者を通すなり色々と偽装工作をはかったのだろうが。何ともいえない。


「まあ、会長にかけ合ってみるさ」


 俺は携帯を取り出して電話をかける。恒元の個人番号だ。ちょうど定時報告の時間でもあったから今までの流れを伝えておこう。


『もしもし?』


「ご苦労様です。会長。麻木です」


『どうしたというのだね?』


 かいつまんで経緯を説明すると、電話の向こうの恒元は『ふむ』と言って考え込んだ。


「会長。ここはひとつ増援を寄越してはいただけませんか?」


『昨日であれば叶ったのだがな。今日となっては難しい相談だな……』


 こちらはいきなり申し出ているのだ。断られるのは予想できた反応である。しかし、恒元が続けて言ったのは驚くべき話だった。


『……実は今、椋鳥が不穏な気配を漂わせていてな。もしかすると不埒なことを企んでおるやもしれん。横浜に割ける戦力は無いのだ』


「なっ!?」


 俺は思わず大声を上げてしまった。このタイミングで椋鳥一家が謀反の構えを見せているとは。恒元としては総本部防衛のために全ての直参組織に召集をかけているところであり、横浜に兵を出せる状況ではないのだそう。


「しかし、何でまた椋鳥は今この時に」


『我輩が思うに、越坂部は総本部を取り囲み、眞行路の後継者に輝虎を据えるよう圧力をかける腹積もりであろう。室町時代で云うところの“御所巻き”だ』


 聞けば椋鳥一家が突如として本拠地の群馬に全兵力を終結させているとのこと。『本当ならばお前にも今すぐ戻ってきて貰いたいとことだ』と恒元は語った。よもや椋鳥一家の越坂部総長は松下組に呼応したのではあるまいか……俺はきな臭さを拭うことができなかった。


『何にせよ今は一人でも多くの兵が欲しいのでな。すまないが酒井と原田だけで対処してくれ。兵は出せんが武器は送ってやるぞ』


 礼を言って通話を切ると、俺は部下たちに向き直る。


「増援は出せねぇってよ。そうと決まれば俺たちだけで何とかするしかねぇ。喧嘩は数じゃねぇってことを関西人どもに教えてやろうぜ」


「うっす。まあ、やるだけやってみますわ」


 原田は気負いなく答えた。酒井も頷いて同意を示す。


「武器は送ってくれるそうだ。よし! さっそく取りに行くか!」


 東京で起きているゴタゴタも気になるが、今は横浜に迫る危機に対処せねば。俺は部下と共に恒元から示された地点へと向かう。


 中心部を少し外れた市内某所の手狭な路地裏。そこに行くと才原が周囲の様子を窺いながら佇んでいた。近くに停まっている車を指して局長は言う。


「あのバンに武器弾薬を満載してある。車ごと持って行け」


「感謝するぜ」


「俺はお前たちが乗って来た車を東京へ持って帰る。越坂部が本当に武力蜂起を企てているとしたら、一台でも多く防弾仕様の車が欲しいからな」


 なるほど。それは裏を返せば俺たちがこれから乗ろうとしている車に防弾加工が施されていないことを意味するが、東京が不穏な時に道具の支援をしてもらっただけでも恐縮するべきだろう。俺が「会長によろしくな」と言うと才原は無表情で反応を寄越すのだった。


「会長は乗り気であられたが、俺からすれば度が過ぎているように見えるぞ。村雨組に肩入れしすぎてはいないか? お前がやろうとしていることは必ずや中川会に旨味をもたらすのだろうな?」


 不意に思わぬ問いを投げられて心が竦んだ。微塵も考えていなかったこと。大きく揺さぶられそうになる自分自身を平静に保ち、俺は淡々と答えた。


「ああ。その通りだ。こちとら何時いつ、いかなるときも組織の利益を最大限に見込んでいるつもりだぜ」


「そうか。ならば良い」


 才原はそれだけを言って車に乗車して東京へと走り去って行った。さて、俺たちも行動開始といくか……俺は部下と共に車に乗り込むとエンジンをかける。


「うわあ。すげぇな。トカレフ、ベレッタにS&Wからデザートイーグルまでありますぜ」


「こっちにあるのはAK47です。手榴弾に催涙ガス、閃光弾まであります。流石は会長、カネはふんだんに使えるってことっすねぇ」


 乗車してさっそく車内を物色している酒井と原田が感嘆の声を上げた。


「まあな」


 豊富な武器の数に俺も思わず笑みがこぼれる。これで心置きなく戦えるというもの……と思いつつ、俺には少し気になる点があった。


「なあ、砲術系はあるか? バズーカとかロケットランチャーとか」


「見たところ無いっすねぇ」


「そうか」


 敵方は携行ミサイルで武装しているという話だった。それに対してこちらも相応の道具があれば尚良かったのだが。やむなしか。


「まあ、あるやつで何とかするか」


「ですね」


 こうして俺たち3人は武器弾薬を満載したバンに乗り込み、横浜へと戻っていった。


 ただ、問題は車の行き先。松下組何処から上陸するか定かではない以上、俺としても対応に困る。ましてや中国人たちを出し抜かねばならないとなると、尚更に困難を極める。


「さて、どうすっか」


 俺は運転席でハンドルを握りながら思案に耽った。海沿いから一旦外れて国道1号線から横浜新道に入った時、原田がおずおずと口を開く。


「あのぅ。兄貴。さっきの中国人は扇町全体に警戒の網を張ってるみたいでしたけど、松下組は必ずそこに上陸するってわけじゃないっすよね?」


「まあ、そうだな。たまたま中華街を追われたマフィアどもがあそこら辺を陣取ってるってだけだ。大きな船が入れる他の港を軒並み村雨組が仕切ってるのもあるが」


 松下組にとって村雨にぶつからずに入れる港は消去法で扇町に限られる。だが、その扇町には中国人が待機しているので俺たちが入り込む隙が無い。


「どうにか中国人どもを出し抜いて松下組をぶっ潰せる場所はぇかなあ……」


 渋い顔で呟く原田に酒井が言った。


「そんな都合の良い場所に松下組が上陸してくれるわけがないだろ。他所の港を全て避けた結果、扇町が最適ってことになるんだ。連中は村雨組が横浜に留まって港ごとに兵を配置してるものと考えてるんだから」


「じゃあ、どうすんだよ?」


 原田の問いに酒井は「うーん」と唸った。


「とにかく先ずは松下組の上陸地点に当たりを付けねぇことには。次長はどう思います?」


 そう問われた俺はハンドルを握ったまま答える。


「……もしかすると上陸地点は横浜じゃないかもしれねぇぞ」


 その言葉に2人は顔を見合わせた。


「えっ?」


「横浜じゃない?」


 先月の戦争で村雨組が使った船は豪華客船を改造したもの。あれくらいの輸送船を松下組が使っていると仮定すれば、大型船の船速が28ノット程だから名古屋港から神奈川近海までは1日と数時間だと見積もるべきか。その計算が正しいなら松下組は既に横浜上陸を果たしていてもおかしくはない。


 ところが今の時点で村雨領に大軍勢が上陸したという報告は入っていない。ゆえに松下組の侵略部隊は未だ海の上に居ると考えるべきだろう。さっさと上陸せず様子見に耽るだけの理由があるかはさておいて。


「松下組が『横浜の港に上陸する』って前提条件で考えれば扇町に絞られる。だが、その前提を取っ払えばどうだ。神奈川の港は横浜以外にもあるぜ」


「確かに。一部の例外を除いて神奈川は殆ど全域が村雨のシマですからね。横浜以外の港に入ったって良いはずですよね」


「そうだよな」


 視点を神奈川県全域に広げると、複数の候補が挙がってくる。その中でも俺が有力だと思ったのは横須賀港でもなければ浦賀港でもない。


「川崎だ。あの街の港がどうにも怪しい。あそこなら扇町よりもカモフラージュしやすいし、何より湾が広くて船の出し入れがしやすい」


「川崎港ですか?」


 原田がきょとんとした顔をする。酒井もピンと来ていない様子である。俺は彼らに頷いて返事を投げた。


「ああ。そもそも川崎にはヒョンムルが居る。村雨組を叩き潰す前に武器の補給を行いたいとなれば溝端は最初に韓国人どもと接触するはずだ」


 元よりヒョンムルは川崎で暮らす在日韓国人たちを守るために結成された秘密結社。6年前の戦争で多くの被害を出したが、基本的理念さえ変わっていなければ彼らは今も川崎を拠点としていることだろう。当然ながら武器の取引なども川崎で行うと考えられる。


「とりあえず川崎へ行ってみよう。下手すりゃ松下組はとっくにおかに上がってるかもしれねぇぜ。あの街も三浦半島と並んで神奈川県内において村雨の支配が及ばねぇ例外区域だから、上陸の情報が入って来なくても不思議じゃない」


 俺の言葉に酒井と原田は顔を見合わせ賛意を示した。


「ああ! 確かに!」


「言われてみれば!」


 そうと決まればさっそく直行しよう。松下組の勢力が上陸前であることを祈りながら、俺たちは川崎へと進路を変えたのであった。


 30分後、俺たちを乗せたバンは目的地である川崎港に到着した。


「……着いたな」


「横浜とはまた違った感じっすね。あそこが貿易港ならこっちは工業港っていうか。周りが煙突ばかりだからそう見えるのかもしれませんが」


「まあ、工業港なのは確かだ。京浜工業地帯は川崎で成り立ってるようなもんさ。ここまで湾内がタンカーであふれ返ってると船を隠すにはうってつけだろう」


 車を降りると潮の香りが鼻腔に滑り込む。俺にとっては久々に帰って来た故郷。そんな懐かしさに浸り、俺は部下と共に埠頭ふとうへと向かった。


「兄貴! あれ!」


 2人の指差した先へ視線をやると、そこには1隻の船が停泊していた。その船を見て酒井が思わず声を上げる。


「うわっ。ありゃあ、どう考えても客船っすね。こんなむさくるしい港に入るんだからカモフラージュのために少しは改造したって良さそうなのに」


 本来ならば青海あたりの埠頭に居てもおかしくはなさそうな豪華客船。それが輸送船やタンカーの並ぶ中で堂々と停泊している様は異様な光景であった。


「おそらくはあれに乗って来たんだろうな」


「ってことは、奴らはもう上陸しちまったってことですか!?」


 落ち着かぬ様子であたりを窺う酒井と原田。そんな中で俺は改めて船の全貌を見据える。船体に彫られた船名を読んだ瞬間に思わず頬が緩んだ。


「ほう。『サン・ファン・バウティスタ号』か。良い名前だな」


 それはかつてスペインが誇る無敵艦隊と恐れられた軍船の名前である。それをこの船につけるとは……俺が思うに客船時代のネーミングではない。船舶会社から買い取った後にそういう命名を行ったのだ。何とまあ滑稽なセンスであろうか。俺はあの船の持ち主が裏社会の人間であるとすぐに勘付いた。


「あれはおそらく松下組の船だ。名古屋の熱田あたりから乗って来たんだろうぜ。けど、まずは辺りの状況を観察してみようじゃねぇか」


「ええ。それが良いっすね、兄貴」


「ド派手にカチコミかました後で『実は一般人の船でした』なんてオチは御免だからな。そうなったら中川の代紋に傷が付く。ははっ」


 軽く冗談を言った後で俺たちは偵察行動に入る。埠頭ふとうを歩きながら船の周りを遠くから眺めていると、停泊している船から1人の男が出て来た。


「あっ! あれってまさか!?」


 溝端辰也。煌王会松下組幹部にして、橘威吉の甥だ。もはや語るに及ばぬ今回の作戦におけるターゲットその人である。


「おいおい……さっそくビンゴかよ……」


 酒井に続いて原田までもが唸る中、俺は驚愕と興奮を堪えて冷静に事態を注視していた。俺たちが身を隠すコンテナの影から数十メートル先に佇む男は、昨夜の軍議で容貌を確認した男と一致している。他人の空似という線も有り得るが、周囲を囲む護衛の姿を見る限りは完全に本人だ。


 しかし、どうしてここにいるのか? 溝端は伊豆の地元親分衆の調略を行うために静岡に滞在中ではなかったのか? 村雨組の情報部隊および芹沢組による連絡では確かにそう言っていたはず……?


 そう俺が眉間に皺を寄せていると、スカウトスコープ越しに溝端の様子を窺っていた酒井が呟いた。


「あいつ、携帯電話で誰かと話してますぜ?」


 確かにそうだ。携帯を片手に何やら話している。その表情は非常に明るい。上機嫌であることが容易に分かる顔つきであった。


「何て言ってるんだ?」


 原田が食い入るように見つめる。そんな部下たちに俺は憶測を述べた。


「たぶん『万事上手くいってます』ってのを叔父に報告してるんだろうぜ」


 すると船に掛けられたタラップをスーツ姿の男が上ってゆく。そいつの手には茶色い紙袋が握られている。その模様が視界に入るや否や、俺たちはため息をこぼした。


「……」


 どうやら既に川崎市内には松下組の兵隊が上陸を果たしてしまった模様。しかも、その数は数百人に上るという。


「兄貴……」


 原田が不安げな声で俺を呼んだ。俺は静かに頷く。松下組の組員と思しき人物が買い物をしているあたり、おそらく上陸してから数時間は経っている。


「……どうやら俺たちは少し遅かったようだな」


「ええ……でも、どうして溝端がこの港に居るんでしょうか。野郎は伊豆に行ってるんじゃなかったんですか」


 酒井も苦虫を嚙み潰したような顔で呟く。2人の気持ちは痛いほど分かる。だが、ここで挫けている場合ではない。


「お前ら。カチコミだ。これから船に乗り込んで溝端を討ち取って、松下組のアホどもを叩き潰すんだ」


「はい!」


「うっす!」


 2人の返事を合図に俺たちは踵を返す。車に戻って重火器を準備せねばならない。ところが、その時。


「次長!」


 酒井が俺を呼び止めた。何事かと思って振り返ると、彼は船を指差している。


「あいつら、さっきから誰かを待ってる雰囲気じゃないっすか?」


 言われてみれば確かにそのように見える。甲板に立った溝端たちが、しきりに辺りを見回すような仕草を見せている。


「誰かを待ってる? 一体誰を?」


 そう俺が呟いた時、エンジン音が聞こえた。一台のバンがこちらへ走ってくるのが分かった。程なくして車の姿が視界に捉えられると、運転していた人物の顔を見て俺は息を呑む。


「あっ!?」


 ガスマスクを着けた男。車内に乗る他の連中も皆同様に覆面で顔を隠している模様。俺はその姿に覚えがあった。


「そうか! あいつら、ヒョンムルだ! 溝端は奴らとの合流を待っていたんだ!」


 そう考えると松下組は武器の取引を行う前だったというわけか。ちょうど良い。俺はコンテナの影から車の前に躍り出て進路を塞ぐように立ちはだかった。

 すると急ブレーキで車が止まる。


「이봐 거기서 나가(おい! そこをどけ!)」


 韓国語で怒鳴り散らす男。予想通りだ。俺は即座に車に向かって駆け出すと、ボンネットに思いっきり拳を叩き込んだ。


「와우(うわっ!?)」


 男は驚いてハンドルから手を離す。その隙に俺は運転席側へと回り込み、ドアを蹴り開けた。そして座席に乗っていたガスマスク男の首根っこを掴むとそのまま車外に放り出したのである。


「농담하지 마세요(うわあああっ!!)」


 アスファルトの上を転がる男を他所よそに、俺は助手席と後部席にいた3人のガスマスク男も次々と外に放り投げる。彼らはそれぞれ受け身を取ってすぐに立ち上がると、懐から拳銃やナイフを取り出した。


「이제 자네만 마지되겠어(誰だか知らんがぶっ殺してやる!)」


 そう叫んで殺意を露にする男たち。俺は彼らが引き金を引くより前に駆け出すと一瞬で距離を詰め、それぞれ拳や手刀をお見舞いして全員を地面に倒したのだった。


「いやあ、凄いっすよ!」


「流石は兄貴! 毎度のこと強すぎて驚きますぜ!」


 べた褒めする部下たちに軽く「大したことねぇさ」と応じると、俺はヒョンムルの男らが乗っていた車を物色する。


「……あった。いや、でもこれは違うな」


 車に積んであったのは中国軍の携行ミサイル『紅蜂』ではない。旧ソ連が正式採用していたことで知られるロケットランチャーだった。


「これじゃあ単なるロケランじゃないっすか」


「まあ、たぶん韓国人どもはこいつで松下組の船を撃つ気だったんだろうな。『日本人と取引する気は無い』って意思の表れかもしれん」


「そ、それってどういう……?」


「ヒョンムルは見抜いてたんだよ。今回の相手が日本のヤクザということを。溝端がどこまで杜撰に隠したのかは知らんが、奴らには正体を看破されていたらしい」


 そんな裏事情はさておき、砲術系の道具が欲しかったところだからちょうど良かった。俺は車内にあったRPG-7を手に取るとイヤーパッドを耳に着け、オリーブ色の箱の中に収められていた弾を銃身に装填する。


 どっしりと重い大砲の感触。傭兵時代を思い出すな。せっかくのロケットランチャーを前にして撃たないという選択は無い。


「くくっ、溝端の奴。まったくもって気付いてねぇみたいだな。取引相手が来るのを気楽に待ち構えていやがるぜ」


 相手方の様子を確認した後、俺は部下たちに言った。


「お前ら。口を開けて耳を塞いでおけ。鼓膜が破れるぞ」


 酒井と原田はニヤリと笑いながら俺の言う通りに耳を塞ぐ。俺はそんな部下たちを背中にすると、銃口を船に向けてロケットランチャーを構える。


「これで木っ端微塵だ。吹き飛べぇぇぇ!!!」


 引き金をひく。


 すると次の瞬間、凄まじい爆音が轟き渡り、それと同時に辺り一帯に爆風が広がる。耳を塞いでいてもなお強烈な音だ。爆発地点から少し離れた俺たちでさえ頭がクラクラするのだから、まともに喰らった溝端たちはひとたまりもないはずだろう。


 勿論、弾は命中。船は爆発、大炎上していた。


「うわあああっ!」


「な、何だああああっ!」


「うぎゃああああ!」


 甲板から飛び降りる者、あたふたしてパニックに陥る者。反応は様々だが皆一様に慌てふためく様子は共通していた。そんな中で俺は耳当てを外し、部下たちに叫ぶ。


「行くぞ! 皆殺しだ!!」


 俺の檄が合図となり、酒井と原田が雄叫びを上げながら船内へと突撃する。奴らを1人残らず殺すべく、俺は彼らの先頭に立って走った。


「て、敵襲……」


 ――グシャッ。


 出くわした組員が叫ぶ間も無く、俺は短刀でそいつの喉を突き刺す。すると男は口から血を吐いてその場に倒れたのだった。


「……わ、若様、お逃げください……」


 その男の云う若様わかさまというのはおそらくは溝端のことだろう。どうやら奴は相当に部下から慕われているようだ。


 すると煙の中から敵兵が姿を現した。


「こ、この野郎!」


「爆発はてめぇの仕業か!?」


「村雨組の回し者だな! やってくれるじゃねぇか!」


 彼らは俺たちを取り囲み、刀を抜いて一斉に飛び掛かって来る。だが、何人で来ようと俺には関係の無いこと。


「ぐわああっ!!」


 俺は奴らの繰り出す刃をかわし、ほんの一瞬で全員を返り討ちにした。そうこうしているうちに酒井と原田も合流し、次々と敵兵を倒していく。


「な、何だこいつら!?」


「か、囲め! 取り囲んで一斉に飛び掛かれ!」


 敵は大混乱に陥る。溝端が乗っている船ということもあって手練れの組員を揃えていたのだろうが、分はこちらにある。俺たちの猛攻を受けた連中は血しぶきを上げて次々と倒れていった。


「おのれ村雨組! この俺が相手だ!!」


 煙を掻き分けて船内を行くと、日本刀を構えた男が絶叫しながら斬りかかってくる。俺は相手の懐に飛び込むと、短刀の刃をそいつの喉に向けて突き刺した。


「ぐえっ」


 男は口から血を吐いてその場に倒れる。俺はその体を足で蹴り倒してから再び走り出した。


「溝端辰也! どこへ行った!?」


 そう叫びながら船内を駆け回るが、なかなか出て来ない。すると前方から1人の男が姿を現した。


「貴様が村雨組の者か! よくもやってくれたな!」


 そいつは他の連中とは異なり日本刀ではなく薙刀を構えている。どうやら幹部らしい。長物を手にしているあたり相当の使い手と見た。


「よう。酒井。原田。こいつは俺が引き受ける。お前らは溝端を探せ」


「へい」


「お任せしますぜ!」


 2人はそう言い残してその場を去る。俺は薙刀使いの男を睨み付けた。奴は薙刀をぶん回して俺に憤怒をぶつけてきた。


「貴様ら、よくもやってくれたな! 人様の船に滅茶苦茶しやがって! 極道として正々堂々と戦う気は無いのか!?」


「けっ。何が『やってくれたな』だ。横浜の街を火の海にしようとしてた癖によく言うぜ。そもそも喧嘩を吹っかけてきたのはそっちだろ。ゲス野郎が」


 そう呟きつつ、俺は短刀を構えて相手の出方を窺う。すると相手はいきなり斬りかかってきた。その刃を紙一重でかわし、今度は俺が反撃に出る。


 だが、俺の攻撃は空を切った。


「ほうっ!?」


 次の瞬間、薙刀による切り返しの一撃が飛んでくる。

「貰ったぁぁぁ!!!」


 まるで刃が消えたようにも見える神速の振り。この男は今までにかなりの修行を積んでいるのだと直ぐに分かる。だが、俺の敵ではない。


「おらよっ!」


 俺は全力の蹴りを薙刀の柄に向けて食らわせる。その直後、相手の持つ薙刀が根元から真っ二つに折れるのが分かった。


「な、なにぃ!?」


 男は驚愕の声を上げる。俺はすかさず奴に飛び掛かって地面に押し倒した。そして馬乗りになって短刀を突き付けると、奴は歯噛みした。


「こ、殺すならさっさと殺せ……」


「まあ待て。安心しろよ。“殺し”はしないさ」

 俺はニヤリと笑ってから言った。


「お前らは“皆殺し”だからよ」


 それから1時間後。松下組所有の豪華客船は爆炎と共に海の底へと沈んでいった。


「ふう。何とか沈む前に脱出できたな。溝端はどうなった?」


 俺は酒井と原田に尋ねた。奴らが乗っていた船が爆発したというのに、肝心の溝端の姿が見当たらないのである。すると2人は顔を見合わせると答えた。


「それが……何処にも居なかったんですよ……」


「もしかしてさっきロケランを撃った時に当たっちまったんじゃ……?」


 2人の話を聞きながら、俺は考えを巡らせた。船内をくまなく探して回ったが、結局のところ溝端を捉えることはできなかったのだ。奴は先ほど甲板の上に居た。原田の言う通り、RPG-7の弾の直撃を受けたか、あるいは着弾の爆発に巻き込まれて吹き飛んだか。いずれにせよ船が沈んだ以上、奴は無事ではないだろう。そう考えて良いはずだ。


「まあ、良いや。あの船に乗ってた奴だけでも100人は仕留めたはずだ。これでだいぶ松下組の戦力を削れたんじゃねぇか」


 あとは川崎へ上陸してしまった兵隊の存在が考えられる。されども母艦が沈没してしまった以上、彼らの孤立は必然。慌てずともゆっくりと残党狩りを行えば良い。


「んじゃ、帰ろうぜ。あまりモタモタしてると警察やら海保やらが来ちまう。面倒は避けてぇんでな」


 俺はそう呟くと、部下たちに撤収を命じたのである。なお、その翌朝の新聞に『川崎市で船爆発』の見出しが躍ったのは言うまでもないことだった。

横浜侵略を狙う松下組に大打撃を与えた涼平たち。だが、溝端は何処へ行ったのか……? 次回、戦争が新たな展開!

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