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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第11章 親分たる器
192/252

煌王会クーデターへの介入

 辟易しつつも休息を取り、それから適当に時間を潰すこと3時間後。陽がすっかり落ちた夕刻になって伝令係が俺たちを呼びに来た。


「おう。大広間に来な。組長が呼んでる」


 大広間というと村雨邸の1階にある広い和室。どうやら“軍議”が始まるらしい。俺が慌てて寝ている部下を起こそうとすると、伝令係が言った。


「あんた一人で良いぞ。どうせ来たって役に立たねぇだろう、そいつら」


「んだと?」


 確かに酔い潰れて寝入ってしまっているが無礼であろう。俺はムッとして言い返した。だが、伝令係はフンと鼻で嗤うだけだった。


「うちの組長は無駄が嫌いなお方でな。戦力にならない人間は不要と考えていらっしゃる。あんたはともかく雑魚に用はぇんだよ」


「……それ、村雨組長じゃなくてお前さん個人の考えじゃねぇのか?」


「どうだって良いだろうが。馬鹿」


 俺を脅かすつもりか、左手にはトカレフが携えられていた。


 この男が不愉快な顔をするのは無理からぬこと。一度は出奔をした立場柄、彼のみならず村雨組全員にとって俺は招かれざる客なのだ。そんな男がのうのうと屋敷内を闊歩するのが面白いはずもない。一応は俺を「あんた」と呼んで最低限の敬意を払っているものの、本心では今すぐにでも俺を殺したくて仕方ないのだろう。


 されどこちら代紋を背負う極道。舐められるなど言語道断。組織の使者として赴いた先で嘲笑されて引き下がるほど俺は軟弱じゃないんだよ。


「ほう」


 次の瞬間、俺は組員に凄みを浴びせていた。


「この俺に喧嘩を売ってくるたぁ良い度胸だ。その大口、利けなくしてやるぜ」


 言い終わるや否や俺の拳が飛ぶ。それは相手の顎を正確に捉えた。


「ぐっ……」


 一撃で昏倒する伝令係。何本か歯が折れて散らばっている。それなりに加減をした方なのだが、どうにも難しいな。


 俺はフンと鼻を鳴らすと、酒井と原田に命じたのだった。


「お前らもいつまでも寝てんじゃねぇぞ。さっさと起きて支度しろ」


「は、はいっ!」


「了解っす!」


 二人は慌てて起き上がるなり俺の後に続くのであった。そして大広間へ赴くと既に村雨組長を上座にして皆が座っていたので俺たちは下座に腰を下ろすことにしたのだが……そこでもまた無礼な男が一人。


「おう、遅かったな」


 沖野だった。


「おい。俺の舎弟はどうした? お前らを呼びに行ったはずだぜ?」


「ほうほう。あれはあんたの部下だったか。これから欠員が出ちまって大変なことになるなあ」


「ああ!?」


 気色ばむ沖野に俺は言った。


「銃を向けられたもんでなあ。反射的にボコボコにしてやったんだよ。今ごろ廊下のド真ん中で伸びてるだろうぜ」


「んだとゴラァ!」


 沖野は怒号と共に立ち上がった。しかし村雨組長がそれを制する。


「やめよ、沖野!」


 そして俺の方を見て言ったのだった。


真実まことか?」


 俺は頷く。


「ええ」


 すると組員たちが口々に文句を垂れた。


「テメェ何しやがんだ!」


「うちの組に手ぇ出そうなんざ良い度胸してんじゃねぇか!」


「覚悟できてんだろうなぁ!? おおゴラァ!!!」


 しかし俺は全く動じない。それどころか……。


「おいおい、お前らこそ俺と喧嘩しようってのか? さっきの奴と同じくらいのケガを負わせてやっても良いんだぜ?」


 そう言って凄んでみせたのである。すると組員たちは一斉に押し黙った。彼らの瞳には怯えの色が浮かんでいる。まあ、この組に長く在籍している連中は俺がどういう人間か痛いほどに分かっているだろうな。つくづく情けない奴らだ。


「へっ、クソどもが」


 そんな俺に村雨組長が口を開いた。


「……涼平。あの者を遣わせたのは私だ。仮にも中川恒元公の使者として参ったお前に非礼があったのだとすれば、それは私のとが。この通りだ。許せ」


 彼は頭を下げた。


「い、いや。頭を上げてください。別に俺は」


 俺は慌てて言ったのだが、頭を垂れた状態で村雨が声を上げる。


「なれど、もしも今申したことに嘘偽りがあったのなら、その時は例えお前でも容赦はせぬぞ。我が郎党を傷付けたのだ。それが何を意味するかは分かっておろうな?」


 そうして頭を上げた組長の視線はいつになく鋭い。まるで喉元に刃物を突き付けられているような感覚。ああ、この殺気だ。


 5年前はこの凄みを何より恐れたものだ。懐かしさと恐怖とが同時にこみ上げてきて、後者が一瞬で全てを覆い尽くす。残虐魔王は残虐魔王。あの時と何も変わっていない。村雨耀介を怒らせてはいけない。決して何があろうと。


 忘れかけていた基本事項を思い出し、俺は深々と頷いた。


「……分かっていますとも。お疑いになるのなら確認して頂いて構いませんよ。あの男の手には銃が握られていますので」


 俺は淡々とそう答えたのだった。


「うむ」


 何を思ったか。村雨組長は軽く頷いただけだった。されどその表情から怒りの色が若干消えているようなので俺は少しばかり安堵を覚えた。


 しかし、組員たちは騒ぎ始める。


「ちょっと! おかしいでしょう!」


「こいつはうちのモンをケガさせたって自慢気にほざいたんですぜ!? そんな野郎をお咎め無しで済ませるおつもりですかい!?」


「そうだそうだ! 第一にこの男は中川会だ! こりゃあ中川が村雨組うちに喧嘩を吹っかけたってことになるでしょうよ!」


 口々に不満の声を上げ始めた組員たちに、村雨組長は一喝した。


「黙れっ!!」


 その怒声が大広間に響き渡る。一瞬にして静寂が訪れたかと思うと、皆の視線が一気に集まる。そして村雨組長は静かに言うのだった。


村雨組われらだけでは橘威吉に太刀打ちできぬゆえ中川恒元公のお力を借りたのではないか。恒元公まで敵に回して何とする」


 言葉に詰まる組員たち。それを見遣って村雨組長は続ける。


「それにだ。此度は我が方が無礼を働いたのだ。咎を受けるべきはむしろ我らであろう」


 組長の言葉とあっては怒る狂っていた組員も鎮まるしかないようだった。沖野も渋々ながらに了承していた。彼は刀の柄に手をかけていたので、あのまま騒ぎが発展していれば俺に刃を向けてきたかもしれない……村雨が場を収めてくれて本当に助かった。


「では、この時をもって手打ちと致す。以後は何人も蒸し返すことを禁ずる。良いな?」


 念を押すような組長の言葉に全員が平伏した。


「涼平。お前も良いな?」


「え、ええ。勿論。仰せのままに」


 そこで俺に向けられた組長の視線はまたしても鋭かった。さながら『以後おかしなことをしたら許さぬぞ』と釘を刺された心地。村雨耀介にああまで睨まれて軽く受け流せる者など居るのだろうか。いや、決して居やしない。そう思わせられるほどの迫力であった。


 まあ、酒井と原田の手前、舐められてなるものかと強気に出たが、軽率な行動だったと自分なりに思うところはある。いつになく自分を省みて俺は席に着いた。


 こちらの着座を確認して村雨が口を開く。


「さて、本題に入るとしよう」


 組長の一声で傍に控える男がプロジェクターを起動させた。その男の名は菊川塔一郎。若頭である彼がこの会議を仕切るようだ。


「……うん。皆も知っている通り、村雨組うちは今非常にまずい状況にある。橘威吉の大軍勢が西から迫っているんだ」


 そう言って菊川はノートパソコンを操作する。厳かな和室にPCとは何とも不釣り合いな状況だが、ここでそれを指摘する無粋な真似はしない。


「これを見て欲しい。つい昨晩に浜松で撮られたものだ」


 菊川の操作で画面が切り替わる。天井にぶら下げられたスクリーンに映し出されたのは、遠くから隠し撮りされたと思しき若い男の写真だった。


「こいつは名前を溝端みぞばた辰也たつやと言ってね。橘威吉の甥にあたる男で、叔父の組で組長秘書をやってる」


 写真の男がそう紹介されると、組員たちからどよめきが上がる。菊川が続けた。


「橘威吉は身内贔屓をしない実力主義者だが、溝端は叔父の期待に応えて成長している。手柄さえ上げればいずれ甥に組を持たせるという噂だ」


 その言葉を聞いて俺は直感した。


 なるほど。若手の有力株が村雨領に程近い浜松まで来ている――それはつまり橘威吉が甥を総大将とする討伐軍を送り込んだことを意味する。溝端は村雨耀介征伐を自分の組を持つための手柄にしたいのだろう。


「うちは既に最後通牒を受けている」


 菊川塔一郎が続ける。


「浜松から逃げて来た女将様を引き渡し、橘威吉を煌王会七代会長と仰いで恭順を誓えと。つまり降伏しろって話だね」


 その説明に胸騒ぎが起こった。東京のカフェで顔を合わせて以来と挨拶する間も無く、俺は菊川に問う。


「……ちょっと待った。女将様って、あの女将様か? 長島会長の女房にあたる?」


 すると菊川が答える。


「ああ。そうだ。今、うちで匿っている」


 女将様こと長島勢都子は俺も知っている。5年前の事件では村雨組が横浜に逃げて来た彼女を守ったことで事が始まった。


 菊川によれば、つい3日前に松下組の攻撃を受けて浜松の桜琳一家本部が陥落。橘によるクーデター発生直後に名古屋から浜松へ逃れていたという勢都子夫人は、桜琳が壊滅状態になるや否やさらに東へ逃走。かつて世話になったことのある村雨組を頼ったというわけだ。


 要は今回もまた5年前と同じく、勢都子夫人を庇護して決戦に挑むこととなるわけだ。村雨組長は夫人から大きな信頼を置かれているようだが、こんな偶然もあるのかと俺は思わず唸りたくなった。まあ、裏社会ではよくある展開のひとつなのだが。


「へっ、そらまたパワフルなこったな」


 苦笑して呟いた俺をよそに、菊川は説明を続ける。


「橘が僕らに突きつけた最後通牒の回答期限は今夜23時59分。それを過ぎれば村雨組は反逆者とみなし絶縁処分を下すと脅してきている」


 この場合における“絶縁”とは討奸状のこと。橘が味方につけた煌王会系列の全組織から一斉に攻め込まれる事態を意味する。長島会長の出身母体の桜琳一家が壊滅した今、橘は煌王会のほぼすべての貸元を従わせているというからかなり危うい展開となろう。


「無論、橘ごときに従いはせん。煌王会貸元と幹部の座を捨てることになろうとも義侠の道より重んずるべきものなど無い」


 組長の言葉に大きく頷き、菊川は言った。


「そうだね。僕らは村雨組。ひたすらに任侠道を貫き通すだけさ」


 とはいえ煌王会の貸元73団体全てを相手に戦争をしたのではボロ負けは必定。ゆえに村雨組の狙いは短期決着。敵の頭、すなわち橘を討ち取ることで今回の反乱自体を鎮めてしまおうというのだ。


「さっき説明したと思うけど昨日の夜に溝端が浜松に入った。おそらくはこのまま横浜を目指してくるものと思う。よって僕らが最初に為すべきはこの溝端辰也を討ち、叔父の橘威吉を交戦圏ホットゾーンへ引きずり込むことだ」


 なるほど。甥の溝端が討たれれば橘は確実に激昂する。自らの手で仇を取るべく村雨組の勢力圏内へ出てくるだろう。


「そこでだ」


 菊川はノートパソコンを操作してスクリーンに映像が映し出される。それは静岡県沼津市にある某雑居ビルの映像だった。


「ここに溝端を誘き出す」


 そのビルは村雨組が1998年に傘下に収めた旧斯波一家系の枝組織『滝本たきもとぐみ』の事務所が入っている。つまり滝本を調略しようと溝端が姿を見せたところを襲撃、殺害するのだ。村雨組が伊豆半島を制御しきれていない実情を突いてくる敵のやり方を逆手に取った作戦だった。


「僕が思うに溝端は必ず現れる。『調略は大将御自ら行うべし』ってのが橘威吉の教えだからね。未熟な若造は先輩の言い付けを何が何でも守ろうとするはず」


 滝本を確実に敵方の囮とすべく、伊豆半島の系列組織には出陣を命令していないという村雨。俺が先ほど感じた伊豆の不穏さは村雨組の油断によるものではなかった。彼らはどうぞ調略してくださいと言わんばかりの隙をわざと作っていたのだ。


「沼津の滝本組以外にも、熱海の椿つばきヶ《が》おか興業こうぎょうと三島の河野かわのぐみ、伊豆の国のやながた一家いっかを撒き餌にするつもりだ。どこに食い付いてくるかは分からないけどね」


 一方で溝端を必ず現場に誘き出す方法も考えられていた。調略を防ぐべく村雨組長が伊豆半島に繋ぎ止めに来ている旨の偽情報を流すという。それは極道としては未だ経験の浅い溝端の功名心を利用した策略だ。


「親の七光りならぬ叔父の七光りで出世したと思われたくないだろうからねぇ、溝端は。部下の制止を振り切ってでも姿を見せるはずだ」


 菊川塔一郎の言葉に一同が頷く。俺はそこで口を挟んだ。


「元傭兵の俺から見てもなかなか良いプランだと思うんだが、その作戦で俺は具体的に何をすれば良いんだ?」


 すると若頭が言った。


「キミには抑えを頼みたい」


「……抑え?」


 きょとんとする俺に組長が補足する。


村雨組われらを攻めるにあたって溝端は先ず一番に伊豆を奪いに来ると思うが、万に一つ別の場所から来る線も皆無ではない。その暁にはお前が現地へ急行し、溝端を討ち取るのだ」


「なるほどな」


 俺は納得した。つまりは遊撃部隊というわけだ。酒井と原田を含めた三人だけでは心許ないようにも感じられたが、そこへ組長が続ける。


「恒元公がお前たちを援軍に寄越した件は既に橘の耳に入っていよう。奴も馬鹿ではない。中川会と戦になるのは避けたいはずだ」


 その言葉に菊川が頷く。


「ああ。要はキミたちの存在が抑止力になるってわけさ」


 そうなのだ。煌王会内部で争いを抱えた今の状況で中川会とも戦争になるのは、流石の橘も避けたいはず。よって俺たちが居る場所を避けて侵攻してくるだろうと村雨は読んでいた。そうなると今回の戦争で俺たちが銃を撃つ見通しは薄い。遊撃部隊というよりは牽制役と考えた方が適切かもしれない。


「んだよ! せっかく暴れてやろうと思ってたのに!」


「ここまで足を運ばせといてそりゃあねぇだろ!」


 不満をこぼす酒井と原田を「まあまあ」と嗜め、俺は村雨組長に尋ねた。


「功名心に駆られた溝端が伊豆の切り崩しを捨て置いて横浜を直接攻める展開も考えられます。俺が横浜に居れば奴らへの抑えになるってわけですか?」


「ああ。そうだな。私はこれより伊豆へ出陣する。ゆえに我が本領が手薄になる。お前にはその守りを頼みたい」


「えっ、それじゃあ!?」


 まさか。俺は中川会の人間だぞ。5年前ならともかくとして、所詮は部外者でしかない今の俺にそんな大役を任せて良いのか。


「俺が村雨組の留守居役を……!?」


 戸惑っていると組長は笑った。


「いやいや。その役は別の者に任せてある。お前はただ横浜に居れば良いのだ」


 すると、その声に呼応するかのごとく頬を緩める者が居た。


「ははっ! 俺みてぇな新参者にこんな重要事を任せてくださるとは嬉しい限り! 我が身に代えても横浜をお守りいたしますぜ、組長!」


 俺が視線を送ると、そこに居たのは谷本康春。ああ、そうだった。横須賀の北田組が合流を果たしたことにより、この男は村雨組の若頭補佐になっていたのだった。


「ご安心ください。この政村平吾がある限り横浜には指一本触れさせやしません。水尾組の総力をもって街を守り抜く所存」


「うむ。頼もしいぞ。政村。おかげで私も安心して伊豆に陣を敷くことができるというものだ」


「へへっ。ご武運をお祈りしておりますぜ。静岡から海伝いに横須賀に上陸される恐れもありましたが、誰かさんのおかげで三浦の大半が中川の領地になっちまったんで大丈夫でございましょう」


 最後の嫌味はさておき、この男の読みは正しい。仮に横須賀が村雨領であったなら敵の侵入口に使われていたかもしれなかった。橘に事を構える気が無い以上は三浦半島は避けるはず。ゆえに村雨組の守り手は横浜防衛に専念できる。今回の戦いはこちらにとって好条件が揃っていた。


「皆の者、既に我らは遠方の領地を5つも失っておる! なれどそれらは全て女将様をお守りし長島勝久公をお救いせんが為!」


 やがて立ち上がり、村雨は高らかに言った。


「勝久公に頂いたご恩は我らの命に代えてもお返しせねばならぬ! 今こそ天下静謐の時! 力の限り戦うのだ!」


「応ッ!!」


 組員たちの呼応する声が屋敷中に響き渡る。村雨は叫んだ。


「これより奸賊、橘威吉とその一党を討ち取り、煌王会を在るべき姿へと戻す! 皆の者、この戦が義をもって果たされることを忘れてはならぬぞ!」


 その一言に一同は雄叫びを上げる。俺もまた同じ思いだった。


 ちょうど6年前の秋頃、俺たちはまさに今回のようなクーデターを討伐するために集っていた。あの件は長島体制の弱体化を招き、橘威吉を増長させるきっかけになったともいえる。理由が何であれ俺たちは当時と同じく、この争乱でも義侠心を胸に任侠道を貫き通すだけだ。義のために戦う村雨組。その輪の中にまた入れることが訳も無しに嬉しかった。


 まあ、感傷的な気持ちになるのは程々にせねばなるまい。何故なら俺は村雨組の構成員ではない。中川会の人間として会長の利益を一番に考えねばならないのだから。


「うん! それじゃあ布陣については後で各々に伝えるから、今日のところはこれで終了! 明日に備えて各自体を休めるように!」


 菊川の声で軍議はお開きとなった。


 今の村雨組は沖野、柚月らがそれぞれに組を持っている。そうした枝組織ごとに組員を有しているため、戦国時代的に喩えるなら“隊”といえようか。そんな“隊”の長たる沖野たちに作戦当日の行動計画を伝えないのは万が一つ彼らが敵と通じていた場合に情報の漏洩を最小限に留めるためだ。村雨の抜かりの無さは変わっていないようで安心した。まあ、当然なのだが。


「酒井、原田。とりあえず俺たちは待機だ」


 そう促すと二人は「へーい」とやや気怠げに返事を投げた。すると近づいてきた大柄な男が言った。


「へへっ、気持ちは分かるぜ。せっかくの遠征だってのに待機を命じられたんじゃあ仕方ねぇよなあ。お前らみてぇな歳の頃は野心に逸ってるくらいがちょうど良い」


 その人物には見覚えがある。というより、俺にとっては決して忘れられぬ恩人中の恩人。思わず胸が躍っていた。


「せ、芹沢さん!?」


「よう。涼平。久しぶりだな」


 芹沢暁。村雨組の舎弟頭にして村雨耀介の絶対的な忠臣。枝組織『芹沢組』の組長をしていると聞いていたが、まさかここで顔を合わせることになろうとは。


「ああ……」


「おいおい。何だよ、その鳩が豆鉄砲を食ったような顔はよぉ。俺はこの組のナンバー2なんだから村雨邸ここに来りゃ会うに決まってんだろうが」


「そ、そうだな」


 実に6年ぶりか。彼とはあの頃の師走以来、顔を合わせていなかった。俺のために色々と大変な思いをさせてしまったことを考えると心が痛む。


「あの、芹沢さん。あの時は本当に……」


 だが、俺の謝罪は遮られた。


「おっと! もう謝んなって涼平! お前のために俺がやったことなんざ大したことじゃねぇんだからよ!」


 芹沢はそう笑ってから酒井と原田に視線を向けて言った。


「それよりお前らだよ。いやあ、なかなか良い顔つきをしてるじゃねぇか。良い兄貴分の背中を追いかけてるってよく分かる」


 その言葉に二人は顔を見合わせる。そして芹沢に対してこう答えたのだった。


「ええ。次長にはいつも教えてもらってますんで」


「俺たちにとっては最高の兄貴っすよ!」


 その返答に芹沢は満足げに頷いた。


「そうかそうか! それなら良かったよ! 人を育ててこそ一人前、少し見ねぇ間に涼平も男になったようでなあ!」


 今の俺に部下が居ることを見抜いた芹沢。思いがけず褒める言葉を貰ったわけだが、それとは別に胸の中には去来する思いがあった。やはりこの人には何でも分かってしまうのだと。


「芹沢さん。俺は……」


 そう言いかけた時、酒井が口を挟んだ。


「あの! あなたは次長の昔のお知り合いだったんですか?」


「ああ、そうだぜ」


 頷いた芹沢。すると二人は話に食い付いた。


「次長って中川会に入る前はどんな感じだったんですか? 何か、村雨組に居たとか何とか言ってましたけど……?」


「兄貴の武勇伝とかあったら聞かせてください!」


 おっといけない。少年の頃の俺が村雨組に一時的に身を置いていたことは酒井と原田には話していなかったのだ。ましてや実子格だったなど言えるわけがない。


 組長から養子に迎える云々の話が出ていたところで出奔したと聞いては本人たちも幻滅するだろう。そうでなくとも今さら話しても混乱を招くだけだ。


「おい、お前ら! そんなにいっぺんに聞くなよ!」


 そんな二人を窘める芹沢だったが、酒井と原田は瞳を輝かせて言った。


「だって気になるじゃないですか!」


「そうですよ! 教えてくださいよ!!」


 すると芹沢は頭を掻きながら言った。


「居たことには居たが、ちょいと面倒見てただけだぜ? こいつは流れ者でな。行く当てがねぇってんで組長が拾ってやったのさ」


「へえ! そうだったんすか!」


 酒井と原田はオーバー気味に相槌を打つ。芹沢は続けた。


「まあ、こいつも色々あってよ。あの頃は本当に喧嘩しか取り柄のぇしょうもないガキだった」

 すると芹沢は俺に向けて意味深な視線を向けた。俺はドキッとしたのだが、その反応を見た酒井と原田はこう解釈したらしい。


「なるほど! つまり次長は10代の頃から裏社会の荒波をくぐっておられたと!」


「うわあ、ますます憧れちまいますよぉ!」


 そんな二人に芹沢は言った。


「まあな。あの頃の涼平は言うなればモンスターだった。喧嘩をすりゃ一騎当千、殺しをやらせりゃ誰だろうと始末してくる天才よ」


「す、凄いじゃないですか!」


「けど、言ってちまえばそれだけの男だった。計算は出来ねぇわ字も読めねぇ。何にせよ上の者への礼儀がなってねぇ」


「えっ!? そうだったんですか!? とてもそんな風には……!?」


「おうよ。そこから少しずつ自分を磨き上げてったんだよ、涼平は。おかげで今じゃあすっかり見違える程の男になった」


 深々と頷いた後、芹沢は言った。


「まあ、そんなわけだ。お前らも涼平を見習って精進するこったな」


「はい!」


「もちろんです! 兄貴の舎弟として恥ずかしくないよう頑張ります!」


 酒井と原田が声を揃えて威勢良く返事をすると芹沢は満足げに笑った。そんな彼を見て俺は思う。やはりこの人には敵わないと。


 俺の出奔の事実をうまい具合に隠しながら、それでいて俺の成長ぶりをさりげなくアピールする。その話術は見事としか言いようがなかった。


「芹沢さん」


 俺は改めて彼に向き直り、頭を下げた。


「6年前、俺はあんたのおかげで男の道を外れずに済んだ。感謝してもしきれねぇよ」


 すると芹沢は言った。


「おうよ! まあ、あれだ! また困ったことがあればいつでも頼ってくれて良いんだぜ? お前との付き合いももう6年になるんだしよ!」


 心強い言葉に俺は思わず涙腺が緩みそうになる。


「ああ……また世話にならせてくれ……」


 そう言ってから芹沢は酒井と原田に向き直った。


「お前らも涼平をよろしく頼むぜ!」


 その言葉に二人は顔を見合わせると嬉しそうに頷いたのだった。そんな二人の肩を芹沢はポンと叩く。そして言った。


「そういやあお前ら、さっき『暴れたい』とか言ってたよな。ちょうど良いってわけじゃねぇが。ここだけの話、とっておきのがあるんだよ」


「え、何ですか? とっておきのヤツって」


「教えてください!」


 酒井が尋ねると芹沢は含み笑いをしてから言った。


「実は長者町のノミ屋が今月分の上納金アガリを持って来ねぇ。一昨日が集金日だったがまったく音沙汰が無ぇんだ。良かったら調べてきて貰えるかい?」


 ノミ屋というのはいわゆる“ノミ行為”を闇ビジネスとして行っている者のこと。客が求める公営競技のチケットを本人に代わって買うという建前で購入代金をそっくりそのまま貰い受ける。そしてレースの予想が当たった時だけ配当金を支払う仕組みだ。


 客にとってはわざわざノミ屋を利用する必要も無いように思えるが、手元に金が無くてもギャンブルができる点でノミ屋のメリットはかなり大きい。おまけにそうしたノミ業者は『外れた場合でもチケットの購入を数割キャッシュバック』などのサービスを設けている所が多く、通常の競技場窓口で買うより断然お得なのだ。無論、これらのノミ屋が跋扈してしまうと公営競技の収益が落ちるため日本では違法とされている。


「へぇ。ノミ屋って今もまだ営業してるんですか。俺がガキの頃には恵比寿駅の近くなんかに屋台が出てましたけど、最近じゃ見かけなくなりましたよね」


「時代が平成に入って公営ギャンブルも信用買いができるようになったからな。昔ながらのノミ屋はどこも閑古鳥さ。長者町の連中は組長が気にかけてたんだが……」


 そう考えると音沙汰が無いというのは不自然な話。芹沢によると当の業者が今までに上納金の支払いを遅れたことは一度も無いらしく、収益を抱えてちゃっかりと夜逃げするような連中ではないそうな。それを踏まえればますますきな臭い雰囲気が漂ってきた。


「本当だったら村雨組うちで落とし前をつけなきゃならねぇ話なんだが、ご覧の通り戦争準備で慌ただしくて人手が割けねぇんだ。お前らが暴れてぇってんならもってこいだと思ったんだよ。頼まれてくれるかい」


 芹沢の提案を酒井は快諾した。


「勿論です! いやあ、本当にちょうど良い。このまま待ちくたびれるよりもどこかでドンパチやってた方が楽しいっすよ」


 原田もまた二つ返事で了承する。


「ええ、断るわけないじゃないっすよ! さっきの打ち合わせを聞いてる限りだとつまらん喧嘩になりそうでね。少しでも暴れる機会があるなら引き受けますよ」


 俺はと言えば、一連の話が別の意味で気になり始めていた。


「ノミ屋か。敵方にしてみりゃ乗っ取るには格好の存在だわな。この状況で連絡が途切れたってのが何とも臭うぜ」

 そう呟くと酒井が尋ねる。


「次長? まさか橘の仕業だと?」


 俺は答えた。


「ああ。ノミ屋はシノギをする側にとっちゃあ儲かるビジネスだが、対象となる賭けを仕切る側にしてみれば本当に迷惑な奴らだ」


 先ほどの芹沢の話で思い当たった点を踏まえながら、推理を続ける。


「ノミ屋を乗っ取れば、駅の近くにある村雨組の闇カジノの収益を奪い取れるから敵さんにとっては横浜を侵食するチャンスになる」


 長者町のノミ業者は既に橘威吉の息のかかった尖兵に経営を乗っ取られており、近隣の賭場で行為をはたらく前段階に入っているというのが俺の読みだ。


「ノミ行為ってのは何もレースだけに限らず、少しでも賭け事の要素があれば標的になり得る。カジノならまさにうってつけじゃねぇか」


「ああ、言われてみれば……賭場で行われてる博打の内容さえ分かりゃ済む話だもんな。連中にとっては容易い話かもしれない。隠し撮りには慣れてるだろうからな」


「ここ数日で市内の賭場で怪しい素振りを見せた客は居なかったか?」


 すると偶然近くを通った組員が会話に挟まってきた。


「ああ。そういやあ昨日でしたっけ。黄金町のカードクラブでこっそりカメラを回してた客を支配人がボコボコにしたって報告が入ってますぜ」


「何っ!?」


 驚く芹沢の隣で俺は推理に確信を得ていた。


「……やはりそうだったか」


 その客が持っていたのは興信所などが使う小型のカメラ。鞄などに仕込むタイプで隠密偵察を請け負う者にはお馴染みの道具。まさに橘の手下のスパイであると見て間違いなさそうだ。


 俺は芹沢に向き直ると言った。


「芹沢さん、ノミ屋の件は俺たちに任せちゃくれねぇか? なるだけ早くにケリをつけるべきだ」


 そんな俺の提案に芹沢は頷いた。


「おう、分かった。頼んだぜ。その店で使われてる合言葉を教えてやるよ」


 こうして俺と酒井と原田の3人はノミ屋の調査に乗り出すことになったのだった。


 屋敷を出てからタクシーで15分。俺たちは長者町の近くまで来ていた。既に陽が落ちており、辺りは夜の街特有のネオンが輝いている。だが、そんな中で唯一異なる建物があった。それが問題のノミ屋『こだわりとんかつ柳田軒』だ。


 俺はその店を見つめながら小声で呟く。


「なるほどな……」


 部下たちはきょとんした顔だった。


「えっ、ここがノミ屋?」


「どう見ても豚カツを出してる普通のカタギの店ですぜ?」


 そんな酒井と原田に俺は言った。


「ノミ行為が儲かってた昭和と違って、今どきそれ一本だけじゃ稼げねぇんだよ。ここはおそらく違法チケットと一緒に料理もサービスしてるんだろう」


 ちなみにその『こだわりとんかつ柳田軒』はかなり繁盛しており、店内は多くの客でごった返している。見たところ客が博打に興じている様子は無いが、店を切り盛りする従業員の風貌が何とも怪しい。明らかに単なる料理人とは違った雰囲気を漂わせているのだ。


「お前らは裏口に回り込んでおいてくれ。俺は正面から当たってみるからよ」


「分かりました」


 部下たちを裏手に回し、俺は店の暖簾をくぐる。室内へ歩き出すと同時に揚げ物のかぐわしい匂いが嗅覚を突いてきた。


「いらっしゃい! お一人ですか?」


 威勢の良い声で出迎える従業員に俺は言った。


「ああ、そうだ」


 するとその店員は店内を見回して言う。


「すみませんが、あいにく満席でして……相席でもよろしければすぐにご案内できますが……」


 だが俺は首を横に振った。そして芹沢から聞いていた合言葉を口に出してみる。


「飯を食いに来たわけじゃない。『とんかつのこだわりを教えてくれ』ってことさ。うちでも作ってみたくてな」


 そんな俺の一言に彼は一瞬だけ驚いたような顔を見せたものの、すぐに笑顔に戻ると言った。


「承知いたしました。暫しお待ちくださいませ」


 やがて従業員はカウンタ―の下から携帯電話を取り出すと俺に渡してきた。画面を開くと未読のメールが溜まっている。なるほど、賭場に密偵を送り込んで内容をメールで逐一報告させて客に賭けを行わせるスタイルか。メールを利用したノミ屋とはよく考えたもの。


「本日のレートは見ての通り。1ベットにつき5000円からとなっております。お決まりでしたら届いたやつに返信して貰えればOKですので」


 どうやらここがノミ屋で間違いないらしい。先ほどの合言葉を口にした客にだけ専用の携帯電話を渡す仕組みのようだ。勿論のこと俺は博打に興味は無い。

 さっそく仕事に入るとしよう。


「なあ、兄さん。実を言うと俺はとんかつのこだわりとやらが知りたくて来たわけじゃねぇんだ。料理もやらねぇからよ」


「へ?」


「とりあえずオーナーを呼んでくれや」


 次の瞬間、俺はカウンタ―の内側へ身を乗り出すと従業員の耳元へ顔を近づけて凄んでいた。


「……おい。聞こえねぇのか。お前んとこの責任者を出せって言ってんだよ、ミンチにしちまうぞコラ」


 そんな俺の威圧に驚いた男は店の奥に引っ込む。そして間もなくして店主が姿を現したのだった。


「な、何です?」


 俺は言った。


「あんた、松下組のモンだろ」


 するとその中年男はギクリとした表情を見せる。どうやら図星らしい。それでも平静を装った彼は言った。


「……何を仰ってるんです? うちは横浜のノミ屋ですよ?」


「だったらどうして言葉のイントネーションに関西弁が混じってんだよ。俺は村雨組に頼まれて来た。残虐魔王は賭場荒らしにお怒りだぜ」


 経営者らしき人物は腰を抜かしそうな勢いで驚いた。


「うひっ!?」


 何故なら、俺がほんの1秒にも満たぬ間に拳銃を抜いて彼の額に突きつけていたのだから。この後の作業は実に単純明快。


「元のオーナーをどこへやった。言わなきゃ頭に鉛玉をぶち込む。お前を送り込んだ人間のことも含めて洗いざらい吐いて貰おうか」


 直後、店内に動揺と衝撃が走る。それまで賭けに熱中していた客たちが俺の銃に気付いて騒ぎ始めたのだ。


「な、何だ!?」


「銃だ!」


「あれはヤクザ!? 村雨組か!? いや、でもどうしてとんかつ屋さんに銃を突きつけてるんだ!?」


 しかし俺はそんな声には耳を貸さず、ただ黙って男に銃口を向け続けるのだった。そしてついに観念したらしく彼は言った。


「分かった! 言うから! 殺さないでくれ!」


 それから数分が経った頃だろうか。店内の客は逃げ去ってすっかり散り散りとなり、従業員たちは裏口から押し入った酒井と原田が縛り上げて更衣室に押し込めた。よって店の中には俺と乗っ取りのリーダー格らしき男しか居ない状況である。


「さてと」


 俺は拳銃を向けたまま尋ねた。


「お前は煌王会の松下組の組員だな?」


「……ああ。そうだ。厳密に言やあ川尾組のモンだが」


 川尾組といえば松下組の若頭が組長を務める傘下団体。確か名は駈堂怜辞だったか。まあ、どうでも良いのだが。


「で? お前はどうして横浜に? 村雨組のシノギを邪魔して博打系の収益をかっさらおうって狙いか?」


「あ、ああ。組長の命令だ。これから村雨と本格的に戦争になるだろうからその前に経済力を削いでおこうってんで遣わされたんだよ」


 こちらの脅しにあっさりと答えてのけた男。特に暴力を振るって痛めつけたわけでもないというのに。よほど怖かったのだろうか。


 何にせよ俺の推理の通りである。長者町のノミ屋は橘威吉の尖兵に取って代わられていた。こうなってくると気がかりなのは旧オーナーの所在だ。


「おい。この店の本当の経営者は何処にいる。まさかとは思うが……」


「いやいやいや! 殺してはいない! ちょっと閉じ込めてるだけだ!」


「ほう?」


 すると店内を検めていた酒井が声を上げる。


「次長! 地下室に人が居ます!」


 店のバックヤードには物置きとして使われる地下室があるらしく、そこに中年の男が閉じ込められていた。彼は、この『こだわりとんかつ柳田軒』の本来のオーナーにして村雨組お抱えのノミ屋。数日前に松下組に襲われ、偽物と成り代わられてしまったようだ。


「ったく。小狡いことしやがるぜ。入れ替わった時に本物を殺さなかったのは何でだ?」


「そ、それはだな、情報を聞き出すためだ。俺らはこの辺りの地理に詳しくない。だから、横浜の賭場について知識を得る必要があったんだ」


「なるほどな。それで本来の従業員ともども殺さずに地下へ閉じ込めてたってわけか。まあ、確かに敵地での情報収集は作戦の基本だわな」


 床で正座させられている松下組の組員はビクビクしながら俺に言った。


「お、俺が知っていることはこれで全部だ! だから、その、俺を見逃してくれ! お前ら村雨組のために何だってするから!」


「見逃せだと?」


 俺は拳銃を男の額に押し付けながら鼻で笑う。


「馬鹿言ってんじゃねぇよ。お前はここで始末する。連れて来たお仲間も含めてな」


「ううっ!」


「ヤクザの癖に命乞いとはな。松下組ってのは軟弱野郎の集まりなのかよ。つくづく無様なこった」


 するとその時、原田が飛び込んできた。


「兄貴! 大変です!」


 そんな彼の背後から酒井も顔を出す。どうやら地下室から救出した店長らを窓際で介抱していたらしい。彼らは慌てた様子で続けた。


「店の外に武器を持った奴らが集まってます!」


 その言葉に俺もドアの方を見る。店の前には確かに物騒な雰囲気を醸し出す男たちが集まっていた。ざっと数えて10人ほどだろうか。


「松下組か?」


 すると偽ノミ屋が叫んだ。


「おいっ! 俺はここに居る! 早くこいつらをぶっ倒して助けてくれよぉ!」


 その瞬間、店の扉が蹴破られた。そして武装した男たちが店内に雪崩れ込むと俺たちを取り囲んだ。


「はあ。来なすったか」


 溜息と共に俺が呟く。その言葉に男たちは応じた。


「村雨組のアホどもよ。お前らが呑気に構えている間に横浜市内で拠点ヤサを建てさせてもろうたわ。まるで気付かんとは愚かな」


 その台詞に俺は当然ながら驚かされた。橘組は既に横浜へ侵入を果たしていたのか――いや、それにしては何だか妙だ。煌王会屈指の情報力を持つ村雨組が敵の浸透を許すなど有り得るのか。


「おい、お前ら。マジで松下組なのか?」


 すると偽ノミ屋が大袈裟なリアクションで言う。


「お、俺は本物だ! そしてこいつらは松下組から来た応援部隊だ!」


 そんな男の言葉に原田と酒井が顔を見合わせる。どうやら2人も俺と同じ疑問を抱き始めたらしい。だが、俺たちを嘲笑うかのように男たちの隊長格らしき男は言った。


「おうおう。ビビりよったか。関東者はしょうもないのぅ」


 そして彼は続ける。


「もう鶴屋町は俺らのモンや。お前らには分からんように拠点を設けてやったわ。悔しかったら探し出して取り返してみなはれ」


 鶴屋町といえば、この長者町のすぐ近くの繁華街。横浜市の中心部ではないか。俺はますます困惑した。

 随分と手回しが良いことだな。


 いや、何だかおかしいぞ。奴たちの格好が何だか不自然だ。全員がボストンバッグやリュックサックを携えているのだ。


 もしかして横浜に来たばかりか? だとすると今のはハッタリか? こちらの動揺を誘うためにわざとそんなことを言っているのか?


 俺は先頭に立つ男を殴った。


「ぐはっ!」


 男は床に倒れ込み、そのまま意識を失った。


「こ、この野郎!」


 こちらの奇襲攻撃を受けて連中が慌てふためく中、俺は平然と吐き捨てた。


「なるほど。やっぱりお前ら、ついさっき横浜に来たって感じだな。敵地に居るってのに戦う準備がまったくなってねぇ」


「何を! 俺たちを舐めてると……」


 ――バキッ。


 なおも喚き散らす敵兵を蹴りで昏倒させると、俺は酒井と原田に命じた。


「屁でもねぇ連中だ! 田舎者に関東ヤクザの怖さを思い知らせてやろうぜ!」


 部下たちは待っていましたとばかりに歓喜の声を上げる。そして、その声を合図にして乱戦が始まった。


「この野郎!」


「ぶっ殺してやる!」


 そんな怒号と共に襲い掛かってくる敵兵たち。だが、どんなに威勢よく振る舞おうと所詮は雑魚だ。俺はまず手始めに先頭で飛び掛かってきた男の顔面へ拳を叩き込むと、そのままの勢いで他の連中を回し蹴りで薙ぎ払った。


「ぐはっ!?」


「うおっ!?」


 次々と床に倒れる男たちを見て酒井と原田が驚きの声を上げる。しかしそれも無理は無いだろう。何しろ俺の拳速は音速を超えると言われているのだから。


「兄貴! すげぇ!」


「さすがです!」


 そんな部下たちの賞賛に俺は鼻で笑う。そして、そんな彼らへ言った。


「お前らもボサッとすんな! さっさとこいつらを片付けろや!」


 すると2人は我に返り、すぐに戦闘態勢に入った。獣のように飛びかかっては腕を折り、瞳を潰し、急所を破壊して息の根を絶つ。


 それからは早かった。俺たちがあっという間に敵兵たちを制圧してしまったのである。


「……


 やはり俺の部下だけあって優秀だな。傭兵仕込みの殺人技術をレクチャーしておいて良かった。だが、まだ戦いが終わったわけではないのだ。この連中を尋問して松下組のアジトの真相を吐かせなければ。横浜市内に敵の拠点があるとすれば大問題だ。


「おい、鶴屋町に拠点があるってのは本当なのか?」


 すると偽ノミ屋が答えた。


「……さっきのはデマカセだ。『先遣隊として横浜へ潜入して敵を攪乱するように』って組長に命じられてたんだわ。シマのお膝元に俺たちの前線基地あると分かれば村雨組はパニック状態に陥るだろうからよぉ」


 完全に予想の通り。先ほどの言葉はこちら側の揺さぶりをかけようと吐いた戯言だったらしい。他にも聞きたいことがある。


「横浜に入ったのは他に何人くらいだ?」


「俺たちだけだ。街に着いたらこの店を事務所代わりに使う手筈になっていた」


「じゃあ、そこに転がってる連中は横浜に入ってすぐにここへ来たってわけか。直行した現場で討たれるとは運のぇ奴らだ」


「そ、そうだ」


 無様にも命乞いしていた数分前にも増して大人しい偽ノミ屋。合流する予定だった援軍に助けられることも叶わず、すっかり意気消沈しているらしい。救出される望みを完全絶たれたその表情は何とも哀れであったが俺は別に同情をおぼえたりはしない。


 それから程なくして酒井の連絡を受けて到着した村雨組にノミ屋の身柄を引き渡した。店内の惨状を見てやってきた組員はため息をついていた。


「すまねぇな。俺としたことがやりすぎちまった。明日の最後通牒を待たずして戦端を開いちまったな」


 そう俺が言うと、彼は怪訝な声色で応じた。


「こうなること自体は別に構わねぇさ。シマを荒らす不届き者を野放しにしといたんじゃ代紋が廃る。けどよ、そうは言っても越権行為じゃねぇか」


 要するに落とし前は村雨組が自ら付けるべきだったと言いたいのだろう。理屈としては大いにわかる。なれど成り行きを考えれば仕方のない話だ。


「あんたが不快に思うのは無理からぬことだわな。てっきり芹沢さんから説明が及んでるもんだと思っていたんだが……」


「まったく。舎弟頭も舎弟頭だ。人手不足とはいえ部外者にシマ荒らしの駆除を頼むなんざどうかしてやがるぜ」


 終始露骨に不満を表明しつつ、その組員は部下と共に偽ノミ屋を連行していった。


「ひぇ~っ、お助け~!」


 賭場の運営を妨害した上に組長お抱えの業者に危害を加えたのだ。これから奴がどうなるかは自ずと想像が付くが、まあ気に留めないでおこう。


「うるせぇ! 黙って歩け!」


 そんなやり取りが聞こえなくなると店内の空気は途端に重くなる。殺した連中の処理は村雨組の方で引き受けてくれるという。


「ほら、あんたらもさっさと出て行け。いつまでもここに居られちゃ掃除屋を呼べねぇだろうが。警察サツには話を通しとくから街で騒ぎを起こさずまっすぐ戻るんだぞ」


 半ば厄介者のごとく店を追い出された後、俺は酒井と原田に言った。


「横浜は勝手知ったる街だ。ちょっとくらい飯を食って帰っても問題ねぇだろ。何だか腹が減ってきたところだ」


 すると2人は揃って頷いた。


「そうですね兄貴! 腹が減っては戦はできぬって言いますし!」


「せっかく横浜に来たんですから、中華街に行きましょうよ!」


 彼らの台詞に俺は思わず笑みを浮かべる。そして、部下たちと共に中華街へと繰り出したのだった。


「おっ、この店! 何か良さげっすよ! ここで飯を食いましょうぜ!」


 俺たちが入ったのは朝陽門の近くにある本格派料理店『雲林飯店』である。中華街の中でも老舗の域に入るが格式高い店ではなく、居酒屋的な頼み方をするのにちょうど良いと思ったのだ。


「いらっしゃいませー!」


 店員たちがカタコトの日本語で笑顔で俺たちを出迎える中、俺は部下たちと共に席に着いた。そして注文をする。


「とりあえずビールと餃子を頼むわ」


 すると酒井が言った。


「次長! せっかく中華街に来たんですから、もっと珍しいものを注文しましょうよ! ほら、この『フカヒレの姿煮込み』とか!」


「馬鹿野郎。そんな高級品がこんな店にあるか」


 俺はそう言って部下を窘めたが、原田も言った。


「兄貴! 出る前に読んだガイドブックには『フカヒレの豆板醤炒めが美味い』って書いてあったんすけど、食ってみたいっす!」


 いや、だからここはリーズナブルな価格の店だからそんなものは無いというのに。呆れてしまう俺だが無理もない話だ。何せメニューは全て中国語表記。原田や酒井にとっては何が何だか分からないのだろう。かくいう俺も中国語は専門外である。


「あのな、お前ら。こういう時はチャーハンだの餃子だのを頼んでりゃ外れねぇもんだよ」


 俺は溜息交じりに言うが2人は納得しない。


「いやいや次長、中華といえばフカヒレ一択ですよ」

「兄貴! そういうのは東京のファミレスでも食えるじゃないっすか!」


 いや、確かにそうだが。この店のメニュー表にそれらしい記述が無いという話だ。扱ってないものを注文しても料理人が困るだけであろうに。


 そんな時である。厨房から出てきた女の子が俺たちに冊子を渡した。


「ご来店ありがとうございます。当店のおすすめメニューです」


 それは日本語で書かれていた。嬉しい心配りだと感謝しながら俺はそれをパラパラとめくり、原田と酒井に見せた。


「お前ら、これで良いか?」


 彼らがそれを覗き込む。すると彼らは瞳を丸く見開いた。そこには『フカヒレの姿煮込み』の写真と共にこう記されていたのだ。


『当店では広東省から直輸入した高品質なフカヒレをお値打ちな価格でご提供しております。ぜひお試しください』


 俺を含めた3人は思わず無言になった。しかし、すぐに酒井が口を開く。


「……次長、これ……フカヒレじゃないっす」


「ああ。そうだな。どこからどう見てもタケノコだ」


「聞いたことがあります。中国人はタケノコをフカヒレっぽく見せて食べる習慣があると。いわゆる代用品ってやつです」


 原田も同意するように頷く。そして2人は揃って言ったのだ。他の客の視線を気にせず高らかに「本物のフカヒレが食べたいっす!」と。


 いやはや何とも間抜けな話だが部下のリクエストに応えてやるとするか。俺は店員を呼び止め、事情を説明した上で“フカヒレの姿煮込み”を注文した。


「かしこまりました」


 店員は笑顔でそう答えると厨房へと戻っていった。それから5分後、彼女はホールに出てきた。そして俺たちに料理が運ばれてくる。


「こちら“フカヒレの姿煮込み”になります」


 俺はそれを口に運びながら酒井と原田に問うたのだ。

「どうだお前ら、美味いか?」


 すると2人は揃って言う。


「はい! 最高っす!」


「こんなに美味いもんを食ったの初めてですぜ!」


 それもそのはず。先ほど看板娘に小声で「なるだけ本物に近づけた味付けにしてくれ」と頼んだのである。どういう調理技術を用いたかは分からんが、食べた当人らが満足しているのだから正しいやり方だったようである。


「そうか、そりゃ良かったな」


 俺はそう言って部下たちに微笑んだ。そしてビールを一口飲みつつ店内を見回す。すると先ほどは気づかなかったが、壁の上部に大きな写真があることに気付いたのだ。それはこの店の初代経営者と思しき人物の写真だった。


 中華街の中でも老舗中の老舗である雲林飯店の主人は中国系の人間らしい。しかし、日本人と中国人の血を引いているらしく顔立ちが日本人に近い。何でも戦前に中国へ渡った日本人商人の父と満州族の母との間に生まれ、激動の時代を経て日本へ渡り、戦後の焼け野原で中華屋を立ち上げたのが始まりらしい。


 人に歴史あり、店に歴史あり、提供される料理にも当然ながら歴史がある。そんな感傷的な気分に浸りながら箸をつけたのは、この店自慢の炙子ジイズウ烤肉カイロウである。


「うめぇ……」


 口に入れた瞬間、エッジの効いた情熱的な風味が口内に広がった。そして同時に肉汁があふれ出し、俺の味覚を大いに刺激した。


 横浜以外の場所では主に“北京風焼肉”と呼ばれている代物。牛肉を醤油ベースのタレで焼き上げた単純な料理だが、それが何とも美味なのである。冷えたビールとの組み合わせも抜群だ。


「次長! この料理も美味いっす!」


「こりゃあビールが進みますぜ!」


 2人の部下たちは口々に感想を述べながら箸を動かしている。この素晴らしい光景を見ることが出来て本当に良かった。部下を必ず飲みに連れて行くのは上司の特権だ。


 腹も膨れて大満足。来る煌王会松下組との決戦に備え、英気と活力を養った心地だ。


 会計を済ませて外へ出ると、外は店に入る前にも増して冷え込んでいた。師走の寒空は風が凍てつく。


「次長、どうでした? この店の味は?」


 酒井がそう聞いてきたので俺は答えた。


「ああ。美味かったよ。また食いに来てぇもんだ」

 部下たちも同意するように頷く。そして彼らは言ったのだ。


「今度はもっとゆっくり出来る時に来ましょうぜ!」


 横浜は他所のシマなので俺たちに“ゆっくり”できる時があるかはさておき、美しい街である事実は同じ。道路の道幅が広いおかげで高い所に上らずとも夜景を楽しめるのが横浜の良さ。今度は観光で訪れてみたいものだ。


 思えば俺の極道人生はこの横浜で幕を開けたのだったな。あの時は身を守ることで毎日が大変だった。綱渡りという意味では変わらないが、あちこちを渡り歩いた今となっては心の持ちようがだいぶ違う気がする。


「……あいつ、元気にやってるかな」


 かつての想い人の顔が脳裏をよぎる。恋仲なのか恋仲でないのか、曖昧な仲のまま疎遠になってしまったわけだが、あれも大切な思い出だ。


 他の女を好きになることは無いと当時は思っていたのに、時が経つにつれて彼女のことが記憶から薄れていく。そして今では好きな女ができた。


「……まあ、イギリスで彼氏を作っててもおかしくはないか」


 自然と独り言が漏れる。あいつなりに幸せを掴んでくれていたらそれで良い。お互いに自分の道を歩んでいたのなら、それで。


「次長?」


「兄貴? どうしたんですか?」


 おっといけない。独り言を聞かれたせいで酒井と原田がきょとんとしてしまっているではないか。俺は慌てて繕った。


 感傷に浸るよりも今は情勢を冷静に俯瞰せねば。偽ノミ屋の騒動があった以上、橘威吉の方から先手を打ってきたことになる。もはや戦争は避けられまい。


 村雨組は大きな渦の中へ入り込もうとしている。煌王会のほぼすべてを敵に回して戦うのだ。容易く行かないことは明白であろう。


 青臭い考えであることは百も承知だが、俺はかつての恩人のために働きたいと思っていた。中川会執事局次長としての立場はある。だが、それでも、村雨耀介のために力を尽くしたかったのである。


 6年前の出奔の償いをするために。たとえ、それが俺の独り善がりな心情であったとしても。


 煌王会の橘威吉。神戸を中心に煌王会の関西方面を牛耳る大幹部である。その権力は絶大で、他の幹部たちも彼の命令には絶対服従せざるを得ないという。


 そんな橘の率いる松下組に喧嘩を売ったのだ。もはや全面戦争は免れない状況だ。


「さてと……そろそろ行くか」


 それから俺たちはタクシーで村雨邸へと戻った。長者町に敵の先遣隊が潜入していた件は組の全員に衝撃を与えた。無理もない、最後通牒を送り付けるよりも先に松下組が村雨の領地に手を出していたことになるのだから。


「おのれ橘! 私を侮りおって!」


 激怒した村雨はすぐさま筆を執り、神戸の松下組本部に討奸状を送付。かくして2004年12月21日。後の世で語り継がれる煌王会のクーデター劇『さるらん』を引き起こした橘威吉と、これに反対する村雨耀介が煌王会の行く末をめぐって衝突した『東海道戦争』の火ぶたが切って落とされたのだった。

ついに勃発した村雨組と松下組の戦争。これに村雨組の味方として加わることになった涼平だが、為すべきは中川会の利益を確保すること。組織への忠義と恩人への想いはやがて大きなジレンマに……。

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