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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第11章 親分たる器
189/261

極星連合との因縁

 恒元が言った。


「さて。眞行路の件は追って正式な裁定を世に出すとしてだ、こちらはこちらの為すべきを為そうじゃないか」


「為すべき……とは?」


「我らの目指すところは組織改革。跳ねっ返りの力を削ぐための策略をめぐらせるのも大事だが、本家を強くすることも必要不可欠だ。同時に進めなくてはな」


 その一声を皮切りに話が別件へと逸れた。どうやら俺に新たな任務が与えられるらしい。この雰囲気は確実にその流れである。


「涼平。週刊しゅうかん新星しんせいは読んだことがあるかね?」


「そりゃあ勿論。ありますよ。ついこないだも駅のキオスクで買って読みました」


 中川恒元が話題に出した週刊新星とは、今最も勢いのある週刊誌だ。その特徴はなんといっても「新しい星」と銘打っているだけあって、毎週のように目新しいスクープが掲載されていることにある。真偽の程はさておいて読み物としては大変面白いので、俺は店頭で見かける度に好んで購入していた。


「あの雑誌が中川会と事実上の提携関係にあることは知っているね?」


「ええ。何となくは。確かヤクザ絡みのネタを提供する代わりに情報収集を請け負ってもらってるんでしたっけ」


「うむ。知っているなら話は早い」


 大きく頷いた後、恒元は語りを始めた。


「実は今、そこの編集部の記者が極星連合に囚われてしまっていてね。涼平。お前には彼を助け出して貰いたいのだ」


「ええっと。極星連合っていうと仙台の?」


「そうだ」


 事の起こりは5日前。この日付で発売された週刊新星がとあるスキャンダルを暴く特集記事を報じた。その事件自体は至極単純なもので、前年に某有名政治家の子息が仙台市内で開催されたパーティーで違法薬物を使用したというもの。しかし問題はそのパーティーに参加した人物だった。なんと参加者の中には極星連合系二次団体組長の娘がおり、しかも記事では彼女が酒を飲んで騒ぐ姿が写真付きで報じられていた。おまけに当人は事件発生当時まだ17歳だったのだ。当然のごとく極星の連中は激怒し、事件を報じた記者を拉致して監禁してしまったらしい。


「つまりは人質ってことですか?」


「そういうことになるな。極星は新星編集部に対し、記者の解放と引き換えに記事の訂正と謝罪を要求している。カタギなら訴訟で進めるところを実力行使で成そうとしているわけだ」


 要求が受け入れられなかった場合、記者の命は無いということだろう。


「新星にとっては痛い所を突かれましたよね。法的に訴えられるのと違って人の命が懸かっているから迂闊な対応は禁物ですので」


「まあな」


「それに雑誌記者は取材の過程で違法なことを沢山やっているでしょうから警察にも相談できない」


「うむ。その通りだな」


 俺は大きく溜め息をつく。


「それで? 俺にその記者を助け出せと?」


「そういうことだ。頼めるかね?」


「分かりました」


 正直あまり気乗りはしないが、その記者は中川会にとって非常に有益な存在というので仕方がないだろう。俺は渋々承諾した。


 すると恒元は満足げに頷き、こう続けたのだった。


「編集部としては記事を撤回したくはないらしい。そこで涼平。お前は極星の上層部にことづけを渡して金銭で事を収めてくるのだ」


「身代金ってことですか」


「そうだな。さすれば編集部よりさらに上の新星社にも恩を売ることができる。『本来は貴様らが払うべき金を立て替えてやったのだぞ』と」


 なるほど。要するに新星社に事実上の“借金”を負わせ、今後は中川会のために使ってやろうという筋書きだ。確かに、これならば新星側としても俺たちに服従する他ないだろうが……。


「けれども所詮はゴシップ誌ですぜ。大枚はたいて利用する価値はあるんでしょうか」


「良い所を突いたな。涼平。新星の情報力を手中に収めたいのもあるが、我輩の真なる狙いはその先。記事の当事者と接触することだ。読んでみたまえ」

 俺は手渡された雑誌をパラパラとめくる。するととあるページに付箋がつけられていた。


「ほう、これが例の記事ですか。政治家の息子が麻薬をやってたっていう……えっ!? 石丸いしまる秀人ひでと!?」


 石丸秀人といえば最大野党、けんせいとうの代表。90年代には保健衛生大臣を務めたこともある政界の実力者だ。


「うむ。彼の21歳になる息子が今回のスキャンダルの標的でね。かつて麻薬取締局を所管していた旧保衛相の次男がコカイン中毒とは笑える」


「今週号はまだ読んでいなかったもんで知りませんでした。まさかこんなことになっていたとは……」


 既にテレビのワイドショーもこの問題を報じ始めたものの、石丸サイドは頑なに否定。記事に掲載されている写真は息子ではなく、全くの別人だとして新星社側に法的手段を取る旨を匂わせているそうな。まあ、写真の撮れ具合の鮮明さからして残念ながら本物だろうが。


「で、一緒に写っているのが極星連合系組長の娘だと?」


「ああ。にらだてという直参組長の娘でな。極星連合は麻薬の類を全面的に禁じているから、この記事が彼らを大きく揺るがせたのは言うまでもない」


 極星連合側の事情はともかく、俺は恒元がこの問題に積極的に介入しようとしている理由を察した。


「その記者を無事に奪還できれば石丸にとって大きな弱みになるってわけですね。『ヤクザを使って自らに批判的な記事を書いた雑誌記者を始末しようとした』と」


 つまり恒元は麻薬スキャンダルを利用して憲政党を政治的に揺さぶり、同時に今までは対等な関係にあった週刊新星を完全に支配下に置こうというのだ。この2つが達成できれば中川会の影響力は小柳内閣のみならず野党にまで広がることになるだろう。


「でも、どうして極星連合はその記者を殺さずに営利誘拐の体裁を取ってるんですかね? 自分ん所のメンツを潰した憎きブン屋はさっさと始末しそうなもんですが」


「我輩が思うに、きっと奴らも新星社を抱き込みたいのだろうな。例の記者はそのための人質なのかもしれぬ」


「確かに訂正記事を書けば今後は極星連合に頭が上がらなくなるか……」


「ああ。極星連合会長の神林は虎視眈々と関東進出を狙っている。将来的に我々とぶつかるのを見越してメディアを味方につけておきたいのだろうな」


「そもそもの疑問なんですけど、たかが記者一人のために新星社は訂正記事を出すでしょうか? 普通の会社だったら一介の社員のために社全体の方針を変えたりはしませんぜ?」


「ところがどっこい、その記者は恐ろしく有能でな。そいつが記事を書けば確実に売り上げが伸びると来たものだ。今や編集部にとって欠かすことのできぬ存在らしい」


「なるほど。稼ぎ頭だとすりゃあ救出に頭を悩ませるのも無理はねぇか」


 俺は大きく頷いた。それなら極星が記者の命と引き換えに訂正記事を書かせるというのも、あながちおかしな話ではないのかもしれない。


「良いか? お前はこれより仙台へ赴いて極星連合と交渉を行い、記者の解放を取り付けよ。我輩の親書を持たせるから上手く使いたまえ」


「ええ。承知いたしました」


 俺は力強く返事をした。恒元によれば記者の身代金として1億円を小切手で用意しているという。資金難に喘ぐ田舎ヤクザを黙らせるには、そして週刊誌編集部に恩を押し売って金輪際こき使うには充分な額であった。


「分かっていると思うが、今回も兵は出せぬぞ。中川会が極星連合と直接的に事を構えるような展開も避けてくれ」


「はい。そりゃあ勿論。分かってます」


「我輩はこの件を東北の田舎者に釘を刺し、政界全体に力を広げるきっかけとしたい。よろしく頼んだぞ」


「はっ、お任せください……ああ、そうそう。その記者ですが、何て名前なんです?」


「そうだったな。長谷川はせがわだ。覚えておくが良い」


「長谷川ですね。了解しました」


 俺はそう返事して部屋を後にしたのだった。


 なお、補佐役としては酒井を付けてくれるらしい。救出した長谷川を介抱する役も必要となろうから2人以上で行った方が何かと便利だ。


 前回同様、華鈴も連れて行くか――。


 そうは考えたが別件も絡んでいた九州旅行と違って今回は中川会の外交問題だけ。店の修理もあるだろうに、ここで彼女を巻き込むのは申し訳ない気がした。あの娘には何かしらお土産を買って帰るとしよう。


 廊下を歩きながら、俺は交渉の戦略について考えている。


 まずは、如何にして長谷川の解放を働きかけるか。極星連合の神林秀二郎会長には恒元の方からアポイントを取り付けてもらうとして、問題は向こうが交渉に応じるかだ。いくら1億円を払うからといって、連中がそう簡単に返してくれるとも思えない。


 極星連合は何故に長谷川を殺さずにいるのか……?


 おそらく恒元の見立て通り、奴らもメリットを見込んでいるのだろうが、そうだとしても不自然だ。極星は長谷川記者に並々ならぬ恨みを抱いていように。特に極星連合直参の韮建なる組長にしてみれば自分を陥れた不倶戴天の敵ともいえるだろうに。


 そんな考察と推理を繰り広げていると、前方から穏やかではない声が聞こえた。


「おらっ! どうだっ! 痛ぇか、この野郎!」


「き……気は済みましたか……若頭……?」


 ふと視線をやると廊下の奥で男が数人がかりが誰かを殴っている。よく見れば中心にいるのは輝虎だ! そして殴られているのは三淵ではないか!


 一体、何があったというのだろう。俺は慌てて駆け寄って事情を尋ねた。


「おい! テメェら、何やってんだ!」


「ああ?」


 輝虎は俺の顔を見るなり怪訝な顔をする。一方で三淵を羽交い絞めにして暴行を加えていた眞行路一家の組員たちは慌てて立ち上がり、深々とお辞儀をする。だいぶ長いこと殴られていたらしく三淵は傷だらけだった。


「見て分かんだろ。落とし前をつけてたんだよ。このバカが俺の頭越しに会長に直談判しに来やがったもんだからなあ!」


 ――バキッ。


 そう叫んで三淵の顔を更に殴った輝虎。


「おいっ! 止めろ!」


 俺は当然ながら声を荒げて咎めた。すると、輝虎は「ちっ」と舌打ちしてこちらを睨み、こう言い返してきた。


「黙って見ててくれるかねぇ。これは眞行路一家の躾なんだよ」


「躾だろうと何だろうとお前らがいるこの場所は会長のお住まい。狼藉は許さねぇぞ。これ以上、続けるならお前らを殺す」


「だったらテメェは何だ? 部外者が偉そうに口出してんじゃねぇぞゴラァ!」


 そう言って部下に起こさせた三淵の体に連続で拳を打ち付けてゆく輝虎。


「ぶはあっ!? ぶうっ!? ううっ!?」


 ボクサーを想起させる連撃を前に俺は思わず制止が遅れた。


「止めろって言ってんだろ!!」


 どうやら輝虎の怒りは相当に激しいらしい。三淵への暴行を中断させるどころか、むしろエスカレートしているような気さえする。俺は思わず後ずさりしたくなるも、何とか踏みとどまる。ここで引き下がっては元も子もないからだ。


「いい加減にしやがれっ!」


 この場を収めるにはもうこれしかない。俺はすかさず拳銃を抜いて輝虎のこめかみに突きつけた。


「あっ!?」


 流石の輝虎もこれには驚いたらしく、三淵を殴る手を止めてこちらを振り返る。俺は拳銃を構えたまま、冷淡に続けた。


「おい。その辺にしておけよ。頭に風穴を開けられてぇのか」


「撃てるのか?」


「ああ。撃てるよ」


 すると輝虎は鼻で笑ってこう言った。


「撃ってみろよ」


「何っ!?」


 俺が思わず聞き返すと、彼はこう答えたのだった。


「……って言いたいところだけどよ。ここで殺されるのは御免なんでね。あんたの顔を立てて今日の所は引き下がってやるよ」


 嘲弄の笑みを作ってそう吐き捨てると、部下に言い放つ。


「おい」


 指図を受けた部下たちは三淵を放す。そして輝虎は汚れを落とすように両手をこすり合わせると、俺をニヤけ面と共に睨みつけるのだった。


「今のでよく分かったぜ。麻木次長。会長の言いなりのあんたが俺に銃口を向けたってことは、会長は俺を後継者にする気はさらさら無ぇんだな」


「ああ? 何を言ってやがる?」


「別に構わねぇさ。どんな裁定を下すかは知らんが、最終的には俺を選ばせてやるよ。それが物事の正しい道理ってやつさ」


 俺は眉間に皺を寄せる。輝虎はそんな俺を嘲笑うように一瞥すると、部下と共に踵を返して去って行ったのだった。


「三淵! 大丈夫か!」


 俺はすぐさま三淵の元へ駆け寄ると、彼の体を抱き起こした。顔中アザだらけで出血もしているものの、幸いにも骨が折れている様子はないようだ。


「……見苦しい所を見せてしまってすまないな。麻木次長。若頭の癇癪には困ったもんだ。昔から何か気に食わぬことが起こるとすぐにあの調子だ。まったく」


 よろよろと立ち上がりながら三淵は自嘲気味に笑ってみせた。俺は肩を貸して誰も居ない小部屋まで移動させると、ポケットから煙草を取り出した。


「吸うか?」


「ああ。助かる」


 煙草の味は軽い痛み止めになる。


 尤も、彼を人気の無い所へ連れ込んだのは傷の手当てをするためではない。どうにも気になっていることがあったのだ。このタイミングで尋ねて良いのかは分からぬが、俺は意を決して問うてみる。


「おたくの姐さんが会長に裁定を願い出たってやつ。あれはお前が考えた嘘か?」


「ああ。そうだ」


 何ということだ。誤魔化すどころか三淵は即答したではないか。意表を突かれながらも、俺は思わず聞き返した。


「何故だ? 上意を騙るのが重罪ってことくらいは分かんだろ? そんなことをしたらタダじゃすまねぇってことも……?」


「分かっているさ。全て承知の上だ。それでもやらなきゃならなかったんだよ」


 そこで三淵は少し言い淀むも、やがてこう続けるのだった。


「秀虎様を守るためだ。若頭が後継者になれば必ずやあのお方は命を狙われる。それを防ぐためには秀虎様に後継者となって頂くしかないんだよ」


 秀虎を守るためにこそ後継者に据える――それは酒井とまったく同じ理屈であった。


「だから姐さんの意思と偽って独断で裁定を願い出るような真似をしたってのか!?」


「ああ! そうだ! どんな罰を受けたって構わん! 後々で殺されたって文句は無い! 姐さんのお子をお守りできるなら、それで……!」


「そうまでして尽くしたいってのかよ」


 呆れるように溜息をついた俺に三淵は絶叫で応じた。

「当然だ!! 姐さんは俺の恩人なんだっ!」


 その声の圧に俺は思わず息を飲む。


「あの方は俺が極道になる前の、まだただのチンピラだった頃からの付き合いだ! そして俺に生きる術と居場所を与えてくれたんだ!」


 三淵は語り始めた。それは俺が今まで知る由も無かった眞行路淑恵の過去でもあった。


 高校を中退して荒れていた少年の日の三淵史弥。


 元は中川会直参『三淵組』組長の息子として生まれた三淵史弥は、煌王会系組織との抗争で両親を失い、10歳で天涯孤独の身となった。働くことも学校に行くこともせず、路上で生きる孤児として荒れに荒れる毎日。そんな折に彼を拾ったのが淑恵だった。


 彼女は三淵を銀座の眞行路屋敷に連れ帰り、そこで彼の才能を見出して極道の世界へと引き入れたのだ。


「姐さんは俺を救ってくれたんだ! その恩を返すにはこれしかねぇんだよ!」


 そう叫んで三淵は拳で床を叩いた。そしてこう続けるのだった。


「俺には立身出世の夢も無ければ、野心もぇ! あるのは忠誠心だけだ! 姐さんを幸せにするためなら何だってやってやる! 手段なんか選んでられるかよ! 俺はあの人を! あの人の愛する息子を! 必ず守ってみせる! 何が何でもだァ!!」


 俺は思わず言葉を失った。彼の覚悟に圧倒されたからではない。むしろ逆だ。あまりにも切実で悲壮なその叫びに同情してしまったがゆえに何も言えなくなってしまったのだ。


 だが、それでも言わねばならない。水を差すのを分かった上で俺は口を開いた。


「……三淵さんよ。あんたの気持ちは分かったわ。けど、あの人の気持ちを一番に考えるなら無理に秀虎を後継者に据える必要は無ぇんじゃねぇのか」


「何だと!?」


「本人の意思を偽ってまでやるべき事じゃねぇんだ。何しろ、今の時点じゃ次男坊の極道入りを躊躇っていたんだからよ」


「甘いぞ麻木次長! 若頭が後継者になれば秀虎様は殺される! それを防ぐには秀虎様に跡を継いで頂くしかねぇんだ!」


「そうなったらそうなったで輝虎は弟を殺すぞ。跡を継げなかったことを恨んでな。むしろ危険は増すんじゃねぇのか」


 そう問うと三淵は口ごもった。俺は畳みかけるように言った。


「それによ。三淵さん、あんた『姐さんは俺の恩人なんだ』ってさっき言ったよな」


「ああ! それがどうした!?」


「だったらその恩人を騙しちゃいけねぇだろ。秀虎を後継者にしてくれと頼まれたわけでもねぇのに。もし輝虎がこのまま躍起になって秀虎を殺すようなことがあれば、あの人が一番傷つくじゃねぇかよ」


「……それは……っ!」


 三淵はそれ以上の言葉を紡げなかった。図星を突かれたというよりは、彼としても己のしたことに申し訳なさがあったのだろう。嘘をついたという行為はともかくとしてこの三淵史弥という男は忠誠心に溢れる。


 裁定願い出の件は最早どうにもならない。恒元も三淵が偽りを述べたことを踏まえた上で敢えてそうすると決めたのだから。


 俺は三淵に小声で問うた。


「……お前が嘘をついていることを知ってるのは他に何人だ?」


「あんただけだ」


 彼曰く精神に不調を来した淑恵は今のところ寝込んだままだという。意識が朦朧としており、所々でうわ言を口走るほどなのだとか。


「なるほど。じゃあ、お前は嘘がバレそうになったら『姐さんがそれらしいことを言ったので』と弁明するつもりだったってわけか」


「あ、ああ。そうだ」


「けっ。とんだゲス野郎じゃねぇか」


 淑恵の世話を任されて部屋で二人きりになった三淵ならば、確かに言質を得たと偽れるだけの状況が揃っている。これを世間一般では“好都合”と呼べるのだろう。是非の程はさておき俺は頭を回した。


「だったらその嘘をつき通せ。俺以外には他言無用だぞ。たとえ誰に聞かれても明かすなよ。絶対にだ。それさえ守ってくれりゃあ、俺が必ずや調和をもたらしてみせる」


「分かった。あんたに明かして正解だった。あんたならそう言ってくれると見込んでいたよ。協力者になってくれるとな。非常に助かる」


「おい。まだ協力するとは言ってねぇぞ」


「分かってるさ。だが、あんたなら必ずや俺の望む結果に導いてくれるはずだ。何せ、あんたは俺と同じ穴のムジナだからな」


 同じ穴のムジナ――まあ、似たようなものだろう。嘘つきの三淵を咎められぬほどに俺もまた相当に卑劣なことをやっている。手を汚すのにはだいぶ慣れてきたところだ。


「……へっ! 違ぇねえな!」


 俺は思わず笑ってしまった。三淵もそれにつられて笑い出す。


 三淵史弥の間には奇妙な協力関係が生まれたような気がした。なお、彼には会長の真意を伝えていない。嘘に気付いていることは勿論、口では耳触りの良い方便を垂れておきながら実際には眞行路一家の事情など微塵も考えていないことを。


 中川恒元の側に仕えて半年。俺もだいぶ彼のやり方に染まってきたようだ。


 揚々と総本部を出て行く三淵の背中を見ながら、俺は少しばかり自嘲的な思いに駆られていたのだった。


「……」


 さて、それはそうと。俺にはやることがある。今日のうちに東京を出発して仙台へ向かわなくては。

 準備のためにいったん自室へ戻った俺。キャリーバッグに2日分の荷物を作っていると、部屋の扉をノックする者が居た。


「おう」


 そう声をかけると、扉が開いて意外な人物が現れる。原田である。


「麻木の兄貴! お話が……!」


「ああ?」


 暫く頭を冷やすということで暫く休暇を取っていた彼である。確か昨日辺りから執事局に帰参したとの話だったか。そんな彼が何の用だろうか。


「兄貴じゃねぇ。次長だ。お前、どうした? もう大丈夫なのか? 落ち着いたのか?」


「ええ。まあね。今日は兄貴にお話があって来たんです。単刀直入に言います。俺を仙台まで一緒に行かせてください」


「へ?」


 だから兄貴じゃないっての……と言おうとした口で固まる俺。仙台に同行させよとはどういう風の吹き回しか。あまりにも突拍子も無い申し出ではないか。


「いや、ちょっと待て。まあ、とりあえず入れよ。話はそれからだ」


「はい。失礼します」


 訳が分からないが、玄関先で立話をするのも無粋だ。俺は原田を部屋に招き入れる。応接用のソファーのある広い部屋でもないので、俺はテレビの前の椅子へ座るように促した。そして俺はベッドに腰かけたのだった。


「で? さっきの話だけどよ……どうして仙台に行きてぇんだ?」


 原田は神妙な面持ちで答える。


「この数日の間、俺は自分がいかに甘い人間だったかを痛感させられました。直参組長の息子って立場に胡坐をかくだけで」


「いや、そうでもなかったと思うぜ?」


「俺は腑抜けた自分を鍛え直してぇんです! 銀座で連合軍をひとりで返り討ちにした兄貴みてぇに強くてカッコいい男になりてぇんです!」


 そこで言葉を区切ると、原田はこう続けた。


「だから兄貴! 俺を仙台に連れて行ってください!」


「いや、だから……俺は次長だっての。それに仙台へは武術の修行に行くわけじゃねぇんだ。会長の命令を預かった外交で行くんだ」


「お願いします! 足手まといだけにはなりませんからっ!」


 そんなやり取りをしているうちに時刻は午後5時を回っていた。今回は新幹線を使わず高速道路で行くから移動時間を要する。ゆえにそろそろ出発せねばなるまい。俺はキャリーバッグに荷物を詰め込む作業を終えると部屋を出た。原田もそれに続くように出てくる。


「おい、マジでお前も一緒に行くつもりか?」

 そう尋ねると彼は頷いた。


「はい! 仙台へ車で行くんだったら運転手が必要でしょう! 俺に任せてください!」


「いや。運転手はお前じゃなくたって大丈夫だ。大体よぉ、仙台には酒井が……」


「会長に言われてます! お付きの者が酒井だけじゃ心許ないだろうからお前も一緒に行けって!」


 やれやれだ。それならそうと早く言えば良いものを。


「分かったよ。じゃあ、一緒に行こうぜ」


「ありがとうございます!!」


「ただし、絶対に足手まといになるんじゃねぇぞ。特に酒井とは揉め事はもってのほかだ。もし現地で面倒を起こせばその時は……」


「はい! 煮るなり焼くなり好きにしてください! 兄貴!」


「兄貴じゃねぇ。次長だ」


「えへへっ」


 こうして俺は原田を連れて行くと決めたのである。まあ、会長の思惑としては犬猿の仲の酒井と原田を組ませて、奴らの仲を取り持ちたかったのかもしれない。そう考えてのことだろう。


 総本部を出た後、酒井を含めた俺たち3人は一路仙台を目指す。車中では他愛もない話が続いたが、やがて話題は俺が九州で成した功績へと及んだ。


「兄貴! 局長から聞いたんですが、別府の杵山組を直参に引き入れたそうですね!」


「……ああ」


「凄いじゃないですか! 局長が褒めちぎってましたよ!」


 興奮気味にまくし立てる原田。


 どうやら彼には俺が偉業を成し遂げたように思えるらしい。だが、それは違うのだ。俺はただ単に膳立ての済んだ料理を食らったようなものなのだから。


「いや……あれはだな……」


「兄貴! 俺もいつか兄貴みたいにデカいことをやってみたいんです! だから色々教えてくださいよ!」


 いや、だからそうじゃないんだって。杵山組は俺が行った時点では既に中川会入りが決まっていたようなもの。俺はその最後の後押しをしたに過ぎないのだ。


「確か杵山組の直参盃の儀式は18日でしたっけ?」


 執事局のメンバー全員に配られる予定表を眺めながら原田が言う。すると運転席でハンドルを握る酒井が声を上げた。


「25日だよ。馬鹿野郎。お前、ちゃんと見ておけ」


「あ。そうったけ?」


「17日前後までは九州全土で警察サツの取り締まりが厳しくなるだろうから延期してぇって杵山が言って来たんだろうが。ちゃんと覚えとけよ」


「へぇ。そうなのかあ」


 原田が酒井に叱られたのを傍目に、俺は記憶を呼び起こした。そう言えばそんな話を聞いた気がするな。九州各県の警察本部は玄道会の影響下。そんな玄道会領の中でぽつんと飛び地のごとく存立する杵山組に対しては、当然のごとく大分県警の締め付けが及んでいるのだ。


「そういやあ17日に何かあるんだっけ?」


「馬鹿が。鹿児島の指宿で日韓首脳会談だよ」


「日韓……何だそりゃ?」


「お前はニュースもろくに観てねぇのか。本当にアホだな」


「うるせぇぞゴラァ」


 揉めそうになった2人に咳払いで釘を刺しつつ、俺はすっかり暗くなった首都高速の風景を眺める。立ち並ぶビル群の灯りを見てふと思った。

 まだ自分は何も無し遂げてはいないのだと。

 俺が杵山組の直参盃を成就させたのは確かだ。されど、杵山組長を傘下に入れたのは眞行路高虎の功績であって俺のものではない。


 このところは周囲から妬まれていると自覚するようになった。特に別府から戻って以降は『キングメーカーにでもなったつもりか』と他の直参組長たちから露骨に陰口を叩かれたりもした。そんな俺だが、今のところ実績と呼べる実績は無いのだ。男としてはつくづく情けない限りである。もっと手柄を立てなくては。そのためにも機会は最大限に活かさなくては。


「……東北から何処かの組を引っ張れたら良いな」


 思わず独り言がこぼれた。


「えっ? 次長、何ておっしゃいました?」


「兄貴!?」


 バックミラー越しに瞳をキラキラさせる酒井と原田。おっといけない。聞かれてしまったようだ。


 今回の仕事は人質の救出。極星連合に拘束された雑誌記者を助け出すことなのだから。それ以外の展開を考えては任務に差支えが出る。


「いや、何でもねぇよ」


 そう呟いて今一度車窓へと視線を戻した俺。時刻は既に午後9時を回っていた。高速道路の電光掲示板には『仙台まで残り2時間』と表示されているが、この調子だと到着は深夜になるだろう。まあ、別に構わないのだが。


 そんなこんなで車はサービスエリアへと入った。トイレ休憩である。


「俺、飲み物買って来ます!」


 そう言って原田が車を降りる。俺は酒井と2人きりになった。


「ねぇ、次長」


 酒井が話しかけてきたので俺はそちらに顔を向ける。

「何だ?」


「こういうサービスエリアって何か良いですよね。旅気分っていうか」


「そうか? 俺は別にそうは思わねぇけど」


「え~っ!? そうですか?」


 酒井は不満げに言う。


「だって、ほら! サービスエリアって色んなお店がいっぱいあるじゃないですか!」


 確かに。このサービスエリアには食事処やお土産屋などが多数出店されているようだ。遅い時間帯にもかかわらず営業しているのは地方特有の事情か。だが、そのどれもが俺には縁遠い存在のように感じられた。そもそも旅行にすら行ったことがないのだから当然と言えば当然だが。


 そんな俺の胸中を知ってか知らずか、酒井は続ける。


「あとね! サービスエリアのフードコートって凄いんですぜ!」


「まあ、確かにな」


 俺は適当に相槌を打つ。すると彼はさらに続けた。


「だって、色んな店があるんすよ! 蕎麦屋とか寿司屋とかラーメン屋とか! まるでファミレスみたいじゃねぇですか!」


「そりゃあそういうのが売りなんだから。沢山あって当たり前だぜ。むしろ大抵のものが食えなきゃ客を呼べない」


「だからってわけじゃなかったんですけど。ガキの頃によく連れて来てもらったのがフードコートでした。車に乗っての旅行気分とグルメ三昧を同時に味わえますから」


「へぇ。そうなのか」


 酒井の父である酒井義直組長は本当に家族想いな御仁であり、息子である祐二をしばしばドライブに連れて来ていたのだ。とはいえ多くの仕事をこなす直参組長という多忙な立場ゆえに遠出はできない。ゆえに行き先といえばいつも近場のサービスエリア。そこのフードコートで息子に食べたいものをたらふく食わせて帰る。そうした日帰り家族旅行が酒井家の定番だったそうな。


「はい! ガキの頃は楽しかったなあ……って思い出しちゃって」


「羨ましいもんだな」


 そんな会話をしていると原田が戻って来た。手には缶を3本持っている。


「あれ? 2人とも何の話してんすか?」


「何でもねぇよ」


 俺はそう返すと缶を受け取る。妙に表面が温かく感じる。ふと気になって側面を見ると、そこには『コーンポタージュ』と表示されていた。


「おいおい。何でコーンポタージュなんだよ。こういう時はコーヒーって相場が決まってんだろうが」


「いや、だってこの後で寝るじゃないっすか。仙台に着くのは22時を過ぎるでしょうから極星のお偉方とは明日以降にしか会えないわけで」


 到着後は仮眠をとる流れになるのは既定事項だろうが……それにしても溜め息をつくしかなかった。何故にコーンポタージュなのか。


「あのな。原田」


「はい?」


「スケジュール的にカフェインを摂るのがまずいのは分かるが、コーンポタージュはねぇだろう」


「いや! こんな寒い夜の定番といえばコーンポタージュでしょう! 俺は他に考えられなかったっすよ!」


「他にあるだろう。紅茶とかレモンティーとかホットのやつがよぉ」


 よりにもよって最も癖のある商品を選んできた原田のセンスには呆れを通り越して驚嘆すら覚える。


「ほら、騙されたと思って飲んでみてくださいよ。美味いっすよ」


「ったく。買っちまったものは仕方ねぇか……」


 このまま突き返すのも忍びなかったので。俺は舌打ちの後でプルタブを開ける。湯気の立ち込める中で口を付けると、その温かさがじんわりと身体に染み渡ったものだ。


「美味いな」


 俺は素直に感想を口にする。それを聞いた原田は満足げに頷いていた。


「でしょう!? すげぇ時代になったっすよね。あのコーンポタージュを自動販売機で買えるんだから」


「だが、コーンの粒が邪魔だな。飲み口を塞いでスープを啜りにくくなっちまってる。こりゃあ飲み終わった後で中に溜まるぜ」


 そんなやり取りをしていると酒井が口を開く。


「こうすりゃ良いんですよ」


 彼はそう言うと缶を上下に揺すった。するとスープの粒が飲み口から流れ落ちる。


「なるほどな」


 俺は感心して頷いた。確かにこうすれば良いのだ。酒井曰く雑誌の受け売りとのことだが、このような裏技を知っているとは見事なもの。


「良いセンスだと思いますよ。俺は。ちょうど寒かったんで温かいスープって気分でした。流石は元ヤン。寒い夜に飲むドリンクの美味さをよく分かってる」


 その言葉に原田がたまげたような顔をする。


「おっ、お前……!?」


「何だよ。ジロジロ見やがって」


「俺のことを褒めたのか!?」


「別に。褒めちゃいない。ただ味の感想を述べただけだ」


「嘘つけ! 絶対褒めてくれたよなあ!」


「言ってねぇよ」


 そう吐き捨てて、そっぽを向いた酒井。だが、内心は嬉しかったのだろう。偶然とはいえ、これまで視線を合わせることすら憚れるほどに犬猿の仲だった同輩と僅かながらにも心が通じ合ったのだから。


「おいおい! 照れるなって! 酒井、お前って案外可愛いとこあるじゃねぇか!」


「うるせぇ! 触んじゃねぇ! 殴るぞ!」


 さながら子供のように彼らはじゃれ合う。原田としても酒井から思いもよらぬ言葉をかけられたことが嬉しかったに違いない。雑談であってもこうして仲が深まるのは上役として喜ばしい限り。


 どうかこのまま仲良くなってほしいものだ――。


 そう思って残りのコーンポタージュをぐいっと飲み干した、直後。携帯が懐の中でバイブ音を鳴らした。


「ん? 電話?」


 誰からだろうと思って端末を開くと、そこには会長の個人番号が表示されているではないか。俺は慌てて受話ボタンを押した。


「もしもし。麻木です。いかがされましたか?」


『どうだね? 調子は? 原田は上手くやれているかね?』


「はい。常磐道のサービスエリアに居ますが今のところ問題ありません。酒井とも揉めてねぇどころか今日は珍しく馬が合ってるみたいで」


『そうか。それなら良いが……ぷぷっ』


 そこで会長は言葉を区切った。何やら笑いを堪えている様子である。俺は疑問に思って問いかけた。

「何かありました?」


『……いやあ、先ほど連絡があってな! 眞行路秀虎が銀座から姿を消したそうだ!』


「えっ!?」


 思いきり吹き出した恒元の声色とは対照的に戸惑った俺。秀虎が居なくなったとは、如何なることか。すかさず詳細を尋ねる。


「姿を消したって、何があったんです?」


『三淵が言うには少し席を外した隙に屋敷から忽然と居なくなったそうだ! 近くの何処を探しても見当たらんと! 奴は本家にも捜索の協力を求めてきたよ!』


「ああ……そういうことですか」


 俺は納得して頷いた。突如として屋敷を抜け出して行方を眩ませた秀虎。何が起きたのか真相の程はともかく、今この時この状況での失踪となれば不測の事態の発生を考えるのが自然だ。さしずめ三淵は『輝虎に何処かへ連れ去られた』とでも推測したか。輝虎が弟への敵意を露にしている以上、大いに有り得る話なのだが。尤も現時点では根拠が薄い仮説だ。


 一方、恒元が電話口で爆笑している理由はすぐに見当がついた。もし本当に輝虎サイドが秀虎へ先制攻撃を仕掛けていたとなれば、それは兄弟喧嘩の勃発を意味する。


 本家としては願ったり叶ったりの状況となる。


『あまりにも三淵がうるさかったもので銀座へ何人か執事局の者を送ってやったが、まあ無理だろうな。何せ助勤どもには「本気で捜すな」と命じておいたのだからね。ククッ』


 相変らず嫌な野郎だ。それはさておき、俺は恒元に尋ねた。


「もしも輝虎が秀虎殺害に出たとすれば、それはこの問題の裁定を決めた会長の顔に泥を塗る行為になります。その場合は奴をどうしますか?」


『いや。まだ裁定についての御教書は書いていない。だからもしそうなったら輝虎の行為は不問として、そのまま総長の座に就いてもらう』


「会長はそれでよろしいのですか?」


『ああ。そうなったら、たぶん三淵ら秀虎グループが激昂して輝虎と戦争を始めるだろう。それで輝虎が討たれてくれたらなお良い』


「でも、それじゃあ後継者が……」


『3歳になるっていう彼らの甥がいるじゃないか。そいつを後継者に就かせて本家の管理下に置く。我輩としてはその方が操りやすいからね、フフッ』


 恒元としては眞行路一家を弱体化させた上で支配できればどうだって構わないようだ。俺も彼の側近として本来ならばその辺りを見据えるべきなのだろう。本家の利益のためには無駄な感情を挟む必要など無いと、己に言い聞かせるように俺は会長に返事を投げた。


「確かに。その通りですよね」


 こちらの反応に恒元が満足気に笑ったのが聞こえる。


『まあ、とにかく。秀虎の捜索は三淵らに任せるとして、お前には極星連合との交渉をしっかり成し遂げてもらいたい』


「はい」


 俺は素直に返事した。そして通話を切ろうとした時である。恒元は思い出したように言った。


『ああ、そうそう! 言い忘れていたのだがね!』


「何でしょう?」


『例の韮建という極星傘下の組長は実に野心家のようだよ。組織への忠誠心はあまり高くないらしい。頭の片隅にでも入れておいてくれ』


 それってつまり……。


 詳しく聞かずとも、俺は頭の中で俺なりの結論を導き出した。要は言葉の行間を読んで意を汲めということなのだろう。


「承知いたしました」


『うむ。期待しているぞ』


 何事もなかったように電話を切った俺。だが、これより仙台の街で成すべきことは既に定まっていた。通話の終了後に独り言がこぼれる。


「……その韮建って野郎を中川会こっちに取り込めってかよ」


 会長は韮建なる男が極星連合に対してはさほど忠義者ではないと言った。つまり、その人物を配下に加えようとしているということに他ならない。


 長谷川記者の解放を交渉すると同時に韮建が極星連合を出奔するよう調略を仕掛ける。それこそが今回の俺に下された追加の任務だ。まったく、なかなか難しい仕事を寄越してくれるではないか。


 けれども、それが会長の命令だというのなら俺は従わなければならない。


「まあ、仕事だからな」


 そう呟いた後で部下たちに言う。


「原田。酒井。そろそろ出発しようぜ」


「えっ? もうですか?」


「ああ。仙台に着くまであと2時間って距離だが、出来ることならさっさと現地入りしてぇんだ」


 それは決して嘘ではなかった。極星連合との交渉は明日。なればこそ、今日のうちに仙台の街をめぐって色々と下準備を済ませておきたいのだ。


 先ほどの俺の独り言を原田と酒井の両名は聞いていたか。それは分からない。だが、彼らは俺の言葉に素直に応じて車へと向かってくれた。


「んじゃ、さっさと行きましょうぜ。兄貴。仙台って街は初めてですけど、どんな奴が相手でもぶっ飛ばしてやりますよ」


 運転席に座った原田が自信たっぷりに宣う。そんな奴に、後部座席で俺の隣に陣取った酒井が嫌味たっぷりに突っ込む。


「おい。何を言ってる。俺たちは極星連合とナシをつけに行くんだ。戦争に行くんじゃねぇんだぜ。無駄に血気にトチ狂って次長に迷惑かけんじゃねぇ。クズが」


 すると原田は即座に声を荒げた。


「うるせぇ! 黙れ! てめぇは一言多いんだよ酒井! もしかしたら東北のクソ田舎者どもが兄貴を狙ってくるかもしれねぇだろ! そうなった時の話だ!」


「ふんっ、そうなったら俺がまとめて帰り討ちにしてやる! お前の出番はこれっぽっちもぇから引っ込んでるこったな!」


「温室育ちの雑魚に何ができるってんだよ! ストリートで鍛えた鋼の拳を持つ俺の方が強いっての! お前の方こそ引っ込んでな!」


「素手の殺しは確かにそうかもしれんが、射撃の腕なら俺の方が上だ! まともに拳銃ハジキも握れねぇお前とは格が違うんだよ!」


「銃じゃ引けをとっても気合いじゃ俺に敵わねぇ!」


「いいや! 全てにおいて俺が勝ってるっての!」


 ついさっき絆を深めたと思いきや、もう喧嘩を始めた二人。上役としては呆れ返るしかない。けれどもその光景が何だか今日は可笑しくも見える。


 どうかこのままお互いを認め合う仲になってくれと心で笑みをこぼしながら、俺は賑やかな車内の時間に浸っていたのだった。


 そうしているうちに車は夜の東北自動車道を北上し、俺たちは県境を超えて宮城県内へと入ったのである。


「おい。ここから先は紛うことなき極星連合のシマ内だ。気を緩めるんじゃねぇぞ」


「分かってますよ、兄貴!」


「任せといてくださいよ、次長!」


 原田と酒井は威勢よく返事を寄越した。


 東北全土を仕切る極星連合であるが、その系列組事務所が置かれている市町村の南端は宮城県蔵王町。ゆえに福島県内は実質的に緩衝地帯のようなもの。中川会が極星側に遠慮して北へ勢力を伸ばさずにいることで微妙な力関係が維持されているのだ。


 土建系ヤクザとして名を馳せる極星連合。その傘下には、もちろん中川会のフロント企業との付き合いがある会社もいくつか存在する。


 だが、それはあくまでも商売相手であって友好関係ではない。今の段階で無いというだけであって、もしも今後何かしらトラブルが起こればその時点で膠着状態は一気に崩れて大戦争に突入する。彼らの勢力圏へ足を踏み入れる俺たちは油断ができなかった。


「お前ら。分かってると思うがこの辺の警察サツは軒並み極星連合の味方だ。銃や短刀を見咎められたら一発アウトってことを覚えとけよ」


 だが、その刹那……。俺の懐で携帯がバイブ音を鳴らす。どうやらまた電話がかかってきたようだ。


 俺はボタンを押して出た。相手はまたしても相手は恒元である。


『もしもし? 涼平?』


「はい」


『今どこら辺だ?』


「仙台の市街地まであと30分ぐらいのところまで来ました」


『そうか』


 電話口から聞こえる恒元の声は上機嫌。だいぶ酒に酔っているのが伝わってきた。


「どうされたんです?」


『銀座の手伝いに回した者どもから報告があったのだがね。やはり秀虎は何処にも姿が見えないそうだ。おまけに輝虎も屋敷には戻っていないとの話でな』


「それってつまり……」


『ああ。そういうことだ。じゃあ、またな。今宵は我輩はアリーシャと飲むから涼平も東北の夜を楽しむのだぞ。おやすみ。あはははっ』


 そこで切れてしまった電話。恒元の説明はだいぶあやふやだったが、俺には大まかながらに伝わった。秀虎は兄の輝虎に拉致された可能性が高い。今の時点で二人がそろって姿を消しているというからにはそれしか考えられまい。恒元が嬉々として酒を食らっているのも頷ける。あの組の内紛が激しければ激しいほどに本家、すなわち中川恒元の旨味は増すのだから。


「兄貴? 今の電話は?」


「会長からだよ。銀座でトラブルだと。東北の件が片付いたら慌ただしくなるぜ。色々とな。俺たちにとっては痛し痒しってところだが」


「なるほど。じゃあ、さっさと片付けないとですね」

「ああ! 気合い入れていくぜ!」


 俺がそう檄を飛ばすなり、運転席の原田は車をさらに加速させたのであった。


 もりみやこ――その二つ名を持つ街は日本でもここしか無い。宮城県仙台市。その異称に恥じぬほどに緑豊かな土地だ。


 仙台は東北地方の太平洋沿岸に位置し、宮城県内では最大の人口を誇る街である。その総数はおよそ108万で、これは東北圏において最大の規模となる。


 高速を降りて国道48号線をひた走ってゆくと、漆黒の宵闇の中に灯りが見えてくる。爛々と輝くそのネオン街は、まるで地上に現れた星空のようにも見えた。

「次長! あれが仙台ですぜ!」


 酒井が叫ぶ。俺は頷きながら言った。


「ああ。間違いない」


 一方で都心部から少し離れたところには緑豊かな田園地帯が広がっている。そのコントラストが実に印象的な光景だった。都会の喧騒に疲れた人々はこの地を安息の地と崇めるのだという。確かにここは東京23区とはまた違った雰囲気だ。しかし、そんな街にも闇があることを俺たちは知っているのだ。


 この街を仕切る暴力団、極星連合。その総本部は仙台市のド真ん中にある。そこは一番町1丁目、通称『フェニックスタワー』と呼ばれる摩天楼だった。


 地上100メートルはありそうな高さ。おまけに夜でも煌々と明かりが灯されていた。それはまるで俺たち……いや、カタギの住民たちに対する威嚇いかくにも見える。暴力団がこれほどの高層ビルを一棟丸ごと所有しているのも珍しい。それもそのはず、このビルは極星連合が隠れ蓑とする日本有数の建設会社『鳳桜建設』の本社なのである。


「うっわ……こらまたすげぇビルっすねえ。ここって本当に東北にある街なんすか。さっきまでの田園風景が嘘みたいっすよ」


「仙台は東北唯一の政令指定都市。砂漠の中にポツンと佇むオアシスみたいな街だ。当然、東北の人口分布は仙台への一極集中さ」


「なるほど……」


 一方で酒井は周囲をきょろきょろと見渡していた。


「ヤクザっぽい奴はいませんね。第一印象はカタギのサラリーマンって感じの人間ばかりです。上手く建設会社と同化してるみたいです」


「そうだろうな。極星連合はあくまでも土建屋を標榜している。博徒や的屋とは違うんだってのを服装で表してぇのかもしれねぇぜ」


「でも、ひとたびコトが起これば稼業人の凄みを見せつけてくる。真っ当なゼネコンを気取っておきながら堂々と犯罪に手を染めるんですから。よく分からん奴らですよね」


 土建系暴力団、極星連合の実態を分かりやすく言い表すなら『建設会社がヤクザをやっている』といったところか。


 明治時代に設立された鳳桜建設の前身となる土木会社は他業者から自分たちの利権を守るべく、職人たちによる自衛集団を結成した。彼らは時代を経る毎に凶暴化して銃や刀剣で武装、次第に暴力団としての色合いを増してゆく。尤も、戦前は土建の職人自体が荒くれ者の集まりといわれていたから極道との見分けはつかなかったであろうが。


 そんな自衛集団が戦後に称した組織名こそが極星連合だった。代紋を掲げ、裏社会のシノギにも手を出すことで正式にヤクザに昇華したのだ。


 彼らは土建業で稼いだ金を元手に、瞬く間にその規模を拡大させてゆく。そして昭和30年代になると極星連合は『鳳桜建設』という持株会社に衣替えした。これで表向きにはカタギの商売人に擬態することに成功する。


 だが、それはあくまでも表面上の話であり、連中の本質は変わらない。それどころかさらに凶暴さを増長させていった。本職ヤクザとの戦争を繰り返して時代が平成になる頃には東北全土を統一。その勢力圏内から博徒や的屋を一掃し、極星連合は東北の裏社会を土建屋の支配する世界へと完全に作り変えたのである。


 閑話休題。そんな極星連合に対して俺たちは今まさに外交戦を仕掛けようとしている。東北ヤクザのサクセスストーリーの象徴とも云うべきタワーを見上げ、やってやろうぜとばかりに気合いを入れておく。


「舐められちゃいけねぇよ。俺たちは天下の中川会なんだからな」


 俺はそう呟いた後で原田に指示を飛ばした。


「おい、原田! そろそろ車止めろ!」


「はい!」


 そうして俺たちは夜の仙台の街へと降り立ったのである。時刻は22時を回ったところである。


 仙台といえば国分町。その代名詞は誰もが知るところである。美味い料理に酒とセックス、金さえあれば無限に遊んでいられる東北最大の歓楽街だ。


 しかし、そんな国分町の中でも群を抜いて華やかな一画がこの国分町からほど近い広瀬通り沿いに存在していた。それが『もとやなぎちょう』と呼ばれるエリアだ。ここは“日本のラスベガス”として東北どころか全国中に名を轟かせる場所であった。


「凄ぇ! 東京にもあんな建物はありませんぜ! 兄貴ぃ!」


 原田が車窓から顔を出して叫ぶ。少しは落ち着けと窘める酒井も内心ではネオン街の壮麗さにすっかり見とれているようだ。俺もまた窓を全開にして外を眺めようと身を乗り出す。すると、そこは確かに別世界のような光景が広がっていた。あまりにも眩しくて気絶しそうだ。


「ああ。そうだな。本家のラスベガスと唯一違うのは賭博が合法じゃねぇってことくらいか」


 賭博の代わりに元柳丁ではセックス産業が隆盛を誇っている。キャバクラやホストクラブ、ヘルスにイメクラ、セクキャバにソープランドといったいかがわしい店が堂々と看板を出しているのだ。どうやらここに限っては県の条例が緩いらしい。


「東京の歌舞伎町でも、もうちょっと控えめだってのに……ここはヤバいっすね。『おっぱい揉み放題』なんて看板が大通りに出てるなんざ。たまげましたぜ」


「鳳桜建設は今や日本第2位のゼネコンだ。そこの企業城下町でいる経済効果は計り知れん。県や市もカネを落としてくれる会社にゃ頭が上がらねぇんだろ」


「賄賂とは違ったやり方で行政を牛耳ってるってわけですか。確かに東北は過疎が進んでるって聞きます。地域経済としても鳳桜建設が頼みの綱なんですかね」


 酒井は少々ドン引きしているようだった。


「まあ、そうかもしれねぇな」


 軽く呟いて窓を閉めた俺。出来ることならこのまま街で夜通し遊びたい気分であるが、残念ながらそれは許されない。東京ヤクザの俺たちが迂闊なことをすれば騒動の火種になりかねないからだ。外交交渉を控えて遊興は禁物。それは思慮深い酒井のみならず、見るからに遊び好きそうな原田も分かっているようだった。


「ちぇっ、つまんねえの。せっかく来たんだから田舎女のおっぱいを味わって帰りたかったなあ」


「何を甘えたこと言ってやがる。この街の至る所に極星連合の監視網が張られてるんだ。明日にはその上層部とナシを付けるってのに、軽はずみなことが出来るかよ」


「うるせぇよ。酒井。言われなくても分かってるっつうの」


 言い争う二人はともかく、部下たちに自制心があって助かった。


 さて、今すべきことは体を休めることだ。俺たちは国文町を少し離れた所にあるビジネスホテルに宿を取っている。酒井が気を利かせて予約してくれたものだ。

 ホテル備え付けの駐車場に車を停めてフロントへ向かったのが22時35分。そこは24時間対応というだけあってこの時間帯でも従業員が数名待機していた。

「いらっしゃいませ」


 俺がチェックインの手続きをしている最中、酒井と原田はロビーで煙草をふかしている。その二人と視線が合うなり俺は言った。


「お前ら! さっさと部屋に行けよ!」


「へーい」


 二人は軽く手を挙げてからエレベーターホールへと歩いて行ったのである。何だか修学旅行みたいなやり取りだと思った。


「お部屋は5階の507号室になります」


 フロントマンからルームキーを手渡された俺は、それを受け取りながら尋ねた。


「すまないが、灰皿はあるか?」


 するとフロントマンは笑顔で答えたのである。


「はい。ございますよ」


 そんなやり取りを経て俺は当該の客室へと向かったのであった。その部屋は3人泊まりの部屋である。室内にはダブルサイズのベッドとテレビが置かれており、ビジネスホテルとしてはごく一般的な内装だと言えるだろう。だが、それでも俺にとってはこの空間がとても居心地の良いものに感じられたのだ。


 ようやく休める――。


 長旅の疲れを癒すべく、風呂にでも入るか。そう思った瞬間。


「おいコラァ! 舐めてんじゃねぇぞ!!」


 廊下から男の怒鳴り声が聞こえた。


 何事かと俺は廊下へと出てみる。すると、そこにはホテルマンに食ってかかる男の姿があった。年の頃は40代半ばくらいか。その身なりは会社勤めのサラリーマンといった風だが口調は明らかにカタギのものではない。


 ドアに隠れてじっと様子を窺うこちらをよそに、男は眉間にしわを寄せて声を荒げていた。


「この野郎! てめぇん所のマッサージ師にはどういう教育をしてやがるんだ! ぜんぜん気持ち良くねぇじゃねぇかよぉ!」


「で、ですから、申し上げました通り、当ホテルのマッサージはそういったエロティックな内容ではなくてですね……」


「だったらさっきの女とヤらせろ! 断る選択肢はぇはずだぜ! 天下の鳳桜建設の事業部長様が頼んでるんだからよぉ!」


 その突飛な要求に対して一瞬は声を詰まらせたホテルマンだが、驚くべきことに少し悩んだ素振りを見せた後ですんなり了承してしまった。


「しょ、承知いたしました……」


「へへへっ! それじゃあ楽しませて貰うぜ!」


 不敵な笑みを浮かべてバスローブの帯を緩め、部屋へ戻っていった男。直後、その室内からは女の悲鳴が聞こえた。


「いやああああ! 誰か助けてぇぇぇぇぇ!」


 一部始終を観終えた俺は舌打ちをした。


 なるほど。この街では鳳桜建設の社員が貴族同然に振る舞っているのか。地域経済の担い手だからとやりたい放題、どんなに馬鹿をやらかしてもケツモチのヤクザたちに尻を拭いてもらえるからお構いなしのよう。


「けっ、気に入らねぇななあ」


 そう呟いて俺はベッドルームへと戻っていった。室内では例によって酒井が原田と小競り合いを起こしている。その原因は実にくだらぬものだった。


「おっ、おい! 勝手に変えるんじゃねぇよ!」


「うるせぇ! これは俺のラジオだ! 好きにさせてもらうぜ!」


 テレビのチャンネル争いならぬラジオの周波数争い。原田が私物として持ち込んだラジオの選局をめぐって滑稽なバトルが繰り広げられていた。


 原田が聴いていたのは地元AM局のトーク番組。それに対して酒井はFMを聴きたいようだ。こいつらにラジオを聴く趣味があったとは意外だ。


「おいおい。静かにしろや、てめぇら。大体にして田舎のラジオなんか聴いたって面白くねぇだろ」


「それがですねぇ兄貴ぃ! この時間帯は東京の局がやってる放送が流れてるんすよ! ほら、この『おっぱいパラダイス』ってのを聴きましょうや!」


 原田が興奮気味に言う。酒井は呆れた様子で「馬鹿じゃねぇの」と呟いた。まあ、首都圏キー局の番組ネットは地方局にはありがちだ。


「まあ、好きにすりゃあ良いさ」


 俺は溜め息をついてから背広を脱いだ。そんなことよりもシャワーを浴びたい。旅の疲れもあることだし、今日はさっさと寝てしまいたい。


 そう思って風呂場に向かおうとすると、原田が手にしたラジオから女性アナウンサーの真面目な語りが流れ始めた。時刻は22時55分。番組合間のニュースらしい。


『……今日午後8時頃、北海道函館市の函館駅で「貨物列車のコンテナから人が出てきた」と警察に110番通報がありました。これを受けた警察は捜索を行いましたが不審者は発見できず。しかし、複数の利用客が線路を横切る男性の姿を目撃しており、さらには駅の防犯カメラにも同様の映像が映っていたことから、警察は現在も捜索を続けています』


 俺は自然と呆気に取られた。


「何だこりゃ?」


 奇妙な話だ。貨物列車に人間が紛れ込んでいたという事件。しかも、複数の利用客がその男を目撃しているにもかかわらず当人を確保できない。


 聴けばその人物が線路を歩いて横切ったために函館駅は全ての業務を一時的に中止。その後のダイヤに1時間ほどの遅れが出る騒ぎになったそうな。


 ニュースではインタビューの音声が流れていた。


『事件の様子を見ていた方に話を聞きました。「いやあ、驚きましたよ。何せ線路を人が歩いてるんですもん。おまけにその人は全裸で、片足を引きずってて。もう何が何だか分かりませんよ。びっくりしたなあ」……警察は現在も男性の行方を追っています』


 聞けば聞くほどに意味不明な事件だ。


「おいおい。マジかよ」


 原田が呟き、酒井は眉間に皺を寄せていた。俺はというと、ただただ唖然としていた。駅で全裸の男が線路を歩いて横切った? しかも片足を引きずっていた? そもそもそんなことがあるのかという話だが……?


 そんな俺たちに対し、ラジオの女性アナウンサーは打って変わって明るい口調で続けた。


『この後は引き続き「俺たちの青春ベストミュージック」をお楽しみください。なお、SBRラジオでは午前0時から文明放送制作の「ボイス!」を1時間、午前1時からはラジオ日本制作の「神野龍我のエブリナイトニッポン」をフルタイムでそれぞれお送りいたします』


 暫くの間、ぽかんとしていたと思う。


「ま、まあ、たまにはこういうこともあるって話っすよね!」


「いや。おかしい。多くの人間に目撃されているのに姿が捉えられないなんて」


「何だよ酒井ぃ。そいつが透明人間だとでも言いてぇのか。確かに透明人間は服を着ないっていうよなあ」


「そんな馬鹿な話があるかよ! そもそも透明人間が存在するわけねぇだろうが!」


「冗談だよ、馬鹿野郎!」


 酒井と原田は言い争いを始めた。俺はそれをどこか他人事のように眺めている。しかし、冷静になって考えてみると確かに奇妙な事件だ。


「まあ、世の中には俺たちに想像もつかないような不思議なことがあるからな」


 ボソッと呟く俺だが、そのじつ、内心では少々SF映画チックなものを期待しないでもない自分がいたのだった。それを部下に話しては上役としての威厳が損なわれるので口には出さないのだが。結局、その晩は馬鹿騒ぎする部下たちをよそに俺はさっさと眠りに就いた。


 翌朝、ホテルをチェックアウトして鳳桜建設の本社ビルに向かった俺たち。車の中での話題は、やはり例の全裸男がらみの事件だった。


「兄貴ぃ! あれってやっぱり透明人間っすよ! 透明になる能力を使って貨物列車に無賃乗車してたら途中で効果が切れちまったんすよ!」


 原田は興奮気味で言った。酒井はそんな馬鹿野郎をたしなめる。


「だからぁ! そんな非科学的なことがあるわけねぇだろうが! お前の頭はガキのままで止まってんのか!」


「でもよぅ、実際に複数の人間が目撃してんだぜ?」


「それが何だってんだよ。仮に透明人間が無賃乗車をやったんだとしたらどうして貨物列車なんだよ。透明なんだから新幹線とかに乗っても問題ねぇだろうが」


「透明とはいえ素っ裸になるのが恥ずかしかったかもしれねぇだろ」


「んなわけあるか」


 俺は二人の会話に口を挟んだ。


「まあまあ。二人とも。その件に関しては、もう良いじゃねぇか」


「兄貴は気にならないんすか?」


 原田が不服そうに言う。俺は苦笑した。


「まあ、気になるといえば気になるがな」


 しかし、今はそれどころではないのだ。俺たちはこれから鳳桜建設の本社に殴り込みをかけるのだから。


 さて。そうこうしているうちに車は目的地に到着した。昨晩も見た仙台フェニックスタワー。夜に眺めるのとはまた違った印象がある。青空に向かってそびえ立つビルはさながら城のよう。この仙台を支配するヤクザたちの本拠地と呼ぶに相応しい雰囲気だと思った。


「兄貴ぃ! いよいよですね!」


 原田は興奮気味だ。俺は言った。


「落ち着けよ」


 そんなやり取りをしていると酒井が口を挟んだ。


「次長。さっき電話があったんですけど。ついさっき極星の神林会長は出かけたそうで、代わりに今日は理事長が応対するとのことで」


 彼には極星側との事務対応を任せてあった。俺が知らぬ間に電話で向こうと折衝をしていたらしい。さすがは酒井である。抜け目がないというか何というか……いや、感心している場合ではない。


「は? 神林会長が出かけただと?」


「ええ。さっき系列の事業所で大きなトラブルが起きたみたいで、それの対処に行かないといけないらしくて。『申し訳ないが会えない』と」


 おいおい。事ここに至ってドタキャンかよ。約束を重んじる極道にとって、これは許されざる行為。


「……どうします?」


 酒井が真面目な表情で問うてきた。原田も固唾をのんで見守っている。彼らが深刻な面持ちになるのは当然のこと。


 此度の極星連合の対応は俺たちに対する明確な挑発、謂わば俺たちを舐め切っているとも受け取れるのだ。向こうの都合? そんなのは知ったことじゃない。


「ああ。舐めてやがるな。だが……」


 ひと呼吸を置いて、俺は答えた。


「……人質の命が懸かっている。行くしかねぇだろ」


 長谷川記者救出の件が無ければこのままビルに乱入して大暴れしていたところだ。俺は激しい怒りを堪え、部下を連れて鳳桜建設本社へと入った。


「おはようございます」


 にこやかに挨拶する受付嬢に俺は切り出す。


「おはようさん。おたくの偉い人に伝えてくれや。『中川会の麻木涼平が来た』ってな」


「しょ、承知いたしました!」


 中川会というフレーズに反応して受付嬢は顔を強張らせた。まあ、当然の反応であろう。この会社が極星連合と表裏一体なのは公然の秘密のようだ。


「兄貴! さすがっす!」


「次長! どうか存分にぶちかましてください! 東北の田舎者なんか一刀両断ですよ!」


 言われなくてもやってやるさ。そうして数分後、応接室へと通された俺たちだが……そこで待っていたのは1台の黒い電話機だけ。


「は?」


 テーブルの上にぽつんと置かれた黒い電話機。その前に配置されたソファに腰を下ろして待っているよう受付嬢に言われたのだ。


「で? 理事長ってのは何処だ? 来ねぇのか?」


 酒井と原田は顔を互いに見合わせる。おかしい。この部屋に案内されてから10分は経つが、まるで人が現れる気配が無い。


「ったく! 会長はドタキャンするわ、こうやって待たせるわ! どうなってんだよ極星連合はよぉ!」


 痺れを切らした原田が叫んだ時。正面の黒電話が音を立てた。


 ――プルルルッ。


 突如として鳴った電話機に俺たちは少し驚く。


「……っ!?」


 けれども出ない。まあ、当然だろう。これはいわゆる内線というやつで主に業務連絡などに使われるもの。きっとこれはこの会社の社員同士が連絡を取り合うための電話が、間違って応接室に繋がれたのだろう。電話に出る必要など無い。


「……」


 無言で鳴り止むのを待った俺。ところが。


 ――プルルルッ。


 またしても電話が鳴る。もしかしてこの電話の主は応接室に居る俺たちへ用事があるのか? だが、もし仮にそうならこちらへ出向いて来れば良いものを。何しろ部屋に通されてからというものずっと待たされ続けているのだから。


 そう思いつつ苛立ち混じりに受話器を取るも、その時点で既に15コールを過ぎており、着信は切れてしまった。


「……」


 今のは何だったのだろう。まあ、大丈夫だ。俺たちに用事があるならまた鳴らしてくるはずだろうから。

 すると、案の定。電話が鳴った。


 ――プルルルッ。


 俺はすかさず受話器を取る。


「もしもし? 何か俺たちに用か?」


 怪訝な声で応じた俺。そんなこちらに対し電話の相手は沈黙。


「おいっ! 聞いてんのか? 何とか言えや!」


 語気を強めても返事は無い。そうして俺が受話器を勢いよく置こうとした時、ようやく相手が口を開く。


『……やっと出たな。お前が麻木涼平か?』


 低い男の声だ。俺は思わず舌打ちを鳴らすも、努めて冷静に返すことにした。


「ああ、そうだが。そちらさんは誰だよ。人を散々待たせた挙句に随分な対応じゃねぇか」


 そんな俺を男は笑った。


『くくっ。お前の方こそなかなか電話に出なかったじゃねぇか。この俺に3度もかけさせるとは良い度胸だなあ』


「客を応接室で待ちぼうけさせた奴がよく言うぜ。それと本来、人に名を名乗らせる前に自分から名乗るのが筋だろうよ。田舎ヤクザは礼儀ってもんを知らねぇのか」


『ああ!? 誰が田舎ヤクザだ! テメェこそ礼儀ってもんを知らねぇのか!』


「俺はちゃんと名乗ったぞ。そっちはどうなんだ?」


『……ちっ』


 舌打ちが聞こえた後、男は続けた。


『改めて聞くが。お前は中川会の麻木涼平だな?』


「ああ」


『なら話は早い。俺は極星連合理事長の鶴崎つるざき実臣さねおみだ。組織のナンバー2がわざわざ時間を作って相手してやろうってんだ、感謝しろよな』


「……ほう?」


 こいつが話に聞いていた理事長か。人を待たせた上に横柄な物腰が鼻につく。思わず眉を顰める俺だが、すぐに気を取り直して問う。


「あんた、今どこにいる? 今日は会長が来られないってんで代わりに理事長が応対してくれると聞いていたんだが」


『ああ、そうさ。会長が不在の時は俺が代わりに来客の応対をすることになっている』


「ならどうしてここに居ない? まさか会長にくっついて出かけたとは言わねぇよなあ?」


『俺が何処に居ようがお前の知ったことではない』


 鶴崎は笑うも俺は反論する。


「どこに居るって聞いてんだ。答えろ」


『お前に教える必要は無いだろうが、ボケ』


 こいつ……!


 いや、落ち着け。ここで怒ってはいけない。冷静になれ。相手はこちらが激昂するのを誘っているのかもしれない。スピーカー状態で話していなくて良かった。何を話しているのやらと戸惑う部下をよそに、俺は深呼吸してから今一度問うた。


「じゃあ、質問を変えよう。どうしてこの部屋に来てくれねぇんだ? ずっと待っているんだが?」


 その問いに鶴崎は嘲笑の色を強めて答えた。

『決まっているだろ。お前ごときとは会う価値が無いからだよ』


「ほう?」


『聞こえなかったか。お前ごときにこの俺がわざわざ時間を割いてやるだけの価値が無いって言ってんだ』


 俺は怒りを抑えつつ問う。


「そらあどういう了見だ」


『了見も何も俺の意思を伝えたまでだ。ここは極星連合の総本部。俺のやりたいようにやらせてもらうぜ』

 なおも鶴崎は馬鹿にした口調で続ける。


『俺は極星連合のナンバー2だぞ。そんな大幹部の俺が東京からノコノコやって来た青二才のガキ、それも幹部どころか直参の組長でもねぇ野郎と直接顔を合わせて話さなきゃならねぇんだよ。時間の無駄だ。だからこうして電話を繋いでやってるんじゃねぇか。分からねぇのかよ』


 そんな奴に対して俺は溜め息をついた。


「なるほどな」


 とんだ侮辱だ。この鶴崎なる男の不遜な態度の理由は俺との格の違い。つまり、俺が極星連合にとって取るに足らない存在だから。


 そう言いたいのだろう。


『分かったか? お前ごときは電話で十分なんだよ、ボケが』


 本音をいえば激昂したい気持ちでいっぱいだった。曲がりなりにも中川会の使者である俺にここまでの非礼を働くとは。許せない。


 されど今の時点では完全に相手の土俵。俺が下手に振る舞えば人質の命がどうなるか分かったものではない。悔しいが、ここは鶴崎の出方に合わせる他ないのかもしれない……。


「そうかよ」


 二度目の舌打ちを鳴らすと、俺は本題を切り出した。

「んじゃ、時間を無駄にしたくないあんたのために手っ取り早く用事を済ましてやろうじゃねぇか。俺が仙台くんだりまで来てやった理由は他でも無い」


『さっさと言え』


「単刀直入に求める。人質を解放しろ」


『……』


 鶴崎は沈黙した。俺は続ける。


「おたくらは週刊新星の長谷川って記者を監禁してるだろ。そいつを今すぐ解放しろ!」


 だが、相手はなおも沈黙を貫くばかりである。痺れを切らした俺は語気を強めて言った。


「おい!聞いてんのか! 長谷川記者を……」


『……おい。お前、今何つった?』


 ようやく返ってきた言葉は俺の要求に対する返事ではなく質問のそれだった。俺は苛立った声で応じる。

「あ? 耳が遠くて聞こえなかったのか?」

『違う』

「なら何だってんだ」


 大きな溜め息をつくと、鶴崎は吐き捨てるように問い返してきた。


『新星の長谷川を解放しろだと!? 何をとぼけたこと言ってやがる! 奴はお前らの手引きで脱走したんじゃねぇのか!?』


 ちょっと待った。意味が分からない。どういうことなのか釈然としなかったために、返事をするのに時間を要してしまった。


「……は? 何を言ってやがる? 脱走も何もお前らが監禁してるんだろう?」


『とぼけてんじゃねぇ! お前たち中川会の手引きで逃げ出したんだろうが!!」


 そう怒鳴った鶴崎の言葉の意味が、まるでピンとこない。長谷川が逃げ出した……? どういうことだろう。


「いや、待ってくれよ! あんたさっきから何を言ってんだ!」


『与太こいてんじゃねぇぞ! てめぇら、新星の編集部に頼まれて俺たちから拉致監禁の口止め料を獲りに来たんだろう!?』


「だから、それは違うって!」


『何が違うだ! だったら何でこのタイミングでうちを訪ねて来てるんだよ!』


 言っている意味が分からない。いや、話がごちゃ混ぜになっている。そもそも俺たちは長谷川記者を逃がしてなどいない。


 それが出来れば疾うにやっている。長谷川が逃げたというなら、わざわざ身代金を携えての解放交渉に来る必要も無いではないか。


 というか……。


「ちょっと待てよ」


 俺は鶴崎に問うた。


「あんたさっき何て言った?『長谷川が逃げた』だって? 言っとくがそんなのこっちは知らねぇぞ? てっきり俺たちあんたらが記者を監禁してるのかと思ってたぜ? それで解放して貰おうと、会長の親書を持ってナシをつけに来たわけだが……?」


 願わくば状況を整理したい。混乱した頭の中を正常に戻して事実関係を把握するために。だが、鶴崎はそれを許してはくれなかった。


『てめぇ! とぼけるのも大概にしろや、このガキ! だったら何でここに居やがる!? 俺たちから賠償金をせしめるためだろうが! それとも何か? てめぇら、まだ俺たちが記者を監禁し続けてるって難癖つけて戦争吹っ掛けようってのか!?』


「いや、だから……」


『じゃあどうしてここへ来たんだよ!』


 頼むから話を聞いてくれ。これでは埒が明かないではないか。鶴崎の言っていることはおかしい。俺は人質解放交渉のためにここへやって来たはず。それなのに何故、人質であるはずの長谷川が『脱出した』というのか。もしや、俺が仙台へ来る間に俺の知らない何かが起こっているのか……?


「ちょっと冷静になってくれ!」


『うるせぇ!』


 駄目だ。取りつく島もない。ならば……俺は受話器を一旦置くと、すぐに酒井に命じた。


「おい! 今すぐ総本部に問い合わせてくれ! 会長に聞きたいことがある!」


 しかし、酒井が寄越してきたのは予想外の返答だ。


「で、出来ません! さっきから圏外の表示になってます!」


「何だと!?」


 先ほどまで通常通りに仕えたではないか。まさか妨害電波か。胸騒ぎが巻き起こった途端、受話器から怒鳴り声が聞こえた。


『もうお前らと話すことは無い! 覚悟しやがれ!!』

 そんな次の瞬間。応接室のドアが開いて、スーツの男たちが勢いよくなだれ込んできた。


「うおっ!?」


「な、何だよテメェら!」


 一斉に銃口を向ける男たち。それに対して動揺する酒井と原田。だが、俺は動じることなく応じた。


「おいおい。いきなり穏やかじゃねぇな」


 そんな俺に男たちの中の一人が言った。


「てめぇら、昨日はよくもやってくれたな! うちのシマに土足で踏み込んだ落とし前だ! 蜂の巣にしてやるぞ!」


 昨日? シマに土足で踏み込んだ? いやいや。何が何だかまったく分からない。少しは説明して貰いたいものだ。


 歯噛みする俺に、鶴崎が電話越しに声を震わせながら怒りをぶつけてきた。


『東京者! てめぇらのせいでどれだけの被害が出たと思ってる!? 長谷川を脱走させる時に一番町の店を吹き飛ばしやがって!』


「はあ!?」


 いや待て。そもそも話が食い違っているのだ。俺たちはそんなことをやっていない。中川会が関与したと言われても知らない。そもそも俺たちは昨日は東京に居たし、来たのは深夜になってから。ましてや一番町云々という話も初耳だ。

 俺は反論した。


「待ってくれ! そんなの身に覚えがねぇぞ!」


『黙れ! だったらどうして長谷川は脱走した!? てめぇら中川会が兵隊を送り込んだんじゃねぇのか!?大体にして長谷川を何処へやったんだ! 答えろ!』


「だから違うって! そもそも俺は東京に……」


『うるせぇ!!』


 鶴崎が電話口で叫ぶと同時に、男たちが銃の引き金にかけた指が動く。


「覚悟ッ!!」


 まずい。このままでは撃たれて全員が木っ端微塵だ。そう思うや否や俺は反射的に突進。居並ぶ障壁を回し蹴りで薙ぎ払った。


「ぐあッ!?」


「ぎゃあっ!!」


 瞬く間に半数の男らが床に倒れ伏す。俺はすぐさま酒井と原田に命じた。


「お前ら! 俺から離れるな!」


 2人は戸惑いながらも俺の指示に従い、身を寄せてきた。それを確認した俺は電話口に向かって叫ぶ。


「鶴崎! これ以上やればテメェの可愛い部下が傷つく! それでも良いのか!?」


『んだとゴラァ! やれるものならやってみやがれっ! 海の藻屑と消えるのはお前の方だ!』


 その瞬間、残った組員らが一斉に飛び掛かってきた。俺は即座に迎え撃つ。

「うおおおおおおおおっ!!」


 まずは突進してきた組員の顔面に拳を叩き込み、カウンターで腹に蹴りを入れる。続けて飛び掛かってきた組員には回し蹴りをお見舞いし、原田らの背後に回り込もうとした組員は酒井が放った弾丸によって肩を撃ち抜かれる。


 ――ズガァァン。


 2人の部下を背後に庇いつつ戦う俺。それでも部屋には続々と組員らが押し寄せる。カタギ風の身なりをしているが全員が武器を携えている。


「この野郎!」


「東京者! 絶対に許さんぞ!」


 一体、何人いるのやら。ここは敵の総本拠地ゆえに数は多くて当たり前だろうが。なかなか面倒なものだ。


「ったく……俺たちは交渉に来ただけだってのによぉ……」


 苦笑交じりに舌打ちを叩く俺。すると、それまで俺の背後にいた原田が叫んだ。


「兄貴ィ! 俺が道を切り拓きます!!」


「な、何を……!?」


「行かせてもらいますぜぇぇぇぇぇぇ!!」


 雄叫びを挙げた刹那。近くにあったローテーブルを片手で掴むと、原田はそれを軽々と振り回してみせる。その遠心力を利用して組員らを次々と打ち倒した。


「うおりゃああ!!」


「ぐわあっ!?」


 たちまち10人近くの男たちが吹き飛び、壁に叩きつけられる。俺は思わず息を呑んだ。


「お前……何ちゅう馬鹿力だ……!」


「へっ! 兄貴のお役に立てて光栄っすよ!」


 いやに威勢の良い奴だが、決して自惚れているわけではないらしい。原田は組員らを薙ぎ倒したローテーブルを床に置くと、俺の前に躍り出る。


「兄貴! ここは俺に任せて先に行ってください!」


「マジで言ってんのか!?」


「俺がこいつらを凌いでる隙に兄貴は鶴崎の所へ行ってケジメを付けてくださいや! 中川会を舐めた落とし前をきっちりとね!」


 いや、しかし……。


 いくら原田が腕っ節に自信があるとはいえ、この数を相手にするのは無茶だ。だが、そんな俺の心配をよそに彼は言った。


「大丈夫っすよ! 俺も中川会の極道の端くれですぜ! さっきの酒井の早撃ちにゃ負けてられねぇ!」


 そんな原田の熱意に俺は思わず口元を緩めた。


「分かったよ。ここは任せたぜ」


「へい!」


 威勢の良い返事を受けて、俺は気合いを入れる。狙うは鶴崎。この建物の何処に居るのかは分からないが、必ずや探し出して直接顔を見せてやろうじゃないか。ここまでされたのだ。黙って帰るのは極道の名折れというもの。俺たちを舐めたケジメを付けさせてやる。


 ここに集う敵はざっと15名ほどか。それらを原田が引き受けるとして、このビル全体では残り何騎ほど居るのだろう。まあ、関係ない。


 叩き潰すだけだ。圧倒的な実力差を見せつけて。


「……行くぞ」


 そう言って、酒井と共に全力疾走をかけようとした直前。いざ駆け出そうと右足を踏み入れたところで俺の挙動は止まった。


 いや、止められたのだ。


「待ちなさい!!」


 突如として響いた野太い声によって。


「……」


 俺たちは声の放たれた方を振り向いた。そこに立っていたのは老人である。黒の羽織と紫の襦袢という和装姿で背丈は高め。皺の刻まれた顔には所々に傷跡のようなものが見受けられる。


 こいつは一体……?


 警戒しながら身構えていると、部屋の中の組員たちが一斉にその老人に向かって頭を下げる。


「ご苦労様でございます! 会長!!」


 ちょっと待った。


 会長だと……? ということは、つまり……!?


 俺の中で予想がつくと同時に、その着物姿の男がこちらをジッと見つめてきた。


「あんたが中川会のお客人かい?」


 凄まじい威圧感だった。圧倒される酒井と原田をよそに俺は頷いた。


「いかにも。誰だ、お前さんは」


 すると、その男は言った。

「極星連合会長、神林かんばやし秀二郎ひでじろう


 この男が神林か。敵方の大将のご登場というわけだ。


「俺の名は麻木涼平」


「あんたのことは恒元から聞いてるぞ。中川会で会長の側近をやってるんだったな。確か執事……」


「執事局次長。まあ、馴染みの薄い役職だよな」


 互いに挨拶を交わすと、神林は組員らを下がらせた。


「お前ら! 下がってろ!!」


 しかし、彼らは立ったまま動かない。


「……」


「おい。この俺が『下がってろ』と言ったんだ。素直に聞けねぇのか!?」


 二度も怒鳴られてようやく彼らは指示に従った。おそらくは外敵である中川会関係者と会長を二人きりにすることが不安だったのだろう。


 神林は組員らを下がらせると、改めて俺たちに向き直った。


「さて……」


 何用で来たのかと言いたげな顔だが、お生憎様、聞きたいことはこちらにもある。神林が切り出す前に俺が問う。


「神林会長。系列会社のトラブルか何かで来られなくなったんじゃなかったのかよ。ここに居るのはどういうこった?」


 鋭い視線と共に浴びせた率直な詰問に対し、神林は淡々と答えた。


「そっちが思いのほか早く片付いたんでな」


「片付いた?」


「ああ。現場の作業員が一斉に休みやがったんだ。何でも昨日の昼間に素っ裸で走る血まみれの男を見たせいで恐怖を催したと。笑えるだろ。シャブでも打ってんじゃねぇかな」


「何の冗談だよ」


 場を和ませるジョークのつもりか。まあ、それはともかくとして聞きたいことを聞かせてもらおう。


「とはいえ、先約の俺たちを待たせるとは感心しねぇな」


「それはすまなかったな。おかげで片付いたぜ。そんで、車を飛ばして駆け付けたってわけだよ。そしたら『中川会の人間が暴れてる』って報告が入ったんで驚いたぜ」


「ふっ。俺たちも腰を抜かしたよ。応接間で長いこと待たせた挙句に銃を突きつけるとは。東北ヤクザの歓迎作法は愉快でいけねぇや。あれはあんたの命令か?」

「そりゃあすまなかったね」

 神林はそう言うと、懐から煙草を取り出して火を点ける。


「……」


 話をはぐらかすかのような態度。その素振りに酒井と原田が怒りを露わにした。


「おい、てめぇ! 次長が聞いてんだろうが! 答えやがれ!」


「シカトぶっこいてると殺すぞゴラァ! 東北の田舎モンが調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」


 今にも飛び掛かりそうな部下たちを俺は制する。そして神林に告げた。


「まあ良いさ。それより俺たちは頼みがあって来た。あんたら、長谷川って雑誌記者を捕えてんだろ。解放してくれねぇか。身代金カネは出すからよ」


 さて。これに対して東北の大親分は何て答えるか。先ほどの鶴崎と同様に意味の分からぬ返答をぶつけてくるだろうか……そう思って続く返事を待っていると、神林は煙を吐きながら言うのだった。


「あのブン屋はもう仙台にゃ居ねぇよ。仮に野郎の身柄ガラをまだ押さえてたとして、あんたに渡すわけがぇけどな」


「……ほう?」


 思わず眉を顰める俺に対して、神林は言った。


「あんたら中川会の意図は分かってる。俺たちがとっ捕まえたブン屋を助け出すことで出版社に恩を売りてぇんだろ。将来的に支配下に置くために」


「そちらさんだって同じじゃねぇのか。訂正記事を要求してるのは雑誌を暴力で屈服させたって事実が欲しいからだ。そしていずれは出版社ごと服従させるつもりだと」


「違うな」


 神林は煙を燻らせながら否定の句を放つ。


「俺たち極星連合は義侠心がポリシーなんでな。金や利権は本業の土建屋で間に合ってるんでな。そんなものより重んじるべきは仁義だ」


 それでも俺は言い返す。


「政治家のスキャンダルを暴いたジャーナリストを監禁するのが仁義ってか。偉そうに抜かしやがって。所詮は憲政党の石丸に媚を売りてぇだけだろ」


「……」


 神林は何も答えずに黙ったまま。静寂の中で煙を吐き出すだけだ。図星だったかと一瞬は思ったが、この男はそこまで単純ではなかった。


「……麻木とか言ったな。あんたにひとつ良いことを教えてやろうか」


「何だ?」


 俺が問い返すと、彼は告げた。


「うちの組にとって石丸秀人は後ろ盾じゃねぇぞ。味方どころか、ああいう政治家は土建屋にとっちゃあ不倶戴天の敵なんだよ」


「敵だと?」


 すると、神林は言った。


「ああ。敵だ」


 そこから続く語りによって俺はさらに困惑することになるのだった。


「石丸秀人は大蔵省出身でな。公共事業を無暗矢鱈に敵視してやがる。『税金の無駄遣いを止めさせる』とか何とか言ってな」


「いきなり何を言い出すのか分からんが、要はこういうことか? あんたら極星連合は石丸におもねって長谷川を型に嵌めたわけじゃねぇと?」


「ああ。そういうことだ。むしろ。あの記事は俺たちには好都合だった。邪魔者の石丸を失脚させられるんだからな。嬉しい限りだったぜ」


「だったらどうして長谷川を攫った?」


「あの野郎こそが騒ぎを仕組んだ黒幕だったからだ」


 意外な答えがきた。話題が少し政治の方面に及んだので原田がぽかんとしているようだったが、もう少し続けよう。俺は問い返す。


「騒ぎを仕組んだ?」


「そうだ」


 神林は頷く。


「そもそも極星連合うちは麻薬禁止。コカインなんざもってのほかだ。それを長谷川とかいうブン屋がシマ中にばら撒きやがったのさ」


「なっ……!?」


「信じられねぇって顔してやがるな。特ダネのためならどんな所業も平気でやってのけるのが週刊誌さ。あいつら、時には本職のヤクザ以上のクズになるぜ」

 呆気に取られる俺たちに神林はなおも続ける。


「あの長谷川はうちの韮建を唆してタイ人どもからクスリを大量に仕入れさせた。んで、そいつを使って例の乱痴気騒ぎを仕組んだ。石丸の息子をカモにするためにな」


「……なるほどな」


 俺は大体の事情を察した。長谷川記者が韮建組と手を組んで麻薬を調達し、それを記事にあった仙台市内のパーティーで石丸代議士の息子に使用させたのだと。そうして一連の光景を隠し撮りして記事を書き、最大野党代表の長男によるコカイン使用事件として大スキャンダルに発展させたのだと。


「要するにあんたらは長谷川に一杯食わされたってわけか」


「ああ。だから俺たちはあいつを拉致ったんだ。うちを嵌めた落とし前をきっちりつけさせるためにな」


「でも、その長谷川には逃げられちまったと?」


「そうだ」


 煙草を吸い終えた神林が悔しそうに頷いた時。


「お、親父!」


 室内に一人の男が現れた。いかにもヤクザらしい長身で片幅の広い巨躯が特徴の彼は、応接室の床に倒れ込む組員らを見てギョッと驚いていた。


「こ、これは一体……!?」


 そんな大柄男を神林が睨みつける。


「よう。遅かったじゃねぇか、鶴崎」


「親父!?」


「お前に改めて紹介するぜ。中川会執事局次長の麻木涼平さんだ。お前、この客人を殺そうとしたらしいじゃねぇか」


 鶴崎と呼ばれた図体のデカい男は神林の追及にたじろぐ。


「い、いや……その……」


「言い訳は要らねぇぞ鶴崎。てめぇの不始末をどう落とし前つけてくれようかね」


 神林は鶴崎に歩み寄りながらさらに言う。


「博徒に競り負けるなんざ赤っ恥も良い所よ。神林組の二代目ともあろうもんが情けないったらありゃしねぇ。若い衆らの鍛え方が足りねぇんじゃねぇのか」


 そして、神林は鶴崎の胸倉を掴んで言った。


「そもそも俺が出かけてる間に随分と勝手なことをしてくれたみてぇだな。てめぇの不始末は組長たる俺の不始末だ。俺の顔に泥を塗るんじゃねぇよ」


「お、親父! すんませんでした!」


 鶴崎が全力で許しを乞うと、神林は倒れている組員たちを指差す。


「こいつらの傷の手当てをしてやれや。馬鹿野郎が」

「へいっ!」


 鶴崎は部屋の外に人を呼びに行くと、床でうずくまり突っ伏す組員らを手分けして介抱し始める。その際、俺と視線が合った。


「……調子に乗りやがって。東京者のガキが。覚えてやがれ」


 小声でそんなことを言われた気がした。こいつが鶴崎実臣。先ほど別室から電話で俺を痛罵した男で、なおかつ極星連合のナンバー2だ。


 一方、またしてもうるさくなった応接室の中で、神林は俺の方に向き直って口を開いた。


「すまねぇな。この鶴崎は俺の子分でな。会社の専務も任しちゃいるんだが、大幹部という割にゃあ血の気が多いんだ」


「なるほどな」


 俺は頷きつつ、神林に問う。


「で、どうする? 俺をこのまま帰すか?」


 すると、彼は笑って言った。


「いや、そうはいかねぇな」


 そんな答えが返ってきたのは意外だった。てっきり『もう話すことは無い』とぞんざいにあしらわれるかと思いきや……どうやら違うらしい。


「麻木涼平さんよ。あんたにゃすまねぇことをしたな。その詫びと言っちゃあおかしいが、ゆっくり話す時間をくれてやろう」


「ゆっくり話す時間だ? 俺の質問に何でも答えてくれるってことか?」


「ああ。お互いに腹を割って話すとしようぜ」


 謝意を示すにしてはあまりに尊大な言い方。“くれてやろう”という表現は何だか癪だ。まあ、東北ヤクザの大親分として東京者を下に見ているのだろう。


 不愉快ではあるが話す時間を取れるのは良いこと。俺は神林の申し出を容れることにした。こちらとしても情報を得られる好機だ。


「分かった」

「おう。それじゃあ決まりだな」


 神林は俺に笑みを寄越すと、今度は組員らに向かって言うのだった。


「てめぇら! きっちり後始末をやっとけよ! この部屋に少しでも血の臭いが残ったらその時は承知しねぇからな!」


「へいっ!!」


 組員がそう返事をすると、神林は俺に部屋を出るよう促した。どうやら別室へ案内してくれるらしく、そこで話そうとの提案だった。


「せっかくの機会だ。社長室に案内してやる」


「他に応接室は無いのか?」


「ふっ。俺相手に皮肉を垂れるとは良い度胸だ」


 軽くため息をつくと神林はさらに続ける。


「俺は東北の土建屋の顔役だぜ。関東最大組織の使いが来てるのにチンケな部屋に通せるかよ。良い笑い者になっちまうだろうが」


「……なるほどな」


 おいおい。部下が暴走して俺を襲った時点で恥も外聞もあったものではなかろうに。そのことが可笑しかったので思わず笑ってしまった。


 すると神林も笑うのだった。


「あんた、良い度胸してるぜ」


 そんな会話を交わしながら俺たちは応接間を出て廊下を歩いてゆく。フェニックスタワーの内部は整然としており、まるでホテルかオフィスビルのように広くて綺麗。中川会総本部のようなぶっ飛んだ派手さも存在しない。


 実に洗練された空間。極道の本拠地なのだと言われても信じられぬほどに落ち着いている。それはここが鳳桜建設の本社も兼ねているからだ。


 そのため廊下では勤務中のサラリーマンやOLとすれ違う。彼らは神林の姿を見るや、にこやかに頭を下げるのだった。


「お疲れ様です!!」


「おう」


 そんな挨拶をされた大親分は軽く手を挙げて答えている。


 ……この光景を見て思うことがある。神林会長は極道の中でも比較的カタギ寄りの人物なのではないか?

 建物の中で出くわす全ての社員から慕われているのだ。中には軽く雑談を交わしてくる男女もちらほら。少なくとも俺が今までに出会った“会長”と呼ばれる存在の中では親しみやすい物腰といえよう。


「極星連合ってのは随分と敷居が低いんだな」


「ああ?」


「あんたが下の連中から慕われてるもんだから、ちょっと気になってな。さっきの兵隊たちも普通のサラリーマンと変わらん格好だった。カタギとの境界線が曖昧なんじゃねぇのか」


 そんな俺の問いに対して神林は答えた。


「まあな。うちの本業は土建屋だ。会社として業務の一部で極道をやってるようなもんだ。カタギとの線引きは他所に比べりゃ薄いかもな。確かに」


「なるほど」


 神林は暴力団「極星連合」の会長でありながら、カタギの建設会社「鳳桜建設」の代表取締役社長も務めている。先ほどの鶴崎は専務取締役副社長。暴力団の方では会長に次ぐ第二の地位、理事長の立場にあるそうな。


「馬鹿な男じゃねぇんだがな。どうにもあれは郷土愛っつうのか自意識が強すぎていけねぇや。東京者と無駄に張り合おうとする」


「極星の幹部はああいう奴ばかりなのか?」


「そうだ。けど、仕事ができて金稼ぎの上手い奴ばかりが揃ってる。田舎ヤクザと笑われるほど見栄えもダサくねぇぞ」


 釘を刺されたような気もしたが、冗談と捉えて何も言わないでおく。


 そんな会話を交わしながら歩き続けるとやがてエレベーターホールに出た。そこで神林はボタンを押した後に言うのだった。


「社長室はこの最上階にあるんだ」


「そうかい。じゃあ、通して貰おうじゃねぇか」


 ところが。いざ到着したエレベーターに乗ろうとした時。神林が思わぬことを言い放った。


「ここから先はあんた一人で来てもらおうか」


「は?」


「渡世には格ってもんがある。執事局だの何だのと言ってるが、所詮は小姓。そんなチンピラどもを部屋にわんさか招き入れるほど極星連合会長の格は低かねぇぞ」


 そう吐き捨てて俺の背後に控えていた、酒井と原田を睨みつけた神林。


「会長の側近として親書を持ってきた奴ならともかくよぉ。たかが総本部の下働きに対して取る礼なんざぇんだよ」


 彼の言葉に2人は当然のごとく怒った。


「おい、てめぇ! 誰が下働きだ!?」


「こう見えても俺たちは直参の継承者なんだぞ!」


 そんな彼らを俺は制止する。


「騒ぐな」


 上役に恥をかかせてくれるなと。そう意味を込めて視線を送った俺。


「じ、次長……!?」


「兄貴……!」


 そんな様子を見た神林は鼻で笑う。


「ふんっ。分かれば良いんだよ」


 そして、エレベーターのドアが開くと彼は俺一人に乗るよう促した。そして納得いかない面持ちで立ちつくす酒井と原田に向き直り……。


「てめぇらは下がれ! とっとと失せろ!」


 そんな怒鳴り声を飛ばしたのである。2人は苦虫を噛み潰したような顔になる。


「……」


 だが、ここで黙っている俺ではない。こうまで部下を辱められて何もせずにいるほど俺の男としての格は低くない。気付けば俺は銃を抜いていた。


「おい。神林さんよ。今の言葉は聞き捨てならねぇ。こいつらも俺と同様に中川恒元公の使いだ。非礼は許さねぇぜ」


「……っ!?」


「そして何より俺の大事な部下だ。小姓呼ばわりは誰であろうと見過ごせん。取り消して貰おうか」


 銃口を眉間に突きつけられ、神林は驚愕の表情を見せる。だが、やはり歴戦の強者は度胸が違う。すぐに先ほどまでの表情に戻り、こちらに強烈な凄みを浴びせてきた。


「……この俺を脅そうってのか」


 それがどうしたというのだ。


「てめぇが先に喧嘩を売ってきたんだろうが」


 俺は威嚇するように銃口をさらに神林に近づけた。それを見た神林は眉間に皺を寄せた。


「ふんっ……冗談だよ」


 そんな呟きと共に彼はエレベーターから降りると、酒井と原田に言うのだった。


「さっきはすまなかったな。あんたらも来て良いぞ」


 その指示に対して2人は驚きつつも了承する。俺はゆっくりと銃を下ろし、背広の内側へ戻すのであった。


「俺相手に啖呵を切るとはなかなかのもんだな。中川会にもあんたみてぇなのがいたか。気に入ったぜ」

 神林はエレベーターに乗り込むと、そんな軽口を叩いてきた。


「そいつはどうも。だが、俺はあんたみたいな奴とは仲良くなれそうもぇけどな」


「ふんっ……」


 そんなやり取りの後で神林が最上階のボタンを押す。すると、すぐに扉は閉まりエレベーターはゆっくりと上昇を始めた。


「もうすぐ着くぜ」


 フェニックスタワーの中でも特別な空間であるというその部屋。ヤクザのボスにして日本第二位の建設会社のトップが日常を過ごす執務室。一体、どんな所なのだろう。


「鳳桜建設の社長室か」


 俺はそう呟いたが、すぐにそれが見当違いな言葉であることに気づいた。なぜなら神林がエレベーターを降りた先にあった空間は世間一般で云う所の社長室の印象とはかけ離れた雰囲気だったからだ。思わず、息を呑まされる。


「……おお」


 俺の反応に神林は笑った。


「どうだい? フェニックスタワー黄金の社長室は」

 壁一面に黄金があしらわれた異様な空間。天井にはシャンデリアがぶら下がっており、床は大理石でできている。飾られていた鎧兜も金一色だ。


「まるで金箔の中に住んでるみてぇだな、驚いた」


 そんな感想を呟くと神林が吹き出す。


「あんたも面白いことを言いやがるな」


 そして彼は続けたのだった。


「まあ、確かにその通りだな……ここは鳳桜建設の社長室であり極星連合の会長室でもある。他から来た者に舐められちゃいけねぇ。これくらいやらねぇと格好が付かんだろ」


 俺はその返答に驚くと同時に納得する部分もあった。こうして部屋をド派手に飾り立てているのも、全ては極道として威厳を示すためだ。


「なるほどな」


 そう呟くと俺は部屋の中を見回した。すると、部屋の奥には木製のデスクが置かれているのが見えた。その上にはパソコンや電話機などが置かれており、そして……そのすぐ横には写真立てが置かれていた。


 そこに写っていたのは一人の女性だった。


 年齢は30代後半といったところだろうか。キリッとした顔立ちに肩まで伸びた黒髪がよく似合っている美人だ。されども服装が古い。現代風ではないのだ。


 俺が写真を凝視しているのに気づいた神林が語った。


「あれは俺のかみさんだ。と言っても、だいぶ前に逃げちまったけどな。ヤクザをやってりゃあよくある話さ」


 別れた元妻が忘れられないために机の上に写真を飾っているというわけか。この男、厳つい容貌の割に随分と女々しい性格をしているようだ。


 この大親分の未練はさておき、俺は本題を切り出す。

「さっきの話の続きだ。神林会長。拉致った長谷川が逃げたってのは本当なのか?」


「ああ。本当だ」


 神林はあっさりと認めた。しかし、それは長谷川の脱出を許した事実を肯定すると同時に、極星連合が彼を拉致した事実を正式に認めることになる。


 ならば……と俺は問うのだった。


「じゃあ、こっから先は週刊新星編集部のケツを持つ中川会の使者として聞かせてもらうが。あんたらは長谷川を何処で拉致った?」


 すると彼はニヤリと笑ってみせる。


「もちろんだ。だがその前に俺の質問に答えてもらおうじゃねぇか」


「ご当地仙台だよ。あの野郎は間抜けなことに元柳丁の風俗で遊んでやがってな、そこをとっ捕まえてやったのさ。まあ、あんたは『東京で拉致った』って言質を引き出そうとしたのかも分からんがな、その手には乗らねぇぜ」


 そんな答えに鼻で笑って応じるしかない。流石は東北ヤクザの大親分。ひと筋縄では行かないようである。


「分かったよ」


 そして改めて練り直した質問を投げる。


「さっきの鶴崎って理事長は俺たち中川会が既に長谷川を助け出したと言ってた。その騒ぎで大きな損害も出たと。こっちとしちゃあ心当たりが無いんだが、あんたらは何でそう思うんだ?」


 神林の返答は単純だった。


「決まってんだろ。長谷川を監禁してた拠点ヤサから火が出て結果的に全焼したからだよ。野郎を助けるのに中川会が火を放ったと見るのが自然だ」


 そんな事件があったとは驚きだ。昨日の昼頃、一番町にあった日本料理屋が炎に包まれた。長谷川はこの店の地下に監禁されていたという。


「うちの系列がやってる店でな。この本社ビルで荒っぽいことをすると女どもが怖がるもんだから、少し離れた所を選んだってわけさ」


「だからと言って客商売の店を理由も分からんが」


「たまたま地下室もあって人質を監禁するにはおあつらえ向きの拠点だと思ったんだよ。だが、その拠点が燃えて野郎は逃げちまった」


 そして神林は言う。


「あのブン屋から色々と情報を聞き出したかったのもあるが、俺としては韮建を唆した報復かえしをしなきゃならなかったんだ」


「報復……?」


「あの野郎、泣いて許しを乞いやがったよ。ハンマーで左脚をぶっ潰してやったら子犬みてぇに泣きやがった」


 話を聞く限りではだいぶ痛めつけていた模様。ただ、その線で考えると疑問点も出てくる。俺は問う。


「あんたは長谷川をどうするつもりだったんだ? 組織にとっては仇なのに編集部の訂正記事を条件に帰そうとしたのか?」


 すると彼はこう答えたのだった。


「まあ、殺す気は無かったぜ。俺たちは商人だ。面子云々よりも利益を得られるならそちらを選ぶ。野郎の身柄を使って出版社と交渉すればあの雑誌を影響下に置くこともできたからな。尤もその人質が逃げちまったことでご破算になったが」


 そうして神林は続ける。


「あの野郎に関しては方々に人を送って行方を追わせてる。今の所、手がかりひとつ掴めちゃいねぇがな。あんたらが東京に連れ帰ったなら無理もねぇか」


 さあ、何て答えるのが正しいだろう。俺としては「いいや。それは違う。中川会は奴を助けちゃいない」と言おうと思ったが……寸前になって止めた。


「どうだろうな」


 そっと含みのある言葉を呟いた後、さらに付け足す。


「あんたは勘が鋭いよな。どんな嘘もすぐに分かっちまう。だが、そんなあんたも長谷川が自力で関東に逃げ込んでるって線は想像できなかったか」


 俺は神林の目を真っ直ぐに見ながらそう言い放ったのだった。無論、ハッタリである。敵を欺いてこの場を上手く躱すための。


「……」


 神林は無言になる。だが、それはほんの一瞬のことに過ぎなかった。すぐにニヤリと笑いだすと俺に言うのである。


「なるほどな。あんたもなかなか食えねぇ奴だ。方便ってもんをよく分かってる。」


「ほう? どこが?」


「ここで『そんなことはしていない』と言えば、中川会より先にあのブン屋の身柄を押さえようと俺たちをますます躍起にさせる。かと言って『もう中川会が救出させてもらった』なんて言った日には、昨日の騒ぎが中川会の仕業だって濡れ衣を自ら被るようなもんだ。野郎が自力で関東へ逃げ込んだことにすれば、その両方を回避できる」


 そこまで語ると神林は大笑いした。


「はっはっはっ! やっぱりあんたは面白ぇな!」


 まさしく。どんぴしゃり。先ほどの返答における俺の意図は、彼が指摘した通りだった。極星連合サイドの反応を見る限り人質が逃げた話は事実。ゆえに俺たちはこれより東北ヤクザよりも先に奴を確保し、救助しなくてはならないのである。


 そんな事情を抱えているために敢えて曖昧な答え方をしたのである。ハッタリという名の嘘、いや、方便を用いて。


「どうだかな」


 やや皮肉めいたやり取りの後で俺は問う。


「長谷川の行方に心当たりはあるのかい?」


「おいおい。それはこっちが知りてぇよ。何せ、俺たちも野郎を捕まえなきゃいけねぇんだからなあ」


「じゃあ、まだそいつを出版社との交渉に利用するつもりなのか?」


「当然だ。俺たちが麻薬を扱ったって記事は訂正させなくちゃならねぇ。それに……」


「それに?」


「……野郎は色々と知りすぎちまってるんだよ。こっちの裏事情をな。すんなり東京に帰すわけにゃあいかねぇ」


 なるほど。神林は長谷川を人質として永久に利用し続ける腹積もりだ。彼の身柄を餌にして週刊新星を操ろうというのであろう。


「さあて、それはどうかねぇ。あんたの思い通りにはいかねぇと思うぜ。もう長谷川は群馬の中川会のシマ内に入っちまってるんだからなあ」


「くくっ。自ら逃げ込んだって方便か?」


「ああ。残念ながらな。嘘だと思いてぇなら勝手にすれば良い」


 きっぱりと俺は言い切った。神林はそんな俺を値踏みするように眺めると、やがてあの不敵な表情で笑い出す。


「……思った以上に面白い男だな」


 そして彼は言うのだった。


「なら、長谷川をこっちに引き渡してもらおうか」


 まあ、無理な相談である。だが、神林の真意はそれにあらず。ここで俺がけんもほろろに一蹴することを分かった上で、持ちかけて来たのだ。


 そうする理由は、ただひとつ。


 こちらが長谷川を捜索する時間を少しでも削り、逆に自分たちが奴を探す時間を稼ぐため、俺と酒井と原田をこの場に引き留め続けようというのだ。


「引き渡せと言われて素直に引き渡すアホがいるか」


「くくっ。そりゃあ出来ねぇよなあ。何せ、さっきのはハッタリで本当は長谷川は関東に逃げ込んじゃいねぇんだからなあ?」


「どう思おうがそちらの自由だ。何であれ、出来ないものは出来ない。それだけだよ」


 そうして互いに言葉をぶつけ合っていた時。ふと酒井が口を開いた。


「お言葉ですがね、神林会長。あんたのところの韮建って奴が手引きしたんじゃないですか。すっかり懇意になった長谷川を逃がすために」


 おいおい。いきなり何を言い出すのか。まあ、確かにその線は俺も考えなくもなかったが。


「どうなんです?」


 いつもより語気が強い。どうやら酒井は俺の後ろで沈黙を守りながら、加勢するタイミングを見計らっていたらしい。流石である。


「ああ、それはなあ……」


 すると神林は軽く笑った後で言ったのだった。


「……俺も最初はそう読んだよ」


 そして続ける。


「だが、有り得ねぇ」


 そんな答えを聞いた酒井が問い返す。


「へぇ? なんでまたそう断言できるんです?」


「俺は奴を許したからだよ。『同じ過ちを繰り返せばその時はワニの餌だ』って条件でな。韮建は完全に騙されてて、本当は麻薬のことも知らなかったんだ」


「つまり、あんた自身はそいつが手引きしたとは考えてないわけですね? でも、本当に? 実のところ、奴がシマの秋田あたりに匿ってるって線は?」


「あるわけねぇだろ。何を言ってやがる。そもそも韮建のシマは名取だ。秋田みてぇな要所を預けられるわけねぇだろ。馬鹿が」


「自分の所の部下を随分と低く見積もるんですね。名取もけっこう良い街だと思うのに。まあ、確かに過疎地といえばそうですけど」


「奴にはあれくらいがお似合いだ。他人の話にコロコロ惑わされちまうような能無しは田舎で十分なんだ」


 そう語る神林の言葉は嘘ではなさそうである。やはり韮建をそんざいに扱っていたか。奴の会長への忠誠心が揺らいでいるという噂は本当らしい。


「じゃあ、やっぱり韮建が手引きしたんじゃないですか? そもそもあいつは麻薬を扱ってたんでしょ?」


「だから奴は騙されただけだって言ってんだろ!」


「名取には港がありますよね。その近くに事務所を置けばタイマフィアとも取引しやすいでしょうに」


「おい! 適当なこと言ってると殺すぞ! このガキが!」


「ああ。はいはい。極星連合は麻薬禁止でしたよね」

「そうだ! だから直参どもには『港の近くに事務所を出すな』ってきつく言ってあったんだ! なのにあのクズは迂闊にも海辺沿いに……!」


 どうにも神林が苛立ちを見せているが大丈夫か。何だか雲行きが怪しくなってきた。まあ、俺としては韮建組の事務所が名取市の海辺沿いにあることが分かったので大助かりなのだが。


「まあ、それは神林会長。あなたの躾がなってなかったからでしょうね」


「おいコラァ! 口の聞き方に気を付けやがれ!お前が今喋ってんのは天下の……」


 そんな神林に酒井はニヤリと笑う。


「日本を代表する巨大企業の鳳桜建設の社長さんでしたよね。いや、こうお呼びしましょうか。『極道とカタギを使い分ける半端者』と」


「このガキ……!」


「まあ、良いや。とにかく長谷川は渡しませんから」

 つい先ほど罵ってくれたお返しとばかりに痛烈な嫌味を浴びせた酒井。俺から見ても良い気味だった。そんな彼は俺に対して言ったのだった。


「次長。東京へ戻りましょうか。こんな所には長居しても無駄です」


「お、おう。そうだな」


 ああまで彼が喋るとは思わなかった。隣にいた原田もぽかんとしている。まあ、酒井なりに何か俺の役に立ちたいと思ったのだろう。


「じゃあ、失礼するぜ。神林さんよ。長谷川からは手を引くこったな」


 そう言いかけた時である。その神林が俺たちに向かって叫んだ。


「待ちやがれぃ!!」


 ぴくぴくとこめかみを痙攣させながら俺たちを睨みつける神林。これは怒っているな。まあ、当然といえば当然なのだが。


「さっきから黙って聞いてりゃあ好き放題言いやがって! もう許さねぇぞ!」


 そして彼が啖呵を切ると同時、エレベーターが到着して中からぞろぞろと男たちが出てきた。


「おい! お前ら!」


 さながら興奮気味に神林が叫ぶ。すると、エレベーターから出て来た男たちが俺たちを取り囲むように散開する。どうやら極星連合の中でも精鋭の兵隊たちらしい。全員が金属バットを携えている。神林の奴、最初からこうするつもりであったか。俺たちを生きて帰すつもりなど無かったのだ。


「……」


 その場を凍らせるような殺気を身に纏い、俺たちを睨みつけてくる組員たち。そんな彼らに神林は命じた。

「おいっ! こいつらを殺せ! 叩き潰せ!」


「えっ? 歩けなくなる程度に痛めつけろって話じゃなかったんで? そんなことをしたら、中川会との外交問題に……?」


「うるせぇ! 俺が殺せと言ったらそうするんだよ! さっさとやらねぇか!」


「わ、分かりました! おいっ! お前ら!」


 そんなやり取りを終えると極星連合の組員たちは一斉に金属バットを振り上げて襲い掛かって来た。俺たちをタコ殴りにするつもりである。


 俺は酒井と原田に叫んだ。


「逃げるぞっ! 敵中突破だ!!」


 いや、本来ならば返り討ちにしてやりたいところ。だが、恒元から相手側と事を起こさぬよう釘を刺されている以上それはできなかった。


「はい!」


 そうして俺たちは非常階段へと駆け出した。後ろからは組員たちが猛然と追いかけて来る。だが、そんな状況下にあって原田が言ったのだった。


「おい! あいつらが持ってるのって本物だよな!?」


「ああ、たぶんな」


 そんなやり取りをしながらも俺は走る速度を緩めず。振り返っている暇など無いのだ。そして数階ほど降りたところで俺が走りながら叫んだ。


「よしっ! 飛ぶぞっ!」


「はいっ!」


 ここぞとばかりに酒井と原田が非常階段から飛び降りた。そして俺は最後に手すりを飛び越えて、宙へと身を躍らせる。


「うおっ!?」


 ふわっとした一瞬の浮遊感の後、着地する俺たち。階段のショートカットだ。


「次長! お怪我は!?」


 よろめきながら酒井が叫んだ。だが、その心配は杞憂である。鞍馬菊水流伝承者が怪我をするはずもなかろう。


「ああ、大丈夫だ」


 そんな俺の返事にホッと胸を撫で下ろす部下たち。そして彼らは言ったのだった。


「じゃあ、逃げましょう!」


 それから俺たちはなおも駆け出す。神林組員たちの追跡を躱すためにも今はただ走るしかないのである。そんなこんなで非常階段を駆け下りた俺たちはビルの玄関を飛び出し、停めてあった車に飛び込む。


「待てやゴラァー!!」


 追いかけてくる組員を振り切り、どうにかフェニックスタワーからの脱出に成功したのであった。


「ふう……ここまで来りゃあ大丈夫でしょう……」


 酒井が額の汗を拭いながら言う。原田もまた息を切らしていた。ここまで走ったのは久々と言わんばかりの疲れ切った顔だ。


 さて、ここからどうするか。


 長谷川記者を見つけねばならない。されども彼は何処にいるのだろう。まったく手がかりがない。


「……とりあえず仙台市内を探してみますか。けど、あまり派手な動きはできませんぜ。俺たちが奴らに見つかっちまいます」


 ため息をつきながら呟く原田。酒井もまた焦燥の色を隠せぬ様子であった。


 俺は頭を捻る。長谷川はどこにいるのか……? そしてどうやって見つけるべきなのか……?


「いやあ、仙台には奴らの監視網があるからなぁ」


 酒井が嘆きの台詞を口にした時だ。


 ちょっと待てよ……?


 俺の中で何かが閃こうとしていた。それと同時、少し前に交わした神林との会話が頭をよぎる。そして昨日のニュース。


 なるほど。そういうことだったか。


「……原田。仙台駅に向かってくれ」


「駅ですか?」


「長谷川が何処に行ったか、見当がついた」


 さっそく原田が駅に向かって車を走らせる中、酒井が尋ねてきた。


「どこに行ったっていうんです?」


「でも、貨物列車に飛び乗るだなんて。それにコンテナの中で5時間も過ごせますかね? トイレに行きたくなったらどうすんです?」


「そこは長谷川も我武者羅だったんだろうよ。何とか逃げ延びるためにな。便は大でも小でも走行中にその辺に垂れ流しちまえば良い」


「いや、まあそうかも……」


 酒井は未だに難しい顔をしていた。そんな彼に原田が言う。


「俺は兄貴の言うこと、一理あると思うぜ。長谷川が函館に逃げた説」


「うーん……」


 まだ納得のいかない酒井。しかし、俺はさらに説得するのだった。


「貨物列車への不正乗車は昔から頻繁に起きてる。駅で停まってる間にコンテナを開けて乗っちまうんだ」


「……だとしても、長谷川が函館に逃げたっていう確証は無ぇでしょう。途中でどこかに降りたかもしれない」


「まあな。その可能性は否定できん。だが、仮説が複数同時に挙がってる時にはず最も有力な所から当たってみるべきなんじゃねぇの」


「それが『長谷川が函館に逃げた説』ってことですかね。しかも全裸で」


「ああ。現にニュースにもなってるんだしよ」

 酒井が少し俺の意見に賛意を見せ始めたので、改めて自説の穴について考えてみる。


 全裸のまま仙台から函館に逃げたかもしれない長谷川。仮にそれが本当だったとして、極星連合がその線に気付いていない理由は何か。全裸で突っ走る男などは普通に考えて物凄いインパクトがあるのにもかかわらずヤクザたちは話題にしても居なかった。


 もしかすると気付いている可能性も少なからずあるのだが、それなら早急に北海道へ追手を送り込んでいるはず。鶴崎は『長谷川を何処へやったんだ』と怒鳴っていた。ゆえに奴らは未だ、長谷川の逃走先に気付いていない……。


 いや、待てよ? 鉄道員が全裸の男を見たという話については『シャブでも打ってたんじゃねぇか』と言っていた。それはつまり、彼らが幻覚を観ていたと認識しているわけだ。


 なるほど。そもそも奴らは鉄道員の証言を幻覚の産物と切り捨て、全裸男についてまともに取り合っていないのである。


「じゃあ、兄貴は長谷川って記者が函館に逃げ延びてるって考えるてんですかい?」

 原田が聞いてきたので俺は答えた。


「ああ。ただでさえ寒い東北の寒空の下、函館までの道中で如何にして暖を取っていたのか疑問だがな。たぶん線路沿いの住民にも見られてるかもしれねぇぜ」


 原田は勿論、酒井も俺の意見に賛成したようだ。


「……なるほど」


 そして、彼は言ったのである。


「だったら、まずはその仮説が正しいかどうかを検証しましょう。何の確証も無しに函館へ行けば空振りだった時の損失がデカすぎます」


 俺としてもまったくそのつもりだった。何をするにもまずは実験。ということで俺たちは一番町へ車で向かってみた。


「よし。んじゃ、酒井。ここで待っててくれや」


「次長! 危険です! 敵がうろついてるかも……!」


「大丈夫だよ」


 とりあえずは車を降りて歩き始める俺。仙台で最も大きな商店街、一番町。昔懐かしいアーケード街ともいうべき雰囲気。アーチ状に架かった屋根が特徴的で多くの人で賑わっている。


 そんな中で長谷川が監禁されていたという日本料理店の詳細は分からないが、全焼して黒焦げになっている箇所があったのでおそらくはそこだろう。


 俺はたまたま近くを歩いていた婆さんに尋ねてみた。


「よう。昨日は大変だったらしいな。こんな商店街のド真ん中で家事なんて」


 すると老婆は答える。


「ああ。本当だよ。でも、幸いにも店の人は無事で中に居たお客も皆逃げたらしいからね。あのお店は鳳桜建設が出資してるところだからすぐに復活できるでしょうねぇ。お兄さん、ここらじゃ見ない顔だね? 観光のお客さんかい?」


 おっといけない。政令都市とはいえ地方は地方。他所者が居ると噂が広まれば忽ち極星連合の組員が集まって来てしまう。ただでさえカタギとは見分けにくい服装だというのに。気を付けねば。俺は慌てて繕った。


「いや、1か月前から仙台に住み始めたんだ。おかげでここら辺の地理にはうとくてな。店内の客も含めて全員が無事だったなら良かったぜ」


「うん。本当に良かったわよ」


 老婆はそう言ってから付け加えた。


「でも、だいぶ酷いケガをした人もいるみたいで」


「酷いケガ?」


 すると老婆は言った。


「燃えてる建物の中から真っ裸で逃げてくる男の人がいてね。それも血まみれで。あの店は料理人さんの家も兼ねてるから、たぶんお風呂に入ってる時に炎に襲われてヤケドしちゃったんでしょうね」


 ああ。やっぱりか。俺は思わず内心でため息をつく。


 さて、路上インタビューはここで終了だ。俺は婆さんに礼を言うとすぐさま踵を返してきた道を戻る。どうにも視線が気になっていた。


「……」


 スーツ姿の男ら数名がこちらを見ているような気がする。もしかすると単なる通りがかりのサラリーマンかもしれないのだが、俺は尾行されている時には気配で分かる。それに遠くから見た奴らの瞳はドス黒かった。人を殺したことのある者はその眼差しの奥に独特の色が浮かぶのだ。俺はそのまま逃げるように部下の待つ車に乗り込んだ。


「どうでした?」


 運転席で酒井が聞いてきた。俺は答える。


「たぶん間違いない。昨日の全裸男は長谷川だ。おまけに極星連合の兵隊っぽい奴も見かけたぜ」


「なっ!?」


「ああ。今の時点で気付いてねぇとはいえ、いずれ連中は気付く。田舎者でもヤクザの情報力は侮れねぇからな」


「……どうします? これから函館に向かいますか?」


「そうだな。ギャンブルにはなるが、行ってみようじゃねぇか」


 このまま仙台に居続ければ遠からず俺たちも極星連合に囲まれてしまうだろう。今回の旅で喧嘩は禁物なのだ。俺は頭の中で迅速に戦略を練って部下に指示を飛ばす。


「とりあえず仙台駅に向かってくれ。そこで俺を下ろしたら、お前らは車で仙台を出ろ。そのまま東京へ戻るんだ」


「兄貴お一人で函館へ向かわれるんですか?」


「ああ。その方が極星連合の監視をすり抜けやすいと思ってな」


 酒井と原田が困惑の顔をする。


「次長。本当にお一人で大丈夫なんですか?」


「おうよ。それより、東京に着いたら函館に向けてヘリをチャーターしてくれ。俺が思うに長谷川は負傷と疲労で衰弱してるだろうから帰りは空路の方が良いだろ」


 そうこうしている内に車は仙台駅に到着した。俺は2人の部下に言う。


「お前もさっさと東京へ戻れよ? もう気付かれてる可能性が高いんだから、お前らまで巻き添え食らったら困るんだよ」


 承服できないといわんばかりの表情の2人だったが、暫くすると互いに顔を見合わせて威勢よく返事をしたのだった。


「分かりましたぜ。次長、どうかご武運を」


「ヘリのことは任せてください。兄貴はどうぞ好きなだけ暴れてきてくださいね。麻木涼平の名を函館中に轟かせてやってくだせぇ」


 こうして俺は車を降り、仙台駅へ一人で入った。

敵地を駆け回った涼平はさらに北上することに。長谷川を助け出せるのか? 次回、新たな展開!

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