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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第10章 虎崩れの変
181/252

女の素顔

 何て声をかければ良いやら。


 気まずい空気が流れる中、俺はとりあえずカウンターに座る。


「……あなた、どうしてここに?」


「いや、その」


「どの面下げて来たのよ。私を騙してたくせに」


 華鈴は怒りと警戒心を露わにして俺を見つめる――まあ、無理も無いか。かつて俺はカタギの人間であると偽って彼女と会っていたのだから。


「怖がらせたくなかっただけだ。こないだも言ったが、立場であんたと近づきたくはなかった。ひとりの人間として仲良くなりたかったんだ」


「何がひとりの人間よ! 要はカタギって偽の立場であたしに近づいてきただけじゃない! あなたに裏切られて、こっちはどれだけ傷付いたと思ってるのよ!」


 本当のところ極道だったという事実がそんなにショックだったのか。華鈴は目に激しい怒りを浮かべていた。そうなっては最早言い訳のしようが無いのである。


「いや、その……悪かったよ」


「本当に悪いと思ってるなら帰ってよ! 二度と顔を見せないで! もう顔も見たくないんだよ!」


 華鈴は怒りに任せてカウンターの奥に引っ込もうとしてきたが、与田が慌てて制止した。


「まあまあ。曲がりなりにもお客様なんだから、そう邪険にするなよ」


「お父さん!」


「それにこの麻木涼平さんは協力者だ。俺たちの味方になってくれる人だ。どうか父さんのためだと思って、な?」


 華鈴は不満そうに唇を尖らせる。与田組合長は俺の方を向いて言った。


「麻木さん。失礼したね。まさかうちの娘と知り合いだったとは……」


「あ、いや。知り合いってほどじゃありません。ただ何度かこの店に通ってるうちに常連客っぽくなっていただけです」


「そうか。まあ、何があったかは知らんが……ここはひとまずコーヒーを飲んでいってくれないか? 互いに色々と聞きたい話もあることだし」


「……分かりました」


 俺が仕方なくオリジナルブレンドを注文すると、与田は柔和に笑った。


「敬語じゃなくて良いよ。ここではフランクに行こうじゃないか。華鈴ともそれなりに仲が良かったようだからね」


「あ、ああ。お気遣いなく」


 俺は華鈴の方をちらりと見た。彼女はまだ俺に対して警戒しているようで、鋭い眼差しを向け続けている。その目はやがて父親にも向いた。


「そうなんだよ。瑞穂町は過疎化が進んでしまっていて、財政状況が芳しくない。自治体だけで公共事業をやれるだけの力はもう残っていないんだ」


「なるほどな。だから八王子の会社と組んで第三セクターってわけか」


「言葉は悪いが、瑞穂の商店街は過疎の影響で軒並み廃れてシャッター街と化している。今回の騒ぎが持ち上がった産廃処理場も元は商店街だったんだよ」


「ほう? だったらその中央テクノサービスとやらが瑞穂で産廃を始めた経緯も調べねぇとな。どうせ何処ぞの組のフロント企業としか思えんが」


「恐らくね。ただ、それを証明できる証拠は無いよ。あくまで憶測に過ぎないからね」


 俺の仮説はこうだ。


 多摩地域を仕切る大国屋一家が瑞穂町の衰退に付け込み、強引なやり方で土地を入手して産業廃棄物処理場を作った。


 ところが何らかの原因でダイオキシンが出てしまい、操業停止に。そのまま事業が立ち行かなくなって会社は経営破綻し、担保に入れていた土地は焦げ付いた融資のカタとして金融屋に召し上げられて競売にかけられた。


 それを購入したのが舘野不動産であり、同社は東京都が進めるリサイクルセンター計画として建設用地を都に売却、莫大な利益を得ることを目論むも、買った土地には占有屋がハエのごとく群がっていた……。


 ただ、その推論で考えるならばひとつ矛盾点が浮かぶ。


「でも、麻木さん。ヤクザのフロント企業だったんならもうちょっと上手に経営をまわせたと思うよ。普通の会社と違って裏ルートからいくらでもカネを注ぎ込めるんじゃないの?」


「うーん。そこなんだよな。処理場が機能しなくなったから放棄したか……でも、あっさり手放すくらいなら占有屋を使ってまで土地に執着する理由が分からねぇ」


「そもそも事業を始めるにあたって銀行から融資を受けたのも腑に落ちないよ。あの大国屋一家なら資金は余るほど持っていたろうに」


 与田の指摘は的を得ていた。


 吉祥寺に本拠地を置く大国屋一家は中川会御七卿の中でこそ窓際なれど、億単位のカネを気軽に動かせるくらいには資金力が潤沢だったはず。初期費用の調達に銀行から融資を受けたのがまっとうな会社に見せるためのパフォーマンスだったとしても、みすみす借金のカタに土地を奪われるような下手を打つだろうか。


「麻木さん。会長の命令で占有屋の掃討に当たっているのは大国屋一家だって聞いたよ」


「ああ。尤も、連中が思いのほかしぶとくて手間取ってるって話らしいが。それが自作自演だってんなら大国屋の“苦戦”にも辻褄が合う」


「そうだよね。でも、何でわざわざ産廃事業を手放してまで占有屋稼業を……堅実に経営をやってりゃダイオキシンが出たところで持ち堪えられるはずなのに……」


 与田は腕を組んだまま考え込む。俺も頭を悩ませた。まあ、何にせよこの場で机上の空論をまとめたところで前には進まない。


 明日以降、中央テクノサービスについて探りを入れてみようということで一旦は話が落ち着いた。


「与田さんよ。件の会社は間違いなく背後に筋者が付いてる。調べるのは俺たちに任せて、あんたは舘野不動産を見張っててくれねぇか?」


「うん。そう言ってくれると心強いよ。ただ、俺としても指を咥えて見てるだけなのは申し訳ないから、組合からアシスタントをひとり付けさせてくれ」


「おいおい。十中八九、荒事になるんだぜ。カタギの人間が出てきちゃ……」


 その時、気色ばんだ声が会話に割って入った。


「足手まといになるって言いたいのかしら」


 華鈴だった。オムライスとコーヒーの載ったトレイを手に、いつの間にか厨房の奥から出てきていた。


「本職の荒事とやらがどれほどのものかは知らないけど。あたし、それなりに戦えるんだからね。こう見えても元レディースだったし」


 その言葉を受けた俺は、恐る恐る与田に問う。


「おい。まさかそのアシスタントってのは……?」


「うん。この華鈴だ。本人も言ってる通り、なかなかやるんだよ。この子は。昔から腕っぷしだけは強かったからね。」


 与田の返答に華鈴は「腕っぷし“だけは”って何よ!」と突っ込みつつも、鼻を鳴らした。片や俺は呆気に取られるしかない。


 えっ、このあどけない女の子が鉄火場に――。


 いやいや。冗談じゃない。何を考えているのか。第一、華鈴は女性だろう。こんな見るからにか弱そうな乙女が血で血を洗う戦いに出て良いわけが無い。


「おい、おっさんよ」


 俺は呆れ顔で言う。


「あんたは正気か? レディースだか何だか知らんが、あんたにとっては娘だぜ。いくら何でもドンパチに送り出すなんて……」


 すると、華鈴は俺に向かってキッと鋭い視線を向けた。そして、ずかずかと歩み寄ってくるなり胸倉を摑んでくる。


「女だからって舐めないでくれる」


 華鈴は俺を睨み付けた。その目は憤怒と嫌悪、そして少なからぬ対抗心に満ち溢れている。無論のこと俺は怯まなかった。女性に睨まれたくらいでたじろぐようじゃ、渡世で飯は食えない……と思いたいが、その視線には不思議と威圧感があった。


 獲物を見定めた猛禽類のごとき、鋭い眼光。


 その迫力を情けなくも心へ容れてしまうのは、数日前に彼女を傷つけてしまったばつの悪さが渦巻いている所為か。


 だが、そうであれば尚更に同意するわけにはいかない。おいそれと戦場へ連れて行き、この女を別の意味で「傷つける」結果になるなどあってはならないからだ。


「お前は連れて行けない」


 そう答えると、当然のように華鈴は食ってかかった。


「どうしてよ!?」


「どうしてもクソもねぇ。女がいくさに出るなんざ、正気の沙汰じゃねぇんだよ。それに素人が思ってるほど本職の喧嘩ってのは生易しくはねぇぞ」


「あたしだってとっくに覚悟はできてる! それに、女だからとか関係ないでしょ!?」


 華鈴は声を荒らげた。俺は溜息をつく。どのように説得すれば良いものか。拒否しようにも言葉を選ばねばなるまい。きつい台詞を浴びせたくはなかった。


「……本職の喧嘩ってのは文字通り、命の取り合い。相手の存在を地上から消すまで戦う殺し合いなんだ。暴走族なんかの真似事とはちげぇんだぞ」


「あたしに人が殺せないって言いたいの?」


 静かに頷く。そんな俺に、華鈴はつんざくような声で言い放った。


「舐めるのも大概にしてよ! こう見えても、あたしだって人を殺したことがあるんだからッ!!」


「えっ……?」


 俺は思わず絶句した。


 この可憐な乙女が、かつて人を殺したことがある……?


 にわかには信じ難い話である。だが、ハッタリをかましているようには思えない。その告白に嘘偽りが無いことは彼女の瞳を見れば明らか。


 その目の奥で揺らいでいるのは、誰かのむくろを踏み越えた者特有の冷たい光――傭兵時代に東欧で散々すれ違ってきた人々とまったく同じ色をしていたのだ。


「……お前、人をあやめたことが?」


「何度も言わせないでよ。あるって言ってんでしょ。どこまであたしを甘く見てるのよ、この嘘つきヤクザ」


 罵倒と共に華鈴は答えを返した。その声色には意思が含まれている。もはや一片の揺るぎも無い、確固たる覚悟と決意が。


 俺は言葉を失った。


「……」


 そんな中、傍らで見ていた与田が口を開く。


「麻木さん。この子の言っていることは本当だよ」


 父親である彼までもが言うのなら、それは事実なのだろう。だが、俺には心の中で信じられない部分があった。信じたくはない、と表現した方が適切か。


「マジかよ」


 そう漏らすように反応した俺に、与田は語りを紡ぐ。

「あ、ああ。あれは華鈴が12歳の時、この近くにある俺の事務所で起きたことだった。ほんの偶然が引き起こした惨劇、とでもいうべきかな」


「何があったってんだ?」


「簡潔に言えば、俺の事務所を襲った強盗を華鈴が殺したんだ。背後から、後頭部をバットで一撃でね。殺されそうになっていた、俺を助けるために」


「なっ……」


「秘密裏に処理してもらったから、事件のことを世間は知らない。何ら表沙汰にはなっていない。でも、そのおかげで、中川の親分に借りができてしまったよ」


「だ、だからあんたは会長のために動くように」


「あの日の前に時を巻き戻せないかなって今でも思うよ。けど、最も悔やむべきは俺が中川恒元の御用聞きに成り下がってしまったことじゃない。華鈴を変えてしまったことだ」


 娘を一瞥し、与田が続ける。


「事件以来、この子は人を傷つけることに抵抗が失せてしまった。目的のためなら容赦なく暴力を振るうし、相手を壊すようになった」


「……レディースに入ったってのはそういう理由か」


「うん。親としては華鈴に、そんなことをさせたくはなかったんだけどね。でもあの事件は俺が娘を仕事場に連れて来てさえいなければ防げたこと。俺のせいなんだ。咎める資格なんか無かったよ」


「……」


 俺は押し黙った。


 是非はさて置いて与田の言っていることは理解できるし、共感もできる。だが、それでもなお腑に落ちない部分があった。


 それは……なぜこの娘が俺のようなヤクザ者に付いて来ようとしているのかということだ。


「華鈴はヤクザが嫌いなんだよな? 血生臭いことに抵抗がぇのは分かったが、何で俺に付いて来ようとするんだ? 父親の意思だからか?」


「違う」


 華鈴は即答した。そして、俺の目を真っ直ぐに見据える。


「あなたの好きにはさせたくないからよ」


 俺はその答えに戸惑った。与田も目を丸くしている。だが、彼女はそれらには何ら構わず続けてゆく。


「あなたたち中川会は舘野不動産を助けると見せかけて、実はその裏で大国屋一家と結託している。だっておかしいじゃない。親分の癖して傘下組織の動きをまともに把握できていないなんて」


「なっ……!?」


 慌てて俺が訂正を加える。


「ちょっと待った。それはちげぇよ。大国屋は中川会じゃ“御七卿”なんて呼ばれる部類のデカい組で、会長も制御がしづらいんだ」


「何よ、それ。意味わかんない」


「いや。まあ。確かに分かり辛いよな」


「結局は『部下が勝手にやったことで知らぬ存ぜぬ』みたいな体を装いたいだけなんじゃないの? ヤクザの考えそうなこと!!」


 どんな言葉を投げれば良いのか。返事に窮する――とは、まさにこの事。「会長は御七卿の親分衆に推戴される存在に過ぎず独裁的な権力を有さない」という中川会の組織事情をどうにか上手く伝える方法は無いか……?


 あれこれ思案したが、曖昧な返事しか出来なかった。


「とにかく。違うんだ。うちの会長は大国屋と結託してなんかいない。あくまでもカタギさんらの味方だ。そこら辺は信じてもらうしかねぇな」


 対する華鈴の反応は軽かった。


「ふーん」


 冷淡という言葉を全身で示したかのような態度。これは理解を得られなかったと秒で確信した。俺が論拠を明確にしていない以上、仕方ないことなのだが。


「ま、何にせよあなた一人に奔走させておいたら嫌な予感しかしないし。動くならあたしも混ぜてもらうわ。あなたのお目付け役としてね」


「……別に構わんさ。けど、足手まといにだけはならねぇでくれよ。こちとら鉄火場に出て女を守って戦う余裕なんかありゃしねぇんだ」


「こっちから願い下げよ。ヤクザに守ってもらうなんて。本音を言うと今回の件もあたし一人で片付けたいくらいなんだから」


 すると与田が横から口を挟んできた。


「華鈴。気持ちは分かるが、お前一人にやらせるわけにはいかない。これは舘野不動産のみならず多くの人の生活に関わる問題なんだぞ」


「だからこそ、ヤクザに頼らずあたしたちだけで解決すべきことじゃない。お父さん。全て中川会のマッチポンプだったらどうするのよ」


「その可能性も無くはないが、もう会長に話してしまったんだから仕方ないじゃないか。分かってくれよ。な?」


 父の言葉に華鈴は歯噛みした。彼女は本当の意味でヤクザが嫌いらしい。そういえば数日前に輝虎を前にした時も、物凄い表情で敵意を剥き出しにしていたような……。


「今さらかもしれないけど、あたしは反対だよ。会長の意思と大国屋一家の意思が違うって確証は何処にも無いんだから」


「おいおい、華鈴!」


「仮に本当だったとしても、どちらか一方が必ず得をする。どっちに転んでも中川会は力を増す。それってお父さんの考える人の道に反することなんじゃないの?」


 娘からの手厳しい指摘を前に与田組合長は完全に口ごもってしまった。詳しい事情は分からないが、この父娘は正義感が人並み以上に強いと見た。弱きを守るためなら極道を利用することも厭わぬ雅彦氏と、そういった類の存在を快く思わぬ華鈴。どちらが正解か、ヤクザである俺に評する資格はない。ここはとりあえず適当な言葉を放っておくか。


「勇ましいこったな。しかし、相手は大国屋一家だぜ。素人がどうこうできる相手じゃねぇってのは分かっといた方が良い」


「まるで向こうの一員であるかのような言い方だね。ふふっ、余計に怪しくなってきたわ。あなたが本当は誰の味方なのかがね」


 華鈴は自信たっぷりの笑みを浮かべた。その双眸そうぼうには勝気な光が宿っている。


「あたしは自分の目で確かめるまで信じないから。あなたの言うことも。中川会の会長さんが、この赤坂の街を本当に大切に思っているのかも」


 俺はやれやれと肩をすくめた。華鈴の頑固さには呆れるばかりだ。だが、同時にその強さに感心する部分もある。


「分かったよ。なら、付いてきて自分の目でじっくりと確かめるが良いさ。あんたの好きにしろよ」


 想像していたよりも、ずっと冷ややかで淡白な台詞が出てしまった。少し前までは華鈴を女として意識していたというのに不思議なものだ。内心にて驚く一方で「然もありなん」と納得する自分がいるのは実に歯痒いことであった。


「……よし。難しい話題もこの辺にして、そろそろ飯の時間にしようじゃないか。せっかくのオムライスが冷めてしまうぞ」


 ふと前方に視線をやると、華鈴が焼いたばかりの完熟オムライスが皿の上で香ばしい香りを放っているではないか。


「さあ、華鈴。麻木さんにお出しして」


「分かったよ」


 与田が優しく促すも、娘は素っ気ない返事で返すのみだった。


「冷めても美味しいと思うけどね。あたしが焼いたんだから」


 華鈴はぶっきらぼうな面持ちのまま、俺の目の前にオムライスの皿を置いた。そして隣にソーサーに乗せられたコーヒーのカップをやや乱暴に置くと、足早に厨房へ引っ込んでしまった。


「……すまないね。うちの娘が」


「いや。申し訳ねぇのは俺の方さ。つまらん見栄を張ったおかげで、結果として華鈴を苦しめちまったわけだから」


「その……どうか、あの子のことを嫌いにならないでやってくれないか。華鈴は、本当は優しい子なんだ。歯止めが効かなくなることもあるけど、困っている人を放っておけない強い子だから」


「ああ。分かってるよ」


 答えながら、俺はスプーンを手に取った。そして、その先端で卵とチキンライスを掬い取る。


「いただきます」


 口に運ぶと、まず舌の上に広がったのはケチャップの酸味だった。そこから卵がふわりと口の中で溶けていく。美味い!


 やっぱりこの味。華鈴のオムライスは最高だ。


「うん。美味い」


「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ。まあ、俺が作ったわけじゃないんだけどね。えへへっ!」


 与田が微笑む傍らで、俺は夢中でスプーンを動かし続けた。おかげであっという間に皿の上から料理が無くなってしまった。もっと味わいたかったのに残念だ。


「ごちそうさまでした」


「良い食べっぷりだったねぇ。腹が減っていたのかい?」


「ああ。今日はけっこう動いたからな」


「そうかそうか。確かに腹が減ってると飯が進むよねぇ。俺なんか基本的に外回りの仕事だから、このとしでも未だ食欲旺盛さ」


「ほう……」


 それから与田は俺に幾つかの他愛もない話を振ってきた。主に彼自身の身の上だ。生まれも育ちも赤坂であること、喫茶店は父親から引き継いだこと、コーヒー豆を原産国から取り寄せる過程で貿易の面白さに気付いて輸入雑貨の副業を始めたことなど――だいぶ個人的な内容だったものの与田の話術が上手い所為か聞いていて飽きなかった。


「それでね、組合長の座も親父から引き継いだんだよ」


「組合長ってどんなことをするんだ?」


「主に街の相談役だよね。困り事は無いか、店の経営は大丈夫か、この街で事業を営む人々の相談に乗ってはアドバイスをする。まあ、たまに俺も相談に乗ってもらうんだけど」


「なるほどな」


 俺は相槌を打ちながら、ふと窓の外に目をやった。いつの間にか雨は止み、雲間から月が覗いているのが見えた。その柔らかな光に照らされる街の風景は美しかった。


「綺麗なもんだろう。月明かりとネオンに照らされた赤坂の夜は。俺はこの赤坂が好きだし、ずっと守っていきたいって思う」


「そうだな。娘さん……その、華鈴も赤坂で生まれ育ったのか?」


「あの子も赤坂育ちだよ。俺に似て地元愛が強くてね。子供の頃から、家業でもない街の相談役を自ら率先してやっていたもんだ」


 与田は感慨深げに呟いた。そして、ふと思い出したかのように俺に問い掛けてくる。


「なあ? 華鈴はどんな感じだった? お前さんから見て、この店で働くあの子はどんな風だったかな?」


「どんな感じって。誰にでも優しくて、明るくて、それでいて芯が強い。魅力的な女だと思ったよ。とても殺しをやるようには見えなかったぜ」


「そ、そうか」


 哀愁の漂う声で返事をする与田。その際に彼の視線がほんの僅かに泳いだように見えたが、特に気に留めなかった。


「……君は今までそうは見えなかっただろうが、本人も言ってた通り彼女はレディースの番長だった時期があるんだ。アイっていう暴走族。知らないかい?」


「一応は知ってるぜ。愛栗鼠といえば、赤坂から池袋までけっこう広い地域を張ってる女だけの族だったよな。あそこのヘッドが華鈴だったのか」


「まあね。親としてはお恥ずかしい限りだが、俺も若い頃はカミナリ族で暴れてたわけだし。血は争えないのかもな」


 カミナリ族とは1960年代に社会問題化した路上でバイクの暴走行為を繰り返す若者たちの総称……という雑学はさておき、華鈴は相当にグレていたらしい。


「幼い頃から空手を習わせてたのがいけなかったか、はたまた父親の俺が元不良だからか。子供の頃から腕っぷしが強かったんだ」


「今からは想像もできねぇけどな」


「あの子は少し喧嘩っ早いところがあってね。小学生の頃は『娘さんがクラスメイトを殴りました』とかで毎日のように学校へ呼び出されたもんだ」


 かつてこの喫茶店で見かけていた淑やかな姿とは程遠い印象。俺の中では華鈴についての固定観念があっただけにイメージが追い付かなかった。


 ただ、少し得心したような気もする。


「そりゃあ腕白なこったな」


「けれども弱い者いじめだけはしない子でね。専らいじめに遭っている子を助けるために喧嘩していたよ。時には警察沙汰になることもあったけど、その辺は父親として本当に誇らしかった」


「なるほどな……」


「けど、そこへあの事件が起きてしまったんだ。以来、彼女の中の何かが外れてしまったようでね。華鈴は喧嘩で手段を選ばなくなった」


 浮かない面持ちで与田は息を吐く。


「あの子は弱い人を助けるためには何だってする。ヤクザにも喧嘩を売るし、どんな危険なこともやってしまう。そして何もかも一人で抱え込もうとする」


「極端だな……」


「俺が幼い頃から何かにつけて『人のために生きろ』って教え込んできたのが一番の原因かもしれないけど、親としては心配しかないよ」


「そりゃあ、そうだろうな」


「だけど、今さらあの子の生き方を変えさせる権利が俺にあるとは思えない。よくよく考えれば、華鈴がああなってしまったのは全て俺の所為なんだから」


「……」


「麻木さん。どうか娘のことをよろしく頼むよ。あの子が無惨な形で命を散らしてしまわないよう、君が見守っていてくれないか」


 彼女と組んで仕事をする流れになりそうなのは薄々悟っていたが、何故に俺がそこまで。戸惑を見せるも与田の思いは揺るがなかった。


「君なら華鈴のことを分かってやれるだろうと感じたからだよ。それに……」


 与田はそこで一旦言葉を区切ると、こちらの目を真っ直ぐに見据えて続けた。


「……15歳で極道の世界へ巻き込まれ、辛い十字架を背負って戦いの中で生きてきた君には華鈴と似たものを持っていると感じたんだ」


 沈黙する他なかった。


 俺の過去については恒元に聞かされたのだろう。十字架を背負って云々と言われれば少し違うかもしれないが、概ね当たっている。


 ただ、それ以上に彼の眼差しに気圧されたからだ。その目は真剣そのもので、俺に対してどこか強い期待を寄せているように見えた。


「はあ。分かったよ」


「麻木君?」


「あんたがそこまで言うなら。ただし、約束はできねぇぞ。危険と分かってる場所へ自ら飛び込む以上は、俺が華鈴を守りきれる保証はねぇ。それでも良いなら引き受けてやるさ」


「ありがとう!」


 与田は歓喜の声を上げると、俺の両手を力強く握ってきた。しかし、そんな彼の姿を苦々しく見つめる目線があった。それは、当の華鈴である。


「あのさぁ、さっきから聞いてたら勝手なことばっか言って……あたしを守るとか、分かってやるとか、何なのそれ」


「華鈴……」


「あたしは誰かに守ってもらうほど弱くない! ましてやヤクザになんて! たとえ億のお金を寄越されても願い下げだよ!」


 そう叫ぶと、彼女はカウンターテーブルを強かに叩いて立ち上がった。その拍子に椅子が倒れて大きな音が響き渡る。俺は呆気にとられてしまった。


「華鈴、何処へ行く!?」


「買い出しに行ってくる! あたし、もうその人と同じ空気を吸いたくないから! 戻ってくる前に帰しといてよね!」


「まっ、待つんだ……」


 父親の引き留めを聞かずに華鈴は店を出て行った。


「……二度も三度もすまない」


「いやあ、良いんだ。確かに俺たち中川会はあんたの善意に付け込んで利権を貪ってるわけだし。嫌われるのもワケないさ」


 こうも毛嫌いされた状態で事が上手く運ぶものだろうか。華鈴の反応を見ていると少し不安になってくる。


「与田さん。こっちこそ申し訳ねぇ。あんたの大事な娘を騙して、傷つけちまったんだから」


「いやいや。謝らないでくれよ。客が身分を隠して店に来るなんてごくごく自然なことで、目くじらを立てる方がおかしいんだから」


「そ、そうか」


 与田組合長は笑って許してくれているが、後で華鈴にはきちんと謝る機会を設けねば。


「それで、これからどうするんだい? 中央テクノサービスを調べるとは言っても真正面からぶち当たってどうにかなるとは思えないよ?」


「ああ。承知の上だ」


 与田の問い掛けに対し、俺は頷いた。


「ってなわけで裏から攻める。その会社には確実にケツモチがいるから、そいつが誰なのかをずはあぶり出してみる」


「うんうん。それで?」


「事と次第によってはカチコミをかけてぶっ潰す。そうすりゃ必然的に出てくるだろ。占有屋を使って産廃跡地に居座ってましたって証拠がな」


「なるほど。流石は本職のヤクザさんらしいというか、良いアイデアだと思うよ。それなら早く片が付きそうだ」


 与田は納得したように何度も首を縦に振った。ただ、それから少し間を置いてから再び口を開くと、俺に向かって問い掛けてきた。


「あ、でも……なるべく早く解決させるなら土地の占拠を続ける連中を直接的に倒しちゃうってのはどうかな?」


 それに対して、俺は首を横に振りながら答えた。


「手っ取り早いっちゃ手っ取り早いが。産廃跡地で流血沙汰を起こすのは出来るだけ避けたい。土地の値段が下がっちゃマズいだろ」


 仮に都のリサイクルセンター建設計画がオジャンになってしまった場合、舘野不動産は件の土地を売却することになる。


 そうなった際に売値が少しでも高い方が舘野は損失を取り戻せるだろう。計画の白紙撤回に加えて価格崩壊まで起こったら泣きっ面に蜂だ――何の義理もない不動産屋であるが、それだけは避けてやりたかった。あくまでも最悪の最悪を想定した事前策であるが。


「そうか……そうだよな。それを舘野の社長が聞いたら、きっと喜ぶよ。優しいねぇ。君は。やっぱり俺が見込んだ通りの人情家だったか」


「別にそんなんじゃねぇよ。ただ、会長のお膝元の赤坂でカタギを困らせたくないだけだ。んなことよりも伝言を頼むぜ」


「伝言?」


「昔は官僚をやってたっていう舘野の社長にだ。『今回の件は中川会三代目が預かる。くれぐれもその御名に泥を塗る真似はするな』と」


 またまた勝手に動いた挙句に事態をより一層複雑なものにされては本末転倒。それゆえに釘を刺しておく必要があった。与田もすぐに理解してくれたようで、彼は苦笑いを浮かべた。


「分かった。必ず伝えておくよ」


「頼んだぜ……」


 そうまで話した所でオムライスを完食していたことに気付く。あと一杯くらいコーヒーを飲みたい気分であったが、あまり長居しても迷惑だろう。


 翌日に再び訪ねることを約束して店を出た。話題に上がった『中央テクノサービス』なる怪しげな会社については、中川会の情報力をもってすれば調査は容易かろう。後で恒元に頼んでおくとしよう。


 夜風に吹かれて赤坂の路地を歩きながら、俺は改めて物思いに耽る。


 数日ぶりの再会となった華鈴。どういうわけか久方ぶりに顔を合わせるような心地だった。ついこの前まで俺はカフェの常連客であったというのに。


 正直な感想を言えば、気まずさよりも「また会えて良かった」と思う部分の方が大きい。意外と暴力の匂いがした華鈴の人間性は置いておいても。


 だが、当の華鈴はそうではないのだろう。単なる客と女給の間柄だった頃のことは忘れ去りたい記憶なのかもしれないし、あるいはとして蓋をしたいのかも分からない。ヤクザとは嫌われてナンボだと自分に言い聞かせて俺は煙草に火を付ける。


 俺自身、過去の気持ちに蓋をするために。


「……」


 為すべきはあの娘のためではない。


 中川会本家のお膝元、赤坂の街に根を張る不動産屋を助けるためにこそ動くのだ。理由と意義を履き違えてはなるまい。


 多くの人が行き交うネオン街。そこで暮らす大半は日々を真面目に生きる善良なるカタギの市民だ。彼らの営みを守るため、一肌脱ぐのも時には良い。


 とはいえ鉄火場に女を連れて行くのは気が引ける。それも見た感じ明らかに非戦闘員というべきか弱そうな女性であれば猶更だ。空手を習っていたと言っていたが、どこまでのレベルなのかは定かではない。


「まあ……いざとなれば俺が体を張って守れば済む話か」


 ヤクザという稼業をしていれば、嫌でも女を守る場面に遭遇するものだ。その度にいちいち躊躇してはいられないのだから。


 余計なことは考えず、その晩は真っ直ぐに帰って体を休めた。


 そして翌日。


 朝食のトーストをかじる恒元に一連の件を報告した。


「ふむ。それでは中央テクノサービスなる会社について調べれば良いのだな?」


「ええ、お願いしますぜ。たぶんどっかのフロント企業でしょうね。本社は八王子にあるって情報なのでおそらく上は大国屋一家かと」


「分かった。才原に話しておく」


 付け合わせのハムエッグを平らげた後、恒元は言った。


「ああ。そういえば今日は大国屋の若頭代行が来る予定になっていた。あと1時間くらいで着くと思うが、会ってみるかね?」


 それはまた願っても無い申し出である。探りを入れるにも当の大国屋から情報を聞き出せれば手っ取り早くて済むというものだ。


「勿論ですとも。しっかし、何という偶然。こういうのをベストなタイミングっていうんでしょうか」


「先週の定例会で櫨山が帽子を置き忘れたみたいでな。総長に代わって取りに来るというわけだ。それが本当かは分からんがな」


「なるほど」


 今日に限って忘れ物の回収というのも何だか怪しい話だが、そういうこともあるのだろう。俺は朝食を終えると歯を磨いて応接間で待機する。


 件のゲストは予想より少し遅れて現れた。


「あんた、俺に話があるんだって?」


 少し物臭な様子で姿を見せたのは、中年の男。年齢の程は予想できないがおそらく50歳前後だと思う。顔にびっしりと刻まれた傷跡が印象的だった。


「時間を作ってもらって悪いな」


「執事局の次長さんが何の用だ? 俺ァさっさと帰りてぇんだ。用件があるなら出来るだけ手短に話してくれや」


 俺に呼び止められたことを若干不満に感じている模様。既に本懐は遂げたらしく、彼の手にはソフト帽が握られている。


 あれが大国屋一家総長の私物だろうか。随分と古風な装いを好むものだ。今どき白い帽子なんて誰もぶっておらず、俺自身、映画の中でしか見たことが無いというのに。


 感想はさておき、俺はソファに腰掛けると単刀直入に切り出した。


「ああ、そうだな。じゃあ早速だが本題に入らせてもらうぜ。あんたんとこの中央テクノサービスって会社についてだ」


「中央テクノサービスだと?」


「そうだ。そこが経営していた瑞穂町の産廃の跡地に占有屋が集ってるだろ。あれは一体、どうしたもんだと思ってなぁ」


 すると、大国屋一家の幹部の表情が曇るのが分かった。


「……嫌味のつもりかよ。俺たちが手こずってるって分かった上で聞いてんのか。だとすりゃあんたはかなり人が悪いぜ」


「そういうつもりは微塵もねぇよ。ただ、土地を落札した赤坂の不動産屋に乞われて本家で預かることになったからよ。情報を整理しておきてぇんだ」


「ちっ、舐めくさりやがって。大国屋一家うちじゃ解決できねぇからって梯子を外すのかよ。これだから本家は好かん」


「だから、そういうわけじゃねぇと言ってんだろ。百戦錬磨の大国屋一家が苦戦を強いられるだけの相手だ。どれくらいの強さなのかと思ってよ」


 俺の言葉に、幹部はぶっきらぼうに答えた。


「強いも何も。ありゃ単なる占有屋じゃねぇよ。持ってる武器が稼業人並み……というか稼業人こっちを軽く超えてやがる」


「かなり強い武器を沢山揃えてるってことか?」


「そうだな。一体、どこから仕入れてるのか。おまけに奴らの動きときたら妙に手馴れてて不気味なくらいに統率が取れていた」


 俺は思わず身を乗り出した。大国屋一家が手を焼くほどの相手となると只者ではないからだ。それに大量の銃火器を仕入れていたとなると……事態は相当に複雑だ。


「ちなみに、どんな銃を持っていやがった?」


「よく分からんが、ありゃたぶん自動小銃アサルトライフルだ。俺が見たのは5丁ほどだが、他にも色々とあるみてぇだったぜ」


 幹部の言葉に俺は唸った。やはり自動小銃か。となれば、相手は間違いなく単なるチンピラではないな。


 問題は奴らの雇い主である。


「その占有屋の素性に見当は付いているのか?」


「馬鹿が。付いてるわけねぇだろうが。そんなのが分かってたら、今ごろとっくに奴らを血祭りに上げてるよ」


「何も分からないってことか。そうは言っても、多摩は大国屋一家のホームタウンだろ。ちょっと調べりゃ情報のひとつやふたつ上がってくると思うが?」


「だから、これっぽっちも見当が付いてねぇって言ってんだろうが! ぶっ殺されてぇのか! このゴミカス野郎!」


 興奮した様子で声を荒げた幹部。


 彼の様子を見て、俺は違和感を抱く。何故にここまで取り乱しているのか――ここは思い切って揺さぶりをかけてみるとしよう。


 大国屋一家に浮上している、ある疑惑を示して。


「……へっ、何をそんなにいきり立ってんのかねぇ」


「んだとコラ」


「まるで『聞かれちゃ困ることがある』みてぇな顔してるな、あんた。俺が思うに、その占有屋は大国屋の自作自演なんじゃねぇのか?」


 その直後。男の拳が飛んできた。


「おおっと」


 勿論、俺は片手で受け止めた。ふと彼の表情へ視線を移すと文字通り鬼の形相だった。煮えたぎる怒りがひしひしと伝わってくる。


「適当なことほざいてんじゃねぇぞゴラァ!!」


「おいおい、図星かよ。大国屋一家も落ちぶれたもんだなぁ」


 俺が口にした瞬間、今度は怒り狂った様子で俺の胸倉を掴んできた。


「おい! テメェ! 今のはどういう意味だ!」


 あくまでこちらは涼しい顔で応じるだけである。


「言葉通りの意味さ。どこと内通してるのかは知らんが、自作自演の土地占拠で本家を嵌めようってんだからな。情けないったらありゃしない」


「ふざけんな! 馬鹿も休み休み言え!」


「だったらどうして本家に報告を寄越さねぇんだよ。何を聞いても『手間取ってる』の一点張りでよぉ。苦戦してんなら、早い段階で援軍を乞えば良いじゃねぇか」


 そこまで言ってのけると幹部の男は押し黙った。どうやら図星のようだ――と思いきや、男は鋭い眼光で俺を睨みつけながら言う。


「てめぇ、どこまで俺たちをコケにすんだ……俺たちにそんなことができるわけねぇだろうが! こっちにもメンツってもんがあるんだぞ!!」


 確かにそうだろう。与えられた仕事に対して『やっぱりできません』と途中で投げ出そうものなら組の看板に傷が付く。ヤクザにとって役目を外されるということはカタギ社会におけるそれとは違い、途方もない屈辱なのである。


 しかしながら、あくまで感情的な論理でしかない。


「メンツだぁ? 笑わせるんじゃねぇよ」


 俺は鼻で笑いながら言った。


「そんなもんは犬にでも食わせておけ」


「何だと!」


「お前さんよぉ。会長が命じたのは事態の解決であって、てめぇらが手柄を立てることじゃねぇだろう。独力で解決できねぇってんなら別のやり方で打開を模索するのが筋だろうが。何でそれをやらねぇんだよ。占有屋が自作自演だからか?」


「うるせぇ!!」


 極道にとって体面を保つことが大切なのは分かる。けれども、それに固執しては本末転倒。優先すべき達成事項を間違えていては何時まで経っても事態は好転しない。


「いいか、よく聞けよ。瑞穂町の一件は会長が直々に預かることになったんだ。あんたらの動きに少しでもおかしな点があれば会長は見逃さねぇぞ」


「……何が言いたい?」


「もしもこの件で煌王会と内通してるってんなら、その時は容赦しねぇってことだ。俺が大国屋一家をひとり残らず討ち滅ぼすことになるぜ」


 その言葉に幹部は反応した。臆したわけではない。むしろ、逆。ほんの僅かな間に懐から黒光りする物体を取り出して俺の額へと突きつける。拳銃だ。


「若造が。ゲスの勘繰りも大概にしとけよ。俺らが煌王会と通じてるなんてデマ、よくもいけしゃあしゃあと言ってのけたもんだな」


「ほう。その様子じゃ大国屋一家はクロってことか」


 俺は微動だにせず言い返す。すると男は怒鳴った。


「そんなわけねぇだろうが! あのクソみてぇな占有屋どもに、うちの若い衆が何人殺されたと思ってんだ! 自作自演なんて有り得ねぇんだよ!」


 男が銃を握る手に力を込めた。その怒りに燃えた目で言おうとしていることは聞かずとも分かる。この幹部は、本気で連中への復讐心を燃やしているのだ。


「おう次長よぉ! 例の占有屋、実際はてめぇら本家が仕掛けたんじゃねぇのか!? 邪魔な御七卿の俺たちに濡れ衣を着せてシマを奪う口実にするために!」


「そんなことあるか。とんだ出任せ……と言いてぇところだが、先に邪推したのはこっちの方だったな。悪かったよ」


「誤解すんじゃねぇぞ! 俺たちは断じて自作自演なんかしちゃいない! あの占有屋とは本当にやり合ってんだ!」


 猛烈な勢いで叫んだ男。聞けば、大国屋一家は占有屋との戦闘で既に何人も犠牲者が出ているらしい。大国屋一家総長の櫨山重頼がどんなに悪辣な人物であろうと、奸計のために自陣の戦力をみすみす損なうような真似はしないか。


 大国屋一家の潔白は男の目で何となく確信した。これ以上の追及は無駄のようだ。俺は疑ったことを詫び、改めて問うた。


「分かった。変なことを聞いて悪かったな。ところで、その占有屋を使ってる黒幕の件なんだが」


「ああ?」


「俺が思うに占有屋の直接の依頼主は中央テクノサービスだと思ってる。事業が失敗した腹いせに舘野不動産からカネをふんだくろうって魂胆だ。おそらくな」


「……その中央テクノサービスについて知ってることを教えろと?」


「ああ。頼むわ。連中とあんたらがグルじゃねぇってんならな」


 最後の言葉は余計だったと反省するも、男は思いのほか憎まれ口を叩かずに教えてくれた。トカレフを懐へ戻しながら、彼はため息と共に懇々と語り始める。


「中央テクノサービスは八王子の東町にオフィスを置いてる会社だ。といっても、そこは支店みてぇなもんで本社は八王子どころか東京の外にある。群馬だ」


「群馬って言やあ、椋鳥一家の領地シマか」


「そうだ。けど、産廃のオーナーだった中央テクノサービスについちゃあ昔から良からぬ噂が入って来てたぜ」


「ほう?」


「あの会社は関東のみならず日本各地に支店を構えて産廃や資源ごみの再生処理を請け負ってるんだが、そのやり口がどうも杜撰って評判が立ってた」


「要するに、いい加減な仕事ぶりだったってことか?」


「ああ。その地域のごみを掻き集めては、ろくな処理も施さずに燃やして終了。そのくせ料金だけはべらぼうに安いから客がわんさかやってくる」


 男は続けた。


「んでもって、有毒物質が出れば『処理場に侵入した部外者が勝手にゴミを捨てた所為だ』と言い訳する。まあ、実際問題、日本の産廃処理場ってのは周辺住民の勝手な出入りが常態化しているからな。それを逆手に取って、奴らはやりたい放題よ。行政にも軽く見逃されてた。文句を言う声も殆ど出なかったとかで」


 だが、そんな中央テクノサービスにとって唯一例外でなかったのが多摩の瑞穂町。同町殿ヶ谷の処理場から「異臭がする」と町民たちから苦情が噴出、2002年末に町役場による立ち入り検査が行われた。その結果、微量ではあるもののダイオキシンの発生が確認されたのだ。


「町民の声に屈したのか、瑞穂町は直ちに処理場の操業を停止。中央テクノサービスとの提携は即座に解除。第三セクターでやってた産廃事業は破綻に追い込まれて負債だけが残り、土地は借金のカタに押さえられて競売にかけられた」


「そして、その競売物件に占有屋が集り出したってわけか。中央テクノサービスは現在いまも続いてる会社なのか?」


「続いてるよ。何事も無かったようにな。潰れたのはあくまでも瑞穂町の産廃だけで、群馬の会社本体は至って無傷さ」


「えっ?無傷? 処理場からダイオキシンが出たって事実は明らかに会社の評判を損なうだろうに、どうしてまた……?」


「各地で産廃を作るごとに別会社を立ち上げてたみたいでな。ひとつの処分場が潰れても本社には累が及ばねぇようになってたんだ」


「なるほどな。そういうカラクリか」


「風評云々についても、瑞穂町でダイオキシンが出たのは『近隣住民が無断でごみを捨てたせい』って弁明すれば済む話だ」


 そういった意味で瑞穂町の土地占拠は「有毒物質発生の原因は不法投棄」と主張する中央テクノサービスにとって、実に都合の良い展開だったと言える。占有屋の黒幕が彼らである可能性が一段と色濃くなってきた。召し上げられた土地の新たな買い手を脅して大金をせしめるつもりか……魂胆については彼らに直接問うてみねば分からないのだが。


「まあ、何にしたってあまり良い噂を聞かねぇ会社なのは事実だ。あんたも調べるなら用心した方が良いぜ。奴らお抱えの占有屋は冗談抜きでなかなかの強さだからな」


「おう。今日はすまなかったな」


「ふん。改めて言っておくが黒幕は大国屋一家うちじゃねぇぞ。そっちが会長の側近でなけりゃマジでぶっ殺してたところだ、まったく……」


 舌打ちと共に文句をこぼしながら男は帰っていった。


 それから程なくして会長に聞き得た情報を報告する。恒元の反応は俺が思っていたよりも慎重だった。


「瑞穂町の土地占拠の黒幕が中央テクノサービス……か」


 顎に手を当てて考え込む恒元。彼は続けて言った。


「借金のカタとして押さえられた土地を取り返すために占有騒ぎを仕組んだと。確かに論理的に有り得る話だ。けれどもひとつ引っかかることがある」


「はい、会長。俺にも疑問が浮かんでます」


 俺はそう前置きしてから言った。


「中央テクノサービスは、産廃ビジネスをやるにあたって各個別会社を立ち上げている。つまり、その資本金を工面できるだけのカネがあるってことです。そんだけ裕福な会社が、どうして瑞穂町ではみすみす土地を手放したんでしょう……?」


 考えてみれば件の会社の動きはあまりにも不自然だ。公共事業に参画する傘下会社はともかくとして中央テクノサービス本体には余るほどに金があったはず。

 にもかかわらず、ダイオキシン騒ぎで破綻に追い込まれた傘下会社を救おうともせずに産廃の土地が競売へかけられるのをうっかり見過ごしていた――普通に考えれば有り得ない話。いくら傘下会社が他に代わりの効く存在だったにせよ、防げる損失なら防ぎたいと考えるのが当然だ。


「占有屋を雇うのは高コスト。おまけに新たな買い手と交渉ナシを付ける代理人を用意するのにもカネが必要。占有騒ぎを起こすのと瑞穂町の事業を継続するのとではどっちが安上がりか、部外者の俺だって容易に想像が付きますよ」


「確かにな」


 恒元が頷く。そして彼は続けて言う。


「仮に瑞穂町での一件が中央テクノサービスによる自作自演だったとして、その目的は何だ? 単に土地を都に売り付けたかっただけなのか?」


 リサイクルセンター建設計画が持ち上がった時期は処理場の破綻よりも後のこと。仮に都の計画を中央テクノサービスが知っていたとして、都に土地を売って大儲けしたいなら都庁土木整備局に直接売却を持ちかければ済む話。わざと事業を潰した挙げ句、他会社に土地をいったん奪い取らせてまで計画に一枚噛もうとする意味が分からない……。


「その計画に都が幾らほどの予算を用意してるかは存ぜぬが。我輩が思うに、奴らはきっとそれ以上の実入りを見込んでいることだろう」


 恒元の言葉に俺が首を傾げた、その時。


「会長。お客人が見えられました」


 慌ただしく扉が開き、一人の助勤が入ってきた。


「は? この後の会長のご予定に来客対応は無かったはずだぞ」


 天下の中川会三代目にアポなしで会おうとする身の程知らずがいたとは驚いた。一体、どこのどいつだろう。俺は思わず苦笑がこぼれる。


「おい。まさか眞行路のキチガイ総長じゃねぇだろうな?」


「それが……」


 助勤は言い淀む。その反応に俺は「よもや」と嫌な予感をおぼえたが――明かされたのは何とも意表を突く肩書きだった。


「舘野不動産の舘野社長です」


「何?」


 恒元の眉根が寄る。俺もまた驚きを隠せなかった。


「舘野の社長が?」


「はい。会長と直接会って話がしたいと仰ってます。いかがされますか」


 俺は恒元に判断を仰ぐ。


「ううむ、いきなり来られては我輩とて困ってしまうのだが。とりあえず通してくれ。この機会に顔を合わせておくのも良いだろう」


 恒元の返事に助勤は一礼して客を呼びに行った。俺としても困惑するばかり。ちょうどさっき占有屋の件で話し込んでいたので尚更だ。


「用件はさておき、よろしいのですか? 事前確認も取らずにいきなり御目通りを願う不埒な輩とお会いになっても……?」


「構わんさ。組織の人間であったら言語道断だが、相手はカタギだ。多少の無礼は大目に見てやろうではないか」


 まさに噂をすれば何とやらという展開。偶然にしても少し奇妙な状況にこちらが顔を見合わせる中、その人物は程なくして現れた。


「お、お初にお目にかかります」


 助勤の案内で入室してきたのは長身痩躯の中年男性。

 冴えない風体だが、その佇まいにはどこか気品がある。俺は直感した。この男が舘野不動産の代表取締役社長にして此度の依頼人たる舘野たての美津男みつおだと。


「初めましてだね、舘野社長。中川会三代目会長の中川恒元だ。適当にかけたまえ。すぐに茶と菓子を用意させる。くつろいでくれ」


「お、お、お構いなくぅ……」


 やけに臆した面持ちの舘野社長。

 東証一部上場の超大手不動産会社のトップともあろう御仁にしては何とも情けない……と思ったが、ヤクザの本拠地に足を踏み入れたら誰でも竦み上がるか。


 それも相手は関東最大組織、中川会の会長なのだ。むしろ、緊張しない方がおかしいかもしれない。この舘野なる人物はあくまでカタギなのだから。


 そんな人物評は心に仕舞い込み、俺は助勤に指示を飛ばす。


「おい。茶菓はどうした。モタモタするな」


「はいっ! ただいま!」


 何のつもりもなしに放った『茶菓ちゃか』という単語が『拳銃』を意味する『チャカ』に聞こえて舘野社長をますますビビらせやしないか。


 そんな心配は杞憂だった。心の中で軽く笑う俺をよそに、当の舘野は多少しどろもどろになりつつも恒元へ真摯に向き合っていた。


「あ、あの……。お忙しい、ところ、ご迷惑をおかけして……」


「構わんよ。今日は特に予定も入っておらんでな」


 恒元が鷹揚に答えると舘野は安堵の表情を浮かべた。そして彼は深々と頭を下げて言う。


「この度は私共の不手際で親分にご足労をおかけしてしまい、何とお詫びをすれば良いやら。私どもとしては一日も早い解決を」


「ほう?」


 恒元は首を傾げる。舘野は続ける。


「ええ……実は……大変恐縮でございますが……」


 そして彼は語り始めた。そこから続いて出た言葉が俺にとっては意外だった。思わず目が丸くなっていたことだろう。


「瑞穂町の産廃にたかる占有屋どもを一日も早く片付けて頂けますでしょうか。実力行使に出てくださって結構でございますので」


 多少は手荒な真似をしても良いと言ってのけた舘野社長。俺としては占有屋と直接ぶつかるのではなく、彼らの“上”と話を付けることで連中を追い払おうと思っていた。その方が土地の価格を下げずに済むと思ったのだが……どういう風の吹き回しであろうか?

 恒元も少し困惑していた。


「大国屋が事に当たっていることは君も知っているだろうが。あれ以上の戦力を投入せよというわけか?」


「え、ええ……実は……」


 舘野社長は語り始めた。何でも都庁の関係者から土地を早く売ってくれと矢の催促で、今月中に売却契約を締結せねば他の不動産屋に切り替えると脅されているのだとか。


 それだけ聞けば切実な自由ゆえに止むを得ないと一瞬は思ったが、やはり解せない申し出である。


「都がそこまで言ってきているとはな。よほどリサイクルセンターを早く建てたいらしい。だが、それにしても今月中とは流石に拙速が過ぎるのではないか?」


「は、はい。私も困っております。で、ですが、今回のプロジェクトに弊社は1億以上もの先行投資を行っておりまして、都に見放されてしまうとあまりにも損失が……」


「ううむ」


 考え込む仕草を見せた恒元。直後、視線を俺に合わせた。


「涼平、お前はどう思う?」


 何とも返答に困る問いかけだ。しかしながら、意見を求められる前の時点で既に頭の中には違和感が渦巻いている。俺は少し考えた末、こう答えた。


「……都がそこまで早足になる理由が分かりません。土地を早く買いたいにしても、もっと吟味して然るべきでしょう。公共事業なのですから」


「ふむ。そうだよな」


 恒元が相槌を打つ。そこに俺は続けた。


「おまけに舘野社長へ直々に早期解決を促したとなると、彼らの中ではもはや瑞穂町が既定事項になっているみたいじゃないですか」


 役所に居たわけではないので詳しい流れは不明なれど、一般的に土地を買うにあたってはあれこれ頭を悩ませるものだろう。


 例えば、出費が少しでも少なく済むよう安い価格帯の物件を選ぶとか。普通の家庭ならともかく東京都は官公庁だ。日本最大の地方自治体ということで莫大な予算を充てられるのだろうが……土地確保に関わる歳出はなるだけ低く抑えたいはず。


 そうでなくては「税金の無駄遣い」云々で都議会でえらく追及を受けるであろうから。事業自体の是非が問われるようになっては元も子もない。


「も、もしかしたら、都は、土地の価格を下げたいのかもしれません」


 震える声で己の見解を述べた舘野社長。確かに一理ある。しかしながら、その線で考えるとまたひとつの疑問が浮かび上がってくる。


「それじゃあ都が『瑞穂町でドンパチを起こせ』と言っているようなものです」


「え、ええ」


「厳つい占有屋が屯ってる件は役人たちの耳にも入っているでしょうが、仮にも行政機関である都庁の人間がそんな大それたことを言いますかね」


 こちらの疑問に舘野社長は押し黙ったが、数秒の間を挟んで彼なりの答えを返してくる。


「と、都庁の土木局長が私の携帯へ個人的にかけてきたものです。『都知事はリサイクルセンターの一日も早い着工をお望みだ』と」


「あくまでも非公式な連絡だったというわけですか」


「そうです! た、私があなた方を頼っている件を都庁の役人たちは知らないと思います」


「変ですね。都庁があんたと俺たちとの関係を知らないなら、どうしてドンパチで土地の価格を下げようって発想が出てくるのやら」


「それは……」


 口ごもる舘野社長。ここで恒元が口を挟んだ。


「まあまあ、良いじゃないか。知事としては一刻も早く土地を手に入れて、計画は進んでいると議会にアピールしたいのだろう」


「ですが、現時点で既に例の土地では多くの弾丸が飛び交ってます。これ以上の惨事は世間の目を厳しくするだけでは?」


 俺はなおも食い下がる。中川会と占有屋との抗争が表沙汰になれば批判が集まり、いくら都が土地を手に入れてもリサイクルセンターは建設しづらくなる。計画そのものが中止に追い込まれては元も子もないのである。


 報道機関に金をばら撒いて情報統制を掛ければ少しはマシだろうが……建設の成就で見込める実入りが定かでない限り、あまりコストをかけすぎるのもいかがなものかと思った。


 第一、違和感がどうしても拭えないのだ。


 舘野社長は何かを隠している。


 買う側の東京都にとって土地の価格下落は嬉しい事この上ない。だが、売る側の舘野不動産には損失になる。社長の言動は、そうして自社が損をすることを易々と承服しているように思えた。商売人としては有り得ないだろう。元建設官僚の舘野社長であれば役所と堂々渡り合う胆力を持っているはずなのに、どうしてここまで都に対して弱腰なのか。


 俺は舘野に何らかの黒い打算があるように思えてならなかった。都の要求にあっさり応じて土地の売却価格を下げようと試みる真の意図。


 きっとそれは濡れ手で粟を掴むも同然のぼろ儲けであろう。尤も、都の幹部が舘野に電話で早期解決を求めてきた件も真実とは限らないのだが。


「確かに涼平の言う通りだな。よおし、この件については実力行使と説得工作の二正面作戦で進めよう。現時点じゃそれが一番良いだろうから」


「占有屋を武力で蹴散らすのと、奴らの上に圧力をかけて退散させるのを並行させるんですね」


「ああ。慎重に動こう」


 土地に居座る輩に関しては威嚇程度に攻撃を加えておき、一方で占有屋を雇ったとされる中央テクノサービスに対しては中川会が組織的に外交圧力をかけて屈服させる――恒元の言う通り、それが最も無難な策だ。いたずらに戦火を拡大させても、世間の批判を集めるだけなのだ。


 ただ、舘野社長は納得が行っていないようだった。


「ちょ、ちょっと待ってください!? それでは解決までに時間を要するのではないですか!? 都からは今月中に占有屋を追い払うよう言われているんですよ!?」


「その辺は心配要らんよ。占有屋を雇ったのがどれほどの相手かは知らんが、我々は関東の王者たる中川会だ。2週間ほど貰えれば片は付くと思う」


「いや、出来れば……その、中川会の力で一気に豪快に蹴散らして頂きたい、と言いますか……何と言いますか……」


「だから、今月中に片を付けると」


「た、多少お時間がかかっても大丈夫なので……占有屋をひとり残らず倒して頂きたいなと……」


 主張に矛盾が生じている。時間がかかるのはまずいと言いながら、一方では中川会に武力での解決を望むような口ぶり。


「あくまでも暴力的な解決を期待しているのかね?」


 恒元が問うと、舘野社長は慌てて首を横に振った。


「ち、違います! ただ、やるからには徹底的にやって頂きたいなと思いまして。中途半端な形での決着じゃなくて、相手を滅ぼすほどの勢いで」


 この表情で確信した。


 舘野は土地の価格を意図的に下げようとしている。ゆえにこそ瑞穂町の産廃跡地で大立ち回りを演じろと言っているのだ。


 俺は会長と顔を見合わせる。何だか雲行きが怪しくなってきた。この社長自身から、きな臭いにおいがプンプンと漂ってきた。


 喋っている視線をきょろきょろと泳がせる、食わせ者特有の定まらない目つき。これは見るからにおかしい。絶対に何かある。


 されども現時点でこの疑わしき不動産屋を追及する証拠は揃っていない。苦笑交じりにため息をつきながら、恒元は頷いた。


「舘野さん。我輩は本職、それも中川会三代目だ。この手のことに関しては誰よりも力を持っている自信がある」


「は、はい」


「どうか我輩に任せてはくれないだろうか。必ずや舘野不動産にとってより良い結果を出して見せよう。だから、信じて待っていてくれ」


「あ、いや。それでは……」


「何だね?」


 その瞬間、穏やかだった恒元の表情が一変して険しいものへと強ばる。声を裏返して驚く舘野社長に対して、冷たい睨みを効かせた。


「この我輩の言葉は信ずるに足らんと、そう言いたいのかね?」


 裏社会で長年にわたって生き抜いてきた男の凄みである。カタギが受け流せるものではない。舘野社長は忽ち縮み上がった。


「い、いえ! 決してそんなことは!」


「ならば何故そうも渋るのだ? 何かやましいことでもあるのか?」


「あ、ありません! そんなことはありません!」

「ほう」


 恒元は目を細める。


「それならば良かった」


 だが、直後。またしても会長の瞳は閃光を放つ。


「社長。我輩に対して、何か隠していることは無いか?」

 対する舘野の言葉は最初から決まっているようなものだった。


「め、め、め、滅相もございません!!!」


 そう言うと舘野は出された茶と菓子には一切手を付けぬまま、逃げるように部屋を出て行った。「おい、待て!」と呼び止める俺だが、恒元に制された。


「ふふっ。あれくらいは許してやろうじゃないか。ここであの男を問い詰めたところで何もなるまいよ」


「は、はあ……」


「涼平、そんなことよりも考えるべきはこれからの動きだ」


「これから?」


「うむ。お前はとりあえず瑞穂町の例の土地へ行ってきてくれ。やはり一度は自分の目で確かめておかなくてはな」


 実地見聞は戦略立案の基本。それに関しては異論など無いが……いかんせん目的地の瑞穂町は多摩地域。赤坂から車で1時間は要する距離だ。


「んじゃ、さっそく行ってきます」


「敵の陣容から頭数までを一通り目に焼き付けてきたまえ。尤も、元傭兵のお前には当然のことであろうがな」


 言われるがまま現地へ赴くことになった俺。


 ふと時計に目をやると、時刻は10時52分。移動時刻を考えれば直ぐにでも出発した方が、その後の時間を有効に使えよう。


 ただ、俺にはすることがあった。


「おう。酒井、原田。ちょっと良いか?」


 別宅内の詰め所へ顔を出し、そこで待機していた2人の部下に声をかける。用事が無いときはそこで時間を潰すのが助勤の慣例だ。


「何でしょう?」


「兄貴、何すか?」


 いつものように“次長”と呼ぶよう原田を窘めた後、俺は本題を告げる。彼らに与えるのは別行動の指令。言うまでもなく重要任務である。


「お前ら、水尾組の組長の身柄ガラを押さえろ」


 原田はともかく酒井は直感的に何のことか悟ったようで、俺が詳細を伝えるのを待たず先に返事を放った。


「了解です。眞行路より先に捕まえます」


「頼んだぜ」


 水尾組の二代目――杉本すぎもと宗次郎そうじろうは中川会系列組長の座にありながら煌王会と密かに誼を通じている疑惑が浮上していた。


 この日の朝にミーティングで情報共有を行った才原によると、実際に杉本が煌王会関係者と手紙のやり取りを交わしていた物的証拠も見つかっているという。


 中川会本家として内通者を許さないのは無論大切だが、ここで優先すべきは杉本の安全確保。彼の直属の兄貴分にあたる眞行路高虎がメンツを潰されたと激怒していた。このまま見過ごしていれば、杉本は眞行路に消されてしまうだろう。そうなってはまずい。


 何故かと言えば……。


「杉本が通じていた相手は横浜の村雨耀介だ。万が一、杉本が村雨の盃を呑んでいたとすれば中川会は村雨と事を構えることになっちまう。現在いまの状況でデカい戦争は避けるに越したことは無いんでな」


 “残虐魔王”の異名で恐れられる村雨耀介の恐ろしさ。それは直参組長の嫡男である酒井と原田も重々承知していた。関東ヤクザにとって村雨の猛者ぶりは畏怖を超えてひとつの伝説となって語られているようだった。


「……なるほど。それはまずいっすね」


「だろ? だから眞行路よりも先に杉本を拘束する。現時点で奴が村雨の盃を貰ってる確証は無いが、常に『まさか』を想定して動くのが作戦ってもんだ」


「分かりました。さっそく行ってきます!」


 2人は敬礼すると、詰め所を飛び出していった。


 上手くやれるだろうか。このタイミングで酒井と原田を派遣するのは何かといがみ合う彼らに結束を深めてもらう目的もあった。


 すべきことはもうひとつある。俺は別宅内でたまたま出くわした助勤に声をかけた。先刻、舘野を会長執務室まで誘導した男だ。


「お前、舘野の身辺を監視してくれねぇか」


「尾行するってことですかい?」


「そうだ。会社だの家だのと野郎が行く先々でした事を全てチェックして俺に報告しろ。やってくれるな」


 俺の問いに助勤は大きく頷く。


「はい!」


 言っては申し訳ないが、この男は部下の中でも指折りに影が薄い。存在感に乏しく、良い意味では隠密行動に長けていると思ったのだ。


 直々に仕事を与えられたのが嬉しかったのか、男は「では早速」と駆け足で別宅を出ていく。

 さて。俺は俺で行動に移ろう。


 ひとまず産廃跡地へ向かってみることにした。公用車を使えば目立つと思ったので、総本部前の道路でタクシーを拾うことにする。


「瑞穂町まで頼むわ」


「えっ? あんな田舎まで!?」


「ああ」


 きょとんとする運転手の眼差しが少々面白かった。あの辺りは多摩地域の中でも特に人口が少なく、こうして都心からタクシーで向かう客など珍しいのだろう。

「あのぅ、お客さん。差し出がましいかもしれませんけど。あそこは何も無いとこですよ。何をしに行かれるってんです?」


「野暮用だよ」


 俺はそれだけ言って口を閉ざす。赤坂二丁目、近くには関東最大組織の本拠地があるためこちらの素性を何となく察したのか。運転手もそれ以上は何も聞かなかった。


 無駄な会話が無いのは非常に楽で助かる。おかげで俺は目的地までの1時間12分を新聞を読みつつ優雅に過ごすことが出来た。


「……着きましたよ」


 車は俺の指定した場所より少し手前で止まる。運転手曰く周囲は深い森に覆われており、これ以上は車で進むのが難しいのだとか。


「ありがとさん」


 俺は代金を払ってタクシーを降りた。そして持ってきた地図を頼りに歩きながら辺りをぐるりと見回してみる。


 密林とまではいかないが、人の手が入った気配は無い。木々の間には獣道のような細い道が通っており、かろうじて人が歩く場所とそうでない場所を分けている。

 このように人里離れた地域だからこそ産業廃棄物処理場が作られたのだろう。


「だいぶ深い森に入っちまったな。こりゃあ帰りが大変だぜ」


 軽く独り言がこぼれた頃には、歩き続ける俺は目当ての所までやって来た。森林の中でぽっかりと開けた空間。高い塀でぐるりと囲まれたその工場のような建物群こそが此度の標的、きゅう瑞穂みずほまち産業さんぎょう廃棄物はいきぶつ処理しょりじょうである。


「さて、と」


 俺は早速辺りの様子を窺った。周囲には誰もいないが、念には念を入れておくことにする。誰かに見られては隠密偵察の意味が消え失せるからだ。


 全体を俯瞰するのにちょうど良い小高い丘へ移り、木の影に身を隠しながら双眼鏡で状況確認を始める。まずは例の占有屋の姿を見ておくことにしたのだが……敷地内をぶらつく歩哨らしき男の姿を見た途端にうっかり声が出そうになった。


 何だ、あの武器は――。


 そいつが携行していたのは柄の長いライフル銃。俗に『アサルトカービン』と呼ばれる米軍仕様の突撃用自動小銃だ。


 おいおい。どういうことだ。見た限り背広姿のヤクザ者と思しき装いであるが、そんな輩が何故にあのように高級な銃を持っているのか。


 紛争地ではハンバーガー以下の価格で買えるソ連製の小銃とは異なり、米軍正式採用のそれは1丁につき日本円で数十万円にもなる。


 おまけに特殊部隊員も愛用する傑作銃のひとつだ。性能に比例して非常に重量があるものの、その火力は絶大である。


 あんな物を一介のチンピラが所持しているとは考えにくい。だが、現実として目の前で起きている。傭兵時代の知識と照らし合わせてみても本物としか言いようが無かった。


 模造銃じゃないということは――。


 敵はそれを下っ端に支給できるだけの資金力を持ち合わせているということ。資金力の潤沢さはすぐに伺えた。無論、それだけにあらず。


「……ん?」


 よく見たら男の顔つきが何だか違う。一般的な日本人の、アジア人種のそれとは明らかに異なっているのだ。よく目を凝らして眺めるとはっきり分かる。


 彼らは日本人ではない。欧米系の白人男性だ。


「ほうほう」


 釈然としないものの、俺は何処か納得感を覚えた。

 場内を警備のごとく哨戒する彼らの動きはとても整然としていて、裏社会の人間にありがちなぶっきらぼうさがまるで感じられない。


 すぐに察しが付いた。連中には軍事訓練を受けた経験が有ると。元軍人か、もしくは従軍経験者で構成された外国人マフィアと見るべきか。


 その予想が当たっていれば、あの武器にも納得がいく。そして中川会の中でも曲がりなりにも強い兵を揃えているはずの大国屋一家ボコボコに負けた理由が伺える。


 しかし、何故に彼らは占有屋稼業をやっているのだろう……?


 それが今ひとつ理解できない。軍隊上がりのマフィアであれば裏社会にはもっと活躍の機会がありそうなのに。


 極端な話、現在もなお続くエウロツィアなどの紛争地で傭兵をやっても良いくらいだ。それが何故にチンケな日本企業の下請けをしているのか。


 さっぱり分からなかった。


「とりあえず、撮っておくか……」


 小さな声で呟いた後、俺は肩にかけたバッグからカメラを取り出して偵察写真の撮影を始める。


 幸いにも現在は昼間。フラッシュを焚く必要も無いので気付かれる可能性は低い。傭兵時代に隠密偵察は何度も経験しているので、俺はこの手の撮影が大得意だ。


 ファインダー越しに見る男らの姿は勿論のこと、廃墟とも廃屋ともいうべき処理場の風景は実に異様そのものであった。


「お?」


 事務所と思しき建物の近くにゴミの山が築かれているのだが、それが何の処理もせずにただ放置されているだけ。ここは表向きこそ「処理場」と銘打っているも実際には単なる「ゴミ捨て場」に近い。よく見たら分別すらされておらず可燃ゴミとそれ以外とがごちゃ混ぜになっている。


「なるほどな……前々からこういう所だったわけか……」


 有毒物質が発生するのも無理はない気がしてきた。鬱屈とした気分に駆られながらも俺はカメラのシャッターを切る。と、その時だった。


「……ん?」


 何やら物音が聞こえてくる。慌てて身を隠すと、俺が先ほどタクシーに乗ってやって来た方向から1台のワンボックスカーが走ってくるではないか。


 ――この占有屋の仲間か。


 そう思って眺めていると車は門の手前で停車。中から数人の男らが出てきた。全員が中年男性、いずれも日本人である。


 彼らの内の1人が大声を上げた。


「おいっ! この土地に居座る馬鹿野郎ども! さっさと出て行かんか!」


 怒鳴り声が空気を伝う。


 まさか大国屋一家……? いやいや、あいつらには手を引くよう申し付けたはず……? そう思っていた俺だが、よく見ると何だか雰囲気が違う。


 彼らはヤクザではない。反射材を身に付けた作業員っぽい服装から判断するに、カタギだ。何処かの土木作業員といったところか。


「何とか言ったらどうだ! この野郎!」


 1人が叫んだのに続いて、口々に雄叫びを上げる男たち。その姿はまさにシュプレヒコール。


「出てこい! この野郎!」


「さっさと出てけ!」


 まるで騒乱の様相を呈してきた。俺は思わず身を乗り出すようにして彼らの様子を観察する。


 ……と、その時だ。突如として辺りを轟音が切り裂く。


 ――パンッ!


 音の正体が何であるかを悟った時には時既に遅し。


 跡地内を哨戒していたスーツ姿の外国人らがぞろぞろと集まり始めた。連中は銃を構え、正門前で硬直するおっさんらに向けている。


「ちっ、畜生!」


「覚えていやがれ!!」


 作業着姿の男たちは後ずさりするように車に乗り込み、来た道を逃げ戻って行った。彼らが来た目的は分からないが、感じたことはひとつ。


 あの外国人らは随分と手際が良い。


 粉をかけてきた来訪者への対処ノウハウを完全に熟知している。威嚇発砲から迎撃陣形構成までに数秒も要さなかった。あれは大国屋一家が撃退されるわけだ。


 よく見れば構内には監視塔らしき構造物も見受けられる。きっとあの建物には狙撃銃を構えた兵士が詰めていることだろう。何とまあ鉄壁の防御であろうか。


 このままここへ留まり続けても、いずれ見つかる。敵方の陣容を掴むという本懐は既に遂げたのだ。俺は足早に元来た道を辿って山を下りた。


 国道に出たところで息をついていると、何やら話し込む男らの会話が耳に飛び込んできた。


「おいおい! どうすんだよ! このまま手ぶらで帰ったら町長にドヤされちまうぞ!」


「だからって相手は銃を持ったアメ公なんだぜ? どうにもできねぇだろ。向かっていったところでハチの巣にされるのが関の山だ」


「けどよ……」


 先ほど怒鳴り込みに失敗した男たちだ。彼らの隣には見覚えのある車も停まっているので間違いない。


「困ったなあ。署名も全然集まってねぇし」


「そもそもリサイクルセンター建設反対を訴えてるのが町長だけって気がするよ。役場の皆は国から交付金が貰えるから賛成派だし」


「クソッ、どいつもこいつも金に目が眩みやがって。都は国とズブズブでやりたい放題だ。利権のためなら山を汚しても良いと思ってやがる……」


 なるほど。大体の事情が分かった。とはいえ、仮説に説得力を持たせるために一応は確認を行っておこうか。


「なあ、ちょっと良いか?」


 俺が近づいて行くと、おっさんたちはギョッとした顔つきでこちらを見た。


「な、何だ?」


「この辺りを歩いてたら道に迷っちまってな。さっき山に迷い込んじまって降りてきたところなんだけど、さっきは見させて貰ったぜ。あれはヤバいな」


 一部始終を目撃されていたと知るや否や、男たちは顔を見合わせる。けれどもその後に続くのはため息であった。


「はあ。あんたもそう思うか」


「おうよ。まさかこんな山奥でああいう連中に出くわすとはな。あれは一体、何者なんだ? 銃を持ってやがったよな? それも全員が?」


 俺がそう尋ねると、おっさんたちは皆揃って項垂れた。


「……あれはこの町の現実がもたらした負の産物だよ」


 どうやら想像以上に深い事情がありそうだ。


「聞かせてくれよ。何か力になれるかもしれねぇ。俺の仕事はフリーのジャーナリストでな、大手の新聞社にも人脈があるんだ」


 カメラを見せてそう持ちかけた俺。おっさんたちは顔を見合わせながらも、やがてぽつりぽつりと話し始めた。


「……元々、そこの山には産廃処理施設があってな。瑞穂のみならず多摩一帯から集められたゴミがぶち込まれてたんだ」


「でも、今は稼働してねぇみたいだったぜ?」


「うん。異臭がするもんで町役場が調査を入れたら、見事にダイオキシンが出てな。杜撰な処理を行ってたことが明るみに出て稼働停止の行政処分さ」


「なるほどな。じゃあ、あいつらは何だ? 稼働が止まったはずなのに何で銃を持った連中がうろついてたんだ?」


 敢えてそう尋ねると、彼らは俺に教えてくれた。


「実はあそこに都がリサイクルセンターを建てるって言い出してな。赤坂にある舘野不動産って会社が競売で落としたんだが、立ち退き料目当ての占有屋が集ってんだよ。まあおそらくは第三セクターで産廃やってた業者がゴネてんだろうけど」


 そこまでは知っている情報であったが……続いて飛び出した情報に俺は瞳の色を変えざるを得なかった。

「でも、奇妙なのは都の動きだ。実はリサイクルセンターを作る予定地は他にあったらしいんだよ。元々はそこにする予定で土地の買収まで済んでいたとか」


「えっ? そうなのか?」


「ああ。それがこの山でダイオキシン騒ぎがあった途端に変更になったとか。たぶん『どうせゴミ処理場を建てるなら田舎の方が良い』って考えなんだろうな」


 変更前の予定地は墨田区にあったという。確かにあそこより瑞穂町の方が人里離れているという点で好立地とは思うが、土地の売買契約まで済んでいた段階で突然変更になるのはあまりにも不自然だ。地権者も納得しないだろう。


「それがなあ。墨田区にあった予定地も、この町の産廃跡地も、現状の所有者は舘野不動産らしいんだ。どういうわけか都は舘野の提示する土地ばかりを選んでる」


「ほう? 初耳だな……?」


 確かに代わりの土地を買って貰えるのであれば舘野不動産側にとって損は無い。一方、環境汚染で煮え湯を飲まされた近隣住民にとっては聞き捨てならない話といえる。


「せっかく前の町長が強引に作った産廃が潰れたっていうのに、またゴミ捨て場が出来るんだ。冗談じゃないよ」


「まあ、そうだよな」


「幸いにも今の町長は良識派で、町を挙げて反対運動をやってるんだけど……どうにも盛り上がらないんだ。国から貰える交付金に目が眩んでるんだよ」


 リサイクルセンターは2001年に改正された廃棄物処理法に基づく施設。国策ということで建設を受け入れた自治体には都道府県および国から莫大な交付金が支給される。人口2万人程度、目立った産業の無い多摩の田舎の町民たちが色めき立つのも無理はなかった。


「なるほどな……色々と事情がありそうだ」


 俺はおっさんたちから聞いた話をメモ帳に書き留めた。


 それから、ふと気になったことを尋ねてみる。


「ところで、あんた方は何でまたあの場所に?」


 すると彼らは吐き捨てるように答えた。


「僕らは町役場の職員でさ。町長の指示で反対運動の音頭を取ってるんだ。時々、ああやって抗議活動を行ってるんだ」


「そういうことだったか」


「本当は建設を進めようとする都や国に対してやるべきなんだろうけどさ。あいつら占有屋だって同じことだよ。この町にカネ目当てで群がる輩という意味ではね」


 俺は彼らの顔を改めて見回した。どの顔にも疲労の色が濃く出ている。リサイクルセンター建設反対運動は瑞穂町でも少数派らしく、その活動は困難を極めるようだ。


「……よく分かったぜ。ところであの銃を持ってた外国人たちは何だ? ただの占有屋には見えなかったぜ?」


「僕らにもさっぱりだ。奴らを退かそうと多摩一帯を仕切ってる大国屋一家って暴力団が殴り込みかけてたけど、軒並み返り討ちにされてたよ」


「そりゃあアメリカ製のアサルトライフルなんか持ってる集団だ。そんじょそこらのヤクザが勝てる相手じゃねぇさ」


「連中の正体についてはまず情報が無い。警察に言っても動いてくれないしさあ」


「警察が動かない?」


 その問いに男は渋い顔で頷く。


「ああ。警視庁に直接かけ合っても『調べてみます』の一点張りで全く進まない。どうなってるんだろうなあ」


 考えれば考えるほどにおかしな話だ。


 大国屋一家およびその上の中川会は警察とズブズブの癒着関係にある。普段なら賄賂で俺たちのために動く警察が、この件に限ってはまったく動いていない。利害の一致が無くとも、リサイクルセンター建設は国策なのだからそれを邪魔する占有屋を排除すべく動くのは当然のこと。にもかかわらず、何ら捜査が行われた気配が無いというのだ。おっさんらはそれを「まるであの場所を恐れているようだ」と形容していた。

 首を傾げつつも、俺は彼らに礼を述べた。


「……分かった。情報提供、感謝するぜ」


「なあ、あんたは記者さんなんだろ? 良かったら署名運動のことを記事にしてくれないか?」


「ああ、いいぜ」


「恩に着る! じゃあ、あんたも署名してくれるか?」


「勿論だ」


 せっかくあれこれ教えてもらったのに、ここで下手に断って気分を害するのも良くはない。俺はおっさんたちと固く握手を交わした後で、署名用紙を受け取った。


「……これで良いか?」


 当然ながら偽わりの名前である。反対運動など知ったことではないからだ。それでも出鱈目に電話番号まで書いてやると、おっさんらは喜んでいた。


「ありがとう!」


「おうよ。また会おうぜ」


 別れた後、俺はバス停へと向かう。とりあえずは赤坂へ戻って写真を現像し、会長に見聞きしたことを報告しよう。


 事は思った以上に複雑そうだった。警察が敢えて『避ける』連中とは。一体、あの占有屋の外国人たちは何者なのだろう――。


 そう思っていると、携帯が鳴った。赤坂の恒元からだ。

「麻木です」


『涼平。今どこだい?』


「瑞穂町に。ちょうど調査が終わったところです」


『そうか。ご苦労だったね。実はこっちも色々と分かったことがあってね、お前に伝えようと思っていたんだ』


 恒元の声はどこか弾んでいた。


「何か分かったんですか?」


『うん。さっき才原に例の中央テクノサービスを調べさせたのだが、あの会社はどうにもおかしなことをやっていたようなんだ』


「おかしなこと?」


『彼らによって設立された第三セクターが融資を受けていたのは闇金だった。他に借りる先が考えられるにも関わらずだ』


「ほう……?」


 そもそも第三セクターとは役所と民間企業が共同で出資して設立される企業のこと。よって事業を始める分の資金は既に用意されており、本来なら銀行から融資を受ける必要も無いのである。


『産廃事業が破綻するや否や土地と建物が即座に差し押さえられたと聞いて、どうにも腑に落ちなかったんだ。何故に彼らは闇金を頼ったのか。百歩譲って大金が必要だったとしても真っ当な銀行から借りれば良かったものを』


「確かに。あるいは瑞穂町に補填して貰えれば済む話ですからね。で、カネの流れを調べたら貸主が闇金だったと?」


『ああ。南麻布にある「みぬまクレジット」という事業者でな。10日で1割の典型的な闇金だ』


 どうしてそんなところから――ますます疑問が湧いてきた。何にせよ午前中の成果を報告するとしよう。恒元曰く、才原がこちらへ向かっているという。


『写真を撮ったのだろう? であれば、才原と合流してフィルムを渡すと良い。彼にもお前に渡したい物を持たせておいた』


「そらまた手回しが良いことで。ちなみに何なんです? その俺に渡したい物ってのは?」

『渡されれば分かる。ちょっとした資料とだけ言っておこう。電話だと聞かれる恐れがあるのでな』


 含みのある言葉で電話は切れた。俺は首を傾げつつも、バス停で才原の到着を待つ。


「麻木」


 程なくして彼はやって来た。いつもながらに黒ずくめであるが、今日は左手にオリーブ色の冊子を持っているせいでどこか雰囲気が違って見える。


「おうよ」


 俺が軽く手を上げると、彼は淡々と声をかけてきた。

「まずはフィルムを預かろうか」


「これだ」


 カメラからフィルムを取り出し、才原に手渡す。彼はそれを懐の奥へと仕舞い込みながら俺に問うてきた。


「どういう奴らが居た?」


「現像して貰った方が分かりやすいだろうが、銃を持った外国人だ。海外マフィアにしては動きに粗野な感じが無い。あれはなかなかの強敵だと思うぜ」


「やはりな」


 相手を知っているのか。彼はそっと呟くなり、俺に資料を渡してきた。


「これは?」


「中央テクノサービスなる会社のカネの動きについてまとめたものだ。こいつを読めば連中が誰と結託しているのか、はっきりと分かるだろう」


 受け取った冊子を開いてみると、まず目に飛び込んできたのが英文と共に記された細かい数字の羅列であった。何だろうか。


「なるほどな。こんな短時間で機密書類を持って来られるなんざ、さっすが忍者の才原様だな……で?誰と結託してるってんだ?」


「それはお前が自力にて解読すれば良い」


「……はいはい。分かったよ」


 いつものことながらに厳しい才原。中央テクノサービスの狙いおよび産廃跡地に集る占有屋について正体を掴んでいるようだが、ここで教えてはくれないらしい。


 それを苦笑いで受け取りつつ、俺はふと気になったことを尋ねてみた。


「ところでよ、あんたはこいつを渡すためだけにここへ来たのか?」


 すると彼は首を横に振る。


「いや。違う」


「何だよ。瑞穂町の自然を堪能しに来たってのか?」


「馬鹿を言うな。酒井と原田の援護だ。奴らだけでは、どうにも心許ないのでな」


 酒井と原田と云えば俺が別件へ向かわせたはず。そんな彼らに手を貸すということは、局長が多摩方面に来た理由はただひとつ。


「えっ! 水尾組の杉本がこの辺に来てるってのか!?」


 才原は大きく頷いた。


「そうだ。稲城方面で目撃情報があったと大国屋一家からのタレコミだ。あの辺は地形が入り組んでいるから身を隠すにはうってつけだ」


「そりゃあ分かるけど、何でまた稲城なんかに……多摩はぶっちぎりで中川会の領土だろう……地元の横須賀で身を隠してる方が確実だぜ……」


「お前も知っての通り、杉本は眞行路一家に追われている。眞行路と大国屋は犬猿の仲。よって逃げ込むなら多摩が最も安全というわけだ」


 稲城市といえば瑞穂町のすぐ近く。そんなところに来ているとは予想外だった。どうやら杉本は本気で銀座の猛獣に怯えているらしい。


 俺は頭を捻った。


「……横浜へ逃げ込まねぇで敢えて中川会の勢力圏へ身を置くってことは、もしかして杉本の野郎は村雨と内通してなかったりして?」


「それは本人に訊いてみなくては分かるまい。手紙の内容に反して案外二人はそこまでの仲ではないとも考えられる」


「ああ。有り得るな」


「ともかく、これから稲城へ向かう。お前はどうする?」


「そうだなあ」


 少し考えた後に俺は答えた。


「南麻布の方に行ってみる。中央テクノサービスがカネを借りてたっていう闇金に探りを入れてみようと思う」


「そうか。では、またな」


 才原は踵を返し、風のごとく消える俊敏な動きでその場を立ち去った。文字通り忍者のような奴だと思いながらも、俺もまたバス停へと急ぐのであった。


「……」


 南麻布にある『みぬまクレジット』は雑居ビルの一室に事務所を構えていた。


 バスと地下鉄を乗り継いで現地に着いてみると、その立地条件の良さに舌を巻かされる。建物の正面は幾多もの車が行き交う交差点で、人通りも多い。


 様々な意味で守りが固いと評するべきか。こうした場所に事務所を構えておけば、敵にとっては通行人が邪魔で大胆な行動がとりづらい。


 バックに付いているのはどこの組か?


 闇金の後ろ盾が暴力団なのはよくある話だが、この南麻布を含めた港区北東部は少し事情が違う。2000年以降ヤクザのみならず暴走族やチーマーやといった不良グループが跋扈、暴利貸しや売春といった形で本職顔負けのシノギを営むようになった。特に中川会本家の権威が揺らいでからは外国人マフィアも流入し、裏社会の秩序が荒廃の一途を辿っている。


 特に六本木や西麻布、南麻布に関しては海外組織の勢力が殊更に強く「ヤクザ不入の地」とも称されている。


 港区は中川会本家の直轄領であるため、このような状況は好ましいとは言えない。けれども、現在の本家は幹部の増長を抑え込むのが精一杯で、とても麻布地域を統制する余裕など無い。地域の安定のためにも改革は待ったなしだと思った。


 そんなわけで、中川会の影響が及びにくい状況となっている南麻布であるが、だからと言って尻込みをするような俺ではない。


「おい、あんた!」


 対向車線側の歩道から事務所を眺めていると、背後から野太い声がかけられた。


 振り返ると体格の良い男が立っている。スキンヘッドにサングラスという出で立ち。見からにカタギではないと分かったので、とりあえず無視を決め込む。


「……」


「おいコラ! シカトしてんじゃねぇよ! さっきからうちのオフィスをジロジロ見やがって、どこのモンだテメェは!?」


 罠に、獲物がかかった。こうして声をかけられるのを想定した上で、わざと気配を消さずに偵察を行っていたのである。


 おおそ10メートルは離れているであろう位置に立っていたのに見つけるとは、件の闇金業者はなかなか警備範囲が広いらしい。


「……」


 なおも無言を貫く俺に、男が食って掛かってきた。


「テメェ! 聞いてんのかよ!?」


 背後から肩を掴まれた。だが、その瞬間。


 ――ゴキッ!


 俺は男の手首を掴み、そのまま捻り上げた。


「ぐぇっ……!」


 そして正面を向き、くるりと体勢を入れ替え、彼の腕を背中に回して固定する。俺の絞め技に男は苦痛で呻きつつも、まだ闘志を失っていないらしい。


「て……テメェ! 離しやがれ!」


「うるせえな。腕を折らないでやるだけ感謝しやがれってんだ。この三下が」


 男の腕を極めたまま、俺は耳元で問うた。


「おい。お前さんは『みぬまクレジット』の社員か?」


 すると男はあっさり答える。


「そ、そうだ! 俺はそこの社員だ!」


「だったら話は早いな」


 俺は男の腕を放し、代わりに胸ぐらを掴んで引き寄せた。そして囁くように第二の質問を投げる。


「お前さんが働いてる『みぬまクレジット』のケツモチは誰だ?」


 男は一瞬目を見開いたが、何を思ったか――堂々と自慢するかのような表情と声色で己の職場の後ろ盾の名を言ってのける。


「お、俺たちのバックは……」


 続いて出たのは、予想もしない組織名であった。


「……水尾組だ!」


「ほう?」


 水尾組。


 横須賀に本部を置く暴力団で構成員は100人前後の中規模所帯だ。現時点では中川会の三次団体に当たる。何より、ついさっき名前が挙がったばかりの組ではないか。


「水尾組だと? そいつは間違いなのか?」


 すると男はニヤリと笑った。


「ああそうだ! 俺はな、そこの若頭カシラに気に入られてんだよ! 俺に無体を働くってことは水尾組を敵に……」


 ――バキッ。


 それ以上は聞く必要が無いと判断したので、俺は顔面に膝蹴りを打ち込んで気絶させる。そいつの身体を引っ張って一旦目立たない路地裏へと移動させると、一気に鬱屈とした気持ちになった。驚きと不快感が、同時に込み上がってくる。


「ったく。面倒臭ぇな」


 よもや水尾組が関わっているとは思わなかった。


 多摩の産廃跡地占拠騒ぎと中川会系三次団体の離脱騒動。完全に別件であると思われた2つの事案が思わぬところで繋がりを見せた。


 俺は煙草に火を付ける。


 そして、改めて『みぬまクレジット』の事務所を睨みつけた。


「……」


 さて。これからどう動くか。


 あの金融屋が離脱騒動の渦中にいる水尾組系列の拠点ヤサである限り、中川の代紋を掲げてカチコミをかけるのは避けたい。


 水尾組と村雨耀介の間で既に盃が交わされていた場合、直ちに煌王会との外交問題に発展してしまうからだ。現時点では憶測の域を出ないものの、なるだけリスクは避けて行動するのが無難。慎重に、なおかつ確実に事を仕掛ける必要がある。


 とりあえずはあのオフィスの中に入る方法を探すか――。


 そう考えて頭を捻る。


「うーん……」


 その時であった。またしても俺に声をかける者がいた。


「えっ、あなた! どうして!?」


 声のした方を向くと、そこには見知った顔が。


「華鈴!?」


 それはカフェの看板娘、与田華鈴だった。


「どうしてあなたがここに?」


「いや、それはこっちの台詞だが」


 彼女は目を丸くしている。どうやら俺がこの場にいることが相当に意外らしい。俺もまた、華鈴がここにいることに驚きを隠せない。


「俺は仕事だ。お前こそ何でもってこんな所に居るんだよ」


「あたしも仕事みたいなものよ。第一、ここで何をしようがあなたには関係ないでしょう。怪訝な顔でとやかく言われる筋合いはない」


「いや、そっちが先に喧嘩腰になって……」


 この南麻布に用事があるらしい華鈴。刺々しい言い方に少しカチンと来たが、ここで反論しても無駄に時間を取られるだけ。俺はそっと受け流す。


「……まあ、良いや。お互い不干渉と行こうじゃねぇか。その方がどっちにとっても良いと思うぜ」


「そうね。そうしましょう」


 南麻布に何をしに来たかは知らないが、華鈴は俺と関わりたくないらしい。


「じゃあな」


 ぶっきらぼうに吐き捨てると、俺は彼女に背を向けた。早く立ち去ってくれるのを待つように。


「……」


 ところが、いつになっても気配が消えない。華鈴がその場を動こうとしないのだ。どういうわけだろうか。


「おい。いつまで居るんだよ」


「あなたこそ。いつまでもここに立ってられると困るんだけど。路地裏と言ったって相手は闇金、2人以上で居れば目立っちゃう」


「ちょっと待て」


 華鈴からこぼれた言葉が自然と引っかかる。


「お前、もしかしてあそこの金融屋に行くつもりなのか?」


 すると華鈴は頷く。


「そう。あそこの3階の『みぬまクレジット』にね」


「おいおい! マジかよ!?」


 何ということか。“奇遇”の一言では片付けられぬ偶然の一致だ。いや、待てよ……もしかして彼女の云う“仕事みたいなもの”というのは……?


「お前、まさかあの金融屋に借金でもあるのか?」

 すると華鈴は目を吊り上げて怒り出す。


「馬鹿! そんなわけないでしょう!」


 俺は慌てて宥める。


「いや、冗談だ。もしかしてお前もあそこへカチコミかけるつもりで来たんじゃねぇかと思って」


「……まあ良いわ。お察しの通り、そういうことだから。邪魔をしないでくれると助かるんだけど」


「おいおい」


 俺は呆れて溜息をついた。よもや本当のそのつもりだったとは。どういう経緯でそこへ行き着いたかは分からんが、彼女の性格を考えれば分からなくはない……。


「何よ」


「カチコミかけるってお前なあ」


「単純な話。瑞穂町の産廃にまつわるお金の動きを調べたら、あの闇金が怪しいってことに気付いたから。直接乗り込んで何人か締め上げて情報を吐かせようと思って」


「締め上げて吐かせるだと? はっ、そいつは傑作だ」


 俺は鼻で笑った。


「何がおかしいのよ?」


 当然のごとく華鈴は不服そうにこちらを睨みつける。


「おかしいっつうか。力押しでどうにかしようって辺りが元ヤン特有の短絡的な考えだと思ってよ。あまりにも無謀だぜ」


 すると彼女は更にムッとした表情になった。


「何よ、あたしを馬鹿にしてるの?」


「ああ。してるね」


 俺は即答した。


「正面きって突撃なんか上手くいくわけねぇだろ。しかも相手は銃を沢山揃えたヤクザだぞ。返り討ちに遭うのが関の山だ」


「じゃあ、どうするっていうのよ」


「こういう場合は隠密偵察に限る。敵の出方を窺いつつ、あの事務所になるだけ穏やかに入り込む方法を探るんだ。金を借りに来た客に扮するとか」


 すると華鈴は軽蔑の眼差しで俺を見た。


「あなたって意外に慎重なのね……意外だけど」


「意外って何だよ。俺、こう見えても元は傭兵だぜ?」


「偉そうに」


 容赦なく睨みつけられる。俺は胸が少し苦しくなる思いがした。何故だろうか、はっきりとした理由は見当がつかない。


 それでも軽く舌打ちを挟んだ後、俺は華鈴に向き直る。


「とにかく。この件は会長に命じられた重要任務だ。素人のお前が余計なことはするんじゃねぇぞ」


 勢い任せに吐き捨てると、俺は彼女に背を向けて歩き出した。これ以上の会話は無駄だと思ったからだ。ところが……。


「ねぇ! そのファイルみたいなのは何?」


 後ろから呼び止められた。どうやら俺が手に持ったままだった冊子が目についたらしい。うっかり、鞄に仕舞い込むのを忘れていたようだ。


「ああ? これか?」


 俺が足を止めて振り返ると、彼女は興味津々といった様子で目を輝かせていた。


「せっかくだから見せてよ。お互い、知っていることを共有し合わない? その方があなたにとっても有益なんじゃないかしら」


 どうするか。華鈴もこの件について独自の調査を行っていることはすぐに分かった。少し躊躇ったが、例の冊子は守秘を命じられたものではない。


 まあ良いかと思ってファイルを手渡すことにした。


「ほらよ。素人に分かるかどうかな」


「へぇ、なるほど」


「英語で書いてあるんだ。分かるわけ……」


「大体は分かった。これは売買契約書ね。中央テクノサービスって会社が行おうとしている取引の明細が記録されてる」


「はあ!?」


 驚いた。何故にそれだと分かるのか。前述の通り全てが英語で書いてあって、ぱっと見た限りでは何が書いてあるか想像もつかないであろうに。


「舐めないでよね。あたし、こう見えても英語はペラペラなの」


「……貸してみろよ」


 俺は華鈴からファイルを返してもらうと、頭の中で英和辞典を広げながら目を通していった。


 するとたまげたことに内容は華鈴が言った通り。中央テクノサービスが米国系資源企業へ部品やら素材やらを売った旨が書いてあった。


「おい、これ……どういうことだ?」


 華鈴は平然と答える。


「どういうことも何も、そういうことよ」


「いや、だからどういう……」


「中央テクノサービスはアメリカの会社と繋がっているってことでしょ。このファイルから分かることはそれだけ」


 直後、疑問符が俺の思考を支配した。


 アメリカの資源企業……?


 どうしてそんなところと取引を行っているのだろう。そういえば才原は「これを読めば産廃跡地に居座る連中の正体が分かる」と言っていた。


 それってもしや――俺はハッとして冊子に今一度目を落とす。そこには【Sweet Water EQC】とあった。覚えのある名だ。


 それはアメリカ合衆国に本社を置く民間軍事会社。戦地における兵站確保と後方支援に特化しており、近年は傭兵派遣事業もやっているとか。


「そういうことだったか」


 俺は自然と頷いてしまった。


「何か分かったの?」


 彼女が問うてきた。


「ああ。分かったぜ。瑞穂町にたかってる占有屋の正体がな。あれは傭兵だ。最近になったアメリカで頭角を現してきた民間軍事会社だ」


「傭兵……アメリカ!?」


 華鈴は目を大きく見開いた。俺は頷く。


「ああ、間違いないぜ。中央テクノサービスが傭兵会社と契約して、そこの兵隊に土地を占有させてんだよ。道理で、連中の武器が立派だったわけだ」


「えっ。どうしてそんな奴らに。契約と言ったってとんでもない費用がかかるでしょうに」


「その費用は現金以外の形で払ってるみたいだぜ。このファイルに書いてある。部品とか、薬品とかを他の資源企業を迂回して納入してるらしい」


 何のことだかさっぱり分からないといった顔をしている華鈴だが、俺の中では憶測が仮説へと昇華し始めていた。


 中央テクノサービスは産廃処理場跡地をアメリカの民間軍事会社に売ろうと企んでいる――しかしながら、仮にそうだとすると彼らが産廃事業を潰した真意が分からない。舘野不動産に土地を奪われるのをみすみす見過ごしていた理由が釈然としないのだ。


 どうにも大きな裏があるに違いない。


「中央テクノサービスは必要も無く借金をしている。それも横須賀の水尾組系の闇金から。支払いが遅れたら、即座に土地を差し押さえられちまうのに」


「ああ。それなんだけど、どうも中央テクノサービスって会社は水尾組のフロント企業らしいよ」


「ほう?」


 目を丸くする俺だが、華鈴は気にせず続ける。


「元は真っ当なカタギの会社だったようなんだけど、13年前にバブル崩壊の煽りを受けて潰れちゃって。その時に水尾組に乗っ取られたようなの」


「以来、水尾の隠れ蓑として利用されてるってわけか?」


「そうみたいね。水尾組を後ろ盾に各地で胡散臭いゴミ処理ビジネスをやってるみたい。でも、どうして身内で身内の土地を差し押さえるような真似を……」


 中央テクノサービスと闇金融。一見すると債務者と債権者の関係にあるが、実のところ両社とも水尾組のフロント企業でああった。


 前者の方で産廃事業をわざと破綻させ、瑞穂町の跡地を後者が差し押さえて舘野不動産に売り付けるという巧妙なからくりだ。


 そうまでややこしい手順を踏む理由はひとつだ。


「一度は舘野不動産に掴ませた方が立ち退き料を取れるからな。後は適当なタイミングで舘野を襲うなりして土地の権利証を奪い返せば良い」


「ああ、そうか。そうすれば占有屋稼業と土地の売却で二重に儲けられるものね。舘野不動産に土地を売った闇金も水尾組の傘下っていうなら」


「むしろ三重の儲けかもしれねぇな。最終的に土地はアメリカの民間軍事会社に売り飛ばしちまうんだから……」


 そこまで言い終え、俺は改めて首を傾げた。


「だが、何でまたアメリカに売ろうってんだ? リサイクルセンター建設用地として売っても儲かるだろうに。それを上回る利益なのか……うーん、分かんねぇ」


 すると華鈴は不満そうに唇を尖らせた。


「それを今から調べようってんじゃない!」


「お前、本当に行く気なのか?」


「当たり前でしょ。ここまで来て引き下がれるわけないじゃない。こっちも調べるのに店の常連さんの事情通を沢山巻き込んでいるんだから」


「だからってよ……」


「それにあの『みぬまクレジット』はただでさえ赤坂で多くの人たちを食い物にしてる。あなたの話を聞いて、ますます連中をぶっ飛ばさなきゃいけなくなった」


 彼女はやる気満々のご様子。こうして情報交換という形で話しているうちに気が変わらないかものと期待したが、結果は変わらず。


 むしろ先ほどにも増して肩に力が入っている。こういう時、女はなかなか折れてくれない。特にレディースの頭目をやるような活発なタイプは殊更に強情だ。


 俺は少し考えた後、頷いた。


「よし。じゃあ俺も付き合うぜ」


 すると華鈴は驚いたような顔をする。


「へぇー。意外ね。『さっさと帰れ』って追い払うもんだと思ってたけど」


「あまり詳しいことは言えねぇが、水尾組とは色々あってな。中川会の人間ってことがバレれるとまずいんだ。お前が居りゃ“物好きなカタギ”って体を装えるかもしれねぇ」


「ふうん。あたしは別に良いけど、闇金の事務所にカチコミをかます“物好きなカタギ”が居るかなあ?」


「居ないこともねぇだろ。素人が金融屋を襲った例は幾つかある。尤も、そいつは返済に行き詰ってヤケを起こした債務者だったらしいがな」


「そっか。じゃあ、お互いに協力しましょう。麻木さん」


 華鈴が手を差し出してきたので、俺はそれを握って返す。


 握手を求めてくるとは正直なところ意外だった。彼女からは虫唾が走るほどに嫌われているとばかり思っていたから。女子特有の柔らかな感触に不思議と温もりを覚えつつ、まっすぐに照れ臭さを感じる俺であった。


「ああ。よろしく頼むぜ」


 こうして華鈴とは共同戦線を張ることとなった。


「それで? どうやって攻めるの?」


ずは一般客と思い込ませて事務所のドアを開けさせる。中に入っちまえばこっちのもんだ。暴れるだけ暴れて、責任者を捕らえれば良い」


「うん、分かった。んじゃ、あたしが囮になれば良いか。お金を借りに来た客に見せかけて事務所に入るから、その隙にあなたも突入して暴れると」


 作戦としてはこうだ。最初に華鈴が『みぬまクレジット』に来店予約の電話をかけ、女性の声ということで敵方を油断させる。


 そして華鈴が事務所に入ったら、俺が隙を見て突入。事務所内のチンピラどもを片っ端から制圧して代表格の構成員を捕縛。


 その人物を締め上げて水尾組および中央テクノサービスにまつわる情報を吐かせるのだ。


「華鈴。お前、どのくらい戦える?」


「すっごい愚問だね。愛栗鼠の元ヘッドに向かってその言い草は無いんじゃない。何度も言うけど、女だからって舐めないでよね」


「こっちも何度だって言わせて貰うが、ヤンキーの喧嘩と本職のそれは天地ほどの差があるぜ。あまり甘く見ない方が良い。冗談抜きでな」


 俺は華鈴に釘を刺したつもりだったが……彼女は不敵に笑っただけだった。覚悟は固いらしい。これ以上は口論になるだけだから止めておくか。


「そうかよ。じゃあ、せいぜい足手纏いにならないように頼むぜ」


 事が決まれば行動開始。


 先ほど気絶させた男を物陰に隠した後、俺と華鈴は近くの電話ボックスへと向かった。そこから公衆電話で例の金融屋に電話をかけるのだ。


「なあ、そのテレフォンカード。紅坂あかさか姫奈ひめなじゃね?」


「へぇー。知ってるんだ。麻木さん、音楽とかそういうのは全く興味が無さそうだから意外だね」


「そりゃ知ってるさ。紅坂姫奈は神野かみの龍我りゅうがの嫁さんだからな。っていうか、俺だって音楽くらいは聴くぜ」


「例えばどんなのを?」


「それこそ神野龍我とか、LUVIAルヴィアとか」


 電話をかける際に取り出したテレカで、ちょっとした芸能人談義が巻き起こった。子供の頃からずっと神野龍我を聴いている俺に対して華鈴は紅坂姫奈の大ファンであり、東京ドームで開催されたコンサートにも足を運んだことがあるという。


 自分たちが推しているアーティスト同士が夫婦というのも奇妙な偶然。まあ、それはそうとして。


「んじゃ、電話を頼む」


 俺が促すと、華鈴は備え付けの電話帳の頼りに『みぬまクレジット』の番号をプッシュした。そして受話器から聞こえる呼び出し音に耳を傾ける。


 やがてガチャリと音がして通話が繋がった。電話口から聞こえる男の低い声に、華鈴は少し明るめの声色で応じてゆく。


「もしもし。予約をしたいんですけど……はい。そうです。ちょっと融資のことで相談が……」


 たまげたものだ。ここまで堂々と振る舞えるとは。


「……はい。それじゃあよろしくお願いします」


 俺が感心していると、彼女は受話器を本体に戻してこちらを向いた。どうやら通話が終わったらしい。


「奴らは何て?」


「すぐに来て大丈夫ってさ。ご丁寧に『3階のエレベーターを降りてすぐのところです』ってよ。闇金の癖に律儀なことよね」


 俺たちはそのまま歩道橋を挟んだ向かい側にある『みぬまクレジット』へと向かった。雑居ビルの正面玄関から入ってエレベーターに乗り、3階を目指す。


「……ふう」


 隣の華鈴が深呼吸をした。俺は今さらながらに彼女の全身を俯瞰する。


「何よ?」


 俺の視線に気づいたのか、彼女は訝しげに問い返してきた。変に思われては気まずくなるだけなので慌てて首を横に振る。


「いや、別に」


 華鈴は黒のレザージャケットに黒のタンクトップ、そしてタイトなレザーパンツという出で立ちだ。髪はいつものポニーテールであるが、喫茶店で働いている普段の装いとは全く対照的な雰囲気。凛とした佇まいと言えよう。


「何か変?」


「いいや、似合ってるぜ」


 俺が素直に感想を言うと彼女は顔を背けた。そして話題を変えるように口を開く。


「……ねぇ。麻木さんはどうしてヤクザになったの? やっぱりお金の為?」


「な、何だよ。そりゃ」


「答えにくい質問でごめんね。だけど、ちょっと気になっちゃって。外国語もペラペラで見るからにインテリっぽい人が何で極道なのかなって」


 俺は少し返事に迷った。内容次第によってはさらに軽蔑されてしまうだろうとの懸念が頭をよぎったからだ。とはいえ、黙っているわけにはいかない。


「そうだな。別に『なりたい』って思ってたわけじゃねぇからな。『気づいたらなってた』ってのが正直なところだ」


「……それってつまり、気づいたらヤクザにもなっちゃうような暴力と隣り合わせの人生を送ってきたってこと?」


「ああ」


 軽く頷いたのと同時に、エレベーターが3階で止まった。


「着いたぜ」


 俺が言うと、華鈴は「うん」と応じる。そして彼女はすたすたと廊下を進んで最初に目についたオフィスのドアを叩く。『みぬまクレジット』の事務所だ。


 またしてもあのよそ行きの声が響く。


「すみませーん! さっき、電話で予約していた高橋でーす!」


 数秒後、扉の奥から声が聞こえてきた。


「はい! 今開けますぜ!」


 さて、どんな奴が出てくるか。ドアが開いた瞬間に華鈴ともども店内に踏み込む手筈になっている。俺は呼吸を整えて身構えた。


 ――ガチャッ。


 ゆっくりとガラスの戸が開かれる。その向こうには……。


「いらっしゃいませ! お待ちしてました!」


 満面の笑みで俺たちを出迎えたのは、スーツ姿の若い男性だった。


 年の頃は20代半ばくらいか。物腰柔らかそうな印象を受ける好青年である。俺は思わず拍子抜けした。華鈴も同じような気持ちだったらしく、目をぱちくりさせて驚いている。


 こんな優男が闇金の構成員だというのか。


「どうも。ここが『みぬまクレジット』の事務所でしたよね?』


 華鈴が尋ねると、青年は爽やかな笑顔のまま答える。


「はい! 左様でございますよ! 私、新規ご契約者様の案内役の佐々木と申します! ようこそおいでくださいました! さっそく中へどうぞ!」


 次の瞬間。佐々木と名乗った男は華鈴の手首を摑んで中に引き入れようとした。


「きゃっ!?」


 不意を突かれた華鈴は体勢を崩して倒れそうになるが、俺は咄嗟に彼女の腰に手を回して支えてやる。すると佐々木なる男はニヤリと笑い、懐へ手を突っ込む。

 武器を取り出す気か――。


 そうはさせるかとばかりに俺は男の腕を思い切り蹴り上げる。


「ぐわっ!」


 痛みに顔を歪めて、後ずさる佐々木。彼は拳銃を取り落とした。随分と手荒い歓迎じゃないか……すかさず俺は華鈴を背後に押しやり、第二の蹴りを放つ。


「ぐぅっ……」


 男が腹を押さえて蹲った。その隙に俺は拳銃を拾い上げ、華鈴に手渡す。


「ほらよ。持っとけ」


「えっ?」


 華鈴が戸惑いながらも受け取るのを確認すると、俺は男の身体を掴んで前方に投げ飛ばす。


「ぐおっ!?」


 突如として投げ込まれた仲間の姿に、店内に居た他の男らの視線が一斉に集まった。見た限り10人以上は居る。これは面白い乱戦になりそうだ。


「て、テメェ! どこのモンだコラァ!!」


「名乗る名前は無ぇよ」


 俺が呟くと、中に居たチンピラたちは群がるように襲いかかってきた。


「オラァ!」


「死ねぇ!!」


 怒号と共に拳や脚が飛んでくる。俺はそれらを躱しながら、カウンターで拳をお見舞いしてやった。一人、また一人と倒れていく若衆たち。


 華鈴はというと……。


「このアマ! 舐めやがってぇえええ!!」


 ――バキッ。


 体勢を立て直して飛びかかった佐々木を綺麗な正拳突きで仕留めて見せた。なかなかやるな。言葉の通り、腕っぷしにはなかなかのものがあるようだ。


 俺も負けてはいられない。


「おらよ」


「ぐあっ!?」


 襲いかかってきた男の顎を蹴り上げて昏倒させる。続いて、背後から殴りかかってきた男の拳を受け止めて投げ飛ばす。


「がはっ!」


 床に叩きつけられた男は白目を剥いて気絶した。俺はすかさず華鈴の援護に入るべく、彼女のもとへ駆け寄ると……。


 ――バキッ! ドカッ!


「ぐあっ!?」


 華鈴は流麗に舞い、次々と男どもをなぎ倒していた。


 ――ドゴッ! バキッ!


 彼女の動きには一切の無駄が無い。まるで舞を踊るかのように美しい身のこなしで敵を圧倒する。そして、一撃一撃が的確だ。


 突きと蹴りで確実に鳩尾を突いている。


「くっ、くそっ! 女ごときにっ、負けて堪るかぁぁぁ!!」


 一人の男が背後から突進してきて、ほんのコンマ1秒で反応が遅れた華鈴は顔面を殴られた。

「きゃっ!」


 よろめいた彼女。だが、直後に空間そのものを揺るがすほどの声量で絶叫する。


「女だからって……舐めんじゃねぇよおおお!!!」


 その瞬間に華鈴の繰り出したパンチが男の顎を捉え、男は白目を剥いて倒れた。何かが弾ける音がした。きっと敵の骨が砕けたのだと思う。


「何なんだ! テメェらは!?」


 オフィス内での乱闘騒ぎを聞きつけたのか、体格の酔い金髪の男が奥の部屋から飛び出してきた。この事務所の代表のようである。話は早い。


「おい! テメェが『みぬまクレジット』の社長か!?」


 俺が尋ねると、男は眉間に皺を寄せてドスの利いた低い声で答える。


「だったら何だ?」


 俺はニヤリと笑った後、華鈴に目配せする。彼女は小さく頷いた。


「ボスのご登場ってわけね」


「やってやろうぜ!!」


 俺と華鈴は同時に飛びかかった。そして、あっという間に決着がつく。


「……ぐふっ」


 男が動けなくなったのを確認してから、俺は華鈴に向き直る。彼女は額の汗を拭って俺を見つめ返した。その口元は笑っている。


「華鈴。大丈夫か?」


「舐めないでよね。あたしにしてみりゃ朝飯前。軽いウォーミングアップみたいなものよ」


「頼もしいこった」


 確かに見事な喧嘩の腕前であった。


「さて、と。んじゃ質問タイムといきますか」


 俺は床に横たわっている金髪の男を睨みつける。さっきの戦いでは関節を破壊している。ゆえにこいつは起き上がることができない状態だ。


「改めて聞くぜ。あんたが『みぬまクレジット』の社長さんだね?」


「……そ、そうだ。俺はここの金庫を任されてる三沼みぬまとおるってもんだ。テメェら、こんなことをしてタダで済むと思うなよ」


「ああ?」


「俺はここの経営者であると同時にもう一つの顔を持ってる。水尾組和田総業舎弟っていう……」


 ――バキッ。


 こいつが水尾組の人間である事実は聞かずとも知れたこと。今さらどうでも良かったので、俺は三沼の顔面を殴って彼の言葉を遮った。


「ぶはっ!」


「自己紹介は良いよ。こっちが聞いたことにだけ答えろや。あんた、中央テクノサービスって会社にカネを貸してたろ?」


「……ああ。それがどうしたんだよ」


「イエスかノーかで答えろ。中央テクノサービスは水尾組のフロント企業で、おたくらはそこが瑞穂町でやってる産廃処理事業をわざと潰したな?」


「……イエスと言いてぇところだが、あそこの事業破綻については止むを得ない部分もあった。最初に事業解散を言い出したのは瑞穂町の方だ」


「おい。破綻に至った経緯を訊いてんじゃねぇよ。立ち退き料で儲けるためにわざと産廃を潰したのかって訊いてんだ」


「ノーだ」


 三沼は苦しげにそう答えた。嘘を吐いているようには見えないが……果たして本当だろうか? 華鈴も訝しげに首を傾げている。


「ねぇ、麻木さん。こいつの言ってることは本当だと思う?」


「いや。分からん。だが少なくとも真実は話してないことは確かだ」


 俺が答えると華鈴は頷いた。そして彼女は三沼の側にしゃがみ込んで尋ねる。


「……あんたら、占有屋を使って立ち退き料をたっぷり取った後は舘野社長から土地の権利証を奪い取る腹積もりじゃないの? アメリカの会社に売るために?」


 詰問を受けた途端、三沼の表情が変わった。明らかに動揺している。


「なっ、何故それを!?」


 やはり図星か…‥俺は思わず舌打ちをした。


「はあ。やっぱりな」


「おっ、おい! テメェら! まさか舘野に雇われた殺し屋か何かなのか!? いや、あの間抜け野郎にそんな度胸は無いはずだが!?」


 三沼は血相を変えて叫ぶが、俺は淡々と首を横に振るだけ。


「違うぜ」


「じゃあ、どうして!?」


「落ち着けよ。知っていることを包み隠さず全て話せ。この期に及んで隠し立てしようったってそうはいかねぇぞ」


 俺が凄みを利かせると、三沼は観念したかのように項垂れた。そしてポツリポツリと語り出す。


「……テメェの言う通り、中央テクノサービスには土地の権利証を担保にカネを貸した。こちとら約束通りに土地を差し押さえただけのことだ」


「表向きはな。だが、実際のところはおたくらは同じ水尾組系列。事業が頓挫しても直ぐに投資分を回収できるよう水尾組は敢えて身内で金を回していた?」


「そういうことだ。実際、その仕組みのおかげで使い物にならなくなった土地に新たな活用法が生まれた。産廃跡地を丸ごと欲しがる人間が現れたんだ」


「んで、一旦は競売で舘野不動産に土地を掴ませ、占有屋を使って立ち退き料をせびった後で、頃合いを見て権利証を強奪。土地はアメ公に売る予定だったんだよな?」


 その問いに対し、三沼は不敵な笑みをもって答えた。


「いいや。ちょっと違うな」


「ああ?」


「テメェらが何処から情報を得たのかは知らんが、舘野もグルだぜ。あいつは俺たち側の人間だった。占有屋の件は土地の価格を下げるための芝居みてぇなもんだ」


「土地の価格を下げるだと……どうして?」


 俺が続きを促すと、三沼はニヤリと笑って話を続ける。


「決まってんだろ。産廃跡地を都に売った後で、舘野に安く買い戻させるためさ。リサイクルセンターの計画を頓挫させる目的もあるが」


「ほう? 舘野もグルだったとは。こりゃあたまげたな」


 話を聞けば舘野の不自然な行動も頷ける。売却時の地価を考えれば普通は避けたいだろうに奴が「土地で流血沙汰を起こしてくれ」と敢えて頼んできたのは、そもそも己が買い戻す時に備えて地価を下げたかったから。舘野は水尾組と結託して瑞穂町の産廃跡地を米国の怪しげな会社に売り飛ばす算段だったのだ。


「ま、あの辺の土地が手に入るなら幾らで買っても良いと言ってたからなぁ。交渉次第によっちゃあ地価の5倍で買い取ってくれるだろう。へへっ」


「その買い手は誰なんだ? 俺たちが手に入れた資料によりゃあアメリカの民間軍事会社ってことになってたが?」


「いや。俺もそれ以上は知らねぇよ。ただ、何かしらの化学実験をする研究所を作るみてぇだな」


「研究所……だから、ゴミ処理場の跡地を欲しがったのか」


「ああ。適度に汚染されてる上に人里離れたところにあるから好立地らしいぜ。ま、俺は興味ねぇけどな」


「ふん。そうかい……」


 三沼がここまで語った内容に嘘は無いように思われた。舘野の真意も含めて全ての話に辻褄が合っている。少なくとも現時点では……だが、まだ疑問点はある。


「ところでよ。三沼さんよ」


「何だ」


「さっきあんたは俺たちを『舘野が雇った殺し屋』だの何だのとビビってたが、ありゃあどういうわけだ? 舘野と揉めてんのか?」


「いや。別にそういうわけじゃねぇが」


 言葉を濁す三沼。何かを隠していることは明らかだった。俺はさらに追及する。


「じゃあ、どうして俺たちにビビってんだよ?」


「それは……その」


「はっきり言えや!」


 俺が怒気を浴びせると、三沼は観念したように口を開いた。


「じ、実は、舘野の野郎は利益を独り占めする気でいるみてぇなんだ」


「何の利益だ?」


「土地を最終的に外資へ売り飛ばした時の利益をだ。あいつは俺や和田の兄貴を出し抜いて、そいつを総取りする気でいやがる」


「ほう?」


「奴は俺たちが邪魔になったんだよ。だから、自分だけが良い思いをするために俺たちを殺そうと……」


 三沼は苦々しい表情で打ち明けた。なるほど。そういう事情か。


「つまり、あんたらは舘野に乗せられたってわけだ」


「……ああ。舘野は『水尾組の杉本親分が煌王会と通じてる』って噂を流して中川会に関係者全員を始末させる気でいる。だから俺はてっきり、あんたらは中川のヒットマンかと」


 瑞穂町の占有屋の裏事情のみならず、よもや横須賀水尾組の内通騒動のからくりまでが見えてくるとは。


 三沼が悔しげに歯噛みする音が聞こえた。金融屋ふぜいに同情してやる謂れは無いが……俺はその肩をポンと叩いてやる。


「ま、安心しな。あんたのことは助けてやるよ」


「え?」


「ただし条件がある。 今日から数えて1ヶ月以内にこの東京から出て行け。フロント企業を含めた全ての事務所を畳み、横須賀へ帰るんだ」


  「っ!?」


 水尾組の東京からの完全撤退――俺とて伊達や酔狂で宣っているわけじゃない。そうまで厳しい要求を突きつけるには正当な理由がある。


「お前ら水尾組は確かに中川会うちの枝だが東京でシノギをやる印可は出てねぇはずだぜ。そのくせ港区は本家の直轄領。これが何を意味するか、分かるよな……?」


 俺がグッと顔を近づけて気迫をかけると、三沼は硬直。彼の返事こたえが出るのに大して時間はかからなかった。


「わ、分かった。その条件を呑もう。組長にも、和田の兄貴にも話を通しておく。だから、シマ荒らしは見逃してくれ! 頼む!!」


「良い返事だ。賢い選択だと思うぜ」


 恐怖と焦燥で怯えすくむ三沼をよそに、俺たちはオフィス内の物色に入る。せっかく水尾組の拠点ヤサを制圧したのだ。手ぶらで帰るには勿体ない。


 ……と、俺があれこれ探し回る一方で、華鈴はといえば、さっそく何かを見つけ出したようである。


「ん? それは?」


「借用書。ここの闇金は赤坂の人たちに暴利で貸し付けてたみたい。これさえ処分しちゃえば、法外な利息の借金は帳消しになるでしょ」


 言われてみれば尤もな話であるが、俺としては実に複雑な思いだった。何せ、我らが中川会は三沼のような暴利貸しの金融屋で儲けているのだから。ただ、こちらの水尾組は中川会本家のシマを荒らしていたゆえに例外とも考えられる。


「ああ。そうだな」


 俺は少し目を伏せながら、借用書の束に嬉々としてライターで火を着ける華鈴を見守っていた。


 勿論、単に棒立ちで佇んでいたわけじゃない。俺も俺で収穫を手にした。水尾組と舘野不動産が共謀して仕組んだ占有屋騒動にまつわる物証だ。舘野不動産……いや、社長の舘野美津男という御仁は想像以上に小狡い男だった。


 占有屋を雇ったのは中央テクノサービスではなく、舘野自身。立ち退き料を要求されていると嘯き、被害者面で俺たちに掃討を依頼してきたのだ。


 全ては瑞穂町の産廃跡地の不動産価格を下げるため。中川会と占有屋を争わせることで土地に物騒な風聞を立て、再び購入する際の出費を安く済ませるのがねらいであった。


 また、東京都のリサイクルセンター建設計画を必ず頓挫に追い込み、一度は都に売った土地を確実に買い戻すための算段についても舘野はしっかりと立てていた。


 あの産廃跡地には高濃度の汚染物質が堆積しており、それは建設工事が始まって土の掘り返しが行われた段階で表面に露出するよう巧妙に仕組まれている。そうなれば都としては工事どころではなくなり、無価値になった土地は売却するしかない。


 そのタイミングで舘野が買い手に名乗りを挙げ、土地の買い戻しを果たすという手筈になっていた。


 ご丁寧なことに、それらの手順を示す証拠物件が、三沼の事務所には山のように置いてあった。いずれも舘野が水尾組関係者と謀議した際の会話を録音したカセットテープ。三沼の兄貴分にあたる人物が万が一舘野が裏切った時に備えて密かに録音していたものだったそうな。


「よし。こいつらは持ち帰らせて貰うぜ」


「好きにしろや……どうせ組長は今ごろ眞行路の手にかかってる。兄貴だって行方知れず。舘野のせいで水尾組は終わりだ、畜生め!」


「安心しろ。舘野については俺がきちんとケジメをつけてやる。会長を謀った奴を野放しにするほど中川の代紋は廃れちゃいねぇよ」


 舘野社長は『水尾組が中川会を裏切ろうとしている』と眞行路高虎に吹き込み、水尾組が激昂した高虎に狩られるよう仕組んだ。占有屋騒動が本家預かりになった時点で水尾組は用済み。彼らを排除して最終的には自分ひとりだけが莫大な利益を手にするための策である。


 当初はビジネスパートナーとして謀略を練ったはずが、何て無惨な顛末であろうか。そんな三沼にとって俺の言葉は慰めにもならなかったようで、彼は天井を見上げて吐き捨てた。


「ああっ! こんなことになるなら東京で金融屋なんかやるんじゃなかった! くそったれが!」


 すると、横で見ていた華鈴が憮然と動く。彼女は三沼の胸ぐらを掴むと物凄い形相で睨み付けた。


「何を自分が割を食ったみたいに……いちばん可哀想なのはあんたに食い物にされた街の人たちでしょう!? ふざけたこと抜かしてんじゃないよ! 馬鹿ッ!!」


 直後、彼女の拳が顔面の中心に食い込む。伝説とまで謳われた女暴走族の元頭目による一撃。鈍い音を響かせ、三沼は気絶した。


「……帰りましょう」


「ああ。そうだな」


 俺たちは回収した証拠を持ってオフィスを出る。午後の陽射しが照らす南麻布の街を歩き、ひとまずは先ほどの路地裏まで戻ってきた。軽く背伸びをして、俺は華鈴に声をかける。


「ふう。なかなかの活躍だったぜ。ご苦労さん」


「冷やかしてるの?」


「マジで言ったんだぜ。さっきのお前の戦いぶりは見事だった。あれなら本職も引けを取らねぇな」


「……そう」


 少し寂しそうに宙を向く華鈴。何か俺がまずいことを言ったか――いや、そうではないらしい。十数分前の乱闘劇について彼女なりに思うところがあるようだ。

 

「ねぇ。麻木さん。結局、喧嘩ってどうなんだろうね?」


「何だ。藪から棒に」


「いや、さ。喧嘩って結局は暴力じゃん? でも、それって本当に正しいのかなって思っちゃって」


 華鈴は真剣な表情で語る。俺はその問いに対して、しばらく考えてから口を開いた。


「難しい質問だな。だが、殴り合いの中でしか手に入らねぇもんがあるのは事実だ。俺はそう思ってるぜ」


「そっか。そうだよね……」


 華鈴は納得したように頷いた。俺はさらに続ける。


「喧嘩ってのは一種のコミュニケーションだな。そういう形でしか交われない関係だってある」


「コミュニケーション?」


「拳で語り合うんだよ。互いの意見をぶつけ合ってな。殴り合いの中でしか得られないものもあるし、逆に口頭で伝える方が伝わることもある」


「……難しいね」


「難しいわな。俺もガキの頃から散々喧嘩に明け暮れてきたが、未だに上手く言葉にできねぇもん」


「そっか」


 華鈴はようやく笑顔を見せた。ただ、その目元には先ほどまで違う色が浮かんでいる。寂寥感と呼べば良いのか、どこか切なげである。


 どうしてだろうか。いや、そもそも何故にこんな話をするのだろうか。俺は華鈴の真意が読み取れずに戸惑った。


 悩みを抱えているのかと思えてくる。

「なあ? 何か、あったのか?」


「そういうのじゃないよ」


 ただ、彼女の瞳は苦悩の色を纏ったまま。苦悩というよりかは後悔に近いか……いけない。傭兵時代に学んだ心理戦の技術が変な形で役に立っている。


 俺は少し咳払いをすると、その目を真っ直ぐに見つめて言った。


「なぁ、お前さ」


「え?」


「……違ってたらアレなんだけど」


 前置きを挟んだ俺に、華鈴は不思議そうに首を傾げる。ここで言いよどんでは駄目だ。逡巡を捨てて一気に言葉を放った。


「華鈴、本当は喧嘩があまり好きじゃねぇんじゃねぇのか?」


「っ!?」


 華鈴は絶句した。おっと、当たってしまったか――刹那的に浮かんだ躊躇いを振り切って俺はさらに続ける。


「あるいは喧嘩自体が苦手とか」


「……どうしてそう思うの?」


「お前の目は、何とも本職のそれとは違うんだよな。喧嘩を心から楽しんでるとは思えねぇっつうか。暴力を振るうことに迷いを感じてるような」


 すると、華鈴は俯いた。


 少し意外な反応である。馬鹿にしているのかと怒られると思ったのだが。ただ、反応を見る限りでは俺の指摘は大方的を射ているらしい。


 数秒後、彼女の返事がかえってくる。


「麻木さんの言う通りだよ。あたし、喧嘩はあんまり好きじゃない」


「そうか……」


「隠してるのも申し訳ないからさ。本当のことを言っちゃうわ。ま、まあ、麻木さんなら言っても大丈夫かなって思うから喋るんだけど」


 華鈴は顔を上げた。その目は真剣そのもので、思わず息を呑まされてしまう。自然と胸の鼓動が早なる俺に彼女は続けた。


「実はさ……あたしが子供の頃に人を殺したって話は嘘なの。ぶっちゃけると、あの時に殺したはお父さん。あたしはその場に居合わせてただけ」


 きょとんとしていたがハッと我に返る。慌てて言葉を紡ぐように、俺は華鈴に反応を示した。


「あ、ああ。それってあの事件だよな? お前が小学生の頃だったかに親父さんの事務所に強盗が押し入ったっていう?」


「うん。その時にお父さんが後ろからバットで犯人を殴り殺すところを見ちゃって。あたしの中で何かが変わったっていうか、ネジが外れたっていうか」


「でも何でまた『殺したことがある』なんて嘘を?」


「11歳って刑法の適用範囲外でしょ。あたしがやったことにすればお父さんを守れる。あとは、あたし自身を強く見せるため」


 華鈴は続ける。


「うち、お父さんがおせっかい焼きだから恨みを買いやすくてさ。喧嘩が出来る強い女番長でいた方が何かと便利なんだよね。女だからって突っかかってくる奴も減るし」


「た、確かに」


「嘘をつくよう頼んだのはあたし。その前からヤンチャはしてたけどね。でも、心の底じゃ『人を傷つける』という行為があまり好きじゃなくて」


 遠い目をして語った華鈴。その目にはどこか虚しさのようなものが漂っていた。返答に困ったが、俺は頭の中で語句を探しながら何とか応じる。


「そうか。じゃあ、お前は嫌いな喧嘩を歯を食いしばってやってるわけか」


「うん。お父さんがああまで無理して町を守ってるんだもん。娘のあたしも頑張らなきゃ。けど、たまに義務感よりも……怖さの方が勝ることもあるかな」


「怖さ?」


 視線を落とすと、華鈴は小さな声で呟いた。


「いずれ自分が鬼みたいに恐ろしい人間になっちゃうんじゃないかって」


 なるほどな。


 俺は思った。華鈴は本質的には優しい娘なのだと。親や周囲の人を想う優しさが何週も回った結果、女でありながら鉄火場に身を投じる現在いまがあるのだと。


「華鈴」


 気づけば、俺は彼女の名を呼んでいだ。


「お前は強いよ」


「……え?」


「強くありたいと思うあまり暴走族ぞくまでやっちまうくらいだ。街の人間のために鉄火場へ飛び込む度胸だって持ってる。マジですげぇよ」


「……」


「だからさ、その、無理はしないでくれ。自分が本当に『嫌』だと思ったら、踏み止まることがあったって良いんだ。お前は十分によくやってるんだから」


 華鈴は目を丸くして俺を見ていた。その目にはいつの間にか光が宿っている。俺は少し照れくさくなって視線を逸らした。


「ま、まあ、喧嘩するしか取り柄のぇ、俺が言うのもおかしな話なんだが。たまには肩の力を抜いてくれや。きっと大丈夫だ」


「……うん」


 華鈴はこくりと頷く。顔を上げた時には、いつもの明るい笑みが戻っていた。


「ありがとう。麻木さん」


「お、おう」


 俺は照れ臭くなって頭を掻く。しかし、華鈴はそんな俺の様子などお構いなしに言葉を続けた。


「麻木さんって意外に優しいんだね。血も涙もないヤクザだと思ってたけど。中川の会長みたいに、弱みに付け込んでお父さんを利用するばかりだと思ってたけど」


「おいおい、そらまた随分な言い草だなあ」


「そりゃあ、そうでしょ。だって、商社勤務だの何だのって嘘をつかれてたんだもん。ただでさえヤクザは嫌いなんだから、よくない印象を抱いて当然よ」


「う、嘘ついてたのはお互い様じゃねぇか!」


「ふふっ。まあ、そうだよね」


 苦笑いを置いた後、華鈴は俺の目をぐっと覗き込んで言った。


「でも、麻木さんは他の奴らよりだいぶマシだよ。第一、あたしにああいう言葉をかけてくれた人はあなたが初めて。思ったより人の痛みとか、そう言うのが分かるんだね」


「おい。それって褒めてるのか?」


「褒め言葉に決まってるじゃん。ありがとね。おかげでちょっとだけ肩の荷が下りたような気がするかな」


 何て反応すれば良いやら。


 俺は彼女に良い結果をもたらしたのか、そうではないのか。曰く“肩の荷が下りた”ではなく“肩の荷が下りたような気がする”なのだ。いまいち分からない。

 それでも、まあ……あからさまに嫌われていた数日前の夜よりは印象が向上したか。目の前の笑顔を見る限りでは根拠がある。


 ひとまず、そう思うことにした。


「あ、ああ。良かったぜ」


 戸惑いつつも頷いた。華鈴は満足げに頷くと、やや棒立ち気味になった俺を置き去りにするように歩き出す。

「んじゃ、あたしはこれで!」


「……お、おう」


「帰ってお店の準備しなきゃ。さっきの冊子は読み込んでおくから、後で分かったことを連絡するね。今日はありがと」


「わ、分かった。じゃあよろしく頼むぜ」


「うんっ! じゃあ、バイバーイ!」


 華鈴は元気よく手を振って路地裏を去っていく。ただ、そこから数メートルほど進んだところでふと歩くのを止めて不意にこちらを振り返った。


「あなたが暇な時で良いからさぁ、コーヒーでも飲みに来てよ! お酒は置いてない純喫茶だけどパスタは美味しいから! いつでもおいでね!」


 それだけ言うと、華鈴はまた歩き出す。彼女の後ろ姿を俺は見送った後、小さく呟いた。


「……あいつもやっぱり普通の女の子だな」


 喧嘩が嫌いで人を傷つけることを好まない。だが、そうした本音を押し殺して誰かを守るために戦いの中へ身を投じる強い女。


 その中にも他の同世代の娘らと何も変わらぬ無邪気さを宿しているのだ。先ほどの言葉がどれほど響いたかは分からない。少しはあの子の心が軽くなっていれば良いのだが。


「さてと、俺もそろそろ帰るか」


 華鈴の背中が完全に見えなくなってから踵を返す。俺は路地裏を出て大通りへと向かいながら、ぼんやりと考えていた。


 これから先、華鈴とはどのように関わっていくべきか……?


 輝虎のせいで何もかもが惨めだった数日前の夜に比べれば、だいぶ俺の好感度は上がったはずだ。少なくとも『カフェ・ノーブル』の出禁は解けた。


 しかしながら、心の奥底ではヤクザをひどく嫌っている華鈴とこれからどこまで仲を深めて良いやら。


「……どうかなあ」


 俺は呟いた。今はとにかく、華鈴の信頼を得るところから始めよう。


 ヤクザと関わりたくないという彼女の意思を尊重するなら、あまり深くは関わらない方が良いかもしれない。だが、それでも……せっかく巡り合えた同世代の女だ。可能な限り仲良くなりたい。その上、彼女が抱えるものを少しでも軽くしてやりたいとも思う。


 あの子に対して淫らな情を抱いていた数日前とは何処かが違う、心から彼女を慈しむ気持ち。それを恋心と呼んで適切かは分からない。けれども俺は与田華鈴を大切に思っている。


 それだけは確かな真実であった。


「華鈴……か」


 俺は無意識に彼女の名を呟いていた。少し上機嫌な心地でいると歩く足は自然と早くなり、気づかぬうちに大通りを外れた閑静な所まで来てしまう。


 電柱を見ると『南麻布3丁目』の文字。


 いけない。そろそろ現状の確認をおこ行わなくては。俺は部下たちにそれぞれ別件での仕事を命じていたのだった。


 慌てた気分に駆られて携帯を取り出す。まずは舘野社長を尾行していた助勤に聞いてみるか……と思っていたら、奇妙な偶然が舞い込んだ。


「えっ!? 次長?」


「お前……!」


 ちょうど電話を掛けようとしていた助勤とばったり出くわしたのだ。何ということだろうか。彼は俺の姿を見るなり目を丸くしていた。


「お前、どうしてここに?」


「舘野社長の跡をつけていたら、いつの間にかこの辺りまで来てたんです」


「ほう?」


「ちょうど30分くらい前に、あの建物の中へ入って行きましたぜ。野郎、中で何をしてるんですかねぇ。愛人とお楽しみだったりして、へへっ」


「あの建物は……?」


 下品な笑いで腹を抱える助勤を差し置いて俺は彼が指差した建物を見る。3階建ての白いビルだ。まだ築1年も経っていないだろう、なかなかに洒落た外観である。


「いや、待てよ……?」


「えっ。どうかしてんですかい」


「ここは南麻布だよな。何か覚えがあるんだよ。前にどっかで……耳にした……ような……」


「ああ、確かに。言われて見りゃあ異様な雰囲気ですもんねぇ、あの建物。いかにも外人が好きそうな雰囲気で、この住宅街じゃ目立ってしょうがねぇだろうに」


 助勤の言葉に俺はハッとした。そうだ、思い出したぞ。ここ南麻布には在日米軍の関連事務所があるという話を傭兵時代に聞いていた。


「なるほど。ここがそうだったのか……」


「えっ? 何かありました?」


「いや、ここはな。赤坂にある米軍総局の別館なんだよ。と言っても米軍そのものじゃなくて下請けの民間企業なんかの連絡所みてぇなもんだが」


 日米安全保障条約に基づく米軍を統括する赤坂プレスセンターは、都内にその出先機関を幾つか置いている。傭兵をしていた頃は米軍に雇われて動いたこともあった。日本人ということであの国の兵隊たちには色眼鏡で見られた思い出がある。


「へぇ。さすがは次長。よくご存じで」


「東欧に居る時には笑われたもんだ。『日本人、お前は祖国の住宅街に公然と米軍が居座る状況を何とも思わないのか』ってな」


「まあ、確かにおかしいっちゃおかしいっすよねぇ。こんな何処ぞの下町みてぇな場所に作らなくたって良いだろうに」


「それについては一区画あたりの米軍基地の規模をなるだけ小さくするための工夫らしいんだが……何でまた舘野はあんな所に入ったんだ」


 疑問符が俺を支配する。


 舘野社長が米軍関連の事務所に入った理由は何であろうか。あの建物に入っているのは米軍の下請けを担う企業である。いくら舘野不動産が大企業といえど、幾ら何でも米軍との付き合いは無いはず――。


 そう思った時、俺は電撃的にひとつの仮説を導き出した。


「あっ! その可能性があったか!!」


 何のことやらと言わんばかりの目をしている助勤に、俺は尋ねる。


「お前、さっきここへ舘野が入ってくところは写真に撮ったか?」


「ええ。撮りましたぜ」


「簡単な事さ。『もうお前に遠慮などしない』と。考えてみれば我輩もおかしかったのだ。所詮は一介の子分に過ぎぬ眞行路を恐れるなんて。杉本にとやかく説教できる口ではなかったな」


「それはそうですが」


 才原はなおも反論しようとしたのだが、途中で黙ってしまった。よくよく考えれば恒元の云うことは何ら間違ってはいない。眞行路一家が国政に対して持つ影響力が大したものではないと分かった現在、銀座の猛獣を過剰に怖がる必要は最早無いのだ。


 俺も局長に倣い、口を閉じることにした。中川会本家の権威を立て直す良い機会だ。親分と子分を本来在るべき関係に戻せれば何も言うこと無しである。


「杉本よ。お前には追って直参昇格のきょうしょを出す。これから己が為すべきことは分かるな?」


「は、はいっ!」


「よろしい。では、水尾組の件はこれで手打ちとする」


 俺は内心でホッと胸を撫で下ろしていた。どうやら横浜とは事を構えずに済みそうだ。現時点で杉本は村雨と盃の類を交わしてはいないというから、水尾組が本家によってどうこうされたところで争いに発展する可能性は無いだろう。


 ひとつばかり肩の荷が下りた気分だ。とはいえまだ問題は山積みであるのだが……と、思った瞬間。部屋に助勤が飛び込んできた。


「会長!」


「何だね。騒々しい。ノックもせずに入るとは無粋だろう」


「す、すんません! ですが、その……」


 助勤は何やら言い淀んでいる。その様子に恒元は苛立ったように眉間へ皺を寄せた。


「さっさと言わんか」


「じ、実は……たった今、舘野不動産の舘野社長がお見えになりまして」


「何?」


 舘野と云えば、つい本日、中川会への叛意が明るみに出た人物だ。別の助勤が行方を捜していたのだが、そいつがわざわざやって来たというのだから只事ではない。


「会長に会いたいと仰ってます」


「分かった。通せ」


 助勤が取次に戻った後、恒元は笑った。


「舘野め。どういうつもりかは知らんが、よもや奴の方からノコノコ姿を現すとは愉快なことだ。どういう言い訳をするか見ものだな」


 俺も全く同意見だ。耳の速い舘野であれば水尾組傘下の金融屋が潰された件で自身の奸計がバレたと気付いていように、どうしてここへ来るのか。命が惜しくはないのかと言いたくなる展開であるが……何かしら打算があるに違いない。


 舘野美津男とは、中川会を相手に企みを弄し、カネのためには在日米軍とも繋がるような男であるから、きっとそうとしか思えなかった。


「会長」


「うむ」


 恒元が頷くと助勤が再びやって来た。彼の先導で開いたドアから入室してきた舘野は余裕に満ちていた。会長を見ても挨拶ひとつせず、笑みすら浮かべている。

 こいつ、己の置かれている状況が分からないのか。処刑される恐怖で頭がおかしくなってしまったのか。もしくは勝算を抱えているのか。


「……」


 俺が凝視していると、舘野はやがて不遜な顔で言った。


「これはこれは。皆さま、お揃いで」


 その言葉に助勤たちが色めき立った。


「テメェ! 会長に向かって何ちゅう口の利き方だ!」

「舐めてんじゃねぇぞゴラァ!」


「クソ野郎! そこに直れや!」


 だが、彼らを「静かに」と窘めて恒元は問うた。


「舘野君。我輩に会いに来たと聞いたが?」

「いや、まあ。そうなりますかね。はい」


「用件は何だ? 『中川会を金儲けのダシに使ってすみませんでした』と謝罪に来たとは言わないよね? もしそうなら君はとんだ間抜けだぞ?」


「へへっ。そんなんじゃありませんよ。ちょいと仕事をしに来たんですよ」


「仕事だと?」


 恒元を見て、舘野は大きく頷いた。


「ええ。瑞穂町の件がバレたんだ。どうあがいたって僕はあんたらに処刑される運命でしょう……でも、座して破滅を待つほど軟弱ヤワじゃないんでね」


 何だろう――舘野の雰囲気が午前中に見たそれとは大きく異なっている。妙におどおどしていた彼の姿は見る影も無く、まるで別人のようだ。


 例えるなら、背後に大きな後ろ盾を得たような雰囲気。声色と顔つきの両方で余裕が滲み出ている。彼をここまでたらしめているものが俺には分からなかった。


「ほう? それで?」


「僕はね、ある仕事を頼まれてるんですよ。そいつを片付けたら、あらゆる脅威から守ってくれるっていうんです。気前の良い人ですよ、その人は」


「……誰だかは知らんが、その輩は君を取り巻く状況を分かっているのかねぇ。この中川恒元を敵に回しているというのに、言うに事欠いて『守ってくれる』とは。舐められたものだな、まったく」


 恒元が目を細めると、舘野はせせら笑った。


「中川会長、あなたこそ自分の能力を過大評価してるんじゃないのかい? あなたは思ってるほど万能じゃないし、強くもない。権威に縋って生きてるだけの、ただの凡人だ」


 その言葉に場が凍り付いた。恒元を前にして、ここまでストレートに暴言を吐く者は初めて見たかもしれない。あまりにも命知らず過ぎる。


「貴様。口の利き方には気を付けた方が良いぞ」


 恒元が静かに凄むと、舘野はそれすらも鼻で笑ってのけた。


「じゃあ、証明してみせますか。あんたが所詮は自分一人じゃ何もできないってことを。今から起こることは全てあんたの無能が招くことですよ」


「……何が言いたいのかな?」


「こうするのさ!」


 叫ぶと同時に、舘野は背広の内側からペンを取り出して握りしめた。「動くな!」と助勤たちが一斉に銃を抜いて威嚇するも彼は動じず。右手に携える物体は一見すると単なる万年筆のようだが……その先端を舘野はあろうことか恒元の方へと向けた。


「会長っ!」


 俺は咄嗟に動き、恒元の前に立つ。しかし、舘野はくるりと視線を動かす。まるで俺たちの裏をかくように、彼が見つめた先に居た人物。


 それは杉本組長だった。


「すみませんね、杉本さん。こっちにも金が必要なんで」


「へっ!?」


 次の瞬間。


 ――ズガァァァン。


 ボールペンの先端から轟音が響き、杉本の胸に風穴が空いた。


「ぐうっ!」


 崩れ落ちる杉本。みるみるうちに血溜まりが床を真っ赤に染めてゆく。だが、それよりも何よりも驚くべきことは舘野が手にしていた万年筆から銃弾が出たことだ。


「ふふっ。これで僕の仕事は完遂しました。早く捕まえて煮るなり焼くなり好きにしてくださいよ……ただし、殺さない方が良いよ」


 へらへらと腹を捩って高笑いしながら、舘野はなおも挑発的な眼差しを向けてくる。その行動が何を意味するか。この時の俺には分からなかった。

とんでもない行動に出た舘野社長。その真意は何か……? 次回、物語は怒涛の展開へ!!

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