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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第10章 虎崩れの変
175/252

銀座の猛獣、荒ぶる。

 小さな下町を舞台に組織全体が大きく動揺させられた、通称“浅草危機”から2週間。暦が霜月に入ってもなお、眞行路高虎の暴走は続いていた。


 恒元は一連の騒動の罰として、眞行路に暫しの謹慎処分を下した。だが、奴は対外的に目立った動きを禁じる会長の命令を悉く無視。日本中のあちらこちらへ出かけ、好き勝手に暴れまわった。


 本来、極道社会において親分の命令は絶対。ところが眞行路はそういった大原則をまったく意に介さない。「会長なんて知るか」と嘲弄するがごとく、以前にも増して乱暴狼藉の度合いが激しくなってゆく。


 まさしく名実ともに猛獣と化した眞行路に対し、恒元が手をこまねく理由はただひとつ。


 命令違反のとがで破門や絶縁に処そうにも、眞行路を組織から追い出せば後ろに付いているタニマチが何をするか分からないため、迂闊に手が出せない――それが恒元の最大の懸念であり、大きな悩みの種だった。


 しかしながら、暴走する銀座の猛獣を放置していては、何時いつまた組織に類が及ぶか分かったものではない。憂いに駆られた俺は会長室を訪ね、個人的な意見具申を行ってみた。


「会長」


 それは2004年11月2日の午後、都内に早めの木枯らしが吹き始めた翌日のことであった。


「眞行路の件ですが、俺にひとつ考えがあります」


「ほう? 言ってみたまえ」


「はい。奴に“仕事”を与えてはどうでしょう。直接殺すことができないなら、他の誰かに殺してもらうんです」


「……なるほどな。危険地帯へ送り込むというわけか」


 眞行路一家が武闘派路線を止めないなら、いっそのこと戦争で殺されてもらう。大好きな抗争で死ねるのなら高虎も本望だろう。それが俺の考えた作戦だった。


「はい。眞行路は生粋の戦闘狂ですからね。荒事を前にすりゃ、そいつが罠だと分かってたとしても体が疼いて仕方ねぇでしょう」


「ふむ。悪くないアイデアだ。だが、どうやって眞行路を動かす? それに、どこの組と戦わせるつもりだ? 煌王会とは和議が成り立ったばかりだ。先月中ならまだしも、もはや戦ができる機運では無いぞ」


「相手は関西じゃありませんよ。四国の一条会です」


「ほう……」


 こくんと頷いた会長。それもそのはず。松山を根拠地に四国全域に勢力を張る一条会は、戦前から百年近くに渡って独立を保ってきた超武闘派組織なのだ。


「……一条会か。確かにあの組なら眞行路と釣り合うかもしれんな」


「ええ。それに、一条は本庄組ともコネがあるようですからね。眞行路と共倒れになってくれれば、本庄の力を削ぐことも可能かと」


「なるほど。一石二鳥というわけか。ならば、さっそく支度にかかってくれ!」


 こうして俺は眞行路一家を体よく片付けるため、四国の一条会と事を構える下準備に入った。一条会やつらが俺たち中川会に対して戦を挑んでくるよう仕向け、これに反撃する形で開戦する――謂わばマッチポンプだ。


 大国が小国を侵略するやり方としては常套手段なのだが、今回は少し勝手が違う。一条会には、眞行路高虎を確実に殺してもらわねばならない。


「いざドンパチが始まれば、血気盛んな眞行路高虎は真っ先に四国へ飛んで行って最前線で暴れるでしょう。討ち取られる機会はいくらでもあるはずです」


「だが、問題は一条会に眞行路が討てるかどうかだ。眞行路は手強く、しぶとい男だぞ」


「大丈夫ですよ。会長。どんなに強かろうと人間ですからね。気が抜ける瞬間は誰しも必ずあるはずです。一条会にはそこを狙って貰います」


 こちらから一条会サイドへ眞行路の行動情報をリークし、急襲をかけて首を獲らせるのが良いだろう。俺の提案に、恒元は大いに乗り気だった。計画の主旨は眞行路の排除だが、最終的に得るものは大きいはず。全てが上手く運べば中川会は一条会を倒し、四国を手に入れられるのだから。


「麻木の話は確かに良い案ですが、要は抗争を始めることになります。慎重に動かれるのが良いかと。そもそも彼らに如何なる手段をもって戦端を開かせるのか、きちんと見通しを立てねば」


 捕らぬ狸の皮算用に浮かれるべきではない……と言いたげに会長を諫めた才原は、今度は俺の方を向いて渋い声を発した。


「具体的にどうするつもりだ? 方法があるなら、言ってみろ」


 そんな彼に対し、俺は指をパチンと鳴らして説明を始めた。


「見通しなら立ててるぜ。局長。忍者のあんたなら耳も早いと思うが、一条会は嘉賀かが照之助しょうのすけ会長の後継がなかなか定まらねぇみたいでな。跡目をめぐって若頭と舎弟頭が揉めてるんだと」


「その跡目争いに付け込むというわけか。どちらか一方の顔を肩を持ってやり、もう一方が我らに唾をかけるよう仕向けると?」


「まあ、そういうことだな」


 話を途中で遮って要旨を言い当てた才原の察しの良さに驚きつつ、俺はあっさりと首肯した。すると局長は覆面越しに俺を睨み、低い声で唸るように問うてきた。


「一条会の安雪やすゆき若頭は九州の玄道会を後ろ盾にしていると聞く。片やより舎弟頭の後見を買って出れば、我々は九州とも争うことになる。分かっているのか?」


「承知の上だ。敵の数が多い方が、眞行路が殺される可能性が高まる」


「甘く考えるな。本気を出した九州の極道は並大抵の相手ではない。たかが直参組長を排除するために、お前は組織全体を危険に晒すというのか?」


 そこで会長が割って入る。


「まあ待て、才原。玄道会だって内紛を抱えている。今、中川会われらと全面的に揉めるのは旨くないはずだ」


「九州は本気を出してこないと仰るのですか。お言葉ですが、会長。玄道会の基本方針は東への勢力拡大で……」


「我輩は涼平の案を推すぞ。うちの本庄が一条会の安雪と兄弟分というではないか。上手くいけば、本庄も始末できる」


「会長!」


「それにな。これは好機でもあるのだ。一条を傘下に収めれば、我々中川会は一気に四国を手に入れられる。初代からの悲願である全国制覇に一歩近づくのだ。分かるだろう?」


「……承知しました」


 才原は小さく一礼し、あからさまに渋々といった様子で引き下がった。俺はその様子を横目で見ながら恒元に話を再開する。


「会長。聞いた噂によれば、依多田舎弟頭は一条会内部で孤立しつつあるとか。中川会こちらから手を差し伸べれば藁にも縋る思いで飛びつくでしょう」


「そうすれば一方の安雪は激怒して、必ずや我々に対して宣戦布告してくる……か」


「流石は会長! 頭の回転が速くて助かります。安雪若頭を支持する玄道会との代理戦争になるでしょうが、眞行路は真っ先に飛んでゆくはず。んで、あとは安雪サイドに情報を流して眞行路を仕留めて貰えば良いわけです」


「うむ。悪くないな」


 俺の提案に満足げに頷き、会長は言葉を続けた。


「曲がりなりにも眞行路はうちの直参組長だ。それが殺されたとなれば、安雪派や玄道会に対して討奸状を送る大義が成り立つ。四国はおろか、ゆくゆくは九州にも兵を進めるのも夢じゃない」


「戦争に勝てば、ですけどね。まあ、その辺はきっと大丈夫でしょう」


 一条会の跡目問題に介入して彼らを挑発、戦争になるよう仕向け、眞行路を送り込んで敢えて討たせる――俺の提案は恒元に受け入れられ、会長の基本方針が決まった。


 しかしながら、才原局長はどうにも納得が行かない様子。会長室を出た後、吐き捨てるように漏らした。


「見通しが甘い。甘すぎる……」


「まあ、そう言うなよ。中川会の力を西へ拡げる第一歩だ。得るものは大きいと思うぜ」


「愚か者。その代償に我らが被る被害の大きさを考えろ」


 会長室に居る時よりも、覆面から覗く才原の眼光が一段と鋭くなっていた。彼は深いため息を吐くと、淡々とした口調で話し始める。


「……九州ヤクザは桁違いだ。頭に血が上ったら最後、相手の息の根を止めるまで決して戦いを止めない。我らの方が兵力で勝るとはいえ、楽に戦える相手では無いぞ」


「だったら、玄道会が出て来ないように策を打てば良い。前にも話したと思うが、俺は一時期博多で奴らと揉めたことがあってよ。連中の手の内は大体分かる」


 四国への派兵ができないよう玄道会を攪乱する戦略を二通りほど明かしたのだが……それでも才原は不満げだった。


「思い上がるな。策が見立ての通に進むとは限らないのだぞ」


「やってみなけりゃ分からないだろ。玄道会にだって肥前派と薩摩派の二大派閥が存在するんだ。付け込む余地はいくらでもある」


「先刻は『手の内を知っている』などと言ったが、かつてお前は玄道会を恐れて海外へ逃げ出したのではなかったか?」


「あれは無関係の人間まで巻き込みそうになったからだ……っていうか、今は関係ねぇだろ。過去の話は」


 俺はそこで一旦言葉を切り、苦笑しながら続けた。


「とにかく。こっちから粛清できない以上、眞行路を排除するには奴に戦争で殺されてもらうしかない。シマを西へ拡げる目的も加えりゃ、四国がいちばん妥当なんだよ」


 関西の煌王会も四国を狙っているとの噂がある。モタモタしていれば先に獲られてしまう。全国制覇と組織の統制力強化、会長の2つの宿願を同時に進めるにはやはりこのタイミングで対外戦争を仕掛けるしかないと俺は考えていた。


 一方の才原はそうではない。彼は極めて慎重派だ。「直近は選挙も無いだろうに」と俺が指摘すると、大きく首を振ってみせたのだった。


「時機がどうこうの話ではない。戦争をすれば必ず犠牲が出る。会長もお前も、その辺を安く見積もり過ぎなのだ。たかが直参組長一人の粛清のために……」


「おいおい。“たかが”って言い方はどうかと思うぜ。御七卿の一角である眞行路を消せりゃあ会長の権力は増大する。これを機に他の奴らへの締め付けを強められるかもしれない。シマを広げることも三代目の本懐みてぇなもんだ」


「俺は賛同できない。まあ、そう言ったところで結局は会長がお決めになること。忠臣として淡々と従い続けるしかないのだがな」


 軽い舌打ちが聞こえた。前任者の平野と違い、才原は積極的に意見具申をする印象がある。現代を生きる忍者シノビということで影に徹するかと思いきや、意外と自己主張が強い。ひたすら控え目だった平野とはまったく真逆だ。


「局長。あんたって見た目に反して平和主義者だよな」


「見た目に反してとは心外だ。忍びとは元来、戦で失われる命を最小限に食い止めるべく生まれたもの。力と力のぶつかり合いを極力避けるためにこそ、我ら才原一族は諜報や暗殺に励んできたのだ。それの何が悪い」


「いや、別に悪いとは言ってねぇよ。ただ、極道ってのはドンパチが生業みてぇなもんだ。あんたが忍者の末裔なのは分かるが……」


「ヤクザである前に忍びだ。会長は忍びとして俺を召し抱えた。ならば、忍びとして果たすべきを果たすまで」


 少し空気がピリピリとしてきた。そんな俺たちの間に割って入るように、一人の男が慌てて走ってくる。次長助勤にして俺の“弟分”を気取る、原田はらだ亮助りょうすけだ。


「局長~! 兄貴ィ~! ここにいらっしゃいましたか!」


 野球における滑り込みのごとき勢いで到着した原田。ひどく息を切らしていた。


「おい。次長と呼べといつも言ってるだろ」


「すんません!」


「で? どうした? そんなに血相を変えて」


「い、今しがた、こんなものが!」


 原田は俺に一枚の紙を差し出した。それは上等な和紙であり、美しい筆文字で何やら文言が書き連ねてある。字面を見るなり、妙な予感が胸をよぎった。


「……おいおい。マジかよ」


 こういう場面に限って勘が当たるからタチが悪い。件の紙切れの主題は『訣別表明』。思わず目を疑ってしまうような一文が結末にあった。


【本日、平成16年11月2日をもって眞行路一家は中川会を離脱致します】


 それを見るなり、才原も声を漏らした。


「銀座の猛獣め。ついに一線を越えたか」


 俺としては「やりやがったな」というのが率直な感想だった。浅草危機以来、赤坂へまったく姿を表さなくなったと思ったら、まさか離反という挙に出てくるとは。完全に予想外である。


「……あの野郎、何を考えてやがる」


「こんな無礼な書状を送り付けてまで、離反を大々的に表明したのだ。もはや中川会など目ではないと思い至ったということだろう。奴は遠からず牙を剥いてくるはずだ」


 才原の言葉に、俺は頭を搔いて苦笑するしかなかった。 何にしてもタイミングが良すぎる。奴を潰さんとするこちらの計画を察知したかのようではないか。


「気持ちわりぃな。まさか銀座に筒抜けだってことはねぇよな?」


「ただの偶然だ。そんなことより、今は先ず会長にお伝えせねば。これから荒れるぞ」


 紙切れを手に会長室へと戻ってゆく才原局長。彼の言葉が示す通り、不意に届けられた訣別表明は、組織に地滑りのごとく激震をもたらすこととなった。


「眞行路め。まさか離反を選ぶとは……」


 中川恒元は驚愕で呆気に取られながらも翌3日に臨時の理事会を招集。眞行路の今後の扱いについて、幹部たちと協議を行った。


 しかしながら、何かしら処罰が決したわけではなはい。眞行路の背後に付いている後ろ盾の存在を懸念し、恒元が厳正な判断を躊躇ったのである。無論、理事会では異論が噴出した。


「お咎め無しやなんておかしいですわ! あのボケは組織を割って出たんでっせ? 命をもって償わせるんが筋やと違いまっか!?」


 関西弁でまくし立てる本庄の姿が印象的だった。つい先日まで眞行路と結託していたくせにどの口が言うのかと思ったが、字面だけを拾えば至極真っ当な意見だと思う。


「しかしな、本庄。与党の政治家たちは皆、眞行路に飼い慣らされてしまっている。抗争となれば中川会こちらの分が悪いのだ」


「抗争にならんまでも、せめて組織としての形を見せんと! 中川の代紋は未来永劫、舐められますで!」


 本庄が唾を飛ばして喚き散らすと、他の幹部たちも同調し始めた。特に長きに渡って眞行路に苦しめられてきた門谷理事長補佐は、いつにも増して険しい表情でこう言い放った。


「無礼を承知で申しますがね、会長。あなたは不甲斐ない。政治家を敵に回せば厄介なのは分かりますが、どうしてそこまで弱気になられる? 赤札の一枚くらい、書いても何ら差し支えは無いはずでしょう」


 すると、恒元は机を激しく叩いて怒鳴る。


「分かり切ったことを言うな! 我輩だってそれくらいは考えている!!」


 議場が会長の一喝で、しんと静まった。


「……」


 組織からの離反は渡世において大罪。盃を割った者に対しては、破門もしくは絶縁といった厳罰を下すのが常識。しかしながら、俺はここで厳しい処分に踏み切れない恒元の立場も大いに理解できる。


 政権与党に属する政治家を敵にまわすとは、それすなわち政府を敵にまわすということ。いくら豊富な武力と財力を蓄えようが、所詮ヤクザは国家に勝てないのである。


「現状でこそ政府は我らに友好的だ。けれども賄賂で繋がった関係などは向こうの機嫌ひとつで簡単に覆るということを忘れてはならない」


 どうにか皆を諭さんとする恒元だったが、ここで本庄が再び口を開く。


「そないなことは百も承知。せやかて、何もせぇへんかったら格好がつきまへんで。わしらは極道や。舐められたらしまい、っちゅうんは分かってますやろ。会長」


「……ああ。だが、今の眞行路に対して赤札を出せば、奴がどんな手を使ってくるか分からない。銀座で手懐けた政治家を介して警察当局を動かしてくるかもしれん」


警察サツが怖くて極道が務まりますかいな。ビビってんと、腹を決めてくださいや。たとえお上を敵に回すことになったとしても、ここはきっちり筋を通すべきです」


「お前は我輩に中川会を潰せというのか。目先の感情にとらわれた判断は禁物だ」


「目先の感情って何や!? 裏切り者を許さへんのはヤクザとして当然やないですか!」


 それからも一貫して断固たる対応を求め続けた本庄らの訴えも虚しく、恒元は首を縦に振らず。結局、この日の理事会は「暫く様子を見よう」との結論でお開きになった。


「ったく。何ちゅう体たらくや。クソが」


「そう怒るなよ、兄弟。会長も会長なりに組織のことを考えてくださってるんだから」


「ああ!? 組割るの許しといて、組織も景色もあらへんやろがい!」


 あからさまな悪態をつき、本庄は去っていった。その後ろを慌てて追いかけるのは同じく理事の桜井さくらい克衛かつもり。桜井の方は少しばかり理解を示しているが、内心はどうか分からない。今回の決定に不満を持つ者は他にも多いと見た。


「会長。眞行路は形だけでも破門に処すべきです。大々的に離反を表明した者に対して何もしないようでは、組織の威信に傷がつきます」


 終了後も恒元に食い下がった門谷。なおも執拗に詰め寄ろうとしたが、篁理事長から「そこまでにしておけ」と窘められ、あからさまな嘆息と共に議場を後にしていった。


「まったく。あいつらは大局でモノを考えるということを知らんのか。何のために、我輩が今まで眞行路に直接手をかけずにきたと思っているのだ……」


 そう呟くと、恒元は疲れたように背もたれに身体を預けた。理事会から戻った彼の表情からは深い疲労の色が見て取れた。無理もないだろうと思う。組織のトップに立つ者は常に孤独だ。その重圧たるや並大抵ではないはずであり、それは若年の俺でも容易に想像がつく。


 さて、ここでなんて声をかければ良いやら――と思案していると、先に篁が恒元へ声をかけた。


「お疲れさまでございました。会長。しっかし、本庄のあの振る舞いは見過ごせませんな。会長に対して何たる態度。奴も所詮は眞行路と同じ穴の狢ということですねぇ」


「篁。先ほどの理事会ではあまり口を開かなかったが、お前自身はどう思っているのだ? 組織の体面と実益、どちらを優先すべきと考える?」


「いやいや。私めの意見などは……」


「そうか。お前ごときに聞いた我輩が馬鹿だった」


 恭しくにじり寄る理事長だったが、ぴしゃりと叱責された。


「もう良い。篁。下がりたまえ」


 組織のナンバー2であり名実ともに“忠臣”を自任しているものの、篁も篁で極道の立場でしか物事を見ていない。どうせ彼の忠誠心などは表面上に過ぎず、本当は本庄らと同じく不満を溜め込んでいるのだろう。先刻の門谷の抗弁の際、軽く頷いていたのが何よりの証左だ。


 会長が離反者に対して明確なアクションを起こさなかったとなれば、中川会は文字通り「舐められる」ことになる。各直参組織のシノギに影響が出るのは当然のことで、下手をすれば関西の煌王会に付け入るチャンスを与えてしまう。幹部たちの言い分も理解できなくも無かった。


 だが、迂闊に眞行路を切ればどんな報復が起こるか分かったものではない。あの猛獣野郎と政治家との繋がりを考えれば、彼の処分は慎重に決するのが妥当であろう。


「し、失礼いたしました!」


 すごすごと引き下がる篁の背中が見えなくなった後、恒元は舌打ちをした。やはり幹部たちは会長の味方にあらず。組織の長として、名を捨てて実を取らねばならない恒元の立場は非常に苦しかった。


「ふう……どうすれば良いものか……」


 窓の外へ視線を移し、恒元は葉巻に火を点けた。


「……眞行路のほくそ笑む顔が浮かぶようだ。こうまで我輩を追いつめてくれるとはな。忌々しい男だ」


 苛立たしげに紫煙を吐き出しては、苦虫を嚙み潰したような顔で呟いた会長。洋モクを握り締める彼の手に、ぎゅっと力が込められているのが分かる。


「眞行路高虎……この借りは数倍にして返してやる……決して許さん!」


 こちらの動きを読んでいたのか、否か。銀座の猛獣にはまんまとしてやられた。恒元を精神的に追いつめるという点において、政治家の後ろ盾を得た上での組織からの離脱は恐ろしいほどに効果覿面だったのだ。


 俺自身、予想だにしなかった出来事だ。言い訳をするわけではないが、眞行路は今後も組織の中に居続けるものだと俺は思っていた。クーデターや反乱等で恒元に牙を剥くことはあっても、あくまで眞行路は中川の代紋を担ぎ続けるであろうと考えていた。それがまさか、敵対的な離反とは――。


 何にせよ、これで眞行路高虎への対処方針は考え直す必要が出てきた。割って出た以上、奴が組織の命令に服する道理は消えた。従って、あの猛獣を四国へぶつける策は使えなくなった。


 早急に考えるべきは今後のこと。これからは如何に動くのが肝要か。全力で頭を回転させる俺。


「……涼平。君はどう思う?」


 ちょうど意見を求められたので、ひとまず無難な提案をしてみる。


「銀座へ使いを送られてはいかがでしょう。眞行路高虎を組織へ連れ戻す、説得の使者です」


「説得の使者だと?」


「はい。説得と言っても、形ばかりの行為です。一時しのぎではありますが、そうすれば対外的に『何もしてない』ってことにはならないかと」


 眞行路高虎に離反を撤回させるための使者を銀座へ送り、説得を試みるのだ。それは本当に高虎を中川会に戻すべくして行うのではなく、高虎を組織から追放できるよう政治家に根回しする時間を稼ぐための偽装工作、謂わば囮作戦ブラフといえる。


「……なるほど。悪くない案だな」


「眞行路への“説得”はゆっくりと、粘り強く、何度も繰り返し行うのが得策でしょう。時間をかけるだけかけた方が、良いに決まってますからね」


「しかし、政治家たちは既に眞行路とズブズブだろう? 彼らへの根回しが上手くいくかは分からんぞ?」


「それでも、やらないよりはマシです」


 このまま何もせずにいれば中川会三代目会長、中川恒元の権威は地に堕ちる。組織を割って出た裏切り者を野放しにしておいて、名誉になるはずが無いからだ。幹部たちも黙っていまい。


 最善の道は、この機をもって眞行路高虎を絶縁に処してしまうこと。将来的な不安要素を絶つためにも、それがいちばん望ましい。眞行路と昵懇の仲であろう政治家たちを説き伏せられるかは分からないが、やるしかない。


「……確かにな。幸いにも眞行路の離反の件は未だ世間に広まっていないが、遅かれ早かれ広まってしまう。今回は我輩の未来を占う分水嶺といったところか」


「ええ。銀座への“説得”の使者は、俺にやらせてください。地雷原へ自ら足を踏み入れるような危険な役目ですからね。下の連中には押し付けられません」


「そうか……分かった。頼んだぞ。涼平」


「はい。お任せを。必ずや時間を稼いできます」


 出立しようとする俺を抱き寄せ、恒元は接吻を押し当ててきた。


「ん……んんっ……」


 舌まで絡めてくる濃厚なキス。会長は俺の肩をグッと力強く掴んでおり、本音では行かせたくないという思いが伝わってきた。


 何度も書くが、俺に男色の趣味は無い。お互いの唾液が混ざり合う感覚は、毎度のこと不愉快極まりないものだった。されど、これもまた俺の運命。抵抗したりはしない。


「……はあ」


 やがて唇を離した後、彼は名残惜しそうに呟いた。


「必ず無事に帰ってこい」


「……はい」


 そうして俺は銀座へ向かうべく、支度を整えて総本部を出る。


 弾丸を補充したグロック17を腰に差し、短刀ドスも忍ばせて行く。まるでこれからカチコミにでも赴くような携行品だったが、今回の任務は“説得”と言いつつ何が起こるか分からないので備えは固めておくが肝要。


 また、前回の反省を踏まえて、目的地まではタクシーではなく組織の車を使う。助勤の酒井に運転を任せた。


「次長。着きました。銀座の中でも、ここは比較的人目に付きにくい路地かと思います」


「サンキュー、酒井。お前も頭が回るようになってきたじゃないか。大したもんだ」


 指示を出す前から地図を見て自分なりに判断して車を停めた後輩を褒めつつ、俺は大きく息を吐いた。車を降りた瞬間から、一瞬の気の緩みも許されないのだから。


「良いか? 眞行路一家の人間が張ってるかもしれねぇから、首都高を使わずに帰れ。ここまで来た道もだいぶ遠回りだったが、念には念を入れてだ」


「分かりました。どこを通って行けば良いので?」


「ええっと、ここは銀座七丁目だ。そこの路地を左に曲がってコリドー通りに入れば、国道246号線に繋がってる。そっから赤坂に戻れるはずだ」


「あの、もしも途中で工事とかやってて、道路が通行止めになってたりしたら……?」


「そん時はアレだ。臨機応変ってやつだよ。とりあえず、この地図を渡しておくから。状況を見て、自分の頭で判断して動け。じゃあな」


「は、はい」


 まったく。前言撤回だ。この世界で一人前となるには、酒井はもう少し修行が必要なようである。手のかかる後輩を育ててやるためにも、今回は何としても生きて帰らなくては。


「じゃあ、俺は行くからな。お前も気を付けて帰れよ」


「はい! ご武運を!」


 俺は部下を帰し、単身で眞行路一家の本拠地ヘと向かう。車を降りた路地裏から歩いて交詢社通りへ出て、そのまま東へまっすぐ進む。


「……行くか」


 目的地は通りの突き当たりにある一件の邸宅だ。ヤクザの事務所、それも親分の住居も兼ねた本部施設が大きな交差点に面した土地に立っているのは極めて珍しい。おそらく日本中を探しても銀座七丁目ここくらいではないか。


 まるで「外敵も警察も恐れない」と豪語するかのように、その屋敷は威風堂々とそびえ立っていた。見たところ500坪はあるかと思しき広大な敷地をぐるりと囲む漆喰の塀は、さながら戦国時代の城塞である。


 門戸には『眞行路』と書かれた表札が掲げられている。間違いない。ここが“銀座の猛獣”、眞行路高虎の本拠地なのだ。


「ったく。悪趣味な造りをしてやがるぜ」


 高層ビルの立ち並ぶ繁華街の一角へ強引に割り込むがごとく建てられた日本家屋。その異質な雰囲気を前に、ついつい感想がこぼれてしまった俺。ひとまず交差点を渡って全体を見渡せる向かい側へと異動し、策を練ることに決めた。


 さて、これからどうするか――。


 門前には2人の若い男が守衛として立っている。「中川恒元の使いで来た」と言って簡単に通してくれるほど、彼らとて愚かではないだろう。十中八九、乱闘になるはず。きっと屋敷内も守りを固めていよう。不本意だが、ここは強行突破をはかるが妥当か……?


 そんな中、俺は背後から接近してくる気配に気づいた。


「お前。ここで何をしてやがんだ?」


 思考を中断して声の聞こえてきた方を見やると、そこに立っていたのは10代くらいの少年。派手な背広を身に纏っており、いかにも筋者と分かる風貌だ。これはいけない。シマを警戒中の組員に見つかったか。


「いや。別に。街を眺めていただけさ」


「眺めていた? 明らかにあの門の方をジロジロ見ていただろうが」


「見てたぜ。まさに銀座って感じの、立派な屋敷だなと思ったからよ。それの何がいけねぇってんだ」


「おい。テメェ、どこのモンだ? カタギのおのぼりさんってわけじゃなさそうだな?」


「さあな。答える義務はねぇ。どっちみち、所属を素直に明かした所であんたらがあの中へ通してくれるとも思えん」


「貴様! さては鉄砲玉か!?」


 次の瞬間、男が刺突を放ってきた。何の前触れもない先制攻撃に面食らったものの、俺は難なく背後へと退いて避け、繰り出される連撃を次々と躱してゆく。


「へへっ、いきなり抜くとはご挨拶なもんだな。ここは銀座のお膝元。喧嘩してるとこを誰に見られようが関係ねぇってか」


「黙れ! どこの組の者かって聞いてんだ!」


「まあ、落ち着けよ。俺は会長の使いで来た……」


「俺の質問に答えろ!!」


 今度は右の薙ぎ払いが飛んできたので、俺は素早く身を反らして避けた。すると、男は刀身を逆手に持ち替えて勢いよく振り下ろしてくる。


 ――シュッ。


 なかなか見事なドス捌きだ。されど、元傭兵の敵ではない。


「ふうっ」


 俺は左へ側転して刃を回避する。この咄嗟の回避は意外だったようで、男は軽く苛立っていた。


「ちょこまかと動き回りやがって!」


 即座に次の攻撃が飛んでくる。これは話し合いの余地が無さそうだ。俺は間合いを詰め、短刀を抜いて男の頬を軽めに薙ぐ。


 ――ザクッ。


「ううっ!?」


 予期せぬ形での反撃に自然と身体が怯んだのか、男は後退して距離を取る。そして、俺の斬撃で流血した頬を手で拭いつつ、鋭く睨みつけてきた。


「この野郎……!」


「おうよ。悪いが、そちらさんとは質が違うんだ。これ以上やっても傷つくだけだぜ」


 そうして挑発して相手が感情的に突進をかけてきたところで殺さぬ程度に返り討ちにする、それが俺の見立てだったのだが――対する、男の反応は意外なものだった。


「そうかよ。テメェは拳法使いってわけだな。まあ、俺も武術を嗜んでる身なんでね。そっちがどういう流派かは知らねぇが、たまには他流試合も悪くなさそうだ」


 何を思ったか、彼は右手に携えていた短刀を鞘に納めた。直後、見覚えのある構えを取り始める。


「……その構え、合気あいきか」


「ご名答。大江おおえ金剛こんごうりゅう合気あいき柔術じゅうじゅつ。俺はその黒帯を持ってる」


 南アフリカで聞いたことがある。大江金剛流は敵の攻撃を巧みに受け流して反撃に転ずることを旨とする日本古来の合気柔術。鞍馬菊水流と同じく京八流のひとつと言われ、こちらは源平合戦の頃から伝承が始まり、やがて武道として競技化された「柔道」や「合気道」の原型になったともいわれている。


 まさかここで京八流の使い手とお目にかかれるとは。鞍馬菊水流の伝承者の俺としては、実に心躍る気分だ。血が騒がぬわけがない。


「おい、何を黙ってる。まさかビビッたのか? 回れ右するなら今のうちだぜ?」


「いやいや。悪いな。つい、嬉しくなっちまってよ」


「ああ?」


 左脚を後ろへと一歩引いて構えを取ると、俺は男に言い放った。


「嬉しいんだよ。日本こっちに帰って来て、初めて同類に会えたもんだからなぁ!!!」


 次の瞬間、自然と身体が動き出していた。


 地を蹴って前へ飛び出し、俺は男の間合いを一気に侵略する。奇襲同然の爆速での突進にもかかわらず、敵は全く動じない。


 ――シュッ。


 挨拶代わりに短刀での突きを放つ俺。すると、その直後。自分の体がふわりと宙に浮くのが分かった。


「はあっ!!」


 男はこちらの刺突を完全に見切り、流れる動作で腕を掴んでそのまま後方へ放り投げたのだ。


いいぞ。これだよ、これ。これとやりたかった。相手が強くなければ、戦う意味が無い――。


 投げられた上空で、俺は即座に体勢を整える。


「ほらよっと」


「な、何っ!?」


 両足を揃えて綺麗に着地して見せた。常人なら先ず不可能であろう芸当に、男は驚きを隠せない様子である。


「き、切り返されただと……!? この俺の技が……!?」


「おっ、久々って顔してるな。俺もあんたが久しぶりだぜ。自分てめぇの技を見切った相手は」


「貴様! さっきのの構え、まさか京八流か!?」


「鞍馬菊水流だ。案外、知られてるもんだなあ。一子相伝の秘術なのによ」


「馬鹿な。鞍馬は江戸時代に伝承が絶えたはずじゃ……?」


「ところがどっこい。現代までひっそり続いてたってわけさ。よう、今度は甘くねぇぜ!!」


 言い終えると同時に再び駆け出す。今度は顔面を横一文字に切り裂きに行く。対して男は後退してこちらの攻撃を躱す……かと思いきや、なんと俺の両手を自らのそれでがっちりと掴んでいるではないか。


「踏み込みの速さは見事。それでも、俺に見切れねぇ速さじゃねぇんだよ!」


「なら、こいつはどうだ!」


 俺は掴まれた腕を力任せに振り解くと同時に、相手の懐へ素早く潜り込む。そして鳩尾に膝蹴りを叩き込んだ。


「ぐはっ!?」


 堪らず呻き声を上げる男。口からは鮮血を吐き出している。だが、その目は死んでいない。まだ勝負を諦めていないようだ。


「なかなかタフな野郎だな……ん?」


 その時、俺は両手首に鈍痛が走るのを覚えた。この痛みは修行期間中にも味わっている。関節が外れた、謂わば脱臼の痛みである。思わず短刀を落としてしまった。


「……こいつはたまげたぜ。まさか、さっき手首を掴んだ瞬間に関節を外すなんてよ。流石、柔道の原型になっただけのことはある」


「それなら得物は使えねぇだろ。この勝負、俺の勝ちだ」


「おっと、そいつはどうかな。肩を見てみろよ」


「ああ? 何だ?」


 男が怪訝な顔で左肩に手を添わせると、奴はそこが先決でべったり濡れているのに気づいた。そう。俺は先刻の僅かな瞬間に手首の回転を生かして刃を振るい、相手の肉を切り刻んでいたのだ。


「てめぇ……やりやがったな……」


「慢心するなよ。技の引き出しも挙動の速さも、こっちが上だ」


 俺は軽く笑った。その直後、腕を思いっきり振って両手首の関節を元に戻す。


 ――ゴキッ。


 刹那的な激痛を伴ったが、これで再び腕は動かせるようになった。この程度の負傷くらいは自分で治療できる。鞍馬菊水流伝承者を舐めてもらっては困る。


「さてと」


 俺は改めて男に向き直った。奴は物凄い形相でこちらを睨んでいる。


「大江金剛流と言ってたが、大したことねぇな。専守防衛の合気柔術じゃ殺しの術には勝てねぇってことだ」


「抜かせ。どうやらてめぇには本気を出さなきゃならんようだな」


「ほう?」


 すると、男は腰を少し低くして両腕を構えた。あれは修業時代、他流派にまつわる知識として師匠に聞いたことがある。


「……蟷螂とうろうかたか」


 俺が苦笑すると、殺気のこもった男の声が聞こえてきた。


「カマキリは狩りをするのに羽を広げない。地に足を着け、獲物が間近に迫った時、初めてその鎌を振るう。俺の間合いに入った瞬間、てめぇは死ぬぞ」


「どんな方向からの攻撃もいなせるってか。ヘヘッ、良いぜ。こりゃあ歯ごたえのある喧嘩ができそうだ」


 面白くなってきた。先ほど治したばかりの脱臼の痛みは残っていない。俺も久々に本気を出してやるか。


「……」


 互いに無言で睨み合う俺たち。


 魂と魂がぶつかり合い、周囲の空気がビリビリと震え始めた。先ほどの発砲のせいか、辺りには通行人の野次馬たちが集まってきたが、そんなことは気にならない。ただ、俺たちは俺たちだけの戦いの空間に居続けるのみ。


 気付けば周囲には有象無象の野次馬が集まり、喧嘩と言うよりも殺し合いに近い俺たちの様子を見物し始めた。


 ここまでの騒ぎになるとは想定外。“説得”という今回の主旨を考えれば、逸脱も良い所であろう。しかし、体の衝動を抑えることができない。


 結局のところ、俺は喧嘩が好き。無類の戦闘狂なのだ。


「……行くぜ」


 頃合いを見計らい、俺が男へ四度目の奇襲を仕掛けようとした、ちょうどその時。


「そこまでだ!!」


 野太い声が辺りに響き渡る。人混みを掻き分けるようにして現れたのは、上品なスーツ姿の若い男性だった。


「カ、カシラ!」


「何の騒ぎかと思えば、これは一体どういうことだ? 古田ふるた?」


「いや、これは、その……」


「人目に付く場所で喧嘩をするなって、いつも言っているだろう。何をやっているんだ。カタギの皆さん方を巻き込んだらどうすんだよ!」


「それは……はい。すみませんでした」


「後できっちりお仕置きしてやるからな。覚悟しておけよ」


 突如として姿を見せた背広の男は“カシラ”と呼ばれた。ということはつまり、眞行路一家の若頭か? 古田なるチンピラをぴしゃりと叱責し、今度は俺に向き直る。


「うちの下っ端が迷惑かけて失礼した。あんた、赤坂の総本部の者だな? 確か、名前はアサギっていう」


「……執事局次長の麻木涼平だ。どうして知ってんだよ」


「前に親父の代理で赤坂に行った時、あんたを見た。庭でぴょんぴょん跳ねてたよな。思わず見惚れちまったぜ」


 何度か総本部の庭で技の鍛錬を行ったことがあるが、どうやらその模様を見られてしまっていたらしい。とんだ不覚だ。気恥ずかしさが腹の底からこみ上げてくる。


「あー。そいつはどうも」


 誤魔化すように、俺はすぐさま話題を変えた。


「で? 俺の正体に気づいたなら、俺が来た理由についても察しがついたはずだぜ? 若頭さんよ?」


「ああ。さっそく本題に入りてぇところだが、せっかくのお客人に外で立ち話させるのも無粋だ。我らが屋敷の中にお招きしようじゃないか」


 問いへの答えを緩やかにはぐらかし、邸宅の方を指差した男。一方、俺は鼻で笑いながら言葉を返す。


「その“お客人”に対しての出迎えが、若衆に合気柔術で襲わせることか。眞行路一家は随分と手の込んだ応接をするんだな」


「ははっ。俺の名は眞行路しんぎょうじ輝虎てるとら。ご存じ眞行路一家の若頭で、跡目だ」


「……まあ、良いや。で? 名前から察するに、あんたは総長の息子ってところか?」


「いかにも」


 高虎たかとらの嫡男で輝虎てるとらとは。眞行路家には代々、生まれた男児に“虎”の名を付ける通字の慣習でもあるのだろうか。


 ともかく、俺はひとまず握手に応じてやった。


「輝虎さん……と呼べば良いのか。親父と違って、あんたは賢そうだ」


「お褒め頂き光栄だ。麻木次長。よく言われるよ」


 整髪料でゆるやかに固めたオールバックの黒髪に、細い眉と切れ目。スラリとした背丈が凛々しい長身の美丈夫――それこそが目の前の眞行路輝虎という人物に抱いた俺の第一印象だった。三つ揃いのスーツの着こなしも様になっている。


 ヤクザというよりは、やり手の実業家といった風体だ。話す言葉の節々からも知性が感じられる。


「本家には親父がけっこう世話になってるみてぇだな。いや、今は『世話になった』って言い方の方が正確か。組織を抜けちまったんだからな。あははっ」


「眞行路には随分とコケにされたもんだ。浅草の件では尻を拭いてやったってのに。あの書状は一体どういうつもりだ?」


「ああ、それについては……中でゆっくり話し合おうじゃねぇか。なあ」


 俺は憮然と輝虎を睨みつけた。彼は嫌らしく嗤い「場所を変えようぜ」と続けてきた。どうやら屋敷の中へ通してくれるらしい。


「んじゃ、ずは総長にご挨拶といこうか。聞きてぇことが山ほどあるんでな」


「ああ。いいぜ。中で親父がお待ちかねだ」


 お待ちかね? だとすると、眞行路は本家からの使いが来ることを予期していたということか? 浅草で関根親分が語っていたように、銀座の猛獣は根っからの武闘派であるが阿呆ではない。用心深くて、抜け目がなくて、人並み以上に頭が回る。


 もしかして俺が総本部に訪れることを察知して、古田とかいう下っ端に襲わせた……? いや、いくら何でもそれは考えすぎか。単に屋敷前の見回りをしていただけだろう。


 何であれ、相手は銀座の猛獣。罠を仕掛けられている可能性を想定して、気を引き締めて臨まなくては。


「さあ、ついてきてくれ」


 手招きする輝虎に軽く頷いて、後に続いて歩き出す。


 眞行路邸の門扉をくぐり、敷地内へ足を踏み入れると、そこには立派な日本庭園が広がっていた。広大な敷地に池や築山が配置されており、松の木や紅葉などが立ち並ぶ様は実に壮観だ。


 庭園の中央には赤い橋が架かっており、そこを渡った先に屋敷があった。それがまた大きくて、立派なものだ。さながら地上3階建ての城塞であり、剥き出しのコンクリートの外壁が何とも云えぬ独特の威圧感を醸し出していた。


「おう、こっちだ。入んな」


 輝虎は鷹揚に言って、俺を振り返った。


「どうだ? でけぇ家だろ? 幹部陣の中でもここまで豪勢な屋敷を持ってるのはうちだけだぜ?」


「はいはい。大したもんだ」


 俺は彼の後に続いて門をくぐった。庭を抜けると玄関があり、そこで靴を脱いでいよいよ屋内へ通される。


 廊下を進みながら、俺は周囲を観察していた。眞行路邸は古き良き日本家屋といった印象を受けるが、随所に西洋の意匠も取り入れられているように思えた。例えば壁に掛けられた絵画や置物、廊下の欄干や窓枠など。


 全ては現総長、高虎の祖父の代からのコレクションだという。


「ここにあるのは全て鑑定書付きの本物だ。うちの二代目が明治政府から譲り受けたのさ」


 俺の視線に気づいた輝虎が説明を寄越してきた。眞行路一家は中川会より歴史の古い組織……ということを強調したいのか。卑しい他意を察したが、敢えて俺は聞き流した。


 今回の目的はあくまでも形式的な“説得”である。雑談を交わして眞行路サイドと仲を深める必要など、何処にも有りはしないのだ。


「親父! 執事局の麻木次長をお連れしました!」


 屋敷の最奥部らしき場所にある一室の前で、輝虎は声を上げる。程なくして「入りな」と聞こえてきた。間違いない。向こうに居るのは此度の元凶、眞行路高虎である。


 輝虎が襖を開けると、俺はゆっくりと和室の中へ入っていった。


「いずれ来るとは思っていたが、こうも早くのお出ましとはな。三代目も相当焦っていると見た」


 部屋の奥に佇む銀座の猛獣と向き合う俺。奴は大柄な体躯に、もじゃもじゃの髭面。まったく、いつ見ても凄まじい貫録だ。


「……眞行路高虎。俺が会長から遣わされた理由は分かってるな?」


 俺が問うと、眞行路総長は静かに頷いた。


「とりあえずそこに直れ。小僧。お前とは、一度腹を割って話してみてぇと思っていた」


 さてと。いよいよここからが本番である。敵地のド真ん中で、組織の未来を占う静かな戦いが今まさに始まろうとしていた。

眞行路邸に乗り込んだ涼平。突如として組織からの離反を決めた、銀座の猛獣の真意とは……!?

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