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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第10章 虎崩れの変
174/261

博徒と的屋と侵略計画

「……煌王会があんたらの仕業に見せかけて眞行路一家の幹部の娘を攫い、浅草に放置。それが今回のきっかけだ」


 呆気に取られた関口が慌てて問うてくる。


「ちょ、ちょっと待て! もしそいつが本当だとして、煌王会は何が目的なんだ!? 俺たちと眞行路一家を揉めさせて、何の得がある?」


「奴らの狙いはあんたらじゃない。眞行路一家、その上にある中川会だ」


「どういう意味だい?」


「今回の一件で中川会ははりむしろさ。『渡世のタブーを犯した』ってことで日本中の組織から非難囂々、会長の責任を問う声も集まってる。それを狙ってやがったんだよ」


 煌王会の狙いは眞行路一家に関東岸根組を潰させることではなく、その行為の責任を負わせて中川恒元の権威を貶めること――そんな推論を聞いた関口親分は絶句した。「下手をすりゃ会長は引退に追い込まれるかもしれない」と切り出し、俺は更なる仮説を付け加えてゆく。


「そんで、中川の屋台骨がグラついた隙に関東を攻めるのがあちらの意図さ。さしずめ事の絵図を描いたのは若頭のたちばな威吉いきちって野郎だろう。噂によりゃあ、やっこさんは煌王会七代目の椅子をぶんどるための実績づくりに御執心らしいからな」


 室内にざわめきが起こる。動揺する子分達と同じく、関口もまた困惑を隠せないようだったが、すぐに冷静さを取り戻す。流石は経験豊富な的屋の大親分。即座に状況整理を行ってみせた。


「つまりはこういうことか? 煌王は眞行路の身内を攫って俺たちの仕業だと思い込ませ、その報復かえしってことで、野郎に浅草を攻めさせて中川恒元の評判が悪くなるよう仕向けた?」


 流石は経験豊富な的屋の大親分。唐突にこのような話を聞かされても即座に状況整理を行ってみせる思考力は大したもの。


 俺は大きく頷いた。


「ああ。ここへ来る前、眞行路一家の者から聞き出した。奴らは『岸根組が身代金を要求してきた』とか言ってたぜ」


「おい! 俺たちはそんなことしてねぇぞ!」


「勿論だ。きっと、誘拐の実行犯たちがあんたらのふりをして電話を掛けたんだろう」


「くっ、それじゃあ俺たちはまんまと利用されたってのか……!?」


 関口は悔しげな表情で歯ぎしりした。組の名前を勝手に使われた上、幹部の娘とはいえ他所の女を攫った汚名まで着せられたのである。二重、三重の意味で誇りを傷つけられたも同然だ。


「……振り返ってみりゃ、予兆はあったんだ」


「予兆?」


「今月に入ってから、関西弁を話す筋者が浅草のあちらこちらで目につくようになっていた。そりゃあ、浅草で交渉事をやる組も多いだろうから、深く気にしてはいなかったんだが。今思えば、煌王会の下見だったのかもしれねぇ……」


「関西弁か。だとすると、そいつらは松下組だ。さっき言った煌王の橘若頭の組。都知事と繋がってるってあんたの話が本当なら、煌王は表と裏の両方で進めてることになる。中川会を潰す、関東進出計画をな」


 俺が思うに、都知事との癒着はおそらく行政を使って中川会に圧力をかけるのが目的。何かしら関東ヤクザにとって都合の悪い条例を知事に作らせ、こちらを兵糧攻めにしようとする魂胆だと見た。


「いくら賄賂で手懐けても、世間の風向き次第で警察サツは簡単に掌を返すからな。煌王の橘が最初に都知事へ接近したのも道理だ」


 話をひと通り聞き終えると、関口は顔をしかめて絶句した。それもそのはず、関東ヤクザに害をなさんとする煌王会の魔の手は『三社祭の規制案』という形で、浅草へも伸びているからだ。


 きっとそれは煌王の意向を受けた都知事が、それに応える形で唱え出したものだろう。煌王会の標的には中川会だけでなく岸根組も含まれている――その事実がことのほか老親分に衝撃を与えたようだった。


「ど、どうして俺たちまで狙われるんだ……!?」


「その辺はよく分からねぇが、きっと橘の方針だろうよ。関東を手に入れた暁には浅草まで煌王の傘下に収めるつもりかもな」


「馬鹿な! いくら橘威吉が野心家っつったって、浅草の立場は理解してるはずだぜ!?」


「ああ。うちの会長宛てに送られてきた手紙にもそんなことが書いてあったな。『浅草の絶対中立を侵す者は誹りを受けるべき』と。だが、残念ながらそいつは現時点での方便に過ぎない」


 件の書状は送り主が「煌王会六代目 長島勝久」となっていた。実権を奪った橘が主君の名前で書いたものと思われる。何故に橘は自らの名を使わなかったのか……?


 理由は至極単純。


 自分がこれから七代目を継いだ際に、浅草不可侵の方針を撤回するためだ。


「きっと橘はこう言うだろうぜ。『あれは先代の打ち出したことであって、自分は違う』とな。今の時点でここまでやってんだ。橘が浅草に遠慮をすることは無いだろう」


「そ、そんな馬鹿な……!?」


「まあ、ここまで話したことは全部俺の推論だがな。大方間違ってねぇと思うぜ」


 煌王会は浅草を含めた関東侵攻計画のために、今回の事を起こした――いくつか初耳の情報に戸惑ったりもしたが、我ながらに一本筋の通った話ができたと思う。関口親分も深々と聞き入ってくれた。


 浅ましくも「今がチャンス」とほくそ笑むわけではないが、俯瞰して考えてみれば狙い目である。意を決して、俺は関口にひとつの提案を投げかけた。


「関口さん。今回の件でうちの会長が失脚すれば、中川会は空中分解。その隙を突かれて煌王会にいいようにされちまう。この浅草だって、どうなるか分かったもんじゃねぇ。だから、ここは俺たちと手を取り合わねぇか?」


「……これを機に中川の傘下に入れってのかい」


「いいや。そうじゃねぇ。眞行路の件を水に流してくれるなら、中川会は関東岸根組のために戦ってやる。浅草がこれから先も中立地帯であり続けられるよう、関西から来る侵略者を追い払ってやると言ってるのさ」


 俺はまっすぐに関口の目を見つめて問うた。


「デカい危機が迫ってるんだ。博徒と的屋、稼業は違えど同じ関東の極道同士で火花を散らし合ってる時じゃねぇ。そうは思わないか?」


「……」


 直後に生じたのは、沈黙の間。衝撃、緊迫感、焦り。入り乱れる感情で糸のごとく張り詰めた静けさだけが場を支配した。


 それでも、関口親分は俺と同じことを思ったのだろう、目を閉じて静かに頷いていた。そして、一段落ついたところで「ふう……」と嘆息したかと思うと、目をカッと開いて尋ねる。


「兄ちゃん。お前さんの言うことは大いに筋が通ってる。けど、今回のケジメはどうすんだ? いくら他所に嵌められたとはいえ、眞行路はうちから死人を出してる。その落とし前をつけねぇことには先へ進めねぇと思うが?」


 関口が求める今回のケジメとは、すなわち眞行路高虎の首。彼の主張は相変わらず。


 現在、恒元が赤坂で行っている交渉がどうなっているかは分からない。ただ、その成果にかかわらず、ここで手打ちに繋げられるなら繋げておきたい。ここが踏ん張りどころだ。


 眼光鋭い関口の質問に、俺は首を静かに横に振った。


「いいや。煌王会の暗躍の可能性が出てきた以上、おいそれと処刑することはできねぇ。中川会にも眞行路の親としての立場があるんでな」


「ほう? だったら中川会は眞行路を庇うってのかい? 奴はあくまで煌王に乗せられた被害者、そう思ってるのか?」


「完全な被害者とは思ってねぇ。ただ、命をもって償わせるのはやり過ぎと俺は思う」


「捉えようによっちゃあ、煌王会ってデカい脅威をちらつかせて事をなあなあで終わらせたいだけにも見えるぞ」


「確かにな。現時点じゃあ煌王会が黒幕ってことを裏付ける物証が無いんだもんな。そこはどう捉えてもらっても構わない……だが、これだけは言えるぜ」


「何だ? 言ってみやがれ」


 語気を強めた関口に、俺は言葉を返した。


「このまま煌王会の風下に立つより、俺らと手を組んだ方が数百倍マシってことさ。少なくとも中川会は三社祭を廃止に追い込んだりはしねぇぞ」


 さて、この返事を受けた関口親分はどう出るか……と思った瞬間。それまで黙っていた背後の組員たちが一斉に騒ぎ始めた。


「てめぇ! 足元を見てやがるのか!?」


「この野郎、的屋を舐めるんじゃねぇ!」


「結局は眞行路を庇いたいって魂胆だろう!? 見え透いてんだよ!」


 すかさず関口が「黙ってろと言ったはずだぜ!」と怒鳴ったが、それでも子分たちは退かない。今度ばかりは鎮まる気配が無い。俺が辟易していると、若衆連中の代表格らしい中年の男が、こちらの胸ぐらを掴んで凄みを浴びせてきた。


「おい。若造。さっきから聞いてりゃあ、都合の良いことばっか抜かしやがって。何が煌王会だよ。ウジ虫野郎。博徒のインチキには騙されねぇぞ」


 負けじと言い返す俺。


「インチキかどうか、判断するのはあんたら次第だ。さっきのはあくまで推論の域を出ねぇんでな。だが、俺は曲がりなりにもおたくらの利益に適った提案をしてるつもりだぜ」


「ふんっ! 何が利益だ! てめぇら博徒はいつだって俺たちを下に見てきやがる!」


 鼻で笑って吐き捨てた後、その男は関口に言った。


「組長。もう我慢できねぇので言わせてもらいますがね、こいつに乗せられちゃあいけませんぜ!」


「おい。ちったあ落ち着かねぇか。つかもと。お客人と喋ってんのは俺だぜ」


「こんな条件で手打ちを結ぶなんざどうかしてます! そそもそも、昨日だって眞行路に弾丸タマァ撃ち込まれてんのに……」


「いい加減にしやがれ、青二才め! 俺が話を付けるからてめぇは引っ込んでろと言ってんだ!」


 関口が再び怒鳴ると、塚本と呼ばれた男は渋々俺から離れる。直後、組長は俺に対してこう尋ねた。


「兄ちゃん。二言はねぇか? 眞行路に罪は無いと、本当にそう思っているんだな?」


「ああ。俺はそう思っている。糾弾されるべきは煌王会だ」


「そうかい」


 こちらの返答を聞いて軽くフッと笑った関口。何を思ったか。次の瞬間、彼は座敷の奥に飾られていた白鞘の刀を抜き放っていた。


 ――シュッ。


 老親分が突きつけた日本刀が、俺に向けられる。その刃先はちょうど眉間の数ミリ手前まで近づき、ピタリと動きを止めた。


「兄ちゃん。舐めちゃいけないぜ。この関口功夫が、可愛い子分を殺されて仇討ちをせずにいられる軟弱ヤワな男だと思うかい?」


「……斬りたきゃ斬るが良いさ。俺は、あんたが賢い男だと思ってるよ」


「賢い?」


 俺は言った。


「あんた、本当は分かってるんだろ。目先の報復かえしにこだわって迫りくる脅威に手をこまねくか、それとも昨日の敵と友になって未来を切り拓くか。どっちを選ぶのが正解かをな」


「悪いが、損得の問題じゃねぇ! 俺は関東岸根組の当代として、庭場を血で汚した不届き者にはきっちりケジメ付けなきゃならねぇんだ!」


「そうかよ。だが、今度ばかりは損得で考えるのも悪くねぇと思う。あんたが一筆書いてくれりゃあ、後は中川会が全て引き受けてやる。岸根組の庭場とやらを全力で守る。煌王会の関東侵攻を阻んでやるよ」


「御託は結構! もうお前さんとまとめる話は無い! 帰ってくれ!」


 関口が刀の柄を握る力を緩めた。同時に、構えられた刃が妖しく光って見える。緊張感が背中を伝った。


 これはまずい状況だ――。


 そう思ったものの、ここで臆して逃げ出すようでは男が廃る。会長と高倉議員との交渉の結果に懸けるようでは駄目だ。粘り強く食らいつき、俺は俺で成果を持ち帰らねばならない。


 意を決して、憤る老親分と向かい合う。


「……帰るわけにはいかねぇ」


「今ここでお前さんを斬っても良いんだぜ。その首を赤坂に送り付けりゃ、恒元の野郎だって嫌でも分かるだろ。『眞行路の亡骸ムクロ以外の埋め合わせは無い』ってな」


「斬りたきゃ斬ってくれて構わないぜ。だが、最後に言っておきたいのはあんたら的屋を見下してなんかいないってことだ。俺も、会長も」


「この期に及んでまだ綺麗事を抜かすかい」


「綺麗事と笑われるのは百も承知。誰に何と言われようと、中川会は関東のために命を張る覚悟を持ってる。それだけは信じてくれや」


 俺がそう答えた途端、周囲の若衆たちが激昂した。


「この若造、何を言ってやがる!」


「だったらどうして会長が来ねえんだよ! 見下してるって何よりの証拠じゃねぇか!」


「舐めたことほざいてるとブチ殺すぞ、コラァ!」


 いきり立つ子分たちの中で、関口も語気を強める。


「……兄ちゃん。悪いけど、俺には博徒の戯言にしか聞こえねぇんだがなあ」


 ますます鋭い眼光を向け、刀を振り上げて気迫の圧を強めてにじり寄って来る関口。その顔にびっしりと刻まれた皺が、さらに恐ろしげな貫録を醸し出している。


 だが、俺は屈さなかった。


「そうか。なら、ひと思いに斬ってくれ」


 その言葉だけを返し、関口の方に視線を向けた。中川会からの使者である俺を斬ることによって生じる様々な問題について、きっとこの親分は全てを請け負う覚悟ができている。覚悟には覚悟で立ち向かうしかない。


 元より、こうなる展開は想定済みだ。あとは己の意思を張り通すのみ。


「……あんたらが矛を収めてくれりゃあ、中川会が全てを引き受けてやる。煌王会とも戦ってやるし、浅草の独立も守ってやる。悪い話じゃねぇと思うが?」


「うるせぇ! 若輩者ガキがいっぱしの口を利くもんじゃないぜッ!!」


 その瞬間、関口は刃を振り下ろした。


 空気を裂いて刃が眼前へと迫る。けれども俺は目を開いたまま。視線を一寸も逸らさない。昔気質の関口親分に、己の運命を委ねるように。


「……」


 関口親分の刃は、俺を斬ることは無かった。こちらの顔に当たるか、当たらないか、ギリギリのところで斬撃が止まったのだ。俺は静かに問う。


「……斬らねぇのか?」


 すると、意表を突く言葉が返ってきた。


「へへっ。俺の負けだぜ」


 その返答に若衆たちは一様に「組長!」と叫ぶ。依然として緊張が漂う中、関口は刀を鞘に納めた。


「ここでお前さんを斬っても報復にはならねぇ。眞行路以外の輩を殺した所で、そいつはただの殺人だ。博徒と違って、余計な殺しはしないのが神農のやり方なんでな」


 では、俺を試したということか。その辺は良いとして、関口はどうしたいのだろうか? 彼の出方を窺っていると、老練な的屋はゆっくりと語り始めた。


「分かってんだよ」


「……え?」


「中川会と戦争なんざしても、勝てねぇってことはな。うちは所詮、中立のお題目に守られてるだけの弱小組織だ」


「いや、そんなことは」


「だったら、その弱小組織をどう守っていくかが親分の役目ってやつさね。お前さんの覚悟はよく分かった。お前さんは嘘八百を並べ立ててるわけでもねぇ。ここは賭けてみようじゃねぇか」


「賭けるって、何をだ?」


「さっきお前さんが言ったこと、信じてみようと思う。んでもって、俺たちはどうすりゃ良いのかを教えてくれ。どうすれば今回の件を『水に流した』ってことになるのか」


 なんと、先ほどの提案を受けてくれるという。刀を突きつけられても動じなかった俺の姿から誠意を感じ取ったらしいが……あまりにも突然の申し出に呆気に取られてしまった。そんな俺に、関口は言う。


「理由はそれだけじゃねぇんだ。さっき、お前さんはここへ入ってくるときに自ら道具を手放したよな。殺されても文句は言えねぇバリバリの敵地だっていうのによ」


「確かに拳銃ハジキ短刀ドスは捨てたぜ。話し合いをするのに武器は必要ねぇからな」


「その勇気に免じてってわけでもねぇが。少なくとも、お前さんは他の博徒とは違うと思ったんだ」


「そ、そうなのか」


 あれはただ単に、ああしなければ若衆たちの殺気が収まらないだろうと思っただけのことで、特別な意図があったわけではない。思わぬ部分を称賛されたので少々むず痒い心地だが、結果オーライ。良しとしよう。


「んで、話を戻すが。兄ちゃん。さっき『一筆書いてくれれば』って言ったよな? 何を書けば良いんだ?」


「ああ。ただ、眞行路の野郎を許すと。そう書いてくれりゃあ全てが解決する。この局面を乗り切るためだ。頼む」


 俺が頭を下げると、若衆たちが口々に叫んだ。


「いけませんぜ、組長! こんな話に乗るなんざ!」


「そうです! 浅草を血で汚した奴らを許せば、神農の名に傷がつきます!」


「眞行路に殺された奴らが浮かばれませんよ!」


「俺たちは極道でしょう! 極道が取るべきケジメを取らねぇで、どうするんです!」


「こんな野郎の言うことなんざ、真に受けちゃ駄目ですよ!」


 中でも、塚本の勢いは尋常ではなかった。他の者たちを掻き分けるようにして身を乗り出すと、一際強い口調で叫んでいた。


「組長、普段から仰ってるじゃねぇですか! 『街を守るのが組の一番の仕事だ』って! なのに、その街を土足で荒らした連中を無条件で許しちまったらおかしいでしょう!! そんなんで街を守れてるって言えるんですかい!?」


 彼は博徒に……いや、中川会に対して強い憎悪を抱いているようだ。無理もないだろう。彼の愛する街が侵略を受け、大事な弟分たちが殺されたのは、全て中川会直参の眞行路一家の仕業なのだから。


 しかし、そんな塚本の訴えも虚しく関口親分は首を縦に振るばかりだ。


「いや、兄ちゃんの言う通りだ。ここはつまらん体面メンツにこだわってる時じゃねぇ」


「組長ッ!!」


 憤る若衆たちに関口は毅然と言い放つ。


「ケジメだの、落とし前だの、そんなものは俺たち極道の勝手な論理。抗争で傷つくのは、いつもカタギの皆さん方だ。庭場に来るお客を泣かせちゃ、神農としての名が廃るってもんだろ」


「そ、それは……」


「お前ら。承服しろや。『街を守る』ためにこそ、敢えて憎き仇敵を許してやると言ってんだよ」


 親分の言葉に、塚本をはじめと一同は黙り込んだ。彼らの反論が聞こえて来なくなったのを確認すると、関口は俺に視線を戻した。


「兄ちゃん。さっきの煌王会云々の話は真実だな? 俺が眞行路を許すと言えば、中川会はその脅威から浅草を守ってくれるんだな?」


「ああ。約束する。会長はそのおつもりだ」


「本当だな?」


「この場で二言は無いさ」


「そうかい」


 刀を奥の腰板に立てかけ、関口親分はふうと息を吐いた。そして、ゆっくりと立ち上がりながら言う。


「よし……決めたぜ」


「組長!」


 塚本が声を上げるが、構わず彼は続けた。


「この勇気ある兄ちゃんの顔を立てて、関東岸根組は眞行路の野郎を許す! 中川会とは本日をもって手打ちとする!」


 若衆たちは一斉にどよめいたが、その中で俺は小さく微笑んだ。どうやら交渉は上手くいったと見て間違いない。関口の表情は決意の色で染まっており、ここで翻意したりはしなさそうだ。


 やがて、彼は俺の前に座り直して頭を垂れた。


「兄ちゃん。さっきは試すような真似をして悪かったな。言葉の真偽をはかるためとはいえ、脅かしてすまなかった。この通り」


「頭を上げてくれ。関口さん。俺はあんたが決断してくれただけで嬉しいよ。心から礼を言わせて貰いたい。ありがとう」


「よせやい。俺はただ、この街を守りてぇだけなんだ」


 街を守る――思えば、横浜の横浜茂夫も似たようなことを言っていたものだ。


 時は平成、極道が律儀にシマの守りだけをしていれば良かった時代は既に過ぎている。魑魅魍魎の跋扈する裏社会に在っては、関口のような考えはいささか甘いのかもしれない。


 だが、彼のような存在が1人くらいは居ても良いはずだ。俺は心からそう思った。


「さてと……じゃあ、さっそく回状を書かせてもらおうか。ちょっと待ってな」


「ああ。頼むぜ」


 関口は筆の置いてあるらしい別室を目指し、すたすたと座敷を出て行く。塚本たち若衆がその後を慌てて追いかけた。さて、一人残された俺はどうすれば良いものか……?


 と、思った矢先。携帯が鳴った。番号は赤坂の総本部である。恒元のようだ。


「もしもし。麻木です」


『涼平。首尾はどうだね? 話は上手くまとまりそうかね?』


 タイミングが良かった。ちょうど今、交渉が成就したばかりであったのだ。俺はかくかくしかじか、会長に事の次第を全て報告する。


『おお! そうかね!』


「はい。関口組長も納得してくれました。まあ、関西の煌王会が東京を狙ってるとなれば、嫌でもこちらに付かざるを得ないでしょうが」


『……しかし、都知事の坂下が密かに煌王会と通じていたとは驚いた。今度会ったら、あの二枚舌の政治家に灸を据えてやらねばな』


「政治家といえば、会長の方は如何でしたか? 高倉議員との話はまとまりましたか?」


『いや、それがだな。議員が行方をくらましてしまったのだよ』


「ええっ!?」


 高倉議員が失踪したとは。思いもしない報せに驚く俺に、恒元もまた困惑気味に語った。


『会う約束を取り付けたのは良かったが、才原が密かに迎えに行った際には既に姿を消していたようでな。秘書たちも、議員が何処へ行ったのやら、まるで分からないらしい』


「まさか、眞行路に攫われたのでしょうか? こちらの動きを読まれて、先手を打たれたとか……?」


『浅草へ赴く道中のお前を襲ったくらいだからな。可能性が無いとは言い切れん。今、奴が群馬に居るというのも引っかかる』


 関口親分をして“切れ者”と言わしめた眞行路高虎。そう簡単に襟首を掴ませてはくれないらしい。


 ともあれ、関東関根組との問題はこれでひとまず解決したことになる。あとは関口が回状を書き終えるのを待ち、速やかにこの旅館を脱出するのみ。「中川恒元が来ない」という事実を関口サイドに知られたら、何が起こるか分かったものではない。


「会長。お手数をおかけしますが、このまま浅草においでいただいてもよろしいですか?」


『ああ。構わんよ。我輩の口から関口に、浅草を煌王会から守ってやると約束すれば良いのだな』


「助かります」


『気にするな。可愛いお前のためだ。我輩としても、関口と話を……』


 その時だった。


「ギャアアアアアアア!!!」


 廊下が騒がしくなるのが聞こえた。何かが倒れる音がしたかと思うと、やけに野太い男の叫び声も続いて耳に飛び込んでくる。


『涼平、どうした?』


「今、廊下から音が……」


 嫌な予感を覚えた俺は、電話を耳に当てたまま部屋を出て音がした方へと向かってみる。発生源は部屋を3つ隔てた先にある客室だった。


 そこにあったものを見て、俺は息を呑む。


「……会長。申し訳ありません。また、後でかけ直します」


『待て。何があった?』


「せ、関口組長が……殺されました」


『なっ! 何だと!?』


 俺は電話を切り、視線を前方に移す。


 そこには白目を剥いた老親分はぐったりと倒れていた。すぐ側に立つのは、塚本なる男。彼の手には、血に塗れた日本刀が握られている。間違いない。先ほど関口が持っていた刀だ。


「なっ、どうして……!?」


 愕然とする俺をよそに、塚本が狂気の笑みで叫んだ。


「あーはっはっはっ! 先代の意思は、この剣によって打破された! たった今から、組長は俺だ! この塚本つかもと孝志郎こうしろうが関東岸根組の十四代目だぁぁぁ!」


 すぐに察しがついた。関口親分の決定に不満を持った塚本が、親分を斬殺したのだと。


 その証拠に、室内には争った形跡がある。兄貴分を止めようとしたのだろう。無惨に切り裂かれた他の組員らの死体も転がっている。


「てめぇ……何やってやがる……!」


 即座に沸騰した怒りを闘気に変えた俺。すると、それに気づいた塚本が嘲笑った。


「おう。来たか。見ての通り、交渉は白紙に戻ったぜ。上手く説き伏せたつもりだったんだろうがな、そうは問屋が卸さねぇってわけだ。ひゃははっ」


「この野郎……!」


「いきなり喧嘩吹っかけてきて死人まで出しといて、詫びも入れずに事を収めろ? 虫が良いにも程があんだろ。手打ちは絶対に認めねぇぜ。 俺たちは神農である前に極道なんだ。やられっ放しは性に合わねぇんだよ」


 そう言って、塚本は刃先を突きつけてきた。彼に同調する者は多かったようで、気づけば室内に居た全ての残りの組員が俺に殺意を向けている。


「おい、博徒のガキ。帰って中川に伝えろや。『眞行路の首を持ってこねぇのならお前の首を獲りに行くまでだ』ってな」


「本気で言ってるのか?」


「舐めんじゃねぇ! 俺たち的屋だってなぁ……やる時はやるんだよッ!!」


 塚本は叫びながら、俺に向かって斬りかかってきた。すかさず身を左に躱して避けるが、なかなかの速さである。


「今まで散々コケにしやがって。もう限界だ。博徒がどんなに強かろうが、関係ねぇ。この刀でぶった切ってやるよ!!」


 奴は憎悪に燃えていた。中川会から受けた数々の屈辱的な仕打ちを語り、俺たち博徒の横暴をなじった。歴史は分からないが今回眞行路一家がしたことを思えば、その怒りは至極当然のものである。


 だが、譲れぬものはこちらにもある。


 俺は塚本の斬撃よりも早く突進を仕掛けることで間合いを潰した。


「な……何ィ!?」


 驚愕する塚本の鳩尾みぞおちに膝蹴りを見舞う。


「ぐふぅっ!?」


 彼は腹を押さえてよろめいた。それ以上の攻撃はしない。関口親分を殺された怒りはあれど、俺に彼らを殺す理由は無いからだ。


「塚本さんよ。今回は何が何でも手打ちにしてもらうぜ」


「んだとぉ……!?」


「関口の親分は今までの鬱憤やら屈辱やらを全て吞み込んで、的屋の未来のために『許す』と言ってくれたんだ。その思いは無駄にさせねぇ」


「貴様は博徒だろうがぁ! 貴様ごときが的屋を語るなぁ!」


「博徒だろうが的屋だろうが関係ねぇ。俺は一人の極道として、関口親分の気持ちを大切にしたい。それだけだ」


 うずくまる塚本から睨まれながらも、居並ぶ組員たちに向けて俺は言い放った。


「てめぇらは関口親分の決断を白紙に戻したつもりでいるかもしれねぇが、それは違う。この俺が居る限り、白紙になんてさせやしない」


「博徒の小僧が……調子に乗るんじゃねぇ!」


 塚本はよろよろと立ち上がり、俺に斬りかかってくる。俺はその刃を躱しつつ、彼の懐に潜り込むと鳩尾みぞおちへ続けざまに拳を叩き込んだ。


「ぐぼぉッ!?」


 さらに駄目押しとばかりに前蹴りで突き飛ばす。塚本の身体は数メートル後方へと吹っ飛び、畳の上に転がった。


「……ふぅ」


 大きく息を吐きつつ、俺は岸根の若衆たちを見やる。


「さあ、どうする? まだやるか?」


「……」


 塚本があっけなく倒されたことで戦意を喪失したのか。彼らは得物を構えたまま、歯噛みして俯いている。


「あんたらの気持ちはよく分かるぜ。だが、ここはひとつグッと堪えてくれねぇか?」


 俺は彼らに呼びかけた。すると、若衆の一人が口を開いた。


「……うるせぇ。俺たちは組長を殺しちまったんだ。もう後に退けるかよ」


 困ったぞ。説得しようにも、塚本たちはきっと意志を曲げないだろう。敬愛する親分を手にかけてまで、彼らは意地を貫き通す道を選んだのだから。


「俺はあんたらと戦いたくねぇ。分かってほしい」


「うるせぇ! もう黙れ!」


 若衆の一人が叫ぶと、他の組員たちも同調するがごとく口々に叫んだ。


「そうだ! 俺たちはもう止まらねぇぞ!」


「これが的屋の意地だぁぁ!!」


 ああ、駄目だこりゃ。どんな角度から説諭を試みても無駄だろう。そう諦めかけた時だった。不意に外から大きな音が聞こえた。


 ――ドンッ!!


 何かが爆発したような、凄まじい衝撃音。


「何だ?」


 若衆たちも驚いたようで、皆一様に動きを止める。すると、倒れていた塚本が刀を杖代わりによろめきながら立ち上がり、舌打ちをした。


「ちっ。本隊のお出ましか」


「本隊だと?」


「とぼけるんじゃねぇ! 味方の到着を狙って時間稼ぎしてたんだろう、このカスが!」


 何のことだかさっぱり分からず、俺は戸惑うばかり。一方、塚本は弟分たちに檄を飛ばして廊下へと出て行く。


「おい、てめぇら! ボサッとしてんじゃねぇ! 守りを固めるぞ!!」


 組員たちの肩を借り、塚本はよろよろと廊下へ出て行った。


「あ、兄貴! 待ってください!」


 他の組員たちも慌てて後を追いかける。俺は何が何だか分からないまま、呆然とその場に立ちつくす。本隊? 味方の到着? どういう意味だ?


 首を傾げていると、またしても男の叫び声が聞こえた。今度は悲鳴だった。


「ぐあああっ!?」


 塚本の声か。それに続いて、乾いた金属音までもが鼓膜に飛び込んでくる。


 ――パンッ! パンッ!


 異国の紛争地で長らく傭兵をやっていたから分かる。これは銃声。サイレンサーを付けて弾丸を放った際にこぼれる撃発音だ。


 ただならぬ予感を感じ取り、俺は音のした方へと急ぐ。おそらくは玄関。旅館の正面入り口だ。何が起きたというのか――。


 嫌な予感はよく当たるもの。現場に駆け付けた俺の目に飛び込んできた光景は、悪しき意味で想像を超えていた。


「……っ!?」


 辺りが粉々に吹き飛んでいる。天井の一部が崩れ落ち、砕け散ったガラス片が辺りに散乱している。それは手榴弾が投げ込まれた結果だとすぐに分かった。


 その中に居たのは武装した集団。


 彼らは一様に黒服に身を包み、手には消音機付きの拳銃や自動小銃を携えている。ざっと見た限り、数は総勢10人前後といったところか。目出し帽を被って顔を隠しているせいか、異様な雰囲気だ。


「ぐあっ……ああっ……」


 彼らに撃たれたらしい塚本が吐血している。かなりの弾丸を浴びてしまったようだ。


 その横には岸根組若衆たちの死体。銃器を持っていない彼らの旗色が悪いのは明白だ。ただの喧嘩の域を超え、もはや一方的な虐殺ではないか……。


 大量の血を流しながらも、塚本は啖呵を切っていた。


「て、てめぇら……ふざけんじゃねぇ……こんなんで岸根組は潰れねぇぞ、この野郎……」


「弱い犬ほどよく吠える。無駄な抵抗は止めて、さっさと関口を出せ」


「うるせぇ……親分なら……もういない……」


「いない? ふざけたことを抜かすな」


 武装集団の中の一人がさらに引き金をひこうとした、その時。


「止めろッ!!」


 俺は思わず叫んでいた。血まみれの塚本、生き残りの若衆、そして謎の武装集団。その場に居た全員が一斉に俺の方を注視する。


「……」


 目出し帽の男らがこちらを睨む。塚本に向けていた銃口が、今度は次々と俺の方へと向けられた。


「見かけない顔だな。お前も岸根組のモンか?」


「いいや。俺は執事局次長の麻木だ。てめぇら、眞行路一家だろ。同じ中川会としてつくづく情けねぇぜ。こんなやり方でしか喧嘩ができねぇなんてよ」


「中川会の執事局? 何でここに来てるんだ?」


「てめぇらこそ、どうしてこんな真似をしやがる。お前らのために手打ちをまとめてやったってのに」


 すると、覆面から覗く両目を丸くさせて男が反応した。


「手打ちだと?」


「さしずめ総長の命令で水を差しに来たんだろう。てめぇらは中川会の恥晒しだ!」


「……どうとでも言え。お前が何者かは知らんが、邪魔するのなら排除するまでだ」


 男がそう呟くと、他の連中も一斉に銃を構えた。


 さてと。どうやって回避するか。宙に飛翔するには天井が低い。その場で身をよじってもかわせるが、若衆たちに弾丸が当たってしまう。あまり気乗りはしないものの、止むを得ない。ここは鞍馬の奥義を使うしかないのか……?


 と、思ったその時だった。


「麻木ぃぃッ!!」


 背後から塚本が叫んだかと思うと、彼は突如として立ち上がって男に体当たりを仕掛けた。


「うおっ!?」


 不意を突かれて男はバランスを崩す。その隙を突いて塚本は拳銃を奪い取り、銃口を男の眉間に向けてトリガーをひいた。


 ――パンッ。


 断末魔を上げるまでも無く男は倒れた。仲間が射殺されるや否や、他の連中は一斉に塚本に向けて発砲した。


「ぐああっ……!」


 次々と銃弾を受けた塚本が崩れ落ちる。だが、彼は最後の力を振り絞り、男らに向けて一発を撃った。


「……くっ、くそったれ……岸根を……神農を舐めるんじゃ、ねぇ……!」


 そこまで言って、塚本は事切れた。今わの際に放った弾丸は敵に当たらず、ただ旅館の壁に弾痕を開けるだけに終わった。


「兄貴!」


「塚本の兄貴ぃ!!」


 冷たくなった兄貴分の体に駆け寄る若衆たち。しかし、そんな彼らに向けられたのは無慈悲な銃口。黒マスクの男らは容赦なく襲いかかった。


「俺たちの手を煩わせた罰だ! お前たちも蜂の巣になって兄貴分の所へ行くと良い!」


 そうはさせるか。引き金がひかれる寸前、俺は連中に向かって爆速で距離を詰めて旋風脚を放つ。


 ――ドガッ。


 いちばん手前の男が蹴り倒され、そいつが持っていたアサルトライフルから銃弾が放たれる。続々と飛び出した鉛玉はその場に居た男らに連鎖的に命中、彼らはあっけなく地面に倒れた。


 そのうち1人は、奇跡的に被弾を回避したようだった。


「なっ、何が……!?」


 目の前で突如として起こった現実に理解が追い付かない様子。俺はその男の拳銃を即座に奪うと、奴の眉間に銃口を当てた。


「動くな。聞きたいことがある」


「……ッ!?」


 男は動きを止める。俺が覆面を取るよう命令すると、奴はゆっくりと目出し帽を脱いで素顔を見せる。知らない顔だ。


「てめぇ、本当に眞行路一家のモンか?」


「……そう。俺らは銀座、眞行路一家の人間だ」


「本当か? 下手な誤魔化しはしないほうが身のためだぜ?」


 拳銃を持っていない方の手で、俺は男の顔面を殴る。鞍馬菊水流は両方を利き手として使えるよう鍛錬する。左の拳打とて強烈だ。


「ぶはあっ!?」


「正直に答えろよ。お前ら、どうにもおかしいんだよ。それ、東京の人間の発音じゃねぇだろ」


 俺が感じた違和感――それは男の発した言葉。一応は共通語なのだが、所々で訛りが感じられる。西日本特有のアクセントだ。


「と、東京の人間だ。何言ってやがる……」


「そうか。じゃあ、眞行路総長は今、何処に居る?」


「総長なら銀座の本部におられる。それがどうしたというんだ」


 かまを掛けてやって正解だった。こうもあっさりボロが出るとは。


「残念。今、眞行路は群馬に居るんだよ」


「なっ、何だと!」


「子分が親分の行き先を知らないわけがねぇ。お前ら、眞行路一家の人間じゃないな?」


 浅草へ来る途中で尋問した末端の組員ですら把握していた情報だ。この男だけ知らないというのはおかしい。俺がさらに凄みを利かせていると、それまで黙って見ていた岸根の若衆の1人が口を開いた。


「……こいつ、こないだカチコミかけて来た奴らの中には居なかったぞ。初めて見る顔だ」


 ますます疑惑が深まってきた。拳銃の引き金に指をかけつつ俺は捕虜に迫る。


「だとよ。そろそろ吐いた方が良いんじゃねぇか?」


 すると、男は観念した様子で語り始めた。


「お……俺は煌王会松下組の者だ。若頭カシラの命令でここへ来た。その、浅草を襲えって」


 もしやと思っていたが、本当にそうだったとは。松下組の本部は神戸に在る。語尾の節々が関西人らしいと思っていたら、案の定こいつは煌王会の回し者だったか。


 これは徹底的に尋問を行う必要がありそうだ。


「おい。詳しく話を聞かせろ」


 そこへ何の偶然か。執事局の兵を引き連れた恒元がやって来た。玄関の惨状を見て、会長はきょとんとしていた。


「いきなり電話が切れたので心配になって駆け付けてみれば……これは一体、どういうことだね?」


「ご足労頂き恐縮です。会長。手短に説明しますと、カチコミです。煌王会の奴らが襲ってきやがったんです」


「何だと?」


「まあ、詳しい話はこの男が知っているでしょう。こいつ、松下組の組員らしいです」


「ほう……」


 恒元が視線を向けると、男はぞくっと体を震わせた。きっと、自分がこれから辿る運命を悟ったのだろう。そんな彼の耳元で、俺はわざとらしく囁く。


「たっぷりと痛めつけてやるよ。お前には聞きたいことが多すぎるんでな」


「ひいっ!」


「楽には殺してやらねぇから、覚悟しておくんだな……まあ、知っていることを包み隠さずに話せば別だが」


「分かった! 喋る! 喋るから、手荒な真似だけは止めてくれぇぇぇっ!」


 一方、恒元は居並ぶ岸根の若衆たちに視線を向けていた。


「諸君。ここに居る男は煌王会の人間と吐いたぞ。全てが煌王の陰謀であった事実が証明されたわけだ。どうだね? これでもまだ我々を許せないか?」


「……」


「君たちに不満はあるだろうが、ここは我輩を信じてくれないだろうか。煌王会の好きにさせるわけにはいかないのだ」


「……」


 無言の空白が続く中、真っ先に沈黙を破ったのは1人の男だった。


「……貴方様は、中川会の中川恒元会長とお見受けいたしました」


「いかにも。誰だね? 君は?」


「未熟ながらに若頭補佐を務める、岩岡いわおか聯太郎れんたろうと申します」


 岩岡と名乗ったその地味な背広の男は、恒元の前に進み出ると跪いて座る。彼は地面に額を擦りつけるくらいの勢いで深々と頭を下げた。


「兄貴分の若頭が討たれた今、手前ども関東岸根組の跡目はこの私にございます。よって、この場に居るものを代表してお詫び申し上げます。中川会長、この度は大変申し訳ございませんでした」


 すると、他の若衆たちも岩岡に倣い、次々と土下座してゆく。そこに居合わせた全ての組員が恒元の前で頭を垂れるのに、大して時間はかからなかった。


「ムッシュ岩岡、頭を上げたまえ。君が詫びることではない。全ては煌王会の差し金だったのだから」


「いえ。関西の策謀とはいえ、手前どもは貴方様の御名を貶めてしまいました。どう落とし前をつければ良いか……」


「落とし前など不要だ。我輩が君たちに求めるものは、ただ一つ。此度、眞行路高虎の所業を全て水に流すことだ」


 それ以外には何も望まぬ旨を断言した会長に、岩岡は再び頭を下げた。


「……はい。そうさせて頂きたく存じます」


 彼の言葉に、ほっとした様子で頷く恒元。


「その言葉が聞けて嬉しいよ。ムッシュ岩岡。これからも岸根組とは仲良く付き合っていきたい」


「ぜ、是非とも。そうさせてくださいませ」


「無論、君たちの領土も未来永劫保証しよう。そこを踏み荒らす輩は、この中川恒元が断固として立ち向かう。博徒と的屋の垣根を超えて浅草を守ってやろう」


「ありがとうございます」


 和解成立だ。これで浅草との遺恨についてはひとまず片が付いた。岸根組としては「煌王会にカチコミかけられたところを中川会に救われた」という借りができた挙句、『守ってやろう』とまで言われたのだ。仁義を重んじる集団であれば、その点を無視するわけにはいかないだろう。


 それから俺たちは生け捕りにした男を赤坂へと連行し、恒元立ち合いの下で拷問を敢行。色々な話を聞き出した。


 男が旅館を襲った目的は他でもなく、関東岸根組への攻撃。眞行路一家の仕業と見せかけ、組長の関口功夫を拉致して来い――それが上からの命令だったというのだ。前日と前々日には眞行路一家のふりをして旅館へ銃弾を撃ち込んだとも語った。


「なるほど。だから覆面で顔を隠していたってわけか。誰の命令だ?」


「か、若頭の指示……駈堂くどうの若頭の指示だ。『中川会が浅草と和解できなくなるように事を引っ掻き回せ』と」


「で? 眞行路の身内の女を攫って浅草に放置したのも、その駈堂って奴の策略か?」


 血と汗と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、男は大きく頷いた。


「そ、そうだ! そうすれば眞行路は必ず浅草に攻め込むだろうって……」


 煌王会二代目松下組若頭、駈堂くどう怜司れいじの密命を受けた男らは先ず手始めに銀座にて眞行路一家幹部の娘を拉致監禁。覚醒剤を注射して輪姦した後、その女性を浅草へ放置した。同時に眞行路側へ情報を流し、激怒した眞行路高虎が浅草へ攻め込むよう仕向けたのだ。


「……浅草は永世中立の土地。そこへ武力で攻め込んだとなれば、渡世での信用がガタ落ちになる。責任を取って引退せぇって声が日本中から届くだろ」


 そうして眞行路の親に当たる中川会の評判が悪くなるように誘導し、会長である恒元の失脚を狙った。「その隙を突いて一気に関東へ攻勢をかける腹積もりだったのか?」と問うと、男は予想通りの答えを返してくる。


「……中川会は曲がりなりにも中川恒元のカリスマ性だけで成り立ってる組織。会長が渡世から消えれば、組織は揺らぐ。そいつを絶好のチャンスと呼ばずして何て呼ぶんや」


 他にも中川会と浅草との和解を妨害するため、松下組の構成員を浅草に潜入させて騒動を起こしたり、浅草に麻薬をばら撒くなど、様々な裏工作を行っていたという。


「そうか……てめぇらは随分と舐めた真似をしてくれたようだな」


 腹が立って仕方がない。俺は自白を終えた捕虜の襟首を掴んで持ち上げると、その顔面に思い切り拳を叩き込んだ。男は鼻血を出して倒れると白目を剥いて気絶してしまった。


 秘密の拷問部屋から出た後、恒元は大きなため息をついた。


「全ては煌王会が裏で糸を引いていたというわけか」


「会長。これからどうされますか?」


「どうするも何も、煌王会に報いを与えねばなるまい!」


 珍しく感情を剥き出しにして憤る恒元を見て、俺は思わず笑みをこぼした。それでこそ中川会の会長だ。激怒しないようでなくては、関東の王者など務まらない。


「橘め。この中川恒元をコケにしたこと、後悔させてやる! 絶対に許さんぞ!」


 中川会三代目として、恒元は高らかに宣言した。


 すぐさま理事会の招集が掛けられ、煌王会への断固報復を決定。普段は反抗的な幹部たちも組織全体の名誉が貶められたとあっては黙っていられぬようで、関西への派兵にすんなり同意した。


 一方、煌王会に対しては討奸状を送付。浅草での一件は中川会三代目への明確な敵対行為にあたるとして宣戦布告を行った。


 それと同時に、岩岡が新たに継承した関東岸根組は約束通り、今回の騒動が実は煌王会の陰謀であったことを世間に公表。捕虜という物的証拠が存在している点も相まって煌王会側に言い逃れの余地は無く、情勢は瞬く間に一変。各方面からの批判が集まり、「策士策に溺れる」がごとく、橘威吉若頭は苦しい立場に追い込まれた。


 かくして浅草での一件は東と西の全面戦争を招くものと思われたが――結末は俺たちの予想を大きく外れた。


 事件からおおよそ2週間後の10月23日。この日の夜、信越地方を大きな揺れが襲った。後に「新潟県中越地震」と云われるこの大災害の被災地復興に恒元は金と人手を割かねばならなくなり、中川会の関西侵攻計画が消滅してしまったのである。


 被害の大きかった新潟県および長野県北部は中川会の勢力圏。トンネル工事、ダム開発といった土建系のシノギが軒並み壊滅状態となり、その損失額は億単位に上った。ああまで経済的に打撃を受けたとあっては最早戦争ができる状態でなく、関西への総攻撃は決行を前に無期限延期。やがて地方の諸勢力の仲裁で煌王とは和議が結ばれ、恒元は渋々ながらに矛を収める他なかった。


「おのれ……天は我輩の味方ではないのか……!」


 九州の玄道会、広島のきょうかくどうもんかい、それから東北の極星連合から届いた講和勧告を読んだ際に見せた、恒元の悔しそうな表情は未だに覚えている。


 だが、恒元の悩みのタネは外患だけにあらず。銀座の猛獣、眞行路高虎の存在は騒動解決後も依然として恒元を悩ませ続けた。


 今回、中川会が浅草と結んだ手打ちの条項において、眞行路一家は完全な被害者とされた。高虎はあくまで乗せられただけであり、その行動に一切の非は無いと強調された。それは中川会全体の名誉を回復するために盛り込まれた文言だが、恒元にとっては高虎を処分する口実が消えたことを意味する。


 結果、高虎はますますつけ上がった。己の行動を省みるどころか「浅草を切り取れなかったのが残念だ」と傲慢に吐き捨て、以前にも増して不遜な振る舞いを強めていった。恒元が命じた1ヵ月の謹慎処分も平然と破り、例によって新たな火種を作ってくる始末だ。


「会長。無礼を承知で申し上げますが、猛獣の手綱を握り続けるのは不可能です。眞行路高虎はそろそろ殺した方が良いんじゃないですかね?」


「そうしたいのは我輩も同じだ。しかし、奴を殺せば政治家どもが黙っていない。浅草の件では高倉議員も最初から眞行路とグルだったのだからな」


「高倉議員は眞行路の手引きで群馬の別荘に身を隠してたそうですからね。まあ、あの野郎に懐柔されてる政治家は高倉以外にも沢山いるのでしょうけど」


「困ったものだ。今や与党の政治家は大半が眞行路の影響下にあると聞く。まさか、これほどとはな……」


「それだけ、銀座という街には魔力があるってことでしょう。厄介なものです」


 強欲な政治家どもを手懐け、眞行路高虎を猛獣たらしめる魔力。それは俺が思っている以上に根深く、現状の大きなボトルネックとなっていたのだった。

想定外の代償を払いながらも、一応の解決を見せた浅草危機。だが、それでも眞行路高虎の暴走は止まらず。恒元と涼平は如何にして立ち向かうのか……?

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