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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第10章 虎崩れの変
173/252

浅草危機一髪

 発砲の瞬間、俺は上空へと舞っていた。


 所詮はチンピラ。早撃ちの才があるわけでもない。傭兵上がり、ましてや殺人武術をきわめた俺にはいとも簡単に回避できる銃弾だった。


「なっ、何ィ!?」


「どうすればあんな高さに!?」


「落ち着け! とにかく撃ちまくれ!」


 敵方の兵たちは皆、驚愕の表情を浮かべる。しかし、すぐに冷静さを取り戻して再び発砲する。今度は空中への射撃だ。


 されど、こちらも当たらない。何故なら俺は滞空時間を利用して体勢を入れ替え、一気に急降下したのだから。


 まず、着地地点から一番間近に居た男に手刀を見舞う。


「おらよっ!」


 ――グシャッ。


 悲鳴を上げる間もなく絶命する男。その体からは血飛沫が舞い上がり、アスファルトの上に鮮血の華が咲く。


「この野郎!」


 続いて銃を構えた2人目の男の喉元へ突きを刺し込み、一撃で殺した。


「ぐはぁっ!?」


 そうして次なる敵に狙いを定めようとした矢先、奴らは一斉に拳銃を捨てた。代わりに懐から取り出したるはドスだ。どうやら発砲が当たらないと見るや接近戦に切り替えたようだ。


 流石は武闘派、眞行路一家。鉄火場慣れしている。


「……へっ」


 俺は思わずほくそ笑んだ。こういう展開を待っていたからだ。やはり喧嘩はこうでなければつまらない!


「死ねやオラッ」


 先ずはドスを振りかざして突進してくる敵が目につく。だが、その攻撃はあまりにも単調だ。俺は軽く身を翻して回避すると、敵の勢いを利用して背後へ回り込み、首根っこを摑んで投げ飛ばした。


「うおっ!?」


 敵は受け身を取れずにアスファルトの上に全身を叩きつけられた。すかさず俺は髪を引っ張って無理やり立たせ、引き抜いた短刀をそいつの首元に突きつける形で拘束した。


「動かねぇ方が良いぜ。動いた瞬間、こいつは地獄行きだ」


 人質を取られる形となり、残った5人の男たちは硬直した。


「……さて、と。お前らには聞きてぇことがある」


 連中がどこまで口を割るかは未知数だが、とにかく情報を引き出すことから始めなければ。


「お前ら、もう一度聞くが。どっから俺をつけてきた?」


「そ、それは……」


 口を割ろうとしない眞行路一家の兵隊たち。ならば仕方あるまい。俺は拘束した男の首筋を刃の先端部で浅く抉った。


「ぐわああああっ!」


 鮮血が飛び散り、苦悶の表情を見せる男。それを見た残りの4人は動揺した様子を見せた。


「ま、待て! 言うから兄弟を殺さないでくれ! 頼む!」


「だったらさっさと言え。ドモッってると首ごと切り落としちまうぞ」


 低い声で凄みをかけると、そのうち1人が震える声で返事を切り出す。


「……あ、赤坂の総本部からだ。総長に言われて、午前中からずっと張ってた」


 このような状況においては、恐怖に負けて一度口を割ってしまったら最後、己の意に反して次から次へと吐いてしまうもの。相手の動揺を見逃さないのが尋問の鉄則。


 俺はさらに訊き続ける。


「お前らの総長は何処にいる? まさか『北海道へジンギスカンを食いに行った』なんて言わねぇよな?」


「そ、それは総長がご自分で流された偽情報! 本当は前橋に居られる!」


「何? 前橋だと?」


 前橋と言えば群馬。眞行路と同じく御七卿の椋鳥一家が治める地ではないか。まさか、あの椋鳥が眞行路とグルになって奴を匿っているというのか……?


 全く有り得ない話でもなかったが――理事会における椋鳥一家総長、越坂部捷蔵の事なかれ主義的な振る舞いが目に焼き付いている俺には少々意外だった。


 気持ちを切り替え、尋問を続行する。


「……で? お前らはどうして俺を襲った? 親分の命令で、浅草との交渉ナシに水を差しに来たのか?」


 すると、男らは答えにくそうにコクンと頷く。


 やはりそうだったか。眞行路め。子分らに総本部を監視させてこちらの動きを読んでいやがったか。


「あの髭モジャ野郎の考えそうなことだぜ。浅草との手打ちが成らなきゃ、会長は東国博徒の惣領としての面目を失うからな。眞行路にとっては万々歳ってわけか」


「……ああ! そうだ! てめぇだって分かってるだろ!? あんなフランスかぶれの拝金主義者が舵を取ってるようじゃあ中川会の未来は暗いって! それよりだったら、うちの親分が跡目を取って……」


「ほう。こいつは良いことが聞けたわ。眞行路はクーデターを企んでやがるのか」


 俺は逆手に持った刃を喉笛に食い込ませて捕虜の命を奪うと、残ったチンピラどもに告げた。


「お前ら。帰って総長に伝えろや。『浅草との手打ちは絶対に邪魔させねぇ』ってな。眞行路一家が会長を狙って浅草に押しかけてくるようなら、その時は俺が組もろともぶっ潰してやる。覚悟しておけ」


「ひっ……!」


 俺が凄みをきかせると、連中は腰を抜かして後ずさりした。つい数分前までの威勢は何処へ行ったのか。とんだ小物らである。


「さっさと仲間の死体を持って消えやがれ。殺されたいのか? ああ?」


 立ち竦む彼らを俺がさらに追い込もうとした、その時。


「待てい!!」


 大きな声と共に、1人の男が走ってきた。


 居並ぶ敗残兵たちとは違って清楚なスーツを着ており、髪型もワックスで緩やかに整えられた七三分けという落ち着いた容貌。一見するとエリートサラリーマンといった雰囲気だが、こいつも組員か。目元からにじみ出る覇気から察するに、間違い無く素人ではない。


 俺は、現れた男に淡々と問う。


「お前。こいつらのお仲間か?」


 その男は、深々と頷いた。


「いかにも。俺は眞行路一家の三淵みつぶちふみ。若衆として目下渡世修業中の身だ」


 三淵というその男は、毅然とした態度で名乗りを上げた。


「渡世修業……か。要は下っ端ってことだな」


 上等なスーツを着ているので「もしや」と思ったが、所詮はこの男もチンピラ同然の格。部下を救出しに幹部クラスの人物がお出ましになっても良さそうな状況だが、あいにく伏兵はこの三淵郁耶とかいう男一人のようだ。


 鼻で笑った俺の態度は意に介さず、三淵は俺は彼の前に歩み出ると、握手を求めてきた。


「そちらは執事局の麻木涼平次長とお見受けする。お会いできて光栄だ。あなたの噂はかねがね」


「噂だと? どんな噂かは知らねぇが、人様を襲っておいて随分と馴れ馴れしいな。俺はあんたと握手なんざする謂われは無いんだが?」


「これは失礼。まずは、舎弟たちのしでかしたことを詫びなくてはな。この通り、あなたにはすまないことをした!」


 三淵は深々と頭を下げた。その態度から察するに、どうやら本気で詫びているようだが……。


「あんたも伏兵じゃねぇのか?」


「俺は違う。そこに居る男どもは、眞行路一家われらの新参者。総長の言葉を勝手に解釈して突っ走ってしまったんだ。それを止めようとここまで走ってきたが、間に合わなかった。本当に申し訳ない」


「頭を上げてくれや。謝られても鬱陶しいだけだ」


 その時、後ろにいたチンピラの一人が心配そうな面持ちで「兄貴……」と呟いた。それを聞くや否や、三淵はくるりと振り返って声を荒げる。


「馬鹿野郎どもが! 何ちゅうことをしでかしてくれたんだ! てめぇらも突っ立ってねぇで、ケジメのひとつくらいつけたらどうだ!?」


「い、いや、だって、総長が行けって……」


「ケジメをつけろって言ってんだよ!!」


 すると三淵は懐から短刀を取り出し、おどおどと震え竦む舎弟の一人の手を掴んで強引に刃を押し当てた。そして……。


 ――グキッ。


 ひと思いに小指を切断したのだった。


「うぎゃああああ! いてぇ! 痛ぇよおおおお!」


「うるせぇ! てめぇが勝手な裁量で独走したせいで、眞行路一家うちは大恥をかいたんだぞ!? 指の一本や二本で済まされると思うな!!」


 三淵は激昂しながらさらにもう片方の小指を切り落とした。真っ赤な血が噴き出し、舎弟は悲鳴を上げながら地面を転がり回る。他の部下たちはその凄惨な光景に恐れおののき、震え上がった。


 パフォーマンスにしてはなかなかのものだ。こうして部下の小指を詰めて見せることで俺を威圧し、同時に「襲撃は眞行路総長の指示ではない」と是が非でも押し通すつもりなのだろう。


「おい、何を黙ってやがる! てめぇらも小指エンコ詰めるんだよ!! 普通なら腹を切ってでも詫びるべきところだぞ!」


 さらに声を荒げた三淵を俺は制止する。


「やめろ」


 襲撃の首謀者が誰であるかなど、特に問題ではない。俺が知りたいのは、この三淵なる男の真意。それだけだ。


「あんたは何をしにここへ来た? 正直な話、舎弟を止めるために来たわけじゃねぇだろう?」


「……いや。さっきも言った通り、勝手に出て行ったこいつらを追いかけて来た。あなたを襲うのを止めるために」


「本当は『確かめたに来た』んじゃねぇのか? 舎弟たちが上手く俺を殺せたかどうかをな」


 三淵は俺に向き直り、真摯な眼差しを向けてきた。


「違う。そうではない。俺は舎弟たちの暴走を止めに来たんだ」


 ほんの一寸の越えの震えも無い、堂々とした声色であった。この男、只者ではない。簡単な心理攻撃には屈せぬくらい尋問には慣れていると見た。


 俺は一層大きく揺さぶりをかけてみる。


「だったら、どうして俺がこいつらを殺すのを止めた? 『腹を切ってでも詫びるべき』だと本当に思っているなら、俺が殺しちまっても良いじゃねぇか」


「それは面子の問題だ。身内の落とし前は身内がつける。そうしなくては渡世の名折れだし、あなたの手を今以上に血で汚す必要も無いと思ったんだ」


「なるほど。俺への配慮か。曲がりなりにも“被害者”である俺の手を煩わせるのは忍びねぇと、そう思ったわけか」


「ええ。お分かりいただけたようで安堵した」


「じゃあ、俺が『その出来の悪い舎弟どもを殺せ』と言ったらあんたは殺せるのか? さっきは『腹を切ってでも詫びるべき』と言ったんだ。二言は無いよな?」


「おっと、軽い比喩表現のつもりだったんだがな。口にしてしまった以上は仕方ない」


 黙り込むものと思いきや、三淵は即答した。どうやらこの男は本気で言っているらしい。ならば俺としても遠慮は無用だ。


「そうかよ……だったら、あんた! 今すぐこいつらをぶっ殺せ!! それが今回のケジメってやつだ!」


 俺がそう叫ぶと、舎弟たちは再び慌てふためいた様子で顔を見合わせたが、三淵の行動は実に早かった。


「分かった。あなたが、そこまでお望みならば」


 懐から消音機付きの拳銃を取り出すと、三淵は躊躇なく発砲した。


 ――バンッ。


「ぐあっ!」


 乾いた音と共に、舎弟の一人が脳天を撃ち抜かれて絶命する。


「な……っ!?」


 他の舎弟たちは慌てて逃げ出そうとしたが、時すでに遅し。次々と銃弾に撃ち抜かれていった。やがて最後の1人となったところで、三淵は銃口を彼の眉間に向けると淡々と浴びせる。


「悪く思うなよ。こちらの麻木次長が、そうお望みなんでな」


「ひ、ひぃ……三淵の兄貴、た、助け……」


 ――バンッ、バンッ。


 頭蓋が弾け飛び、脳漿が飛び散る。舎弟たちの始末を終えた兄貴分は俺へと視線を移し、何事も無かったかのように平然と言葉を投げてきた。


「お望み通り、麻木次長。終わったぞ。これでご満足いただけたかな?」


 まさか本当に殺してしまうとは。口八丁手八丁でこの場を誤魔化すものと思っていたが、この男は見かけによらずかなりの胆力の持ち主らしい。俺は三淵の度胸に敬意を表しつつ、苦笑いで応じた。


「ああ、上出来だ。見事なもんだったよ。あんたを少し甘く見ていたかもな」


「何の話だ? 被害者が望んでいる以上、殺すのは当然だろう?」


「けど、本当に良かったのかねぇ。あんたの裁量で組員を殺しちまって。後で眞行路の親分さんにドヤされるんじゃねぇの」


「問題は無い。こいつらは組の看板に泥を塗った。それを始末するのに総長の許しは要らない。眞行路一家では日頃からそういう方針なんでな。きっと総長もお認めになる」


「そうかい。なら、俺としても後腐れせずに済みそうだ」


 どうやら三淵としては、舎弟たちの殺害は口封じも兼ねていたようである。麻木涼平の襲撃に失敗した罪を償わせると同時に、下手人たちの口を永遠に塞ぐことで今回の一件を有耶無耶にする――そんな意図が見え透いていた。


「ふーん。『組の看板に泥を塗った』ねぇ……それって、どっちの意味なんだか」


「何が仰りたいのか、さっぱりだ」


「まあ、別に良いや。殺しちまったもんは仕方ないからな。そんなことより、俺が知りたいのはおたくの総長の意図だ」


「ほう。これだけ誠意を見せても、まだご納得いただけないか」


「こちとら会長の使いで出かける所を襲われたんだ。納得できるわけが無い。むしろ疑っちまうよなあ、眞行路一家に逆心があるんじゃねぇかってよぉ!」


 俺の詰問を受けて、何を思ったか。三淵はおもむろに懐から煙草を取り出すと、火を点けた。そして、大きく煙を吸い込んだ後……彼はゆっくりと口を開く。


「我々にそのつもりは無い。眞行路一家は中川会、そして中川恒元会長の忠臣だ」


「今まで散々好き放題にやっといてよく言うぜ。じゃあ、何で連中は俺を襲ったんだよ。『総長の言葉を勝手に解釈して』とか何とか抜かしてたが、眞行路は子分どもに何て言いやがったんだ?」


「総長は、ただ一言だけ『戦争に備えて資金を集めておけ』と」


「資金だと?」


「ああ。それで組に入って間もない奴らが血気に逸ってな。何を魔が差したか、浅草へ現金を運ぶあなたを襲ってしまったというわけだ。取り返しのつかないことをした。申し訳ない」


 つまり先刻の襲撃は会長の和平交渉を邪魔しようとの眞行路高虎の意図ではなく、ただ単に血迷った若衆たちが独断で引き起こした現金強奪未遂だと言いたいわけか。とんだ詭弁である。俺は語気を強めた。


「さっきの連中は赤坂から俺を尾行していたと吐いたぞ。それってお前らが会長の動きを監視してたってことじゃねぇのか!?」


「ううん。確かに、総本部前に舎弟たちが配置されていたのは事実だ。しかし、目的は監視ではなく、あくまで護衛だ」


「護衛? 何を言いやがる!?」


「宗家からすれば差出がましい話だったかもしれないが、万が一の時に備えて眞行路一家は総本部周辺を警護させてもらっていたのだ。その任務にあたっていた者どもが変な気を起こし、凶行に及んでしまったらしい。真に申し訳ない」


 真摯な態度を決め込んで深々と首を垂れる三淵。事件は高虎の差し金に非ず――ということを徹底して強調してくる。俺は苛立ちを抑えつつ、三淵に疑問を投げかけた。


「三淵さんよ。そもそも今回のゴタゴタを起こしたのはあんたらだぜ? その張本人が護衛ってのもおかしい話だ。護衛なら執事局で事足りてる。手下を回す余力があるなら、総長本人が今すぐ浅草へ詫びに行けば良いじゃねぇか。なあ?」


 すると三淵は顔を上げ、真剣な眼差しで答える。


「……そう言われては返す言葉も無い。だが、俺たちとしても好きで浅草に火をつけたわけじゃない。あれは正当な報復ってやつだ」


「正当な報復? なら、参考までに聞かせて貰おうか。どうして、浅草へ粉かけるような真似をしでかしたのかを」


「良いだろう。事の動機としては単純だ。先に手を出したのはあちら側、関東岸根組の方なんだ」


「何だと?」


「あいつらはうちの人間を浅草に監禁した。俺たちは、ひとえに身内を助けるために行動を起こした。それだけのこと」


 三淵曰く事の発端は10日前に遡るようで、銀座の路上を歩いていた眞行路一家関係者が突如として現れた岸根組の組員らに暴行・拉致されたという。


「岸根の連中は『返して欲しかったら身代金として1億を用意しろ』などと抜かしやがった。無論、そんなふざけた話に応じちゃ代紋が傷つく。俺たちは理不尽に対して抗っただけさ……まあ、その手段がやり過ぎていたかもしれないがな」


「おいおい。与太こいてんじゃねぇよ。岸根組がそんなことをするわけねぇだろう」


「有り得ないと何故に言い切れる? 事実、俺たちは身内に手を出されたわけが?」


「あいつらは絶対中立。元禄の時代から200年近く、その立場を守ってきた組だぜ」


「麻木次長。それは思考停止だ。関東岸根組すなわち絶対中立という謳い文句を前提に考えすぎている。あんなものはただの建前。実際には、何年も前から中立状態は崩れかかっているのに」


 三淵の指摘する関東岸根組の内実については一理あるのかもしれないが、やはり俺には信じられなかった。「証拠は有るのか」と問うと、彼はコクンと頷いて答えた。


「あるとも。被害者がそう訴えている。攫われたのはうちの幹部の御令嬢でな。彼女は岸根組の蛮行で心に深い傷を負った。俺たちとしては、断じて許すことはできない!」


「あんたの話だけじゃ信じられねぇな。証拠ってのは第三者の裏取りがあって初めて信憑性を持つものだからよ。尤も、好き勝手に戦争を繰り返してる眞行路一家の人間が言うことが本当とも思えん」


「それもまた思考停止……と言いたいところだが、この場においては水掛け論だな。あなたはそろそろ、ここを離れた方が良いのではないか?」


 すると何処からかサイレンの音が近づいてくる。警察車両のようだ。この狭い路地でこれだけの騒ぎを起こしたのだ。誰かが通報を入れたに決まっている。三淵は懐から携帯電話を取り出すと、どこかに連絡を入れた。


「……こちら三淵です。ええ……そうです、浅草二丁目。捜査員への攪乱をお願いいたします……ありがとうございます。それでは」


 彼は電話を切ると、俺の方に向き直った。そして、淡々とした口調で言う。


「こいつらの死体も含めて俺の方で処理を引き受けるつもりだ。あなたは早急にこの場を離れた方が良いだろう」


「ちっ。反論の余地は無さそうだな」


 三淵にはまだ聞きたいことが幾つかあったが、俺は渋々引き下がることにした。このまま居座っていては、警察と鉢合わせしてしまう。浅草での大役を果たす前に捕まるのは御免だ。


「最後に一つ聞かせてくれ」


「何だろうか」


「さっき、眞行路一家は戦争に備えて資金集めをしていると言ったな。どこと戦うつもりだ?」


 俺の問いに三淵は一瞬黙り込んだ後、こう答えた。


「……浅草だ。たとえ会長が手打ちを結ぶつもりでも関係ない。あの的屋どもには必ず代償を払わせてやる」


 その返答を聞いた俺は踵を返して路地を後にした。上手く誘導できたかは分からないが、少なくとも三淵は恒元が浅草へ行くものと思い込んでいるようだ。このまま組へ帰って眞行路総長にもそう報告してくれれば――。


 しかしながら、分からないことがある。「引き受ける」と言っていたが、迫りくるパトカーを三淵は如何に対処するつもりなのか?


 眞行路一家が台東区の何処まで勢力を伸ばしているかは不明だが、浅草だけは違うはず。まさか浅草署の警官たちも眞行路が買収してしまったというのか? もしそうなら、事情はかなり複雑になってくる。


 何にせよ、俺のすべきことはまっすぐに目的地へ向かうこと。雷門通りから複数台のパトカーが来た時には緊張したが、アタッシュケースで顔を隠して上手くやり過ごし、俺は杵屋通りの旅館『いちわか』を目指して猛進する。


 だが、すんなりとは通してくれなかった。


「おう! 来やがったかァ! 中川のアホの使いっ走りめェ!」


 近づいて来た俺の姿を視界にとらえるや否や、門前に集った男らが威勢の良い叫びを上げる。江戸時代から続く組だけあって、一人一人の迫力が凄まじい。ざっと見て30人前後だが、べらんめぇ口調の啖呵が秋空に甲高く響いている。


「中川会が何の用だァ! ちぃとばかしデカい組だからって調子に乗りやがって! この卑怯者がァ!」


「詫びを入れるってんなら何で会長が来ねぇんだよ! うちを甘く見てんのかい!?」


「ぶっ殺されねぇうちに早く帰んな! こちとら、半人前の若造を相手にする時間は無いんだ!」


 日本刀や鉄パイプ、金属バットで武装した男たち。間違いない。彼らはこの辺を仕切る的屋系独立暴力団、関東岸根組の組員たちだ。


 先ほど恒元が電話でアポを取っているはずなのだが、着いて早々にこの調子とはな。まあ、あちらとしては騙し討ち同然のことをされたのだ。歓迎されないのはむしろ当然と言えようか。


 先刻に三淵から聞かされた件は一旦頭の片隅に置き、俺は自ら名乗りを上げる。


「中川会執事局次長の麻木涼平だ。会長の使いで来た。手打ちの件で、関口組長にお会いしたい!」


 俺の言葉を聞くと、男たちはますます殺気立ち始めた。


「あァ? 組長に会いたいだと? 馬鹿にすんのも大概にしろよ、このガキ!」


「そうだ! 組長はお忙しいんだ!」


「ふざけやがって! おめぇみたいなガキがうちの組長と会えるわけねぇだろうが!」


「何なら、今ここでぶち殺してやろうか!?」


 こちらに向かって得物を構え、侵入者を阻む番犬のごとく威嚇してくる。30対1ではこちら声は自然とかき消されてしまう。だが、俺は負けじと言い返す。


「俺は喧嘩をしに来たわけじゃない! 今後のことを話し合いに来たんだ! 通しちゃ貰えねぇか!?」


「何が話し合いだ、この野郎! こないだだってそうやって油断させて不意打ち食らわせた癖に! その痛みを忘れちゃいねぇんだよ!」


「その節はすまなかった! だが、あれは眞行路一家のしたことで、中川会の総意じゃない! 俺にあんたらを攻撃する意図はねぇんだ!」


「うるせぇ! そんな言い訳が通用するか!」


「見ての通りだ!!」


 吠え続ける男らに大音声で抗った後、俺は懐から拳銃と短刀を取り出し、それら2つを地面に置いた。「危害を加えるつもりは無い」という事実を分かってもらうには、これがいちばん手っ取り早い。そして、何より確実だ。


「見ての通り、俺は丸腰だ! 話し合うのに道具は要らねぇからな!」


 こちらの武装解除に虚を突かれたのか、男たちは一瞬怯みを見せる。


「な、何だこいつ!?」


「正気か? 自分から銃を捨てちまうなんざ……」


「何を企んでいやがる! 腹に爆弾でも巻いてんじゃねぇのか!」


 俺の行動に虚を突かれたのか、男たちは一瞬怯みを見せる。だが、すぐに威勢を取り戻して再び怒声を上げる。俺は彼らを宥めるように訴えかけた。


「あんたらが眞行路一家と揉めているのは知っている。だから、その件で俺が来た。武器は今捨てたものだけだ。爆弾なんざ持っちゃいねぇ。信用できねぇってんなら、どうぞボディ―チェックしてもらって構わないぜ」


 すると、その時だった。門前に集っていた組員たちを掻き分けるようにして、白髪の男が現れた。辺り一帯に野太い声が響き渡る。


「てめぇら、いい加減にしないか! お客人に対して何たる非礼だ! ちったあ弁えやがれッ!!」


 声の主は白髪の男。『関東岸根組』と書かれた法被を羽織り、その下には黒地の襦袢と袴を穿いている。挙げ句、頬には横一文字の傷が入っている。その佇まいからは威圧感が滲み出ていた。


「組長!」


「親分!!」


 男たちが一斉に声を上げて平伏す中、白髪の男――関東岸根組の組長・関口せきぐち功夫いさおは俺を一瞥する。


「……」


 俺は彼の目をジッと見返し、拳銃と短刀を地面に置いたまま両手を上げた姿勢を保つ。すると、彼は打って変わって穏やかな顔つきになり、声をかけてきた。


「うちの若い衆が失礼したな。兄ちゃんが中川の三代目の使いか」


「ああ。執事局次長の麻木涼平だ。そちらは岸根の関口組長だな?」


「おうよ。ここで話すのも無粋だ。上がってくれや」


 そう言うと、関口親分は俺に背を向けて歩き始めた。続いて俺も後を追う。なお、放棄した武器類は岸根の組員に回収されてしまったが、それはそれで良い。得物が無くとも、俺は十分に戦えるのだから。


「で? あんたひとりかい? 三代目がじかに来るって話だったが?」


 座敷へと通された俺に胡坐をかきながら、関口が問うてきた。


 文言とは裏腹に、その口調からは敵意や警戒心といったものは感じられない。だが、油断はできないだろう。何しろ相手はヤクザ者なのだし、ましてや現状における敵対組織の長である。こちらの出方次第では何が起きてもおかしくは無い。


「……俺が先行して手土産を届けに来たんだ。現金を運ぶからには道中で跳ねっ返りに襲われる危険リスクがあるからな。一緒に来るのはまずいと判断した」


「リスクねぇ。まあ、ごもっともな言い訳だわさ。こっちはおたくの跳ねっ返りとやらに屋敷を燃やされてるから、既にリスク以上の実害が及んでるんだがな」


「それについては相応の埋め合わせをさせて貰うつもりだ。ここにある5千万で屋敷を建て直してくれ。今回の“見舞料”だ」


 俺が開けたアタッシュケースの中に詰められた現金の束を静かに見つめた関口。しかし、彼が表情を変えることは無かった。


「……随分と気前の良いこったな」


「足りなかったら言ってくれ。あんたらの屋敷を元に戻すのにかかる費用は、中川会うちが幾らでも出す。会長の方針だ」


「流石は関東甲信越で二万騎の中川会。いや、中川さんらしいわ。俺たちがカネでどうにかなると思ってる辺りも、“侘び料”じゃなくて“見舞料”って名目にしてる辺りもそうだ……俺たちのことをとことん見下してやがる」


 関口はそう言うと、鼻で笑って見せた。


 そんじょそこらのヤクザであれば箱一杯に詰められた現金の束を見れば瞬間的に目の色を変えるものだが、この目の前の親分は口角ひとつ上がっていない。横浜大鷲会の会長も然り、老練な極道者はやっぱり物の見方が違う。


 だが、俺はあえて反論せず、静かに彼の文句に耳を傾ける。


「博徒の非礼や裏切りには慣れている。他でもねぇ、中川三代目のおかげでな。あの野郎は俺たち神農が博徒より格下だと思ってやがる」


「ああ。それについては申し訳なく思っている」


「……まあ良いさね。貰えるものは貰っておくのが的屋の流儀だ」


 関口はアタッシュケースを子分達に命じて奥へと持って行かせる。ひとまず懐に入れてくれたようで安心した。


「受け取りを拒んじゃ、持ってきた兄ちゃんの顔が立たんだろう。なあ?」


「ああ。助かるぜ。持ってった手土産を渡さずに帰ってきたとあっては、会長に叱られるんでな」


 現在、座敷の中には俺と関口の他、岸根組の組員が10名ほど座っている。


 皆、俺をぐるりと取り囲むような並び方で、万一の際すぐに抜けるよう短刀の柄に手をかけていた。拳銃を持った若衆が居ないのは気になったが、それさえ除けば見事な用心深さ。江戸時代から続く老舗の名は伊達では無いらしい。


「さてと。本題に入るが」


 再び口を開くと、関口は俺に真っ向から問いを投げかけてきた。


「あんたら中川会は、うちと手打ちをしたい。これに間違いは無いな?」


「ああ。その通りだ」


「だが、一方であんたらはうちに対して詫びを入れようとは思ってねぇ。さっきの“見舞料”がその証拠あかし。そうだな?」


「……そうだ」


 俺が軽くなずくと、関口親分はニヤリと笑う。幹部の意見を蔑ろにできない中川恒元の苦しい実情を見透かしているかのような笑みだった。そして、彼はこう続ける。


「つまり、あんた方中川会は今回の件を悪いとは思ってねぇ癖して、カネだけ払って事を収めようとしてる。これって道理が通らなくねぇか?」


 かなり痛い所を突かれた。何て返せば良いやら、俺は否定の仕方に困る。されど、ここで下手に黙っては会話の主導権を握られてしまう。慎重に言葉を選びながら、俺はゆっくりと口を開いた。


「……確かに、あんたらの恨みはごもっともだ。だが、やったのは眞行路一家。総本部としては今回の件はまったく関知していなかった」


「おいおい。知らぬ存ぜぬを通すつもりかい」


 俺の言葉を聞くなり、関口は大笑いする。そして、ひとしきり笑った後に続けてきた。


「兄ちゃん。上の人間に『そう言って来い』って言われたんだろうが、悪いけどそんな言い訳は渡世じゃ通用しないんだわ。子の不始末は親の不始末、子がしでかしたことの責めを負うのが親の役割ってもんさ。分かるかい?」


 俺は大きく頷いて応じる。


「ああ。つまり、眞行路の暴走を止められなかった中川会総本部にも責任はあると」


「そうだが、俺ァ別に中川恒元に土下座をさせたいわけじゃねぇ。『子分が勝手にやったこと』と言い張るなら結構。ただ、その子分の首を貰い受けたい。あの日、眞行路に殺されたモンらの命の代金としてな」


 関口の言葉が脳内で自動的に反芻される。手打ちの条件は、眞行路高虎の首――やはり思った通りだ。それ以外で和議を成立させるつもりは無いらしい。


 だが、逆に言えば眞行路さえ粛清できれば、今回の件は無事に解決できるということになる。恒元が中川会三代目として岸根組に謝罪を行う必要も無い。すぐさま自分の中で状況を整理して、改めて確信を得た。


 この交渉の成否は、恒元が赤坂で高倉議員を説き伏せられるかどうかに懸かっている。俺は時間稼ぎに徹するとしよう。


「結局のところ、あんたらが欲しいのはカネ以上に眞行路高虎の首ってわけだな」


「おう。分かってんじゃねぇか。だったら、さっさと帰って恒元に……」


「待った!」


 そこまで関口が言いかけたところで、右手を上げて制止した俺。少々無礼だが、饒舌な老親分に立ち向かうにはこれしかない。そして軽く唾を呑み込んだ後、俺はゆっくりと首を左右に振り、ゆっくりと切り出した。


「いや。それは分かるんだがよ。ひとつだけ、確かめたいことがあるんだ」


 予想外の返答に、関口親分は目を丸くする。


「確かめたいこと?」


「ああ。これは会長の伝言とかじゃなくて、俺自身がどうにも気になっててな」


 俺は続ける。


「総本部の責任ってのは一理あるかもしれない。だが、そこを突き詰めてくとひとつの疑問にぶち当たる。そもそも今回の騒ぎの発端、眞行路は何で浅草へカチコミかけたのかって話だよ」


 俺の言葉を聞くなり、関口は大きく目を見開く。だが、すぐに表情を引き締めるとこう尋ねてきた。


「どういうことだい? 発端も何も、あのキチガイが一方的に攻め込んできたんだろうがよ?」


 眞行路高虎のことを狂人キチガイとまで罵ってみせた関口。今回の襲撃事件で彼が内に抱えた怒りは相当なものだ。下手に刺激すると場が荒れるだけなので、なるだけ慎重に、表現を取捨選択しながら俺は話を続ける。


「こいつは噂で聞いた話なんだがよ。眞行路が、浅草を襲ったのは『身内を助けるため』とか何とかほざいてるらしいんだ」


「何だと」


「まだ、現時点じゃ眞行路のバカがそう言ってるってだけの話で、確証は無いんだがな。あんた、これをどう思う? あんたの考えを聞きたい」


 俺の言葉を受けて、何が頭をよぎったというのか。関口親分は押し黙る。代わりに口を開いたのは俺を囲んだ組員だった。


「このガキ! 俺たちが悪いって言いてぇのか!?」


 1人が口を開いたのを皮切りに、周りの奴らが次々と怒声を上げてゆく。


「てめぇ、さっきから好きに言わせときゃ調子に乗りやがって!!」


「うちの組長に向かって何て言い草だゴラァ!」


「あんま舐めたことほざいてっと切り刻むぞ!」


「組長と岸根の代紋を馬鹿にする奴ァ、生かしちゃおけねぇんだよ!」


 その場に居た全員が交互に俺を痛罵し、中には本物の殺気を向けてくる者まで見受けられる。室内は騒然。まさにカオス状態。


 彼らを鎮静化させたのは、当の関口親分だった。


「黙ってろ!!!」


 組員の一人が、手をかけた柄を掴んで刀を抜こうとしたのを見過ごせなかったのだろう。年齢で云えば明らかに古希に差し掛かっていそうな老体の何処から発せられたのかと思わんばかりの大声だった。


「すまねぇな兄ちゃん。うちの若い衆が迷惑かけた」


「いや。こっちこそ、答えづらい質問で申し訳ない。俺が逆の立場だったら同じ反応をしていただろうさ」


 俺は軽く頭を下げると、改めて関口と向き合う。そして、言葉を続けた。


「答えられる範囲で、けっこうだ。あんたが思ってることを聞かせてくれ。こっちとしても眞行路のバカに落とし前をつけなきゃならねぇもんで、奴のやったことを詳しく知っておきたいんだ。どうか。頼む」


「……」


 俺が頭を下げると、関口は無言で腕を組んだ。そしてしばしの間逡巡した後、ゆっくりと口を開く。


「……状況だけを見て考えりゃ、そういう噂が飛び交うのも仕方ねぇ。この浅草で……眞行路一家の身内が見つかったってのは事実だ」


「それは本当なのかい?」


 俺が相槌を打つと、関口は続ける。


「ああ。この斜向かいにある料亭の庭で、何故か眞行路んとこの幹部の嬢ちゃんが寝てた。理由は分からねぇ。こっちから連れ去ったりなんざしてねぇってのに。どういうわけか、シャブを打たれた体で見つかったんだ」


 その女性を発見した関東岸根組はひとまず当人を保護。事務所の一室で介抱して、付き合いのある医者を招いて薬物中毒の解毒を行ったという。「断じて手荒に扱ってはいない」と関口は念を押すかの如く語った。


 ところが、翌々日になって事態は一変。眞行路が兵隊を率いていきなり押しかけてきたのだ。


「眞行路は『誘拐した女を返せ』と喚き散らしやがった。あの野郎は『自分の身内だ』なんて抜かしてたが、こっちにとっちゃ知ったこっちゃねぇ。そもそも、あの女が銀座の幹部の娘だって話も眞行路が来て初めて知ったくらいだ」


 寝耳に水の事態だったこともあり、兵力で劣る関東岸根組は銀座の猛獣相手に成す術も無く圧倒された。本部事務所は蹂躙され、最終的に火を付けられて全焼。偶然居合わせたカタギも含めて近隣に大きな被害が出てしまった。


「俺ァ、天地神明に誓って誘拐かどあかしなんざやってねぇ。ここにいる子分どもだって同じ。神農の名に傷がつくシノギはするなって日頃から言い聞かせてるんだ」


「ああ。俺もあんたらがやったとは思っちゃいねぇよ。そもそも、あんたらが浅草の外へ出ること自体が有り得ないだろ?」


「そうだ!」


 しみじみと頷いた関口は、喉を詰まらせながら言った。


「初代が将軍綱吉公から名字帯刀を許されて300年、関東岸根組は何時いつ、いかなる時も、ただ浅草を仕切ることだけ考えて渡世を張ってきた。余所者に馬鹿にされることもあったが、それでもジッと耐えてきた。なのに……」


 岸根組の“永世中立”は自ら掲げたものではなく、浅草の外へ進出することを徹底して憚る歴史の中で生まれた暗黙知だ。シマを広げずにいるのは他でもなく抗争を避けるためで、抗争を避けるのは神農たる的屋として無益な殺生を嫌うから。


 抗争の火種となる利害関係に取り込まれるのを防ぐべく、特定の団体と友好関係を結ぶことも一貫して拒否する頑固ぶりだが、それには深い理由わけがある。


「的屋ってのは客商売だ。楽しんでくれるお客が居て、初めて庭場にわばが成り立つんだい。血みどろの殺しなんかやってちゃあ、お客が離れるだろ」


 的屋系暴力団は日本に多々あるが、彼らは基本的に穏健派で、博徒系と違って積極的な領地拡大の思想を持たない。関東岸根組はそんな的屋系の典型例たる存在といえよう。


 関東大震災で浅草が焼けた時も、戦争の影響で興行が禁止された時も、どんなに苦しかろうと岸根の神農たちは他所への進出を避けてきた。逆に、高度経済成長やバブルなどで国が好景気に沸いた時世にあっても浅草から動かず、的屋稼業だけで組をまわした。


「喧嘩はしたくない」という意志を頑なに守り続け、純粋な的屋として現代まで続いてきた関東岸根組。そのおかげで、やがて稼業違いのヤクザたちも彼らに敬意を払い、浅草不可侵の不文律を設けて岸根組の庭場を中立地帯として扱うようになった。


 ゆえに現在、対立組織同士の交渉事は浅草にて行われることが多い。何処とも利害関係を持たない絶対中立組織のお膝元であれば、互いに安心して腹を割って話し合えるからだ。


「俺たちが遅れてるのは分かってるよ。ひとつのシノギだけで組を盛り立てていける時世でもねぇしな。だけど、捨てられねぇんだ。的屋魂ってやつを。これだから昔気質の老いぼれはいかんわな……へへへっ」


 ところが今、眞行路高虎が浅草に攻め込んできたことで彼らの“永世中立”の矜持きょうじと伝統が脅かされようとしている。不文律とは皆が暗黙の了解を守るとの前提で成立するもの。そうでなくては、いとも簡単に破られてしまうのだ。


「あんた、うちの若い衆が持ってる道具を見て気づかねぇかい?」


「……銃を構えた奴がひとりもいない。皆、ドスだの木刀だのバットだの近接武器ばっかりだな」


「そうさ。勘違いしねぇで貰いたいが、こいつはカネが無くて拳銃ハジキが買えないってわけじゃない。『買わない』んだ。うちの組が他所と戦争をすることは無い。自分ん所の庭場を守るための道具しか必要ねぇからな」


「けど、銃が無ければ今どき戦えないんじゃねぇのか?」


「ごもっともさ。おかげで眞行路にはこっぴどくやられたよ。あの一件でうちは若い衆が7人も殺されて、15人もパクられちまった」


 関口は悔しそうに一枚の新聞紙を俺に差し出してきた。そこには『浅草で発砲 暴力団抗争か』との見出しが。くだんの騒乱を報じるものであった。


「こいつをよく見てくれ。“逮捕者”ってところだ」


「ええっと……逮捕されたのは15人? えっ、これってまさか!?」


「ああ。そのまさかよ。警察サツにパクられたのはうちの兵隊だけ。向こうは手錠をかけられてもいねぇ。あっちが襲撃してきたってのにな」


 眞行路一家は浅草の警察署とも繋がっている――ここへ来る前に抱いていた予感が、確信に変わった。なればこそ三淵は「後は引き受ける」と言ってのけたのだ。あの場で浅草の警官に死体を見られても逮捕されない自信があったために。


 関口はため息をついた。


「ついこの前までは、浅草署も俺たちに手心を加えてくれてたんだけどなあ……たぶん、ここ最近で眞行路に懐柔されちまったんだろ。警察は賄賂次第でどっちにも転がるからな」


 眞行路高虎は警察を味方につけた上で浅草へ侵攻した。それ即ち、彼の関東岸根組襲撃が計画的な犯行であったことを示す。以上を踏まえて考えると、眞行路が侵攻の大義名分として掲げる“身内の誘拐”とやらも、だいぶ怪しくなってくる。


「関口さん。あんたは銀座に手を出しちゃいない……とすると、浅草で眞行路の幹部の娘が見つかった件は連中の自作自演ってことになるか?」


「その線は俺も考えた。だが、どうにも有り得ねぇな」


「えっ、どうしてだ?」


「眞行路はああ見えて大の麻薬嫌いだからだ。自分の組でも、麻薬は『売っても打つな』を鉄則にしてるくらいのな。そういう奴が、わざわざ自分ん所の幹部の娘にシャブを打つような真似はしないだろう」


 殺人や裏ビデオ製作、人身売買といった数々の非道なシノギに嬉々として手を染める一方で麻薬は快く思っていないという眞行路。カネになるから取引するだけで、実のところは強い嫌悪感を抱いているそう。半ば信じ難い話だ。


「あの眞行路が? まさか」


「本当さ。眞行路の先代、しんぎょうまさとらはヒロポンの打ち過ぎでイカレちまったからな。父親の命を奪った麻薬を快く思わねぇのは当然だわさ」


 それでもカネ儲けのため売買に限っては容認しているあたり、眞行路高虎という男の強かさが伺える。ただ、使用に関しては絶対に有り得ないと関口は語る。禁を破ってシャブを打った幹部をピラニアの餌にして処刑したこともあったそうな。


「眞行路の自作自演じゃないとしたら、シャブを打たれた若い女が浅草で見つかった件はどう説明する?」


「それに関してはさっぱりだ。ただ、あの娘さんは本当に攫われたんだろう。もちろん、やったのはうちじゃねぇがな」


 関口はきっぱりと言い切った。


「きっと、誰かが俺たちに濡れ衣を着せるために仕組んだのさ」


「……そうか」


 俺は考えを巡らせる。眞行路一家の襲撃が本当に仕組まれたものだったとしたら、それを謀ったのは誰かという話になる。


 事の首謀者はず、銀座で眞行路一家幹部の令嬢を誘拐して覚醒剤を打ち、その後に浅草へ連れて行って放置。関東岸根組の組員に発見されるよう仕向けたのだ。眞行路と岸根、両組織の衝突で漁夫の利を得る者が怪しい。


「関口さん。心当たりは無いか? あんたと眞行路を揉めさせることで得をする人間だ」


「いや、考えられん……」


 関東岸根組は絶対中立。渡世では比較的、恨みを買っていない方であるはずだ。怨恨の線は薄いと見て間違いなさそうだ。


「なら、質問を変える。あんたらの破滅を狙う人間はいないか? 関東岸根組が潰れることで利益を得そうな人間、浅草の土地を狙ってる人間とか?」


「いやあ、考えられんな。うちのシノギは専ら興行、近くの劇場の仕切りと街の用心棒が大半だ。利権を持ってるわけでもねぇ。強いて言うなら三社祭に毎年店を出してるくらいで、それだって他所からすりゃあ美味くも何ともねぇだろう」


 彼らが江戸時代から中立を維持してこられた理由のひとつに、浅草という土地の魅力の乏しさがある。


 雷門や仲見世通りといった名所目当ての観光客は沢山の金を落としてくれるが、全体の総額は繁華街や歓楽街のそれに劣る。むしろ、歴史的建造物の保護云々で土地開発事業の話も皆無。「戦争を仕掛けて手に入れる価値が無い」からこそ、浅草は今まで侵略の手を逃れてきたのだ。


「うーん……だとすると、どうしてあんたらは狙われたんだ? わざわざ眞行路一家を操ってまで、今回の黒幕は何を得ようと?」


「分からん。うちは栄えてるわけじゃねぇ。どっちかって言やあ、衰え気味だ。さっき話した三社祭のシノギも、来年以降はどうなるか分からねぇってのに。祭りがこれから続くか、続かねえか。危うい所なんだよ」


「えっ、浅草の三社祭といえば日本中で有名な祭りだろ。中止の可能性が出てるのか?」


「山車同士のぶつかり合いで毎年ケガ人が出てるのを行政が良く思ってねぇらしい。特に、都知事。今の条例を変えて派手な山車を禁止しようとしてやがる」


「そんなことしたって意味が無いのにな……」


 三社祭が終わってしまえば関東岸根組はシノギの柱を失って大打撃を被る。ただでさえ浅草から出られなくて懐具合が苦しいのに、仮にそうなったら最早虫の息だ。言っては悪いが、現状の岸根組を侵略する価値など、何処にも無かった。


 さて。ここまで関口と上手く会話を繋いできたが、既に座敷へ通されてから90分近くが経過している。時間稼ぎとしては十分だ。あとは恒元会長が高倉議員と上手く話を付け、眞行路処刑の承諾を得るのを待つのみ――俺は改めて気を引き締め直した。


 ところが、ここで関口が思いもよらぬことを口にする。


「ああっ! そういえば!」


 突如として両手をパチンと打ち鳴らし、何かを想起した老親分。いきなり鳴った音に驚きながらも、とりあえず彼に尋ねてみた。


「何か思い出したのか?」


「稼業人じゃあねぇが、うちの組を潰そうとしているって点では当てはまる野郎がいる」


「ん? 誰だ?」


「都知事だ。都知事の、桜坂さくらざか庚太郎こうたろう。あいつはヤクザを敵視している。三社祭の件も地域住民の安全確保だの何だのと叫んじゃいるが、本当は的屋である俺たちを潰したいんだ」


「いや、あの政治家は……」


 桜坂都知事は保守系の大物政治家。その辺の知識は頭に入っていた。しかしながら、ヤクザを敵視しているというのは表向きの話で、本当はヤクザとはおんぶに抱っこ。前年の春の都知事選では中川会の支援を受けて当選したと聞くほどだ。


「……実を言っちまうと、桜坂は中川会の傀儡だ」


「えっ? 中川会の傀儡?」


「あ、ああ。だが、桜坂はあんたら的屋を敵視してはいないし、ましてや中川会が都知事を動かしてあんたらを窮地に追い込もうと謀ってるわけでもねぇ。それは信じてくれ」


 都知事と我らが中川会の密通。裏社会では半ば公然の秘密になっていると思っていたので、関口組長が知らなかったのは俺の意表を突いた。様々な組織の階段が行われている浅草であれば、自然と情報も入ってくるだろうに……。


 彼が直後に見せた口をあんぐりと開けた表情もまた、俺の驚愕に拍車をかけた。


「はあっ! そんなはずは!?」


 紳士然とした振る舞いが特徴の桜坂都知事に限って、そんなことは有り得ないとでも言いたいのか。


 関口功夫ほどの老練な親分が見た目のクリーンなイメージにとらわれるとは意外……と思っていたら、次の刹那、彼の口から出た言葉がまたしても俺に衝撃を与える。


 ただ、今度は別の意味で驚かされる言葉だった。


「……こないだ、料亭の女将が盗み聞きした話と違うな。都知事の桜坂は松下組の言いなりだって聞いたぜ。中川会じゃなくて、煌王会の」


「なっ、何だと!?」


 その女将は先月に店で行われた地方の中小組織同士の会合に聞き耳を立てたという。曰く、桜坂都知事は煌王会直系団体の二代目松下組とかなり親密な関係にあるとの話。挙げ句、前年の選挙戦では煌王会松下組からも支援を受けたとか……。


「その話、マジか!?」


「ああ。間違いねぇと思う。だから、それを聞いた俺はてっきり桜井都知事の後ろ盾は煌王会なのかと考えていたんだ」


 どういうことだ。仮にも中川会側の人間であったはずの桜井都知事が、煌王会へ乗り換えようとしているのか。事実であれば都知事の背信行為。明白な裏切りだ。時間稼ぎのために会話を引き延ばすつもりが、とんだ重大情報に触れてしまった。


 とりあえず、帰ったら即座に恒元へ報告せねば――と、思ったその時。俺の頭の中で、不意に閃光のごとく点と点が結びついた。


「……なるほど。そういうことだったか」


 自然と声が漏れ出た。


 もしかすると、このまま時間稼ぎを続ける必要は消えたかもしれない。それどころか、上手くいけばここで関東岸根組と和議を結べるかもしれない……。


 とりあえず、思考をフル回転させて今後の作戦組み立てる。やがて首を傾げながら「どうかしたのか?」と尋ねて関口親分に、俺はつい今しがた出たばかりの推論を告げた。


「関口さん。今回の眞行路の暴走、こいつを裏で仕組んだ奴の正体が分かったかもしれん」


「何? そいつは誰だ!?」


「今の時点じゃあ確証は無い。あくまで俺が立てた仮説に過ぎねぇんだが……」


 軽く前置きを挟み、俺は話を切り出す。関口のみならず、気づけば室内にいる岸根の若衆たち全員が固唾を吞んで話に耳を傾けるようになっていた。ここは暫し、じっくりと聴いて貰おう。


「……糸を引いているのは、たぶん煌王会だ」


「煌王会だと? どうしてこの浅草を!?」


「俺が思うに、連中の意図は他でもねぇ。これは、煌王会が東京進出を狙って立てた計画の一部なんだ」


「なっ!?」


 唐突な指摘を前に困惑し、雷鳴に打たれたがごとく言葉を失う一同。そんな彼らを前に、俺は淡々と己の見解を述べていったのであった。

浅草で起きた騒動を裏で操っていたのは、なんと煌王会!? “永世中立”の看板を愚直に守り続ける的屋集団に忍び寄る悪意。次回、衝撃の展開が……。

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