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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第9章 帰ってきた悪魔
170/238

弾の探り合い

 敵の発砲は不発に終わった。きっと給弾不具合ジャムを起こしたのだろう。されども安堵している暇は無い。


「てめぇら、何やってる! 早く会長をお連れしろッ!!」


 驚愕か、あるいは恐怖の所為か。案山子のごとく硬直して動かない新入り連中を俺は一喝する。その怒声で酒井がようやく我に返って動き出す。


「じ、次長! どうすれば……!」


「会長を囲んで来た道を戻れッ! てめぇらが盾になるんだ! それくらいはできんだろ!」


 執事の本分は会長の護衛。ここで命を張らずして何とするか。俺の言葉に酒井はハッとした表情を浮かべ、大きく頷く。


「わかりました!」


 震える声で返事を寄越した酒井は会長を庇うように前に出ると、他の新入りと共にぐるりと囲むような陣形を取る。緊急時のフォーメーションとして基礎訓練は摘ませてある。あとはうまく逃げ延びてくれることを祈るだけ。


 そうこうしている間に敵の動揺も鎮まってきた。


「คุณโชคดีญี่ปุ่น แต่ปาฏิหาริย์เดียวกันจะไม่เกิดขึ้นอีก คราวนี้ฉันจะฆ่าคุณ(運が良かったな、日本人。だが、同じ奇跡は二度と起こらんぞ。今度こそ殺してやる)」


 どうやら先ほどの銃弾が止まった現象をブローバック機能の不調だと勘違いしたらしく、彼らは銃を捨ててナイフに持ち替える。これは都合が良い。こちらも得意な領分で思いっきり暴れることができる……だが、その前に確認だ。


 俺は奴らに問う。


「รอสักครู่หนึ่ง เราไม่ใช่คนที่ยิงพวกเขาจริงๆ คุณไม่เชื่อฉันเหรอ?(ちょっと待ってくれ。さっき撃ったのは本当に俺らじゃねぇんだ。信じてはくれねぇのか?)」


 発音の難しいタイ語で訴えかけると、敵の一人がいきり立って返答する。


「ดังนั้นใครเป็นคนยิงมัน? ฉันไม่คิดว่ามันอาจจะเป็นใครแต่คุณ(じゃあ、誰が撃ったというんだ。お前ら以外には有り得んだろう)」


 にべもない返事。確かに銃弾の飛んできた方向から考えるとそう結論付けるのが妥当だろう。しかし、断じて違う。あの時、俺も才原も恒元も銃は持っていなかったし、ましてや助勤たちに撃てるわけがないのだ。


「ก่อนหน้านี้เราทุกคนมีปืนอยู่ในกระเป๋าของเรา คุณรู้ไหมว่าฉันทนไม่ไหว(さっき、俺たちは全員が銃を懐に入れていた。咄嗟に構えられねぇのはあんたらにも分かるだろう)」


「ไม่. อาจมีคนที่มีทักษะการยิงเร็ว(いいや。早撃ちの技を持つ人間がいたかもしれない)」


「กระสุนบินไปในทิศทางที่ผิดตั้งแต่แรก ดูที่หน้าผากของผู้ชายนอนอยู่ตรงนั้น บาดแผลกระสุนปืนชี้ขึ้นข้างบนไม่ใช่หรือ? ฉันไม่คิดว่ามันเป็นไปได้ที่จะระเบิดหลุมในนั้นจากตําแหน่งของเรา(そもそも弾丸が飛んできた方向がおかしいんだ。そこに転がってるホトケさんの額をよく見てくれ。銃創が上を向いてねぇか? 俺たちの位置から、そこに風穴開けるのは無理だと思うが)」


「แม้ว่าคุณจะไม่ได้ยิงคุณอาจซ่อนมือปืนไว้ นั่นคือจุดจบของเรื่อง ฉันจะฆ่าคุณ(お前らが撃っていないとしても、スナイパーを潜ませていたかもしれない。話は終わりだ。お前らを殺す)」


「รอ ฉันไม่อยากฆ่าคุณเช่นกัน ฟังฉันอีกนิดโอเคไหม?(待ってくれ。俺もあんたらを殺したくないんだ。もうちょっと話を聞いてくれや、なあ?)」


 射殺されたサーマートの仇を何としても討つべく、タイ人たちは復讐に燃えている。対話の余地は最早無さそうだ。彼らが手にした刃物は古式のカランビットナイフで、くねるように湾曲した短い刀身が特徴的。もしや東南アジアの伝統武術、シラットの使い手か。これは面白い喧嘩になりそうだ。


「...... คุณมีแรงจูงใจหรือไม่?(……あんたら、やる気か)」


「แน่นอน มันขัดกับสไตล์ที่จะกลับบ้านด้วยการถูกทุบตี คุณจะได้รับรางวัล(当然だ。やられっぱなしで帰っては流儀に反するのでな。報いを受けて貰うぞ)」


「เฮ้ย... นั่นเป็นเหตุผลที่มันแตกต่างกัน!(おいおい……だから、ちげぇっての!)」


「Tsunemoto Nakagawa เป็นผู้ประกอบการยากูซ่าของญี่ปุ่น ถ้าเราฆ่าพวกเขาที่นี่ชื่อการต่อสู้ของเราจะดังก้องไปทั่วเอเชีย! การแก้แค้นและการเปลี่ยนแปลงจะมาถึง!(中川恒元は日本のヤクザの大物。ここで殺せば俺たちの武名はアジア全体に轟く! 仇討ちついでにお釣りがくる!)」


 その時、白煙が上がった。空気の抜ける音がしたかと思えば、爆発するように一帯が霧に包まれてゆく。これは煙幕だ。タイ人たちは咳き込んでいる。


「麻木。お前はこいつらを足止めして時間を稼げ。その間、俺が会長を逃がす」


 どうやら才原局長が煙幕弾を投げたらしい。敵の視界を奪って怯ませる忍術特有の技だ。


「任しとけ」


「おそらく撃ったのは何らかの第三勢力。会長の取引を邪魔せんとする不埒な輩だ。先刻に逃げる男が見えた」


「マジかよ。じゃあ、早く追いかけないと……」


「酒井たちに辺りを探させろ。では、この場は頼むぞ!」


 やがて煙が晴れると、恒元の姿が無い。局長がうまく連れ去ったのだと分かり、俺は一安心する。防御陣形で囲んでいたはずの会長が消えていることに酒井たちは狼狽えていた。


 俺は檄を飛ばした。


「おい! 何をボサッとしてやがる! さっき撃った輩がまだ近くにいるはずだ! 探すんだよ!」


「えっ! でも、どうやって探せば……!?」


「手分けして探すとか、方法は色々あるだろうが! ここは俺が食い止める! さっさと行け!」


 まだべらぼうに遠くへは行っていないはずだ。酒井たちはぞろぞろと散らばって廃工場を出て行く。彼らに捜索の腕があるとは思えないが、ここは可能性に賭けるしかないか……そんな中、次第に煙幕が晴れてくる。


「ฉันไม่คิดว่ามันเป็นหน้าจอควันที่จะซื้อเวลา มันเป็นวิธีที่ชาญฉลาดในการทําสิ่งต่าง ๆ ตามแบบฉบับของคนญี่ปุ่น(煙幕で時間を稼ぐとはな。日本人らしい小賢しいやり方だ)」


 彼らにとっては流石に想定外だったようで、中には依然として咳き込む男も見受けられる。立ち込めていた煙が消えて、一人になった俺を見るや否や、連中はナイフを構えて襲いかかってきた。


「"ไม่สําคัญว่าคุณจะมีปืนหรือไม่ฉันจะฆ่าคุณ! ญี่ปุ่น!"(銃を持っていようが関係ない! 殺してやる! 日本人!)」


 待っていましたとばかりに、俺はその場で地面を蹴って空中へと飛翔する。廃工場の天井が高くて助かった。一方、敵はまるで鳥のような動きをした俺の姿を一瞬見失った。


 こちらは一気に勝負をかけさせてもらう。


 ――ズガァァン! ズガァァン! ズガァァン!


 身を翻して落下する速度を速め、それと同時に拳銃ハジキの引き金をひく。先月に編み出したばかりの急降下射撃。ここ最近は荒事が無かったのでようやくの初陣だ。


「ยี้!(うぎゃあっ!?)」


「หยุดก่อน!(うおおっ!)」


「ช่างเป็นวิธีการถ่ายภาพญี่ปุ่น...!(何ちゅう撃ち方だ、日本人……!)」


 1人、また1人と敵兵が地面に倒れる。皆、何が起こったか理解が追い付いていないような断末魔であった。全弾命中。俺としては眉間を正確に撃ち抜けた。


 着地と同時に、更に引き金をひいて近くの男を倒す。


 ――ズガァァン!


 もう片方の左手では近接攻撃。反対側に立つ敵の喉元へ突きを見舞う。咽頭部に強烈な一撃を食らい、男は即座に終わった。


「อ่า ยี้ !(あがっ……! ぐうっ……!)」


 敵はまだ残っている。カランビットナイフで薙ぎを放たれたので瞬間的にかわし、流れるような動作で拳銃を発射する俺。もう一発は別の敵へと向ける。


 ――ズガァァン!


 懐へ飛び込んでくる男へ向けて、一発。


 ――ズガァァン!


  そして背後から迫ってきた敵兵を後ろ蹴りでいなすと、倒れたところへ容赦なく引き金をひいた。


 ――ズガァァン!


 撃ち終わるや否や身を反転させ、正面の敵を発砲で牽制しようとした俺。しかし、弾丸はそこで尽きてしまった。トカレフTT-33。装弾数は計7発。込められた全てを使いきったというわけか。


「おっと! こりゃあいけねぇ……!」


 一方、敵はさらなる闘志をむき出しにしている。残り23人。この囲まれた状況で再装填を行っている余裕はなさそうだ。拳銃はここでお役御免。道具を地面に投げ棄て、俺は構えを取り直す。


「……お前らに時間をかけてる余裕は無い」


 呼吸を整え、並び立つ敵に向かって突進する。


「ญี่ปุ่น ฉันจะไม่มีวันลืมความแค้นนี้...(日本人……この恨みは忘れんぞ……)」


 敵の体から噴き上がる血しぶきを浴びて着地した時には、既に勝負は決していた。


 最後の一人がドサッと地面に崩れるのを見届け、俺はすぐさま廃工場を後にする。早く酒井たちに追いつき、取引に水を差した男の捜索に加わらなくては。回転を続けた反動で目が回るのが本当に厭わしかった。


「はあ。どこへ行きやがった?」


 無論、近くには見当たらない。三半規管がイカれたせいでよろめく体に鞭を打って、とりあえず敷地外を目指す。門の前に停めていた会長専用車は既に走り去っており、才原が上手いこと会長を逃がしたのだと分かって、ひとまず安堵する。


 あとは不審者の捜索。何としても見つけ出して素性をあらためなくては、後々が面倒だ。


 敵の発砲に狼狽えていたくらいだから、酒井たちは殆ど素人に近い。逃走者に追い付いている可能性は高いとは云えない。やはり、半々の可能性を天運に託すしかないのか――。


 そう思った、次の瞬間。


「次長! こちらです!」


 聞き慣れた声が鼓膜を打った。酒井だ。


 声のした方向に視線を向けると、そこには思わぬ光景があった。なんと、酒井をはじめとする新入り助勤の面々が山のように群がって一人の男を取り押さえていたのだった。


「逃げられると思ったら大間違いだぞ、この野郎!」


「よくもさっきは危ない目に遭わせてくれたなぁ! 殺してやるぅ!」


 地面に押さえつけられながらもジタバタと抵抗する男を囲んで罵声を浴びせる新入りたち。1人に対して7人は明らかにオーバーだが、恐らく全員が一心不乱にこの男を追いかけた結果だろう。大した執念だ。俺もさっきの戦闘の代償が抜けきらなかったので助かった。


「ああ。お前ら、サンキューな。おかげで探す手間が省けたぜ」


「次長! ど、どうしたんですか!? フラフラされてますけど……」


「俺のことは良いんだ。そんなことより、よく追い付けたなあ」


 目元を押さえてしゃがみ込んだ俺に、酒井は言った。


「こいつ、そこの小屋に隠れてやがったんです! 俺たちも驚きましたよ!」


 小屋というのは守衛所跡のこと。廃墟がかつて工場として稼働していた頃、警備員を常駐させるのに使われていたであろう建物だ。


 聞けば男は脚を挫いているらしく、そう遠くへは逃げられなかった模様。先ほど俺たちを撃ったのは廃工場内の高所だったと考えれば、そこから逃げる際に転宅してしまったか。つくづく間抜けな話だが、俺たちに天が味方してくれたと考えるべきだろう。


「ご苦労さん。あとは俺がやる」


 俺はじたばたする男を睨みつけた。


「てめぇ。面倒を起こしやがって。誰のシノギに水を差したか、分かってんのか?」


 マスクにサングラスに黒の野球帽、といういかにも怪しい風貌の男。どこぞの組織の者か。誰に頼まれて恒元の取引を邪魔しに来たのか、それを吐かせねばならなかった。


「この野郎……どこのチンピラだよ!?」


 俺は男の顔から覆面を引っぺがす。だが――。


「お、お前は……!」


 何ということだろう。その男は、俺がよく知っている人物だったのだ。


前波まえなみ!?」


「よう、麻木涼平。久しぶりだな。日本に戻って来たと思ったら、まさか執事局の次長とはな。大した出世じゃねぇか、なあ」


「お前、どうしてこんな所に……本庄の差し金か?」


 前波まえなみ清春きよはる。直参、本庄組の構成員で俺とは旧知の仲。横浜から逃れて五反田へ居候していた五年前、事あるごとに先輩風を吹かせていた人物である。ここで再会しようとは夢にも思わなかった。


「お前らこそ、さっきは何やってたんだよ。よもや会長御自ら麻薬ヤク禁止の掟を破ってるなんて言わねぇよなあ、クックックッ……」


「質問してんのはこっちだ。答えやがれ。本庄の命令で、取引を邪魔にしに来たのか?」


「さあな。何を聞かれても俺は答えねぇぜ」


 余裕綽々の笑みを浮かべて追及をかわす前波。こうなったら、ここでこいつを絞り上げて吐かせるしかない。おそらくは本庄から指示を受けて恒元を罠に嵌めたのだろう――。


 と、思っていると遠くからサイレンが聞こえた。パトカーの接近だ。


「まずい! 警察サツだ!」


 銃声を聞いて近隣住民が通報したのか。当局と打ち合わせ済みなのはあくまでも麻薬取引だけ。殺人の現場を見られたらかなり厄介なことになる。


「おい、お前ら! こいつをバンに乗せろ! とりあえず拉致るぞ!」


「はいっ!」


 全員が一斉に頷くと、すぐに前波を引きずって車に押し込み始める。無論のこと前波は最後まで抵抗したが、負傷した足では最早逃げ出すこともできないのでまんまと捕獲成功。続けて俺もバンに同乗する。


「よし、出せ! できるだけスピードを落として走れ! 何のことは無いカタギの車って風を装うんだ!」


「了解です」


 やがて廃工場の敷地を抜けて公道に出たところでパトカーとすれ違ったので、俺は少し緊張した。幸いにも向こうはこちらに気付かず。ただの清掃業者の車とでも思ったのだろう。


「どうやら上手くやり過ごしたみたいですね、次長」


「安心するのはまだ早いぜ。局長に無線を繋げ。あの工場の後始末をしなきゃならねぇ!」


「分かりました」


「あとは、この馬鹿から事の真相を洗いざらい吐かせねぇとなあ……」


 前波をジロリと睨みつける俺。奴の髪を引っ張り、宣言した。


「答えたくないならそれで良い。これからたっぷり、お前の体に聞くだけだ。覚悟しておけ」


 俺たちが向かったのは赤坂の総本部……ではなく、総本部に程近い新宿区若葉3丁目の雑居ビル。俗に「信濃町」と呼ばれるこの地域に、執事局はいくつかの物件を所有していた。そのひとつを使ったというわけだ。


 ヤクザであれば、好きな時に好きなだけ利用できる物件を幾つか持っているもの。赤坂へ連れて行かないのは幹部たちに気取らせないためだ。尤も、察しの良い本庄は既に気付いているかもしれないが、それでも時間は稼げる。


 さっそく前波を椅子に縛り付け、上半身を脱がせた。拷問開始だ。


「よう、前波。この建物全体がもぬけの殻でな。お前がいくら泣き叫ぼうが誰にも気づかれねぇ」


「ああ? だから何だよ……?」


「お前を好きなだけ痛めつけられるってことだよ!」


 俺は奴の胸に鉄針を突き立て、そのままグイッと中へ押し込んだ。瞬間、強烈な激痛が襲ったようで、目隠しをした前波から悲鳴が上がる。


「うああぁ! がぁ……ッ!」


 激しく抵抗するものだから、せっかく拘束した体が椅子ごと動いてガタガタと煩い。


「痛みで発狂する前に答えた方が身のためだぜ」


「て、てめぇ……! ふざけや……がって……!」


 顔を苦痛に歪めながらも不服従の意思を顔に表す前波だったが、やがて俺が二本目の針を突き入れるとそれも出来なくなった。


「うがああああああっ!」


 指を引き抜くと、そこからは真っ赤な血がダラリと流れ出てくる。苦痛が苦痛を呼ぶ凄惨な光景を前に、側に居た酒井たちが顔を背ける。だが、俺は敢えて彼らに言った。


「おいおい。目を背けるんじゃねぇ。お前らもしっかり見るんだよ」


 極道の世界に、こうした場面は付き物。他にももっと残忍な処刑や拷問があるというのに、この程度で臆していては渡世をやっていけない。彼らには学習のつもりで刮目してもらわねば。


「ううっ……次長……もう無理です……」


「俺もです。兄貴、吐きそうです」


 酒井のみならず、呼びつけた原田までもが怯えきっている。しかし、俺は淡々と言い放つ。


「ゲロ吐きたいなら吐けば良い。だが、目を閉じたり、ここから逃げ出したりすることは許さねぇ。最後まで見届けるんだよ」


 そうして「俺の言うことに逆らった奴は殺す」と付け加えると、彼らは真っ青になった。まあ、気持ちは分かるが止むを得ない。これもまた、ヤクザとしてワンランク上に成長してもらうために必要なこと。


 俺は拷問を再開する。


「本庄に命じられて、俺たちの麻薬ヤクの取引を邪魔にし来た。そうだろ?」


「だ……黙れ……俺は、何も……」


「そうかい。じゃあ、三本目を刺してやるよ。どこまで耐えられるかな」


 言葉通りに三本目を突っ込むと、一段と大きい絶叫が響き渡った。とうとう前波は目から涙を流して許しを請うようになる。


「お願いだ……! もうやめてくれ……!」


「質問に答えなければ4本目を刺す。誰に頼まれてあの場をみだしやがった?」


 指を軽く当てながら尋ねる俺。ところが、その質問に前波は答えようとしない。往生際の悪い奴め。


「そんなに刺されたいのかねぇ」


 四本目を突き入れた針が深々と肉に埋める。ズブリと厭な音がして、前波の口から血が滴る。


「うぎぃぃぃぃぃぃッ!? あ……あう……」


「本庄から命じられて来たんだよなあ。早く認めろよ」


 悶絶する彼に追い討ちをかけるように質問を重ねる俺。しかし、奴の口は開かない。ぐったりとして苦痛に顔を歪ませているだけだ。


「ほう。なら、5本目だ」


 そして20分が経過。失禁するまで責め抜いた後、ようやく彼が口を開いた。だがその答えは――。


「……俺は確かに親分の命令で来た……けど、勘違いするな……お前らを邪魔しようって意図は無かったんだ」


「ああ? どういうことだ?」


「お前らが取引してた……サーマートっていうタイ人……あいつは本庄組うちのシマを荒らした大悪党……だから……俺は……親分から直々に野郎の始末を任されたってわけだ」


「つまり、お前は奴をはじくためにあの場に来たと? そういうことか?」


 俺の問いに、前波は汗まみれの顔でニヤリと笑いながら答える。


「そ、そうだ……」


 やられた。俺は本日3度目の舌打ちをする。


 前波としては「シマ荒らしのお尋ね者を殺そうと踏み込んで行ったら、何故かその場に会長が居た」という言い分。シマ荒らしの討伐は組の通常業務。その範疇で行った発砲であり、会長に危害を加えるつもりは無かったとのこと。


「親分のところにタレコミがあった。『サーマートの組織が渋谷で幻覚剤の買い付けをする』って情報がァ……そしたら、その相手がまさか会長様ご一行だったとはな……」


「与太こいてんじゃねぇ。最初から会長を嵌めるつもりだったんだろ!」


「俺が撃ったのは拳銃だぜ……嵌める意図があるならスナイパーライフルでも使うだろうが……そんなことより、お前らがあの場に居たことの方が問題じゃねぇのか? 『中川会は麻薬禁止』なのによォ……」


「うるせぇ」


 俺は怒りに任せて指を突き刺した。だが、つんざくような悲鳴を上げた後、前波は息も絶え絶えになりながら不敵に笑うのだった。


「なぁ……麻木よ……こんな拷問、さっさと止めねぇか? 俺を痛めつけたところで無意味だぜ……初代からのご祖法である麻薬禁止の掟を会長自ら破ったって事実に変わりはないんだからな」


 さて。ここからどう出るか。考えに考えをめぐらせた後、俺は前波に答えを返した。


「てめぇはさっきから何を言ってやがるんだ。確かに、俺たちがあのサーマートとかいう男と取引に応じたのは事実だ。けど、それは麻薬を売るためじゃない。野郎どもを誘い出して生け捕りにするためだ」


「なっ……何だとぉ!?」


 そう来たか、とばかりに動じる前波。呆気にとられた隙に付け入るように、俺はなおも奴に冷ややかな言葉をぶつけてゆく。


「俺たちは偽の情報でタイ人どもを呼び出し、信用させきったところで捕らえる算段だった。『中川会は麻薬禁止』、その掟を誰よりも尊んでおられる会長が御自ら指揮を執った作戦だったんだ。それをてめぇはぶち壊したってわけだ」


「ちょっと待て……偽の取引だと……? へっ、そんな言い訳が通ると思うのか? うちの組は確かに、三代目がタイ人に幻覚剤を売るって話を……」


「ちょっと待て。お前、いま何つったよ」


 俺は前波の胸倉を掴むと、その首を絞め上げた。顔色が紫色に変わってゆく中、奴は激しく首を横に振る。


「い、いや……俺は何も……」


「会長がタイ人に幻覚剤を売るって情報を仕入れた? だったら、お前は会長があの場に居られると分かっててやったのか? そういうことだよな?」


「ち、違う……」


「これは紛れもない反逆だ。あの場でサーマートを撃てばタイ人どもがブチギレて会長の身に危険が及ぶ、それは容易に想像がつくこと。だが、お前はそれを敢えてやったんだ。あわよくば会長を始末してもらうために!」


「そうじゃな……」


「取引相手が会長と知らなかったのなら、まだ弁明が成り立つ。だが、お前は分かった上で引き金をひいた。こりゃあ、相当重い罪だぜ? お前ひとりの処刑じゃ済まなくなるかもなぁ。最低でも本庄は絶縁、組は取り潰しだ」


 これ以上首を絞め続けたら窒息しそうなので、俺は頃合いを見計らって手を放す。前波は激しく咳き込み、涙目でこちらを見上げながら訴えてきた。


「こ、これは俺一人が企てたこと! 親分は関係ねぇ!」


「おいおい。お前、さっき『親分に命じられて』って言ったじゃねぇかよ」


「あれは、何つーか、言い間違いっつーか……そんなことより、お前らはどうなんだ! ? サーマートを偽の取引の情報で呼び出したのなら、奴が吸ってたあの白い粉は何なんだよ!?」


「偽物の幻覚剤だよ。馬鹿野郎」


「に、偽物でラリるわけねぇだろ!」


「あれは演技かもな。まあ、サーマートとやらが殺されちまった今となっては、確かめる術も無いわけだが!」


 幸いにもあの廃工場でサーマートに渡すはずだった幻覚剤入りのアタッシュケースは全て回収済み。サーマートたちの死体も執事局の別働部隊を向かわせて回収してある。俺たちが本物の麻薬取引を行っていたという証拠は何処にも無い。万が一に備えて手を打っておいたことが、まさかこのような形で役に立つとは……。


 客観的に考えれば俺の主張は詭弁そのものでかなり苦しい言い訳だったが、状況としては反逆の罪を犯した前波の旗色が悪すぎる。俺がさらに追及を仕掛けると、奴は無様にも懇願してきた。


「さあて。問題は、お前のやったことにどう落とし前をつけるかだ。会長を危険な目に遭わせた罪をどう償う?」


「あ、麻木! 俺のことは好きにしても構わねえ。だから、こ、今回のことは全て俺の責任にしてくれ!」


 そう言って、こちらに頭を下げたのだ。先刻の余裕はどこへやら。


「何もかもが独断で、本庄の指示は無かったと。この期に及んで親分を庇おうってのか。大した忠誠心だな」


 俺は前波の目の前に仁王立ちすると、奴の顔を蹴り上げた。どぎつい音を立てながらパイプ椅子ごと床に転がってゆく前波。奴にはまだ聞かねばならないことがある。


「おい、前波さんよ。今回の情報を本庄組は誰に聞かされたんだ?」


「ううっ……!?」


 前波の顔色が変わる。今回、本庄組は明らかに恒元の動向をかなり詳しい所まで把握している。その証拠に先ほど、前波は『サーマートが渋谷で幻覚剤を買い付けをする』と言った。あの場で登場した麻薬が幻覚剤だとは誰も口にしていないにもかかわらずだ。


「廃工場じゃあタイ人どもは“幻覚剤”とは言ってねぇ。あくまで“ヤク”と言った。なのに、お前はどうして俺たちが連中を誘き出すエサに偽の幻覚剤を使ったと分かった?」


「そ、それは……サーマートの組織に内通者が居て……」


「そいつは違うな。連中は俺たちから買えるものが、てっきり覚醒剤シャブだと思っていやがった。あの状況に至るまで幻覚剤のことは俺たちにしか分からねぇ情報だった。それを誰を伝手に知ったのかって聞いてんだよ!」


 軽く声を荒げると、前波は表情を強張らせる。こうまでして恐れ慄くということは、自白すれば本庄組にとって相当な痛手になると見た。


「う、うちの情報源で……」


「その情報源が誰かって話だよ! さっさと答えやがれ!!」


 さて、誰の名前が出てくることやら。俺が執拗に問う理由は他でもない。万が一つの可能性を徹底して排除するためだ。


 幻覚剤の話は、俺たちサイドしか知らなかった話。それが漏れていたとなれば、あまり考えたくはない線が浮かび上がってくる。俺たち側の誰かが本庄組に情報を漏らしていたかもしれない――ということである。


 執事局次長助勤の7名か、才原か。そのうち誰かが本庄組に内通していた疑惑がある。本庄組と利害関係で繋がる何者かが、報酬を見返りに恒元を罠に嵌める手引きをしたのだ。


 俺はふと、部下たちに目をやる。本格的な拷問室に遭遇するのは初めてなのか、誰もが脚をわなわなと震えさせている。才原局長に限って裏切る可能性は低い。とすれば、やはりこいつらか? いや、決めつけるのは尚早だ。結局のところ、前波に口を割らせるしかないのだ……。


 俺は奴を起き上がらせ、耳元で問うた。


「誰に伝えられた? そいつの名前を言え!」


「い、言えるものか……! それだけは言えない! 言えないんだ!」


 ――グシャッ。


 何かが切れる音が聞こえた。嫌な予感が胸をよぎり、前波に視線を戻す。彼は口から大量に血を吐いていた。


「ううっ……ううっ……ううう……」


 驚いた。組の不利益につながる情報は絶対に言わない、不屈の闘志。最後の最後まで黙秘を守り通すとは。我が身可愛さに親分を売ったりはしないのか。前波清春、本当に見上げた忠誠心の高さである――。


 いや、感心している場合ではない。ハッと我に返った俺に酒井が叫ぶ。


「次長! こいつ、舌を噛み切ってます!」


「分かってる! 早く医者を呼べ! 早くしろ!」


 この男をここで殺してしまったらまずい。殺してはならない制約があるからこそ、先ほどは急所を外して痛覚だけを突く拷問を行ったというのに。まさか舌を噛み切るとは……。


「医者はまだか! 早くしろ!!」


 想定外の混乱に包まれた、5月の連休真っ只中の信濃町。結果、直後にやって来た救急車で病院へ担ぎ込まれたことで前波は辛うじて一命をとりとめた。しかし、大量出血の後遺症により暫くは起き上がれない容態になってしまったそうな。


 俺たちとしては恒元の麻薬取引の一件が表沙汰にならなかったから良いものの、これでは逆に本庄組へ借りを作ってしまったようなものである。おまけに、真相も闇の中である。


 本庄組に取引の情報を流したのは、誰か……?


 それを突き止められなかった以上、どこか不穏な空気が漂う感覚がしてならなかった。


「我輩の取引の件は何とか誤魔化せたのだから、こちらに分がある。本庄にどう突かれても巻き返せるさ」


「だと良いのですが」


「それにしても前波とかいう若衆の忠義者ぶりは見事だな。執事局にも欲しいくらいだ」


「え、ええ……」


 浮かない顔をする俺に、恒元は言った。


「悩みの種は内通者の件か?」


「……はい。あまり疑いたくはありませんが、可能性として排除できないのも事実です。会長もどうかお気を付けください」


「うむ。気を付けるだけ気を付けておこう」


 やはり怪しいのは次長助勤の新入りたちだが、彼らでないとすると誰なのか。もしかすると、内通者の線自体が間違っているかもしれない。首を傾げながら、俺は恒元に問うてみる。


「あの日、取引へ赴かれることを誰かに話しましたか? そもそも、会長が麻薬の製造プラントをお持ちだと知っている人間はどれくらいいるのでしょうか?」


「いやあ、中川会では才原とお前くらいだ。平野にも話していたが、あの男は殺されてしまったからな。もちろん取引の件については誰にも言っていないよ」


「そうでしたか……」


 勿論、俺は密告していないし、才原も可能性は薄いだろう。であれば、一体誰が……? 深まる疑惑に自問自答を繰り返し、その晩は答えの出ない考察がひたすらに続いた。

水面下で蠢く有力幹部の陰謀。巨大組織ならではの弊害を前に、中川恒元が打つ一手とは……?

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