鞍馬菊水流
執事局次長としての日々が始まった。
……と言っても、特にすることが増えたわけではない。書類仕事などは無く、ただ単に会長の警護に付いてまわるだけ。むしろ助勤だった頃にさせられていた雑用をやらなくて済むようになったので、幾分か楽になったとも言える。
南北約300m、東西約200mと東京ドーム並みの敷地を持つ中川会の総本部は全棟がコロニアルスタイルの洋館だ。黄色い壁と白い尖塔が印象的で、ここは本当に極道の……それも関東最強組織の本拠地なのかと疑いたくなってくる外観をしている。それら全てが、フランス文化に尋常ならぬ憧れを持つ会長の趣味であることは言うまでもないだろう。
門を通り抜けて先ず最初に目につくのが広大な庭園だ。青々と広がる芝生に点在する噴水と、季節の花々が植えられた花壇たち。ヒラの助勤だった頃は俺も整備を手伝わされたものである。
総本部の駐車場は庭の一歩手前にある。ゆえに、ここを訪れる客たちは誰であろうと広大な緑の園を歩いて進まねばならない。これには来訪者を敢えて歩かせることで中川の強大な権威を示そうとする会長の威光が設計に取り入れられているとかいないとか。
ゆっくり歩けば3分はかかる、無駄に広い庭を越えてようやくたどり着くのが総本部の中枢施設たる本宅だ。
会長が鎮座して組織の采配を取る執務室の他、御七卿の集う幹部会が開かれる会議室、さらには宴会場を兼ねた会食用の大部屋に専属の料理人が勤める厨房の他、蔵文書閲覧室に射撃練習場までが備わる地上3階、地下1階建ての巨大な御殿である。
そんな贅を尽くして建てられた本宅にはこれまた広い中庭があり、その庭内にどんと聳える2階建ての白い壁面に菱型ステンドグラスが嵌め込まれた、ひと際目立つ教会を思わせる建物が会長の住まい――別宅だ。
そこでは中川恒元が細君のアリーシャ夫人と共に暮らしている。10年ほど前までは中川夫妻の令嬢も住んでいたというが、現在は独立している模様。本宅と同様に壮麗な設えで、観る分には美しいのだが……まあ、俺にとってはあまり良い思い出の無い場所という他ない……。
と、個人的感想はさておき、別宅と隣接しているのが黄色いレンガ造りの3階建ての住宅である。総本部で住み込みで働く者らが生活する寮だ。俺の部屋はそこの2階に用意され、次長に昇進したことで有り難くも個室を与えられていた。
村雨邸に居た頃と同様に一人部屋で寝起きができるわけだが、広さについて言えばあの頃より断然広い。寝起きするベッドの他、トイレ付きのユニットバスにキッチンまで備わっている。尤も、俺は料理をしないので宝の持ち腐れだ。
かくして俺の待遇と生活環境は5年前と比べても飛躍的に向上したわけだが……会長の隣に住んでいるという事実が何とも厭わしい。
男色の趣味を持ち、夜な夜な寮に現れてはその眼鏡に適った者を肉体的に犯す変態野郎の側で暮らしているのだ。気が休まるはずが無い。それでも傭兵時代は銃弾の飛び交う山地での野宿が当たり前だった俺には、何処でも住めば都。無理にでも慣れるしかなかった。
中川会執事局次長、麻木涼平。
この肩書きの重みは現時点では味わっていない。沖縄での一件で事実上の壊滅状態となった執事局の人員補充が未だ行われていないからだ。恒元の話では新たな者たちが入ってくるまで少し時間を要するとのことだった。
俺の仕える中川恒元という男は内外に敵が多くて四六時中ずっと命を狙われているようなもの。幹部会の最中だろうが、プライベートな外出中だろうが、暗殺の脅威が追いかけてくる。食事の前には「毒見」として執事局の人間が先にスプーンやフォークをつけねばならないほど。油断して良い時間帯なんて一瞬たりとも存在しない。
こんなことがあった。次長に昇格してからひと月たった春の半ば頃、恒元はとある政治家から会食へ招かれたのだが、毒見役を務めた助勤の執事が食べ物を喉に入れた直後に痙攣、畳に崩れ落ちた。
「……謀られたか」
恒元がため息をつくと、周囲の襖が勢いよく開いて屈強な男たちが入ってくる。どうやら毒殺が不発に終わった際には力ずくで討ち取る手筈になっていたらしい。さほど広くはない座敷内に30人前後が殺到、乱闘に発展した。
「中川ァ! 覚悟しやがれぇぇぇ!」
引き金をひこうとした敵兵に対し、俺は一瞬で間合いを侵略して喉に貫手を刺す。
「貴様っ!? くっ、やれ! 中川を殺せ!」
敵の指揮官らしき男が怯みながらも叫び声を上げ、それに応じて連中がいっせいに襲い掛かってきた。だが無駄である。敵が動く前に殺してしまうのが俺の戦い方。室内戦ということもあって、横薙ぎの手刀を放てば即座に勝負はついてしまう。
口ほどにも無い奴らである。ところが、その中に執念深い輩が居て、絶命する寸前に最後の力を振り絞って手榴弾を投げていた。ここで爆発すれば全員が木っ端微塵だ。
まずい――。
すると、その瞬間。それまで恒元を覆いかぶさるように守っていた才原が懐から鉄針を取り出し、そいつを手榴弾に突き刺した。すると不思議なことに爆発寸前だった手榴弾は起爆することなく終わった。
「会長。お怪我はありませんか」
「……あぁ。助かった」
恒元と才原が何やら話をしているが、俺にはまるで理解できない。どう考えても有り得ないのだ。原理が分からず、首を傾げていると新たな局長は平然と語った。
「これは“爆栓封じ”と言ってな。我が一族に江戸の頃から伝わる火薬術よ。爆発寸前に適切な方向から針を刺すことで作動を止めてしまうのだ」
「そんな秘術が? 初めて知ったぜ」
「忍びの者たちの間では古来より常識だ」
才原嘉門は忍術に精通しており、聞けば古には忍者として活動していた一族の生まれであるらしい。幼い頃より術を全て継承するべく育てられ、成長した後は各地を渡り歩いて修行を重ねた。それがひょんなことからヤクザである中川恒元に拾われて今に至るのだとか。
この現代社会において“忍者”とは……初めて見た時には驚いたが、この新たな局長は文字通り忍術を得意とする超一流の戦闘者だった。なればこそ、黒装束と見紛う特殊な装いをしているのだ。
そんな男が俺に向き直って問いかけた。
「麻木。お前もなかなかやるようだな。さっきの戦い方は見事だったぞ」
「ああ。そりゃあ、どうも」
「少なくとも、俺が安心して背中を預けられるほどの腕はあるようだ」
まさか褒められるとは思っていなかったので面食らったが、とにかくお礼を言っておく。この才原という男は、言動や佇まいが前任の平野にそっくり。先刻の一件での落ち着きぶりといい、修羅場慣れしている人間の雰囲気がありありと伝わってくる。この時も最後まで油断が無かった。
「会長。しばしお待ちを」
そう言うと、先ほど俺が倒した敵兵の首を次々と刃物で抉り、トドメを刺してゆく。刃物と言ってもナイフや短刀ではない。見るからに忍者らしい苦無だ。
全員が既に白目を剥いて倒れていて現時点での危険は無いが、念のためということだろう。その間、俺は別の仕事に移る。
「おい。先生。こりゃあ、どういうことです?」
恒元の会合相手だった政治家。こいつに尋問をかけたのだ。料亭での食事中に都合よく敵兵が現れた上、この男は戦闘が始まった瞬間に部屋の隅で身を隠していた。おかしい。これは明らかに暗殺に一枚噛んでいる。
「あんた、うちの会長を殺そうとしましたね? 早い話が、あんたもグルだったんじゃないかってことです」
「いや、私は……何も……」
「どうなんです?」
俺は男のこめかみに指を突き立てた。こちらの気迫に屈したのか、そいつはやがて観念したように事の真相を吐いた。
「……すいませんでした。松下組に弱みを握られて、断れなかったんです。本当に申し訳ございません」
松下組。正式名称は二代目松下組と云う。想定外のビッグネームの登場に、俺は思わず後頭部を掻いた。
「マジかよ……今の煌王会でいちばん幅を利かせてるところじゃねぇか……」
1998年のクーデタ―事件後、日下部平蔵や坊門清史といった桜琳一家出身者が執行部から軒並み消えた煌王会において、一気に頭角を現したのが橘威吉率いる二代目松下組だった。
あの事件で日下部が暗殺、坊門が中川会に処刑され、執行部内に力の空白が生じた隙を狙って橘は台頭。庭野建一総本部長、片桐禎省若頭補佐を罠に嵌めて逮捕と服役へ追い込み、空席になっていた本家若頭の座に「反乱討伐の武功」を理由にまんまとすわったのだった。
煌王会六代目会長の長島勝久は撃たれたことが原因で体に障害が残り、自力で歩くこともままならない身となった。それを良いことに橘若頭は組織内で我が物顔に振る舞い、身内である二代目松下組の参加組長たちを次々に直系昇格させ、人事を独占。今や煌王会は橘の天下も同然だと聞く。
組織を完全掌握した橘が、ここに来ていよいよ中川会へ攻勢をかけてきたか――。
俺たちに稲妻のごとき緊張が走る。そんな中、才原は声色ひとつ変えずに件の政治家へと問うた。
「先生。その話は本当か? 我々を脅そうと出鱈目を言っているのではないか?」
「で、出鱈目なものか! 要求に応じないと今年の参院選を前に醜聞をばらまくぞって言われて……」
「もう良い」
冷たく言い放つと、才原は政治家の首を絞め上げて息の根を止めた。表向きは首つり自殺として処理されることだろう。
「はあ。ついに仕掛けてきたか。もう少し後になると思っていたがね」
恒元の嘆息が印象的だった。
この日の出来事は緊急幹部会ですぐさま共有され、煌王会との戦争に備えるよう各直参組織に通達が出された。と言っても即時開戦というわけではない。暫くは向こうの出方を窺い、なるだけ優位に状況が動くよう水面下で調略合戦が繰り広げられることになる。
俺たちとしても組織の結束を固めて、一枚岩にならなくては。しかし、会長の示した方針に真っ向から難色を示す男がいた。
「それでホンマにええんですかいのぅ? 会長ぉ。向こうに隙を見せることになるんとちゃいますか?」
本庄利政である。この五年の間に、奴も幹部に昇進していた。
「こちらに不足は無いぞ。本庄。我らとしても開戦の準備を整えられよう」
「いいや。この局面で仕掛けてきたっちゅうんは、煌王は既に準備万端ってことや。モタモタしとったら攻め込まれまっせ」
「7月には参院選もあるんだ。それまでに抗争が始まることは無い」
露骨に「何でそないなことが言い切れるんですか?」と嫌味たらしく応じた本庄だが、恒元の主張には一応の根拠がある。
日本では中川会、煌王会ともにヤクザの後ろ盾になっている国会議員は多数存在する。彼らは組織の力を使って票を集めさせる代わりに、法整備や公共事業などの面で俺たちのシノギが上手くまわるよう便宜をはかってくれる。それゆえ選挙を前に抗争というマイナスな出来事で有権者の投票行動に影響を与えるわけにはいかない。
ゆえに、極道は選挙の前後には大人しくしている。それが近頃の裏社会における常識になっていた。
「考えれば分かることだろう。特に煌王会は昨今、政治家との関係構築に御執心だ。選挙を前に仕掛けてくることは無い」
だが、本庄は立ち上がり、鼻で笑って見せた。
「ふんっ、甘いですのぉ。会長。せやさかい煌王に舐められるんや」
「何だと?」
本庄の言葉に恒元は眉間にしわを寄せる。篁に「何だ、その口の利き方は」と窘められるも、饒舌な関西人の演説は続いた。
「煌王で若頭をやっとる橘威吉っちゅう男は、常識もクソも通用せぇへん根っからのキチガイ。そないな輩が選挙だの政治家だのを気にするとは思えへんのですわ。こちらの裏をかいて早々と攻勢をかけてくるでしょう」
つまり、中川会が選挙で行動を停止している隙を狙ってくるということ。恒元のみならず門谷をはじめとする他の幹部たちからも「それは流石に無いだろう」と続々と異論が噴出し、本庄は集中砲火を浴びる。しかし、それでも彼は己の弁を覆さなかった。
「わしは生まれが神戸ですさかい、橘威吉っちゅう男のことは少なからず知っとるつもりです。あのアホは必ず攻めてきよります。シマを取られてからでは遅いですやん」
「煌王会とて選挙では多くの政治家のバックアップにまわることが決まっているのだぞ。連中の信頼を失ってまで、我らと戦をしたがるとは思えんが」
「中川会を潰して関東甲信越が手に入りゃあ、議員さん方とのコネが切れても儲け物でしょう。向こうにとっては今が絶対的な好機なんですわ。甘っちょろいこと言うとらんと、さっさと関西に兵隊を送るべきでっせ」
「駄目だ。それでは我らにとって失うものがあまりに大きすぎる。ここは当初の方針通り、今年いっぱいは大きな行動を起こさず、調略と牽制に努めることとする」
「その隙を突かれる、って言うとるんです! 中川会のシマ内には今の総理の選挙区もある。それでわしらが動けへんうちに攻められたら一巻の終わりや、それを分かっとるんですか?」
「ああ。攻めてきたなら攻めてきたなりに追い返せば良いだけの話だ。我らの方から西へ攻め込むことは無い」
なおも自説で猛反論しようとする本庄だったが、篁に「控えろ」と窘められて渋々ながらに座った。
ここへきて、門谷が恒元に意見を述べる。
「会長。今、迂闊に西へ兵を送ることには私も反対です。しかし、考えようによっては煌王会の力を削ぐ好機なのではないでしょうか」
「どういう意味だ?」
「敵は我々に戦争の大義名分を与えず、あの手この手で潰してやろうと息巻いています。おそらく、今回は恐れ多くも会長を暗殺することで中川会に報復させ、それを口実に全面戦争を仕掛ける腹積もりだったことと存じます」
「確かにそうだな。ゆえに、今仕掛けては向こうの術中に敢えて嵌まるようなものではないか」
「ええ。だとすれば我々から仕掛けるのではなく、向こうに来てもらうのが良いのでは? それを待ち受けて迎え撃ち、勝利すれば、煌王会……とりわけ橘は戦争失敗の大打撃を被ることになる」
よって煌王会が関東侵攻に踏み切るよう挑発してやれば良いと門谷は語る。俺としては、かなりリスクのある話だと思った。恒元も同意見だった。
「悪くはない案だな。しかし、向こうの戦力が定かでない以上、拙速な挑発はむしろ破滅へと繋がる。門谷、申し訳ないがお前の話は却下だ」
「いや、戦力についてはご心配なく。せいぜい橘の二代目松下組一門の総勢8千騎でしょう。他の貸元たちは乗り気ではないと聞きます」
「ん? 何故にそれを知っているのだね?」
「誠に勝手ながら、向こうに探りを入れておりました。今回のことは橘による独断。長島六代目の承認も得ていないとの話で」
「ほう。そこまで調べていたとは。流石だな、門谷」
「いえいえ。とんでもございません。理事長補佐として当然の務めにございますれば」
ただ、会長の考えはあくまでも変わらなかった。当面は情報収集と防衛体制の構築に専念するとのこと。門谷の得た情報の真偽の程はともかく、敵の数が8千というのはなかなかの脅威。どういうわけか「せいぜい」と門谷は言うが、決して甘く見て良い数字ではない。抗争をやるからにはそれなりの準備が必要だった。
「兎に角、今は攻め時に非ず! 煌王会の出方を注視して慎重に動く! 勝手な行動はくれぐれも慎むように!」
会長の一声で幹部会は幕を閉じる。終盤、恒元は本庄から「暗殺未遂に対する報復はせぇへんのですか」と問われたが、恒元曰く「今後の交渉のカードとして取っておく」という。確かに即時報復をしないのは極道らしくない話だが、単なる組同士の喧嘩とは規模も状況も違うのだ。俺は恒元のやり方に理解を覚えていた。
終了後、執務室へと戻った恒元は煙草を吸いながら呟く。
「まったく。巨大な組織を動かす何たるかを奴らは分かっているのか。つくづく油断ならない連中だな」
所詮は自分の組の都合しか頭に無い……そんな直参たちがあまりにも多すぎる。現在の中川会の問題点を縮図にして見せつけられたような幹部会だった。
「本庄の奴、あれを放っておけば何をしでかすか分からんな」
恒元に視線を送られたので、俺は口を開く。
「抗争になれば本庄組のシマを広げるチャンスとでも思っているのでしょうね。しかし、あれはあれで使えますよ。会長」
「何故にそう思うのだ? まあ、捨て石になり得るのは確かではあるが」
「忠誠心はともかくとして、権謀術数や心理戦の駆け引きには長けた男です。特に『戦わずして勝つ』という点では一級品。煌王会相手に調略を仕掛けさせれば、一定の成果は上げてくれるかと」
俺の言葉に恒元は考え込む仕草を見せる。傍で聞いていた才原は黙ったまま何も言わない。
「……」
沈黙の時間が流れた後、恒元は煙草の火を消しながらコクンと頷いた。
「……お前の言う通りだな。信用できん奴ではあるが、程よく使っていくしかあるまい。本庄に限らず、他の直参たちも然りだ」
俺が先だって具申した執事局増強の案は未だ実行に移されていない。直参の武力が頼みである以上、やはり彼らを上手く利用するのが一番の得策なのだ。ただ、沖縄での一軒で執事局が事実上壊滅に至ったのを良いことに幹部らの増長が発生している気もするので、一刻も早く欠員の補充をはからなくてはならないが……。
心配事は他にもあった。
「あれ? そういやあ、眞行路は来ていませんでしたね。理事の席は用意されていたはずなのに」
「放っておけ、と言いたいところだがな。あの男が現状では一番の悩みの種だ」
「暴走をしないよう目を光らせておく必要がありますね」
恒元は大きなため息をついていた。
「はあ。骨が折れる。これでは日本制覇など、夢のまた夢だな」
まさに内憂外患だ。煌王会が不穏な動きを見せ始めた時に、組織内部では幹部の勝手な振る舞いが目に余るようになってきた。五年前には気付なかっただけかもしれないが、あの頃は曲がりなりにも会長に敬意を払っていたはずの本庄までもが舐めた態度を取るようになった。
一体、これからどうなってしまうのやら。連続する内紛ですっかり弱体化したと思った煌王会が勢いを盛り返しつつある点もさることながら、未来に不穏な影がちらついているようでならなかった。
この日の終わり、俺は才原にふと話を振ってみた。
「なあ、局長。これから煌王会とは戦争になると思うか? もし抗争が始まっちまうとしたら、俺たちに勝ち目がどれだけあるんだろか……」
「そんなこと、俺に訊かれても分からない。未来の事などは誰にも分からないのだ。先の展開に怯える暇があるなら今できることをやった方が建設的だ。所詮、人間は現在を生きるしかないのだからな」
「……だよな」
やはり、そういう答えが返って来たか。才原らしい返事である。彼が局長に就いて、俺が次長に昇格して、約1ヵ月。才原嘉門の冷徹なまでの現実主義者ぶりには日々驚かされ、感嘆させられ、時には辟易させられている。
冗談のひとつを言ってもまったく通じず、おかげで才原との間には雑談にすら発生しない。ただ、必要最低限の会話が淡々と続くのみ。局長自身が元々無口なこともあってか、一緒の空間に2人だけで居ても終始無言、という状況がかなりの高確率で巻き起こる。つまらないやら、息が詰まるやら。兎に角、やりにくいことこの上なかった。
ちょっとは他愛もない話をしたって問題ないだろう――。
そう思った時。無言で窓の外の夜空を見ていた才原が、不意に口を開いた。
「……お前は知らないだろうがな。古来より忍びの世界には、こんな言葉がある。『星は人の上に降るが、人は星の下では眠れない』と」
「どういう意味だ?」
「分かりやすく言えば『未来はなるようにしかならない』ということだ」
俺も古武術をやっていたので、遠い昔の時代の人間と星の関係はよく知っている。星はそれすなわち運命と位置付けられ、多くの人々が星空を見上げては自他の吉凶を占ってきた。人々の意思に関係なく星は動き、それは誰かの願いや思惑でどうにかなるものではない。何人たりとも、運命には逆らえない……この世の虚しい理をそのまま表した格言といえよう。
このようなマイナーな言葉をいきなり持ち出してきたのには驚いたが、才原なりに俺の疑問に答えを出してくれたのだろう。一緒に会長の護衛をやるようになって、初めてのこと。戸惑いつつも、俺は素直に感謝を述べた。
「ありがとうな。局長。まあ、運命が決まっているとしても、出来るだけ抗いてぇもんだぜ。俺は。ただ流されるまま終わっちまうなんて御免だ」
「……俺も昔から、そう考えてきた。忍びの者に必要なのは強さではない。最後まで諦めず、何としても生きて主君の元へ帰らんとする意志だ。ゆえに俺は己の命が散る時までそうありたいと思ってる。たとえ運命が決まっているとしても」
「そっか。すげぇなあ。忍者って。そのくらいタフじゃなきゃ、戦国乱世を生き抜けなかっただろうが。なあ、あんたの一族ってのはどれくらい昔から忍者をやってたんだ? 昔からの伝統を受け継いでる、みてぇなことを前に言ってたが」
「戦国の頃からだが、あまり多くは語れない。伝統といえば麻木。お前も受け継いでいるだろう。それこそ戦国より古い時代から続く秘伝の武術を」
ドキッとした。
えっ。いきなり、何を言い出すのか……?
しかしながら、先日の素手で敵を斬殺した俺の戦いを才原は目撃している。代々忍者を輩出してきた家に生まれたというのであれば、何かしら知見があってもおかしくはない。忍術も活殺術も、同じく日本の古武術なのだから。
「そうと言えばそうだな。けど、あんたと同じようにあまり多くは語れねぇよ。守るべき秘密があるもんでな」
どことなく誤魔化した答えを返した俺。だが、それに続いた才原の言葉に俺は度肝を抜かされることになる。
「お前の使う拳は、鞍馬菊水流か」
おいおい……マジかよ……何で知ってるんだ……!?
よもや流派の名前まで言い当てられてしまうとは。古武術は古武術でも単なる武道などとは違い、俺が会得した鞍馬菊水流殺闘術は存在が表舞台で知られていない秘拳だ。驚きをおぼえつつも俺は訊き返す。
「ああ、そうだぜ。なんで分かったんだよ?」
「動きを見れば一目瞭然だ。俺はあらゆる古武術を嗜んだ身。貫手や手刀を多用するにしても空手の型とは違う。空中を舞うような体捌きから推察した」
「はぁ、流石は忍者の末裔様か。そこまで見抜かれちまうなんざ……恐れ入ったぜ。感服だ」
唸るしかなかった。ここまで洞察力に優れた奴はそういない。忍びの術を学んでゆく中で表裏を問わず各流派を学んだようであり、才原は続けて俺に言った。
「まさか実在していたとはな。実家の蔵にあった文献によらば、鞍馬菊水流は一子相伝の暗殺拳。由緒は平安時代にまで遡れるも、幕末の頃に伝承が途絶えたとの話だったが」
「ところがどっこい。見ての通り、現代まで続いてたってわけさ。俺はその63代目の継承者ってことになる」
「一体、それをどこで習ったちいうのだ? 道場なども無かろう?」
「話せば長くなるんだが……」
どこから説明すれば良いものやら。迷いに迷ったが、俺は才原だけには打ち明けておくことにした。彼ならばいくらかの理解は貰えそうだと思った。
「……俺、5年前に日本から海外に出たんだよ。そこで教わった」
「なるほど。鞍馬菊水流が文献に出てくるのは慶応3年を最後としている。歴史の表舞台から姿を消したと思ったら、海外で伝承が行われていたというわけか」
「ああ。当時、俺は日本に居づらい事情ができちまってな。九州の玄道会って組織と揉めて、外国へ逃げざるを得なかった」
なお、横浜市議会襲撃事件のことは才原も存じているようだった。あれだけニュースになったのだから当然である。会長の言い付けは『ほとぼりがさめるまで東京を出ろ』とのことで、理由は捜査機関に根回しをするまでの間、俺の存在をなるだけ目立たないようにしておくため。
恒元は2~3年で俺を東京へ戻す予定だった模様。それがまさか5年にも及ぶとは大いに想定外だったようで、俺が海外へ出ていたせいで居場所を特定するのに時間を要してしまったらしい。
閑話休題。海外へ逃れた俺はいくつかの街を経由して2000年の5月頃にとある国へとたどり着いた。
アフリカ大陸の南端、南アフリカ共和国。白人、黒人、アジア人、諸民族と人種のるつぼであるヨハネスブルクであれば身を隠すのにちょうど良いと思ったのだ
ただ、俺の考えは甘かった。
「地獄ってのは、ああいう土地のことを云うのかな。南アは『治安が悪い』ってレベルじゃねぇ。そもそも治安って概念が存在しない国だ。ギャングやら盗賊やらがその辺にうじゃうじゃ居るんだからな……」
それまで日本で培ったものは、何ひとつ通用しなかった。外を歩いているだけで『黄色い肌』を理由に襲撃され、気の休まる時間なんて皆無。
「読んで字のごとく、泥水を啜るような日々が続いたよ。あの頃はよりにもよって南アに来ちまったことを深く後悔した。アメリカやヨーロッパ方面に逃げれば良かったんだが、大陸を西へ逃げ続けたせいであのザマだ」
「だが、南アフリカへ行かなければ出会えなかったのだろう? お前に鞍馬菊水流を叩き込んだ人物と」
「ああ。そうだ。あれは忘れもしない。2000年の8月11日の夕暮れだった……」
鮮明に覚えている。ヒルブロウの食堂で日雇いの仕事終わりに飯を食っていた時、店内で小競り合いが発生した。敵対するギャング同士がたまたま顔を合わせてしまったようで、当初は殴り合いだったのが瞬く間にエスカレートして銃撃戦に発展。辺り一帯が修羅場と化した。
「その時、俺の2つ先のテーブルに座っていた爺さんがおもむろに立ち上がって、大暴れしていた連中をものの数秒で片付けちまったんだ。おおよそ人間離れした機敏さで。挙げ句、倒された男らは全員が喉笛を正確に切り裂かれて絶命していた。武器なんざ使ってねぇってのにな」
目の前で突如として起こった殺戮劇に、俺は我が目を疑った。「何だあれは」というのが素直な感想。戦功に打たれた獣のごとく、暫く呆然としていたと思う。
「で、その爺さんは何事も無かったように店を出て行ってな。俺は慌てて後を追いかけた。見るからに日本人だったからな。久々に会えた民族の同胞、逃がすわけにはいかねぇと思ったんだ」
「ほう。ならば、その老人が鞍馬菊水流の?」
「そうだ」
街の外れでようやく追い付いた俺は、率直に先入観で「さっきの技は何だ? 空手か?」と尋ねた。当人は「空手ではない」と答えるのみで、こちらが呼び止めるのも聞かずにさっさとその場を去ってしまう。普通に歩く足の速さも俊敏そのもので、気づいた時には撒かれてしまっていた……。
「俺がその人と次に再開したのは5日後、ヒルブロウの賭場だった。当時の俺の稼ぎは日雇い労働と博打でな。いつものようにポーカーをやりに行ったのさ」
「その賭場に来ていたのか?」
「ああ。その爺さんにしてみりゃ『動体視力を鍛える』とかで、鍛錬の一環だったらしい。偶然にも俺はカード賭博が得意だったから、すぐに気が合ったよ」
当時の俺としては古武術を体得する気なんて毛頭に無く、ただ腕っぷしの強い御仁と一緒に居ればトラブルに巻き込まれる機会も減るのではないか……そんな下世話な理由から行動を共にしようと思い、その謎の老人の後をコバンザメのごとくついてまわった。
いま思えば恥も外聞もあったものじゃない。ところが、老人はどういうわけか俺を『良い目をしている。素質がある』などと褒めちぎり、己が極めた鞍馬菊水流を伝授してやると言い出したのだ。
「何で俺が気に入られたのか、そいつは今でも分からねぇよ。けど、素手であっという間に人を殺しちまう凄ぇ武術を習えるんだ。損は無いと思った」
「その老爺、名は何と言った?」
「分からねぇ。自分のことは『導師と呼べ』と言うだけで、本当の名は最後まで教えてくれなかったからな」
導師と名乗る謎の老人と、何も持たぬガキだった俺。異国の地で始まった奇妙な師弟関係は、兎にも角にも俺の肉体を強化するところから始まった。
「その導師とやらはお前にどんな修行を?」
「先ずは体を鍛えること。砂利で満たしたドラム缶を背負ってスクワットを1000回やったり、高温に熱した湯の中に指を入れて、火傷するギリギリのタイミングで引き抜いたり。あと、剣山の上を裸足で歩いたりもしたな」
「基礎の体づくりにしては激しい鍛錬だな。俺が子供の頃に受けた忍術修行もそこまで過酷ではなかったぞ」
「けど、辛くは無かったな。中坊の時に観たカンフー映画みたいで、むしろ面白かったぜ。まあ、俺が『カンフー』だの『空手』だのと言う度に導師様からは『鞍馬菊水流だ!』って訂正されたけどな」
そうしてある程度まで体力錬成を終えた頃に、いよいよ技の伝承に入ったわけだが、導師は俺にいくつかの掟を示した。
代表例を挙げるなら、いわゆる一子相伝の鉄則。流派の使い手はこの世において師匠と弟子の二人しか存在してはならないという、非常に極端なものだ。
弟子は師匠が引退すると、自らもまた師となり、再びただ一人だけの弟子に技の伝承を行ってゆく。なお、弟子が伝承者として当代を襲名するためには先代である師匠を殺害する必要がある。この辺りがそんじょそこらの古武術とは大きく違う点だ。
「鞍馬菊水流が一子相伝という話は知っていたが、まさかそれほど徹底した戒律があるとはな……少しでも多くの子息を増やして伝承を行わんとする、我が一族の忍術とは対極的だ」
「何でも『奥義がいたずらに行使されるのを防ぐ』ってことらしい」
「なるほど。あまりにも人間離れしていて強すぎるという理由ゆえか。それならば納得が行く。鞍馬菊水流は群を抜いている。素手で人を殺せる上に一騎当千とあっては、時の権力者たちが放っておかないだろうからな」
己の拳のみで確実に相手を殺す鞍馬菊水流は使い手に強大な力を与え、世の争乱においては加勢した方に必ず勝利をもたらしてしまう。事実、室町時代の応仁の乱では鞍馬菊水流の伝承者が畠山義就の提示した高い褒美に釣られて西軍についてしまった。そのせいで、東軍優位のまま終わるはずだった戦いは一気に形勢逆転。結果的に泥沼化して11年も続いた。
最強を超えた殺人拳の使い手が何人も存在していては、世を乱すことにも繋がりかねない――そうなっては帝の守護という創始時の理念を壊してしまう。
ゆえに、鞍馬菊水流では一子相伝の掟を平安時代からおよそ千年間に渡って守り通してきた。導師は弟子を一人以上とってはならず、迎えた弟子に見込みがなく新たな弟子を探す際には現在の弟子を殺害せねばならない。これはこの世で奥義を知っている者を二人までに留めるための守秘方法だ。
俺も事あるごとに導師から「わしが生きているうちは他者に奥義を教えてはならぬぞ」と言われ続けた。コンクリートの壁を拳で打ち破る、レンガを手刀で割る、鋼鉄の板を蹴りで砕くといったハードな修行内容よりも、掟の遵守の方をよほど徹底して教え込まれたくらいだ。
才原嘉門をはじめとする才原一族が使う朽葉流忍術才原式とは何もかもが違う。俺の話を聞いた局長は、驚嘆の表情を浮かべていた。
「確かに鞍馬菊水流であれば、そのようにして奥義の秘密を守らねば世が乱れてしまうだろうな。流派の名前だけが独り歩きするのも致し方ない。『お前の貫手はどうやって放つのか』と聞こうと思っていたが、どうやら止めておいた方が良さそうだな」
「ああ、聞かないでくれ。あんたを“弟子”にするために導師様を殺さなきゃいけなくなるからよ。ははっ」
「では、お前に奥義を教えた導師なる人物はまだ生きておられる?」
「たぶん、生きてると思う。今はどこで何をしておられるのか、さっぱり分からねぇがな。俺を武者修行の旅に送り出して以来、音沙汰が無いんだ」
南アフリカのケープタウンで鍛錬に励むこと1年。本来ならば10年はかかる内容の修行を短期間で叩き込まれた俺は導師様に「これからは実戦で鍛えよ」と言われ、各地を渡り歩いて本物の命の取り合いにひたすら身を投じてくるよう命じられた。早い話が、各国の紛争地帯で技を試せとのこと。生半可な喧嘩とは違う、本物の殺し合いを経験しなければ真に奥義を極めたとは言えないという理由だった。
「導師様と別れた後、俺は色んな所に行ったよ。アンゴラからアルジェリアへ北上した後、バルカン半島へ渡った。その頃はマケドニアの内戦の真っ最中でな。傭兵として政府軍に雇われて戦った」
「そこで腕を磨いたのか。本物の戦場を経験していたとは驚いた。そんな経歴を持つ者は我が一族にも居ないぞ」
「だけど、あまり良い経験とは言えねぇな。傭兵ってのは言うなれば臨時雇いの使い捨て要員。まともな訓練も無しに危険なことばかりをやらせるんだ、カラシニコフにバヨネットを付けての銃剣突撃とかな」
「銃剣突撃? 昔の日本陸軍じゃあるまいし、何のために?」
「とにかく敵の注意を引き付けるのが目的なんだと。俺たち傭兵が囮になってる間に正規軍が側面から攻撃するのさ。まあ、地獄だったぜ」
それを運良く生き延びたのだから、我ながら大したものだろう。もしかすると導師との修行で鍛えた俊敏性が結果を生んだのかもしれない。鞍馬菊水流は俺の肉体を最高の状態に仕上げてくれたのだ。
「なるほどな。しかしながら、鞍馬菊水流とはまったく不思議なものだ。あのように人間離れした動きを如何に可能としているのか……」
口惜しそうに呟く才原だったが、残念ながら原理は教えられない。
鞍馬菊水流の真髄は道具を使わず素手のみをもって敵を制することにある。極限にまで強化した突きや蹴りで相手の肉体を完全に破壊。強靭な脚力による跳躍で空中を舞う技もあれば、音速を超えて突きを繰り出すことで衝撃波を発生させて敵を殺傷する技まで存在する。
いずれも人間には本来不可能である超常的な動きをすることから、鞍馬菊水流は長らく「天狗が授けた妖術」と呼ばれて恐れられてきた。
一方で技を放つ際の動作が華麗であるとされ、水面に浮かぶ菊の花に喩えられて“菊水”の名が冠されたともいわれる。残虐さと美しさを兼ね備えた古今無類の殺人武術、それこそが鞍馬菊水流なのである。
一子相伝の概念を理解してくれたのか、才原はそれ以上深く尋ねてくることは無かった。尤も、彼としては俺が会長の護衛として平安時代から続く秘拳を如何に使うか、そちらが一番の気がかりだったようだ。
「麻木よ。お前が鞍馬菊水流を極めた猛者であることは分かったが、拳のみに拘るようでは足を掬われるぞ。銃は使うか?」
「そりゃあ使うに決まってんだろ」
「ならば良い。戦いにルール無し。どんな方法や戦術を用いようと、相手を殺した方の勝ちなのだ」
言われるまでもないことだ。事実、俺は格闘戦においては真っ先に喉や眼球、性器といった敵の急所を狙うし、銃と組み合わせて戦ったりもする。東欧ではずっとそうしてきた。地上のどんな物質をも粉砕する鞍馬菊水流の継承者だからといえ、徒手空拳に固執したりはしない――それは損じているつもりであったが、念を押すように才原は言ってきた。
「麻木よ、良いか? 我らの役目は会長をお守りし、片腕となって働くことだ。その領分を弁え、決して大それた振る舞いはするなよ」
「分かってるさ」
「国士無双の者などこの世には居ない。お前より強い者はまだまだごまんといよう。それを忘れず鍛錬に励むことだ」
「……承知してますっての」
念を押すように繰り返して言ってくる才原に、俺は唇を噛んで返答した。これではまるで不始末を起こすことを懸念されてるみたいではないか。
「あのな。俺は言われなくたって」
すると、そこへ会長が現れた。少し不満げに文句がこぼれてきそうなところであったが、俺はとりあえず局長と共に頭を下げる。
「ここに居たか、二人とも」
恒元は屋敷内へ戻るよう言った。曰く、欠員が生じていた執事局に新たな面々が加わるという。ならば、次長として彼らの顔を見ておかねば――。
俺は恒元の背中を追いかけていった。
何故、中川恒元に尽くすのか? 尽くそうと思うのか?
その理由は自分でも釈然としない。恒元はかつての敵。村雨組に入るはずだった俺に謀略を仕掛け、結果として中川会へ降るらざるを得なくなった原因を作った張本人である。彼の所為で、俺は当時の想い人だった女とも引き裂かれたのに。どうして……?
不思議なことに恨みは消えていた。五年間も異国を流浪したおかげで心が事実上リセットされたのもあるが、むしろ無意識によって動かされているような気がしていた。
今の俺の主君は、中川恒元。彼に仕え、懸命に働き、忠義を尽くさなくては。己の感情を超えた使命感で身体が動いている。これを渡世では“任侠精神”と云うのかもしれない。
忍術を使う才原は思った以上に現実主義的で生真面目な男。これから上手くやれるかは分からないが、努めて良い関係を築く他ないだろう。俺の立場とはそういうものなのだから。
「……まあ、良いや」
俺自身が選んだ道。これからも宿命に従うだけである。
涼平が異国の地で体得したのは、平安時代から続く一子相伝の殺人武術「鞍馬菊水流」。中川会の極道として新たに踏み出した一歩に、鞍馬の秘術はどんな結果をもたらすのか?