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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第9章 帰ってきた悪魔
166/252

表裏比興の緋田咲吉

 大宴会場は一瞬にして戦場と化した。


「ブホッ……か、隠れていやがったのか……」


「この野郎! 死ねやァァァ!」


「上等だ。返り討ちにしてやるよッ!」


 激しい斬り合いと罵倒の応酬が繰り広げられる中、俺は右手の拳銃を水平方向に構えて連続で引き金をひく。


「ど、どこ見て撃ってんだよ麻木! それじゃあ弾の無駄遣いだって!」


「うるせぇ! 黙ってろ!」


 俺は藤村を無視し、銃を撃ち続ける。このような場面で命中精度など関係ない。必要なのは、出来る限り多くの弾丸を発射して弾幕を張ること。さすれば接敵を一時的に食い止められる。


 しかし、俺が持っていたのはトカレフTT33。装弾数7発では牽制にもならない。7人の敵を倒しだけですぐに攻撃能力が尽きてしまった。ここで再装填を行っている余裕は無い――。


 俺は舌打ちをしながら短刀ドスを抜いた。


 一方、漆原たちは鬼神のごとき気迫で向かってくる。


「くたばれぇ! 中川ぁ!!」


 一方、完全に奇襲を受ける格好となった中川会側は劣勢だ。会長の盾になろうと必死の王選を試みるが、1人、また1人と斬り倒されてゆく。


 拳銃を構えても撃てない。それもそのはず。銃に留まらず飛び道具というものは、相手との間合いがひらいていて、はじめて武器としての効力を発する。日本刀の斬り込み戦法によって一瞬で距離を詰められては成す術が無い。床には血の海が広がった。


「怯むなぁーッ! 会長をお守りしろッ!!」


 その中でも平野は根性を見せ、圧倒的な敵の数の差をものともせず死力を尽くして奮戦する。投げ飛ばした敵から刀を奪い取り、恒元に向かってくる刺客を次々と斬り伏せる。太刀筋は驚くほど速く正確無比。顔つきは剣術経験者のそれだ。


「バラけるな! 固まって戦え!」


 臆する部下たちに檄を飛ばし、恒元をぐるりと囲む陣形を取らせる。しかし、漆原組の勢いは凄まじく、みるみるうちに陣形は崩れてしまう。平野も孤軍奮闘を余儀なくされた。


「局長!」


 俺はといえば向かってくる敵を薙ぎ払うので精一杯。無我夢中で戦い続けるうちに恒元や平野から引き離されてしまったようで、気がつくと俺も取り囲まれてしまっていた。日本刀は振り下ろす際に一瞬の隙が生まれる。ゆえに、その動作的空白を狙って喉元に短刀を突き刺してやれば良いのだが、今回は数が多すぎる。


 このままでは危ない――。


 次の瞬間、俺は宙高く跳躍して天井に触れていた。その刹那。短刀を振るい、シャンデリアを吊るす鎖を切断する。


 直後、天井から下がる大仰な照明器具は支点を失って真っ逆さまに落下。飛翔を終えた俺が着地する頃には、下に居た緋田組の組員たちを押し潰していた。


「うがああっ!?」


「な、何て野郎だ……」


「やりやがったな!」


 これで大方の兵隊たちが片付いた。辛うじて直撃を逃れた組員たちも突然の出来事に動揺し、怯みきっている。流れを変える一手としては十分だっはずだ。


「オラァァァァァーッ!」


 その隙に、俺は反撃に出る。居並ぶ男たちに向かって駆け出し、手刀を見舞い、貫手を刺してゆく。その連撃は自分の目にも止まらぬ速さ。


 敵の返り血が両腕や頬を汚したが、気にしない。むしろ、血の匂いはかえって闘志を煽る。


「蹴散らしてやるッ!!」


 我を忘れて荒れ狂う俺に抗える相手はもはやいない。100人近く居た漆原組の連中はあっという間に骸となって横たわり、乱戦は終結した。


 地獄のような戦いの結果、残ったのは凄惨な現場である。中川会、漆原組、そして巻き添えを食った緋田組の死体が無惨な姿を見せつける。そんな中で平野の姿はすぐに見つかった。狼狽える部下を守りながら戦っていたせいで、思うように動けなかったのか。全身に銃弾を受け、血まみれだ。


「局長……!」


 俺が駆けつけた時には彼は既に虫の息といった状態で、左腕を斬り落とされてしまっていた。


 にもかかわらず、もう片方の右手で刀を握り締めて戦い抜き、会長に向けて発射された弾丸を身体で受け止めていたのである。その覚悟たるや称賛に値する。言うなれば極道の中の極道だ。


「平野。すまん」


「い、いえ……当然のことです……」


 平野の戦いの甲斐あって、恒元は無事だった。傷ひとつ負っていない。俺はホッと息を撫で下ろし、すぐさま会長に代わって平野を抱きかかえた。


「局長、しっかりしてくれ! すぐに医者を」


「あ、麻木……俺はもう良い……もう良いんだ……」


「何を言ってやがる! 止血すりゃまだ助かる!」


 傷口からは大量の血液が流れ出ている。特に斬り落とされた左腕が酷い。俺はタキシードの上着を脱ぐと、その傷口にグッと巻き付けて処置を試みた。


 しかし、平野が力なく笑う。


「ありがとな……麻木……でも、もう俺は血を流しすぎた。もう手遅れだ……」


「そんなことはねぇ! 諦めるな!」


「ははっ……おおよそヤクザらしくない人生だったが、最後の最後でおとこを見せられた……こんなに嬉しい終わり方は無いだろう」


 俺に微笑みを見せた後、ゆっくりと恒元の方を向いて平野は震える声を放った。


「か、会長……平野はお仕えできて幸せでございました……真実まみ健太けんたを……女房と倅のことをどうか、よろしくお願い申し上げま……」


 その言葉を言い終える前に、彼の呼吸は止まった。最後に見せたのは、まさに任侠者の鑑と言うべき屈強な武人たる精悍な顔であった。


「平野。よく頑張ってくれたな。後は、ゆっくり休むと良い」


 会長が震える声で呟く。そして、皺だらけの手で祈りを捧げてフランス語で追悼の句を唱えた。


「De braves guerriers. Repose en paix. Ta mort ne se(勇敢な戦士よ。どうか安らかに眠れ。お前の死を無駄にはしない。)」


 俺は黙祷を捧げた。彼は最期の瞬間まで侠気を貫き通し、職務を全うしたのだった。それは近くで絶命していた藤村や沢木も同じこと。皆、前を向いて仰向けに倒れている。逃げようとして背中を攻撃された者は一人も居ない。主君の盾にならんと命の限りに戦い抜いたのだった。


 悲痛の中で残ったのは、俺と恒元会長と、数人の組員のみ。そんな俺たちに、緋田が手を叩きながら近づいて来た。


「お見事ですなあ。あの漆原組を全滅させてしまうとは。やっぱり関東最大組織の武名は伊達じゃねぇようだ」


「緋田……よくも我輩を嵌めてくれたな!!」


「ふっ。こうなったのは自業自得でしょうよ。あんたらが東村を殺したのがいけないんですよ」


「黙れ!」


 ――ズガァァン。


 怒りに燃えた恒元は拳銃を撃った。しかし、それは緋田によって躱されてしまう。


「おっとぉ、なかなかの早撃ちですねぇ! さすがは元軍人。だけど、もう既に衰えていらっしゃる」


「貴様!」


「残念ですよ。会長。あなた様とは良好な関係を築けるものと思っていましたが……いつまでも調子こいてんじゃねぇぞ。老いぼれ野郎。てめぇらなんか緋田組おれらの敵じゃねぇんだよ。俺たちの沖縄を奪おうとしたこと、地獄で後悔させてやるよ」


 緋田が指をパチンと鳴らすと、銃を構えた緋田組の若衆が俺たちを取り囲む。携えているのは自動小銃。米軍正式採用のM-4カービンライフルだった。一斉射撃で蜂の巣にしようというわけか。


「遺言があるなら聞いてやるぜ。中川恒元」


「Cette rancune sera sûrement payée un jour(この恨み、いつか必ず報いを受けさせてやる)」


「あっ? 何て言ったんだ? 死ぬ間際までフランスかぶれとは笑えるぜ!」


 プッと噴き出した緋田に続いて、その場の緋田組全員がドッと笑い出す。中でも、葛城に喜矢武。わざとらしく口元を押さえる彼らの仕草は本当に憎たらしかった。


 俺は思わず拳を握りしめる。歯噛みする恒元に代わって、怒りのこもった声を上げた。


「……おっさん。最初から俺たちを嵌める気だったのかよ」


 すると、緋田の目が丸くなる。全てを悟ったような顔をしている。どうやら俺の正体に気付いたようだ。


「おお、あの時の兄ちゃんか。まさか中川の組員だったとはな。こんな形で再会するとは残念だが、これもまた渡世のことわりよ。嵌められる方が悪いのさ。お前さんは仕える相手を間違えたんだ」


「ふざけるな! こんな汚い真似しやがって!」


「先に仕掛けてきたのはそっちだろ。俺たちが今まで血と汗を流しながら必死で切り開いてきた沖縄を奸計で奪おうとした。許せるわけがねぇよなあ」


 歯軋りを鳴らした後、奴は高らかに言った。


「俺は緋田組の組長。ここに居る352人の親代わりなんだ。可愛い子供らに飯を食わせて、シマを守り抜く責務がある。そいつを果たすためなら、おらァ何だってやるぜ。悪魔にでも魂を売ってやるよ。それが俺の任侠道ってもんだ」


 そして、ギロリと恒元を睨み返す。


「中川恒元。悪いが、あんたにゃここで死んでもらうぜ。あんたは漆原の組長が殺したってていにする。そうすりゃ、東京の中川会総本部は煌王会へ宣戦布告。東と西の大戦争で双方共倒れって寸法だ!」


 それにより、沖縄の緋田組は未来永劫独立を保てるというわけか。ここまで仕組んで策を弄していたとは。見抜けなかった己の愚かさを呪いたい。この食事会場には最初から漆原組の連中を潜ませており、俺たちサイドから「東村を拉致の上に殺した」という言質を引き出して報復に及ばせる手筈だったのだ。完全に掌の上で転がされていた。


 さて、この窮地をどうやって脱するか――。


 俺は思考をフル回転させ、必死に策を練る。しかしながら、緋田組の兵たちは四方八方からじりじりと距離を詰めてきていた。


「……会長。お逃げください。ここは俺が食い止めます」


「どうやって食い止めるというのだ?」


「俺には多数の人間を同時に殺すだけの技があります。ご安心を」


 同時に、近くにいた生き残りの組員たちに声をかける。


「あんたら、俺が時間を稼いでいる間に会長を連れて脱出してくれや。頼んだぜ」


 随行の執事局は全員討たれた。よって、今ここに居るのは平野組の若衆たちだ。日頃より忠義者の親分に仕込まれていただけあって、物分かりは早い。彼らは一様に頷いてくれた。


「分かりました。では、よろしく頼んますぜ。叔父貴」


 恒元を逃がす算段は整った。あとは、俺がどこまで耐えられるか……。


「おい、さっきから何をゴチャゴチャ話している? 無謀なことは考えない方が良いぜ。死ぬ苦痛が増すだけだ」


 緋田が嘲笑すると、彼の部下は自動小銃を構え直す。ガチャッという金属音が不気味に響き渡る。一か八かの賭けだが、やってみるしかない。


「蜂の巣になれや! 侵略者どもがぁぁ!!」


 そう緋田の叫び声が上がった瞬間、俺は前方へ飛び出した。


 己の生死など気にも留めぬ猛烈な突進。向かった先は、ちょうど正面に居た一人の男。そいつに対し、俺は真正面から攻撃を放つ!


 ――グシャッ。


「ぐああっ」


 男は血を吹き出して仰向けに倒れた。仲間が無惨に斬り倒される一連の模様を見ていた組員たちは、戦慄のあまり硬直した。


「こ、このガキ、素手で……!?」


 無理はない。何故なら俺は刀を用いず、素手のみで敵の身体を切断してみせたのだから。


「なっ! 何だとぉ!? 何が起きたんだ!?」


 緋田は両眼を大きく見開き、仰天している。当たり前だ。人体を素手で切り裂ける者など、本来なら何処にもいない。


 だが、俺にはできる。それこそがアフリカの奥地で学んだ地上最強の殺人武術――鞍馬くらま菊水きくすいりゅうさっとうじゅつの真髄だ。


「や、やめて! やめてくれぇ!」


「助けてくれぇぇぇぇ!」


「うわあああっ! バケモノだ! 俺は死にたくない!」


 緋田組の恐慌は最高潮に達し、皆が武器を手放して逃げ惑う。つい先刻まで余裕綽々に俺たちを追い詰めていた組長の緋田咲吉ですら、その表情に恐怖と焦燥が浮かんでいた。


「て、てめぇら! 何を怯えてやがる! あんなのはこけおどしだ! 殺せッ! あの若造をさっさと仕留めろーッ!」


 部下と共に銃を発砲してくるが、俺は全てを躱す。ましてや恐れに駆られて闇雲に撃った弾丸が当たるわけが無い。本番はここからだ。


「でやああっ!」


 ――グシャッ。


 まずは1人目。手刀で首を刎ねてやった。


 続いて奥に居た雑兵たちへと一気に間合いを詰め、回し蹴りを見舞う。爪先が顔面を捉えた瞬間、そいつの頭蓋骨が鮮血と共に砕け散るのが分かった。近くで見ていた緋田の顔が引きつる。


「なっ、どうして素手で……!?」


 人智を超えた修行で俺の肉体は極限にまで強化されており、手や脚に至っては鋼鉄並みに硬い。そこから音速を超える速さで技を繰り出せば、人体を切断することなどは朝飯前である。


 次々と緋田組の連中を倒してゆく俺。その表情は我ながら阿修羅の如きものであった。


「この場に居る全員をミンチにしてやるよ!」


 敵方は身構えたまま、誰一人としてピクリとも動かない。いや、動けなくなっているのだ。あれだけ異様な殺戮を目の当たりにしたのだから当然と言えば当然か。それでも組員たちが親分である緋田を守るように立っているのは見上げた根性だが。


「どうした? 俺を殺すんじゃなかったのか? ああ?」


「こ、こんなことが……」


 恐怖に怯え竦む緋田組を一瞥した後、俺は背後に視線を配る。


 先刻までそこに居た恒元たちは既に現場を離脱していた。どうやら上手く逃げ延びてくれたようだ。これで俺としては好き放題に暴れられるというものだ!


「さあ、かかってこいよ」


 相変らず立ち竦んだままの組員たち。


「……」


 ここはひとつ、煽ってやるか。


「戦うのか逃げるのか、はっきりしたらどうだ? ヤクザのふりをした弱虫ども」


「こ、この野郎!」


 挑発にに乗せられ、1人の男が向かってくる。俺はそいつの喉めがけて蹴りを見舞う。


 ――グシャッ。


 斬撃と化したハイキックは男の顔面を粉々に粉砕した。


「ぐぶっ」


 断末魔を上げ、血潮を噴き出して倒れる男。仇を打つべく他の連中も怒りに任せて飛び掛かって来るが、同じことだ。


 ――グシャッ、バゴッ。


 ほんの3秒足らずで全員を軽くいなし、俺の足元には無惨なムクロが次々と転がった。


 残された組員たちは完全に戦意を喪失した。ある者が恐怖で我を忘れて手榴弾を投げようとしたが、俺にその手首を斬り落とされて未遂に終わる。絶叫するそいつを俺は蹴りで殺す。


 やがて視界に新たな標的が映った。


「あ、あわ、あわわ……」


 若頭の葛城朝彦だ。護衛の舎弟の背中に隠れ、まるで子供の用に怯えきっていた。葛城は震える声で部下たちに命令を下す。


「な、何をやってる! あいつを殺せ! 殺すんだぁぁぁ!」


 だが、誰も動こうとしない。俺は瞬時に奴の元まで接近するや否や、護衛を手刀でぶった切る。


 ――ザクッ。


 部下が首と胴の分断によって絶命すると、葛城は情けなく悲鳴を上げた。


「ひいっ!?」


「次はテメェか。若頭さんよ」


「た、頼む。殺さないで……」


「うるせぇ!!」


 怒りのままに貫手を突き出し、俺は葛城の命を奪おうとした。だが、寸前のところで喜矢武が割って入り、若頭の代わりに俺に胸を貫かれる結果になった。


「ぐはあっ! きょ、兄弟……逃げて……」


「喜矢武!」


 咄嗟に庇われた葛城は尻餅をつき、失禁した。一方の喜矢武はみるみるうちに生気を失ってゆく。俺は手を止めることなく、そのまま体内をグルグルとかきまわした。


「……あがっ!」


 断末魔の叫びもすぐに掠れ、喜矢武は口から血をゴボゴボと吐き出して息絶える。


 俺は肉塊と化した大男の内部をまさぐって生温かい臓物をもぎ取る。それは心臓。手を引き抜いて豪快に取り出すと、少し離れたところで銃を構えた緋田に向かって投げつけた。


 抉りたての部下の心臓を顔にぶつけられた緋田であるがが、構わず引き金をひく。


「てめぇ! よくも俺の可愛い子分たちを!」


 ――ダァァァァン!


 だが、俺は避けるまでも無かった。発射の瞬間、手刀で空を切ることによって衝撃波を発生させ、弾丸を防いだのだ。


「何っ!?」


「俺に弾丸タマなんざ当たらねぇんだよ。馬鹿野郎」


 そのまま隙だらけの緋田に向かって爆速で距離を詰め、心臓を狙い貫手を放つ。


 しかし、その瞬間。


 俺にとある考えが浮かんだ。この場で緋田を殺してしまうより、もっと良い使い道があるのではないか。


 手が体へ届く寸前になって、俺は貫手を正拳へと変える。


 ――バキッ。


 そのまま加減して緋田を殴りつけ、歯を数本折ってダウンさせるだけに留めた。そして髪を掴んで強引に立たせ、羽交い絞めの体勢を取った。


「ぶほっ……ガ、ガキが……殺すなら早く殺せ……!」


「黙れ。クソ野郎。お前は盾だ。死ぬ前に、ちょいと役に立ってもらうぜ」


「何だと?」


 そして、残りの緋田組の連中に向かって声を上げる。


「おい! そこから一歩でも動いてみろ! お前らの親分を殺すぞ!」


 そう。これより緋田は人質だ。わざわざこんな面倒な手段を選んだのは、他でもない。ひとえに恒元をこの沖縄から安全に脱出させるためである。


 この久茂地2丁目の本部事務所以外にも、緋田組は那覇市内に多数の拠点を持っている。そこに詰める組員たちが「組長が中川会に殺された」と知れば、死に物狂いで仇討ちにかかってこよう。そうなっては恒元のリスクを増やすだけだ。恒元が沖縄を離れるまでの間、緋田には生きていてもらう。殺すのは東京へ連行してからでも遅くはあるまい――。


 俺は組員たちを一喝する。


「何を突っ立ってやがる。さっさと道を開けねぇか。組長の頭に穴が開くぜ」


「ひっ!」


 組員たちは怖じ気づき、俺から一歩ずつ引き下がってゆく。そうして首尾よく事務所ビルの出口まで移動すると、俺は緋田を引きずって外へ出た。


「おっ、おい、どこへ連れて行く気だ?」


「東京だよ。テメェにはそこで地獄を見てもらう」


「ちっ……俺の負けかよ……」


 最早どうにもならない己の運命を悟り、緋田は舌打ちをした。この男には平野を殺された恨みがある。たっぷりと時間をかけて痛めつけ、恐怖と苦痛の中で死んで貰おうではないか。


 俺はそう胸に誓った。


「緋田。テメェは楽には殺さねぇぞ。せいぜい東京に着くまでの間、神仏にでも祈ってろ」


「兄ちゃんよぉ。お前さん、名は何て言うんだ? せめてそれだけでも教えてくれや」


「……麻木涼平。覚えておけ。これからお前を地獄に送る男の名だ」


「フッ。面白いことを言うじゃねぇか。まあ、俺も長らく極道をやってるが、お前さんほど腕の立つ男は初めてだぜ。うちの組にも欲しいくらいだ」


「無駄口は止せ。行くぞ」


 俺は緋田を担いで沖縄の街を歩いてゆく。とはいえ、この体勢で人目についてはまずいので、人質を隠して移動できる方法を探す。要は車の確保だ。無論、タクシーを拾うわけにもいかないので手段はひとつ。盗むしかない。


 ――バコッ。


 事務所近くの駐車場で車から降りたばかりの男性を背後から襲って昏倒させ、まんまと車を奪った俺。荷台に緋田を乗せたら出発だ。まずは恒元たちと合流を図りたいのだが……。


「やべぇ。意外と難しいな」


 思わず独り言が漏れるほどに運転は難儀をきわめた。海外では傭兵としてジープ等の軍用車を操縦していたものの、それとこれとは勝手が違う。そのそも右ハンドルで左側通行という我が独自のルールに不慣れ。俺の車は蛇行を繰り返し、対向車からはクラクションを鳴らされまくった。この状況で警察に見咎められたらまずい。緋田を積んでいるのもさることながら、この車は盗難車。挙げ句、俺は日本では無免許なのだ――。


 厄介なことに至る所で検問をやっている。今は道端で警官に呼び止められても困るのだ。しかし、車以外の移動では危険が数倍増しだ。


「仕方ねぇ。通れる場所を探すか……」


 俺は小道を探して通ることにした。もちろん、その間も警戒を怠らない。緋田を抱えているのを他の人間に見られれば一発でアウトだ。


 幸い、それほど長い距離を走ることもなく検問を回避して路地裏に入ることが出来た。それにしてもおびただしい警官の数だった。何かあったのだろうか? あながち偶然とも考えづらい。


 ともあれ、大いにヒヤヒヤさせられながらも、何とか宿所まで辿り着いた俺。幸いなことに恒元は脱出に成功していた。これで何とか、東京へ戻れる。


 しかし、ひとつ問題が持ち上がっていた。


「涼平。その男は解放してやれ。東京へ連れて帰ることは難しかろう」


「えっ? 何故です?」


「どうやら、我々が東京へ戻ること自体が叶わぬようだ……」


 ため息をついた恒元に指図されて窓の外へ目をやった俺は、絶句した。なんと、ホテルの周囲に無数のパトカーが殺到していたのだ。重武装の機動隊までもが待機している。


「い、いつの間に……!?」


中川会われらが警視庁や東京地検を取り込んでいるのと同じように、沖縄県警は丸ごと緋田組の味方なのだ。おそらくはこうなることを踏んで、あらかじめ手を打っておいたのだろうな」


 憎々しげに、恒元は床で横たわる緋田を睨みつける。緋田咲吉という男がここまで狡賢い人間だとは思ってもいなかった。悔しいが、今回は完全に俺たちの負けだ。東村の拉致を口に出してしまったのはこちらの戦略ミス。結局、それを読んだ緋田にまんまと裏をかかれてしまったのだ。


 思い返してみれば、今朝の大衆食堂で緋田の元へかかって来た電話。あれは漆原組の配置完了をしらせる連絡だったのだ。まあ、あの時は目の前のアロハのおっさんが緋田咲吉だとは考えもしなかったわけだから、悔やんでも仕方ないのだが……。


 決断すべきは、これからの動きだ。


「どうします? 先刻と同じように、俺が警察サツの目を引き付けますか?」


「いいや。ここで暴れてもお前がお尋ね者になるだけだ。こうなった以上、一縷の望みに全てを懸けるしかあるまい」


「そ、それは一体……?」


 答えを聞く間も無く、ホテル内に踏み込んできた警官隊によって俺たちは逮捕されてしまった。


 恒元が期待していた可能性。それは緋田咲吉が俺たちを早期に釈放させるよう、沖縄当局に圧力をかけることだった。結果、俺と恒元、それから平野組の生き残りたちは3時間の拘留で“証拠不十分”を理由に釈放と相成った。何故なのか?


 帰りの便を待つ空港で尋ねると、恒元は苦々しい面持ちで答えた。


「全ては我らに恩を売るためだ。我輩が沖縄で消息を絶てば、中川会は全面報復に乗り出す。そうなっては勝てぬと判断したのだろうね」


「なるほど。俺が大暴れしたせいで、緋田組の本部は壊滅状態。組員の大半が殺されましたからね」


「ああ。そんな状態で、万全の準備を整えた中川会と戦っても勝ち目は薄い。ゆえに緋田は我輩を釈放させたのだ。恩を売って“貸し”を作るためにね」


「俺たちとしても、恨みを水に流さざるを得なくなるわけですね……」


 今回、中川会会長の逮捕は報道されていない。何を隠そう、緋田咲吉が沖縄の在地メディアにカネをばらまいて情報統制をかけたからだ。


 領土を広げるべく颯爽と乗り込んでいった敵地で敵の策略に嵌まり、あろうことかその敵に救われたとあっては、面子メンツも何もあったものではない。一連の出来事が報道されれば中川恒元の権威は失墜する。今回、恒元は緋田組に借りができたというよりは、向こうに弱みを握られたも同然なのだ。


「奴らは暗に脅しをかけているのだよ。『もしも今後、中川会が沖縄に侵攻しようものなら真実を世間に公表する』とね」


「これで俺達の侵略を未然に食い止める防波堤を得たと。では、緋田はこのまま村雨組の傘下に?」


「いや、それが村雨耀介に対しても同様の脅しをかけたらしい。今回、村雨組は若頭補佐の漆原小平太を討ち取られている。村雨にとっては久々の敗北、侵攻失敗だ。その話が広まるのは彼とて面白くないだろうからねぇ」


 中川会会長の中川恒元と、煌王会随一の武闘派組長の村雨耀介、その両名を見事に手玉に取って翻弄し、侵略を防いだ。緋田咲吉という男の知略には敵ながらに喝采を贈るしかなかった。俺としても権謀術数や戦略の何たるかを学ばされた気分であった。


「緋田咲吉……大した男だね。だが、我輩は諦めんぞ。いずれ必ず沖縄を手に入れてやる」


 自らに言い聞かせるように呟いた恒元に付き従い、俺は空路で東京へと戻った。帰国の玄関口が沖縄だったから、まさしく五年ぶりの東京となる。しかし、懐古に浸って浮かれてなどいられない。東京では問題が山積みらしい。


 聞けば、とある直参が恒元の留守を良いことに勝手放題に振る舞い、あまつさえ他組織の領土を侵略したというのだ。恒元としては実に切実な問題。一刻も早く総本部へ戻って事を収めねば、中川会会長の威光が大きく揺らぎかねない。


「涼平。疲れている所で悪いが、お前にはまた働いてもらうぞ」


「ええ。任せてください。その為にこそ帰ってきたようなものですから」


 気合いを入れ直して、俺は次なる決戦に備えて拳を固めたのだった。

中川会と煌王会、沖縄をめぐる巨大組織同士の心理戦は双方の痛み分けに終わった。両組織を手玉に取った緋田咲吉に敗れた涼平は、悔しさを胸に東京へと戻る。そんな彼を待ち受けていたのは……?

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