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鴉の黙示録  作者: 雨宮妃里
第9章 帰ってきた悪魔
162/261

東京からの使い

 鴉の黙示録 第二部 争乱


挿絵(By みてみん)


 砂地を歩くらくの群れが、鳴き声を上げる。


 人と自然が共生する街だけあって至る所に動物がいる。彼らは人間にも慣れているようで、ごく普通のように近寄ってくる。時たま露骨に敵意を剥き出しに噛みついてくる個体が存在する点を除けば、動物との触れ合いは楽しいものだ。


 空は晴天。見渡す限りにどこまでも続く青と緑のコントラスト。そよ風が風が頰を撫でると、微かに春の香りがする。


 俺はそんな長閑のどかな自然と調和する小高い丘の上の草原に横たわり、ぼんやりと宙を眺めていた。そうしているうちにヤニが欲しくなって、ポケットから煙草を取り出して火をつける。銘柄の名は「Գեղեցիկ ժամանակ」。日本語では「美しい時間」と訳せる。まさに、今この時間を過ごすのに最もふさわしい煙草であった。


 ここは東欧、エウロツィア共和国の中部ルカノシュク。農林や牧畜での仕事を主産業とする典型的な田舎町だ。俺は定住しているわけではない。中東と東ヨーロッパのあちらこちらを転々とする暮らしの中、たまたま腰を下ろしていたに過ぎない。


 あれから、どれだけの月日が流れただろうか。5年にも及ぶ潜伏と逃亡の暮らしの中で、何度か自分を見失いそうになったが、俺はヤクザだ。


 名は麻木涼平。日本の裏社会を二分する東日本最大の暴力団、中川会に身を置く若き極道である。組織内での立ち位置は、執事局次長助勤。会長である中川恒元の護衛と身の回りの世話を一手に引き受けるのが仕事だ。尤も、この5年はそれとはまったく無関係の生活が続いていたわけだが……。


 それでも俺は自分がヤクザであることを忘れた日は無いし、いずれ日本へ戻る時のために自分なりに鍛錬を積んできたつもりだ。平和ボケなんてしていない。俺のような凶状持ちが隠れ住むには、治安の悪い暗黒街や紛争地帯でなければ目立って仕方が無い。


 荒事は日常茶飯事で、血の気の多い連中との喧嘩は常に俺を取り巻いて来た。その辺は日本に居た頃とさほど変わらず……いや、日本より遥かに強烈な修羅場をくぐってきた自覚がある。


 何せ、裏社会の抗争とは違う、国同士で行われる正真正銘の“戦争”に巻き込まれたのだから。少し前まで、俺はとある事情で傭兵として戦地で生計を立てていたのだ。


 成り行きとはいえ、紛争の続くアフリカやバルカン半島に居た頃は死と隣り合わせだった。人間、誰しも魔の境地を見れば心が渇く。それは俺も例外でなく、いつの間にやら少年の頃の青臭さがどこかへ消え去っていた。


 ただ、良い経験も重ねた。ひょんな出会いから、俺は異国の地でとある秘伝武術を習うことになったのだ。それは日本で千年以上の歴史を持つものだ。俺はその奥義を現代に受け継ぐ伝承者らしき人物と出会い、師と崇めて修行をつけてもらった。そこに至る経緯はかなり複雑なもので、自分でも何故にああなったのかが不思議だ。そもそも異国の地で日本の武術を修行したこと自体、おかしな話である。


 しかし、尊敬できる師のもとで学べたのは本当に有意義な時間であったし、我ながら人間として成長させてもらったと思う。それまでは単なる戦闘狂だった俺に、いつの間にやら“礼”の一文字が身に着いた。そして何より、世界最強クラスの殺人武術を体得したことで五年前にも増して強くなった気がする。


 2004年3月7日。この時の俺は肉体、精神の両方で充実感に満ちていた。齢はいつの間にか21歳を数え、男としては少し脂が乗り始めた頃だと思う。


 さて、長きにわたって信じ続けた来るべき日は、いつになったら来るのやら。俺が居ない間、日本では何がどうなったのだ? 現地の新聞を通してしか情報を得ていないので、大まかにしか分からない。ましてや、裏社会の話なんか知る由も無い。当然の話だが、日本とエウロツィアではあまりに離れすぎているのだ。


 そんなことを考えていると、目の前に一人の男が立っていた。スーツに身を包んだ、背丈の高い男である。


「よう。久しぶりだな。麻木涼平」


 俺は、その男の容姿に覚えがあった。


「……ああ、平野さんか。久しぶりだな」


 平野ひらの泰朝やすとも。俺が身を置く中川会執事局の局長で、直属の上司にあたる人物だ。彼が姿を見せた時点で、俺は全てを察した。5年にも及ぶ“修行”の期間が、もうすぐ終わろうとしていることを。そして、本国から迎えが来たということを――。


「お前を探し出すのに3ヵ月と5日かかった。外務省の伝手を使ってようやくだ。執事局の下っ端の分際で、ずいぶんと手間をかけさせてくれたものだな」


「そりゃあどうも」


「ともかく、以前よりも男らしい顔つきになったな。おまけに身体も少しばかりデカくなったと見た。これは頼もしい」


 平野はそう言って、俺の手をとった。そのてのひらは柔らかく、それでいて温かい。日本人の手に触れるなんざ、いつ以来だろうか。少なくとも魔境の地では久しく味わっていなかった感触だ。


「そうか? 俺は大して自覚は無いが」


「謙遜するな。俺が保証するよ……っとそうだ。お前には、さっそく本題を伝えにゃならん」


「皆まで言わなくても分かるぜ。日本に帰れるんだろ?」


 俺の問いかけに、平野は大きく頷いた。


「そうだ。今日はお前を迎えに来た。会長のご指示でな」


 待ちに待った言葉が聞けた。今日、この時をどれほど待ち侘びたことか。暗くて虚しい異国暮らしとも、ようやくおサラバ。中川会の一員として、また渡世を再開できる。止まっていた人生の時計の針が、ゆっくりと動き出すような心地であった。


 平野によると、彼を遣わせた会長の中川なかがわ恒元つねもとが首を長くして待っているという。挙げ句「今日中の便で一刻も早く連れ戻して来い」とのお達し。気になったので、俺は尋ねてみた。


「何かあったのか?」


「問題が山積みでな。信頼の置ける戦闘要員として、お前の腕が必要なのだ」


 執事局を分かりやすく言えば、会長の親衛隊として機能する組織。普段は会長の身の回りの世話や秘書業務をこなし、総本部の内外を問わず同道して警護を行う。また、有事の際には会長直属の独自戦力としても動く。


 今回、平野がはやうまのごとく俺を呼びに来たということは、察するに何かしらの緊急事態が発生したと見て間違いない。そうでなければ、わざわざ「お前を探すのに大枚の金を使ったんだぞ」と付け加えたりはしないだろう。仄かに背筋が緊張の色を帯びてきた。


「なるほどな……そりゃ、早急に戻らんと」


「詳しくは道中で話す。時間が無いんだ。このまま空港に直行するぞ。お前のここでの住処は後々、人を寄越して処分させる」


「その方が良さそうだな」


 俺は即答し、平野と共に歩き出す。彼が乗って来たレンタカーの後部座席に乗り込み、空港に向けて発進する。数分ほど経った頃で「詳しい話を聞こうか」と俺が問うと、局長は本題を切り出してきた。


「近頃、幹部たちが各々に不穏な動きを見せていてな。会長の立場が脅かされるかもしれないのだ」


「不穏な動き? 反乱の気配があるってことか?」


「ああ。ざっくりと言えばそんなところだ。この五年の間、中川会は西へ一気に勢力を拡大した。関西の煌王会が運良く弱体化してくれたおかげで、長野と岐阜、それから新潟にまでシマを拡げられたのさ。だが、それを良い事に……」


「新しいシマを得て勢いづいた幹部たちが好き放題やり始めるようになったと?」


「そういうことだ。お前、察しが良いな」


 俺は人の話を結末まで聞かずとも、大方の内容が分かるようになっていた。これは流浪の凶状持ちとして各国の無法地帯を渡り歩く中で培われた特殊能力というべきか。


 それはさておき、中川会の現状は予想していたよりも複雑らしい。規模が大きくなれば内部に綻びが生じやすくなるのは組織の常。構成員の数も急速に増えていると聞くが、それに比例して秩序維持の難易度も上がっているわけだ。


 このタイミングで恒元が俺を呼び寄せる理由は、単なる戦力増強だけではないだろう。ここに至るまでの裏社会の情勢をかんがみるに、信頼できる子分を一人でも多く側近に置きたいようだ。嫌な記憶だが、奴とは何度か肉体関係になっている。かつての男色相手に縋らねばならぬほどの窮状にあることは想像に難くない。


 ただ単純に腕っ節が強いだけでなく、あらゆる事態に対応可能で臨機応変な判断を下せる存在は貴重だ。それも傭兵として暴れまわっていたというなら尚更のこと。自分が日本に戻される理由を何となく察し、俺は苦笑いした。


「……まったく。デカい組織を維持してくのも楽じゃないよな」


「当然だ。そもそも中川会は関東博徒の親分たちが寄り合いのごとく結集して生まれた組織。中川会の会長は所詮、組織を形成する親分衆に推戴される存在でしかない側面もある。事実、初代と二代目は彼らとの関係に苦労したものだ」


「そいつをまとめ上げたのが現在いまの会長なんだよな?」


「その通りだ。けど、それはあくまで会長の力が親分衆を上回っていればの話。拡がったシマを任されて資金的に潤ったことで、会長の後塵を拝していた親分衆がここへきて急にイケイケになってる。今まで押さえつけられていた分の鬱憤を晴らすようにな」


 子は親の命令に絶対服従……というのが極道社会の習わしだが、必ずしもそうとは言い切れぬ側面がある。中川会という巨大組織ともなれば統制は難しいことこの上ない。これから俺を待ち受けているのは聞くからに厄介な問題。


 自然と、ため息がこぼれた。


「はあ……仕方ないな。お呼びとあらば、やってやるさ。そのためだけに、5年間もひたすら牙を研ぎ続けたようなもんだからな」


 窓の外を見つめて吐いた俺の言葉に、平野は「期待しているぞ」と返した。平静を装っているが、この男にも切羽詰まった事情があるのだろう。齢40にしては若い見た目の割に声はしわ枯れている。会長の最側近たる執事局局長として日夜並々ならぬ苦労を抱えていると見た。


 その証左に、ハンドルを握る手つきには落ち着きがない。何よりも、助手席に座っている俺の肩にポンと手を置く際にも必要以上に力を込めていた。平野の焦りが伝わってくるようだった。


「で、これからどこへ行く? ラクノジュの空港までは直線距離じゃ大体30分くらいだが、道中は舗装されてない箇所が多いぜ。多少遠回りになっても都市部を進んだ方が良いんじゃないか?」


「いいや。このまま最短ルートを行く。ただでさえ時間が無いんだ。フライトの時間を考えても、遠回りをしている余裕などあるわけがない」


「……だろうな」


 俺は短く答え、彼の運転に身を任せることにした。平野の不安が伝染したのか、俺も自然と固い表情になる。これから、一体どんな修羅場が待ち受けているのやら……。


 懸念の対象は日本に帰ってからのことではない。日本に辿り着く前、この首都ラクノジュへと至るルカノシュクの旧街道を無事に通り抜けられるかという話だ。


 エウロツィアは旧ソビエト連邦の構成国のひとつで、1991年に独立を達成した。しかし、長らく続いた社会主義にいきなり市場経済が導入されたことで経済は大混乱、他の旧ソ連構成国と同様に国内が大荒れになった。


 治安は急速に悪化し、1995年からは事実上の内戦状態。現在に至るまでに国土の大半が無法の荒野と化している。区分上には中東に位置するものの地政学上は欧州にあたるという何とも奇妙な地理関係ゆえに、民族対立の火種も多いのだ。


 現在、この国の政府は全土を統治する力が無い。腐敗と汚職にまみれて機能しなくなった警察や共和国正規軍の代わりに各地の有力者が立ち上げた私設軍隊、すなわち軍閥が治安維持を担っている有り様だ。軍閥たちは自陣営の勢力拡大しか頭になく、他の軍閥と熾烈な抗争を繰り広げている。情勢的には戦国時代の日本と何ら変わらぬ超危険地帯だ。


 それは俺たちが車を走らせるルカノシュク地方とて例外ではなく、確かこの辺りは農民くずれの武装勢力が跋扈していたような気がする。旅行者を狙って略奪をはたらいているとの噂を数日前に耳にしていた。


 盗賊のやることは常軌を逸しており、獲物からは金品を奪うだけに飽き足らずそれ以上の残虐行為を平然とやってのける。子供は攫われ、女は乱暴され、家畜は生皮を剥いで肉をむさぼり取られる。事実、ここへ来る道中には人や獣の骨がゴロゴロ転がっていた。


 賊党どもの集団戦術は厄介だ。一度見つかったら最後、瞬く間に危険な奴らが集まってくる。彼らに出くわすこと無く、どうか無事に辿りつければ良いのだが――。


 しかし、そうは問屋が卸さなかった。


「なっ、何だ!?」


 突如として車体に衝撃が走るや否や、平野が血相を変えた。この「バスッ!」という妙な音の正体はおそらくパンクだ。何らかの要因で、タイヤの空気が抜けてしまったのだろう。


 平野は慌てて車を停める。だが、次の瞬間。


 ――ドドーンッ!


 銃声が響いた。連発して発射された弾丸が車に命中したのが分かった。俺たちは咄嗟に頭を伏せる。案の定だ。どうにも空気感が不穏だと思ったら、やはり襲ってきやがったか。


 そう考えているうちに銃弾は燃料タンクに直撃し、車の後部から火の手が上がる。


「麻木、出るぞ! この車はもうダメだ!」


 平野は急いで車の外へ飛び出す。俺もそれに続くが、車に撃ち込まれた弾の数からして相手は複数人だろう。おまけにこの手際の良さといい、相当な機動力を持っていると見て間違いない。


「……なるほど。奴らか」


 俺は襲撃者に心当たりがあった。程なくして、連中は姿をあらわす。


「Հայաչեր(ヒャッハー!)」


 トチ狂った雄叫びを上げながら、こちらへ猛進してくるのはクーフィーやターバンを身に着けた男たち。頭巾で顔を覆い隠した者もいる。荷台に機関銃を積んだ2台の軽トラックに分乗していた。おそらくはあれで車を撃ってきたのだろう。


 平野が忌々しげに舌打ちをする。それから俺と背中合わせになって、「やれるか?」と問うてくるので俺は余裕たっぷりに答えてやった。


「誰に聞いてんだ。俺は今までああいう奴らをわんさか相手にしてきたんだ」


「知ってる奴らか?」


「この辺りじゃ悪名高い連中でな。“砂塵さじんのイスファーン”とかいう元百姓の集まりだ。まあ、所詮は雑魚さ」


 俺たちをぐるりと包囲するように停車した軽トラから、男たちがぞろぞろ降りてくる。砂塵のイスファーン、噂には聞いていたがなかなか手際が良い。さては、だいぶ前からつけられていたな……? 名が示す通り、この辺りで吹き荒れる砂塵に紛れて姿を隠し、ターゲットを密かに尾行する特技を持つ集団だ。平野が気づかなかったのも頷ける。


 と、軽く敵方の分析をしていると、少し離れたところで爆発が起こる。


 先ほど俺たちが脱出した車が岩山に激突したようだ。あのまま乗っていたら爆発に巻き込まれていたところだった。まったく、砂漠の中で貴重な移動手段を奪いやがって……!


 軽くイラついて、俺達は連中を睨みつける。一方、彼らは少し揉めていた。


「Հը՜յ, մեքենան պայթեցավ... Դա իմ գտած զոհն է, բայց ի՞նչ անեմ(おい、車が爆発しちまったじゃねぇか! せっかく見つけた獲物なのに、どうすんだよ!)」


「Ուրուսեյ... Կարծում եմ, ես կրակել եմ քեզ վրա, որովհետեւ դու ասել ես՝ կրակիր մեքենան:(うるせぇ! お前が『車を撃て』と言うから撃ったんじゃねぇか!)」


「Ասացի՝ անվադողը նետիր: Ինչո ՞ւ ես վաճառում նույնիսկ մեքենայի մարմինը։ Շնորհիվ ձեզ՝ մեքենան թալանելու ճանապարհը աղետ չէ!(俺は『タイヤを撃て』と言ったんだ! 何で車体まで撃っちまうんだよ! おかげで車を奪う手筈がご破算じゃねぇか!)」


 この五年の間、俺は日本語以外の言語を多数習得していた。各国を渡り歩く中で、嫌でも覚えざるを得なかったのだ。エウロツィア語もそのうちのひとつ。まったく。日本語と違って訛りがきついから、毎度の事ながら聞き取りにくい。


 どうやら連中は一枚岩ではないらしい。明確な指揮系統も存在しないと見える。これは思ったよりも容易い相手と考えて良さそうだ。


 拳銃を構えた平野を制し、俺は一歩前に進み出て奴らに言った。


「Դու այդ փոշմանած Իսֆարն ես? Քեզ հանդիպելը հաճելի է:(お前らがあの砂塵のイスファーンか。お目にかかれて光栄だぜ)」


 すると、連中がこちらに一斉に銃を向ける。


「Հը՜յ, հհե՜ր... Եթե չեք ուզում փրկել ձեր կյանքը, հրաժարվեք բոլոր ոսկե իրերից եւ պառկեք գետնին!(おい、アジア人! 命が惜しけりゃ、金目の物を全て差し出して地面に平伏せ!)」


 俺たちが異邦の民だと知るや否や勢いづいた。さては、平和ボケした旅行者だと思って調子に乗ったか。アジア圏出身者、とりわけ日本人は海外の盗賊たちに舐められている。日本国内の法規制のねちっこさゆえ“銃を扱えない民族”として世界的に有名だからだ。


「Հե՛հ, լավ հնարավորություն է... Սպանենք այս տղային, որ ազատվի իր վշտից!(へへっ、良い機会だ。憂さ晴らしにこの男をぶっ殺そうぜ!)」


「Այս տղան կոստյում է հագնելու! Դե, պաշտոնյա՞, թե՞ ինչ-որ բան... Եթե նրանց առեւանգես, նրանք կնմանվեն։(この男、背広を着てやがるぞ! さては役人か何かか? 拉致れば身代金カネになるぜ!)」


 などと口々に欲望を口にすると、じりじりと包囲を縮めてくる砂塵のイスファーン。やれやれ。盗賊とは困ったものだ。この5年間であちらこちらを見て回ったが、この手の連中は星の数ほどいる。人里離れた道を行けば、いつも決まってこうだ。


「Հեյ ՀՀ քաղաքացիներ! Դուք ունեք մեկ ընտրություն! Ես թույլ կտամ ձեզ ընտրել, թե արդյոք դուք կսպանվեք հենց հիմա, թե ձեր գումարը գողացվելուց հետո!(おいアジア人! 選択肢は二つに一つだ! ここで今すぐ殺されるか、カネを奪われた後で殺されるか、選ばせてやるよ!)」


 だが、お生憎様。こっちはヤクザだ。戦うことには慣れている。


「Ո՛չ մեկին, բաստա՛ր:(どっちもお断りだよ、カス野郎)」


 捨て台詞を吐くより前に、俺の身体は動いていた。


 ――シュッ。


「Ի՞նչ...: Անխելք.........(なっ!? 馬鹿な……!)」


 連中の顔が青ざめる。それもそのはず。俺はその場で跳躍し、常人では考えられぬ高さにまで飛翔していたのだから。


「でやぁぁぁーっ!」


 天高く舞い上がった俺は、そこで宙返りを打って急降下。盗賊どもの一人に向かって突っこんでいく。着地の刹那、俺は両方の手をクロスさせて手刀を繰り出した。


 ――グシャッ。


 微塵も反応できないまま、俺の斬撃をまともに受けた男。直後、彼は鮮血を撒き散らしながら身体をくの字に折り曲げると、白目を剥いて崩れ落ちた。即死だ。


「なっ……! 何だ、あれは!?」


 平野が驚いたような声を上げる。


「あんな動きにあんな技……見たことが無い……!」


 もちろん俺にはその声に答えている余裕などない。まだ敵は11人もいるのだ。俺は素早く残りのメンバーの位置取りを把握すると、まずは眼前の敵から片付けることにした。


「Հը՜յ, մեծ բան է... Կարո՞ղ է այդպիսի կունգ ֆուն աշխատել ինձ համար:(こっ、こけおどしだ! 俺にそんなカンフーが効くか!)」


 威勢の良い男が居たので、そいつから仕留めにかかる。俺は空を蹴って身体を捻りつつ、敵の喉笛目掛けて横蹴りを見舞った。敵は咄嗟に防御姿勢を取ったが、もう遅い。


 ――ドゴッ!


 軌道に乗った俺のつま先は、その腕をすり抜けるがごとく正確に頸椎を捉えた。骨が軋む音、肉と神経の断裂する感触。俺の前で白目を剝いた男は、一瞬のうちに意識を失うとその場に崩れ落ちた。


「Ողջույն...!? Սա՜... Թխեք նաեւ...!(こっ……!? このっ! ばけも……!)」


 驚きながらも反撃に転じようとしてきた男を軽くいなし、回し蹴りを見舞う。彼は脇腹に痛烈な衝撃を受けて吹っ飛ぶと、そのまま岩肌に激突した。きっと内臓が破裂したことだろう。無惨に肉片が飛び散っていた。


「Ո՜վ... Ո՞րն է մահվան հաջորդ բեսթսթարդը...(誰だ! 次に死にてぇ野郎は!?)」


 奴らを煽ると、俺は再び地面を蹴って宙に舞った。まず狙うのは手近に居た男2人。落下速度を利用して唐竹割りを見舞う。狙いは首の頸動脈。彼らは成す術もなく喉を切られて即死した。


 さらに返す刀でもう1人仕留めるべく腕を振るう。指先に確かな手応えがあった。首の骨を折ってやったのだ。残るは8人。


「Դու...!(お前っ……!)」


「Մի վախեցիր! Հակառակորդը մերկ է... Մենք վախենում ենք հրացաններից!(臆するな! 相手は素手だ! 銃を持った俺達が怯むこたぁねぇ!)」


「Պաշարե՜լ... Շրջապատե՛ք եւ կրակե՛ք մի սալվո...(包囲しろ! 包囲して一斉射撃だ!)」


 俺を取り囲むように散開する盗賊たち。銃を構えるが、奴等の引き金を引くよりも俺の脚の方が速い。猛烈に加速し、次々と敵を葬っていく。そして最後に残ったのは敵のボス格と思しき男ただ一人であった。


「Հիմա արդեն վերջի ժամանակն է... Կամենո՞ւմ եք։(さあ、最後はてめぇだ。何か遺言はあるか?)」


「Ույու... Դե իմ սիրուն հենչմեններ... Ներիր ինձ! Կսպանեմ քեզ!(クッ……よくも俺の可愛い子分たちを……許さねぇ! ぶっ殺してやる!)」


「Հմմ? Մի րոպե սպասեք, ինչ-որ տեղ դեմք եք տեսել:

(ん? ちょっと待て、お前、どこかで見たことのある顔だな)」


「Դու......(お前は……!)」


 男は俺の顔を見て、即座に思い出したようだ。


「Մի՞թե Ասահինան չէր, որ Վալդենիսի ռազմաճակատում էր։(ヴァルデルの戦場に居たアサヒナじゃねぇか!)」


 一方の俺はよく覚えていない。だが、その男によると中部にあるサンジャ湖の畔にあるヴァルデルという街で少数民族同士の小競り合いが起きた際、同じ鎮圧部隊に居たというのだ。アサヒナというのは俺が海外生活で名乗っている偽名。恒元から渡された偽造パスポートにあった「朝比奈あさひな隼一しゅんいち」の名前を用いて活動していた。傭兵として募集に応じた際に氏名を書いたので、同じ兵卒仲間に知られていてもおかしくはない。


「Վատ է... Ես նույնիսկ չեմ հիշում նրա անունը: Նկատի ունեմ, կարո՞ղ եք հիշել ամեն մի բան, որ նման բան չի իջնում:(悪いな。思い出せない。っていうか、そんな下らないことをいちいち覚えていられるかよ)」


「Մի՛ ծաղրիր... Դու այդ ժամանակ լավ գործ ես արել։ Ձեր դոգմատիկ նվիրումի շնորհիվ ես հայտնվեցի թշնամու տարածքում!(ふざけるな! あの時はよくもやってくれたな。お前の独断専行のおかげで、俺は敵地に取り残されたんだぞ!)」


「Դե ինչ, ուշացած նահանջի համար ձեր մեղքն է:(そりゃあ、撤退が遅れたお前が悪いだろ)」


「Այդ ժամանակ ես կմաքրեմ իմ ոխը այստեղ!!(その時の恨み、ここで晴らしてやる!!)」


 傭兵が盗賊に成り下がるのは中東ではよくある話だ。飄々とした俺の態度を前に男は発狂。銃を捨て、反りのかかった片刃刀を抜いて斬りかかってくる。


「Մի՛ լիզեք Isfarn, ասիական!(イスファーンを舐めるなよ、アジア人め!)」


 だが、直線的な攻撃が当たるわけもない。連続して繰り出される斬撃を軽やかに躱しながら、俺は間合いを侵略する。


「Վերջացավ(終わりだ)」


 俺は勢いよく右手を突き出す。ぬき。まるで刃物で刺突するかのように、鋭く尖った指先で相手を突き刺す技だ。


 俺の右手は男の喉頭部分を串刺しにした。


「Աա(がああっ……!?)」


「Ես ձեզ կսովորեցնեմ որպես ստորջրե աշխարհի հուշանվեր: Սա «կունգ ֆու» չէ: Դա կենդանի սպանության տեխնիկա է,(冥途の土産に教えといてやる。これは“カンフー”じゃねぇ。日本の古武術だ)」


 そのまま指を引き抜くと、男の首元から勢い良く血が噴き出す。奴は既に絶命している。これを食らって耐えられる者などいるはずがない。


 ――ドサッ。


 大将格の男が地面にうつ伏せに倒れ、血の海が広がる。これで砂塵のイスファーンはあっという間に壊滅した。まったく。この程度の腕でよく盗賊なんぞをやっていたものだ。


「お、お前、さっきのやつは何だ? 空手か? 空手にしては、見慣れぬ動きがあったが……?」


 平野が問うてくるので、俺は軽く答えた。


「ただの古武術だよ」


「古武術?」


「日本古来の殺人拳でな。銃や刀剣に頼らず、己の肉体のみをもって相手の息の根を止めるんだ」


 件の殺人武術を俺が習ったのは、放浪の末に辿り着いた南アフリカの暗黒街にて。現地で知り合った日本人の伝承者から直接伝授されたのだ。


 その人物はかなり老いており、自らの後継者たる若い存在を必要としていた。彼の眼鏡にかなった俺は老師の弟子になり、あれこれ鍛錬に励んだ。修行自体は大して辛いものではなく、それどころか拍子抜けするような内容だった。しかし、武術の腕は実戦の場に居てこそ磨かれるもの。伝承者としての実力を確かなものとするべく、師匠からは体得した技術を用いて出来るだけ多くの殺し合いをしてくるように言われた。おかげで俺は各国の紛争地帯を飛び回る羽目になったのだ……。


 血と硝煙にまみれた本物の戦場を長らく旅していた所為か、俺の五感は完全にイカレ果てた。視覚は真っ暗闇でも難なく見えるほど鍛えられ、聴覚は数百メートル先の話し声も聞こえるほどに澄まされ、嗅覚に至っては野犬並みに発達してしまった。俺は今から、日本に帰るのだ。ヤクザとしての自分を高めてくれた師匠には感謝しているが、人間らしさを悉く欠いたままの心身でいて大丈夫なのか?――まあ、その辺は後で考えるとしよう。


「しかしながら、先刻は驚かされたぞ。かなりの跳躍をしていたようだが、どうやってあんなに高く跳んだ? 3メートル近くあったんじゃないか?」


「そりゃあ、決まってんだろ。とにかく足腰を鍛えるんだよ。強靭な脚力があれば自ずと跳べるようになる」


「いや、だとしても……」


「ほら、そんなことより早く行こうぜ」


「あ、ああ」


 俺は誤魔化すと、先へ歩き始めた。平野は何のこっちゃといった表情をしていたが、すぐに俺を追いかけてきた。


 異国の地にて体得した殺人武術は一子相伝。伝承者として、技の発動法は全て秘匿し、決して他所に流してはならぬと言われた。それこそが平安時代より千年の間、脈々と受け継がれてきた流派の真髄なのだと。ゆえに俺は口をつぐむしかない。とりあえず、今は日本に帰る方法を考えよう。


「それにしても、お前にそんな特技があったとはな。いやはや驚きだ」


「うるせぇよ」


 軽口を叩き合いながらも、俺達はそのまま歩みを進めるのだった……。

21歳になった麻木涼平。彼が潜伏していたのは、まさかの東欧、エウロツィア共和国! 傭兵として過ごした時間で培った知識と経験は涼平を何処へ導くのか……!?


ーー

あけましておめでとうございます。令和6年も本作を変わらぬお引き立てのほど、よろしくお願いいたします。

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